2025年11月13日2026年4月29日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す100年を迎える東京大学地震研究所(ERI)が築いた地震学とこれからのAI時代 本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。1.1 設立背景と制度整備震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。【地震研究の主要年表】年出来事関連人物・機関1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉1923年関東大震災内務省震災予防調査会1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC第2章:技術革新と地震学の転機地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。第3章:AI時代の地震研究と未来展望AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。3.2 国際共同研究・データ共有の潮流米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。【用語解説】地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。まとめ東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。参考文献: ・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊) ・東京大学地震研究所公式サイト(ERI) ・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2025/11/13_初稿投稿サイトTOPへ 時代別(順)のご紹介 17世紀生まれの物理学者へ 18世紀生まれの物理学者へ 19世紀生まれの物理学者へ 20世紀生まれの物理学者へ
本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。1.1 設立背景と制度整備震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。【地震研究の主要年表】年出来事関連人物・機関1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉1923年関東大震災内務省震災予防調査会1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC第2章:技術革新と地震学の転機地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。第3章:AI時代の地震研究と未来展望AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。3.2 国際共同研究・データ共有の潮流米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。【用語解説】地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。まとめ東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。参考文献: ・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊) ・東京大学地震研究所公式サイト(ERI) ・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2025/11/13_初稿投稿サイトTOPへ 時代別(順)のご紹介 17世紀生まれの物理学者へ 18世紀生まれの物理学者へ 19世紀生まれの物理学者へ 20世紀生まれの物理学者へ
2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すF. J. Dysonの死 【2020-03-02‗95歳_ノーベル賞 】 (以下全て転載内容)2020-03-02 ・昨日の新聞でF. J. Dysonが亡くなったのを知った。95歳だったという。朝永、Schwinger, Feynmanの量子電磁気学の理論をまとめた理論をつくった人として知られている。同じ年代の物理学者C. N. YangはDysonが上の3人と一緒にノーベル賞をもらえなかったことについて上記3人にだけノーベル賞を授与した委員会の批判的であった。同じ業績に対して3人までの受賞者とするノーベル賞委員会の不文律があるのをC.N. Yangが知らないはずはない。だが、そういう不文律を破ることも、また意味があるくらい量子電磁気学のくりこみ理論に対するDysonの寄与は大きかったとYangは評価していたのだろうと思う。Yangももう高齢だと思うが、彼はまだ生存しているのではないかと思うが、定かではない。Dysonと聞くと、私の妻などはどうも自動で掃除する電気掃除機のようだねと言っていた。最近ではDysonという名前の自動掃除機が販売されている。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すテラー 【2019-08-09‗オッペンハイマー_ダイソン 】 (以下全て転載内容)2019-08-09 ・テラーとは水爆をつくったエドワード・テラーのことである。NHKの昨夜の「フランケンシュタインの誘惑」ではオッペンハイマーを権力の座から追い落して、自分が表にでて、水爆をつくったのはよかったが、オッペンハイマーを追い落とす査問委員会の証言で彼に不利な証言をしたために、その後の科学者社会とのつきあいがなくなって、晩年はとてもさびしかったのではないかとの話であった。ピアノを弾くのが好きであったから、晩年はピアノを弾いて過ごしたという。それでもあからさまにつきあいはなかったかもしれないが、ノーベル賞学者のヤンはテラーの支持でシカゴ大学で学位をとったので、少しはテラーに同情的であった。量子電気力学の業績で知られる、ダイソンもそれほどテラーを嫌ってはいなかったらしい。でも昔からの友だちはみんなテラーから離れてしまったことはたぶん間違いがない。テラーは山登りも好きであった。若いときに、これはたぶんハンガリーにいたときの話だが、電車にはねられて脚を折ったとか聞いている。だから脚がわるかったはずだ。なかなか直観的な理解をする人だとも聴いている。テラーの群論の理解が直観的であったとかヤンの書いた文章で読んだことがある。ただ権力的なところがあり、ちょっと科学者仲間からは人生の途中から大いに敬遠された。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月9日2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すエディトンとチャンドラセカール 【2019-06-21 _星の一生_プリンキピア】 (以下全て転載内容)2019-06-21 ・エディトンとチャンドラセカールとの奇しき因縁を昨夜のNHKのテレビの放送ではじめて知った。エディトンは1916年だったかに観測隊を指揮してアフリカに出かけて、日食のときの星の位置を観測して、それを普通のときの星の位置ときに見える位置と比較して、一般相対性理論の重力による光の曲り方が相対論の予言と一致することを示した。一般相対性理論では3つの実験的検証があるが、そのうちの一つである。ちなみに一般相対論の残り二つの実験的検証は「水星の近日点の移動」と「光のスペクトルの赤方偏移」である。それはさておき、星の一生を研究したエディントンは星の最後は白色矮星になることであると結論した。ところがチャンドラセカールはもし星が太陽の30倍以上の質量をもつと星の最後は白色矮星にはならず、ブラックホールになると予言した。エディントンはこの仮説を認めず、チャンドラをイギリスから追い払った。チャンドラは優秀な人であったから、アメリカに行き、そこでブラックホールとは関係のない,星の研究をしていたが、水爆実験か何かの折に出てくる光か何かの電磁波のスぺクトルが、チャンドラの予言したブラックホールの予想した電磁波のスペクトルに類似しているとの手紙を若い学者から受け取り、約40年前の自分の理論が正しかったことを知るようになった。シカゴの郊外の天文台に勤めていたチャンドラはシカゴ大学の大学院の講義にでかけてきていたが、彼の教えていたクラスからはヤンやリーとかノーベル賞受賞者が続出していたという。その後、彼自身もノーベル賞を受賞した。何年間かあるテーマについてチャンドラは研究するが、そのおしまいに、その分野の研究についてのテクストを書いて、その研究を終わりにするという習慣があった。彼の人生の最後の研究はニュートンのプリンキピアであった。それはプリンキピアの命題を読んで、その証明は読まずに、自分でその命題を証明して、そのあとでプリンキピアの証明を読むという方法である。その本は読んだことはないが、日本語での訳本が講談社から、中村誠太郎訳で出ている。この訳本は定価が1万円以上するもので、1冊公費で購入して大学の在職時代にはもっていたが、退職時に図書館に返却したので、現在は手元にはもっていない。暇ができたら、大学の図書館から借り出して読んでみたいと思っているが、そんな機会が私に来るかどうかはわからない。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月8日2025年11月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すエ―レンフェストの定理 【2016-06-21投稿分_期待値_波束_古典力学】 ・というと量子力学でその位置の期待値から波束が古典力学の運動方程式の形をみたすという定理である。この定理が難しいと思ったことはなかった。が、私自身はこの定理の意義を軽視してきたが、このところその意義に目覚めている。もっともこの計算は学生のときにも苦手だったが、どうもいまでも苦手であることを発見した。学部の4年生になって量子力学のセミナーがはじまり、その初めごろにセミナーでこの計算で立ち往生してしまい、S 先生から叱られたことがあった。その後のセミナーではその汚名を挽回するように努めたけれども。その思い出よみがえってきたのだが、何十年もたってこれくらいの計算はなんてことはないはずなのにやはり苦手である。もっともきちんとやればなんてこともないはずだ。だが、どうも逃げ腰なのがいけないのではないかと思う。きちんと落ち着いてやれば、なんてことはないはずだが、ちょろちょろしてしまう。この姿勢がよくない。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/08_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月8日2025年11月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す伏見康治コレクション3 【2016-05-24投稿分‗伏見康治‗数学セミナー】 ・『物理学者の描く世界像』(日本評論社)に中性子の減速の話題が取り上げられている。これは原子炉内での核分裂で発生した中性子を減速させる話である。伏見康治先生もやはり原爆研究か原子炉の理論の一環として中性子の減速の問題を考えられていたらしい。あまりこれは現在では学問的な内容ではないのかもしれないが、それでも原子炉工学を学ぶときには基礎知識であろうか。数年の間 E 大学工学部で原子力の基礎知識を講義したことがあり、そのときに中性子の減速の数学というか物理を自学自習したことがあった。これは講義をするためには当然のことであった。伏見先生は雑誌「数学セミナー」の編集部の要望に応えて「やはり微積分は役に立った」という記事を3か月にわたってかかれた。それが、この本に掲載されている中性子の減速である。私はこれらの章をまだ読んではいないが、それほど難しい数学も用いていないので、読んでみようかと思っている。私が昔テクストを読んでつくったノートも役に立つかもしれないなどと考えている。などと多寡をくくったことを書いたが、さらにちらっとこの記事をながめたところではどうもノートが役に立つのは連載3回の1回目だけらしい。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/08_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月8日2025年11月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す四元数の流行を下火にした人 【2018-04-10投稿分 ‗ハミルトン‗ギッブス_へヴィーサイド】 2018-04-10 ・最近の四元数のブームではかつて四元数の流行を下火にした人がいたなんて、驚きだろうが、いたのである。これはギッブスというアメリカ人の物理学者とヘヴィーサイドというイギリスの電気工学者であったという。要するに実部(またはスカラー部ともいう)のない四元数の積で出てくる、その四元数の実部と虚部が実は現在ベクトルのスカラー積とベクトル積というモノであり、実は有用なのは四元数そのものではなく、ベクトルの現在スカラー積と言われているものとベクトル積と言われているものとが有用なのだとの深い考察を行って、ベクトルを導入したのがギッブスとへヴィーサイドだと言われている。そうすると、ハミルトンは四元数を発見した、創造性に富んだすごい人だったが、それを展開して、ベクトルを導入し、かつそのスカラー積とベクトル積とが有用なのだという洞察をすることができた、ギッブスとへヴィーサイドとの役割も大切なのだとわかる。もちろん、ハミルトンが四元数を発見しなかったら、その後のいわゆるベクトルとその理論は生まれなかったのだが、ギッブスとヘヴィーサイドとはハミルトンとはちがった役割をもっているのだということがわかる。ギッブスは熱力学でも熱力学ポテンシャルといわれるいくつかの関数を導入して、熱力学の様相を大きく変えたという。ヨーロッパの学者からなかなか認めてもらえなかったが、いまでは優れた物理学者であることが知られている。(2018.4.28付記)ボイヤーの『数学の歴史』を読んでいると、ギッブスの先駆者としてグラースマンがいるそうだが、グラースマンの数学を学んだことがない。いつだったか藤川和男さんが松山に来られて講義をされたときにグラスマン数のことを話されたことぐらいしか覚えていない。最近では金谷健一さんの『幾何学と代数系』(森北出版)でグラースマンの数学を学ぶことができるだろう。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/08_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月8日2025年11月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すcleverな人よりもwiseな人を 【2017-04-28投稿分 ‗湯川秀樹_ボルン】 ・というのは量子力学の行列力学のversionの建設に貢献した、M. Bornの書いた文章が出典であろう。このBornの文章を読んで、湯川秀樹が「cleverな人よりもwiseな人を」という考えを日本の一般に紹介したと思っている。ところが『遠山啓』(太郎次郎社エディタス)の遠山の退官記念講義で「cleverな人よりもwiseな人を」という話が話されている。これは遠山が湯川の話をどこかで読んで、つまみ食いしたというふうに考えるよりは遠山も同じBornの話を独立に読んでいたのであろうと私は考えている。Bornがどういうふうに言っていたのか湯川は詳しく紹介していたはずだが、記憶は確かではない。たぶん、Bornのまわりで学んだ若者はみんな原爆をつくる指揮をしたオッペンハイマーOppenheimerや原爆をつくることには失敗したHeisenbergも含めて優秀な人材であった。だが、Bornは「彼らがcleverであるよりも知恵のあるwiseな人であってほしかった」というような回想をしていたと思う。そのBornの回想を湯川は読んで雑誌「自然」だったかで紹介していた。ちなみにHeisenbergは量子力学の行列力学versionの端緒を与える研究をしたことで有名だが、自分の考案した算法が行列と数学でよばれるものだとは知らなかったらしい。彼の考案した奇妙な算法が実は数学で行列(マトリックス)と呼ばれる算法であることに気がついて行列力学を体系づけた功績はBornとJordanである。量子化条件と呼ばれている、位置座標と運動量の間の交換関係を導いたのもBornとJordanだと言われている。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/08_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月8日2025年11月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す・遠山啓さんの心配 【2017-04-26投稿分‗水道方式_武谷三男】 ・東京工業大学に勤めていた遠山さんは若いときにレッドパージにかかって大学を辞めさせられるのではないかと心配をしていたときがあったと知った。彼は狭い意味での政治的な人ではまったくないが、その算数教育の方針が時の文部省の方針に反していたので、そのための心配を密かにしていたのだろう。それで、もしレッドパージにかかって大学を辞めなければならなくなったとしたら、文筆で生きていく覚悟をしていたとはなかなか悲壮である。そのことは実際には起こらなかったのだが、それでも算数教育では彼と数学教育協議会のメンバーたちが考案した「水道方式」と「量の理論」とは数学教育に一石を投じることとなった。結局のところ、その教育のしかたが文部省の方針よりも合理的で多くの子どもたちの算数教育に有用であったためにときの政府の介入をもはねのけて、いまではどの算数の教科書も数学教育協議会の教えた方を少なくとも部分的には取り入れるというふうになっている。これで想起するのは戦後の一時期だが、やはり武谷三男がある種のジャーナリストとして文筆で生計を立てていたという事実である。武谷は1953年に立教大学に勤めるまで、大学卒業後、およそ19年にわたって、大学とか研究所に勤めることも会社に勤めることもできなかった。そのための後遺症は長く武谷に残っており、武谷に批判的な人にはその事実の重さがわかっていない、大きな事実だと思う。その不幸にもかかわらず、武谷が物理学者として生き残れたのはあるいは奇跡だというべきかもしれない。遠山は武谷ほどその旗幟が鮮明ではなかったから、大学から追われることはなかった。しかし、レッドパージの覚悟をしていたとは、戦後の政治状況の様子の一環が読みとれる。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/08_初版投稿サイトTOPへ
2025年11月8日2025年11月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す数学・物理通信6-3を発行 【2016-03-19投稿分_周期ポテンシャル_井戸型ポテンシャル】 さっき、ようやく『数学・物理通信』の6巻3号を発行した。インターネットのサイトで見て下さる方は数日したら、谷村先生が掲載して下さるであろうから、数日は待たれる必要があろう。今回は友人の E さんの相対論の話が出ている。彼の講義ノートは数百ページのものらしいが、それを20ページ前後に要約したものとなっている。さすがにこの分野の専門家なのでやはり随所に独自性が現れているが、それでもその長さから数学の部分の詳しい説明はないので、ちょっと説明が欲しい気もしたが、これはこれでそれなりによくできた要約だと思っている。それと S さんの周期ポテンシャルの量子力学のシリーズがはじまった。私も大学院の講義でこの周期的ポテンシャルをあつかったことがあるが、その周期的ポテンシャルとしてはいわゆるKronig-Pennyのモデルしか扱ったことがない。周期的ポテンシャル1次元の問題だが、結構難しいところがある。私は関心があったのは、量子状態で離散的なエネルギー準位から、周期的ポテンシャルになるとそのエネルギーの幅が生じて最後には固体の量子理論としてのエネルギーのバンド構造ができるところのうつりかわりである。素粒子のレプトンの質量準位が二重構造をなしているのではないかというような予想を立てたりして、それを導こうと考えたりしたこともあった。これはうまくいかないことは明らかかもしれないけれど。レプトンのe, \myu, \tauはニュートリノと合わせてdoubletにはなっているが、質量準位は二重構造にはなっていない。二つの井戸をもつポテンシャルとして有名なのはアンモニアの二つの井戸ポテンシャルがあり、スペクトルが二重線になっていたのだったかどうかもう忘れてしまった。そんなことを周期的ポテンシャルから思い出している。 〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/08_初版投稿サイトTOPへ