2026年10月29日2026年10月18日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すジェームズ・ワット【産業革命時に蒸気機関を改良しフライフォイールを発明】‐10/29改訂 こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。 今回の改定は英訳部の削除が主です。 ご覧ください。(以下原稿です)産業革命史 【スポンサーリンク】 【1736年1月19日生まれ ~ 1819年8月25日没】出典:Source: National Portrait Gallery, London.Portrait of James Watt by Carl Frederik von Breda, c.1792. ワットはどんな人でしょうワットは蒸気機関の改良を通じて産業革命に 大きな成果を残したイギリスの偉人です。イギリスにおいて産業革命が起きて、 年4回の耕作が行われ始めていき、多くの 農業従事者が自営業から雇われ農夫となったり、 植民地からの労働力を含めて人が大きく動き、 工場稼働率が高まっていきます。急激に市場が拡大して産業が大きく変化していくのです。 そうした時代に蒸気機関や紡績機に対しての 技術開発に対する研究の重要性は増していきました。そんな中、ワットはグラスゴー大学でジョゼフ・ブラックらの協力を得て工房を作り作業を続けます。蒸気機関を対象に研鑽を続けます。 ワットによる蒸気機関の開発ワットは具体的な改良には蒸気機関における凝縮器の設計をします。 その本質は、「蒸気機関は、毎回シリンダーを温めたり冷やしたり することで、膨大な熱を無駄にしている」という点でした。そこで彼は、蒸気を冷却する“復水器(凝縮器)”を シリンダーとは別に独立させます。これによってシリンダーを高温のまま維持できるようになり、 蒸気機関の効率は飛躍的に向上しました。これは単なる部品改良ではなく、 「熱をどれだけ仕事へ変換できるか」 という熱機関の本質に迫る発想だったのです。当初の設計でシリンダー部での 熱の出入りが非効率である事情に着目していて、そこを改良した訳です。 ポールトンという資金面での協力者も得て、ワットは事業化に成功して成功を修めます。ワットが最終的に成功を収めた話を初めにしましたが、実際の所は製品化までに大きな道のりがありました。当時の加治屋さん達は今と比べて精度の低い生産過程を当たり前だと思っていたので、ミリ単位(場合によっては更に高精度)の加工を現在考えるような誤差範囲でこなしていく事は出来なかったのです。蒸気機関の性質上、ピストンとシリンダー間の寸法誤差は大きく性能を損ねます。丸い形で摺動方向に延びていくピストンとシリンダーの精度を上げていく事は大変な作業だった筈です。最終的には大砲製造に向けて開発された「精密、中ぐり技術」を使い製造していきます。また一方で、ワットはこれらの製造に関わる技術に対しての特許習得にも配慮しなければなりませんでした。そういった創意工夫を重ねる中でワットは関連会社の仕事として「鉱山の揚水機械」の仕事を受けます。それは大変大きなもので、直径127センチメートルのシリンダーをもった7メートル以上の大きさの機械でした。あまりに大きいので専用の建屋を建てて運営していたそうです。その後、機械に色々な改良を加えていきます。益々効率的な機械になっていったのです。 そのほかのワットの業績現代の自動車のエンジンで当たり前に使われている、フライホイールも ワットが大きく改良を加えました。フライホイールは既に中世から水車・製粉装置 で使われていましが、ワットの重要な貢献は 調速機(ガバナー)や 複動機構、回転運動変換装置(サン&プラネット機構) の改良した点です。 回転ムラを無くして機械を円滑に動作させることで動きの 効率を上げて振動を抑え、耐久性を向上させるのです。何より、ワットはそうした仕事の中でエネルギーの定式化を進め力(Newton)の概念から仕事量(Watt)の概念 を発展させました。多くの人々から尊敬を受けました。考え抜いた 討論をして自分の見識を広げていった人でした。 近年、イギリスのお札に肖像画が用いられています。◀ 前の人物:ジョゼフ・ブラック▶ 次の人物:サディ・カルノーこの分野の科学者(熱力学・産業革命)ジョゼフ・ブラックジェームズ・ワットサディ・カルノールドルフ・クラウジウスウィリアム・トムソン 〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全て返信出来てませんが 必要箇所は適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2021/07/07_初回投稿 2026/10/29_原稿改定舞台別の纏めへ 時代別(順)のご紹介 イギリス関係のご紹介 力学関係のご紹介へ 熱統計関連のご紹介へ AIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】