2026年6月30日2026年6月20日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すエルンスト・マッハ【実証論の立場から認識の問題を議論】-6/30改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)法実証主義 【スポンサーリンク】【1838年2月18日 ~ 1916年2月19日】 Wikimedia Commonsのパブリックドメイン画像:マッハの人生についての概観別途ご紹介している石原さんはアインシュタイン直後の時代の一人、 今回はご紹介するエルンスト・マッハはアインシュタインに影響を 与えた一人です。アインシュタインは晩年67歳の時に「回顧録」の中で マッハの著作に対して「1883年の本「力学史」は若いころの 私の心を大いに揺さぶりました。」と記しています。その存在と考え方は当時の物理学会と思想の世界に大きな影響を与え、 後の認識論に影響を与えました。ボルツマンやプランクが マッハとの議論を土台にして独自の論理を展開していきます。またマッハは実証主義の立場から他分野の研究者たちにも影響を与えました。たとえば、 心理学者のフロイトは「精神も物質に還元することが出来、したがって精神は物理学と科学によって 理解することが出来る。」【アーサー・ミラー著「137」参照】と固く信じていました。 そうしたフロイトの分析に対して当のマッハは 「フロイトの“精神を物質的原理で還元できるという立場にも批判的でした。Arthur I. Miller『137』の中では、マッハがフロイトの思想的手法を揶揄した逸話が紹介されています。いずれにせよマッハは、精神現象を単純化しすぎる態度には常に慎重であり、感覚と経験に基づく実証主義の立場を貫きましたマッハは最終的には国の政治に参加していたようです。そんな議論を進めた マッハの業績はとても大きいと思います。また、マッハは最初の科学史家 だと言われています。昔から正しいと言われてきた科学に関わる 方法論を一つ一つ再定義・確認して議論していったのです。なぜ音速は「マッハ」で表されるのかエルンスト・マッハは哲学者として知られる一方で、 実験物理学者としても優れた業績を残しました。特に有名なのが、超音速で飛ぶ物体の周囲に発生する 衝撃波(ショックウェーブ)の研究です。マッハは高速で飛翔する弾丸の周囲に生じる圧力波を 写真として記録し、超音速現象の可視化に成功しました。現在、マッハ1(音速) マッハ2(音速の2倍) マッハ5(極超音速領域)といった表現が使われていますが、 これは彼の業績を記念したものです。現代の戦闘機やロケット開発の現場でも、 今なおマッハの名前が使われ続けています。 マッハの業績と独自性エルンスト・マッハはオーストリアに生まれた物理学者です。その研究範囲は数学・物理学・感覚分析・心理分析に及びます。マッハの残した業績はまさにパラダイム シフトと呼べます。それは時間と空間の 概念に対しての挑戦でした。そもそも、 ニュートン以降の時代に、空間の概念は 絶対空間・絶対時間が主流でした。 背景として神様の概念に端を発する世界観 があったのです。宇宙も自然も神の作り たもうた産物だと万人が考えていました。ところが、マッハの考え方は徹底的に相対的です。 マッハの考え方によると空間は全て相対的で絶対空間という概念は設けません。 論理的に考えて絶対空間の意義を感じない所が凄いのです。時間に関しても 同様で絶対空間で流れる時間に意義を感じていません。後に議論される 双子のパラドックスを知ると、複数の時間系を考える時にもっと我々には 設定が必要な筈なのですが、そこまで議論を進めるべきなのです。アインシュタインはそこを考え抜き相対論 に至ります。新しい考えを哲学的思考 方法で打ち出し、明確なメッセージ を伝えたマッハの業績は素晴らしかったです。 晩年のマッハをアインシュタインが 表敬訪問しています。 マッハの進めた認識改革またマッハは物理学に於ける認識の変革にも大きく関わりました。ボルツマン、プランクらの実在論に対してマッハは実証主義を展開し、自然に対する測定を通じた認識の問題を議論しました。観測者の感覚を重視した認識に対して独自の立場を明確にしています。事物を認識するのは認識者であって「個人個人の感覚を通じて認識する過程」を含めてマッハは議論を進めていったのです。そして、音速をこえる時の画像は万人に説得力を持ちます。 ↑ cf; Wikipedia パブリック・ドメイン ↑我々は未だに音速を表現する際に「マッハ」という単位で彼の名前を使い続けています。それは後世・我々が出来た小さな評価だったとも言えるのでは無いいか、と私は思っています。論敵も多かったマッハでしたが、しっかりと今に残る確かな足跡を残しています。 補足情報(2025年追記)(1)マッハは「マッハ原理」の名で残る重力論の起点アインシュタインが一般相対論を考える際、マッハの相対的な運動概念に強い影響を受けました。マッハ原理(Mach’s Principle)→「慣性質量は宇宙全体の質量分布によって決まる」というアイデア。アインシュタイン自身が当初は真剣に採用を検討。(2)マッハは「ショックウェーブ(衝撃波)」の撮影に成功した最初の科学者超音速の弾丸が作る衝撃波を撮影これが「マッハ・コーン(Mach Cone)」マッハ数(Mach Number)の語源(3)マッハは世界で最初の「科学史の教授」科学史や科学哲学を“学問として確立させた最初の人物”。彼の『力学史(Die Mechanik in ihrer Entwicklung)』は科学史の名著として今も読み継がれています。(4)マッハは「心理学の実験的手法」にも影響感覚分析からゲシュタルト心理学へと繋がる流れがあります。意外と教育・芸術論にも波及した人物です。マッハに関するよくある質問マッハ数とは何ですか?音速を基準にした速度の単位です。 マッハ1が音速に相当します。マッハは相対性理論を作ったのですか?いいえ。 相対性理論を構築したのはアインシュタインです。 ただしマッハの相対的な運動観や絶対空間批判は アインシュタインに大きな影響を与えました。マッハ原理とは何ですか?慣性の起源を宇宙全体の物質分布に求める考え方です。 一般相対論成立にも影響を与えました。前後リンク◀ 前の人物:ルートヴィッヒ・ボルツマン▶ 次の人物:アルベルト・アインシュタインこの分野の物理学者(科学哲学・熱力学・相対論前史)ヘルマン・フォン・ヘルムホルツルドルフ・クラウジウスウィリアム・トムソンジェームズ・クラーク・マクスウェルエルンスト・マッハルートヴィッヒ・ボルツマンマックス・プランクアルベルト・アインシュタイン 〆最後に〆コスパ最強・テックジム|プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 時間がかかるかもしれませんが 必ず返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/08/13_初稿投稿 2026/06/30_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 オーストリア関連のご紹介へ ウィーン大関連のご紹介へ 力学関係へ 熱統計関連のご紹介へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】【2021年9月時点での対応英訳】Mach lifeMr. Ishihara, who I introduced earlier, was one of the people immediately after Einstein, and Ernst Mach, who I will introduce this time, was one of the people who influenced Einstein. Its existence and way of thinking had a great influence on the Physical Society of Japan and ideas at that time, and influenced later epistemology. Boltzmann and Planck develop their own logic by referring to the foundation of Mach’s argument. It seems that Mach eventually participated in national politics. I think Mach’s achievements in promoting such discussions are very large. Mach is also said to be the first historian of science. He redefined, confirmed, and discussed science-related methodologies that have long been said to be correct.Mach achievements and uniquenessErnst Mach is an Austrian-born physicist. His research interests cover mathematics, physics, sensory analysis, and psychological analysis.The achievements left by Mach are just a paradigm You can call it a shift. It’s time and space It was a challenge to the concept. in the first place, In the post-Newton era, the concept of space was There was only absolute space and time. A world view that originates from the concept of God as a background There was. The universe and nature are made by God Everyone thought it was a product of humanity.However, Mach’s way of thinking is completely relative. According to Mach’s idea, all spaces are relative and do not have the concept of absolute space. It is amazing that I think logically and do not feel the significance of absolute space. The same is true for time, and I don’t feel the significance of time flowing in absolute space. Knowing the twin paradox that will be discussed later, we should have more settings when considering multiple systems, but we should proceed to that point.Einstein thinks about it and comes to the theory of relativity. Mach’s achievements in delivering his new ideas in a philosophical way and delivering a clear message were wonderful. Einstein pays a courtesy visit to Mach in his later years.Mach’s cognitive reformMach was also heavily involved in the transformation of cognition in physics. Mach developed positivism against the realism of Boltzmann, Planck and others, and discussed the problem of cognition through measurement of nature.He takes a unique position on the observer’s sense-oriented perception. It is the recognizer who recognizes things, and Mach proceeded with the discussion, including the process of recognizing things through individual senses. Images when the speed of sound is exceeded are persuasive to everyone.We still continue to use his name in the unit “Mach” when expressing the speed of sound. I think it can be said that it is a small evaluation that we have made in posterity.He was Mach, who had a lot of controversy, but he has a solid footstep that remains.
2026年6月29日2026年6月20日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すE・W・モーリー【アメリカで稀代の実験家が光速度に関する事実を実験検証】-6/30改訂こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)おもしろ理科実験 【スポンサーリンク】【1838年1月29日 ~ 1923年2月24日】Wikimedia Commons(Public Domain)稀代の実験家E・W・モーレーその名を書き下すとエドワード・ウィリアムズ・モーリー(モーレーとも書く時もあります)ニュージャージー州出身。晩年のオッペンハイマー とかエジソンと同郷ですね。モーレーが活動した北東部の研究環境は、当時のアメリカでも特に学術が発展した地域の一つでした。プリンストン大学や後にベル研究所が形成されたニュージャージー 周辺は、米国科学の中心地として大きな役割を果たします。その他に、米国物理学の歴史における主要拠点は 「州単位」ではなく「大学・研究所」単位で語られます。 例:・MIT・Caltech・シカゴ大学・プリンストン大学(IAS含む)・ハーバード大学・ベル研究所(Bell Labs)・ローレンス研究所・コロンビア大学 etc.其々で最先端の議論が繰り広げられてきました。何より、モーリーはマイケルソン・モーリーの実験で有名です。 (マイケルソンはファーストネームでなく別人の名前です)別項でも記述しましたが、この実験ではエーテルの存在に起因する「光速度の変化」は見てとれませんでした。その事が結果として「光速度普遍の原理」に繋がっていったのが歴史的な事実です。マイケルソン=モーリー実験とは?実験の目的は、「地球がエーテルの中を移動しているなら、 進行方向によって光速度が変化するはずだ」という仮説を検証することでした。ところが結果は予想外でした。地球の公転方向と垂直方向で 光速度の差は観測されなかったのです。この結果は当時の物理学者に大きな衝撃を与えました。後にローレンツ変換、 そしてアインシュタインの特殊相対性理論へと 繋がる重要な出発点になったのです。マイケルソンを支えた実験家モーリーマイケルソン=モーリー実験という名称のため、 どうしてもマイケルソンばかりが注目されがちです。しかし実際には、モーリーは極めて優秀な実験家でした。当時の光学実験では、温度変化、振動、装置の歪み、空気の流れといった要因が測定結果を簡単に狂わせます。特にエーテル風による光速度差を検出しようとする場合、 観測しようとしている効果そのものが非常に小さいため、 装置の精度が結果を左右しました。モーリーは化学・計測技術に優れ、極めて高精度な 実験環境の構築に貢献したことで知られています。もし装置精度が不十分であれば、「エーテルが存在しない」という結論そのものが 信頼されなかった可能性があります。その意味でモーリーは単なる共同研究者ではなく、 近代物理学の転換点を支えた実験技術者だった と言えるでしょう。モーレの歴史的な位置付け更に話を掘り下げていくと、この話は等速運動をする慣性系においてローレンツやアインシュタインが考えていたような系の間の関係式へとつながり、その関係式が更に考える為の材料となって相対論の理論体系が構築出来ています。理論の起点と確認点はあくまで実験で確かめられた自然界の事実なのです。こういった理論と実験の両輪を考えていくダイナミックさが物理学の醍醐味です。その議論の中でモーレの仕事は大きな役割を果たしました。 その他。モーレーは、熱拡散に関する研究を行い、磁場中の光速に関する研究を行い、実績を残しています。前後リンク◀ 前の人物:アルバート・マイケルソン▶ 次の人物:ヘンドリック・ローレンツこの分野の物理学者(光学・電磁気学・相対論前史)アルマン・フィゾーレオン・フーコージェームズ・クラーク・マクスウェルウィリアム・トムソン(ケルビン卿)アルバート・マイケルソンエドワード・モーリーヘンドリック・ローレンツアルベルト・アインシュタイン〆 以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全て返信出来てませんが 頂いたメールは全て見ています。 必要箇所は適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2021/01/25_初稿投稿 2026/06/29_改定投稿纏めサイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 アメリカ関係へ 電磁気関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】【2021年9月時点での対応英訳】If you write down the name, Edward Williams Morley,A physicist born in New Jersey, USA. Speaking of New Jersey, it’s the same hometown as Oppenheimer and Edison in his later years. As a personal impressionIt is one of the four research bases in the United States. The other seems to be California, Chicago, Connecticut. There must have been discussions in each case. Above all, Morley is famous for Michaelson Moret’s experiments.As described in another section, the “change in speed of light” due to the presence of ether could not be seen in this experiment. It is a historical fact that this led to the “universal principle of the speed of light” as a result.Further digging into the story, we can derive the relational expression between the systems that Lorenz and Einstein thought in the inertial system that moves at a constant velocity, which becomes the material for further consideration and the theory of relativity. The system has been built.The starting point and the confirmation point of the theory are the facts of the natural world confirmed by experiments. The dynamic of thinking about these two wheels of theory and experiment is the real thrill of physics.others. Morley has a track record of conducting research on thermal diffusion and research on the speed of light in a magnetic field.
2026年6月28日2026年6月18日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すJ・C・マクスウェル【場の理論をまとめ、電磁波が光速となる事を示した】‐6/28改訂 にちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)マクスウェル方程式 【スポンサーリンク】 【1831年6月13日 ~ 1879年11月5日】CREATOR: gd-jpeg v1.0 (using IJG JPEG v80), quality = 75Wikimedia Commons(Public Domain)マクスウェルの人物概要その名を細かく記載すると、J・C・マクスウェル:James Clerk Maxwell_。マクスウェルは電磁気学を確立しました。何より場の理論の基礎を作りあげ、電場と磁場の関係をマクスゥエル方程式で関連付けてまとめ上げ、定式化をしたのです。更には、直行する電場と磁場からなる「電磁波」の関係を数式として確かにして、媒体である光の進行相度が光速度となる事を理論的に導きました。物理学史的に見れば、マクスウェルが活躍した19世紀中葉は、電磁気・熱・光学・統計力学が次々に体系化され、近代物理学が形づくられていく大転換期でした。ファラデーやケルビン卿(ウィリアム・トムソン)らとともに、マクスウェルはこの「科学革命後の新しい時代」 を構築した中心人物の一人でした。 天才肌のマクスウェル個人的な意見として電磁気学に関わる人物は 何故だか高潔な心持を持っているように思えます。 特にマクスウェルに対してはそう感じます。大英帝国のエディンバラで生まれたマクスウェルは 文理の面で、それぞれ早熟な才能を示ました。14歳の時に書いた詩が地元の新聞に掲載されています。 言語学・修辞学の高度な習得を感じさせますね。また同時期に、焦点を用いて「卵形線」を定義して、 「ピンと糸」を使った工夫で描き出す手法を提案していて、 論文に纏めています。マクスウェルに限らず当時の 物理学者は今よりも多面的に現象を論じ、 考えてていてた傾向はあるようです。 そんな時代を差し引いても天才肌ですね。 マクスウェルも光学・熱力学で業績を残します。 「(ノッティングヒルで)マクスウェルは1860年から1866年までこの家に住んだ。 マクスウェルのもっとも実りある時期で、重要な仕事はここで行われた。電磁気学 だけでなく、気体分子運動論、三原色の原理、カラー写真の研究もここで 行われた。」(太田浩一「ほかほかのパン」より引用)電磁波が光学的に縦波・横波で議論されています。 現代では高校レベルの知識ですが 当時、説明するのは大変だったと思います。統計力学へつながる「マクスウェルの悪魔」マクスウェルは電磁気学だけでなく、 後の統計力学にも大きな影響を与えています。有名なのが「マクスウェルの悪魔」と呼ばれる思考実験です。もし気体分子一つひとつを観察できる存在がいたら、 速い分子と遅い分子を選り分けて、 エントロピー増大則を破れるのではないか。この問いは後にボルツマン、ギブズ、シャノン、 情報理論へとつながっていきました。現代のAIや情報科学にも通じる問題として、 今なお議論される重要な思考実験です。なぜマクスウェル方程式は革命だったのかマクスウェル以前にも電気や磁気の研究は存在しました。 しかし、それらは別々の現象として扱われることが多かったのです。マクスウェルはファラデーの「力線」の考え方を数学的に整理し、 電場と磁場が互いに影響し合うことを方程式として表現しました。そして方程式を解析した結果、電場と磁場が 空間を波として伝わる現象が存在することを発見します。さらに、その伝播速度を計算すると、当時フィゾー らが測定していた光速度とほぼ一致しました。つまりマクスウェルは、 「光とは電磁波である」 という驚くべき結論へ到達したのです。電気・磁気・光学を一つの理論で統合したこの成果は、 ニュートン力学に匹敵する物理学史上最大級の 統一理論と評価されています。マクスウェルの残した業績マクスウェルの業績で個人的にもっとも評価したいのは何よりも「場の考え」の確立です。静的な意味での場と時系列で変化する動的な意味での場は大きく違うと思えます。マクスゥエルは後者の意味での「場」を定式化して後の理論家達に進むべき道を示したパイオニアでした。実際に後のアインシュタインはニュートンよりもマクスウェルを近しく感じています。共に「場」を考えていった系譜の人々なのではないでしょうか。「ニュートンよ許したまえ」という言葉を使い、アインシュタインは絶対時間を否定して相対性理論を構築していくのです.先ほど電磁波が「光速で伝わる」と述べましたが、電磁波を「情報」と置き換えて考えるとより分かりやすいかもしれません。その時々の「場」の状態を決めている情報が光速度で伝わっていく表現を作っていった一人がマクスウェルなのです。 (晩年マクスウェルは) 「ケンブリッジ、アバーディン、ロンドンを通じて労働者 の為の講義を退職後の1866年まで熱心に続けた。 学生よりも労働者に学問への熱意を感じたようである。」 (太田浩一「ほかほかのパン」より引用) そして偶然ですが、マクスウェルの没年にアインシュタインが生まれています。マクスウェルが亡くなったのは40代なのでもう少し活躍して欲しかったと思います。残念至極。 前後の人物◀ 前の人物:マイケル・ファラデー ▶ 次の人物:ハインリヒ・ヘルツこの分野の物理学者(電磁気学)エルステッドアンペール ・ファラデー フィゾー ケルビン卿 マクスウェル ヘルツ ローレンツ アインシュタイン〆最後に〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/09/04_初稿投稿 2026/06/28_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 イギリス関係へ ケンブリッジ関連へ 電磁気学関連のご紹介へ AIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】【2021年9月時点での対応英訳】Maxwell’s personal profileTo elaborate on its name, James Clerk Maxwell.Maxwell established electromagnetics.There, he laid the foundation for field theory, and formulated the relationship between electric and magnetic fields by associating them with the Maxuel equation. Furthermore, he confirmed the relationship between the orthogonal electric field and the “electromagnetic wave” consisting of the magnetic field as a mathematical formula, and theoretically derived that the progressive phase is the speed of light.Genius skin MaxwellBorn in Edinburgh, the British Empire, Maxwell showed precocious talent both in literature and in science. A poem he wrote when he was 14 was published in a local newspaper. He makes us feel the advanced acquisition of linguistics and rhetoric.At the same time, he proposed a method of defining an “oval line” using focus and drawing it with a device using “pins and threads”, and summarized it in a treatise. It seems that physicists at that time, not just Maxwell, tended to discuss and think about phenomena from a more multifaceted perspective than they do now. It’s a genius skin even if the times are subtracted.Maxwell also makes a mark in optics and thermodynamics. Electromagnetic waves are optically discussed as longitudinal waves and transverse waves. Today, it’s high school level knowledge, but I think it was difficult to explain at that time.Achievements left by MaxwellWhat I personally want to evaluate most about Maxwell’s achievements is the establishment of the “electromagnetic field idea”. It seems that the electromagnetic field in the static sense and the electromagnetic field in the dynamic sense that change over time are very different.Maxuel was a pioneer who formulated the “electromagnetic field” in the latter sense and showed the way to later theorists.In fact, later Einstein feels closer to Maxwell than Newton. I think they are people of genealogy who both thought about “electromagnetic field”. Using the phrase “Forgive me, Newton,” Einstein denies absolute time and builds the theory of relativity.And by chance, Einstein was born in the year of Maxwell’s death.Maxwell died in his 40s, so I hope he’s a little more active. Twice〆
2026年6月27日2026年6月17日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すウィリアム・トムソン【B・K OM, GCVO, PC, PRS, PRSE】‐6/27改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)大学入試熱力学 【スポンサーリンク】 【1824年6月26日 ~ 1907年12月17日】Created with GIMPWilliam Thomson Baron Kelvin portrait” 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)多くの業績を残したトムソン始めに、本稿のURLは”Baron Kelvin”を使っています。名前としてはトムソンなんですが、ケルビン男爵としての別名も持っていたからです。その名を詳細に記すと、初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソンWilliam Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE トムソンは熱力学や電磁力学で沢山の研究成果を残してます。彼は僅か10歳でグラスゴー大学へ入学しました。トムソンの父がグラスゴー大で教鞭をとっていた事実はある様ですが、それを別にしても早熟ぶりに驚かされます。その後、トムソンはケンブリッジで勉学を進め、22歳でグラスゴー大学の教授になり、イギリスの大学で初めての物理学研究室を立ち上げました。 トムソンの広めた諸概念1845年の論文では、ファラデーの理論を数学的に整え回路近辺の空間を考えてます。この発表は後のマクスウェルに示唆を 与えたと言われています。後の電磁場 の考え方に原型を与えたのでしょう。トムソンは、数学的技法を電磁気学や熱力学に応用することで、 当時確立途上だった「ベクトル」を含む表現法を活用し、理論と 実験を数式で結びつける試みを行いました。これにより 電磁気現象や熱の理論化が進み、後の理論体系 (たとえば電磁場理論など)への 橋渡しの一端を担ったと評価されています。また、 物理学者としては別にJ・J ・トムソンが居ます。更に、電磁気学から量子力学への移行する中での 業績としては磁性に関するものがあります。 ファラデーが見つけた常磁性という概念を 説明する為にトムソン卿は感受性・透磁率 といった概念を固有の物質で考えていきました。後に「スピン」等の概念を考える土台を トムソンが作っていったと言えないでしょうか。なぜ温度の単位は「ケルビン」なのか現在、科学技術の世界では温度を表す単位として ケルビン(K)が使われています。 これはウィリアム・トムソン(ケルビン卿) の業績を記念して名付けられたものです。トムソンは1848年、 「温度には理論上これ以上下がらない下限が存在する」 という考え方を整理し、絶対温度尺度を提案しました。摂氏温度では0℃より下の温度も存在しますが、 ケルビン温度では0Kが理論的な最低温度です。 現在でいう絶対零度(−273.15℃)に対応します。この概念は熱力学の基礎となり、 現代の物理学・化学・宇宙科学でも 標準的に使用されています。大西洋横断ケーブルへの挑戦トムソンは理論物理学だけでなく、大西洋横断 海底ケーブル計画にも深く関わりました。当時の技術者たちは、数千キロメートル にも及ぶ海底ケーブルを敷設すると信号が弱くなり 通信できなくなる問題に直面していました。トムソンは電気信号の減衰を理論的に解析し、 高感度なミラー・ガルバノメーターを開発しました。 これによって遠距離通信が実用化され、世界を結ぶ通信網の 基礎が築かれました。現代のインターネット海底ケーブル の祖先とも言える技術です。多くを残したトムソンそして、トムソン卿は沢山の物理学者と議論しました。 例えば、無名だったピエール・キューリを見出し、 交流し真価を認めました。また、別項でご紹介して いますが、日本初期の物理学者である田中舘愛橘を育て、 彼がトムソンを敬愛していた事でも広く知られています。関連情報(事実ベース)以下はトムソンに関する比較的確かな評価・事実です:トムソンは 1848 年に 絶対温度尺度 を提案し、 後にその単位「ケルビン(K)」と命名された。scottishportal.com+1彼は熱力学の統合に大きく貢献し、機械的エネルギー・熱・ 電気・磁気などを “エネルギー” という共通概念で統一する試みをした。Encyclopedia Britannica+2archives.collections.ed.ac.uk+2海底電信ケーブル(大西洋横断ケーブル)の敷設設計に関わり、 独自の受信装置(ミラー・ガルバノメーター)を発明。 これによって遠距離通信の実現に貢献。Historic UK+2Encyclopedia Britannica+2さらに、気候・地球物理・水力学・地球の年齢推定などにも 関心を持ち、多岐にわたる研究を行っていた。Encyclopedia Britannica+1前後の人物◀ 前の人物:ジェームズ・プレスコット・ジュール>>熱の仕事当量 ▶ 次の人物ルドルフ・クラウジウス:熱力学第二法則エントロピーへ この分野の物理学者(熱力学) サディ・カルノーユリウス・ロベルト・フォン・マイヤージェームズ・プレスコット・ジュールウィリアム・トムソン(ケルビン卿)ルドルフ・クラウジウスヘルマン・フォン・ヘルムホルツルートヴィッヒ・ボルツマンジョサイア・ウィラード・ギブズマックス・プランクジェームズ・プレスコット・ジュール〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/10/13_初稿投稿 2026/06/27_改定投稿纏めサイトTOP 舞台別のご紹介 時代別(順)のご紹介 イギリス関係 ケンブリッジ関連 電磁気学関係へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】Thomsom did many advanced workFirst, the URL for this article uses “Baron Kelvin”. He’s named Thomson, but he also had an alias as Baron Kelvin.To elaborate on its name, William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSEThomson has left a lot of research results in thermodynamics and electrodynamics. He entered the University of Glasgow at the age of only 10.It seems that Thomson’s father was teaching at the University of Glasgow, but apart from that, he is amazed at his precociousness. After that, Thomson studied in Cambridge, became a professor at the University of Glasgow at the age of 22, and set up the first physics laboratory at a university in the United Kingdom.In his 1845 treatise, he mathematically arranged Faraday’s theory and considered the space near the circuit.This announcement suggests to Maxwell later It is said to have given. Later electromagnetic field Probably gave a prototype to the idea of.Also, Thomson is a mathematical expression “vector”. Is said to be the person who “started using”.Works of Thomson It seems that Hamilton uses the concept of vector separately, but Hamilton uses it in the formulation of four-dimensional space. Sir Thomson, on the other hand, uses the concept of vectors to mathematically (in vector representation) the phenomena that are actually occurring.In addition, there is another physicist, JJ Thomson.In addition, one of the achievements in the transition from electromagnetism to quantum mechanics is related to magnetism. To explain the concept of paramagnetism that Faraday found, Sir Thomson considered the concepts of sensitivity and permeability with unique substances. It can be said that Thomson laid the foundation for thinking about concepts such as “spin” later.And Sir Thomson discussed with many physicists. For example, he found the unknown Pierre Cucumber, He interacted and acknowledged its true value. Also, I will introduce it in another section. However, it is also widely known that Tanakadate Aikitsu, a physicist in the early days of Japan, was brought up and Tanakadate admired Thomson.〆