2026年7月25日2026年7月15日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す長岡半太郎‗【日本物理学の黎明期に、ボルツマンに学び原子構造の土星モデルを提唱】-7/25改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)長岡半太郎(人間の記録) 【スポンサーリンク】【1865年8月19日生まれ ~ 1950年12月11日没】画像引用:長岡半太郎| 近代日本人の肖像 | 国立国会図書館長岡半太郎の豊かな人脈長岡半太郎は、日本で最初に世界水準の原子模型を提唱した 物理学者として知られています。1904年に発表した 「土星型原子模型」は、後のラザフォード模型や ボーア模型へと続く原子物理学の重要な一歩 となりました。その背景には、田中舘愛橘、ボルツマン、 本多光太郎らとの豊かな交流がありました。この長岡半太郎は大村藩の流れに生まれます。 学生時代は東大で山川 健次郎や田中舘愛橘に学び、 助教授としてドイツ留学していた時期に ボルツマンに学びます。それだから実証主義の 考え方も、留学以後は頭の片隅にあった筈です。どう考えて、どこまで核心に迫っていったか論じる際には当時の日本における量子論での現象把握を考えると良いでしょう。そんな事を考えながら、科学史の観点から論文を読んでみたくなりました。別の面から調べてみたら話は進む時があると 思えるからです。そして長岡半太郎の子供時代は 学業成績は芳しくなかったようです。この点は同時期の本多光太郎を思い出します。因みに、 二人に加わえて鈴木梅太郎の三人は 「理化学研究所の三太郎」 と呼ばれていたそうです。 携帯電話のコマーシャルで似たような人達居ましたね。長岡半太郎の研究業績土星型原子模型とは何か土星型原子模型とは、1904年に長岡半太郎が提唱した原子構造のモデルです。 当時はJ・J・トムソンが提案した「ブドウパン模型」が有力視されており、 正電荷が広がった球の中に電子が埋め込まれていると考えられていました。 しかし長岡は、この考え方では原子の安定性や電子の運動を十分に説明できないと考え、 重い中心の周囲を軽い電子が高速で回転するという、新しい原子像を提案しました。 その姿が土星の周囲を取り巻く環に似ていたことから、 「土星型原子模型」と呼ばれるようになりました。この模型では、原子の中心に大きな質量と正電荷が集中し、その周囲を電子が 公転するという考え方を採用しています。現在の知識から見ると、 中心に「原子核」という言葉はまだ存在していませんでしたが、 長岡は原子の質量が中心付近に集まっているという発想に到達していました。 これは後にラザフォードが金箔散乱実験によって原子核の存在を実証するよりも 数年前のことであり、その先見性は現在でも高く評価されています。もっとも、この模型は古典力学に基づいていたため限界もありました。 電磁気学によれば、加速度運動をする電子は電磁波を放射して エネルギーを失い、やがて原子核へ落下してしまうはずです。 また、原子スペクトルの離散的な性質も説明できませんでした。 そのため土星型原子模型は最終的な理論にはなりませんでしたが、 「原子内部には中心構造が存在する」という大胆な着想は、 当時の物理学者に大きな刺激を与えました。その後1911年にはラザフォードが原子核模型を提唱し、 1913年にはニールス・ボーアが電子軌道へ量子条件を導入して ボーア模型を完成させます。さらに20世紀後半には ハイゼンベルクの不確定性原理やシュレーディンガーの波動方程式によって、 電子は古典的な軌道を回る粒子ではなく、確率的に存在する波動関数として 理解されるようになりました。 このように長岡半太郎の土星型原子模型は、 今日の量子力学とは異なる古典的モデルではありますが、 原子構造を具体的な形で世界へ示した最初期の理論の一つであり、 日本から世界へ発信された画期的な原子模型として、 近代原子物理学の発展に大きな足跡を残したのです。長岡半太郎は田中舘愛橘と地震の論文を纏めたり、本多光太郎と磁気の論文を纏めたりしていますが、長岡半太郎の研究業績として大きいのは、なんと言っても原子モデルでしょうボルツマン仕込みでミクロへの探求を進めていたのです。トムソンがブドウパンの中のブドウのような形で中心からの距離や軌跡と無関係に電子の存在を仮定していたのに対し、長岡半太郎は原子の周りを電子が回転する土星のようなモデルを提唱しました。この話は、不確定性関係をふまえて論じてみたいと思います。後に確立された不確定性関係では対象粒子の位置と運動量の関係が論じられます。この二要素が関連して論じられる訳です。長岡の土星型原子模型は1904年に提唱された古典的な原子像で、土星の環のように陽子(あるいは陽電荷)を中心に電子が回転するイメージを提示しました。しかしこのモデルは古典力学に基づくものです。 のちに確立される量子力学とは理論的枠組みが異なります。ハイゼンベルクの不確定性原理(1927年)は、位置と運動量を同時に厳密に決定できないという量子論固有の性質を示したものであり、「電子の軌道が古典的に確定できない」という点で古典的な軌道像の限界を指摘します。 したがって、長岡の模型は当時の原子イメージ構築に大きな貢献をした一方で、後の量子論が示す粒子の確率的・波動的性質とは根本的に扱い方が異なる、という位置づけで論じるのが適切です。現代的に考えて、不確定性の考え方の枠組みでは運動量が確定している電子に対して位置は不確定であって当然です。具体的には個体原子の位置は止まっていると見なせそうですが、動き回る電子の位置の確定が難しいのです。「運動量」の観測精度を高めている電子に対して位置情報はどんどんぼやけてきてしまいます。当時すでに原子という概念そのものは広く受け入れられていましたが、原子内部が どのような構造になっているかは、まだ誰にも分かっていませんでした。長岡半太郎は、その未知の世界に対して土星の環になぞらえた 原子模型を提案し、電子の運動を理論的に考えるための最初の本格的な 枠組みを与えたのです。そのモデルをもとに 帯電物質である電子の挙動が議論できたのです。素晴らしいパラダイムシフトでした。関連する物理学者◀ 前の人物:J・J・トムソン 電子を発見し、ブドウパン模型を提唱しました。▶ 次の人物:アーネスト・ラザフォード 長岡半太郎の模型にも着想を得ながら、 原子核模型を提唱しました。この分野の物理学者(原子物理学・量子論)ルートヴィヒ・ボルツマンJ・J・トムソン長岡半太郎アーネスト・ラザフォードマックス・プランクニールス・ボーアヴェルナー・ハイゼンベルクエルヴィン・シュレーディンガー〆最後に〆以上、間違いやご意見があれば 以下アドレスまでお願いします。 改定や返信を致します。nowkouji226@gmail.com2020/09/13_初回投稿 2026/07/25_改訂投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介 東大関連のご紹介 力学関係のご紹介へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年9月時点での対応英訳)Hantaro Nagaoka’s rich personal connectionsThis Hantaro Nagaoka was born in the flow of the Omura domain as well as Hideki Yukawa. He studied with Kenjiro Yamakawa and Aikitsu Tanaka at the University of Tokyo when he was a student, and with Boltzmann when he was studying abroad in Germany as an assistant professor. So did he discuss the idea of positivism based on his study abroad? When discussing how close he was to the core, it would be good to consider the phenomenon grasp in quantum theory in Japan at that time. With that in mind, I wanted to read the treatise from the perspective of the history of science. If you look at it from another side, it seems that there are times when the story goes on. And it seems that his academic performance was not good when he was a child of Hantaro Nagaoka.This point reminds me of Kotaro Honda at the same time. By the way, in addition to these two people, Umetaro Suzuki was called Santaro of RIKEN. There were similar people in mobile phone commercials.Research achievements of Hantaro NagaokaHantaro Nagaoka has compiled papers on earthquakes with Tanakadate Aikitsu and papers on magnetism with Kotaro Honda, but the major research achievement of Hantaro Nagaoka is probably the atomic model. I was pursuing a quest for the micro. Whereas Thomson assumed the existence of electrons in the shape of grapes in grape bread regardless of the distance or trajectory from the center, Hantaro Nagaoka created a Saturn-like model in which electrons rotate around an atom. Advocated.I would like to discuss this story together with the uncertainty relation. The uncertainty relation established later discusses the relationship between the position of the target particle and the momentum. These two factors are discussed in relation to each other. In the framework of that idea, it is natural that the position is uncertain with respect to the electron whose momentum is fixed. Specifically, it seems that the position of a solid atom is stopped, but it is difficult to determine the position of moving electrons. The position information becomes more and more blurred for the electrons that improve the observation accuracy of “momentum”.Considering going back in timeand observing electrons in the time of Hantaro Nagaoka, even if we imagine a charged substance that captures the behavior of electrons, we cannot stop the movement of electrons moving around in the charged body. Because an electron is an object that is always moving. That’s why it’s difficult to model at the beginning.Although it can be said that it is an incomplete model in today’s physics, especially in quantum mechanics, Hantaro Nagaoka’s model can be highly evaluated because it changed the atomic model at that time. I was able to create an initial image of the existence of an atom that I had no knowledge of. Based on that model, we were able to discuss the behavior of electrons, which are charged substances. It was a wonderful paradigm shift.