deutuland

ダーヴィット・ヒルベルト
【現代数学の父・高木貞治の師・そしてフォンノイマンを評価】

数の概念
【スポンサーリンク】

ダーヴィット・ヒルベルト【1862年1月23日 ~ 1943年2月14日】

 

ヒルベルトの名前を英語でつづるとDavid Hilbertとなり
ドイツ語:でつづるとˈdaːvɪt ˈhɪlbɐtとなります。誰しもが認める
「現代数学の父」がヒルベルトです。遅ればせながら、
誰しもが認める大物をご紹介します。
ヒルベルトは当時プロイセン王国領だったケーニヒスベルク
(今はロシア領であるカリーニングラード)に生まれました。

ヒルベルトはケーニヒスベルク大学に進学し学びますが、この大学では別途、カントが(別の時代に)学び、学長を務めていたような歴史ある大学です。もともとドイツ騎士団だった人物が設置した大学で、第二次大戦後はソビエト連邦領として統治されていました。

初稿を記した2022年からウクライナとロシアの紛争が続いています。ロシアの領土を巡る経緯は非常に根深いものがあると感じさせる地方です。思えば旧東ドイツも第二次大戦後は実質的にロシアの支配下あったとも言えます。

プロイセン王国ではありますが、後の時代には他国であったような地方でヒルベルトは生まれ学びました。後に多彩な才能がヒルベルトを育てました。特にウェーバーはドイツ数学の影響をヒルベルトに与えたと言われています。

ヒルベルトの伝記(C.リード著)を読んで博士号授与時の言葉が印象的でしたので記載します。
学部長は求めました。

「あなたの厳粛な宣誓を求めます。真の科学を雄々しく擁護し、それを発展させ、より見事なものにすること、そしてこれを利益の追求や虚栄のためにではなく、神の真実の光が広がるために行うこと、これをあなたの真心を込めて約束することを。」

ヒルベルトはこの言葉に対して宣誓を誓い学位を受けました。

更に、同大学でヘルマン・ミンコフスキーとアドルフ・フルヴィッツと刺激を与えあう関係を持ちます。なかんずくミンコフスキーとは「最良にして、本当の友人」と感じるような関係を築きました。

上記の伝記でヒルベルトは45歳の時に自転車に乗り始めたときのことが描かれています。自転車は「彼(ヒルベルト)の創造活動に欠かせない付随物になかつた」と記されています。当時のケ゚ッチンゲン大では大変自転車が流行していて、ヒルベルトはバラの花壇の周りを八の字にクルクル周って楽しんでいたようです。

またヒルベルトは偉大な数学者を多数、指導輩出しています。教育者として非常に優れています。ヒルベルトはゲッティンゲン大学で色々な人を指導していきました。

ゲッティンゲン大学に居た一人であるヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン(のちのジョン・フォン・ノイマン)の論文を評価していて、ノイマンは後に原子爆弾やコンピュータの開発で特筆される業績を残します。

また、後述する「ヒルベルト空間」の名付け親はノイマンだと言われています。「三次元ユークリッド空間」を発展させていったのです。ヒルベルトは当時22歳であったノイマンをゲッティンゲン大学に招いて育てたのです。

また日本人では東大の高木貞治がドイツ留学時代ヒルベルトの指導を受けたと言われています。思い返せば恐縮ながら、私も高木貞治の教科書を使っていたので、日本で数学を志す若者もヒルベルトの影響を受けていたのです。明文化すると少し感慨深いです。

ヒルベルトの業績で大きいと思えるのは数学概念の統合計画」と言える仕事だと思えます。それは不変式論、抽象代数学、代数的整数論、積分方程式、関数解析学、幾何学の公理系の研究、一般相対性理論などで個別にあった公理を整理して応用を考えました。

また現実の現象(人間の頭の中での認識群)との相関を考えた時に、多岐に及ぶ業績を「結びつける試み」であると思えます。
ヒルベルトの「公理論と数学的な整合性の証明」に関する
一連の計画はヒルベルト・プログラムと呼ばれ、
現代で理解されています。

後にフォンノイマンも議論を続け、ヒルベルト空間と呼ぶ空間を3次元ミンコフスキー空間から発展させています。また、ヒルベルトの零点定理などに名前が残っています。

何よりヒルベルトはドイツの数学レベルを世界最高の水準へと、ひきあげた数学者達の一人でした。一流の数学者でした。そんなヒルベルトは、晩年にナチスドイツによるユダヤ人迫害を目の当たりにしています。ドイツの数学研究所からユダヤ人たちが一人一人いなくなっていく様子に心を痛めていたそうです。

また晩年(1927年頃)、上記の伝記によるとヒルベルトは人間関係で困難に直面しています。特にAnnalenという雑誌の主筆の間での話が有名で、Vol100の表紙での人選で揉めたり、国際会議のボイコット騒ぎがあったりしました。「アインシュタインは3人の主筆の1人であったが、この論争に煩わされて、その地位を辞した」と言われています。そして言いました。「一体、この数学者同志の仲間争いは何事かね??」(アインシュタインが友人にぼやいた言葉)

〆最後に〆

|コスパ最強・テックジム|
プログラミング教室の無料カウンセリング
【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2022/04/06_初回投稿
2024/07/20_改定投稿

(旧)舞台別のご紹介
纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
力学関係のご紹介

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】


(PR)

(対応英訳)

Hilbert’s name is spelled in English as David Hilbert and German: as ˈdaːvɪt ˈhɪlbɐt. The undisputed “father of modern mathematics” is Hilbert. I will introduce the big game that everyone recognizes, though it is late. Hilbert was born in Königsberg (now Russian territory Kaliningrad), which was then the Kingdom of Prussia.

Hilbert goes on to study at the University of Königsberg, which is a historic university where Kant studied (at another time) and was the president. The university was originally set up by a man who was the Teutonic Order, and was ruled as the Soviet Union territory after World War II. In 2022, when I wrote the article, the conflict between Ukraine and Russia continued, but it is a region that makes me feel that the history of Russia’s territory is very deep-rooted. If you think about it, it can be said that the former East Germany was also under the control of Russia.

Although it is the Kingdom of Prussia, Hilbert was born and learned in a region that would have been another country in later times. Later, various talents raised Hilbert. In particular, Weber is said to have influenced Hilbert with German mathematics. In addition, he has an inspiring relationship with Hermann Minkowski and Adolf Hurwitz at the university. Above all, he had a relationship with Minkowski that made him feel “best and true friend”.

Hilbert has also produced many great mathematicians. He is very good as an educator. Hilbert taught various people at the University of Göttingen. He appreciates the paper of one of them, Johannes Ludwig von Neumann (later John von Neumann), who later made remarkable achievements in the development of atomic bombs and computers. In addition, it is said that Neumann is the godfather of “Hilbert space” described later.

He developed the “three-dimensional Euclidean space”. Hilbert invited Neumann, who was 22 at the time, to the University of Göttingen to raise him. It is said that Teiji Takagi of the University of Tokyo received guidance from Hilbert when he was studying in Germany. Looking back, I’m sorry to say that I also used Teiji Takagi’s textbook, so young people who aspired to mathematics in Japan were also influenced by Hilbert. I am a little deeply moved when it is written.

What seems to be a big achievement of Hilbert is the work that can be said to be the integration plan of mathematical concepts. It is an invariant theory, abstract algebra, algebraic integer theory, integral equations, functional analysis, research on axioms of geometry, general relativity theory, etc.

When considering the correlation with the phenomenon (recognition group in the human mind), it seems to be an “attempt to connect” a wide range of achievements. Hilbert’s program, a series of plans for proof of mathematical consistency with Hilbert’s public theory, is called the Hilbert Program and is understood today. Later, von Neumann continued his discussion, developing a space called Hilbert space from the three-dimensional Minkowski space. In addition, the name remains in Hilbert’s zero point theorem.

Above all, Hilbert was one of the mathematicians who raised the level of mathematics in Germany to the highest level in the world. He was a leading mathematician. Hilbert witnessed the persecution of Jews by Nazi Germany in his later years. He was hurt by the disappearance of each Jew from the Deutsche Mathematics Institute.