東大

矢野 健太郎
【数々の数学書を監修|「解法のテクニック」の著者】

解法のテクニック
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【1912年3月1日生まれ ~ 1993年12月25日没】

矢野健太郎の多彩な活躍

矢野健太郎は私が使っていた数学の教科書の著者でした。
同名の方で漫画家の「矢野健太郎」と
サッカー選手の「矢野健太郎」が居ますが、
本稿は数学者の矢野健太郎に関する原稿です。

因みに、名前の「矢野」に関するエピソードとして
有名なものがあります。外人との雑談
をする中で
「矢野」って英語でいえばどんな表現?
と聞かれた際に矢野さんは当意即妙で
矢野さんは次のように答えました。

「矢」=「Vector」、「野(野原)」=「Field」。

だから「矢野」って「ベクトル場」ですね。

そう答えたそうです。当然、外人は大喜び。

専門は幾何学関係か解析学関係だったかと。

彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。

矢野健太郎とパリ大学

矢野健太郎の小学生時代にアインシュタインが来日し
健太郎
は刺激を受けました。また、
帝大の山内恭彦先生から
物理学の理解には
代数幾何学が必要だと教えを受けました。

物理現象のモデル化の有用性を感じた筈です。
その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべく
パリ大学
留学します。パリ大学で纏めた博士論文は
射影接続空間に
関する論文でした。

この頃から統一場理論にも関心を持ちます。

 矢野健太郎とアインシュタイン

戦後にはプリンストン高等研究所で微分幾何学の研究
をしていき、同時期に在席していたアインシュタイン
交流
を持ちます。奥様と一緒にアインシュタイン
写った写真は
大事にしていて、家宝としたそうです。

 

その他、矢野健太郎の著作は多岐に渡り、

受験参考書の定番だった(今でも定番)

解法のテクニック」は矢野健太郎の著作です。

また、アイザックアシモフポアンカレアインシュタイン
書物を日本に紹介する際に監修をしたりしました。

私や皆さんが知った情報も矢野健太郎
の仕事かも知れませんね。

そんな、矢野健太郎はバイオリンが好きな静かな人でした。

安らかな印象を持ち続けたいと思います。

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2020/11/12_初稿投稿
2024/09/20‗改定投稿

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Various activities of Kentaro Yano

Kentaro Yano was the author of the textbook I was using. There is a manga artist “Kentaro Yano” and a soccer player “Kentaro Yano” who have the same name, but this article is about the mathematician Kentaro Yano. By the way, there is a famous episode about the name “Yano”. What kind of expression is “Yano” in English while chatting with foreigners? When asked, Mr. Yano was selfish
“Arrow” = “Vector”, “Field (field)” = “Field”, so “Yano” is a “vector field”. I heard that he answered. Naturally, foreigners are overjoyed. Was my specialty related to geometry or analysis? He was born as a child of a sculptor and studied at the University of Tokyo.

Kentaro Yano and the University of Paris

Kentaro Yano was inspired by Einstein’s visit to Japan when he was in elementary school. Also, Professor Yasuhiko Yamanouchi of Imperial University taught me that algebraic geometry is necessary to understand physics. It seems that he found the usefulness of modeling physical phenomena. After that, Yano will study abroad at the University of Paris to study under Professor Cartan. His dissertation he compiled was a dissertation on the projective connection space. From this time on, he was also interested in unified field theory.

Kentaro Yano and Einstein

After the war, he studied differential geometry at the Princeton Institute for Advanced Study and interacted with Einstein, who was present at the same time. He cherished the photo of Einstein with his wife and made it a heirloom.

Kentaro Yano has a wide variety of authors, and Kentaro Yano’s “Solution Technique”, which was a staple of examination reference books. He also supervised the introduction of Isaac Asimov, Poincaré and Einstein’s books to Japan. The information that I and everyone knew may be Kentaro Yano’s work. Kentaro Yano was a quiet person who liked the violin. He wants to keep a peaceful impression.