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中村清二
【地球物理・実験物理を研究し多くの人材を育てました】-7/29改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

光学ガラス三角
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【1869年10月28日〜1960年7月18日】

中村清二(1878-1963)は、日本の物理学者・地球物理学者であり、
光学・火山学・物理教育という三つの分野で大きな足跡を残しました。
東京帝国大学教授として多くの研究者を育成するとともに、
『理科年表』の物理部門監修や実験物理学教育の充実にも尽力し、
近代日本の物理学の発展を支えた人物として知られています。

中村清二の時代のキャリア形成

中村清二は福井県に生まれ、東京帝国大学へ進学しました。
在学中は田中舘愛橘の指導を受けていますが、その後の
キャリア形成には、現代とは異なる時代背景を強く感じさせるものがあります。

1903年、中村は30代で助教授の地位にありましたが、その時期に
ドイツへ留学しています。特に興味深いのはその後で、
帰国後に博士号を取得している点です。

当時の修士課程の位置づけについては詳しく分かりませんが、
博士課程を修了する前に助教授として学生を指導し、
さらに海外留学を経験したうえで博士号を取得していたことになります。
現代の感覚からすると、時代の違いを強く感じさせる経歴です。

現在であれば、博士号を取得していない助教授、
あるいは准教授はほとんど存在しないのではないでしょうか。

【出典:wikipedia】


中村清二の研究業績

中村清二は、何よりもまず光学の研究で知られています。
量子力学が成立していく時代に関連する研究を行い、
光弾性実験やプリズムの最小偏角に関する研究などを手がけました。

また、地球物理学の分野でも重要な業績を残しています。
大正時代に三原山が噴火した際には、地球内部の物理学に
強い関心を持つようになり、火山学の確立に寄与しました。
三原山や浅間山における研究体制の整備にも大きく貢献しています。

さらに中村は、物理学教育にも情熱を注ぎました。物理の教科書を
繰り返し編纂し、とりわけ東京帝国大学の講義科目であった
「実験物理学」は、後の日本の物理学人材を育成し、学問の発展の礎を築いたといえます。

1925年には『理科年表』が刊行されますが、その際、
中村は物理部門の監修者として重要な役割を果たしました。
定年後も研究意欲は衰えず、八代海の不知火や魔鏡の研究に取り組んでいます。

理科年表とは何か

『理科年表』は、日本で最も権威ある科学データ集の一つです。
1925年(大正14年)に創刊され、現在も毎年改訂版が刊行されています。
天文学・物理学・化学・地学・生物学・気象学・地震学など、
自然科学に関する膨大な数値や定数、観測データを一冊にまとめた資料であり、
研究者だけでなく、大学・高校の教育現場、企業の技術者、
さらには新聞社や出版社でも広く利用されています。

理科年表の特徴は、単なる辞典ではなく、
「正確な数値を調べるための標準資料」である点です。
例えば、プランク定数、光速度、重力加速度、元素の物理定数、
天体の位置、日食・月食の時刻、各地の気象統計、
地震・火山活動の記録など、科学研究で必要となる基礎データが
体系的に整理されています。
現在でも論文や教科書を執筆する際の重要な参考資料として利用されています。

創刊当時、中村清二は物理部門の監修を担当しました。
これは単に記事を書いたという意味ではなく、
日本の物理学者が共通して利用できる基礎データを整備し、
全国の教育・研究活動を支える役割を担ったことを意味します。
研究成果は論文だけでは発展しません。
誰もが同じ基準で数値を扱える環境を整備することも、
科学の発展には欠かせない仕事でした。
中村清二は研究者であると同時に、日本の科学基盤を築いた
教育者・編纂者でもあったのです。

創刊から100年近く経った現在でも『理科年表』は刊行され続けており、
日本の科学界を支える代表的な出版物として高く評価されています。
中村清二の仕事は、研究成果だけでなく、後世の研究者が
利用する知識基盤の整備という形でも受け継がれているのです。


中村清二の人柄と周辺人物

中村清二は、妻との間に二男二女をもうけました。また、
作家の中村正常は兄の子にあたります。中村正常は、
三原山の調査に同行したこともあり、学問的な交流があったことがうかがえます。

なお、中村正常の長女は女優の中村メイコとして知られています。

こうした多くの業績と人とのつながりを残し、中村清二は
91歳で生涯を閉じました。まさに大往生といえるでしょう。


関連する物理学者

◀ 前の人物:田中舘愛橘

日本近代物理学の礎を築き、中村清二の恩師。

▶ 次の人物:長岡半太郎

日本初期の原子論研究を牽引した物理学者。

この分野の物理学者(日本近代物理学)

田中舘愛橘

中村清二

長岡半太郎

本多光太郎

アルベルト・アインシュタイン

マックス・プランク

〆最後に〆

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2022/04/02_初回投稿
2026/07/29_改定投稿

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(対応英訳)

Seiji Nakamura was born in Fukui prefecture and enterd into the University of Tokyo. There, he was taught by Tanakadate Aikitsu, and from there I felt the times in his future career. He was an assistant professor in his thirties in 1903, when he went to Germany to study abroad. The part where I felt the times was when I thought about it, but Nakamura got his PhD after returning to Japan. I don’t know how to treated a master’s degree at that time, but before finishing his doctoral course, he taught students as an assistant professor, studied abroad, and then got a PhD. He felt that the times were different.

Nakamura is known for his research in optics. He has been doing related work in the era when quantum mechanics was established, and he is studying photoelastic experiments and the minimum declination of prisms.

Nakamura is also conducting research in the field of geophysics. Especially when Mt. Mihara erupted in the Taisho era, he was interested in the physics inside the earth. He has established volcanology and is contributing to the development of research systems for Mt. Mihara and Mt. Asama. ..

He also repeated the work he enthusiastically put together a physics textbook. In addition, experimental physics, one of the lecture subjects at the University of Tokyo, cultivated human resources in Japan laters and laid the foundation for the development of physics. His science chronology was released in 1925, when he left his job as a supervisor in the physics department.
After retirement, Nakamura is conducting research on Shiranui and magic mirrors in the Yashiro Sea.

Personality of Seiji Nakamura, etc.
Nakamura could have a second son and a second daughter with his wife.
The writer, Masatsune Nakamura, was the son of his older brother and also accompanied him to the investigation of Mt. Mihara.
The normal eldest daughter is Meiko Nakamura, an actress.
Nakamura was called, leaving behind many of them. He is 91 years old.