に投稿 — コメントを残す

ヨハネス・ケプラー:Kepler
【年間の観測情報から数学を使い天文学を確立_法則の確立】-10/10改訂

こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。
今回の改定は英訳部の削除が主です。
ご覧ください。(以下原稿です)

ケプラーTシャツ
【スポンサーリンク】
【1571年12月27日生まれ ~ 1630年11月15日没】


【出典:Wilkipedia:惑星運動の法則を発見したケプラー(1571–1630)】

ケプラーの生い立ち

ドイツのヴァイル(Weil-der-studt)
に生まれたケプラーは天文学者にして数学者、
哲学者、占星術師でありました。

そして、今から見たら不幸な家庭環境で育ちます。
ケプラーの母は薬草治療をしてました。楽しい思い出は
「家族で月食を見た」くらいだったと言われています。
あぁ寂しいケプラー少年。

ケプラーは数字を厳密に扱う反面で無頓着な側面もあった
と言われています。例えば自分の名前を書くときに

「kepler, keppler, khpler, kepierusを同じ時期に使っていた」
(アーサー・ケストラー著「ヨハネス・ケプラー」より引用)

と言われています。 なにより、  

ケプラーの天文物理学の仕事として素晴らしい点は、

年間の観測情報から数学を使った考察を進め、

天体の星達が(基本的には平面上で)楕円軌道を描く

とか公転周期と面積速度の関係を導き出すといった

秩序だった理論的な結果を導き出した点です。

ケプラーは「数学モデル」を物理学に当てはめた

初めての物理学者だったという事実も見逃せない点です。

今では当たり前に思えるのですがケプラーの時代は

物事を考える土壌が出来上がっていませんでした。

更に実験を結びつけて議論の裏付けをとり、

後の時代の物理学者たちは説得力を増すのです。

そして有名なケプラーの3法則を提唱しています。

惑星運動のケプラーの法則:
①惑星は、太陽を一つの焦点とする楕円軌道上を運動する。

②惑星と太陽を結ぶ線は、等しい時間に等しい面積を掃く。
③惑星の公転周期:Tの2乗は、軌道の長半径:aの3乗に比例する。

そんなケプラーは幼少期に苦労します。

ケプラーの父は家族の為に傭兵として戦いに参加します。

ケプラーが5歳から17歳の間、頑固で喧嘩好きな父は家族と離れ

暮らしていました。そして宗教戦争(オランダ独立戦争)で、父は

ネーデルランド(現.オランダ)で亡くなったと言われています。

そしてケプラーは幼少時代に
神学校に通い教養を身に付けます。
そこでは
日常会話もラテン語で行われる、厳格な教育がなされました。
後のケプラーのドイツ語で書かれた手紙などの文体は
「天真爛漫で泥臭く魅力的であるものとなっており、
あたかも厳しい講義室から解放されて、
田舎の縁日か何かで楽し気な歌声をあげている、
というような響きがある。」と評されています。
(アーサー・ケストラー著「ヨハネス・ケプラー」より引用)
逆説的ですがラテンの教養はケプラーの人生に
重要な
効果を与えていたのではないでしょうか。 

また、ケプラー本人は天然痘にかかり視力低下にあい、
一生続く苦難を受けました。また天然痘では、、、
ケプラーは妻子を失ってしまいます。

ケプラーの業績

 

そんなケプラーは天文学者として地動説に出合いました。

特にコペルニクスがコペルニクス的転回を打ち出した

タイミングでケプラーは天文を学びましたが、

ケプラーはコペルニクスを全面的に支持します。

そういった考え方を読んで推し進めるケプラーを

今度はガリレオ・ガリレイが支持します。

そして何よりケプラーはティコ・ブラーエに出会います。

ケプラーと科学の進歩

科学が飛躍的に進化する時代があると思えますが、

ケプラーの前後の時代はまさに、そんな時代でしょう。

この時代の動きがあったからこそ、後の時代の思索の中で

力学が生まれてきて、電磁気学が生まれてきたのです。

20世紀の初頭にも国を超えて人々が議論して

科学技術に大きな進展が見受けられました。

そんな視点で「社会史」の側面を垣間見ながら

「科学史」を考えてみると人類の進化を感じられます。

私が「進化」と呼んだ「変化」が好ましいか

という議論がありますが、私は好ましいと思います。

可能性が広がるからです。

技術(知見)を制御する責任は別問題で別途、議論します。

 

ティコ・ブラーエは遺言で集めた膨大な

データを遺産としてケプラーに残しました。

価値ある貴重なデータをケプラーがが受け取り

そして整理して様々な法則を作り出します。

2人の業績から今に残るケプラーの法則が完成したのです。

惑星の運動は体系立てられ幾何学上で表現されています。

ケプラーは星を考える枠組みを作り出したのです。

そして次なる様々な理論体系に繋がっていったのです。

関連する科学者の系譜

◀ 前の人物:ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)
▶ 次の人物:アイザック・ニュートン(1643-1727)

この分野の科学者(天文学・力学の成立)

ニコラウス・コペルニクス

ティコ・ブラーエ


🔥 大事な視点 :「ガリレオ・ティコ」と強く結びついている:

ケプラーの理論は、ティコ・ブラーエの精密な観測データに基づいて構築されたものでした。
一方で、同時代のガリレオは望遠鏡による観測を通じて、
天体現象に物理的な意味を与えようとしていました。

すなわちこの時代は、
「観測(ブラーエ)」「数学(ケプラー)」「物理(ガリレオ)」
が結びつき、近代科学の枠組みが形成されていく過程だったのです。

〆最後に〆



【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/19_初版投稿
2026/10/10_改定投稿

舞台別の纏めへ
時代別(順)のご紹介
デンマーク関係の紹介へ
ドイツ関連のご紹介へ
AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

Follow me!

コメントを残す