2026年9月16日2026年9月7日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す湯川秀樹【電子の数百倍の質量を持つ中間子の仮説を提唱しノーベル賞を受賞】‐9/16改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)【1907年1月23日生まれ ~ 1981年9月8日没】 【Photo: Wikimedia Commons / Public Domain】湯川秀樹の生きた時代旅人 【スポンサーリンク】湯川秀樹の書いた本「旅人」は湯川秀樹の自伝です。その湯川秀樹は朝永振一郎と同じ時代を生きています。互いに刺激しあう関係を築き、共に時代のテーマに取り組んでいます。伝記を読んでいくと湯川秀樹が情熱を持って物理学に取り組んでいた様子が分かります。色々な所で引用されているのですが「アイデアの秘訣は、執念である。」と湯川秀樹は明言しています。一見不可解な 現象を紐解き、単純明快な原理を抽出 する仕事をしてきたのです。湯川秀樹の興味そもそも、湯川秀樹の関心は物質の相互作用であって、 その世界は全く目に見えません。湯川秀樹は情熱で綿密に話を組み立てます。 重力・電磁力以外の微細粒子間の相互作用を 引き起こす「強い力」に着目して議論を進めました。湯川秀樹の時代には場の考えが発展していく過程で 原子の中での相互作用を湯川秀樹は中間子という概念で 相互作用を紐解いたのです。湯川秀樹のアイディアは 「場を担う粒子」という考え方です。そもそも、重力(万有引力)を考えると二つの質点が 存在した時にその質点同士が互いを引き合い 現象が説明されます。この明快なモデルに反して、「電子の数百倍の質量をもつ中間子の仮定」は当時の観測とは別に設定されていて、 ボーアやハイゼンベルクは内容の吟味を求めていたと言われます。湯川秀樹のノーベル物理学賞は1949年で、受賞理由は 「核力についての理論的研究に基づく中間子の存在予言」です。 パウエルのπ中間子発見は、湯川理論を強く裏付けた重要な 出来事ですが、「発見が契機となって受賞した」と 単純化しない方が正確でしょう。 「物理での概念確立の危うさ」を感じてしまう歴史です。 理論的な要請と言えなくはないですが、 辻褄合わせの為の概念は色々な角度から 真剣に議論されなければいけません。別の言い方をすれば、その概念を磨き上げて 納得のいく説明をすることが出来た時に 「大きな仕事をした」と言えるのではないでしょうか。湯川の中間子は、現代の意味での「強い相互作用の基本的な力の媒介粒子=グルーオン」 そのものではありません。現在は、クォーク間の強い相互作用を媒介する基本粒子は グルーオンであり、π中間子は陽子・中性子間に働く核力を記述する有効的な交換粒子 として理解されます。京都大学の解説でも、π中間子による湯川の描像は核子間の距離が 離れた領域では有効ですが、近距離ではそれだけでは説明できないことが示されています。 【参考:京都大学オープンキャンパス情報】湯川秀樹はボゾンの一つとして中間子を 「仮定」して強い力を説明してみせたのです。 この仮定での中間子が物理的にどういった意義を持つか 一般の人々にも分かりづらいと思えます。◆ 湯川秀樹と「日本発の理論物理」という転換点湯川秀樹の受賞は、日本人初のノーベル賞であり、日本の基礎科学研究が 世界的水準に到達した象徴的出来事でもありました。湯川秀樹の業績が持つ本当の意味は、単なるノーベル賞受賞にとどまりません。それは「日本から世界標準の理論物理が生まれた」という歴史的転換点でした。20世紀前半まで、物理学の中心はヨーロッパにありました。理論はドイツ、実験は英国という構図の中で、日本の研究者は 主に「学ぶ側」に位置していたのです。しかし、湯川秀樹の中間子理論は違いました。それは既存理論の改良ではなく、未観測の粒子を理論から予言し自然界の力の構造を説明し後に実験が理論を追認するという、アインシュタイン以来の理論物理の王道的成功でした。この出来事によって、日本の物理学は「輸入学問」から「創造する学問」へと変わります。そして同時代には、朝永振一郎が量子電磁気学の 理論を発展させ、日本の理論物理は世界との競争の中で 大きく成長していきました。つまり二人は、日本物理学の“創世記”を完成させた存在だったと言えるでしょう。湯川秀樹こぼれ話 湯川秀樹の業績は京都大学の原子力研究を初めとして 日本の物理学者たちに引き継がれています。個人的なご縁としては私が幼少時代を過ごした東京板橋にあった 理化学研究所の分室でも研究をしていたようです。少し時代がずれますが、私の故郷で彼が活動していたと思うと 不思議な気持ちです。ノーベル賞受賞者の朝永振一郎もそこに居ました。一昔前は、理化学研究所は本駒込にも拠点があり、 今でもホンダ朝霞の近くに拠点があります。何故か、と調べを続けていったら埼玉県にある平林寺に 創始者の一人である大河内氏の墓所があります。そんな歴史的背景を知ると、理化学研究所が 単なる研究機関ではなく、日本の科学史の 連続性を象徴する場所であるようにも感じられました。また、湯川秀樹は ラッセル=アインシュタイン宣言にも参加しています。 この宣言は後のパグウォッシュ会議へと発展し、 科学者による核軍縮運動の原点となりました。 以前のブログでもこの関連の話は盛り込んでいますが 私は研究者が異議を唱えても社会が破滅的な兵器を作る現実を 大変、問題だと思っています。政治家の暴走をとめないと。アインシュタインであれ湯川秀樹であれアシモフであれ 社会が叡智を集結して対応することを私は夢見ています。関連する物理学者◀ 前の人物:朝永振一郎▶ 次の人物:エドワード・テラーこの分野の物理学者(素粒子物理学・原子核物理学・日本の理論物理学)朝永振一郎湯川秀樹セシル・パウエル坂田昌一仁科芳雄ヴェルナー・ハイゼンベルクニールス・ボーア〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 全て返信は出来ていませんが 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/09/07_初稿投稿 2026/09/16_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介 京大関連のご紹介 纏めサイトTOPへ 電磁気関係へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年10月時点での対応英訳)The time when Hideki Yukawa livedThe book “Traveler” introduced at the beginning is an autobiography of Hideki Yukawa. Hideki Yukawa lives in the same era as Shinichiro Tomonaga. We build relationships that inspire each other and work together on the themes of the times. As you read the biography, you can see that Hideki Yukawa was passionate about physics.Although quoted in various places, Hideki Yukawa clearly states, “The secret of the idea is obsession.” At first glance, he has worked to unravel mysterious phenomena and extract simple and clear principles.Hideki Yukawa’s interestIn the first place, Hideki Yukawa’s interest is in the interaction of matter, and the world is completely invisible. He assembles the story with passion.He focused on the “strong force” that causes the interaction between fine particles other than gravitational and electromagnetic forces. In the days of Hideki Yukawa, Hideki Yukawa unraveled the interaction in atoms with the concept of mesons in the process of developing the idea of the field.Hideki Yukawa’s idea is the idea of ”particles that carry the field.” In the first place, considering gravity (universal gravitational force), when two mass points exist, the mass points attract each other and the phenomenon is explained.Contrary to this clear model, the “assuming of a meson with a mass several hundred times that of an electron” was set separately from the observations at that time, and it is said that Bohr and Heisenberg sought scrutiny of the content.Eventually, Hideki Yukawa received the Nobel Prize, triggered by “Meson Observation” by British physicist C. Powell in 1947. It is a history that makes us feel “the danger of establishing a concept in physics”.It can be said that it is a theoretical request, but the concept for Tsuji matching must be seriously discussed from various angles. In other words, when you can refine the concept and give a convincing explanation, you can say that you have done a big job.Hideki Yukawa explained the strong force by assuming a meson as one of the bosons.Hideki Yukawa Spill StoryHideki Yukawa’s achievements have been handed down to Japanese physicists, including nuclear research at Kyoto University. As a personal connection, it seems that I was doing research in a branch office of RIKEN in Itabashi, Tokyo, where I spent my childhood. It’s a little out of date, but it’s strange to think he was active in my hometown.Nobel laureate Shinichiro Tomonaga was also there. Until recently, RIKEN also had a base in Hon-Komagome, and it still has a base near Honda Asaka. If you continue to investigate why, there is a graveyard of Mr. Okochi, one of the founders, at Heirinji Temple in Saitama Prefecture. Knowing such a spiritual aspect of RIKEN, I somehow convinced myself.Hideki Yukawa also participates in the Russell-Einstein Declaration. I’ve included this related story in my previous blog, but I think the reality of society making catastrophic weapons is a big problem, even if researchers disagree. Whether it’s Einstein, Hideki Yukawa or Asimov, I dream of society gathering wisdom and responding.
2025年11月13日2026年4月29日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す100年を迎える東京大学地震研究所(ERI)が築いた地震学とこれからのAI時代 本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。1.1 設立背景と制度整備震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。【地震研究の主要年表】年出来事関連人物・機関1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉1923年関東大震災内務省震災予防調査会1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC第2章:技術革新と地震学の転機地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。第3章:AI時代の地震研究と未来展望AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。3.2 国際共同研究・データ共有の潮流米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。【用語解説】地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。まとめ東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。参考文献: ・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊) ・東京大学地震研究所公式サイト(ERI) ・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2025/11/13_初稿投稿サイトTOPへ 時代別(順)のご紹介 17世紀生まれの物理学者へ 18世紀生まれの物理学者へ 19世紀生まれの物理学者へ 20世紀生まれの物理学者へ
本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。1.1 設立背景と制度整備震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。【地震研究の主要年表】年出来事関連人物・機関1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉1923年関東大震災内務省震災予防調査会1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC第2章:技術革新と地震学の転機地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。第3章:AI時代の地震研究と未来展望AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。3.2 国際共同研究・データ共有の潮流米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。【用語解説】地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。まとめ東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。参考文献: ・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊) ・東京大学地震研究所公式サイト(ERI) ・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2025/11/13_初稿投稿サイトTOPへ 時代別(順)のご紹介 17世紀生まれの物理学者へ 18世紀生まれの物理学者へ 19世紀生まれの物理学者へ 20世紀生まれの物理学者へ
2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すF. J. Dysonの死 【2020-03-02‗95歳_ノーベル賞 】 (以下全て転載内容)2020-03-02 ・昨日の新聞でF. J. Dysonが亡くなったのを知った。95歳だったという。朝永、Schwinger, Feynmanの量子電磁気学の理論をまとめた理論をつくった人として知られている。同じ年代の物理学者C. N. YangはDysonが上の3人と一緒にノーベル賞をもらえなかったことについて上記3人にだけノーベル賞を授与した委員会の批判的であった。同じ業績に対して3人までの受賞者とするノーベル賞委員会の不文律があるのをC.N. Yangが知らないはずはない。だが、そういう不文律を破ることも、また意味があるくらい量子電磁気学のくりこみ理論に対するDysonの寄与は大きかったとYangは評価していたのだろうと思う。Yangももう高齢だと思うが、彼はまだ生存しているのではないかと思うが、定かではない。Dysonと聞くと、私の妻などはどうも自動で掃除する電気掃除機のようだねと言っていた。最近ではDysonという名前の自動掃除機が販売されている。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すテラー 【2019-08-09‗オッペンハイマー_ダイソン 】 (以下全て転載内容)2019-08-09 ・テラーとは水爆をつくったエドワード・テラーのことである。NHKの昨夜の「フランケンシュタインの誘惑」ではオッペンハイマーを権力の座から追い落して、自分が表にでて、水爆をつくったのはよかったが、オッペンハイマーを追い落とす査問委員会の証言で彼に不利な証言をしたために、その後の科学者社会とのつきあいがなくなって、晩年はとてもさびしかったのではないかとの話であった。ピアノを弾くのが好きであったから、晩年はピアノを弾いて過ごしたという。それでもあからさまにつきあいはなかったかもしれないが、ノーベル賞学者のヤンはテラーの支持でシカゴ大学で学位をとったので、少しはテラーに同情的であった。量子電気力学の業績で知られる、ダイソンもそれほどテラーを嫌ってはいなかったらしい。でも昔からの友だちはみんなテラーから離れてしまったことはたぶん間違いがない。テラーは山登りも好きであった。若いときに、これはたぶんハンガリーにいたときの話だが、電車にはねられて脚を折ったとか聞いている。だから脚がわるかったはずだ。なかなか直観的な理解をする人だとも聴いている。テラーの群論の理解が直観的であったとかヤンの書いた文章で読んだことがある。ただ権力的なところがあり、ちょっと科学者仲間からは人生の途中から大いに敬遠された。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月9日2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すエディトンとチャンドラセカール 【2019-06-21 _星の一生_プリンキピア】 (以下全て転載内容)2019-06-21 ・エディトンとチャンドラセカールとの奇しき因縁を昨夜のNHKのテレビの放送ではじめて知った。エディトンは1916年だったかに観測隊を指揮してアフリカに出かけて、日食のときの星の位置を観測して、それを普通のときの星の位置ときに見える位置と比較して、一般相対性理論の重力による光の曲り方が相対論の予言と一致することを示した。一般相対性理論では3つの実験的検証があるが、そのうちの一つである。ちなみに一般相対論の残り二つの実験的検証は「水星の近日点の移動」と「光のスペクトルの赤方偏移」である。それはさておき、星の一生を研究したエディントンは星の最後は白色矮星になることであると結論した。ところがチャンドラセカールはもし星が太陽の30倍以上の質量をもつと星の最後は白色矮星にはならず、ブラックホールになると予言した。エディントンはこの仮説を認めず、チャンドラをイギリスから追い払った。チャンドラは優秀な人であったから、アメリカに行き、そこでブラックホールとは関係のない,星の研究をしていたが、水爆実験か何かの折に出てくる光か何かの電磁波のスぺクトルが、チャンドラの予言したブラックホールの予想した電磁波のスペクトルに類似しているとの手紙を若い学者から受け取り、約40年前の自分の理論が正しかったことを知るようになった。シカゴの郊外の天文台に勤めていたチャンドラはシカゴ大学の大学院の講義にでかけてきていたが、彼の教えていたクラスからはヤンやリーとかノーベル賞受賞者が続出していたという。その後、彼自身もノーベル賞を受賞した。何年間かあるテーマについてチャンドラは研究するが、そのおしまいに、その分野の研究についてのテクストを書いて、その研究を終わりにするという習慣があった。彼の人生の最後の研究はニュートンのプリンキピアであった。それはプリンキピアの命題を読んで、その証明は読まずに、自分でその命題を証明して、そのあとでプリンキピアの証明を読むという方法である。その本は読んだことはないが、日本語での訳本が講談社から、中村誠太郎訳で出ている。この訳本は定価が1万円以上するもので、1冊公費で購入して大学の在職時代にはもっていたが、退職時に図書館に返却したので、現在は手元にはもっていない。暇ができたら、大学の図書館から借り出して読んでみたいと思っているが、そんな機会が私に来るかどうかはわからない。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月9日2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すGemさんの部屋【2025/11/09‗改訂投稿】 本稿では別ブログでの記録を残していきます。きっかけはGooブログの終了です。Gemさんは20世紀初頭から20年程の長きにわたり 様々な情報を展開しててくれて、私も毎日楽しみにしてました。 毎日、昔馴染みのご近所さんに挨拶をする感覚で覗いていたのです。毎日毎日、楽しみにしていたブログを少しでも長く残そうと 本稿を起こしています。以下、週末ごとに補記する予定なので 皆さんも呑気にご覧下さい。実際には、ご本人に了承を頂けましたので クローラーを潜り込ませて出来るだけ情報が残しています。 7000記事以上と情報が膨大なので展開は後程考察します。 ワードプレス内にPython等でキーワード検索機能をつけ キーワードごとに抽出が出来たらよいと考えています。先ずは抜粋をご覧下さい。ガロアのノートにあった詩 【2015-11-18 投稿分_岩田義一_偉大な数学者】 昨夜の「数学白熱教室」 【2015-11-28投稿分_谷山氏_フェルマーの定理】数学・物理通信6-3を発行 【2016-03-19投稿分_周期ポテンシャル_井戸型ポテンシャル】 伏見康治コレクション3 【2016-05-24投稿分‗伏見廉治_数学セミナー】 エ―レンフェストの定理 【2016-06-21投稿分_期待値_波束_古典力学】 ブログは消耗品である 【2016-12-24投稿分‗広重_共鳴粒子_坂田モデル】遠山啓さんの心配 【2017-04-26投稿分‗水道方式_武谷三男】 cleverな人よりもwiseな人を 【2017-04-28投稿分 ‗湯川秀樹_ボルン】 complementary 【2017-12-07投稿分_ボーア_ソリトン_広田良吾】四元数の流行を下火にした人 【2018-04-10投稿分 ‗ハミルトン‗ギッブス_へヴィーサイド】 『物理学天才列伝』下 【2018-08-20投稿分 プリンキピア_ブラックホール】 Diracの寡黙とGell-Manのライターズ・ブロック 【2018-08-27投稿分‗Dirac_gell-man】エディトンとチャンドラセカール 【2019-06-21 _星の一生_プリンキピア】 テラー 【2019-08-09‗オッペンハイマー_ダイソン 】F. J. Dysonの死 【2020-03-02‗95歳_ノーベル賞 】 C. N. Yangの方は 【2020-03-03‗97歳_清華大学】 小説『カード師』 【2020-06-09‗二重スリット_外村彰】 コンプトン効果を連立方程式の問題にしたら 【2020-12-02_シルビィアの量子力学】花粉症 【2021-02-22 ‗Heisenberg_Bornに休暇】 大栗博司さんの本を手に入れた 【2021-07-13_中西襄先生 】 益川さんが亡くなった 【2021-07-30‗名古屋大学_81歳】 学士院賞をもらった後で 【2021-08-02‗topクォーク_CP破れ 】〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/03_初版投稿 2025/11/09‗改訂投稿サイトTOPへ
2025年11月8日2025年11月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すDiracの寡黙とGell-Manのライターズ・ブロック 【2018-08-27投稿分‗Dirac_gell-man】 2018-08-27・これらは天才的な学者であった、二人の家庭環境から来ているらしい。Diracの父親はスイス出身のフランス語教師であり、夕食のときにDiracにフランス語を話すように強制したために、英語でもDiracはほとんど話さないようになったと言われている。誰かがフランス語圏からDiracに会いにやってきたときに、フランス語をDiracが解しないと思って一生懸命に英語で話そうとしたとかいう話があり、そのあとでDiracがランス語が話せることを知っておどろいたとか読んだことがある。またフランス語で書かれたDiracの論文もあったはずだ。同じようにGell-Manも心理的要因から文章が書けなくなるという症状をもっていたらしい。卒業論文は完成するどころか、書き出すこともできなかったというから、Gell-Manのライターズ・ブロックは重症である。そういう病気があるとは私自身は聞いたことがない。Yale大学では大学院には進めなかったので、MITに進んだという。そこで、Weiskopfにつく。 Wesikopfからは実践的な物理学を学んだという。「数学的洗練さよりも、証拠と一致するかどうかを重んじろ。できる限り単純さを追い求め、決まり文句やもったいぶった言い方は避けろ」これはなかなかいいアドバイスである。こういうアドバイスをする人はその当時はほとんどいなかったのではないか。私などが育ってきた研究雰囲気と似通っているが、それは横道にそれる。Gell-Manの優れた点は問題の表面的な細部に惑わされずに、「分析的な目」で、その裏に隠されたパータンを見抜く才能にあったという。ただ、列伝の著者も彼が少し嫌な性格の持ち主であったことをほのめかしているようだ。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/08_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月8日2025年11月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す『物理学天才列伝』下 【2018-08-20投稿分 プリンキピア_ブラックホール】 2018-08-20 ・ブルーバックス(講談社)を図書館から借りてかえって、その一部を拾い読みしている。私がおもしろかったのはチャンドラ・セカールであった。南部さんの『素粒子』(ブルーバックス)だったかに天文台からシカゴ大学まで大学院のセミナーをするために出てきていたとか書いてあって、彼のクラスの全員がノーベル賞をとったと説明があった。これはリーとかヤンとかがその直後にノーベル賞をとったことを意味してもいた。そのうちにチャンドラー自身がノーベル賞をとる。わたしが関心をもったのはチャンドラーの最後の研究である、ニュートンのプリンピアの話であった。彼はプリンキピアをはじめからは読まないで、自分で力学の定理を書いてそれを現代的に証明して、それからその点をニュートンがどう書いているかをプリンキピアを読むことで比較したという。そして、どのようにニュートンがうまく力学のことを書いているかを痛感したという。この研究はいつものチャンドラの流儀で本にした。すなわち、チャンドラーは自分の研究の総括としていつもその分野の専門書を書いて、その分野の研究を終わりにしていた。このチャンドラーの最後の研究書は中村誠太郎さんの訳で講談社から出されている。もっともこの本は一万円を超える定価がついていたと思う。もっともこの説明で私もこの訳本を読んでみたくなった。もう数十年も昔のことだが、日本にチャンドラがやってきて、ブラックホールについて物理学会で講演した。その講演の訳が物理学会誌にでていたのだが、その最初の部分のアイディアを使って、試験問題をつくったという思い出がある。入試の問題になるくらいのやさしい話にしたのである。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/08_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月8日2025年11月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すブログは消耗品である 【2016-12-24投稿分‗広重_共鳴粒子_坂田モデル】 ・新聞が消耗品であるようにブログも消耗品である。だから日々新たな気持ちで書くことが大切で、昔書いたことが大事なわけではない。とはいうものの日々の自分の考えたことを書いているので、ときどきはそれを見直すのがいいと思っている。思想と言えるほどのものが私のブログにあるのかどうかはわからないが、どういう本を読んであんなことを思ったとかそういう風なことは書いていないことが多いけれどもやはり何かを考える動機に読書がなっていることは確かである。最近ではコタツで夜に読んでいるのは図書館で借りて来た「昭和後期の科学技術思想史」である。これに岡本拓司さんが書いている広重徹論は大部なものである。多分日本で書かれた最大の広重徹論であろう。私の不満に思うのは現代科学の発展の歴史をふり返って広重の言ったことが当たっていたのかどうかという視点が欲しいような気がしている。広重徹が亡くなったのは1975年であり、彼が思っていたことがどれほど正しかったかは広重徹論を書く一つの視点ではなかろうか。(2016.12.26付記) 広重は70年代に素粒子で多くの共鳴粒子が見つかったりでして、数百個になったことにいらだっていたと、この岡本拓司さんの広重論にある。そこが私などは不思議に思うところだが、多数の素粒子が見つかったときにすでにそれらを複合粒子として考えるという考えが出ていたのだから、いわゆる本質的な力学としてはまだきっかけもつかまれていないとしても素粒子の研究としてつぎの段階への手がかりは出ていたことになる。それはFermi-Yangの論文に始まり、坂田モデルとつながり、IOO対称性とか1960年代の初頭にはそういうことが出ていた。それがGell-MannとN’eemanの八道説につながり、その後のクォークモデルとなる。そして電弱理論とかQCDにつながっている。Weinberg-Salam理論は1968年には出ているが、くりこみ可能性を’t Hooftが証明したのが1971年というから広重の亡くなる前にはすでに新しい理論の芽はあったのだ。そこらの評価が広重にはできていなかったと思われる。最後の段階への評価はできなかったにしても複合モデルを評価できなかったのは広重としては大きなミスではなかろうか。そういうことは岡本拓司さんの広重論にはもちろん出てこないのだが。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/08_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月8日2025年11月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すエ―レンフェストの定理 【2016-06-21投稿分_期待値_波束_古典力学】 ・というと量子力学でその位置の期待値から波束が古典力学の運動方程式の形をみたすという定理である。この定理が難しいと思ったことはなかった。が、私自身はこの定理の意義を軽視してきたが、このところその意義に目覚めている。もっともこの計算は学生のときにも苦手だったが、どうもいまでも苦手であることを発見した。学部の4年生になって量子力学のセミナーがはじまり、その初めごろにセミナーでこの計算で立ち往生してしまい、S 先生から叱られたことがあった。その後のセミナーではその汚名を挽回するように努めたけれども。その思い出よみがえってきたのだが、何十年もたってこれくらいの計算はなんてことはないはずなのにやはり苦手である。もっともきちんとやればなんてこともないはずだ。だが、どうも逃げ腰なのがいけないのではないかと思う。きちんと落ち着いてやれば、なんてことはないはずだが、ちょろちょろしてしまう。この姿勢がよくない。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/08_初版投稿サイトTOPへ