デンマーク

レフ・D・ランダウ
【反磁性の研究を行い優れた教科書を残した天才】

マグネット・ベース
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【1908年1月22日生まれ ~ 1968年4月1日没】


【Photo:Lev Landau In Wikimedia Commons】

レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウ

その名をフルネームで表記すると、
レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウです。
日本では教科書でその名を目にしてる人が
多いのではないでしょうか。

ランダウは20世紀を代表する理論物理学者の一人です。
1962年には「凝縮物質、特に液体ヘリウムについての先駆的な理論」
によってノーベル物理学賞を受賞しました。

ランダウの仕事は液体ヘリウムだけにとどまりません。
量子力学、統計物理学、原子核物理学、素粒子物理学、プラズマ物理学など
非常に広い分野で研究を行い、さらに多くの理論物理学者を育てました。
その意味では、ランダウは一つの研究成果だけで評価するよりも、
20世紀の理論物理学そのものを体系化した人物として見る方が
その全体像を理解しやすいでしょう。

ノーベル賞受賞の前年、ランダウは交通事故で重傷を負いました。
そのため1962年の授賞式には出席できず、ノーベル賞のメダルと賞状は
モスクワの病院でスウェーデン大使から手渡されました。
ノーベル賞の授賞式でも、ランダウが事故から完全には回復していないことが
紹介されています。


そして何より、ランダウは天才です。個人的には、
アインシュタイン、ランダウ、ノイマン、ディラックらが
20世紀理論物理学を象徴する天才群であったように思えます。
パウリも仲間に入れたい気がしますが、情熱溢れる
イメージが私の中ではあるのでパウリは何となく別枠。
⇔パウリは情熱の理論家です。

さて、
ランダウは石油技術者の父と教育者の母
から生まれます。
12歳で微分法を理解し、
14歳で国立大学に入学、
物理数学科と化学学科
を同時に履修します。

19歳で学士の称号を得るとレニングラード物理工学研究所で
電磁場の中での電子性質である量子電磁気学を研究していきます。
そしてコペンハーゲン
にあるボーアの研究所で大きな影響を受けました。

◆ ランダウ学派という教育革命

レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウの功績は研究成果
だけではありません。彼は20世紀でも特異な
「教育者」でもありました。

ランダウは独自の教育制度「ランダウ・ミニマム」
と呼ばれる試験制度を作ります。

これは理論物理学を学ぶ学生に対して、

  • 古典力学

  • 電磁気学

  • 量子力学

  • 統計力学

  • 連続体力学

など広範囲の分野を徹底的に理解しているかを口頭試問で
確認するもので、合格できる学生は極めて少数でした。

しかし、この厳格な教育からソ連物理学を代表する多くの理論家が育ち、
「ランダウ学派」と呼ばれる強力な研究コミュニティが形成されました。

研究者個人ではなく「知的共同体」を作った点も、
ランダウの大きな遺産と言えるでしょう。


◆ 『理論物理学教程』という巨大プロジェクト

ランダウは弟子のエフゲニー・リフシッツとともに
『理論物理学教程(Course of Theoretical Physics)』を執筆しました。

このシリーズは、

理論物理学を体系として完全に再構成する

という野心的な試みでした。現在でも世界中の大学院で使用されており、
多くの物理学者にとって「理論物理学の共通言語」となっています。

ランダウの主な業績

その後、ケンブリッジでディラック・カピッツァと
共同研究を進め所謂「ランダウ反磁性」の研究をまとめます。

その後にチューリッヒでパウリと共同研究をした後に
ランダウはレニングラードに戻りました。

こうした海外の研究者との交流はとても大事で、
互いに刺激を与えあって自分の研究性の方向を
確認する為の経験を積んでいくことが出来ます。

単純には他大学のゼミに参加して普段交流しない人達と
議論出来るだけでも自分の成長につながるのです。

また、自分の作った意見(理論)が他人の目から見て
色々な整合性を持っているか、
問いかけることが出来るのです。
自分の言葉を発信する「界隈(かいわい)」
を出来るだけ早く理解していきましょう。

物理学者は初学者に限らず、
常に向上していく機会を作るべきだと思います。

ランダウの幸せだった時期を中心に記載しましたが
モスクワの研究所で要職を務めていながらスターリン批判
をしたことで刑務所に服役したりしています。
ランダウは単なる批判ではなく、

反スターリン的ビラ作成

独裁批判を行った為、1938年逮捕されました。
そしてランダウを救ったのはピョートル・カピッツァでした

ランダウの逮捕とカピッツァ

しかし、ランダウの人生は研究上の成功だけで構成されていた訳ではありません。
1938年、スターリン体制下のソ連で逮捕され、約1年間拘束されました。
ランダウの釈放には、物理問題研究所を率いていた
ピョートル・カピッツァの働きが大きな役割を果たしました。

その後のランダウは、政治的な圧力の中でも研究を続け、
液体ヘリウムの超流動理論をはじめとする重要な成果を残しました。
この経験を考えると、ランダウを単純に「天才物理学者」としてだけ描くのではなく、
20世紀の政治と科学の緊張関係の中で研究を続けた人物として見ることができます。

そして交通事故にあったりもしています。
水素爆弾の製造にも不本意ながら加担しています。
そして60歳でこの世を去ります。

ただ、ランダウの業績は不変です。

準粒子・フェルミ流体やギンツブルグ&ランダウ理論は
低温凝縮系の世界を大きく進ませました。ヴィタリー・ギンツブルグと提唱した
ギンツブルグ=ランダウ理論は、超伝導を秩序変数という概念で説明し、
後の凝縮系物理学の基礎となったのです。

関連する物理学者

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この分野の物理学者(低温物理学・凝縮系物理学・理論物理学)

さらに、20世紀の物理学者を生年順にたどる場合は、
20世紀生まれの物理学者もご覧ください。

 

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2020/09/24_初稿投稿
2026/09/18_改定投稿

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(2021年11月時点での対応英訳)

Lev Davidovich Landau

The full name is Lev Davidovich Landau. Landau is a well-known Jewish-Russian scientist who may have seen textbooks in Japan. He received the Nobel Prize in Physics in 1962 for his “Theoretical Study of Helium Near Absolute Zero”. Now, Landau is born of a father of oil engineers and a mother of educators.

He understood differential calculus at the age of 12, entered a national university at the age of 14, and he took both physical mathematics and chemistry at the same time. When he earned his bachelor’s degree at the age of 19, he studied quantum electrodynamics, which is an electronic property in an electromagnetic field, at the Leningrad Institute of Physical Engineering. And I was greatly influenced by Bohr’s laboratory in Copenhagen.

Landau’s main achievements

He then collaborated with Dirac Kapitsa in Cambridge to conclude his so-called “Landau diamagnetism” research. Landau then returned to Leningrad after collaborating with Pauli in Zurich.

I mainly described Landau’s happy times, but he was sentenced to jail for criticizing Stalin while he was in a key position at a research institute in Moscow. And he is also in a car accident. He is also reluctantly involved in the production of hydrogen bombs. And he died at the age of 60.

However, Landau’s performance remains unchanged. Quasiparticle-Fermi liquid theory and Ginzburg-Landau theory have made great strides in the world of low-temperature condensate systems.