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ロバート・シュリーファー
【超電導を理論化したBCS理論を提唱】‐10/18改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

超伝導の理論
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【1931年5月31日 ~ 2019年7月27日】


【引用:Wikimedia Commons“John R. Schrieffer”】

 BCS理論を構築したシュリーファー

BCS理論を作った3人の中の一人が

シュリーファーであって、

BCS理論でのSはシュリーファのSです。

BCS理論自体の説明は他のメンバーである
バーディーン、クーパーのご紹介の中で
解説していますので繰り返しません。
超伝導を微視的に解説した理論です。

シュリーファーの人物像と研究のひらめき

ジョン・ロバート・シュリーファーは、理論物理学者の中でも
「ひらめき型」の研究者として知られています。

BCS理論の完成において決定的だったのは、彼が電車に乗って
移動中に思いついたとされる波動関数の形でした。
このアイディアにより、超伝導状態を記述する理論が
一気に完成へと近づいたのです。

彼の役割は、ジョン・バーディーンとレオン・クーパーが築いた
物理的な直観を、一つの美しい数式として結晶化することにありました。

また、若い頃から電子工学に強い関心を持っていたことも特徴的です。
ロケットや無線といった実践的な趣味を通じて、「見えない現象を扱う感覚」
を身につけていたことが、後の理論構築にも影響していたと考えられます。

研究者としては寡黙で、どちらかと言えば内向的な性格だった
とも言われています。その分、一つの問題に深く集中する力に優れており、
短期間で決定的な成果を出すタイプの研究者でした。

シュリーファーが完成させたBCS波動関数

BCS理論を作った3人の中の一人がシュリーファーです。
BCS理論での「S」はシュリーファーの頭文字です。

BCS理論そのものについては、すでに
バーディーン、
クーパーの記事で説明していますので、
ここではシュリーファー自身の役割に絞ります。

バーディーンが超伝導を説明するための問題を追い、
クーパーが電子同士の結合した状態、いわゆるクーパー対を考えた後、
シュリーファーは「多数のクーパー対が集まった超伝導状態全体を、
どのような量子状態として表現すればよいか」という問題に取り組みました。

1957年初頭、シュリーファーは移動中に、
多数の電子対が協調して存在する状態を一つの波動関数で表すという
重要なアイデアを得たとされています。
この波動関数によって、超伝導状態を数学的に扱う道が開かれました。

ここがシュリーファーの大きな役割です。
クーパーが「電子対」という部分を示し、
バーディーンが超伝導を説明する物理的問題を整理する一方で、
シュリーファーは多数の電子対からなる集団状態を
量子力学的な波動関数として記述する方法を与えました。

こうして3人の仕事が結びつき、1957年にBCS理論が完成します。
同年12月に発表された論文
「Theory of Superconductivity」
には、バーディーン、クーパー、シュリーファーの3人の名前が並んでいます。
この理論によって、従来から知られていた超伝導現象を
電子と結晶格子の相互作用という微視的な立場から説明する道が開かれました。

シュリーファーはその後も物性理論の研究を続けました。
BCS理論は単に超伝導だけを説明する理論にとどまらず、
多数の粒子が協調して量子的な状態を形成する現象を考える上で、
その後の物理学にも大きな影響を与えています。

 シュリーファーと超電導の研究

シュリーファはMIT(マサチューセッツ工科大学)で
半導体の研究を当初進めていました。特に半導体表面での
電子の振る舞いを研究していたのです。そして後に超伝導現象の
研究に移ります。シュリーファーの業績は、物理現象を

「一つの波動関数で記述する」という量子力学の美しさを体現したものでした。

シュリーファ達がBCS理論をまとめた後、世界での研究は常温での
超伝導実現に向けた研究が進んでいます。常温高圧環境下で現象を
起こしたりする試みがされていて、マイナス百数十ケルビンまで
転移温度は近づいてきています。

現実には実現が難しいような高圧をかけた時に、常温で超電導現象が
実現した報告もあります。私が研究していた時代には
青学の秋光先生や東工大の細野先生が挑んでいました。

それぞれご存命かと思われますので詳細は控えます。

科学史と言うより最前線に近いかと思えますので。

ご本人達にしてみれば未だ少し、

「今でも研究してますよ!」って気持ちも

あるのではないかとと思えるのです。

 シュリーファーの晩年

話し戻って、シュリーファは1957年から米国代表の立場で英国バーミンガム大学とコペンハーゲンのボーア研究所で超電導の研究を続けています。そして残念な事に、晩年に自動車事故を起こし人を殺めてしまい、懲役を課されています。カリフォルニア州サンディエゴにある刑務所で懲役に服しました。

素晴らしい研究のセンスとうっかりミスを犯してしまう性格は共に
シュリーファの人生に影響を与えました。この出来事は、優れた研究者
であっても一人の人間として社会的責任を負っていることを
改めて考えさせるものです。こんな話をするのは事故当時
シュリーファは免許停止中だったからです。
立場のある人間であれば尚更、責任を持った行動が求められます。

それだから、この話を知って「とても残念」です。
バーディン教授の人を集める性格とシュリーファー教授の
人を遠ざけてしまう性格は対象的に思えてしまうのです。

バーディンは仲間とトランジスタを開発して、別途BCS理論をつくりあげて
仲間の輪を広げました。その過程で出会った日本人、中嶋貞雄を
アメリカに呼んで、もてなしていたりします。朗らかなアメリカ人のイメージです。

反面、シュリーファーは立派な立場をいくつも受けた後に
人を殺めてしまいました。朗らかなアメリカ人として
単純に語れない人生です。こんな話を我々は
大きな教訓として考えるべきだと思います。

シュリーファーの人物像と研究のひらめき

シュリーファーは若い頃から電子工学に強い関心を持っていました。
アマチュア無線や手作りロケットなどに興味を持ち、
MITでは当初電気工学を専攻した後、物理学へ進んでいます。
こうした経験も含め、理論だけに閉じた研究者ではなく、
目に見えない電子の振る舞いを具体的な現象として
捉えようとした研究者だった

と見ることができます。

一方で、BCS理論を「シュリーファー一人のひらめき」
と考えるのは適切ではありません。

バーディーン、クーパー、シュリーファーのそれぞれの研究が結びつき、
電子対という物理的な考え方と、それを集団的な量子状態として記述する数学が
組み合わさったことで理論が完成したのです。

この研究史を見ると、科学における「ひらめき」は、
一人の研究者が突然すべてを発見することではなく、
それまで積み重ねられていた問題やアイデアを別の形にまとめ、
一気に理論として結びつける瞬間でもあることが分かります。

関連する物理学者(前後の流れ)

◀ 前の人物:
レオン・クーパー
▶ 次の人物:
久保亮五

この分野の物理学者(超伝導・低温物理学・物性物理学)

ヘイケ・カメルリング・オネス、
ジョン・バーディーン、
レオン・クーパー、
ロバート・シュリーファー、
久保亮五

超伝導の歴史は、オネスによる超伝導現象の発見から、
バーディーン、クーパー、シュリーファーによるBCS理論へと進み、
さらにその後の低温物理学・物性物理学へとつながっています。

また、現在も続く高温超伝導や室温超伝導への研究については、
室温超電動に関する記事
でも紹介しています。

〆

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nowkouji226@gmail.com

2020/09/17_初稿
2026/10/18_改定

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(2021年11月時点での対応英訳)

Schrieffer of BCS theory

One of the three who created the BCS theory is Schrieffer, and the S in BCS theory is Schrieffer’s S.

Research on Schrieffer and superconductivity

When he was a boy, Shrifa was a boy who loved electronics, making handmade rockets and ham radio. Such Schrifa was initially conducting research on semiconductors at MIT (Massachusetts Institute of Technology). He was especially studying the behavior of electrons on the surface of semiconductors. And he later moved on to study superconducting phenomena.

After Schrifa et al. Summarized the BCS theory, research in the world is progressing toward the realization of superconductivity at room temperature. Attempts have been made to cause phenomena in a normal temperature and high pressure environment, and the transition temperature is approaching to minus one hundred and several tens of Kelvin.

There is also a report that the superconducting phenomenon was realized at room temperature when a high voltage that was difficult to realize in reality was applied. When I was studying, Professor Akimitsu of Seigaku and Professor Hosono of Tokyo Institute of Technology were challenging. I will refrain from detailing each of them as they may be alive. I think it’s closer to the front line than the history of science. For the people themselves, I think they may have the feeling that they are still researching!

Schrieffer’s later years

Returning to the story, Schrifa has been studying superconductivity at the University of Birmingham in the United Kingdom and the Bohr Institute in Copenhagen since 1957. And unfortunately, in his later years he had a car accident, killed a person and was sentenced to imprisonment. He was sentenced to jail in San Diego, California. Both his great sense of research and his inadvertent mistaken personality have influenced Shrifa’s life. He wanted him to live a life with a sense of tension if possible. I tell this story because Shrifa was out of license at the time of the accident.

If you are a person in a position, you are even more required to act responsibly.
So I’m very sorry to know this story. The character of gathering Professor Bardeen and the character of keeping Professor Schrieffer away seem to be symmetrical. Bardeen developed a transistor with his companions and created a separate BCS theory to expand the circle of his companions. I invite Sadao Nakajima, a Japanese who I met in the process, to the United States for hospitality. It is an image of a cheerful American. On the other hand, Schrieffer killed a person after receiving several good positions. It’s a life I can’t talk about as a cheerful American. I think we should consider this story as a big lesson.

〆

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