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ハインリヒ・R・ヘルツ
6/26改訂【電磁現象の実用化の為に送受信の装置を実現した先駆者】

deutuland

こんにちは。コウジです。
R・ヘルツの原稿を改訂します。

今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)

電磁気学入門
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ハインリヒ・R・ヘルツ【1857年2月22日生まれ ~ 1894年1月1日没】

独逸のヘルツ

ハインリヒ・R・ヘルツのRは
ルドルフ(Rudolf )のRです。

もともと、ヘルツは気象学に関心を持っていました。
1878年ミュンヘン工科大学では指導教官が気象学者のベゾル
でしたが、そこではさしたる業績を残していないようです。
その後の師ヘルムホルツのもとで
液体の蒸発の論文や新型の温度計に関する
論文をまとめた程度だと言われてす。

エーテルに対する理解の変遷

所で、19世紀終わり頃迄は電磁波の伝達物質としてエーテルという物質を想定していました。確かに波を伝える伝達物質、別の言葉を使うと媒質といった物があり波は伝わります。

水という媒質があり表面で波紋が伝わり、空気という媒質があって音が伝わる訳です。1881年にマイケルソンが実験でエーテルを否定したタイミングでヘルツはマクスウェルの方程式を再度考え直します。電磁波の存在を煎じ詰めて実用的なアンテナを考案しました。

現代の整理された考え方によると、電磁波は真空中であっても伝わります。例えば太陽光は大気圏に届く前に真空中を伝わってくるのです。そこにはエーテルは存在しません。エーテルの仮定は観測にかからないばかりか、地球の自転運動・公転運動に対して説明がつかないのです。

ヘルツのその他の業績 

何よりも、ヘルツが大事な「時代を担っていた一人」である
という点を強調します。その時代には実験が繰り返され、
電磁気学の分野で光と電磁波をつなぐ

理論がもやもや生み出されていたのです。
それを支える手段が模索されていたのです。

ヘルツは電磁波を発信する
装置を開発して電磁波の送受信
の実験を繰り返しました。
マクスウェルの理論を現実の生活の中の仕組みと
関連させることを考えてみると、
電波を発信する仕組みと受信する仕組みが必要です。

例えば、磁場中で帯電体が振動運動をした時に
電場と磁場が生成されて、光速度に近い
伝番をする筈です。それを観測にかけるには
「出来るだけ簡単で解析しやすい送信部と受信部」
を設計してシステムの構築をしなければいけません。
ヘルツはそうしたシステムを構築したと言えるのです。
その過程では例えば、

送受信間にガラスを置くと
電磁波が通じ難くなると確認しました。即ち、
電磁波というものがあって、それを使うと離れた
空間の間を送受信出来て、電磁波が透過しやすいもの
とし難いものがあると示したのです。大きな一歩でした。

そして、実験で人々にガウスマクスウェル
の理論を現実の世界とより近づけました。
ヘルツは周波数の単位に名を残しています。



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Hertz of Germany

Heinrich R. Hertz’s R is Rudolf’s R.

Originally, Hertz was interested in meteorology. At the Technische Universität München in 1878, the instructor was the meteorologist Bezor, but he does not seem to have made much of a mark there. It is said that he only compiled a treatise on liquid evaporation and a new thermometer under his teacher Helmholtz after him.

At the transition of understanding of ether

Until the end of the 19th century,People had assumed The Existance,Ether  as a transmitter of electromagnetic waves. surely

There is a transmitter that transmits waves, or in other words, a medium, and waves are transmitted. There is a medium called water, and ripples are transmitted on the surface, and there is a medium called air, and sound is transmitted.

Hertz reconsiders Maxwell’s equations when Michaelson denies ether in an experiment in 1881. He devised a practical antenna by decocting the existence of electromagnetic waves.

According to modern organized thinking, electromagnetic waves are transmitted even in a vacuum. For example, sunlight travels through a vacuum before it reaches the atmosphere. There is no ether there. Not only is the assumption of ether unobservable, but it cannot explain the rotation and revolution of the earth.

Other achievements of Hertz

Separately, Hertz developed a device for transmitting electromagnetic waves and repeated experiments to send and receive electromagnetic waves.
Considering the relationship between Maxwell’s theory and the mechanism in real life, we need a mechanism to transmit and a mechanism to receive radio waves. For example, when a charged body vibrates in a magnetic field, an electric field and a magnetic field are generated, and the number should be close to the light velocity. In order to observe it, it is necessary to design a “transmitter and receiver that are as simple and easy to analyze as possible” and build a system.

It can be said that Hertz built such a system. In the process, for example, I confirmed that placing glass between transmission and reception makes it difficult for electromagnetic waves to pass through. In other words, he showed that there are electromagnetic waves that can be used to send and receive between distant spaces, making it easy for electromagnetic waves to pass through and difficult for them to pass through. It was a big step.

And in his experiments he brought Gauss Maxwell’s theory closer to the real world. Hertz has left its name in the unit of frequency.

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J・J・トムソン
‗6/25改訂【電子の単位を明確にして同位体を示した優れた実験家】

こんにちは。コウジです。
J・J・トムソンの原稿を改訂します。

今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)

電子デバイス_echo_dot
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J・J・トムソン【1856年12月18日生まれ~1940年8月30日没】

その名はジョゼフ・ジョン・トムソン

;Sir Joseph John Thomson。

イギリスのJJトムソンは同位体の発見者です。

指導者としてはラザフォードオッペンハイマーボルンの師でした。JJトムソンは物理学の発展に大きく貢献しました。先ずケンブリッジ大学を卒業し、4年後にキャヴェンディッシュ研究所の所長を務めます。さらに、電子の実在を形にしていった一人でもあります。電子を発見したかについては異論があるかも知れませんがいくつかの洗練された実験で、JJトムソンは電子の単位量を決めて特定原子の同位体を示しました。

トムソンによる電子の追及
【陰極線から電子線へ】

J Jトムソンの生きた時代の大きな関心は電子でした。ニュートン力学が確立され、それをもとに色々な議論が進んでいた時代に、トムソンは原子核などの束縛を受けていない所謂「自由電子」の振る舞いを明らかにしていきました。トムソンが考えていた時代、初めは陰極線と電子線という言葉さえうまく使い分けられていなかったようです。

電子が沢山放出されるような現象を作り上げて、飛んでくる電子を観測していくイメージです。電子線と呼んだ方が細いイメージです。一昔前の実験装置で「真空ガラス」で電子の流れが可視化できている姿を陰極線、最近の電子ビームで半導体加工の為に電子を飛ばす時には電子線と表現する人が多いです。物理の常識が変化して着目している点が変化しているとも言えます。

原子核の周りをまわっているような「束縛された電子」は当時でも今でも観測の対象とすることはとても難しいのです。また、JJトムソンの子供も後に、電子の波動性を証明してノーベル賞を受けています。

そして、いくつもの偉業を遂げ

J・J・トムソンの亡骸は

ニュートンの墓のすぐ近くに眠っています。

英国の生んだ偉人として。

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以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
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Its name is Joseph John Thomson

[Sir Joseph John Thomson].

This JJ Thomson of England is a discoverer of  the isotopes. As a leader, he was a teacher of Rutherford, Oppenheimer, and Born, and contributed greatly to the development of physics.

At first,JJ Thomson graduated from Cambridge University and will be the director of the Cavendish Laboratory four years later. And , He is also one of the people who shaped The Reality of Electrons. There may be some disagreement about the discovery of the electron, but in some sophisticated experiments,Joseph  Thomson determined the unit amount of the electron and showed the isotope of a specific atom.

J Thomson’s pursuit of electrons

The history of  John Thomson and electronics is closely related. In an era when Newtonian Mechanics was established and various discussions were proceeding based on it, we clarified the behavior of so-called “free electrons” that are not bound by atomic nuclei. At the beginning, it seems that even the terms cathode ray and electron beam were not used properly.

It is an image of observing flying electrons by creating a phenomenon in which a lot of electrons are emitted. It is a thinner image to call it an electron beam. It is very difficult to observe “bound electrons” that seem to orbit around the nucleus even now. The child of JJ Thomson also later received the Nobel Prize for proving the wave nature of electrons.

And now, the corpse of JJ Thomson, who has achieved several feats, is sleeping in the immediate vicinity of Newton’s tomb. He was a great man born in England.

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田中館 愛橘(たなかだて あいきつ )
6/24改訂【日本物理学の黎明期にイギリスとドイツで物理学を学び日本に紹介し、ケルビン卿を敬愛した偉人|多くの人材を育て「種まき翁」と呼ばれた男|フォノグラムを研究】

東大

こんにちは。コウジです。
田中館 愛橘の原稿を改訂します。

今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)

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田中館 愛橘(たなかだて あいきつ)【1856年10月16日生まれ ~ 1952年5月21日没】

日本物理学創設期の人
田中館愛橘

その名は田中館・愛橘と書いて

たなかだて・あいきつ、と読ませます。

生まれた年は旧暦の時代で安政3年9月18日です。
【新暦で1856年10月16日です】
没年は新暦での昭和27年です。

先祖に南部藩の赤穂浪士
と呼ばれた方が居たそうですから、
そうしたイメージから語り出したいと思います。
田中館は時代の変革期に生まれました。

 

田中館愛橘の生い立ち

ご紹介する田中館愛橘の父方は
兵法師範の家系であり、
愛橘は藩校である作人館に学びます。
作人館での同窓生には原敬がいて後輩には
新渡戸稲造がいました。

存じませんでしたが
立派な学校ですね。東京に出て慶應義塾に通い
ますが学費が高額なので東京開成高校に進みます。

今で言えば東大教養学部のイメージでしょうか。
そこで愛橘は山川健次郎から物理学を学びます。

政治にも関心を持っていたようですが、山川から諭され、
日本での理学の遅れを挽回せんと愛橘は物理学を志しました。

1879年に東大で外国人教師であるメンデンホールが
(ユーイングと共に)トーマス・A・エジソンの発明した
フォノグラフを日本に紹介しましたが、田中館愛橘は
早速試作を行いました。その音響や振動の解析を行っています。

音を音質と音量に分けて考えたり、
フィルター処理をする作業が日本で始まったのです。
1880年にはメンデンホールによる重力観測に参加し、
東京と富士山で観測作業を行いました。

当時の世界一の性能を持っと言われたた
電磁方位計を研究開発しました。

そんな時期に、、

突然、福岡に帰っていた父・稲蔵が割腹自殺したとの
知らせを受けて田中館愛橘は明治16年12月に帰郷します。

土地や家などを売り払い東京三田での愛橘の教育の為に
一家総出で引っ越しをしたようなお父様でした。
そのお父様がなくなったのです。

そしてその年に東京大学助教授となりました。詳細は
いつか調べてみたいです。この時期気になる動きです。
時代の変革期に各人が考え抜いていたはずです。

田中館愛橘とケルビン卿

その後、田中館愛橘はイギリスでケルビン卿に師事し、
大きな影響を受け、生涯を通じてケルビンを敬愛しました。

その後1890年にヘルムホルツのいた
ベルリン大学へ転学、電気学などを修めます。

この時代の電気に対する理解は、項を改めて
マクスウェルらと関連して語っています。

電磁気学は力学と異なり色々な人々の多様な知見が
次々重なり形成されていった歴史があるのです。

力学のように第一法則、第二法則、
として電磁気学では出来ていません。

 

愛橘は東京帝大理科大学教授となり後に
理学博士の学位を受けます。更にデンマークのコペンハーゲン
で開かれた万国測地学協会 第14回総会で
地磁気脈動や磁気嵐の発表をします。

田中館愛橘の業績

時代柄もあって、田中館愛橘は陸軍や海軍に対して貢献します。地磁気測量では指導の中心的な役割を果たしています。

旅順での戦闘の際には敵情視察用の繋留気球の制作を依頼されています。それが愛橘と航空研究のきっかけ
となりました。

田中館愛橘は中野の陸軍電信隊内での気球班で気球研究を始め、制作および運用法を指導しています。試行錯誤の末に気球を完成させ、旅順戦で戦闘に使用しています。

そして田中館愛橘が60歳になり、教授在職25周年のパーティで愛橘は辞職する旨を伝えました。後の東大での定年退職制度に繫がっていきます。

また、田中館愛橘は数多くの人材を育てました。教え子としては長岡半太郎中村清二本多光太郎、木村栄、田丸卓郎、寺田寅彦などが居ます。それ故、愛橘は「種まき翁」、「花咲かの翁」と呼ばれたそうです。
95歳7か月の天寿を全うしました。


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Tanakadate Aikitsu,

whose name is Aikitsu, is written as Aikitsu.

Born on September 18, Ansei 3 in the lunar calendar. [October 16, 1856 in the new calendar] The year of death is 1952 in the new calendar. It seems that his ancestor was called Ako Ronin of the Southern Clan, so I would like to start with that image. He spent his youth in a period of change.

By the way, Tanakadate Aikitsu’s father is a family of military art masters, and Aikitsu learns from the clan school, Sakujinkan. The alumni at the Sakujinkan was Takashi Hara, and his junior was Inazo Nitobe. I didn’t know about it, but it’s suary a good school.

He went to Tokyo and go to Keio University, but the tuition fee is high, so he went to Tokyo Kaisei High School. Is it the image of the Faculty of Liberal Arts at the University of Tokyo now? There, Aitachibana learns physics from Kenjiro Yamakawa.

Yonger days of Tanakadate

In his younger days,Aikitsu have been interested in politics, but Yamakawa advised him to make up for the delay in Japanese science, and Aitachiya decided to pursue physics. He introduced Edison’s invented phonograph to Japan in 1879 with Mendenhall, a foreign teacher at the University of Tokyo, but Tanakadate Aikitsu made a prototype immediately. He is analyzing the sound and vibration.

He started working in Japan to divide sound into sound quality and volume, and to filter it. In 1880, he participated in gravity observation at Menden Hall and carried out observation work in Tokyo and Mt. Fuji. Aitachi made an electromagnetic directional meter, which was said to be the world’s number one high-precision directional meter at that time.

 

Tanakadate Aikitsu returns home after being informed that his father, Inazo, who had returned to Fukuoka in December 1884, committed suicide by seppuku. And that year he became an assistant professor at the University of Tokyo. Details will be investigated later. Because it is a movement that is worrisome at this time.

Tanakadate and Baron Kelvin

After that, Tanakadate Aikitsu studied under Sir Kelvin in England and was greatly admired Kelvin throughout his life. After that, he transferred to the University of Berlin, where Helmholtz was, in 1890 and studied electrical engineering. His understanding of electricity in this era will be discussed later in the context of Maxwell et al.

Unlike mechanics, electromagnetism has a history of  accumulating diverse knowledge of various people one after another made electromagnetism. It has not made as the first law or the second law of mechanics.

Aitkitsu became a professor at the University of Tokyo Science University and later received a doctorate in science. He will also present geomagnetic pulsations and geomagnetic storms at the 14th General Assembly of the International Association of Geodesy Sciences in Copenhagen, Denmark.

 

Job of Tanakadate

Also, due to his time, Tanakadate Aikitsu contributes to the Army and Navy. He plays a central role in his guidance in geomagnetic surveying. During the battle in Lushun, he made a mooring balloon for hostility inspection. That was the catalyst for Aikitsu and his aviation research.

Tanakadate Aikitsu started balloon research in the balloon team within Nakano’s Army Telegraph Corps, and is instructing production and operation methods. After a lot of trial and error, the balloon was completed and used in battle in Lushunkou.

 

When Tanakadate Aikitsu turned age 60, he announced that he would resign at the party of his 25th anniversary as a professor. He will be involved in the retirement age system at the University of Tokyo later. In addition, Tanakadate Aikitsu has nurtured a large number of human resources.

His students include Hantaro Nagaoka, Seiji Nakamura, Kotaro Honda, Hisashi Kimura, Takuro Tamaru, and Torahiko Terada. Therefore, They called Aitkitsu”Seeding old man” and “Hanasakika old man”. He completed his life of 95 years and 7 months.

(NOTE)Transition Words,
“In the same time,on the other handsin addition for exanple” is Important.

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ニコラ・テスラ
6/23改訂【磁場の単位を残し、それを社名として名を残したアメリカの天才】

austria-Credit:pixabay

こんにちは。コウジです。
テスラの原稿を改訂します。

今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)

電気モーター(教育玩具)
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ニコラ・テスラ【1856年7月10日生まれ ~ 1943年1月7日没】

 発明家テスラ

テスラはオーストリア帝国に生まれ
工夫を重ね、
誘導モーターを発明します。

そのモーターを広める為に
アメリカに渡って、かのエジソン
のもとで働いていましたが独立して
高電圧の変換をして発表をしたり
回転界磁型の電動システムを実用化して
供電社会の礎を築いたりしました。

テスラとエジソン

テスラとエジソンとの間には次第に対立関係が生まれますが、2陣営の対立は送電方式の考え方の違いが大きかったようです。エジソンが直流による電力事業を考えていたのに対してテスラは交流による電力事業に利点があると考えていました。実際に交流が主流になるのです。

幸運な事にテスラは多才でした。例えば
テスラはプレゼンテーションが上手でした。

学会での発表を聞いていたジョージ・ウェスティングハウスが感銘を受け、テスラは資金供給を受け始めます。最終的にはナイアガラの滝を使った発電システムの実現に繋がり、テスラは成功を収めました。ナイヤガラの滝を眺めて誰しも壮大な景色に心を動かされると思いますが、その時の感動を事業のアイディアへ繋げていく思考がテスラならではの凄さですね。事業計画のプレゼンテーションをする時に説得力を持ちますね。後は「本当に出来るの?」と聞かれている内容を説明していく説得力も大事です。そのアイディアや説得力をテスラは持っていました。

数々の事業を成功へ導いたテスラですが、色々な別れがあり晩年は寂しい老後を送っていた様です。テスラは生涯独身でした。内向的な性格が影響しているようです。

そしてテスラの名は今、磁場の単位として使われている他に、会社の名前として名を残しています。数トンの重さがあったと言われる彼の発明品や設計図はFBIが写しをとった後に母語へと返されています。

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2020/10/16_初版投稿
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Inventor Tesla

Tesla was born in the Austrian Empire and invented an induction motor. After that, he traveled to the United States to spread the motor in addition, worked under Edison, but independently converted high voltage and made presentations and put into practical use a rotating field type electric system. It laid the foundation for a power supply society.

Tesla and Edison

A confrontational relationship with Edison gradually arises, but it seems that the confrontation between the two camps was largely due to the difference in the way of thinking about the power transmission method. While Edison was thinking of a DC power business, at that time, Tesla thought that an AC power business would have an advantage. In fact, exchange becomes mainstream.

Fortunately, for example Tesla was good at presenting.

George Westinghouse, who was listening to the conference presentation, was impressed and began to receive funding.

Ultimately, Tesla was successful in realizing a power generation system using Niagara Falls.

He is Tesla, who has led many businesses to success, but he seems to have had a lonely old age in his later years due to various farewells. Tesla was single all his life.

And in addition to being used as a unit of magnetic field, Tesla’s name is now left as the name of the company.

Tesla’s inventions and blueprints, which are said to have weighed several tons, have been returned to their native language after being copied by the FBI.

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山川 健次郎
6/22改訂【後進を育てた日本物理学黎明期の先駆者・東大総長】

東大

こんにちは。コウジです。
山川 健次郎の原稿を改訂します。

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難しくない物理学
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山川 健次郎【1854年9月9日生まれ ~ 1931年6月26日没】

山川健次郎の人生

山川 健次郎は日本初の物理学者です。その家は会津藩の家老家で戊辰戦争では健次郎は白虎隊に所属していました。自刀していった仲間もいた中で、山川健次郎は落ち延びました。その後に米国へ国費留学を果たし、イェール大学で物理学を修めます。日本に戻り、最終的には東大総長・京大総長を務めます。

山川健次郎と辰野金吾

私の家祖が会津藩・彰義隊でしたので個人的に彼になんとなく親近感と敬意を持っていました。山川健次郎は国費留学生として イェール大学で学位を修めます。また、東京駅の設計に携わった建築家・辰野金吾とは奥様を通じて親戚関係となっています。

山川健次郎のお人柄と研究成果

山川健次郎のお人柄を表すエピソードとして
日露戦争に関するものがあります。当時、
彼は東大で総長を務めていましたが、
愛国心に満ちた健次郎は陸軍に詰め寄り、
一兵卒として従軍させろ」と担当を困らせたそうです。
個人・家族・所属国家と意識が繋がっていたのですね。
その時にはもはや、賊軍だった頃の意識は無いのでしょう。

山川健次郎の時期の物理学会は諸外国との交流を感じさせません。特にコペンハーゲン学派が中心となって次々と新しい知見をもたらしていた時代に日本の物理学は黎明期にありました。欧州よりもむしろ日本に開国を促した米国に目を向けていたのです。それが精一杯だったのでしょう。「お雇い外人」は殆ど米国人です。

そして山川の時代まで欧州は遠く、新大陸はまだ
未開の部分が今より多い時代です。
米国の独立戦争が1861年から1865年だったことも
思い返してみましょう。

後の時代に原子核内の相互作用を解き明かしていく若者達を育てていく時代だったのです。山川健次郎と同年代のカメリー・オネスローレンツは師に恵まれ論敵に恵まれて、マッハボルツマンの構築した知見の中で考えを進めていたのです。大きく異なる環境から日本の物理学はスタートしています。

山川健次郎自身の研究成果は伝えられていません。研究内容をまとめた論文も広く知られていません。あるのでしょうか。それよりも寧ろ、後輩達を育てながら次の時代への為の土壌を育んでいたと考えるべきでしょう。

また、この時代に千里眼を巡る話題が世間を騒がせていましたがそれに対して山川健次郎は批判的で冷静な立場をとっていたと伝えられています。今も昔も千里眼という不可思議な現象は「議論して解明できる内容ではない」と考える方が良いようです。

〆最後に〆

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Yamakawa Kenjiro’s life

Kenjiro Yamakawa is Japan’s first physicist. The house was the old family of the Aizu clan, and Kenjiro belonged to Byakkotai during the Boshin War. Kenjiro Yamakawa fell asleep while he had his own sword. He then went on to study abroad in the United States and studied physics at Yale University. He will return to Japan and eventually serve as President of the University of Tokyo and President of Kyoto University.

Kenjiro Yamakawa and Kingo Tatsuno

My ancestor was the Aizu clan Shogitai, so I personally had a sense of familiarity with him. Kenjiro Yamakawa is a government-sponsored international student and he completes his degree at Yale University. He also has a relative relationship with the architect Tatsuno Kingo, who was involved in the design of Tokyo Station, through his wife.

Yamakawa Kenjiro’s personality
and research results

There is an episode about the Russo-Japanese War as an episode that shows the personality of Kenjiro Yamakawa. At that time, he was the president of the University of Tokyo, but the patriotic Kenjiro rushed to the Army and asked him to serve as a soldier. Your consciousness was connected to your individual, your family, and your nation. At that time, I wouldn’t be aware of what I was when I was a thief.

The Physical Society of Japan during Kenjiro Yamakawa’s time does not make us feel any interaction with other countries. In particular, Japanese physics was in its infancy at a time when the Copenhagen school was playing a central role in bringing in new knowledge one after another.

It was an era of nurturing young people who would unravel the interactions within the nucleus in later times. Kamerlingh Ones and Lorenz, who were of the same age as Kenjiro Yamakawa, were blessed with teachers and controversial opponents, and were advancing their thoughts based on the knowledge built by Mach and Boltzmann. Japanese physics starts from a very different environment.

Kenjiro Yamakawa’s own research results have not been reported. A paper summarizing his research is also not widely known. Is there? Rather, it should be considered that he was raising his juniors and nurturing the soil for the next era. In addition, it is said that Kenjiro Yamakawa took a critical and calm position against the topic of clairvoyance that was making a noise in this era. Even now and in the past, it seems better to think that the mysterious phenomenon of clairvoyance is “not something that can be discussed and clarified.”

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【改訂】東大が量子コンピューターを2023年秋に導入
(IBM社製‗127量子ビット)

東大

こんにちはコウジです!
「東大が量子コンピューター」の原稿を改定します。
今回の主たる改定は新規追記分の補完です。
大分長いこと改定していませんでしたね。

初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。

SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。

(写真は従来の基盤の写真です)

以下投稿の内容は2023/04/22の
日経新聞記載の情報メインです。
現代の情報だと考えて下さい。

新聞記事を離れた所で冷静に考えていくと
税金の使い道の話でもあります。

日本国民の皆様が一緒になって考えて、
出来れば知恵を出し合えたら
より良い展開に
つながる類の話題なのです。しかし、
実のところ、大多数の日本国民は
「量子コンピュータ?言葉は聞くけれども…」
って感じで内容が議論されていません。
議論を喚起しましょう。

本記事では私論を中心に語ります。但し、
記載した量子ビット数は何度も確認しています。

ニュースのアナウンサーも語れる内容が少ない
のでしょう。
そんな中で東大本郷キャンバスでは
記者会見が開かれ、IBM社のフェローが
「有用な量子コンピューターの世界がすぐそこまで来ている」
と語っています。

物理学を専攻していた私でも多分野において下調べが必要です。
当面、「ラビ振動」、「共振器と量子ビットの間の空間」
「ミアンダの線路」、「量子誤り訂正」といった概念を
改めて理解し直さないと最新の性能が評価できません。

特に理化学研究所に導入された機種は
色々な情報が出ていて教育的です。対して
東大が導入するIBM社製の量子コンピューターは
トヨタ自動車やソニーグループなど日本企業12社での
協議会による利用を想定していて、
利益享受を受ける団体が限られています。
今後の課題として利用の解放(促進)が望まれます。 

東京大学が川崎拠点に導入

既に27量子ビットを導入している川崎拠点に2023年の秋に
127量子ビットの新鋭機を導入する予定です。
経済産業省は42億円の支援を通じて計算手法等の
実用面へ向けての課題を解決していく予定です。

一例としてJSR(素材メーカー)が「半導体向け材料の開発」
を想定して活用する方針を打ち出しているようですが
具体的にプロジェクトに参加する事で得られるメリットを
明確にする作業は大変そうです。

現時点での量子コンピューターの国内体制

報道では「量子ビット」の数に着目した表現が多いです。
実際に理化学研究所では2023年の3月に64量子ビットの
装置を導入して研究を進めています。

また、英国のオックスフォード・クァン・サーキッツ
は都内のデータセンターに今年の後半に量子コンピューター
を設置予定で外部企業の利用も想定しています。

対して米国のIBMでは433量子ビットのプロセッサーが開発
されていて、2023年度中には1000量子ビットの実現、
2025年度には4000量子ビット以上の実現を計画しています。 

EV電池開発に革新的貢献ができるか

一例としてIonQ社とHyundai Motor社は共同で
量子コンピューターに対する
バッテリー化学モデル
を開発しています。(2022年2月発表~)

実際に同社は新しい変分量子固有値ソルバー法
(VQE:Variational Quantum Eigensolver)を共同で開発してます。
開発目的はバッテリー化学におけるリチウム化合物や
化学的相互作用の研究への適用です。

 特定の最適化問題を解決するVQEは原理的に
量子コンピューターと親和性が良いです。
変分原理を使用し、ハミルトニアンの基底状態エネルギー、
動的物理システムの状態の時間変化率を考えていくのです。
計算上の限界で、既存システムでは精度に制約がりました。

 具体的に酸化リチウムの構造やエネルギーのシミュレーション
に使用する、量子コンピュータ上で動作可能な
バッテリー化学モデルを共同開発しています

リチウム電池の性能や安全性の向上、コストの低減が進めば
EV開発における最重要課題の解決に向けて効果は大きいです。
【実際、EV価格の半分くらいはバッテリーの価格だと言われています】

ハイブリット英会話スタイルで伸ばす「アクエス」
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2023/04/23_初稿投稿
2024/03/17‗改訂投稿

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日本での量子コンピューターの実現へ向け新会社設立【分子研が中心‗冷却原子方式採用】

次世代の高速計算機を商用化へ

国内のメーカーと国の研究機関が2024年度に新会社を立ち上げます。新会社が成功するためには、大事な事が思い浮かびますね。

まず、産業連携と協力:

他の企業や研究機関との連携が重要です。共同研究やパートナーシップを通じて、幅広い視点からの知見を取り入れること大事です。

そして、市場調査と需要予測:

顧客のニーズを正確に把握し、市場調査を行い、将来の需要を予測することが重要です。これにより、製品やサービスの開発において競争力を維持できます。

最後に、人材の確保と育成:

高度な技術を持った人材を確保し、彼らのスキルを磨くための継続的な教育プログラムを提供することが成功の鍵となります。アイディア出しの段階とは別に産業塾生の為に大事な時期があると考え、産業成長の為に尽力する人員が必要です。

日本の特技とプレーヤー

会社としてプレーヤーとして名乗りを上げているのは富士通、日立製作所、NEC、浜松フォトニクス、スタートアップのblueqatやグルーヴノーツが参加する予定です。

国の研究機関としては自然科学研究機構・分子科学研究所(分子研・愛知県岡崎市)が中心となり新会社を設立する模様です。こうした事業で想定される予算の流れを考えると出資比率に伴い、国から各社に補助金がつく形となる事でしょう。詳細は今後決めていくようです。また他機関としての日本投資銀行も参画します。

超伝導方式と冷却原子方式

今回の量子素子(従来コンピューターでのビットに相当)を実現する
ハードウェアは「冷却原子方式」と呼ばれる新しいタイプです。

理化学研や米IBMが超伝導方式(今のスタンダード)を採用
しているのに対して、新団体の方式は絶対零度近くに冷やした
ルビジウム電子を使います。

「原子1個1個を高精度で捕捉できる「光ピンセット」と呼ぶ技術の発達」

を使っている所がポイントです。
従来方式より技術的なメリットが出てきます。

夫々の方式で計算時のエラー対策や素子の集積化など課題
はありますが冷却原子方式の方が超伝導方式に比べて
素子の安定性が高く集積化にも有利ではないかと言われています。

【分子科学研・大森氏のコメント】

開発の課題

全体的な目論みとしては日本独自の将来の国際競争力を確保する目論見
がありそうです。2024年2月の時点での大きな進展として、新方式での
計算原理で大事になってくる「操作」に関わる時間を大幅に短縮しました。
分子研の大森賢治教授らが独自のレーザー技術で基本操作を10ナノ秒以下の
短時間で実現しています。
(原理的には2022年に英国の雑誌に発表しています)

また、
競合としてハーバード大学とその関係者(クエラ・コンピューティング)
が居て日米での競争となっています。

最後に
著者は急速に発展する量子コンピューターと
AIの技術進展が同時期に起きている事情に鑑み
この二者が関連しているのではないかという視点
を込めて今後の考察を進めていきます。
「何となく」
って感覚も大事ですよね。

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2024/03/06_初回投稿

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物質同士が真空で引き合う?!3/1改訂【狭い空間でのカシミール効果とその検証】

こんにちはコウジです!
「カシミール効果」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、

初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。

SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。

カシミール効果の検証

先ず本稿は2024年1月7日の記事からの情報で起草しています。近接した2つの物体が量子力学的な効果で引き合うという現象です。

電磁力でもなく万有引力でもない力でマクロなスケールの物体が引かれ合う現象は不可思議だと言えますが、正に量子的な効果だと言えます。

蘭ヘンドリク・カシミール

そもそも、こうした現象は理論的に予言されていました!!オランダのヘンドリックカシミールが真空中で生じると1948年に予想していたのです。

量子力学的に考えて、板の内側の狭い空間(数十nm)での真空状態を考えた時に板の内側での波動関数が外側と異なる筈なのです。結果として板同士が引き合う力が生じます。板の内側の波動関数の方が外側よりも秩序を持っているからだとも言えますね。エネルギーに相当する振動(波)を観測する作業となります。

ゆらぎの効果と制御

カシミール効果の検証は困難でしたが技術の進展に伴い、最近観測されるようになりました。1997年に実験で確かめられています。(参考:京都大学での測定

産業ではトヨタ中研でロードベアリングでの応用を考えているそうです。またMEMS(超微小電気機械システム)への応用が検討されています。江崎ダイオードを実用化したように独自の技術が期待できますね。

名大での2012年の実験

そもそも「ゆらぎの」現象が顕著となる設定は不確定性原理を十分に考察する必要があります。

その不確定性原理を覆す観測が2012年に名古屋大学で報告されています。

以上、間違い・ご意見は
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問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

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2024/02/18_ 初稿投稿
2024/03/01_改訂投稿

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物質同士が真空で引き合う?!【狭い空間でのカシミール効果とその検証】

カシミール効果の検証

先ず本稿は2024年1月7日の記事からの情報で起草しています。近接した2つの物体が量子力学的な効果で引き合うという現象です。

電磁力でもなく万有引力でもない力でマクロなスケールの物体が引かれ合う現象は不可思議だと言えますが、正に量子的な効果だと言えます。

蘭ヘンドリク・カシミール

そもそも、こうした現象は理論的に予言されていました!!オランダのヘンドリックカシミールが真空中で生じると1948年に予想していたのです。

量子力学的に考えて、板の内側の狭い空間(数十nm)での真空状態を考えた時に板の内側での波動関数が外側と異なる筈なのです。結果として板同士が引き合う力が生じます。板の内側の波動関数の方が外側よりも秩序を持っているからだとも言えますね。エネルギーに相当する振動(波)を観測する作業となります。

ゆらぎの効果と制御

カシミール効果の検証は困難でしたが技術の進展に伴い、最近観測されるようになりました。1997年に実験で確かめられています。(参考:京都大学での測定

産業ではトヨタ中研でロードベアリングでの応用を考えているそうです。またMEMS(超微小電気機械システム)への応用が検討されています。江崎ダイオードを実用化したように独自の技術が期待できますね。

名大での2012年の実験

そもそも「ゆらぎの」現象が顕著となる設定は不確定性原理を十分に考察する必要があります。

その不確定性原理を覆す観測が2012年に名古屋大学で報告されています。

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2024/02/18_ 初稿投稿
2024/02/29_改訂投稿

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AIでの考察(参考‗以下8行)
【量子力学において、物体が近接している状況では、電磁力や重力といった古典的な力だけでなく、】
【量子効果によっても相互作用が起こります。これは「量子力学的な引力」と呼ばれることがあります。】
【具体的な例としては、カスミール効果が挙げられます。これは、2つの平行な平板が非常に近接していると、】
【真空中における零点振動により、これらの平板が引き合う現象です。カスミール効果は量子場論の一部であり、】
【真空中の量子フラクトゥエーションによって引き起こされるものです。】
【このような量子的な引力効果は、通常の重力や電磁気力とは異なる特性を持ち、微小な距離や】
【微小なスケールでの相互作用に関与します。これは古典的な物理学の範疇を超えるものであり、】
【近年ではナノテクノロジーや微小な物体の挙動の理解において重要な要素となっています。】

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あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。【本ブログの方向性】

年が明けて目出たいですね。

皆様あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

個人的には昨年度は色々と新しいことがありましたが、なにより

AIとの出会いがとても意義深かったです。

これからもAIを中心にネット活動を続け、理想を具現化します。

本ブログの今後(方向性)

なにより本ブログは私のネット生活のきっかけとなったブログで

これからも大事にしていきたいと考えています。

少なくとも、年に7人程度の物理学(数学)者を掘り起こし

主にリライトをしながら個別記事を洗練・充実させていく

方向で今後も続けていきたいと思います。

どうぞ宜しくお願い致します。

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