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J・R・マイヤー
【熱と仕事の変換|エネルギーの概念の確立に貢献】‐12/10改訂

こんにちはコウジです。
半年ごとの既存記事見直しの作業です。
今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。
では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。
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(以下原稿です)

世界は物理で出来ている
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【1814年11月25日生まれ ~ 1878年3月20日没】

エネルギー概念を切り開いた物理学者 ― ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー

ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー
(Julius Robert von Mayer)は、
熱と仕事の関係に着目し、
エネルギー保存の法則の礎を築いたドイツの物理学者です。
「エネルギー」という現代物理学の基本概念の確立に
大きく貢献し、熱力学第一法則の成立を支えた
研究者のひとりとして世界的に知られています。


画像出典:Wikimedia Commons(Public Domain)


マイヤーの生い立ちと学生時代のエピソード

マイヤーは1814年にドイツで生まれ、チュービンゲン大学で医学を学びました。
実験が好きで化学の講義にも積極的に参加していたほか、学生運動的な活動
に関わり、当局と衝突して停学処分を受けたこともあります。

しかし、その期間を無駄にせず、多くの学問的知識を習得した
と言われています。
しぶとく、学びに貪欲な性格が伝わるエピソードです。


熱帯航海での“赤い静脈血”の発見 ― エネルギー概念への出発点

大学卒業後、マイヤーは見聞を広めるためにオランダ領
東インド諸島へ向かう船の軍医となります。

航海中、マイヤーはある異変に気づきます。瀉血で採取した船員の
静脈血が、寒い地域で見るよりも鮮やかな赤色だったのです。

この観察からマイヤーは次のような仮説を立てました。

  • 血液は酸素量が多いほど赤い
  • 熱帯では体温維持に多くの酸素が必要ないのではないか
  • 酸素消費は体温維持にも、人間の運動にも関係しているのではないか

これらの推論が「熱と運動は何らかの形で関連し、互いに変換可能である」
という発想につながり、後に熱と仕事の等価性を提唱する重要な契機になりました。


エネルギー保存の法則の成立へ ― マイヤーの独創的な洞察

マイヤーは、ニュートン力学で扱われる力学的な仕事、熱の発生、
電気による作用などの現象を広く捉え、これらが互いに変換し合う
という概念に到達しました。

その結果、「熱と仕事は同じ本質を持つ量である」という考えを提示し、
現代のエネルギー保存則の原型となる理論を打ち立てました。

1842年に『Remarks on the Forces of Inorganic Nature』という論文を発表し、
熱と仕事の関係を明確に示しましたが、当初は学界でほとんど注目されませんでした。

しかし後に、ヘルマン・フォン・ヘルムホルツやリービッヒらが
その重要性を評価し、彼の研究は再び光を浴びることになります。

その功績が認められて、マイヤーは1871年にイギリス王立協会より
コプリ・メダルを授与されました。
自然科学における最高の名誉のひとつです。


晩年とその後の評価

マイヤーは1878年3月20日、64歳で亡くなりました。
哲学者エルンスト・マッハは、マイヤーを次のように評しています。

「マイヤーは自然の探求において、比類なく重要かつ広汎な見識をもっていた。」

特にエネルギーの概念を導入し、その保存則の成立に貢献した点が大きく評価されています。
今日でも、マイヤーは「エネルギー概念の提唱者」と呼ばれることがあります。


まとめ:エネルギーの“始まり”に立ち会った人物

ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤーは、熱と仕事を結び付けることで、
エネルギーという物理学上の普遍的な概念を切り開いた研究者です。
現代科学のあらゆる分野で使われるエネルギーの基礎は、
彼の洞察と観察によって大きく前進しました。

なにより、エネルギーの概念正確には マイヤー、ヘルムホルツ、ジュール
の3名が独立に提唱していますが、、
マイヤーはエネルギー保存則を
最初期に提唱した研究者の一人として位置づけられています。

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(2021年9月時点での対応英訳)

If you write down the name,
Julius Robert von Mayer,

A German physicist. He believes that heat and work can be converted to each other, and is well known for the law of conservation of energy and Mayer’s relations for specific heat.

First, Meyer studied medicine at the University of Tubingen. He liked experiments, and Meyer also took chemistry lectures in addition to medicine at university. He also seems to have organized a student union and confronted the authorities at the same time. As a result, Meyer will be suspended.

Mayer and Energy

However, Meyer seemed to have had a good time taking advantage of his suspension period without losing. He is a reluctant man. Later, Meyer became a surgeon in the Dutch colony to spread his knowledge. During his voyage in the East Indies, Meyer notices something. The venous blood of the phlebotomized sailors had a brighter red color than that of cold regions. Meyer’s hypothesis is

① Blood is red when there is a lot of oxygen in the blood

② There is too much oxygen in the tropics
Isn’t it necessary?

③ To maintain body temperature in the tropics
It requires less oxygen.

Therefore, further inference about the relationship between heat and exercise suggests that oxygen consumption is related to “maintenance of body temperature” and “results of human exercise”. That’s why I suspected that heat and exercise had something to do with each other. It’s his unique perspective. After that, we will continue to experiment independently.

Meyer broadly captures forces in Newtonian mechanics, heat, and forces derived from electricity, and envisions concepts that will be shown later in terms of workload. He interacts between the physical quantities that have been discussed separately, and later establishes the law of conservation of energy.

Hermann von Helmholtz and Liebig also evaluated Meyer’s achievements, and as a result, Meyer became more widely known. He has also been sent a Copley Medal by the Royal Society. He died at the age of 64 on March 20, 1878, seven years after receiving his medal. “Meyer had an unparalleled importance and widespread insight in the quest for nature,” Ernst Mach said. In particular, the evaluation contributed greatly to the establishment of the concept of energy, and some people evaluated it as an advocate of the concept of energy.

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レンツ_Heinrich Friedrich Emil Lenz【変動磁場_誘導起電力を法則化】-12/7改訂

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レンツの法則実験機
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【1804年2月12日生まれ ~ 1865年2月10日没】

画像出典:Wikimedia Commons / Public Domain

★ 改訂稿:冒険家としての一面をもった物理学者、レンツ

ハインリヒ・フリードリヒ・エミル・レンツ
(Heinrich Friedrich Emil Lenz)
は、ドイツ系ロシア人の物理学者で、
1804年にロシア帝国のエストニアで生まれました。若き日のレンツは、
ロシアの探検家 オットー・フォン・コツェブー による
第3次世界周航(1823–1826年)の調査隊に参加し、
海洋の温度・塩分・比重など物理的特性を測定する
観測員として活躍しました。

この航海経験が、後の実験物理学者レンツを
形成する下地となります。


■ レンツの法則の意義

レンツの最大の業績は、1834年に発表した
「レンツの法則」 です。

これは、

誘導起電力によって生じる電流は、
その原因となる磁束変化を妨げる向きに流れる

というもの。

例えば、コイルに磁石を近づけると電流が流れ、
その電流がつくる磁場が磁石を押し返すように働きます。
これは自然界のエネルギー保存則と深く結びついた現象で、後の
マクスウェル方程式の理解において不可欠な法則です。

この法則は現代では 電磁ブレーキ、渦電流、モーターの制御、
発電機の効率計算
など多くの技術に応用されています。


■ 19世紀電磁気学のダイナミズム

レンツが活動した19世紀前半は、

  • ファラデーの電磁誘導(1831)

  • レンツの法則(1834)

  • マクスウェルの電磁理論(1860年代)

が次々に生まれた時代で、電気と磁気を統合する巨大な
パラダイムシフトが起きていました。電子や原子の
存在さえ実証されていない時代に、目に見えない電場・磁場を
数式で扱い始めた研究者たちの先駆けとして、
レンツの貢献は非常に大きいものです。

さらにレンツは、電流が流れる導体で生じる発熱量が抵抗と
電流の二乗に比例するという ジュールの法則 を、
ジュールとは独立して導きました。

電気と熱の関係を橋渡しした先駆的業績として高く評価されています。


一次情報・歴史情報の補足(正確性の裏付け)

✔ レンツの基本情報(実証された史実)

  • 生没年:1804年3月12日 – 1865年2月10日

  • 出身:ロシア帝国エストニア、ドイツ系家庭

  • 職歴:サンクトペテルブルク大学教授、ロシア科学アカデミー会員

  • 探検活動:コツェブーの第3次世界周航(1823–1826)に参加

  • 主要業績

    • レンツの法則(1834)

    • ジュールの法則の独立発見

    • 海洋物理の先駆的観測

✔ コツェブー調査隊(一次資料)

  • 船:Predpriyatie号

  • 探検期間:1823–1826

  • 寄港地:南米・太平洋・アリューシャン列島・カムチャツカなど

  • 調査内容:海洋物理・動植物調査・気象観測など



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Lentz and the world

Heinrich Lenz is a German-Russian physicist born in Russia. At a young age, he is a member of the 3rd Round the World Survey, led by Otto von Kozebu, investigating the physical aspects of the marine environment.

Lenz may have stopped by ports in various countries to investigate seawater components. I would like to cooperate with my colleagues who are fishing there and studying biology. First, check the water depth and use various live foods.

Meaning of Lentz’s low

By the way, Lenz’s law is famous for Lenz’s achievements. The content is related to the fluctuating magnetic field, and the induced electromotive force is generated, but the direction is the direction that hinders the initial magnetic field generation. That is.

As an example, when a magnet is brought close to the coil, an electric current is generated in the coil, and therefore the coil becomes magnetized and the magnet and the coil repel each other. What is difficult to understand sensuously is how the magnetic field lines emitted from the magnet travel through the space. In modern understanding, electromagnetic waves are transmitted even in a vacuum, but I think that they can only be understood with the knowledge that Lenz brought. That’s why I think it’s wonderful to repeat the experiment and formulate it. This Lenz’s law is applied to electromagnetic brakes in modern times.

The era of Lenz is close to Maxwell, and this era can be regarded as the era when electromagnetics is being completed. Words used by modern people, electromagnetic waves, atoms, electrons, photovoltages … Without such knowledge, we created a theoretical system that connects magnetic force and electric power to electronics. It was just a series of paradigm shifts. Maglevs are now moving around using invisible laws.

Lenz also independently led to Joule’s law. This achievement is also noteworthy. It connected the world of electricity and heat.

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N・L・S・カルノー
【仕事量|カルノーサイクルを考案|36歳で病死】-12/5改定

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熱さまシート
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【1796年6月1日生まれ ~ 1832年8月24日没】


タイトル
:Sadi Carnot portrait
作者:不明(19世紀)
ライセンス:Public Domain(著作権なし)
出典:Wikimedia Commons(“Sadi Carnot” portrait)

カルノーの業績

その名は ニコラ・レオナール・サディ・カルノー(Nicolas Léonard Sadi Carnot)
19世紀フランスに生き、熱機関の理論体系=カルノーサイクル
を提唱した人物として知られています。

カルノーの父ラザール・カルノーは、フランス革命期の軍制改革を主導した
尊敬を集める人物でした。その影響もあり、サディ・カルノーは
正義感が強く、思索深い青年に育ちました。

当時の産業界では蒸気機関が急速に発達していましたが、
「なぜ蒸気機関がどれだけの仕事を生み出せるのか」という
熱と仕事の関係の理論的説明は十分ではありませんでした。
蒸気が膨張して圧力を生むことは経験的に知られていても、
温度・圧力・体積の関係や、粒子運動との
つながりは未整理だったのです。

カルノーはこの問題に挑み、熱機関が取り出せる仕事量に
上限があることを示しました。
これが 「カルノー効率」 であり、
後の熱力学第二法則の基礎となります。

彼は「仕事」という概念そのものを作ったわけではありませんが、
熱と仕事の変換を理論で結びつけた最初期の科学者でした。

カルノーはわずか36歳で病没したため、
生前にその業績はほとんど評価されませんでした。
しかし、クラペイロンがカルノーの理論を図示して体系化し、
トムソン卿(ケルビン) がその重要性を広め、さらに
クラウジウス がエントロピー概念へと発展させました。

こうして、カルノーの思想は後の熱力学の中心原理として
高く評価されるようになったのです。


一次情報にもとづく補足

✔ カルノーの一次情報

  • 代表著書:『火の動力についての省察(Réflexions sur la puissance motrice du feu)』(1824年)

  • 生没年:1796–1832

✔ 歴史的評価の流れ(正確版)

  1. カルノー(1824)
    ・熱機関と仕事の理論的限界(カルノーサイクル)を提示

  2. クラペイロン(1834)
    ・PV図で体系化、式として理解可能に

  3. ケルビン卿(1849–1851)
    ・「カルノー効率」概念を整理

  4. クラウジウス(1850年代)
    ・エントロピーと第二法則へ発展




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Job of Carnot 

Its name is Nicolas Léonard Sadi Carnot.

Carnot advocated the Carnot cycle, a theoretical heat engine, and continued to think about heat-related physics.

His father is said to have been respected in the French army during the Revolution and led the military reforms. And Carnot grows up to be a sensitive young man with a strong sense of justice.

Carnot’s interest was in the steam engine. The industry at that time could not explain the steam engine theoretically.

It is understood in the Carnot era that steam expands rapidly, but the behavior of individual particles that make up steam, especially the “temperature rise (decrease)”, “pressure”, and “volume” brought about by collective motion, etc. The relationship with quantity was not clear.

As an empirical knowledge of Carnot’s time, “the steam generated when water is heated expands and generates pressure as it moves from the liquid state to the gaseous state.”

In the discussion of gaining power by moving the sliding engine with the pressure generated at that time, there was no theoretical environment in the era of Carnot that was discussed based on quantitative discussions.

Carnot way of thinking 

Carnot creates the concept of “work load” by considering the distance that the force is continuously applied in addition to the force that appears in Newtonian mechanics. There is a big difference between the phenomenon of “dragging a few centimeters” and the phenomenon of “dragging a few kilometers” of heavy luggage, so the concept of “work load” can be understood sensuously.

For example, there is a relationship between the force that moves an object and the frictional heat that is generated when it moves, and Carnot used the concept of work to connect them. In addition, the concept of specific heat and heat capacity was created, and various phenomena were connected.

Unfortunately, Carnot lives a very short life and died of illness at the age of 36.

Carnot was evaluated after his death. Clapeyron and Sir Thomson evaluate it, followed by Mach. Carnot’s concept of “work” was finally appreciated in his later years.

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マイケル・ファラデー
【王立協会に所属し電磁場の近接作用を研究】‐12/4改訂

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G・オーム
【抵抗値の単位|オームの法則:E=RI】‐12/2改訂

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オームの法則Tシャツ
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【1789年3月16日-1854年7月6日】

パブリックドメイン(著作権切れ)
出典:「Wikimedia Commons / Public Domain」

オームの法則を見出したオーム

その名はGeorg Simon Ohm。

オームの法則で有名です。

オームの法則は定量的に回路を論じるときに不可欠で

非常に明快なので小学生レベルから説明出来ます。

子供に科学を教える時に理解しやすく、

実験的と原理がつながる事例として明快です。

電圧値;Eは電柱値;Iと抵抗値;R

の積なのです。E=RI。「オームは偉い!」

と覚えました。

 

ームの法則確立の経緯

オームは独学で数学、特に幾何学を習得してます。

研究生活に入る前に教師として生計を立てて
いる時期がありました。その後、
プロイセン王に幾何学に関する原稿を送り、
その論文で評価を受けました。ケルンの
ギムナジウム(中等教育機関)で
物理学を教える機会を得ます。
そこでの実験室で設備が充実していたことは
その後のオームにとってとても良かったのです。
【正確には1817年にケルンのイエズス会ギムナジウム(Jesuit Gymnasium)で
数学・物理の教師となったのです。 ウィキペディア+2kenshoku-bank.com+2

オームの法則は、実の所はイギリスの
キャヴェンディッシュが先に発見していたようです。
その時点で体系化もされておらず、見逃されていました。
そして、キャンデビッシュは存命中に発表しませんでした。

【参考;ヘンリー・キャヴェンディッシュ(Henry Cavendish)は電流と電位差の関係を示唆
するような実験を行っていた可能性がありますが、彼はその理論を体系化して「オームの法則」
として発表したわけではありません。 uec-programming.com+2ウィキペディア+

オームはキャヴェンディッシュと意見交換

することなく独自に法則を

確立していて論文にまとめました。

 

オームの電子把握について

また、オーム自身は導体内での電子の挙動に関して
近接作用の側面から「論じようとしていた」ようですが
そんなエピソードからも目に見えないミクロな現象を
組み立てていく為に検証をしていく難しさを感じます。
正確には、電子という概念はまだ確立されていませんでした。オームは電気現象を数学的なモデル
(ガルバーニ電池、導線の長さと抵抗など)で扱い、電子論的な記述はしていません。実際のところ、
オームの業績は電位差(電圧)、電流、抵抗の関係を定量的に示すものであり、
電子の運動を直接観測・モデル化するものではなかった点に注意が必要です。

「静電気」の概念が確立された後に、

電子が溜まっていく認識が出来て、

溜まったものに同位体を近接させると

電気が流れていくのです。

その時に電球(ライト)が点くのです。

相異なる物理量を抽出して結び付けていったのです。

 

そんな作業を一つ一つ進める困難の中、

原理を確立して社会に意義を問いかけた結果として、

現代に多大な功績を残し、オームの名は抵抗値の

単位として今後も使われていきます。

補足:一次情報・史実(調査による補足)

正確を期す為に以下、オームの研究・生涯について、一次情報または信頼性の高い史実をもとに補足します。

  • 著書
    オームの代表作は 1827年の Die galvanische Kette, mathematisch bearbeitet(ガルバニ電流の数学的研究)で、ここで彼は電位差 (V)、電流 (I)、導線の長さ・断面積などから抵抗 R を導入し、比例関係を数学的に述べています。 ウィキペディア+1

  • 教育背景
    オームは幼少期に父から家庭教育を受け、数学や物理、哲学などを学びました。 ウィキペディア

  • キャリア

  • 業績評価

    • 1841年:イギリス王立協会 (Royal Society) よりコプリー・メダル受賞。 ウィキペディア

    • 生涯独身、生涯を通じて実験・理論の研究に専念。 kenshoku-bank.com+1

 



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Ohm who found Ohm’s law

Its name is Georg Simon Ohm. Famous for Ohm’s law.

Ohm’s law is indispensable and very clear when discussing circuits quantitatively, so it can be explained from the elementary school level.

It is easy to understand when teaching science to children, and it is clear as an example where experiments and principles are connected.

The voltage value; E is the product of the utility pole value; I and the resistance value; R. E = RI.

Background of the establishment of Ohm’s law

Ohm was self-taught in mathematics, especially geometry, and had a time to make a living as a teacher before entering his research life. He then sent a manuscript on geometry to King Prussian, who was evaluated for the treatise and had the opportunity to teach physics at the Gymnasium in Cologne.

It was very good for Ohm after that that the laboratory there was well equipped.

Ohm’s law, in fact, seems to have been discovered earlier by Cavendish in England, but he did not announce it during his lifetime.

Ohm established his own law without exchanging opinions with Cavendish and summarized it in his treatise.

About electronic grasp of Ohm

Also, Ohm himself seems to have argued about the behavior of electrons in the conductor as a result of proximity action, but even from such an episode, it is difficult to verify in order to assemble a micro phenomenon that is invisible. I feel it.

After the concept of static electricity is established, it is possible to recognize that electrons are accumulating, and when an isotope is brought close to the accumulated one, electricity flows. At that time, the light bulb arrives.

He extracted and linked the physical quantities that he had struck.

In the midst of the difficulty of proceeding with such work one by one, the name of Ohm, who established the principle and questioned the significance of society and left a great deal of achievement in modern times, will continue to be used as a unit of resistance value.

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ハンス・エルステッド
【思考実験を提唱して黄金時代を率いた|電流と磁場を考察】‐11/30改訂

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キルケゴールとヘーゲル
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【1777年8月14日生まれ ~ 1851年3月9日没】

デンマーク黄金時代の
リーダー_ エルステッド

C.A. Jensen (1792-1870), Portraet af naturvidenskabsmanden H.C. Oersted, 1832-1833


Wikimedia Commons(Public Domain)
ガウスと同じ年に生まれています。

(Hans Christian Ørsted, 1777–1851) は、デンマークの物理学者・化学者であり、
電流が磁場を生み出す現象を発見した人物として知られています。彼の名前は、
磁場の強さを示す単位 オーステッド(Oe) や、
デンマーク再生可能エネルギー企業の社名にも残っています。

彼の生涯は、デンマーク黄金時代 と呼ばれる文化・科学の隆盛期と重なり、
その哲学的・社会的な影響力は大きかったと言われています。

ガウスやエルステッドの時代は電磁気学が

未開の時代だったとも言えます。

得られている知識が未だ断片的で、

全体像が見えていない状態で

手探りの把握を一つ一つ、数学的な

式化を含めて、ぐいぐい進めていたのです。また、

会社名としてもエルステッドは名を残しています。

デンマーク黄金時代と呼ばれる時代があり

その時代のリーダーでした。
思想が哲学として論じられて
哲学的論拠を考察していったのです。
そして、

エルステッドは「思考実験」の概念を
打ち出した人です。物理的現象を説明する際に
「思考実験(Gedankenexperiment)」を用いた
という評価があるのです。たとえば、電流と磁場の関係を説明するために、
実験装置を頭の中でシミュレートしながら自然法則の
本質を探るアプローチを取ったと言われています。正に
パラダイムシフトを起こした人です。
具体的に思考実験の事例をあげて見ましょう。
時代と共に。
具体的な実験として実感できます。

ゼノンのパラドックス:
エレアのゼノン(ギリシアの哲学者)は、運動の概念を確立するために、
いくつかのパラドックスを提唱しました。たとえば、
アキレスとカメ・パラドックスは、アキレスがレースでカメに
有利なスタートを与えるならば、彼が常に残りの距離の半分を
カバーしなければならないので、彼がそれに決して追いつくことが
できないことを示唆します。これらのパラドックスは、
無限の性質と限度の数学的な概念について疑問を提起しました。

(以下、それ以前)

プラトンの洞穴寓話:
この思案実験(古代のギリシアの哲学者プラトンによって示される)は、
現実と認識の性質を調査します。寓話において、人々は洞穴内で鎖でつながれて、
現実として壁で影を認めます。それは、我々の認識が世界の本当の性質を正確に
意味するかどうかについて疑問を提起します。

ガリレオの落体:
ガリレオ・ガリレイは、一般運動のアリストテレスの見方に挑む為に
思案実験を行いました。彼は、異なる質量の2つの対象が同じ高さから
同時に落とされるならば、彼らが同時に地面に到着するだろうと提唱しました。
これは、より重い物がより速くなるというアリストテレスの確信を否定しました。
ガリレオの実験は、古典力学の発達への道を開きました。

ニュートンの砲弾:
アイザック・ニュートンは、軌道の運動の概念を調査するために、
この思案実験を使いました。彼は、速さを上げることで山から砲弾を
発射することを想像しました。砲弾が十分な速さで発射されるならば、
それは曲がった軌道に沿って行って、結局地球を軌道に乗って回り続ける
だろうと予測したのです。この思案実験は、重力の理解を展開するのを助けました。

ヤングのダブルスリット実験:
ヤングの実験が光の波動説‐粒子説の二元性としばしば関係しています。
それは波でまず最初に行われました。トーマス・ヤングの実験は、
2つの切れ込みを入れたゲーツを使い、結果として生じる干渉パターンを観察してみました。
この実験は光の波状の性質を示して、光が小片だけとして単にふるまう
という普通の確信に挑戦しました。

エルステッドは

コペンハーゲン中心に活躍していました。

其処は後に量子力学が出来ていく上で

重要な議論が交わされる場になります。

また、エルステッドは

童話作家のアンデルセンとは親友です。

また、エルステッドの兄弟はデンマーク

首相を務めています。

こうった「こぼれ話」が豪華な人です。

 エルステッドの業績

物理学者としての業績として大きいのは

電流が磁場を作っていることの発見です。

それは1820年4月の出来事でした。電流近傍の

方位磁針は北でない方向を向いたのです。

そこから数年の内にビオ・サバールの法則、

アンペールの法則に繋がります。

 

エルステッドが物理学と深く関わる

きっかけとなったのはドイツのリッター

という物理学者との出会いでした。

エルステッド独自のカント哲学に

育まれた思想は後の物理学にはっきりした

方向性を与えたと思えます。

エルステッドは多才な人物で、

博士論文ではカント哲学を扱っています。

他に美学と物理学でも学生時代に

賞を受けています。電流と磁場の関係も

カント哲学での思想、自然の単一性

が発想の根底にあったと言われています。

晩年は詩集を出版しています。

気球から始まった文章でした。




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 About Oersted

Hans Christian Ørsted

That person is the one who has left its name as a unit of Magnetic field. He was born in the same year as Gauss.

It can be said that the era of Gauss and Oersted was an era when electromagnetics was undeveloped. The knowledge gained was still fragmented, and I was groping for each and every one of them, including mathematical formulation, without seeing the whole picture. In addition, the name remains as the company name. There was an era called the Danish Golden Age, and Oersted was the leader of that era.

Oersted is said to have come up with the concept of a “thought experiment.” He is exactly the person who caused the paradigm shift. He was active in Copenhagen.

It will be a place where important discussions will be held later in the development of quantum mechanics.

Oersted is also a close friend of the fairy tale writer Andersen. In addition, Oersted’s brother is the Prime Minister of Denmark. Such a “spill story” is a gorgeous person.

 Job of Oersted

A major achievement of his work as a physicist is his discovery that electric current creates a magnetic field. It was an event in April 1820. The compass near the current pointed in a direction other than north. Within a few years, it will lead to Biot-Savart’s law and Ampere’s law.

It was the encounter with a physicist named Ritter in Germany that inspired Oersted to become deeply involved in physics.
I think that the ideas nurtured by Oersted’s original Kant philosophy gave a clear direction to later physics.

Oersted is a versatile person, and his dissertation deals with Kant’s philosophy. He has also received awards in his school days in aesthetics and physics. It is said that the relationship between electric current and magnetic field was based on the idea of ​​Kant’s philosophy and the unity of nature.

Oersted published a collection of poems in his later years. He was a sentence that started with a balloon.

 

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ヨハン・C・F・ガウス
【ガウス分布|磁束密度の単位|ガウスの法則】-11/29改訂

こんにちはコウジです。
半年ごとの既存記事見直しの作業です。
今回は中世18世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。
では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。
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ガウス正規分布Tシャツ
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【1777年4月30日生まれ ~ 1855年2月23日没】

ガウスの肖像画(パブリックドメイン)

Wikimedia Commons(Public Domain)

 

ドイツ生まれのガウス

(Johann Carl Friedrich Gauss, 1777–1855)**

ガウスは18〜19世紀に活躍したドイツの数学者であり、
統計学、数論、微分積分、天文学、測地学、電磁気学 など
多くの分野の基礎をつくった男で
「数学の王(Princeps mathematicorum)」と呼ばれます。

私的なイメージでは物理学というよりも数学で多くの仕事を残しています。 

数学のガウス、物理のガウス、天文学のガウス——
彼の名前が残る概念は数え切れません。


■ ガウスの主要業績

● ガウス分布(正規分布)

統計解析で最も重要な分布のひとつ。
多くのデータが平均値の周りに左右対称の山型になる性質を
ガウスが詳細に検討し、解析手法を確立しました。

● 最小二乗法(Least Squares)

観測値の誤差を最小化する方法として、
天体観測のために最小二乗法を独立に発見。
現代のデータサイエンス・AI 分野でも基礎となっています。

● 天文学:小惑星ケレスの軌道計算

1801年、消失した小惑星ケレスを最小二乗法を使い“再発見”。
これにより天文学界の名声を確立。


■ 電磁気学への貢献(ガウスの法則)

ガウスの法則は、電磁気学のマクスウェル方程式の一つ:

閉曲面を貫く電束の総和 = 内部の電荷量に比例する

というきわめてシンプルな法則です。

この視点により、
・電場の対称性
・電荷分布と場の関係
が抜群に理解しやすくなりました。


■ フーリエ級数と高速計算 ― FFT の原型

ガウスは、天文学の計算のために
「高速離散フーリエ変換」に類似する計算法 を 1805 年に発見しています。

現代の Cooley–Tukey 法(1965)より 150年以上も前に
同じ本質を見抜いていたことから、
「数学史で起きたFFTのデジャヴ」と呼ばれることがあります。


■ ガウスの立場

  • ゲッティンゲン大学数学教授(1807–1855)

  • ゲッティンゲン天文台初代所長

  • リーマンやデデキントに大きな影響を与えたのです。
    (直接の弟子ではないが系譜)

ガウスの法則の導出

電磁気学の世界で出てくる「ガウスの法則とは

電荷量が取り囲む曲面から計算される。

といった有名な法則です。より細かくは

電束を「面積分」した総和が電荷密度の体積積分の総和と等しいと考えられ、その体積の内側にある電気の源を電荷と定義出来るのです。実際に電気の担い手が電荷だと考えると、地上の電位を基準として特定の等電位の導体を考えてみて、それよれり電荷密度が低い状態を正に帯電した環境、基準より電子密度が濃い状態を負に帯電した環境と考える事が出来るのです。

モデルとして電束、電荷密度を考えた時に伝記の担い手が沢山あれば良いわけです。
実験で何度も吟味されていった法則がガウスの法則です。

こういった考え方を進め、ガウスは

電気が流れていく状態を記述しました。

また、よく使われているCGS単位系の中に

ガウス単位系とも呼ばれる単位系があります。

パトロンがその生活を支えたりしていた、という時代背景

もありガウスは教授となる機会は無かったようですが、

デデキンドとリーマンは彼の弟子だったと言われています。

個人的にはやはり、物理学者というよりも数学者として

沢山の仕事を残してきた人ったと思います。

そして、

独逸人らしい厳密さで現象を極めたのです。

一次情報の補足(現代史料より)

  • 出生:1777年4月30日(ブラウンシュヴァイク)

  • 死没:1855年2月23日(ゲッティンゲン)

  • 大学職:ゲッティンゲン大学正教授・天文台長

  • 代表著書

    • 『Disquisitiones Arithmeticae』(整数論の金字塔)

    • 『Theoria motus corporum coelestium』(天体運動論)

  • ガウス単位系:CGS 系の磁束密度の単位「ガウス(G)」の由来



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Gauss of Germany 

Gauss of Germany is an 18th century mathematician, physicist and astronomer. His major achievements in Gauss are Gaussian distribution, Gaussian function, Gaussian least squares method, Gauss’s law, etc. He has left his name in physics as a unit of magnetic flux density.

The Gaussian distribution that appears in mathematics is represented by the function that Gauss considered, and is often used in the processing of statistical data even in modern times. When the number of samples actually increases

The expression in this distribution is suitable, and the graph becomes a beautiful symmetrical mountain shape with the “center value of the data” in the center. The “shape” of the top and bottom of the mountain is unique to the Gaussian distribution.
In addition, as a story related to the study of geomagnetism, Gauss proceeded with research on Fourier series expansion, and Gauss developed a high-speed calculation method. He specifically builds a debate about when he keeps doubling the number of data, which is essentially the same principle of operation in high-speed signal processors used in later times. There was a mathematical deshabu phenomenon over 200 years ago.

It is a famous law that appears in the world of electromagnetism, such as “Gauss’s law is calculated from the curved surface surrounded by the amount of electric charge.”

electrical property of surface

The sum of the surface integrals of the electric flux is considered to be equal to the sum of the volume integrals of the charge density, and the source of electricity inside that volume can be defined as the charge. Considering that the actual bearer of electricity is the electric charge, consider a conductor with a specific equipotential potential based on the electric potential on the ground. You can think of the state as a negatively charged environment. Advancing this way of thinking, Gauss described the state in which electricity is flowing.

In addition, there is a unit system called Gaussian unit system among the commonly used CGS unit systems.

Gauss did not seem to have had the opportunity to become a professor, partly because the patrons supported his life, but it is said that Dedekind and Lehman were his disciples.

Personally, I think Gauss has left a lot of work as a mathematician rather than a physicist.

And Gauss mastered the phenomenon with his unique rigor.

(以下原稿)

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光学の基礎
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【 1773年6月13日生まれ ~ 1829年5月10没】
【Thomas Young(1773–1829)、
肖像画 (Public Domain) – Wikimedia Commons 】

ヤングと時代背景

イギリスの トーマス・ヤング(Thomas Young, 1773–1829) は、医師としての訓練を受けながらも、
自然科学の学者として幅広い分野で活躍した人物です。彼はゲッティンゲン大学で
医学を学んだ後、ロンドンで開業医として働き始めましたが、20代後半には
自然学(自然哲学/物理学)へと関心を移しています。視覚、弾性、音、光などの研究を通じて、
19世紀前半の科学界に大きな足跡を残しました。

ヤングの主要業績

  1. 視覚と色覚
    医師として診察を行う中で、乱視や視覚の異常(色覚など)に関する研究を進めました。
    特に有名なのは 三色説(trichromatic theory) です。ヤングは、人間の目が
    主に 赤・緑・青 の三種類の光の波長を受け取る感受性を持っており、これらの
    組み合わせで多彩な色を感じるという仮説を立てました。この考え方は後に
    ヘルムホルツらによって発展し、現在の色覚理論の基礎になっています。

  2. 光の波動説
    ヤングは光が波の性質を持つという見方を強く支持し、干渉実験を通じて
    その理論を裏付けました。有名な「二重スリット実験」は彼の波動説の根拠となり、
    光学の歴史における重要な転換点となりました。

  3. 弾性と力学
    ヤングは材料の弾性に関する研究でも先駆的で、現在「ヤング率(Young’s modulus)」
    と呼ばれる、ある材料の引っ張り弾性率を定式化しました。

  4. 音と調律
    また、音楽および音響に関しても研究を行い、不協和音を最小限に抑える
    調律法を提案したことでも知られています。

時代としてはニュートンの体系化が進んで
物理学では応用的な研究が進んでいた時代でした。
20世紀初頭の多分野における発展が進む時代への
過渡期にあったのです。量子力学が発展していく
土壌を育んでいったのです。

ヤングの業績

ヤングの業績として大きなものは何より「光の3原色の概念」を
初めとした光学の研究です。光が波動であるという事実とその波動を
人体がどう感じて再現性の高い表現が出来るか、別言すれば
色んな人が特定の光を感じる時に、どんなパラメターを選んで
属人性の無い表現が出来るかという研究です。

お医者様としての仕事の中で、ヤングは沢山の視覚に対する
質疑応答をしていき、沢山の人の共通の問題や、(乱視などの)
病的な問題に対しての知見を積み重ねる中で、皆の目に入ってくる
「光」という現象を考えていったのです。

そういった研究の中で光学の研究を進めて「光の波動説
の考え方を使い、干渉といった現象を説明していったのです。

光の波動説再考

ここで、初学者の理解が混乱するといけないので、もう少し
細かく解説します。量子力学的に考えたら光には二面性があって
「粒子的な側面」も存在します。後にアインシュタインの提唱した
光電効果はその側面です。また、原子核反応を考える時には
「光子」の存在を考えた上で話を進めたら非常に
分かりやすい説明がつく現象が沢山あります。

実際にヤングの時代にはそういった理解は無くて「光」とは「粒子」なのか「波動」なのかという二者択一の議論が主だった、と想定して下さい。おそらくそうした仮定から話を始めた方が議論が進みやすいと思えます。

量子力学以降の理解体系では観察対象の大きさが小さくなる過程で
物質には二面性が出てきます。それ観測に対する問題である
とも考えられますし、現状の理解体系の「見方」なのであるとも言えます。

ヤングはそうした議論の始まりを医学の視点から入って理学の世界で
分かる言葉で表現しました。その他、ヤングは音の研究で不協和音が
最も少ない調律法を編み出したり、弾性体の研究でヤング率と呼ばれていく
表現を駆使したりして理解を進めました。

〆最後に〆

 

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Young and historical background

Thomas Young of England earned a medical degree in Göttingen and began his work as a practitioner in London. In his late twenties, he became a scholar of natural sciences and as a doctor he pursued research on astigmatism and color perception. It was an era when Newton was systematized and applied research was progressing in physics. It was in a transitional period of multidisciplinary development at the beginning of the 20th century. I would like to incorporate exchanges between such fields as the revision progresses.

Young’s achievements

The major achievement of Young is research including the concept of the three primary colors of light. The fact that light is a wave and how the human body feels that wave and can express it with high reproducibility, in other words, when various people feel a specific light, what parameters are selected to express without belonging life It is a study of whether it can be done. As a doctor, I have a lot of questions and answers about vision, and as I accumulate knowledge about common problems of many people and morbid problems (such as astigmatism), it comes to everyone’s eyes. I was thinking about the phenomenon of “light.”

In such research, I proceeded with research on optics and explained phenomena such as interference using the “wave theory of light”.

Rethinking the wave theory of light

Here, I will explain it persistently in case the understanding of beginners is confused. From a quantum mechanical point of view, light has two sides, and there is also a “particle-like side”. The photoelectric effect proposed by Einstein is one example. Also, when considering nuclear reactions, there are many phenomena that can be very explained if we proceed with the discussion after considering the existence of “photons”. Imagine that there was no such understanding in Young’s time, and there was even a debate about whether “light” was a “particle” or a “wave”. Perhaps it’s easier to discuss if you start with that assumption. In the understanding system after quantum mechanics, the smaller the object to be observed, the more two-sided the substance becomes. It can be said that it is a problem for observation, and it can be said that it is a “view” of the current understanding system.

Young expressed the beginning of such a debate from a medical point of view in words that can be understood in the world of science. In addition, Young advanced his understanding by devising a tuning method with the least dissonance in his research on sound, and by making full use of an expression called Young’s modulus in his research on elastic bodies. 〆

(以下原稿)

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100年を迎える東京大学地震研究所(ERI)が築いた地震学とこれからのAI時代

東大

本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。


第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人

関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。

1.1 設立背景と制度整備

震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。

1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築

1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。

1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新

大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。

【地震研究の主要年表】

出来事関連人物・機関
1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学
1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉
1923年関東大震災内務省震災予防調査会
1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒
1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男
2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC

第2章:技術革新と地震学の転機

地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。

2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ

地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。

2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及

地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。

2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化

1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。


第3章:AI時代の地震研究と未来展望

AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。

3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果

ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。

3.2 国際共同研究・データ共有の潮流

米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。

3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学

完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。

【用語解説】

  • 地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。
  • AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。
  • DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。

まとめ

東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。

参考文献:
・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊)
・東京大学地震研究所公式サイト(ERI
・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)

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学士院賞をもらった後で 【2021-08-02‗topクォーク_CP破れ 】

(以下は全て引用文章です)2021-08-02 ・

益川さんが学士院賞をもらった後で私の勤めていたE大学工学部に非常勤講師として来てもらったことがあった。

実はその前の年度に来てほしいと要請を研究会に出かけた友人のEさんにことづけしたのだが、その年度はすでに3件の非常勤講師を引き受けていて無理だから、つぎの年は優先して予定に入れておくという話だった。

そしてその約束を次の年度には果たしてくれたのであった。もっともそれは彼と小林さんがノーベル賞を受賞するずっと以前のことである。

たぶんそのころでもいつかはノーベル賞を受賞するのではないかと思われてはいたが、それでもまだ実験的なevidenceがまだだったと思う。

topクォークが発見されたのはそのあと数年してであったと思う。CPの破れの実験的検証とどちらが先だったか。

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