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大河内正敏
【リケンや日本ピストンリングの創設期に尽力した御曹司|政界でも活躍】‐8/10改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

理化学研究所100年目
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【1878年12月6日生まれ ~ 1952年8月29日没】


「国立国会図書館‗大河内正敏 肖像」
:昭和初期撮影

大河内家の御曹司

大河内正敏は旧上総大多喜藩主にして子爵の

大河内正質の息子として生まれました。

正敏は学習院初等科に進み、大正天皇と共に学びます。

「大河内」という姓は当時としても由緒ある名であり、
正敏は同じ大河内家から夫人を迎えています。
旧大名家の血統を受け継ぐ華族の家柄は、まさに
近代日本の上流社会を象徴する存在でした。
きっと鹿鳴館で踊っていても違和感ありません。

ちなみに、寺田寅彦とは誕生日が物凄く近いのですが
交流はあったのでしょうか?当時から象牙の塔の中は
風通しが悪そうですね。互いに孤高を極めてた??

大河内正敏は政界で子爵議員として貴族院議員を2期務めます。
そして若かりし無名の田中角栄を可愛がっていた言われます。

そんな人なので理化学研究所の3代目所長に就任
した時は理研研究員にして、貴族院議員で子爵、
そして東京帝大教授でした。
そんな偉人を今回はご紹介します。

理化学研究所を世界的研究機関へ育てた大河内正敏

大河内正敏の最大の功績は、一人の研究者として論文を残したこと
だけではありません。
第3代理化学研究所所長として、日本の科学研究を産業へ
結び付ける仕組みを築いたことにあります。

当時の理化学研究所では、研究成果を企業へ移転し、その収益を再び研究
へ投資するという「研究と産業の循環」を積極的に進めました。この考え方は、
現在でいう産学連携や技術移転を先取りしたものであり、
日本の研究開発体制に大きな影響を与えています。

その代表例が、後に株式会社リケンへと発展したピストンリングの研究・事業化
でした。物理学や材料工学の成果を実際の工業製品へ結び付けることで、
日本の機械工業の発展にも大きく貢献したのです。

大河内正敏は「優れた物理学者」であると同時に、「研究成果を社会へ還元する仕組み」
を作った科学行政の先駆者でもありました。
 

大河内正敏の様々な業績

大河内正敏は東大で物理学を学んでましたが時節柄、
寺田寅彦と飛行弾丸の研究をしていたようです。
物理学を駆使すれば流体力学や表面の解析が出来ます。

大河内正敏が進めた具体的な別の活用事例としては、
ピストンの開発があります。ここでもシリンダー内の
熱流体解析や、摂動面の摩擦特性を解析出来ます。

この研究は後の株式会社リケンにつながります。
戦後にリケンのグループは、GHQより
十五大財閥の
一つとして指定を受けます。

そして、眠りに

こうした業績を残して今、
大河内正敏は埼玉県にある
平林寺で永眠しています。

その近くには理化学研究所の研究室があり、
今でも研究者たちが世界に冠たる研究を続けています。
量子の根源を考え続けています。


前後の人物

◀ 前の人物:本多光太郎

▶ 次の人物:寺田寅彦

この分野の物理学者

長岡半太郎
日本の原子物理学の先駆者

本多光太郎
理研を支えた材料科学者

寺田寅彦
理研でも研究を続けた物理学者・随筆家

鈴木梅太郎
理研の「三太郎」の一人として知られる農芸化学者

 

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〆最後に〆

以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
最近は返信出来ていませんが
全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致しします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/17_初版投稿
2026/08/10_改訂投稿

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(2021年10月時点での対応英訳)

Okochi family sergeant

Masatoshi Okochi was born as the son of Masatoshi Okochi, the former lord and viscount of the Otaki feudal lord of Kazusa. Masatoshi goes to Gakushuin Elementary School and studies with Emperor Taisho. Also, when I thought that Okochi was a rare surname, my wife was also a kid from the Okochi family, and I felt like a royal family. It feels like a splendid clan different from the commoners. I’m sure they were dancing at Rokumeikan.

He is a member of the House of Lords for two terms as a Viscount member in politics. Under such circumstances, it is said that he loved the young and unknown Kakuei Tanaka. As such, he was a RIKEN researcher, a member of the House of Lords, a Viscount, and a professor at the University of Tokyo when he became the third director of RIKEN. I would like to introduce such a great man this time.

Achievements of Masatoshi Okouchi

Masatoshi Okouchi studied physics at the University of Tokyo, but he seems to have been studying flying bullets with Torahiko Terada. He can use physics to analyze fluid mechanics and surfaces.

Another specific use case promoted by Masatoshi Okouchi is the development of pistons. Here, too, you can analyze the thermo-fluid inside the cylinder and the friction of the perturbing surface. This research will lead to RIKEN CORPORATION later. After the war, this group was designated by GHQ as one of the 15 major conglomerates.

And to sleep

With these achievements, Masatoshi Okouchi is now sleeping at Heirinji Temple in Saitama Prefecture. There is a branch office of RIKEN nearby, and researchers are still conducting world-class research.