2026年9月9日2026年8月29日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す和達清夫【マグニチュードの概念を考え始めて、気象台長を務めた】-9/9改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)自然の恵み 【スポンサーリンク】 【1902年(明治35年)9月8日 – 1995年1月5日】 【Wikimedia Commons‗和達清夫】愛知県に生まれた和達(わだち)清夫は和達三樹のお父様です。 (和達三樹の名は教科書でおなじみなのではないでしょうか) 和達清夫は地球科学に足跡を残し、特に気象学や地震学で 有名です。いわゆるマグニチュードを体系化したのは チャールズ・リヒターですが、その基礎となる地震波振幅の 研究において和達清夫の成果は重要な役割を果たしました。個々の地点で感じられる(観測される) 「震度」に対して地震そのものの大きさ(震源地での大きさ)を 表す指標が「マグニチュード」です。 マグニチュードの概念はその後、地震が起きるたびに活用されて 非常に重宝な概念として使われています。あたり前に使われています。個々の地点で感じられる(観測される)「震度」に対して、地震そのものの 規模を表す指標が「マグニチュード」です。マグニチュードは後にチャールズ・リヒターによって体系化され、 現在では地震の規模を表す基本的な指標として広く使われています。一方、和達清夫が重要な足跡を残したのは、地震波と震源の深さの関係を 明らかにする研究でした。特に浅い地震と深い地震を区別して研究した ことは、その後の地震学の発展につながります。つまり、リヒターが地震の「規模」を表す尺度を体系化したのに対して、 和達清夫は「地震が地下のどこで、どのように起きているのか」 を地震波から探る研究を進めた、と整理すると分かりやすいでしょう。こうして考えると、現在では当たり前のように使われている地震の観測や解析も、 多くの研究者が地震波の性質を一つずつ明らかにしてきた結果なのだと分かります。地震について更に深く考えてみたいと思います。 今では子供でも知っていますが地震は波で震源から 遠ざかれば遠ざかる程に減衰します。和達清夫が明らかにした地震の世界和達清夫の研究を理解するためには、まず地震がどのような波として 観測されるのかを考えてみる必要があります。地震が発生すると、震源から周囲へ地震波が伝わっていきます。私たちが 地面の揺れとして感じる現象は、この地震波が地中を伝わってきた結果です。地震波には代表的なものとしてP波とS波があります。P波は「Primary wave(第一波)」と呼ばれる波で、S波より速く伝わります。 そのため、地震が発生した場所から離れた観測地点では、まずP波による 小さな揺れが到達し、その後にS波による大きな揺れが到達します。私たちが学校などで学ぶ「初期微動」と「主要動」という考え方も、 このP波とS波の到達時間の違いに対応しています。一方、S波は「Secondary wave(第二波)」と呼ばれ、P波より遅く伝わります。そのため、 P波とS波の到達時間の差を調べることで、観測地点から震源までのおおよその距離を推定できます。つまり、地震波は単なる「地面の揺れ」ではありません。 地震波を観測することで、地下で起きた地震の位置や深さを推定できるのです。ここに和達清夫の研究の重要性があります。和達は、さまざまな地震の観測結果を調べ、震源の深さと地震波の関係 について研究しました。特に、震源が浅い地震だけでは説明できない 深い場所で発生する地震に注目したのです。当時、地震は現在ほど詳細に観測できませんでした。それでも地震波が 観測点へ到達する時間や波の特徴を比較することで、 地下のどこで地震が発生したのかを推定していきました。この研究によって、地震には震源の深さという重要な違いがあることが 、より明確に理解されるようになります。和達清夫の博士論文が「Shallow and deep earthquakes」だったことも、 この研究テーマを象徴しています。現在では、地震観測網によって地震の発生場所や深さがかなり精密に 求められます。しかし、その背景には、地震波を一つの観測データとして捉え、 そこから地下の構造や震源の情報を読み取ろうとしてきた研究者たちの積み重ねがあります。和達清夫は、その黎明期において重要な役割を果たした研究者の一人でした。こうして考えると、地震学とは単に「地震の揺れを測る学問」ではありません。 目に見えない地下の現象を、地震波という観測可能な情報から読み解いていく学問なのです。そして、この地震波の研究は、後に地震の規模を表すマグニチュードの 考え方ともつながっていきます。地震そのものの大きさをどう評価 するのかという問題については、チャールズ・リヒターらの研究が重要になります。 そして具体的には初期微動と本震から構成(P波とS波から構成され)、 其々が 振動数と振幅を持ちます。 2つの構成波が、それぞれパラメターを持つのです。和達清夫の経歴を振り返れば、東京帝國大学理学部物理学科を卒業後に中央気象台に勤務していきます。気象台では第6代気象台長を務めました。和達清夫の時代から物理学が実学として活用されていきます。地球物理学を実務に適用したのです。和達清夫は気象観測の黎明期において指導的な役割を果たしました。1960年から(第5代)日本学術会議議長(第17代)日本学士院院長、埼玉大学学長、日本環境協会会長などを歴任しました。和達清夫は1985年には文化勲章を受勲しています。そして92歳で亡くなっています。この分野の物理学者(地震学・地球物理学)チャールズ・リヒター ― マグニチュードの体系化和達清夫 ― 地震波・深発地震の研究和達三樹 ― 理論物理学・数理物理学 テックアカデミー無料メンター相談 【スポンサーリンク】〆最後に〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 適時、返信・改定をします。、nowkouji226@gmail.com2022/10/07_初回投稿 2026/09/09_改訂投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介 東大関連のご紹介 力学関係のご紹介へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】 (2021年10月時点での対応英訳)Wadachi Kiyoo born in Aichi is father of Miki Wadachi.(whether the name of Miki Wadachi is not familiar with a textbook) Kiyoo Wadachi leaves a footprint for earth science and is famous for meteorology in particular and seismology.It is said that a study of Kiyoo Wadachi became the hint as for the concept of so-called “magnitude”. Whenever an earthquake gets up afterwards, the concept of the magnitude to express size (size at the epicenter) of the earthquake itself for “the seismic intensity” that is felt to be individual points (is observed) is utilized and is used as a very useful concept. It is used in front of the area. Wadachi continue an advanced study and think about the range from the depth of the seismic center and lead to a concept of the magnitude.In the first place the doctoral dissertation of Kiyoo Wadachi “Shallow and deep earthquakes” I did it in this.If look back on a career of Kiyoo Wadachi, Tokyo emperor country University department of science physics subjectAfter graduating from this, the Central Meteorological Observatory works.Wadachi acted as Mayor of the sixth meteorological observatory in the meteorological observatory.Physics is utilized as practical science from the times of Kiyoo Wadachi.Wadachi applied geophysics to business.Kiyoo Wadachi played a leading role in the dawn of the weather observation.In 1960 (the fifth) Chairperson of Science Council of Japan (the 17th) Japan Academy’s director,Wadachi successively held Saitama University’s president, Japanese environmental association’s chairperson.As for Kiyoo Wadachi, Conforment of honor is doing the Order of Culture in 1985.Wadachi die at 92 years old. Follow me!関連FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy投稿ナビゲーション前の投稿: エンリコ・フェルミ【マンハッタン計画に参画し排他律に従う原理を構築した一人】-9/6改訂次の投稿: ユージン・ウィグナー‗【ポール・ディラックの義理の兄|BCS理論を作ったバーディンの指導教官】-9/10改訂 コメントを残す コメントをキャンセルコメントを投稿するにはログインしてください。