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engrand

こんにちはコウジです!
「ヤング」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はタイトルの再考です。
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【以下改訂した原稿です】


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【 1773年6月13日生まれ ~ 1829年5月10没】

ヤングと時代背景

イギリスのヤング(Thomas Young)は
ゲッティンゲンで医学の学位を得て
ロンドンで開業医として仕事を始めます。
20代後半で自然学の学者となり、同時に
医師として乱視や色の知覚などの研究をします。
時代としてはニュートンの体系化が進んで
物理学では応用的な研究が進んでいた時代でした。
20世紀初頭の多分野における発展が進む時代への
過渡期にあったのです。そういった分野間の交流は
改定が進む中で盛り込みたいと思っています。

ヤングの業績

ヤングの業績として大きなものは何より光の3原色の概念を初めとした光学の研究です。光が波動であるという事実とその波動を人体がどう感じて再現性の高い表現が出来るか、別言すれば色んな人が特定の光を感じる時に、どんなパラメターを選んで属人性の無い表現が出来るかという研究です。

お医者様としての仕事の中で、ヤングは沢山の視覚に対する質疑応答をしていき、沢山の人の共通の問題や、(乱視などの)病的な問題に対しての知見を積み重ねる中で、皆の目に入ってくる「光」という現象を考えていったのです。

そういった研究の中で光学の研究を進めて「光の波動説」の考え方を使い干渉などの現象を説明していったのです。

光の波動説再考

ここで、初学者の理解が混乱するといけないので、もう少し細かく解説します。量子力学的に考えたら光には二面性があって「粒子的な側面」も存在します。アインシュタインの提唱した光電効果はその一例です。また、原子核反応を考える時には「光子」の存在を考えた上で話を進めたら非常に分かりやすい説明がつく現象が沢山あります。

実際にヤングの時代にはそういった理解は無くて「光」とは「粒子」なのか「波動」なのかという二者択一の議論が主だった、と想定して下さい。おそらくそうした仮定から話を始めた方が議論が進みやすいと思えます。量子力学以降の理解体系では観察対象の大きさが小さくなる過程で物質には二面性が出てきます。それ観測に対する問題であるとも考えられますし、現状の理解体系の「見方」なのであるとも言えます。

ヤングはそうした議論の始まりを医学の視点から入って理学の世界で分かる言葉で表現しました。その他、ヤングは音の研究で不協和音が最も少ない調律法を編み出したり、弾性体の研究でヤング率と呼ばれていく表現を駆使したりして理解を進めました。

〆最後に〆

 



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以上、間違い・ご意見は
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2020/10/02_初稿投稿
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(2021年10月時点での対応英訳)

Young and historical background

Thomas Young of England earned a medical degree in Göttingen and began his work as a practitioner in London. In his late twenties, he became a scholar of natural sciences and as a doctor he pursued research on astigmatism and color perception. It was an era when Newton was systematized and applied research was progressing in physics. It was in a transitional period of multidisciplinary development at the beginning of the 20th century. I would like to incorporate exchanges between such fields as the revision progresses.

Young’s achievements

The major achievement of Young is research including the concept of the three primary colors of light. The fact that light is a wave and how the human body feels that wave and can express it with high reproducibility, in other words, when various people feel a specific light, what parameters are selected to express without belonging life It is a study of whether it can be done. As a doctor, I have a lot of questions and answers about vision, and as I accumulate knowledge about common problems of many people and morbid problems (such as astigmatism), it comes to everyone’s eyes. I was thinking about the phenomenon of “light.”

In such research, I proceeded with research on optics and explained phenomena such as interference using the “wave theory of light”.

Rethinking the wave theory of light

Here, I will explain it persistently in case the understanding of beginners is confused. From a quantum mechanical point of view, light has two sides, and there is also a “particle-like side”. The photoelectric effect proposed by Einstein is one example. Also, when considering nuclear reactions, there are many phenomena that can be very explained if we proceed with the discussion after considering the existence of “photons”. Imagine that there was no such understanding in Young’s time, and there was even a debate about whether “light” was a “particle” or a “wave”. Perhaps it’s easier to discuss if you start with that assumption. In the understanding system after quantum mechanics, the smaller the object to be observed, the more two-sided the substance becomes. It can be said that it is a problem for observation, and it can be said that it is a “view” of the current understanding system.

Young expressed the beginning of such a debate from a medical point of view in words that can be understood in the world of science. In addition, Young advanced his understanding by devising a tuning method with the least dissonance in his research on sound, and by making full use of an expression called Young’s modulus in his research on elastic bodies. 〆

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ジョン・ドルトン
John Dalton‗5/31改訂【科学的アプローチで原子論を提唱】

engrand

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【1766年9月6日~1844年7月27日】
_
先ずドルトンを検索で調べると同名の学校法人が出てきますが、
本記事は英国生まれの物理学者にして化学者である人物に関する記載です。
_

若き日のドルトン


ドルトンは若い時代に大変苦労をしています。

先ず、家族がクエーカー教徒であった為に
大学に入れませんでした。当時の英国は
イングランド国教会に属していない宗派は
差別を受けており、ドルトンはクエーカー教徒
だという理由で大学に入る事が出来なかったのです。
_
その業績を考えてみると
何より原子説の提唱が大きいです。
_
ドルトンが研究していた18世紀初頭の
物理学会では「物質の根源」を考えるにあたり
直接原子核に相互作用を与えて結果を
考察する理論的な土壌は乏しかったのです。
_
実際にドルトンは化学的な反応の
側面からアプローチしていき、今でいう
「倍数比例の法則」の論拠を考えていく中で、
その考え方が如何にして成立するかを考え、
反応に関わる物質の質量比率を考えた帰結として、
原子を想定したのです。そういった考察の中では
原子の大きさが主たる関心事でなくても良いのです。

ドルトンの業績

後の原子核反応における考察では
反応に関わる距離や、反応に無関係な距離
が大事になってくるのです。
_
それに反してドルトンの時代の感心事
の中心は反応自体がいかにして想定できるかであって、
純度を高めた物質の集団同士が反応して
別の物質に変質するかという現象が感心事なのです。
_

また、定量的評価での「ジュール」という物理量

の導入でもドルトンは大きな仕事を残しています。

また、ドルトン自身が色覚異常の人だった為に

色覚の研究でも仕事を残していて

「ドルトニズム (Daltonism)」

という言葉が今でも使われています。

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2022/01/07_初回投稿
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Dalton of the young day

Dalton has a hard time very much in his younger days.

At first he was not able to enter the university because his family was a Quaker. In the U.K. at the time, the denomination which did not belong to an English national church received discrimination, and Dalton was not able to enter the university for a reason to be a Quaker.
_
A proposal of the atomism is big above all when I think about the achievements.
_
The theoretical soil which gave an atomic nucleus interaction directly on thinking about the root of the material in Physical Society of the early 19th century when Dalton studied it, and examined a result was poor.
_
He actually assumed an atom as the conclusion that thought about the mass ratio of the material concerned with a reaction while he thought about whether the way of thinking did how it, and it was established while Dalton approached it from the side of the chemical reaction and thought about a ground of “the law of multiple proportion” to say in now. The size of the atom does not need to be main interest in such consideration, too.

Business results of Dalton
Distance about reaction and the distance that is unrelated to a reaction become important for the consideration in the later nuclear reaction.
_
I meet you how the center of the feeling mind of the times of Dalton can assume reaction itself against it, and a phenomenon whether the groups of the material which raised purity react, and changes in quality to a different material is feeling mind.
_

In addition, Dalton leaves big work by the introduction of the physical quantity called “Joule” by the quantitative evaluation. In addition, because Dalton oneself was a color-blind person, even a study of the sense of color leaves work unfinished, and the word “ドルトニズム (Daltonism)” is still used.

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ジャック・C・シャルル
5/30改訂【温度と体積の関係を定式化|水素の気球で有人飛行】

パリの夕暮れ

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「シャルル」の原稿を改定します。
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【1746年11月12日生まれ ~ 1823年4月7日没】

シャルルの生い立ち

その名を全て書き下すと、

ジャック・アレクサンドル・セザール・シャルル
:Jacques Alexandre César Charles

カールという名前をフランス風に読むと
シャルルとなるそうです。

また、セザールって
ミドル・ネームもフランス風だったのですね。

物理学で出てくるシャルルは
フランスに生まれた発明家にして物理学者
にして数学者、そして気球乗りです。

物理学者としては
ボイル・シャルルの法則で有名ですね。

それと同時に水素を使った気球で
初めて飛行した人なのです。

シャルルの研究業績

シャルルは
①「ボイルの法則」や、
②キャヴェンディッシュの仕事の研究や
③J・ブラックら当時最新の仕事を研究していき、
「水素の物性」に着目し続けました。

水素の比重が空気に比べて、とても軽いのでシャルルなりの発想で考え、水素を気球に応用出来ると考えたのです。「水素の比重が軽い」という事実を「水素の塊は浮かぶだろう」と考えていったのです。そこでシャルルはプロトタイプの気球を設計しロベール兄弟に製作を依頼しました。パリの工房で気球を作り始めたのです。材料としてはゴムをテレピン油に溶かし、絹のシートにテレピン油を塗った物を使っています。

シャルルの有名な実験

1783年8月27日にシャルルとロベール兄弟は、今のエッフェル塔がある場所で世界初の水素入り気球の飛行試験を行いました。その場所には御爺さんだったベンジャミン・フランクリンもアメリカから見に来ていたそうです。そして、ベンジャミンフランクリンはその年の暮れには別の気球を使って有人気球の初飛行を行っています。

この時には「王家からルイ・フィリップ2世が率いた一団が見ていて、着陸時に馬で気球を追いかけ、シャルルと同乗していたロベールが気球から降りる際に気球が再び浮かないよう押さえつけた」、というエピソードが残っています。【カッコ内の引用はwikipediaから】
まさに国中の人が注目していたイベントだったのですね。

40万人がシャルルの初飛行を見たと言われています。特にプロジェクト資金集めとして募金を募ったのですが、応じた数百人は特等席で離陸を見れたそうです。その席にはアメリカ合衆国大使としてのベンジャミン・フランクリンもいました。この時代から挑戦を通じて国際交流が実現していたのですね。また、シャルルの尊敬していたジョセフ・モンゴルフィエも居たそうです。

そうした冒険家が残した法則がシャルルの法則です。
V1/T1 = V2/T2 として簡単化出来ますが、
異種気体の体積と温度の関係を簡単に
表していますね。実験、経験から事実が
導き出される良い例だといえます。


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2021/01/22_初稿投稿
2023/05/30_原稿改定

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About sharles 

If you write down all the names, Jacques Alexandre César Charles

If you read the name Karl in a French style, it will be Charles. Also, the middle name of Cesar was French.

Charles’s work

Charles, who appears in physics, is an inventor, physicist, mathematician, and balloonist born in France. He is famous as a physicist for Boyle-Charles’ law. At the same time, he was the first person to fly on a hydrogen balloon.

Charles is actually

① “Boyle’s Law” and

② Research on Cavendish’s work

③ J. Black and others researched the latest work at that time,

He continued to focus on the “physical characteristics of hydrogen.”

He thought that the specific density was much lighter than that of air, so he thought of it as Charles’s idea and could apply it to balloons. So Charles designed a prototype balloon and asked the Robert brothers to make it. He started making balloons in a workshop in Paris. The material used is rubber dissolved in turpentine and coated on a silk sheet.

Charles’s famous experiment

On August 27, 1783, the Charles and Robert brothers conducted the world’s first flight test of a hydrogen-containing balloon at the location of the current Eiffel Tower. At that time, his grandfather Benjamin Franklin also came to see him from the United States. And Benjamin Franklin made his first flight of a popular balloon at the end of the year using another balloon.

At this time, “a group led by Louis Philippe II was watching from the royal family, chasing the balloon with a horse at the time of landing, and holding down the balloon so that it would not float again when Robert, who was on board with Charles, got off the balloon.” The episode remains. [Quotation in parentheses is from wikipedia]
It was an event that people all over the country were paying attention to.

It is said that 400,000 people saw Charles’ first flight. In particular, we raised funds to raise funds for the project, but it seems that hundreds of people who responded were able to see takeoff in the special seats. There was also Benjamin Franklin as the United States Ambassador to the seat. From this era, international exchange has been realized through challenges. There was also Joseph Montgolfier, whom Charles respected.

The law left by such adventurers is Charles’s law. It can be simplified as V1 / T1 = V2 / T2, but it simply shows the relationship between the volume and temperature of different gases. I think this is a good example where facts can be derived from experiments and experiences.

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A・ヴォルタ 
5/29改訂【実験的で静電容量を観測し電荷と電位を明確に区別】

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 ボルタについて

ボルタの名は正確には

アレッサンドロ・ジュゼッペ・アントニオ・

アナスタージオ・ヴォルタ伯爵

:Il Conte Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta_

という長い名前ですが日本では単純に「ボルタ」

と表現しています。以後この表記を使います。

ボルタはイタリアに生まれ物理学の研究者となります。

 

 ボルタの業績

特筆すべきは実験的に静電容量を観測し、

電荷と電位を明確に分けて議論する土壌を作りました。

初学者には混同されがちですが
電位と電圧(電位差)は明確に
異なる概念です。アースして低電位側を
地球の地面と同じ電位状態にした時に
完全に両者は一致しますが通常は異なります。

電位は場合に応じて変動して当然の物理量です。

電荷の蓄積である電位をボルタは定量的に表現し、
電位の差を使って電圧(電位差)を明確に
出来る様にしました。その功績は電位差の
単位であるボルトとして残っています。

ボルタはまた、電池の発明でも成果を残しました。
世界初の電気貯蔵装置の開発です。
無論、初期の電池には
危険性・貯蔵量・電圧の持続特性
といった点で現代の物と見劣り
するでしょうが電気を貯めて持ち運び
する発想は素晴らしいものです。
現代でも発展を続ける大事な技術です。

ボルタとナポレオン 

最後に、ボルタはナポレオンが大好きでした。
逆にナポレオンもボルタに敬意を示します。
そんな関係ですから、ナポレオンの在位中に
ボルタは伯爵の称号を与えられています。



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2020/10/01_初稿投稿
2023/05/29_改定投稿

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【2021/8/14時点での対応英】

About Volta

The name of Volta is exactly the long name of Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta_: Il Conte , but in Japan it is simply expressed as “Volta”. We will use this notation hereafter. Volta was born in Italy and became a physics researcher.

Job of Volta

Of particular note is the experimental observation of capacitance and the creation of a soil for discussions that clearly separate charges and potentials. Often confused by his beginners

Potential and voltage (potential difference) are distinctly different concepts. When grounded and the low potential side is in the same potential state as the earth’s ground,They are exactly the same, but usually different. The electric potential fluctuates depending on the case and is a natural physical quantity.

The potential, which is the accumulation of electric charge, is quantitatively expressed, and the voltage (potential difference) can be clarified using the difference in potential. The achievement remains as a bolt, which is a unit of potential difference.

Volta has also been successful in inventing batteries.
He is the development of the world’s first electric storage device.
Of course, for early batteries
Hazard, storage capacity, and voltage persistence characteristics
Inferior to modern ones in that
You will do, but you can store electricity and carry it around.
His ideas he makes are wonderful.
It is an important technology that continues to develop even today.

Volta and Napoleon

Lastly,
Volta loved Napoleon.
On the contrary, Napoleon also pays homage to Volta.
Because they are such two people, during Napoleon’s reign
Volta has been given the title of Count.

 

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シャルル・ド・クーロン
【「ねじり天秤」での実験で微細な力を考察】

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【1736年6月14日生まれ ~ 1806年8月23没】

 クーロンの人物像

クーロンの名前は正確には

シャルル=オーギュスタン・ド・クーロン

(Charles-Augustin de Coulomb)

と記載されます。フランス人です。調べてみると

もともとクーロンは測量の仕事などもしていました。

時代柄、色々な分野で功績を残しています。

 

 クーロンの研究生活

まず、力学的な側面では摩擦に関する研究があります。

とても意外な側面だと思えました。電磁気学で著名なクーロンが

表面状態の考察をしているのです。

電磁気の担い手はとても微細な存在、電子であるのに反して

摩擦現象はそれら微細粒子が物凄い数集まって

相互作用の複雑な運動した結果として論じられる現象なのです。

後述する「ねじり天秤」のデリケートさとは結びつきませんでした。

 

クーロンは特定の機械が動く時点を考察しています。

「部品間での摩擦とロープの張力」を考慮して

機械全体での動きを論じています。

詳細を追いかけたらきっと

現代の我々から見ても興味深い筈です。

工学的な側面と表面物性からアプローチして

細かく考察すると面白い筈です。そして何より、

当時の視点からは革新的な研究だろうと思えます。

 

 クーロンと電磁気学

電磁気的な側面では「ねじり天秤」での実験が有名です。

微細な力を検知出来るような仕組みで導体表面

での帯電状態を計測したのです。生活の視点では、

力学は目で見て分かりやすく、電磁力学は目で見て

分かり辛いと言えます。それだから、今でも

静電気でびっくりしたり、手品の種として

電気的性質が使われたりします。

当然、今でも高電圧の配線は子供の手の

届かない所に敷設され、運用されているのです。

クーロンは結果的に電荷に働く力は距離の自乗

に反比例すると示しました。こうした電磁気学における

業績が広く認められ、クーロンの名前は電荷の単位

として今も使われています。クーロンの考えは

後の電磁気学、長い目で見れば

場の理論につながっているのです。

〆 



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2020/09/29_初稿投稿
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About Coulomb

The name of Coulomb is written exactly as Charles-Augustin de Coulomb. He is french When I looked it up, Coulomb was also doing surveying work. He has made achievements in various fields due to his time.

Coulomb job

First, on the mechanical side, there is research on friction. This fact seemed to be a very surprising aspect. Coulomb, a well-known in electromagnetism, considers the surface state.

The bearer of electromagnetism is a very fine existence, an electron, whereas the friction phenomenon is a phenomenon that is discussed as a result of the complicated movement of the interaction by gathering a tremendous number of these fine particles. It was not related to the delicacy of the “torsion scales” described later.

Coulomb considers when a particular machine will move. He discusses movement throughout the machine, taking into account “friction between parts and rope tension”. If he chases the details, it will surely be interesting to us today. It should be interesting to approach him from the engineering side and the surface physical characteristics and consider it in detail. And above all, from the perspective of those days, it seems to be an innovative research.

 Electric side of Colomb job

On the electromagnetic side, experiments with “torsion scales” are famous. He measured the state of charge on the surface of the conductor with a mechanism that could detect minute forces. From the perspective of life, mechanics is easy to understand visually, and electromagnetic dynamics is hard to understand visually. Therefore, they are still surprised by static electricity and electrical properties are used as a seed for magic tricks.

Of course, high-voltage wiring is still laid and operated out of the reach of children. Coulomb eventually showed that the force acting on the charge is inversely proportional to the square of the distance. His work in electromagnetism has been widely recognized, and the Coulomb name is still used as a unit of charge. Coulomb’s ideas led to later electromagnetism, the theory of fields in the long run.

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J・L・ラグランジュ
5/27改訂【変分の原理を考案|解析力学を発展】

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その名を全て書き下すと、

ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ

Joseph-Louis Lagrange

ラグランジュの生きた時代

ラグランジュはイタリアのトリノで生まれ

プロイセン王国・フランスで活躍しました。

そんな彼の生きた人生は革命の起きていた時代でした。

同時代のラボエジェが処刑された事に際し
ラグランジュは何故自身が生き延びたか
自問自答したと言われています。
何故ならラグランジュはマリー・アントワネット
先生を務めていたからです。

 

ラグランジュの業績 

学問の世界でラグランジュは多大な業績を残しています。

物理学者というより数学者としての仕事に思えてしまいます。

力学体系の整理をしてラグランジュ形式と言われる

理解を進めています。私も学生時代に

ラグランユアンと呼ぶ関係を多用しました。

解析力学と呼ばれる分野で、

ラグランジュ方程式につながります。

後の数論につながる議論もしていますし、

天体に関する研究等もしています。

 

 考え方の有効性

ラグランジュの解析的な考えが有効だったのは

各種物理量を一般化して変分と呼ばれる類の

数学的な形式につながるからです。

後の量子力学はニュートンの作った微積分

だけではなく物理量の関係を

ラグランジュの使ったような関係で表現します。

つまり、

「ラグランジュアン」と呼ばれる数学形式を使います。

また、ラグランジュはエネルギー保存則から

最少作用の原理を導きその考えは力学に留まらずに

電磁気学・量子力学でも使われています。

こういった定式化でのパラダイムシフトが

後の体系に不可欠です。

 

ラグランジュの未定乗数法や

定式化されたラグランジュアン

は誰しもが認める見事なものです。

そして、ラグランジュの名は

今でもエッフェル塔に刻まれています。

彼の残した仕事と栄誉と共に。



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(2021年8月時点での対応英訳)

If you write down all the names,

Joseph-Louis Lagrange

The era of Lagrange’s life

Lagrange was born in Turin, Italy and was active in the Kingdom of Prussia, France. His life was a revolutionary era.

When his contemporary Labo Eger was executed, Lagrange might have asked himself why he survived.

Because he was a teacher of Marie Antoinette.

Lagrange’s achievements

In the academic world, Lagrange has made great achievements. He seems more like his job as a mathematician than as a physicist.

He organizes the mechanical system and promotes the understanding of what is called the Lagrangian form. I also used a lot of relationships called Raglan Yuan when I was a student.

In a field called analytical mechanics, it leads to the Lagrange equation. We are also discussing things that will lead to later number theory, and we are also doing research on celestial bodies.

Effectiveness of thinking

Lagrange’s analytical idea was effective because it generalizes various physical quantities and leads to a kind of mathematical form called variation.

Later quantum mechanics expresses not only the calculus made by Newton but also the relationship of physical quantities with the relationship used by Lagrange. In other words, it uses a mathematical form called “La Grand Juan”.
In addition, Lagrange derives the principle of minimum action from the law of conservation of energy, and the idea is used not only in mechanics but also in electromagnetism and quantum mechanics. A paradigm shift in these formulations is essential for later systems.

The Lagrange’s undetermined multiplier method and the formalized Lagrange Jean are undisputed and stunning.

And the name of Lagrange is still engraved on the Eiffel Tower. With the work and honor he left behind.

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ジェームズ・ワット
5/26改訂【産業革命時に蒸気機関を改良しフライフォイールを発明】

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 ワットとはどんな人でしょう

ワットは蒸気機関の改良を通じて産業革命に
大きな成果を残したイギリスの偉人です。

イギリスにおいて産業革命が起きて、
年4回の耕作が行われ始めていき、多くの
農業従事者が自営業から雇われ農夫となったり、
植民地からの労働力を含めて人が大きく動き、
工場稼働率が高まっていきます。

急激に市場が拡大して産業が大きく変化していくのです。
そうした時代に蒸気機関や紡績機に対しての
技術開発に対する研究の重要性は増していきました。

 

そんな中、ワットはグラスゴー大学でジョゼフ・ブラックら

の協力を得て工房を作り作業を続けます。

蒸気機関を対象に研鑽を続けます。

 ワットによる蒸気機関の開発

ワットは具体的な改良には蒸気機関における凝縮器の設計をします。具体的には排熱効率を見直すことによってロスを減らして出力効率を大きく高めたのです。当初の設計でシリンダー部での熱の出入りが非効率である事情に着目していて、そこを改良した訳です。ポールトンという資金面での協力者も得て、ワットは事業化に成功して成功を修めます。

ワットが最終的に成功を収めた話を初めにしましたが、

実際の所は製品化までに大きな道のりがありました。

当時の加治屋さん達は今と比べて精度の低い生産過程

を当たり前だと思っていたので、ミリ単位

(場合によっては更に高精度)の加工を

現在考えるような誤差範囲でこなしていく事は

出来なかったのです。蒸気機関の性質上、

ピストンとシリンダー間の寸法誤差は

大きく性能を損ねます。丸い形で摺動方向に

延びていくピストンとシリンダーの精度を

上げていく事は大変な作業だった筈です。最終的には

大砲製造に向けて開発された「精密、中ぐり技術」

を使い製造していきます。また一方で、ワットはこれらの

製造に関わる技術に対しての特許習得にも

配慮しなければなりませんでした。

そういった創意工夫を重ねる中でワットは

関連会社の仕事として「鉱山の揚水機械」

の仕事を受けます。それは大変大きなもので、

直径127センチメートルのシリンダーをもった

7メートル以上の大きさの機械でした。

あまりに大きいので専用の建屋を建てて

運営していたそうです。その後、

機械に色々な改良を加えていきます。

益々効率的な機械になっていったのです。

 そのほかのワットの業績

現代の自動車のエンジンで当たり前に使われている、フライホイールもワットの発明です。回転ムラを無くして機械を円滑に動作させることで動きの効率を上げて振動を抑え、耐久性を向上させるのです。

何より、

ワットはそうした仕事の中でエネルギーの定式化を進め

力(Newton)の概念から仕事量(Watt)の概念を発展させました。

多くの人々から尊敬を受けました。考え抜いた
討論をして自分の見識を広げていった人でした。
近年、イギリスのお札に肖像画が用いられています。

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2021/07/07_初回投稿
2023/05/26_原稿改定

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(2021/年8月時点での対応英訳)

What kind of person is Watt?

Watt is a great British man who has made great strides in the Industrial Revolution through the improvement of steam engines.

Due to the Industrial Revolution in Britain, four farms are cultivated a year, farmers are hired from self-employment to become farmers, people including labor from the colony move significantly, and the factory utilization rate increases. In the meantime, the market will expand rapidly and the industry will change drastically.

In that era, the importance of research on technological development for steam engines and spinning machines increased.

Meanwhile, Watt continues his work at the University of Glasgow with the help of Joseph Black and others to create a workshop. He continues his studies on steam engines.

Development of steam engine by Watt

As a concrete improvement, in the design of the condenser in the steam engine, Watt reduced the loss and greatly increased the output efficiency by reviewing the exhaust heat efficiency. His original design focused on the inefficiency of heat in and out of the cylinder, which was improved. With the help of Paulton, a financial collaborator, Watt succeeds in commercializing it.

We started with the story of Watt’s ultimate success, but in reality there was a big road to commercialization.

At that time, Kajiya and others took it for granted that the production process was less accurate than it is now, so it was possible to handle machining in millimeters (or even higher precision in some cases) within the margin of error that we are currently thinking about. I didn’t. Due to the nature of the steam engine, dimensional errors between the piston and cylinder will significantly impair performance. It must have been a difficult task to improve the accuracy of the piston and cylinder, which have a round shape and extend in the sliding direction. in the end

We will manufacture using the precision and boring technology developed for cannon manufacturing. On the other hand, Watt had to consider obtaining patents for these manufacturing technologies.

While repeating such ingenuity, Watt receives the work of “pumping machine of the mine” as the work of the affiliated company. It was a very large machine, over 7 meters in size with a cylinder with a diameter of 127 centimeters.

It was so big that he built and operated a dedicated building. After that, he made various improvements to the machine. It has become an increasingly efficient machine.

Other Watts achievements

The flywheel, which is commonly used in modern automobile engines, is also Watt’s invention. By eliminating uneven rotation and operating the machine smoothly, the efficiency of movement is increased, vibration is suppressed, and durability is improved.

Above all, Watt proceeded with the formulation of energy in such work and developed the concept of work (Watt) from the concept of force (Newton).

He was respected by many. He was a person who had a well-thought-out discussion and broadened his insight. In recent years, portraits have been used on British bills.

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平賀源内
5/25改訂【秩父で鉱山を開設|オランダからエレキテル等を日本人に紹介|啓蒙】

こんにちはコウジです!
「平賀源内」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はタイトルの再考です。
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チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
【以下改訂した原稿です】


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【1728年生まれ ~ 1780年1月24日没】

平賀源内について
少し時代が古いです。平賀源内は江戸時代、
田沼意次が老中を務めていた時代で
多彩な能力を発揮しています。物理学関係に留まらない。
埼玉県秩父市で鉱山開発を行い、
炭焼き、通船の指導を行いました。 

そもそも、平賀源内は讃岐の国に生まれています。
家祖は信濃源氏の平賀氏。平賀氏は武田氏に敗れ、
一度、改姓して源内の時代に平賀姓に復姓しています。

時代考察

 

科学史の観点から平賀源内の時代を考えてみると欧米と日本の時代のずれを感じます。その「ずれ」は大きなものでニュートンがバローからルーカス職を受けたのが1664年、万有引力を定式化したのが1665年であることを思い起こせば西洋と日本の隔たりはとても大きいです。そんな時代には源内は未だ生まれていません。

加えて、平賀源内が「発明」したであろうものの独自性を考えていくと「新規性」という部分が殆ど見受けられません。内容は後述しますが、後世に残して人類の財産と出来るものは作り出せなかったのです。無論、当時の人々には目新しく、庶民に啓蒙をして意識を変えていった業績は大きいです。

だがしかし、「数学」なりの学問体系を整えてはいません。足し算引き算が出来ても「微分。積分」それなあに?って有様でした。教育制度が大きく異なる事情があるのですが、結果は大きく異なるのです。日本ではその後、
数理学の学問体系は数百年間未開のままでした。

平賀源内の業績

 

平賀源内が手掛けた分野は医学、薬学、漢学、

浄瑠璃プロデュース、鉱山の採掘、金属精錬、

オランダ語、細工物の販売、

油絵、俳句と多岐にわたりました。

その一つが「発明」で平賀源内は物理現象の啓蒙に一役買っているのです。所謂、エレキテルの紹介ですね。エレキテルは不思議な箱で内部にガラスによる摩擦起電部と蓄電部を持っています。実の所、平賀源内が発明したというよりオランダ製の物を平賀源内が紹介した訳ですが江戸時代の庶民達には摩訶不思議な魔法に見えたでしょうね。

なにより、平賀源内の現象理解は現在の学問体系

とは大きく異なっていたようです。

念の為にコメントしておくと、新しい考えを作り出して発表して他の国の人に内容を問いかけたりする動きは見受けられません。鎖国の時代ですからね。平賀源内の時代から百年以上後に海外の学問理解を学び、自ら論文を書いていき、世界に内容を問いかけるのです。そこまでの道のりは、まだまだ長いのです。平賀源内はそんな時代の先人でした。

そして、
文化的な功績も、そこかしこに残しています。
有名な言葉遊びで源内が作者であろう
と言われている句を最後にご紹介します。

京都三条糸屋の娘 姉は十八・妹は十五
諸国大名弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す


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2020/09/18_初稿投稿
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(2021年8月時点での対応英訳)

about GENNAI

It’s a little old story. Hiraga Gennai is demonstrating a variety of abilities during the Edo period and when Tanuma Okitsugu was a senior citizen. It goes beyond physics.

In the first place, Hiraga Gennai was born in Sanuki Province.

His ancestor is Mr. Hiraga of Shinano Genji Family. Mr. Hiraga was defeated by Mr. Takeda, and once changed his name to Hiraga in the Gennai era.

If you think about the times in Hiraga Gennai from the perspective of the history of science, you can feel the difference between the times of Europe, America and Japan. The “deviation” is large, and the gap between the West and Japan is very large, recalling that Newton received the Lucas job from Barrow in 1664 and formulated universal gravitation in 1665. In addition, when considering the uniqueness of what Hiraga Gennai would have “invented,” there is almost no “novelty.” I will explain the contents later, but I could not create something that could be left as a property of humankind for posterity. Of course, it was new to the people at that time, and although it was a great achievement to educate the common people and change their consciousness, it has not prepared an academic system like “mathematics”. Even if addition and subtraction are possible, “differentiation. Integral” What is it? It was like that. There are circumstances where the education system is very different, but the results are very different. In Japan, the academic system of mathematics has remained undeveloped for hundreds of years since then.

Work of GENNAI

Hiraga Gennai’s fields ranged from medicine, pharmacy, Chinese studies, joruri production, mine mining, metal refining, Dutch, craft sales, oil paintings, and haiku.

One of them is “invention”, and Hiraga Gennai plays a role in enlightening physical phenomena. This is the introduction of so-called Elekiter.

Elekiter is a mysterious box that has a glass triboelectric generator and a power storage unit inside. As a matter of fact, Hiraga Gennai introduced a Dutch product rather than an invention by Hiraga Gennai, but it seemed like a mysterious magic to the common people in the Edo period.

Above all, it seems that the understanding of phenomena in Hiraga Gennai was very different from the current academic system.

If you comment just in case, there is no movement to create and announce new ideas and ask people from other countries about the content. More than 100 years after the time of Hiraga Gennai, he learned to understand foreign scholarship, wrote a treatise himself, and asked the world about the content. The road to that point is still long. Hiraga Gennai was a pioneer of that era.

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L・オイラー
【単眼の巨人(サイクロプス)|自然対数を定式化】

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「オイラー」の原稿を改定します。
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【1707年4月15日生まれ ~ 1783年9月18日没】

L・オイラーのLはレオンハルトのLです。

オイラーの業績 

スイスのオイラーは当時の18世紀の数学界の中心でした。その後の世に数学が厳密になっていく一方で、モデルが洗練されていくのですが、それを使いこなす為の基礎を固めました。その活動範囲は多岐にわたります。他の人が見つけたと思っていた業績が、実はオイラーの仕事の焼き直しだったりした事が多々あったそうです。後に出てくるガウスと合わせて数学界の二大巨人であると言われているのです。加えて、

オイラーは右目を失明していたので

「単眼の巨人(サイクロプス)」

と数学界で呼ばれていたそうです。

まさに怪人ですね。同時に

天文物理学でも業績を残しています。物理学で使う数学手法も残しました。オイラーが定式化した自然対数と三角関数の関係は私自身も何度も何度も、繰り返し使いました。

オイラーの人生 

さて、オイラーの人生における転機は大学時代に師となるベルヌーイがその才能を見出したタイミングでした。神学の道を目指していたオイラーの両親をベルヌーイが説得してオイラーは数学の道を選びます。

 

オイラーは招かれて外国で数年過ごしたりしながら研究を続けましたが、視力が低下していき遂には失明してしまいます。それでもオイラーは精力的に論文執筆の活動を続けました。頭の中で計算式を操り、口頭で協力者に内容を伝え、文章に起こしてもらい、論文を次々と完成させたのです。

そんな困難の中、

オイラーは晩年の研究を続けていました。

人生をかけた研究だったと思います。

〆最後に〆



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2020/09/26_初稿投稿
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L. Euler’s L is Leonhard’s L.

Job of Euler

Euler in Switzerland became the center of the 18th century mathematics world at the time, laying the foundation for mastering sophisticated models while mathematics became more rigorous in later generations. The range of activities is wide-ranging. In many cases, the achievement that others thought they had found was actually a rehash of Euler’s work. He is said to be one of the two giants in mathematics, along with Gauss, who will appear later. father,

Euler was blind in his right eye, so he was called “monocular giant (cyclopes)” in the mathematical world. It’s just a monster. He also has a track record in astrophysics.

Euler also left behind the mathematical techniques used in physics. I myself used the relationship between the natural logarithm and trigonometric functions formulated by Euler over and over again.

LIFE of  Euler

Now, the turning point in Euler’s life was when his teacher Bernoulli discovered his talent during his college days.

Bernoulli convinces Euler’s parents who were aiming for the theological path, and Euler chooses the path of mathematics.

Euler was invited to spend several years abroad and continued his research, but his eyesight deteriorated and he eventually lost his eyesight.

Still Euler is energetically

He continued his treatise writing activities.

Euler manipulated the formulas in his head, verbally communicated to his collaborators, had them transcribed, and completed his treatises one after another.

In the midst of such difficulties, Euler continued his studies in his later years. I think it was a study that took his life.

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ベンジャミン・フランクリン
5/23改訂【米国建国の父|外交官|物理学者|天文学者】

シカゴの画像

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【1706年1月17日生れ-1790年4月17日没】

 米国建国の父ベンジャミン

その名はベンジャミンフランクリン

:Benjamin Franklin,_

グレゴリオ暦1706年1月17日の生まれですが、

ユリウス暦では1705年1月6日にあたります。

そんな両方の暦を使う時代に生まれた人でした。

フランクリンは政治家として、外交官として、著述家として、物理学者として、また気象学者として活躍します。後述する13徳を実践する謙虚な人であって努力家です。それに加えて実務家です。フランクリンの残した「フランクリン自伝」はアメリカのロング・ベストセラーの一つとなっていて今でも100ドル札には肖像人物としてベンジャミンフランクリンが使われています。(2021年3月調べ)広くアメリカ人に愛され続けています。

 フランクリンの業績

フランクリンの業績として有名な物は凧を使った雷の実験です。フランクリンはライデン瓶の実験がされていると聞き電気に興味を持ちました。1752年に雷鳴り響く嵐の日に凧をあげました。その時、地上側の凧糸の先にワイヤーで接続したライデン瓶を連動させることでその時の上空の帯電状態を示す作業をしました。

非常に直接的な実験ですがその電圧が数億ボルト(流れる電流が数十万アンペア超)とも言われる現象に対してベンジャミンフランクリンが、どの程度の理解をもって納得しながら実験の設定を行ったかについては、大きな問題を感じます。そう言った意味で物凄く怖い実験計画だったのでしょう。

実際に21世紀になってから、アイドルのコンサートでの落雷事故があった事は記憶に新しいでしょう。フランクリンの時代に検証実験を試みて多数の死者が出た事実もある事から「絶対に真似をしてはいけない」実験であると言えます。その実験を行ったフランクリンの勇気は手放しで賞賛出来ない部分がありますが、それを踏まえて考えてみても、人々に尊敬される偉人なのです。

フランクリンの偉業は他にも続き、避雷針、燃焼効率の

高いストーブ、遠近両用眼鏡を次々と発明しました。

そして、フランクリンはその発明に対して

特許はとらないで社会に還元しました。

アメリカ独立宣言の起草にも加わっていたと言われます。

フランクリンの13徳

自らの自律心でコツコツと独学で事を成し遂げてきた

フランクリンは13徳と呼ばれる戒律を実践していたと言われます。

最後にご紹介させて下さい。

13徳(Wikipedeaより引用)週に一つずつ各徳目に身を捧げました

◆節制 :
飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。

◆沈黙 :
自他に益なきことを語るなかれ。

駄弁を弄するなかれ。

◆規律:
物はすべて所を定めて置くべし。

仕事はすべて時を定めてなすべし。

◆決断 :
なすべきをなさんと決心すべし。

決心したることは必ず実行すべし。

◆節約:
自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。

すなわち、浪費するなかれ。

◆勤勉:
時間を空費するなかれ。

つねに何か益あることに従うべし。
無用の行いはすべて断つべし。

◆誠実:
詐りを用いて人を害するなかれ。

心事は無邪気に公正に保つべし。
口に出だすこともまた然るべし。

◆正義:
他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを

与えずして人に損害を及ぼすべからず。

◆中庸:
極端を避くべし。たとえ不法を受け、

憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。

◆清潔:
身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。

◆平静:
小事、日常茶飯事、

または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。

◆純潔:
性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、

これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、又は自他の平安
ないし信用を傷つけてはいけない。

◆謙譲:
イエスおよびソクラテスに見習うべし。

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2021/04/02_初稿投稿
2023/05/23_改定投稿

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American great Franklin

His name is Benjamin Franklin, _ Gregorian was born on January 17, 1706, but in the Julian calendar died on January 6, 1705. He lived in an era when he explained using both calendars. Franklin is active as a politician, diplomat, writer, physicist, and meteorologist. He is a humble and hard worker who practices the 13 virtues described below. He is also a practitioner. Franklin’s “Franklin Autobiography” has become one of America’s longest-selling books, and Benjamin Franklin is still used as a portrait on the $ 100 bill. (Surveyed in March 2021) He continues to be widely loved by Americans.

 Job of Franklin

One of Franklin’s most famous achievements is the experiment of lightning with a kite. Franklin was interested in electricity when he heard that Leyden jars were being tested. He flew a kite in 1752 on a thunderous stormy day. At that time, he worked to show the state of charge in the sky at that time by interlocking a Leyden jar connected with a wire to the tip of the kite string on the ground side. It is a very direct experiment, but about how Benjamin Franklin convinced him to set up the experiment with respect to the phenomenon that the voltage is said to be hundreds of millions of volts (current flowing over hundreds of thousands of amperes). Feels a big problem. It will be fresh in my memory that there was a lightning strike at an idol concert in the 21st century. It can be said that it is an experiment that “never imitate” because there is a fact that a large number of people died when trying a verification experiment in Franklin’s time. Franklin’s courage to carry out the experiment has some parts that cannot be praised, but even if you think about it, it is certain that he is a great man who is respected by people.

Franklin’s feat continued, and he invented lightning rods, combustion-efficient stoves, and bifocals.

And Franklin gave back to society without his patent for his invention.

Thirteen Virtues

He is said to have been involved in the drafting of the United States Declaration of Independence.

Franklin, who has accomplished things by himself with his own autonomy, is said to have practiced a commandment called 13 virtues.

Let me introduce you at the end.

[13 virtues (quoted from Wikipedea, devoted to each virtue once a week)]

  1. ◆Temperance. Eat not to dullness; drink not to elevation.
  2. ◆Silence. Speak not but what may benefit others or yourself; avoid trifling conversation.
  3. ◆Order. Let all your things have their places; let each part of your business have its time.
  4. ◆Resolution. Resolve to perform what you ought; perform without fail what you resolve.
  5. ◆Frugality. Make no expense but to do good to others or yourself; i.e., waste nothing.
  6. ◆Industry. Lose no time; be always employ’d in something useful; cut off all unnecessary actions.
  7. ◆Sincerity. Use no hurtful deceit; think innocently and justly, and, if you speak, speak accordingly.
  8. ◆Justice. Wrong none by doing injuries, or omitting the benefits that are your duty.
  9. ◆Moderation. Avoid extremes; forbear resenting injuries so much as you think they deserve.
  10. ◆Cleanliness. Tolerate no uncleanliness in body, clothes, or habitation.
  11. ◆Tranquility. Be not disturbed at trifles, or at accidents common or unavoidable.
  12. ◆Chastity. Rarely use venery but for health or offspring, never to dullness,
    weakness, or the injury of your own or another’s peace or reputation.
  13. ◆Humility. Imitate Jesus and Socrates.

(I quoted these from Wikiledia.)