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ゲオルク・レティクス_
【コペルニクスと天動説をまとめた】-10/6改訂

こんにちは。コウジです。半年ごとの改定ですが、
今回の改定は英訳部分の削除が主です。ご覧ください・
(以下原稿です)

天体回転論
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【1514/2/16 ~ 1574/12/4】


【画像出典:Wikipedia】
レティクスの『Narratio Prima』は、地動説を初めて
体系的に紹介した出版物として知られています。

天文学のパイオニア・レティクス

その名はGeorge Joachim Rheticus または
Rhäticus, Rhetikus と記します。

(外国の方ですから正確にコピペしました。)天文学者レティクス
(本名 Georg Joachim Iserin、後に von Lauchen / Rheticus を名乗る)は、
1514年2月16日、オーストリアのフェルトキルヒ(Feldkirch)
で生まれました。 Encyclopedia Britannica+1
幼少期には父親の医学職、ラテン語学校での教育を経て、チューリッヒ(Zurich)
での学びののち、1533年からウィッテンベルク大学に進学し、1536年に
修士号を取得。その翌年 1537年にウィッテンベルクで数学と天文学の
教授職
に就任します。 mathshist

レティクスは 1539年から1541年 の間、ポーランドのフラウエンブルク(Frombork)で
コペルニクスと共に暮らし、その理論を直接学びました。
mathshistory.st-andrews.ac.uk+2Encyclopedia Britannica+2

その滞在中にレティクスは Narratio Prima(1540年)を執筆し、コペルニクスの地動説
(heliocentric model)を紹介する働きをします。これにより、
「De revolutionibus orbium coelestium」が出版されるきっかけを作った重要人物となりました。
mathshistory.st-andrews.ac.uk+2Encyclopedia Britannica+2

また、彼は三角法(trigonometry)の分野でも業績を残しており、
Opus Palatinum de Triangulis
という六つ全ての三角関数(正弦・余弦・正接など)
を用いた表を含む著作を準備しました。これは彼の晩年後、
彼の弟子によって 1596 年に出版されます。 Encyclopedia Britannica+2mathshistory.st-andrews.ac.uk+2

あえて他の道具を考えていくとすれば当時は数に
神秘的意味を見出す思想(数秘術など)も広く存在していました。
しかしレティクスは、そうした象徴的理解ではなく、観測と数学に基づく
天文学の体系化を志向した点に特徴があります。

数秘術とはユダヤ教の発展と共に伝わってきた
「カバラ」と呼ばれる数の体系です。キリスト教の
色々な逸話に基づき
数字一つ一つに意味を付けていきます。
13や7が比較的幸運な番号であるといった次第に
一つ一つの数字に意味が加わるのです。

数秘術としてカバラは占い師が受け継いでいる体系です。
中世には王家の意思決定などの時に(真面目に)「議論」が
カバラの流儀で交わされて実際の祭り事が行われていました。

有名人ではミッシェル・ノストラダムスはフランス王家に仕え、
カバラの思想に基づき助言を与え地位を確立しています。
レティクスも何人かのパトロンのもとで研究を続けます。

レティクス時代の宗教と政治

また、当時の宗教は政治的にも力を持っていました。
特に中世以前はキリスト教の教えに従い
協会自治区が地方のあちらこちらにありました。

そうした経緯で、1096年から1303年にかけての期間には
聖地を確保するために十字軍が組織され、
大規模な軍事行動が行われました。

斯様な時代背景のもと、16世紀前半に
宗教改革をしたマルチン・ルター(1483- 1546)
によるコペルニクス(1473 – 1543)への批判が有名です。

宗教が科学に対する影響は大きいのです。ルターは
聖書の一節であるヨシュアによる

「日よとどまれ」(ヨシュア10:12~13)

という言葉に着目しています。

「地球が動いているのではなくて太陽が動いている」
という概念が聖書の中での世界観が天文学にも
適用される事が好ましい世の中だったのです。

実験と経験を重視して考える思考は
ルター思想の中では目立ちません。

ルターによれば千年以上前に著された
聖書の言葉が何より重いのです。

それだからルターはコペルニクスの
考えを受け入れていないのです。

教会が権威を持ち堕落しているとの批判的な観点から
ルターは
神の言葉としての「聖書の文言」
を大事にする聖書絶対主義を掲げました。

キリスト教の中でもプロテスタントとカソリックが
天文学に対して異なる見解を示します。

科学に対してキリスト教が偏見を持っていた事情は1973年に
ヨハネ・パウロ二世が「ガリレオ裁判の過ち」を
公式に謝罪する事態に至ります。

レティクスとコペルニクス

精力的にレティクスはコペルニクスを支持し続けました。
時代背景にも関わらず、レティクスは地動説(コペルニクス説)
を積極的に支持し、その普及に尽力しました。。

コペルニクスの死後まもなく発刊された
「天球の回転について」

において地動説を形にします。

後世の天文学者が大事に使っていく概念を作り上げたのです。
いわゆる「コペルニクス的転回」が大部分の人に
理解されなかった時代に、
レティクスは理解と復旧を進めました。

■前後リンク(必須)

◀ 前の人物:コペルニクス(1473年)
▶ 次の人物:ケプラー(1571年)

👉 レティクスは「橋渡し役」なのです。

■この分野の物理学者(革命の流れと天文学革命)

・プトレマイオス(天動説)
・コペルニクス(地動説の提唱)
・レティクス(地動説の普及)
・ケプラー(惑星運動の法則)
・ガリレオ(観測による実証)

〆

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2022/10/05_初版投稿
2026/10/06‗改訂投稿

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