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ダニエル・ベルヌーイ【1700年2月8日生まれ‐3/17改訂】

パリの夕暮れ

こんにちはコウジです。「ベルヌーィ」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
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それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1700年2月8日生まれ ~ 1782年3月17日没】


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 ベルヌーイ一族

ダニエル・ベルヌーイの名前で

ダニエルって大事です。科学史

に詳しい人ならピンと来るの

ですが、ベルヌーイ一族は沢山、

科学史に出てきます。

3世代で8人が著名人です。


先ず、今回取り上げたダニエルはスイスに生まれ

3兄弟で、全て物理学者・数学者です。

また、ダニエルの父の世代にも何人かの

学者が居るようで、ダニエルの叔父の仕事を父が

引継ぐ場面もあったようです。

 

 ダニエルベルヌーイとその父

また、こんな事もありました。

1734年のパリ・アカデミー大賞で

父のヨハンと息子のダニエルが

同時に賞を受賞した事が父の名誉

を傷つけダニエルはベルヌーイ家

から出入り禁止の扱いを受けます。

父は死ぬまでダニエルを恨んで

いました。有名なダニエルの

流体力学に関する著作でヨハンによる

盗用もあったようです。家名が重い故に、

ヨハンは名誉で目がくらみ、良識を忘れています

 

そんな事もありましたが、ダニエルは研究を続け、

パリ・アカデミー大賞の受賞も10回になったようです。

何よりニュートン力学と数学を考え

合わせ「流体力学」を発展させました。

非粘性流体に対する「ベルヌーイの法則」は有益で、

変形する物体にニュートン力学の適用範囲を広めています。

そうした仕事は船舶の運航等に大変、役立ちました。

 

 

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(2021年8月時点での対応英文)

Daniel is important in the name of Daniel Bernoulli. If you are familiar with the history of science, it will come to you, but there are many Bernoulli families in the history of science. Eight people are celebrities in three generations.

First of all, Daniel, who was born in Switzerland, has three brothers, all of whom are physicists and mathematicians.

Also, it seems that there are some scholars in Daniel’s father’s generation, and there was a scene where his father took over the work of Daniel’s uncle.

Also, there was such a thing.

The simultaneous award of his father Johann and his son Daniel at the 1734 Paris Academy Awards hurts his father’s honor and Daniel is banned from the Bernoulli family.

His father had a grudge against Daniel until his death. It seems that there was plagiarism by Johann in the famous work on fluid dynamics of Daniel. Because of his heavy family name, Johann is dazzled by honor and forgets good sense.

However, Daniel continued his research and seems to have won the Paris Academy Awards 10 times. Above all, he developed “fluid mechanics” by considering Newtonian mechanics and mathematics.

“Bernoulli’s principle” for non-viscous fluids is useful and extends Newtonian mechanics to deforming objects.

Such work was very useful for the operation of ships.

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H・アルプレヒト・ベーテ
【1906年7月2日‐4/16改訂】

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こんにちはコウジです。「ハンズべーテ」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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【1906年7月2日~2005年3月6日没】


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イギリスに逃れたベーテ

ベーテはユダヤ系なのでナチス政権下で

苦労します。国を追われイギリスに逃れ、

マンチェスター大学で職を得ます。

第二次大戦の間はオッペンハイマー

招きでUCB(カリフォルニア大バークレー校)

の特別会議に参加します。そこでは核兵器の

開発が始められ、ロスアラモス研究所が

出来るとベーテは理論部門の監督を務めます。

戦後はトルーマン大統領が水素爆弾の開発

を断行した流れでベーテは引き続き開発

において重要な役割を果たします。

ベーテの提唱した星の進化

その他、ベーテの業績としては大きく二点があげられると思います。一つは恒星の内部で核融合反応が起きうると指摘をして、重力と釣り合う内側からの力を考えたことです。星の進化を考える時に超高圧下で起こりうる現象を予見したのです。現在考えられている進化過程でベーテの考え方は不可欠です。大まかに星の進化を考えていくと「万有引力でガスや、チリが集まっていき、段々に中心方向に向かって『まとまり』が出来てきてまとまりの質量がどんどん増えていくのですが、この時に星の内部で内部で核融合反応が起きて外側方向に広がる力が働き、万有引力で集まる力と内部から核反応で外側へ広がっていく力がつりあう」と考えられています。そして、重量が増えていき星の進化が進むと恒星として光を発するようになり、白色矮星、ブラックホールの段階を踏むだろうと考えます。地球や木星などの光っていない星は現在内部からの核融合の膨張と、内部への引力でが釣り合っている状態です。また星の話とは別に、加速器で実現される様々な現象を説明していく内に超高圧下・超高温下で起こり得る原子核の崩壊状態をベーテは理論立てて説明して新たな知見としました。

ベーテとラムシフト

また、ベーテのもう一つの業績は
量子電磁気学に繋がっていくラムシフト
を非相対論的に厳密に突き詰めていって
極めて正確な計算をしていったのです。
この面でファインマンは弟子にあたります。

ベーテは大変な時代を生きた偉大な理論家でした。

「原子核反応理論への貢献、特に星の内部

におけるエネルギー生成に関する発見」で

ノーベル賞を受けています。

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2020/11/23_初版投稿
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(2021年11月時点での対応英訳)

Bethe fled to England

Bethe is of Jewish descent, so he has a hard time under the Nazi regime. He was driven out of the country and fled to England to get a job at the University of Manchester. He attends a special UCB (University of California, Berkeley) conference at the invitation of Oppenheimer during World War II. Bethe will oversee the theory department when the development of nuclear weapons begins there and the Los Alamos National Laboratory is established. After the war, Bethe continued to play an important role in the development of the hydrogen bomb as President Truman decided to develop it.

Bethe’s advocated evolution of stars

In addition, I think there are two major achievements of Bethe. One is to point out that a fusion reaction can occur inside a star, and to consider the internal force that balances gravity. When he considered the evolution of stars, he foresaw possible phenomena under ultra-high pressure. Bethe’s thinking is indispensable in the evolutionary process currently being considered. Roughly thinking about the evolution of stars, “(1) gas and dust gather with universal gravitation, and gradually” cohesion “is formed toward the center, and (2) the mass of the cohesiveness increases steadily. At this time, (3) a nuclear fusion reaction occurs inside the star and the force that spreads outward works, and (4) the force that gathers by universal gravitation and the force that spreads from the inside to the outside by the nuclear reaction are balanced. ” Then, as the weight increases and the evolution of the star progresses, it will emit light as a star, and I think that it will go through the stages of white dwarfs and black holes. Non-shining stars such as Earth and Jupiter are currently in a state where the expansion of nuclear fusion from the inside and the attractive force to the inside are in balance. In addition to the story of stars, Bethe theoretically explained the decay state of atomic nuclei that can occur under ultra-high pressure and ultra-high temperature while explaining various phenomena realized by accelerators, and made new knowledge. bottom.

Bethe and Lamb shift

In addition, Bethe’s other achievement was to rigorously and non-relativistically scrutinize the Lamb shift that leads to quantum electrodynamics, and to perform extremely accurate calculations. Feynman is his disciple in this respect.

Bethe was a great theorist who lived in difficult times. He has received the Nobel Prize for his “his contributions to his theory of nuclear reactions, especially his discoveries of energy generation inside the stars.”

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コリン・マクローリン
【1698年2月‐4/16改訂】

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【1698年2月 ~ 1746年6月14日】


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 マクローリンについて

マクローリンの名を耳にするのは

数学の講義ではないでしょうか。

物理学者というよりも数学者ですが

一昔前の物理学と数学は境目があいまいでした。

その名を全て記すとコリン・マクローリン

(Colin Maclaurin)です。

Wikipedeaで「マクローリン」という言葉だけで検索したら
ロボットアニメが出てきたりしますが、
「マクローリン展開」で検索すると一発です。
  

マクローリンの業績について

クローリンは特に彼の名にちなんだ展開で有名です。
その内容は「0を中心としたテイラー展開」であって、
とても特別な場合なのですが
その有益性は非常に大きいのです。
その有益性は単純な私達では思い付かなかったでしょう。

込み入った話をすると、マクローリンが定式化した
数学的な定式化は「任意の関数の級数への分解」です。
任意の関数が持つ変化率を、
1次成分の寄与、2次成分の寄与、3時成分の寄与、、、
と分けて表現していくのです。

 

マクローリンと残した仕事 

 マクローリンは英スコットランドに生まれました。
ニュートン_と仕事をする中で彼の信頼を得て、
大学への推薦状を書いてもらう程でした。

マクローリン自身もニュートン_の考えに惚れ込んでいて、
ニュートンの紹介を目的として出版活動をしていました。
こうした仕事を通じてスコットランド啓蒙運動
に勤しんだ【いそしんだ】のです。

多くの人は高校時代以降に数学を使わなくなるでしょうが、
実生活の中で数学の世界はとても役に立っています。
特に、今回ご紹介しているマクローリンの考えは
一般関数の級数展開といった考えにつながり、
その考えは最終的にデジタル回路における近似処理
に繋がるのです。スマホの中とかの回路での処理原理です。
一般の人は意識しませんが恩恵を受けています。

理工学系の過程に進む初学者は出来るだけ

数学と産業のつながりを意識して下さい。

一見関係ないように思える数学の世界も、その概念を

土台として現代の応用技術が成り立っているのです。

無意味無乾燥に思える講義の内容が

貴方の人生で思わぬ成果を生む場合があります。

〆最後に〆

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2020/11/06_初稿投稿
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(2021年8月時点での対応英訳)

About McLaughlin

Isn’t it a math lecture that you hear the name of McLaughlin? He is a mathematician rather than a physicist, but a decade ago physics and mathematics had a vague line. The name is Colin Maclaurin.

If you search for “Macroline” in Wikipedea, you will see robot animation, but if you search for “Macroline expansion”, it will be one shot.
Twice

About McLaughlin’s achievements

McLaughlin is especially famous for his developments. The content is “Taylor development centered on 0”, which is a very special case, but its usefulness is very great. Its benefits would not have come to our minds simply.

To put it in a complicated way, the mathematical formulation that McLaughlin formulated is “decomposition of an arbitrary function into a series”. The rate of change of an arbitrary function is expressed separately as the contribution of the primary component, the contribution of the secondary component, the contribution of the 3 o’clock component, and so on.

Work left with McLaughlin

McLaughlin was born in Scotland, England.
While working with Newton, he gained his trust and even got a letter of recommendation to the university. McLaughlin himself fell in love with Newton’s ideas and was publishing for the purpose of introducing Newton. Through these jobs, I worked for the Scottish Enlightenment Movement.

Many people will stop using math after high school, but the world of math is very useful in real life. In particular, the idea of ​​McLaughlin introduced this time leads to the idea of ​​series expansion of general functions, and that idea eventually leads to the approximation processing in digital circuits. It is a processing principle in a circuit such as in a smartphone. The general public is not aware of it, but they are benefiting from it. Beginners who advance to the science and engineering process should be aware of the connection between mathematics and industry as much as possible.

Even in the world of mathematics, which seems unrelated at first glance, modern applied technology is based on that concept. The content of a lecture that seems meaningless and dry may produce unexpected results in your life.

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朝永 振一郎
【1906年3月31日生まれ‐4/15改訂】

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【1906年3月31日生まれ ~ 1979年7月8日没】

【↑_Credit:Wikipedia】


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朝永振一郎の生い立ち

朝永振一郎は私が使っていた教科書

【Diracの「量子力学」】の訳者でした。

そのご先祖様は大村藩

(現在の長崎県内にありました)の流れをくみます。

そして、そんな朝永振一郎の父は

京都大学哲学科教授でした。

そんな生い立ちをもった、

朝永振一郎は現在の筑波大学の前身

となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、

最終的には学長を務めます。

東京に生まれ京都で育ち、

世界で議論しました。

 

朝永振一郎の業績

朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大

であると思えるのは繰り込み理論です。

ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる

不可思議な模式図でも表現される

素粒子の反応がありますが、

そこでの過程における

数学的矛盾を見事に説明しています。

ファインマンの経路積分にも数学的な

美点を感じますが朝永振一郎の理論の方が

直感に訴える説得力を持っています。

好みといえば好みの問題ですが、

発散・∞という大問題に対して

ラムシフトを正しく吟味して相対論的に

計算が出来た時に一瞬にして話が繋がり

感覚的に「正しかったんだ」と思えるのです。

朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、

素粒子物理学が大きく進歩したのです。

朝永振一郎はまた晩年、大学入学以前の

若者に対し科学的な啓蒙を進めていました

最後に、朝永振一郎は湯川秀樹

京都大学で同期でした。それぞれの形で

当時の物理学で完成形を作り上げたのです。

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The background of Shinichiro Tomonaga

Shinichiro Tomonaga was the translator of the textbook I was using [Dirac’s “Quantum Mechanics”]. Its ancestors follow the flow of the Omura domain (currently in Nagasaki prefecture). And Shinichiro Tomonaga’s father was a professor of philosophy at Kyoto University. With such a background, Shinichiro Tomonaga teaches at Tokyo University of Education, the predecessor of the current University of Tsukuba, and eventually becomes the president. He was born in Tokyo, raised in Kyoto, and discussed around the world.

Achievements of Shinichiro Tomonaga

The greatest research achievement of Shinichiro Tomonaga is the renormalization theory. There is a reaction of elementary particles that is also expressed in a mysterious schematic diagram called the Feynman diagram, but it explains the mathematical contradiction in the process. Feynman’s path integral also has a mathematical beauty, but Shinichiro Tomonaga’s theory is more intuitive and convincing.

Speaking of taste, it is a matter of taste, but when the Lamb shift is correctly examined for the big problem of divergence and ∞ and the calculation can be done relativistically, the story is connected in an instant and it seems that it was “correct” sensuously. is. With the understanding of Shinichiro Tomonaga, quantum electrodynamics was organized and particle physics made great progress. Shinichiro Tomonaga also promoted scientific enlightenment for young people before entering university in his later years.

Finally, Shinichiro Tomonaga was in sync with Hideki Yukawa at Kyoto University. Each form was completed by the physics of the time.

 

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P・V・ミュッセンブルーク
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ライデン瓶を考案したミュッセンブルーク

その名はピーテル・ファン・ミュッセンブルーク

;Pieter van Musschenbroek。

ライデン瓶の発明で知られているオランダの物理学者です。

ポンプや顕微鏡、望遠鏡を作る職人の子として生まれます。

何より、最初の蓄電器であるライデン瓶

を作ったことで知られています。

ラテン語学校でギリシア語・ラテン語・フランス語・英語、ドイツ語などを学んだ後にライデン大学で医学博士となります。当時の学識の付け方は今と大きく異なっていたようですね。そして、ロンドンで当時の大物である物理学者ニュートンの講義を受けています。

その後、ミュッセンブルークは数学、哲学、医学、占星術の教授を歴任します。占星術は当時の教養の中で合理的な学問体系であると考えられていて、少し前の時代には王家に使えていたノストラダムスが天文学と占星術を修めていたという史実もあります。そして、ミュッセンブルークが1726年に刊行した「Elementa Physica」では広くニュートンの理論をヨーロッパに広めています。

 ミュッセンブルークと帯電現象の理解

その後、

静電気の力を中心にミュッセンブルークは関心を深め、

ガラス瓶の中に充満した水の中で帯電した棒が

反発しあう現象を形にします。非常に効果的な装置で

水の中で実験を行うことで、重力の効果を浮力の

効果を打ち消して微細な反発力をとらえられます。

また、支点を介した二つの棒が重力と直角方向に

開いていくので開いた角度がθの時に重力の分力が

Sinθで考えられるのです。

数学上、θが0の近傍ではSinθが殆ど0なのです。

理論で期待される効果が目視で確認できます。

浮力が重力を打ち消す効果と分力でSinθだけ考えればよい

事情が相まって電気による微細な反発力が目に見える

効果として現れます。開き角度が狭い時点では

殆ど重力の効果がない形で

帯電に起因する力が可視化出来るのです。

 

それまで帯電棒をこすり続けたりしなければ

示せなかった「静電容量に起因する力」が

ミュッセンブルークによって示されました。

後の電磁気学の発展に繋がっていきます。

確かな一歩が残されたと言えるでしょう。

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About Musschenbrook 

Its name is Pieter van Musschenbrook

; Pieter van Musschenbroek.

Musschenbruck is a Dutch physicist known for the invention of the Leyden jar. He is born as a child of a craftsman who makes pumps, microscopes and telescopes. He is best known for making his first capacitor, the Leyden jar.

He will become a Doctor of Medicine at Leiden University after studying Greek, Latin, French, English, German, etc. at a Latin school. It seems that his way of learning at that time was very different from what he is now. And he is taking a lecture in London by the then-big physicist Newton.

After that, Musschenbrook was a professor of mathematics, philosophy, medicine and astrology. Astrology is considered to be a rational academic system in the culture of the time, and there is a historical fact that Nostradamus, who was used for the royal family a while ago, studied astronomy and astrology. And in “Elementa Physica” published by Musschenbrook in 1726, Newton’s theory is widely spread in Europe.

Method of Musschenbrook

After that, Musschenbrook deepened his interest around the force of static electricity, and formed a phenomenon in which charged rods repel each other in the water filled in a glass bottle. By conducting experiments in water with a very effective device, the effect of gravity can be canceled by buoyancy and a minute repulsive force can be captured.

Also, since the two rods that pass through the fulcrum open in the direction perpendicular to gravity, the component force of gravity can be considered in Sinθ when the opening angle is θ.

Mathematically, Sin θ is almost 0 near θ of 0.

You can visually confirm the effect expected in theory.

The effect of buoyancy canceling gravity and the fact that only Sinθ needs to be considered as a component force combine to make a minute repulsive force due to electricity appear as a visible effect. When the opening angle is narrow, the force caused by charging can be visualized with almost no effect of gravity.

Work of Musschenbrook

Musschenbrook showed the “force due to capacitance” that could only be shown by rubbing the charging rod until then. It will lead to the later development of electromagnetism.

It can be said that Musschenbrook has left a solid step.

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J・R・オッペンハイマー
【1904年4月22日生まれ-4/14改定】

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 原爆の父オッペンハイマー

オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面

ありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)

では学生からオッピーという愛称で呼ばれていた

側面もありました。オッペンハイマーの人生は

喜怒哀楽に満ちています。

オッペンハイマーの人生を考えるにあたり、

第一の着眼点としては彼もユダヤ系の血を

引いているという点です。ヒットラーが民族としての

ユダヤ人達に焦点を当て迫害し、敵視していた現実は

動かしがたい事実です。強制収容所に連行

されるような世相の中でユダヤ人達は非常な

危機感を感じていたはずです。その危機感の中で

20世紀初頭の歴史は、天才達が育ち・団結して

新しい物を生み出していたのではないでしょうか。

そんな時代に兵器製造の行為は肯定される話

ではないのですが、当時の論客もユダヤ人迫害

から話を初めて、マンハッタン計画に進む流れ

を紹介していき、大衆に納得し易い話を組み立て

られたでしょう。

ユダヤ系の物理学者達

それ以降100年近くがたとうとしていますが、この考えは幾多の人が繰り広げてきたのではないかと思えますが、再度、私も強調します。具体的な物理の世界での登場人物はアインシュタイン 、シュテルンマックス・ボルンD・J・ボーム 、E・パウリ 、ランダウファインマン

そして今回ご紹介するオッペンハイマーです。(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、思い付くたびに補記します。)
そうしたメンバーがもたらした今世紀初頭の物理学の進展は急速でした。その進展は物理学に留まらず、工学、産業、果ては政治体制に繋がっていきました。1917年ロシア革命に始まった社会体制の変化とも同期していた、と言えるのでは無いでしょうか。今世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって大きく様変わりしていたと思えます。そして、昨今コロナで不満が高まり、米中関係が緊張していく世相は、やもすれば危ない世界に近づいてるようにも思えます。各人で理性的な判断・発言をしましょう。今、方向付けが重要です。

 オッペンハイマーの関心

さて実際、オッパンハイマーは最終的に

6つの言葉を操ります。少年時代には

鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し

ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学

します。そこから理論物理学のゲッティンゲン大学

に進みボルンと出会います。オッペンハイマーは

ボルンの指導の下で研究を進め共同で

ボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。

その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学や

UCBで教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴い、

オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の

初代所長に任命されます。そこで原爆を開発したのです。

この仕事は、世界のパワー・バランスを変え、

後の世界を大きく変えました。

晩年のオッペンハイマー

晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが、それ以後の時代では原爆を使わなくても各国が持つだけで攻撃対象とされたりしますし、外交で原爆が脅迫の道具として使われていたりします。

そういったことにつながった発明を

オッペンハイマーは「罪」として捉えていて、

水爆の開発には反対していたりもしました。

オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。

オッペンハイマーの時代はは冷戦時代なので

学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、

最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。

常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)

の監視下にあったのです。1965年、

がんの為にニュージャージーの自宅で

静かに生涯を終えました。合掌。

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(2021年10月時点での対応英訳)

Atomic bomb father Oppenheimer

Oppenheimer was sometimes called the father of the atomic bomb, but at UCB (University of California, Berkeley), he was also nicknamed Oppenheim by students. Oppenheimer’s life is full of emotions. When thinking about Oppenheimer’s life, the first point to look at is that he also has Jewish blood. The reality that Hitler focused on and persecuted the Jews as an ethnic group and was hostile to them is an immovable fact. The Jews must have felt a great sense of crisis in the world of being taken to concentration camps. In that sense of crisis, the history of the early 20th century may have been that geniuses grew up and united to create new things. The act of manufacturing weapons is not affirmed in such an era, but the debaters at that time also started talking about the persecution of Jews and introduced the flow to the Manhattan Project, and assembled a story that is easy for the public to understand. Probably.

Jewish physicists

Almost 100 years have passed since then, and I suspect that many people have developed this idea, but I would like to emphasize it again. The characters in the concrete world of physics are Einstein, Stern, Max Born, DJ Baume, E. Pauli, Landau, Feynman,

And this is Oppenheimer. (I can only think of it here now, but I will add it later whenever I come up with it.) The progress of physics at the beginning of this century brought about by such members was rapid. Its progress went beyond physics to engineering, industry, and even the political system. It can be said that it was in sync with the changes in the social system that began in the Russian Revolution in 1917. It seems that the feeling of obstruction at the beginning of this century was greatly changed by various efforts to overcome it. And it seems that the world, where dissatisfaction with Corona has increased and US-China relations have become tense these days, is approaching a dangerous world. Let’s make rational judgments and remarks by each person. Direction is important now.

Oppenheimer’s interest

Well, in fact, Oppanheimer finally manipulates six words. As a boy, he became interested in mineralogy, mathematics, geology and chemistry, finishing Harvard in three years and studying abroad in Cambridge. From there he goes to the University of Göttingen in theoretical physics and meets Born. Oppenheimer conducts research under the guidance of Born and jointly achieves achievements such as the Born-Oppenheimer approximation. He then returned to the United States to teach at the California Institute of Technology and UCB, but with the outbreak of World War II, Oppenheimer was appointed as the first director of the Los Alamos National Laboratory. So he developed the atomic bomb. This work changed the power balance of the world and changed the world later.

Oppenheimer in his later years

In his later years, Oppenheimer asked himself what the work he had accomplished and even left a word of regret. It was judged that the development and use of the atomic bomb during the war was necessary in the United States as a country, but in the subsequent era, even if each country did not use the atomic bomb, it would be the target of attack, and diplomacy. The atomic bomb is used as a threatening tool. Oppenheimer saw the invention that led to that as a “sin,” and he even opposed the development of the hydrogen bomb.

Oppenheimer also has another sin (?). Since Oppenheimer’s era was the Cold War era, he was pointed out that he had a connection with the Communist Party since he was a student, and eventually continued to be the target of the Red Scare. He was always under the supervision of the FBI (Federal Bureau of Investigation under the Department of Justice). In 1965, he quietly ended his life at his home in New Jersey because of cancer. Gassho.

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アイザック・ニュートン
【1642年12月25日-4/14改定】

こんにちはコウジです。「ニュートン」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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【1642年12月25日 ~ 1727年3月20日】


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物理学を変えたニュートン

物理学でのパラダイムシフトを語るうえで

外せない人物が、このニュートンでしょう。

物理学に於いてそれまでの常識を覆しました。

数学を駆使して物理学を大きく変えています。

今では世界で彼の名を冠した

科学関係の雑誌が刊行されている程です。

多くの人がその名と業績を知っています。

イギリスで生まれたニュートンは

ケンブリッジでアイザック・バロー

に師事し研究をしていきます。

家庭的に問題を抱えていたことに加え

ニュートンは体も小さく体力も無かった為に

紆余曲折の下でアイザック・バロー教授と

出会ったのです。特に大きな転機

となったのは学位を習得する時期に

ペストがヨーロッパ中に大きな被害をもたらし、

ケンブリッジも封鎖された時期があったのです。

その時期にニュートンは地元に戻り

思索の時間を多くとれたのです。その時間が

1665年の万有引力発見に繋がります。

ニュートンの業績 

ニュートンが示したものは大きいのです。

力が「相互作用」であって小さなリンゴと大きな地球が

相互作用するように、全ての物質が相互に作用して、

互いに引き合う事象を見出しました。

ニュートンの著書「プリンキピア」の中で法則として

体系化しました。その数学的定式化として

微分の考え方を使って洗練された形を残し、

その後の学問の発展に大きな基礎を築いています。

ニュートンの足跡 

何年もの後にマッハが「力学の哲学的批判史」の中で

ニュートンの空間概念を批判しますが、

それもニュートンの整理・確立した空間概念、

慣性の法則、などがあって

初めて気づき得る話なのです。

 

その他、ニュートンの業績は光学、微積分学、と

尽きませんが空間・時間・力を明確に定式化した点が

後世の我々にとっても、物理学にとっても

何より大きいと思えます。ニュートンは

人々の物に対する考え方を大きく変えました。

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(2021年8月時点での対応英訳)

The Newton

This Newton is a must-have person when talking about the paradigm shift in physics.Newton overturned conventional wisdom in physics. He uses mathematics to make a big difference in physics.

Nowadays, science magazines bearing his name have been published in the world. Many know the name and his achievements. Born in England, Newton will study under Isaac Barrow in Cambridge. In addition to having problems at home, Newton met Professor Isaac Barrow under twists and turns because he was small and weak. A particularly big turning point was when the plague caused great damage throughout Europe during his bachelor’s degree and Cambridge was also blocked. At that time Newton returned to his hometown and had more time to think about him. That time will lead to the discovery of universal gravitation in 1665.

Newton’s Work

What Newton has shown is great. He found that all matter interact and attract each other, just as forces are “interactions” and small apples and large earths interact.

It was systematized as a law in Newton’s book “Principia”. He used his idea of ​​differentiation as his mathematical formulation to leave a sophisticated form, laying a great foundation for the subsequent development of scholarship.

Newton’s Footprint

Years later, Mach criticizes Newton’s concept of space in “History of Philosophical Criticism of Mechanics”, but it is a story that can only be noticed with Newton’s organized and established concept of space, the law of inertia, etc. It is.

In addition, Newton’s achievements are not limited to optics and calculus, but the fact that space, time, and force are clearly formulated seems to be greater for us in posterity and for physics. Newton has changed the way people think about things.

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ウィリアム・ローレンス・ブラッグ【1890年3月31日 ~ 1971年7月1日】


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ブラッグの名前を英語でつづるとWilliam Lawrence Braggです。結晶によるX線回折についての法則「ブラッグの法則」でよく知られているオーストラリア生まれの物理学者です。英連邦から英国本国で学んで研究を進めた物理学者はラザフォード(ニュージーランド出身)が思い浮かびますが、ブラッグの場合はお父様と一緒にイギリスへ移住しています。ローレンスは優秀で14歳でアデレード大学に進学します。渡英後の1909年の秋には無試験で数学の奨学金を得てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学します。1911年に首席で物理学科を卒業。1914年にはトリニティ・カレッジのフェローシップに選ばれています。トリニティ・カレッジでのフェローシップでは論文の提出や試問に関わる自然科学系の受賞者として史上最年少記録として語り継がれています。

息子であるローレンス・ブラッグはエックス線を結晶格子にあてて、格子を構成する原子をX線が回折する様子を思いつきました。つまり個々の粒子にX線が当たった時に光子が入射方向と角度をもって回折されていく様子をイメージできたのです。個々の粒子が結晶構造を持っていたとしたら原子配置に応じて反射波は特定のパターンを描くはずであると分析したのです。結晶パターンに従って回折したX線ビームの「透過後のパターン」を計測して結晶内の原子の配置を算出(推定)するアイデアを父であるヘンリー・ブラッグに話しました。父ヘンリーはリーズ大学で息子ローレンスのアイディアを使いX線分光計を開発したのです。開発した装置が、色々な結晶の分析が可能としました。1915年(息子のローレンスが25歳の時に)父ヘンリー・ブラッグと共にノーベル物理学賞を受賞します。この25歳での受賞は自然科学の分野では現在でも最年少の受賞となっています。非常に悲しい出来事なのですが同年にはローレンスの兄弟がガリポリの戦いで戦死したという悲しい事件もありました。その直後の時期に、親子はノーベル物理学賞受賞の知らせを聞いているのです。

そもそも、ローレンスが5歳の時に3輪車で転び腕を骨折しました。父ヘンリーがその時に、最新情報・ヴィルヘルム・レントゲンによるX線の発見を思い出し、検査に応用したのが始まりです。父ヘンリーの検査事例はオーストラリアでのX線の初の医学的応用となりました。そこから話を親子は計測を発展させて、もっとサイズの小さい結晶構造を考察する道具としてX線を解析の道具としてつかったのです。その家族の歴史がノーベル賞につながったのです。

また一方でローレンスの研究は第一次世界大戦と第二次世界大戦のときに中断されました。戦時下では有能な才能が軍事的に貢献されることが好ましかったのです。ローレンス自身の当時の意向は調べ切れていませんが、それぞれの大戦でローレンスは敵兵器の場所を特定する音響測位法の研究に従事しました。海洋探査の現場で使われる方法で大気中で兵器の位置を測定をしようとしていたようです。第一次大戦の際にはミリタリー・関連の勲章と大英帝国勲章を受けています。また、1916年、1917年、1919年に3回、柏葉敢闘章 (Mentioned in Despatches) を授与されています。

1948年頃にはX線によるタンパク質構造の研究に関心を持ち、物理学の知識を生物学の研究に応用する研究グループを作ることに貢献している。1953年、所長を務めていたキャベンディッシュ研究所でフランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがデオキシリボ核酸 (DNA) の二重らせん構造を発見した際にも重要な役割を演じています。

 

〆最後に〆

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(対応英訳)

Bragg’s name is spelled in English as William Lawrence Bragg. He is an Australian-born physicist well known for Bragg’s Law, the law of X-ray diffraction by crystals. Rutherford (from New Zealand) comes to mind as a physicist who  studied in Britain from the Commonwealth of Nations, but in the case of Bragg, he moved to England with his father. Lawrence is excellent and goes on to the University of Adelaide at the age of 14. In the fall of 1909, after he arrived in the UK, he enrolled in Trinity College, University of Cambridge with an unexamined math scholarship. He graduated from the Department of Physics at the top of his class in 1911. He was selected as a Fellowship at Trinity College in 1914. His fellowship at Trinity College has been handed down as the youngest record in history as a natural science award winner for his dissertation submissions and questions.

His son, Lawrence Bragg, applied X-rays to the crystal lattice and came up with the idea of ​​X-rays diffracting the atoms that make up the lattice. In other words, I was able to imagine how photons are diffracted at an angle and direction of incidence when X-rays hit individual particles. He analyzed that if each particle had a crystal structure, the reflected wave should draw a specific pattern depending on the atomic arrangement. He told his father Henry Bragg the idea of ​​measuring (estimating) the arrangement of atoms in a crystal by measuring the “post-transmission pattern” of an X-ray beam diffracted according to the crystal pattern. His father, Henry, developed an X-ray spectrometer at the University of Leeds using the ideas of his son Lawrence. The device he developed made it possible to analyze various crystals. In 1915 (when his son Lawrence was 25) he won the Nobel Prize in Physics with his father Henry Bragg. This 25-year-old award is still the youngest in the field of natural sciences. It was a very sad event, but in the same year there was a sad incident in which the Lawrence brothers died in the Gallipoli Campaign. Immediately after that, parents and children heard the news of receiving the Nobel Prize in Physics.

In the first place, when Lawrence was 5 years old, he fell in a three-wheeled vehicle and broke his arm. At that time, my father Henry remembered the latest information, Wilhelm Röntgen’s discovery of X-rays, and applied it to the examination. The case of his father Henry was the first medical application of X-rays in Australia. From there, parents and children developed measurement and used X-rays as a tool for analysis as a tool for considering smaller crystal structures. The history of the family led to the Nobel Prize.

On the other hand, Lawrence’s research was interrupted during World War I and World War II. During the war, Lawlence was preferred that talented talent contributed to the military. Although Lawrence’s intentions at the time have not been fully investigated, in each war Lawrence was engaged in research on acoustic positioning methods to locate enemy weapons. He seems to have been trying to measure the position of weapons in the atmosphere using the methods used in the field of ocean exploration. He received military and related medals and the Order of the British Empire during World War I. He has also been awarded the Mentioned in Despatches three times in 1916, 1917 and 1919.

Around 1948, he became interested in the study of protein structure by X-rays and contributed to the formation of a research group that applied his knowledge of physics to the study of biology. In 1953, he also played an important role in the discovery of the double helix structure of deoxyribonucleic acid (DNA) by Francis Crick and James Watson at the Cavendish Laboratory, where he was director.

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【1903年12月28日 – 1957年2月8日】


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フォン・ノイマンの生い立ち

ノイマンはハンガリー系のドイツ人でアメリカに亡命します。ハンガリー名ではナイマン・ヤーノシュ:nɒjmɒnˌjɑ̈ːnoʃ、ドイツ名ではヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン:Johannes Ludwig von Neumann, 少年時代から英才教育を受け、ディケンズの小説を一字一句間違えず暗唱していたと言われます。また、車を運転しながら読書していたと言われます。数学・物理学・コンピューター科学で多才な才能を発揮した人で映画のモデルにもなっています。冒頭に掲載した映画作品は
フォン・ノイマンをモデルにしたと言われています。

原子爆弾やコンピューターの開発

フォン・ノイマンは1930年にプリンストンに招かれ、プリンストン高等研究所の所員に選ばれています。因みに、その時に同時にメンバーとして選ばれた一人がアルベルト・アインシュタインでした。戦争へ向かうアメリカで軍事関係の研究を進めます。

特に、フォン・ノイマンはロスアラモス国立研究所でアメリカ合衆国による原子爆弾開発のためのマンハッタン計画に参加します。そして、弾道研究所に関わるENIACのプロジェクトに参加してノイマンもこの電子計算機のプロジェクトを進めていくのです。

ノイマンの別の関心事として衝撃波の伝達の研究分野がありました。所謂FAT・MAN(長崎に投ちたプルトニウム型原子爆弾)のための爆縮レンズを開発していくのです。兵器開発に科学者が関わっていく良い例です。「(効率的に)人を沢山殺そう」という考えと「科学的探究心」は瞬時に置き換える事が出来るのです。

フォンノイマンの考え方を表す言葉

名言として残されている一つをご紹介します。
「思考こそが一次言語であり、
数学は二次言語である。
数学は、思考の上に作られた、
一つの言語に過ぎない。」
実際に物理モデルを構築する前の思考が大事で、それは掴み用の無い物です。幾何学的な図形で抽象的に表現してみたり群論を使って整理してみたりします。見つかった「秩序」を数学的表現で表すのはその後の段階で、さらには大衆に分かるように色々な言葉で肉付けします。物理学者はこの作業を無限に繰り返さなければいけません。そんなノイマンは1955年に骨腫瘍あるいはすい臓がんと診断されました。放射能に関わる研究を重ねた結果でもあります。同僚のエンリコ・フェルミも1954年に骨がんで亡くなっています科学の発展の為に晩年を捧げた人生でした、ご冥福をお祈りいたします。



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The background of von Neumann

Neumann is a Hungarian German who goes into exile in the United States. He is said to have been reciting Dickens’ novels word for word, having been educated as a gifted boy in Hungary for Naiman Janos: nɒjmɒnˌjɑ̈ːnoʃ and in Germany for Johannes Ludwig von Neumann. increase. He is also said to have been reading while driving a car. He is a versatile talent in mathematics, physics and computer science and is also a movie model. The movie work posted at the beginning is
It is said to have been modeled after von Neumann.

Development of atomic bombs and computers

Von Neumann was invited to Princeton in 1930 and was selected as a member of the Princeton Institute for Advanced Study. By the way, one of the members who was selected at the same time was Albert Einstein. He pursues military research in the United States heading for war.

In particular, von Neumann will participate in the United States’ Manhattan Project for the development of an atomic bomb at the Los Alamos National Laboratory. And Neumann will also proceed with this computer project by participating in the ENIAC project related to the Ballistic Research Laboratory.

Another concern of Neumann was the field of study of shock wave transmission. He will develop a detonation lens for the so-called FAT MAN (plutonium-type atomic bomb thrown at Nagasaki). It’s a good example of how scientists get involved in weapons development. The idea of ​​”killing a lot of people (efficiently)” and “scientific inquiry” can be instantly replaced.

A word that expresses the idea of ​​von Neumann

I would like to introduce one that remains as a saying.
“Thinking is the primary language,
Mathematics is a secondary language.
Mathematics was built on thought,
It’s just one language. “

It is important to think before actually building a physical model, which is something that cannot be grasped. Try to express it abstractly with geometric figures or organize it using group theory. The mathematical expression of the found “order” will be expressed later, and will be fleshed out in various words so that the public can understand it. Physicists have to repeat this task indefinitely. Neumann was diagnosed with bone tumor or pancreatic cancer in 1955. He is also the result of his repeated research on radioactivity. His colleague Enrico Fermi also died of bone cancer in 1954. I pray for the souls of his later life for the development of science.

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ロバート・フック【1635年7月28日生まれ‐4/13改訂】

オックスフォード大学(OXFORD)

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【1635年7月28日生まれ ~ 1703年3月3日没】


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ボイルの助手フック

イギリスに生まれたフックは若い時代にボイル

下で実験助手を務め、様々な経験を積みます。

そしてまた、ユークリッドの原論や、光の屈折

など様々な考え方を身に着けていきます。

フックの情報を調べてみると性格的側面で、

人間関係の問題を抱えていったように思われます。

そもそもフックの父は英国国教会の聖職者でした。

2人の兄も聖職者として人生を歩んでいるようです。

フックの美学

そんな家庭で育ったロバート・フックは

科学・数学といった理論の世界で神に通じる

美学を構築していったのではないでしょうか。

宗教的側面は精神的な土台として考慮すべきです。

そこから生まれる高潔な理想と現実世界での不条理が

彼の抱えていた問題だったのです。

数学で「問題の壁を乗り越えた時の感動」や

「誰の手も借りずに新しい発見をした時」の

感謝は完全に人に伝えられない部分だと思えます。

そこで感動の共有が出来なかったとしたら、

フックはきっと孤独を感じたのです。



この紹介を書くにあたり調べ直してみた所、最終的にフックは寂しい人生を送っています。フックには子孫が居ませんでした。また、同時代のニュートンに比べ業績は見劣りします。年配のフックをニュートンは敬っていたようですが最後はどうしても論戦になり、科学的な思考の深さと明快な視点で反論されてしまったのでしょう。

とはいえ、その業績は特筆に値します。

フックの業績 

有名な仕事はバネでの、フックの法則です。

ばねに働く力が長さの一乗に比例するという法則は

非常に明快で今でも色々な分野に応用されています。

また、惑星間に働く力が距離のマイナス2乗に働く

という法則もフックの発案であるという主張もありました。

もはや今となっては真相は不明です。

理論として体系立てることも大事ですが

先ずは気付きを与えるという事も大事です。

その意味でフックは議論をしてたというだけで

素晴らしいと感じます。

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(2021/8//3時点での対応英文)

Hook in yonger Days

Born in England, Hook worked as an experimental assistant under Boyle when he was young and gained a lot of experience. And again, he learns various ideas such as Euclid’s Elements and refraction of light. Looking at Hook’s information, he seems to have had a relationship problem on the personality side. In the first place, Hook’s father was a priest of the Anglican Church.

It seems that the two older brothers are also living their lives as priests. .. Robert Hooke, who grew up in such a family, may have built a divine aesthetic in the world of theory such as science and mathematics. Religious aspects should be considered as a spiritual foundation.

noble ideals and Hook

The noble ideals and absurdities of the real world that emerged from it were his problems. In mathematics, gratitude for “impression when overcoming a problem wall” and “when making a new discovery without the help of anyone” seems to be a part that cannot be completely conveyed to people. If you couldn’t share the excitement there,

Hook must have felt lonely. After re-examining it when writing this introduction, Hook is finally living a lonely life. Hook had no descendants. Also, his achievements are inferior to his contemporaries Newton. It seems that Newton respected the elderly Hook, but in the end it was a debate, and he would have been argued with his depth of scientific thinking and a clear perspective.

Hook’s Work

However, his achievements deserve special mention. His famous work is Hooke’s Law in Spring. The law that the force acting on a spring is proportional to the first power of length is very clear and is still applied in various fields.

It was also argued that the law that the force acting between planets acts on the minus square of the distance was also the idea of ​​Hook. The truth is unknown now. It is important for him to systematize as a theory, but it is also important to give awareness first. In that sense, Hook feels great just because he was having a discussion.