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四元数の流行を下火にした人 【2018-04-10投稿分 ‗ハミルトン‗ギッブス_へヴィーサイド】

2018-04-10 ・最近の四元数のブームではかつて四元数の流行を下火にした人がいたなんて、驚きだろうが、いたのである。これはギッブスというアメリカ人の物理学者とヘヴィーサイドというイギリスの電気工学者であったという。

要するに実部(またはスカラー部ともいう)のない四元数の積で出てくる、その四元数の実部と虚部が実は現在ベクトルのスカラー積とベクトル積というモノであり、実は有用なのは四元数そのものではなく、ベクトルの現在スカラー積と言われているものとベクトル積と言われているものとが有用なのだとの深い考察を行って、ベクトルを導入したのがギッブスとへヴィーサイドだと言われている。

そうすると、ハミルトンは四元数を発見した、創造性に富んだすごい人だったが、それを展開して、ベクトルを導入し、かつそのスカラー積とベクトル積とが有用なのだという洞察をすることができた、ギッブスとへヴィーサイドとの役割も大切なのだとわかる。

もちろん、ハミルトンが四元数を発見しなかったら、その後のいわゆるベクトルとその理論は生まれなかったのだが、ギッブスとヘヴィーサイドとはハミルトンとはちがった役割をもっているのだということがわかる。

ギッブスは熱力学でも熱力学ポテンシャルといわれるいくつかの関数を導入して、熱力学の様相を大きく変えたという。ヨーロッパの学者からなかなか認めてもらえなかったが、いまでは優れた物理学者であることが知られている。

(2018.4.28付記)ボイヤーの『数学の歴史』を読んでいると、ギッブスの先駆者としてグラースマンがいるそうだが、グラースマンの数学を学んだことがない。いつだったか藤川和男さんが松山に来られて講義をされたときにグラスマン数のことを話されたことぐらいしか覚えていない。最近では金谷健一さんの『幾何学と代数系』(森北出版)でグラースマンの数学を学ぶことができるだろう。

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complementary 【2017-12-07投稿分_ボーア_ソリトン_広田良吾】

2017-12-07・complementaryという語を今朝はつぶやいている。相補原理という原理をデンマークの物理学者ボーアが思いついた。これは多分量子力学での粒子性と波動性の理解が難しくて、たとえば、電子は一方で古典的な粒子ともみなされるのにやはりある種の波動性ももっている。

古典的な描像では粒子とはある小さな箇所に質量とか電荷がかたまっているというイメージだが、一方の波動は空間に広がっている。見て感じることができる波は水面の波である。海の波などがその典型である。

この波は電磁波の波などだと空間に3次元的に分布しているのだが、海の波だとある平均的、近似的な平面のまわりで運動している。すくなくとも一カ所にかたまって存在してはいない。

シュレディンガーなどはこの波で電子のような粒子をつくろうと考えたらしいが、波は時間が経つと壊れていく。これは海の波などだと大きな波が崩れて白い泡が生じるのでわかる。

ソリトンで有名だった広田良吾先生の講義を聞いたときに彼は波の上部の方が下部よりも速度が速いと図を描いて示していた。それで波の上部が早いから一度塊としてできた波群は上部の方が速度が速いから、砕けるのである。よく映画とか写真で上から波が覆いかぶさっているようなところをサーフィンしているサーファーを見る。これなどは波の上部の速度が下部の部分よりも速いために起こる現象である。

有名な葛飾北斎の波間の富士などもこういう知識を持ってみると理解できる。北斎がこのことを理解していたかどうかはわからないけれども。私にしても広田先生の講義を聞くまではそんなことも知らなかった。

complementaryに返ると、実はあるえらい先生からあるときにSさんと君とはcomplementaryだろうと言われたのを思い出したのである。この S さんも、私が偉い先生だと思っていた、K 先生ももう亡くなって久しい。

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cleverな人よりもwiseな人を 【2017-04-28投稿分 ‗湯川秀樹_ボルン】

・というのは量子力学の行列力学のversionの建設に貢献した、M. Bornの書いた文章が出典であろう。このBornの文章を読んで、湯川秀樹が「cleverな人よりもwiseな人を」という考えを日本の一般に紹介したと思っている。

ところが『遠山啓』(太郎次郎社エディタス)の遠山の退官記念講義で「cleverな人よりもwiseな人を」という話が話されている。これは遠山が湯川の話をどこかで読んで、つまみ食いしたというふうに考えるよりは遠山も同じBornの話を独立に読んでいたのであろうと私は考えている。

Bornがどういうふうに言っていたのか湯川は詳しく紹介していたはずだが、記憶は確かではない。たぶん、Bornのまわりで学んだ若者はみんな原爆をつくる指揮をしたオッペンハイマーOppenheimerや原爆をつくることには失敗したHeisenbergも含めて優秀な人材であった。だが、Bornは「彼らがcleverであるよりも知恵のあるwiseな人であってほしかった」というような回想をしていたと思う。

そのBornの回想を湯川は読んで雑誌「自然」だったかで紹介していた。

ちなみにHeisenbergは量子力学の行列力学versionの端緒を与える研究をしたことで有名だが、自分の考案した算法が行列と数学でよばれるものだとは知らなかったらしい。彼の考案した奇妙な算法が実は数学で行列(マトリックス)と呼ばれる算法であることに気がついて行列力学を体系づけた功績はBornとJordanである。

量子化条件と呼ばれている、位置座標と運動量の間の交換関係を導いたのもBornとJordanだと言われている。

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・遠山啓さんの心配 【2017-04-26投稿分‗水道方式_武谷三男】

・東京工業大学に勤めていた遠山さんは若いときにレッドパージにかかって大学を辞めさせられるのではないかと心配をしていたときがあったと知った。

彼は狭い意味での政治的な人ではまったくないが、その算数教育の方針が時の文部省の方針に反していたので、そのための心配を密かにしていたのだろう。

それで、もしレッドパージにかかって大学を辞めなければならなくなったとしたら、文筆で生きていく覚悟をしていたとはなかなか悲壮である。

そのことは実際には起こらなかったのだが、それでも算数教育では彼と数学教育協議会のメンバーたちが考案した「水道方式」と「量の理論」とは数学教育に一石を投じることとなった。

結局のところ、その教育のしかたが文部省の方針よりも合理的で多くの子どもたちの算数教育に有用であったためにときの政府の介入をもはねのけて、いまではどの算数の教科書も数学教育協議会の教えた方を少なくとも部分的には取り入れるというふうになっている。

これで想起するのは戦後の一時期だが、やはり武谷三男がある種のジャーナリストとして文筆で生計を立てていたという事実である。武谷は1953年に立教大学に勤めるまで、大学卒業後、およそ19年にわたって、大学とか研究所に勤めることも会社に勤めることもできなかった。そのための後遺症は長く武谷に残っており、武谷に批判的な人にはその事実の重さがわかっていない、大きな事実だと思う。その不幸にもかかわらず、武谷が物理学者として生き残れたのはあるいは奇跡だというべきかもしれない。

遠山は武谷ほどその旗幟が鮮明ではなかったから、大学から追われることはなかった。しかし、レッドパージの覚悟をしていたとは、戦後の政治状況の様子の一環が読みとれる。

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数学・物理通信6-3を発行 【2016-03-19投稿分_周期ポテンシャル_井戸型ポテンシャル】

さっき、ようやく『数学・物理通信』の6巻3号を発行した。

インターネットのサイトで見て下さる方は数日したら、谷村先生が掲載して下さるであろうから、数日は待たれる必要があろう。

今回は友人の E さんの相対論の話が出ている。彼の講義ノートは数百ページのものらしいが、それを20ページ前後に要約したものとなっている。

さすがにこの分野の専門家なのでやはり随所に独自性が現れているが、それでもその長さから数学の部分の詳しい説明はないので、ちょっと説明が欲しい気もしたが、これはこれでそれなりによくできた要約だと思っている。

それと S さんの周期ポテンシャルの量子力学のシリーズがはじまった。私も大学院の講義でこの周期的ポテンシャルをあつかったことがあるが、その周期的ポテンシャルとしてはいわゆるKronig-Pennyのモデルしか扱ったことがない。

周期的ポテンシャル1次元の問題だが、結構難しいところがある。

私は関心があったのは、量子状態で離散的なエネルギー準位から、周期的ポテンシャルになるとそのエネルギーの幅が生じて最後には固体の量子理論としてのエネルギーのバンド構造ができるところのうつりかわりである。

素粒子のレプトンの質量準位が二重構造をなしているのではないかというような予想を立てたりして、それを導こうと考えたりしたこともあった。

これはうまくいかないことは明らかかもしれないけれど。レプトンのe, \myu, \tauはニュートリノと合わせてdoubletにはなっているが、質量準位は二重構造にはなっていない。

二つの井戸をもつポテンシャルとして有名なのはアンモニアの二つの井戸ポテンシャルがあり、スペクトルが二重線になっていたのだったかどうかもう忘れてしまった。

そんなことを周期的ポテンシャルから思い出している。

 

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ロバート・フック【ばねの運動に働く力学を法則化した英国人】

こんにちはコウジです。
半年ごとの既存記事見直しの作業です。
今回は中世に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。
では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。

(以下原稿)

「ニュートンに消された男(中島秀人著)」
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【1635年7月28日生まれ ~ 1703年3月3日没】

ロバート・フック(Robert Hooke, 1635–1703)
― 忘れられた万能科学者 ―

肖像画(再建) | 出典 : Wikimedia Commons
「Portrait of Robert Hooke (reconstruction, 2004)」 (Wikipedia 英語版)

 

第1章 生い立ちと初期教育

ロバート・フックは1635年7月18日、イギリス南部ワイト島の
フレッシュウォーター村に生まれました。父ジョン・フックは
英国国教会の牧師で、家庭は敬虔で教育熱心でした。幼い頃から
機械細工に興味を持ち、模型を作る手先の器用さで周囲を驚かせたといいます。

その才能を見抜かれたフックはロンドンのウェストミンスター校で学び、
数学と物理の基礎を修めた後、オックスフォード大学
クライスト・チャーチ校に進みました。

クライスト・チャーチ校(オックスフォード大学) | 出典 : Wikimedia Commons

 

第2章 ボイルとの出会いと科学者としての出発

フックは在学中に哲学者・科学者ロバート・ボイルと出会い、
助手として空気ポンプの実験に携わります。二人は空気の弾性と
圧力の関係を研究し、ボイルの法則(Boyle’s Law)確立の一翼を担いました。

この経験を通じてフックは、実験と理論を結びつける
近代科学的思考を身につけ、後の業績の基盤を築きました。

ボイルの空気ポンプ(1660年代) | 出典 : Wikimedia Commons 「Robert Boyle’s air pump」

 

3. 代表的業績

– 「ばねの伸びが力に比例する」という法則、いわゆる フックの法則 を提唱しました。:contentReference[oaicite:7]{index=7}
– 1665年に出版された『Micrographia』では、顕微鏡観察を通じて「細胞 (cell)」という語を初めて用いたとされ、微細構造の探究に道を開きました。:contentReference[oaicite:9]{index=9}
– 建築・都市再建(例えば1666年のロンドン大火後の復興)にも関わり、設計・調査を行いました。:contentReference[oaicite:10]{index=10}

4. 人間的側面・評価

フックは非常に多才であった一方で、同時代の アイザック・ニュートン との対立や、肖像画が残っていないという“ミステリー”も語られています。:contentReference[oaicite:12]{index=12}
例えば、彼の背中が若年期から徐々に曲がっていったという記録もあり、肖像画を控えたという説もあります。
そのような個人的な苦悩も、彼の科学への情熱の裏側にあったと言えるでしょう。

 

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Hook in yonger Days

Born in England, Hook worked as an experimental assistant under Boyle when he was young and gained a lot of experience. And again, he learns various ideas such as Euclid’s Elements and refraction of light. Looking at Hook’s information, he seems to have had a relationship problem on the personality side. In the first place, Hook’s father was a priest of the Anglican Church.

It seems that the two older brothers are also living their lives as priests. .. Robert Hooke, who grew up in such a family, may have built a divine aesthetic in the world of theory such as science and mathematics. Religious aspects should be considered as a spiritual foundation.

noble ideals and Hook

The noble ideals and absurdities of the real world that emerged from it were his problems. In mathematics, gratitude for “impression when overcoming a problem wall” and “when making a new discovery without the help of anyone” seems to be a part that cannot be completely conveyed to people. If you couldn’t share the excitement there,

Hook must have felt lonely. After re-examining it when writing this introduction, Hook is finally living a lonely life. Hook had no descendants. Also, his achievements are inferior to his contemporaries Newton. It seems that Newton respected the elderly Hook, but in the end it was a debate, and he would have been argued with his depth of scientific thinking and a clear perspective.

Hook’s Work

However, his achievements deserve special mention. His famous work is Hooke’s Law in Spring. The law that the force acting on a spring is proportional to the first power of length is very clear and is still applied in various fields.

It was also argued that the law that the force acting between planets acts on the minus square of the distance was also the idea of ​​Hook. The truth is unknown now. It is important for him to systematize as a theory, but it is also important to give awareness first. In that sense, Hook feels great just because he was having a discussion.

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アイザック・バロー
【幾何学的に微積分を考えニュートンを育てた】‐11/7改訂

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「遥かなるケンブリッジ」藤原正彦著
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【1630年10月生まれ ~ 1677年5月4日没】

アイザック・バロー(Isaac Barrow)
ルーカス教授職の初代数学者

Wright of Derby, Joseph; Isaac Borrow, Recorder of Derby; Derby Museums Trust; http://www.artuk.org/artworks/isaac-borrow-recorder-of-derby-61236

肖像画:Isaac Barrow(1630-1677頃)|出典:Art UK / Wikimedia Commons

生涯と背景

今回のご紹介するバロー教授は
イギリス・ケンブリッジ大学の数学者です。
バローはケンブリッジ大学での
ルーカス教授職に初めて任命されています。
ルーカス職とはケンブリッジ内大学の称号(職位)で
クール(Cool)な物理学者に国王から贈られる称号です。
特に数学系の理解が高い人物に贈られます。

アイザック・バロー(Isaac Barrow)は1630年10月(または同年)にロンドンで生まれ、
1677年5月4日にロンドンで46歳で没しました。:contentReference[oaicite:1]{index=1}

彼は英国ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学び、1648年に学士、
1652年に修士を取得しています。:contentReference[oaicite:2]{index=2}

1663年には、ケンブリッジ大学における数学講座「Lucasian Professorship
(ルーカス教授職)」に初めて任命されました。:contentReference[oaicite:4]{index=4}
その職位を1669年に弟子である Isaac Newton に譲り、
数学から神学の研究へと移行しています。:contentReference[oaicite:6]{index=6}

ルーカス教授職とは何か?

ルーカス教授職は、ケンブリッジ大学において数学を専任する名誉あるポジションで、後にニュートン、ディラック、ホーキングなどがこの職を務めました。バローはこの講座の初任者として、数学・物理の発展において先駆的な役割を果たしました。

バローの数学的業績

バローは微分積分学の先駆者として、「導関数と積分は逆操作である」という
概念を幾何学的に整理しました。:contentReference[oaicite:7]{index=7}

これらの整理・体系化は、後にニュートンやライプニッツが
微積分法を構築する際の理論的背景となりました。

 筆者とバローの出会い

私がバローの名を初めて知ったのは
高校の時の英語の教材で、
次の様な文章だった気がします。

Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbridge did distinctly unusual
thing. He decided one of his pupil was..…

上記英文での教授がバロー先生で
その後に出てくる弟子(生徒)がニュートン
なのです。バローはニュートン
ルーカス職を譲ります。(1669年の話です)
当時20代のニュートンの方が
ルーカスの職位に相応しいと判断したのです。

異例な判断だったようですが
その後のニュートンの業績を考えると
バローの判断は素晴らしいと分かります。
因みにその後、名誉あるルーカス職は
ディラック
ホーキング

引き継いでいきます。

 バローの業績

上記、英語の文書が書かれた時代
から更に時代は進んでますが、
バローの残した業績は物理学のみ
ならず、工学、ひいては産業に
大きな成果を残しています。

また正割(secant; セカント・Arccos;アークコサイン)関数
の積分を「閉じた式」で表現しました。ここで
閉じた式と表現しましたが無限に続く漸化式や、
点線(・・‣)を含む式は使わない表現です。

こうした整理・体系化をバローは進めました。
ニュトンに教授職を引き継いだ後は
神学の研究に移ったと言われています。
 

〆最後に〆

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 Barrow and Lucas

Professor Barrow is a mathematician at the University of Cambridge, England. Barrow has been appointed for the first time as a Lucas professor at the University of Cambridge. The Lucas professor is the title (position) of the University of Cambridge and is given by the king to a cool physicist. It is especially given to those who have a high understanding of mathematics.

 My Memory

The first time I learned the name of Barrow was in English teaching materials when I was in high school, and I think it was the following sentence.

Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing. He decided his pupil his was ..…

The professor in English above is Mr. Barrow, and the disciple (student) who appears after that is Newton. Barrow hands over Lucas to Newton. He decided that he was more suitable for his position.

It seems that it was an unusual decision, but considering Newton’s subsequent achievements, Barrow’s decision is wonderful. By the way, Dirac and Hawking will take over the prestigious Lucas profession after that.

 Barrows work

Although the times have progressed further from the time when the above English documents were written, Barrow’s achievements have made great achievements not only in physics but also in engineering and eventually in industry.

Specifically, it is said that what is remarkable about the achievements left by Barrow is that he geometrically proved that differentiation and integration are the opposite mathematical acts. It may be natural now, but it is the result of Barrow’s organization and systematization.

 

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クリスティアーン・ホイヘンス
【オランダ物理学の黎明期に光学を研究】‐11/6改訂

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【1629年4月14日‐1695年7月8日】

Christiaen Huygens II (1629-1695)
*oil on paper on panel
*30 x 24 cm
*signed b.l.: C.Netscher / 1671

【出典:出典:Wikimedia Commons】

ホイヘンスの生い立ち

ホイヘンスはオランダ物理学の歴史を感じさせます。

17世紀前半からホイヘンスのような
大物が出てくるのです。 

オランダの名家にホイヘンスは生まれライデン大学で

数学と法律を修めました。物理学はその知見を活かす

フィールドだったと言えます。特にホイヘンスは

数学で優秀さを発揮していたと言われています。

光学でのモデルは幾何学的なイメージを

しっかり作ると分かり易く話が整理しやすいのです。

ホイヘンスの業績

物理学関係の業績としては何より光学での業績が

顕著です。所謂「ホイヘンスの原理」は後の物理学者達

が波動を考えていく上でとても有益だった筈です。

波の性質が突き詰められていき、縦波とか横波とか

周波数とか周期とか最終的には波面や、さざ波も、

光も同じ定数で表現出来る現象となるのです。

この理解が重ね合わせの原理の土台として役立ち、

振動解析や音響解析へと話が進んでいくのです。

ホイヘンスから繋がる人脈

更に20世紀初頭にエーレンフェストアインシュタインがホイヘンスの
母校であるライデン大学で議論していたと考えてみると、人々の繋がり
に小さな感動さえ覚えます。加えてライデン大学ではローレンツカメリー・オネス
も研究を進めていくのです。

科学での一番最初の障壁は一般化を含めた

「理解」だと感じます。

一般の人々にも説明出来る

「言葉」を出来るだけ沢山、科学者が

作り出すことが大事です。その点で

ホイヘンスは初めの難しさを超えたのです。

 

ホイヘンスの他の業績

別途、ホイヘンスは土星の衛星タイタンの発見したり、振り子の原理を
理解して時計を制作したり、オリオン大星雲を発見してスケッチしたり、
その進取の精神には驚かされます。特に1675年ごろ、ホイヘンスは
火薬の反応を利用した運動装置(ピストンまたは往復運動機構)に関する
実験記録を残していますが、これが“内燃機関”と呼ばれる構造そのものかどうか
には議論があります。なおニュートン(Isaac Newton)の
『プリンキピア』(1687年)よりも先行して、動力の伝達や反動
に関する思索を行っていた点は注目に値します。

「瞬時に伝番していく撃力」に関する考察を、ホイヘンスが独自
に形にしているとも言えます。特筆すべき一面かと思えます。

なお、いわゆるエーテルの存在をホイヘンスは想定して

後の物理学に議論の土壌を残しました。

この功績も非常に重要です。

補足・修正すべき情報と一次資料確認

  • Christiaan Huygens(1629-1695)はオランダ・ハーグ生まれで、数学・物理・天文学・計時機械など
    で幅広く業績を残しています。 Encyclopedia Britannica+2数学史+2

  • 彼は1645年に Leiden University(ライデン大学)で数学・法学を学びました。
    Encyclopedia Britannica+1

  • 光学・波動理論において「ホイヘンスの原理(Huygens’ principle)」を提起し、
    光波の伝播理論に大きな影響を与えました。 ウィキペディア+1

  • 土星の環や衛星タイタンを発見・説明するなど、天文学分野の貢献も顕著です。 数学史+1

  • 振り子時計を発明・特許取得し、計時技術の基礎を築いたことも確認できます。 数学史

なお、本稿での「火薬を使った往復型の内燃機関を形にした」という記述については、
確認できる一次情報が見っていません。確認が出来ましたら次の原稿で改訂します。

〆最後に〆

 



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(以下は2021年8月時点での対応英訳です)

Base of Huygens’s LIFE

Huygens was born into a well-known Dutch family and studied mathematics and law at Leiden University. It can be said that physics was a field where he could make use of his knowledge. He is especially said to have showed his excellence in mathematics. An optical model is easy to understand if you make a solid geometric image, and it is easy to organize the story. His physics-related work is particularly remarkable in “Optics”. The so-called “Huygens principle” should have been very useful for later physicists to think about waves.

Huygens’s work

The nature of the wave is scrutinized, and it becomes a phenomenon that the longitudinal wave, the transverse wave, the frequency, the period, and finally the wavefront, the ripples, and the light can be expressed by the same constant. This understanding serves as the basis for the principle of superposition, and the discussion progresses to vibration analysis and scale analysis.

Huygens’s reration

Also, given that Ehrenfest and Einstein were discussing at Leiden University, Huygens’ alma mater, at the beginning of this century, I am even impressed by the connections between people. In addition, Leiden University will also pursue research by Lorenz and Kamerlingh Ones.

I feel that the very first barrier in science is understanding, including generalization. It is important for scientists to create as many “words” as possible that can be explained to the general public. In that respect, Huygens surpassed his initial difficulties.

Huygens’s other works

You will also be amazed at the enterprising spirit of discovering Saturn’s moon Titan, understanding the principles of the pendulum to make watches, and discovering and sketching the Orion Nebula. Especially in 1675, it is said that the world’s first reciprocating internal combustion engine using gunpowder was formed. Since Newton’s Principia was published in 1687, it is assumed that Huygens has uniquely shaped his thoughts on “instantaneous transmission power.” I think this is a noteworthy aspect.

Huygens also left the ground for debate in later physics, assuming the existence of so-called ether. I think this achievement is also very important.

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昨夜の「数学白熱教室」 【2015-11-28投稿分_谷山氏_フェルマーの定理】

NHKのEテレの「数学白熱教室」第三回を見た。いつもの通りで途中で少し眠ったようだが、多分後半の重要なところは見た。

フェルマーの定理から、谷山・志村・ヴェイユ予想へと話が進む前の数論と方程式の解の話もおもしろかった。よくわかったというわけではないが、不思議なものがそこにあるという感覚は感じ取れた。

ワイルズともう一人の研究者のフェルマーの最終定理の解決も実は谷山・志村・ヴェイユ予想の解決であり、それとフェルマーの定理とが密接に関係しているという話も興味深かった。またこれはフレンケルが現在研究しているラングランズ・プログラムの一例になっているという。

もともとフェルマーの定理はピタゴラス数の拡張として考えられたとの説明は数学がどうやって広がっていくかを示した話であったと思う。ピタゴラス数として3, 4, 5のつぎは13,12, 5であるが、そこらあたりまでなら誰でも知っているだろう。だが、それらよりも大きい数にもピタゴラス数はある。

谷山さんは自ら命を絶った数学者であるが、彼は不思議な予想能力があった人だったという。一方、志村さんは今でも生きていて、ちくま学芸文庫に数冊本を書き下ろしている。

でも妻によれば私の眠っていたときの話は素数にある種の対称性があるという話だったという。そういう話だとフレンケルさんの話でなくとも誰か数学者が本に書いてあってもいいはずだと思う。だから、どれかの数学の本で読むことができるかもしれない。

(2024.3.23付記)その後、志村さんも亡くなったが、いつなくなったのかは覚えていない。だが、最近まで存命だったことは確かである。

 

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ガロアのノートにあった詩 【2015-11-18にGooblogブログへ 投稿分】

昨夜、なにげなく書棚で見かけた、
岩田義一さんの『偉大な数学者たち』(ちくま学芸文庫)
に載っていたガロアのノートにあった詩を訳と原語とで書いておく。

久遠なる糸杉はわれをかこむ
色あせし秋の日よりはなお色あせて
わが身は墓場へとくだりゆく

L’eternel cypres m’environne:
Plus pale que la pale automne,
Je m’incline vers le tombeau.

岩田さんは書いている。
糸杉は棺をつくるのに使われると。
この詩の前に岩田さんは書いた。

ガロアは自分の生命がもうあまり長く続かない
ことを予感していたのではなかったろうか。

paleのaの上のアクサン・シルコンフレックスと
糸杉cypresのeの上のアクサン・グラーブ、および
etenelのはじめのeのアクサン・テギュは再現できていないこと
をお断りする。

前にもこのブログで書いたことがあるのだが、
この『偉大な数学者たち』を感激して読んだという記憶は
私には残念ながらなかった。しかし、
だからといってこの書がつまらない書だとは思っていない。

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2025/11/03_初版投稿

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