に投稿 コメントを残す

Papers about Fermi @ 2023

フェルミ 2

2023-02-21 13:31:17 | 物理学

これは「技術と科学の歴史を考える」というタイトルの講義の後半を私が担当したときの「原爆製造と原子核物理学」というサブタイトルの講義の中の人物評伝の一部のエンリコ・フェルミの後半である。

Fermiの講義録である『原子核物理学』は内容が少し古くなってきたが、原著はシカゴ大学出版局から、訳書は吉岡書店からいまも出版されており、読者に読み継がれている。日本版の訳者小林稔氏(京都大学名誉教授、故人)は訳者まえがきでつぎのように述べている。

「イタリヤの生んだ鬼才Enrico Fermi教授はいうまでもなく原子核物理学の第一人者であり、人類が第二の火、すなわち、原子力を発見したのも主として彼の研究に負うものであって、彼は歴史上永久に名をとどめる数少ない物理学者の一人であることは疑いのないところである。 Fermi教授は実験及び理論の両方面に卓越した才能をもち、その業績も有名なフェルミ統計、べータ線崩壊の理論、量子電磁気学など理論的なものから、中性子衝撃による人工放射能、遅い中性子の選択吸収、さらに原子力解放の緒となった核分裂の現象、その連鎖反応など行くとして可ならざるものはなく、しかもいずれも物理学の根本問題を衝き、その自然認識の深さの非凡さは驚嘆のほかない。イタリヤにおいては僅かの放射性物質とパラフィンのみの実験室でよく世界の原子核研究に伍し、中性子の性質の探求にあざやかな業績を挙げており、アメリカに移ってからはまさに鬼に金棒、現在もシカゴ大学の大サイクロトロンを主宰し、有能な同僚や弟子たちと共に原子核研究の推進に非凡の精力を注いでいる」

これはFermiが亡くなる直前に書かれた彼のプロフィールである。ここにはFermiの業績についてほとんどあますところはない。しかし、Fermiの教育上の業績についてはまったく触れられていない。この点についてはFermiの優れた弟子の一人で、ノーベル賞物理学受賞者のC. N. Yangの文章から引用しておこう。

(引用はじめ)

「よく知られているように、Fermiは水際立ったすばらしい講義をした。これは彼の特徴的なやり方であるが、それぞれの題目について彼はいつでも、最初のところから出発して、単純な例をとりあげ、できるだけ「形式主義」を避けた(彼はよく込み入った理論形式は「えらいお坊さま」のものだと冗談をいった)。彼の論証は非常にすっきりしているので、ちっとも努力をしていない印象を与えた。しかし、この印象はまちがっている。すっきりしているのは、注意深い準備、いろいろの異なった表現の仕方のうちでどれを選ぶかを慎重に考慮した結果のためであった。・・・

週に1~2回、大学院生のために非公式の、準備なしの講義をしてくれるのがFermiの習慣だった。グループは彼の部屋に集まり、Fermi 自身か、ときには学生の誰かが、その日の討論のために特別な題目を提起した。Fermi は、綿密に見出しのついた自分のノートを探し回って、その題目に関するノートを見つけ出し、われわれに講義してくれるのだった。・・・

討論は初歩的水準に保たれた。題目の本質的、実質的部分が強調された。大抵いつも、分析的でなく、直観的、幾何学的な取り組みであった」

(引用終わり)
(2024.3.1付記)
ここにFermiの特質が述べられていて、あますところがない感じである。そういえば、これを書いたYangはまだ中国で健在なのだろうか。ひょっとして100歳を越えているか、または、100歳にとても近いかのどちらかであろう。
に投稿 コメントを残す

【「老人の呟き」からの転載_7月末】・群と代数【2007-06-07 】・デカルトと湯川秀樹【2007-07-28】・朝永振一郎著の『量子力学』の研究 【2007-08-04 】・武谷三男の資料 【2007-08-13 】・フーコーの振子1 【2007-08-20 】・Boltzmannの原理 【2007-09-26 】・物質の波動性とBohrの量子条件 【2007-10-16 】・小川洋子「博士の愛した数式」 【2007-12-11 】・三段階論は科学史から導かれたか 【2007-12-17】・DysonとFeynmanの著作 【2008-01-19 】・科学者の伝記2冊 【2008-01-24 】・宇宙と物質、その一様、等方性 【2008-02-18 】・武谷の処女論文の発見 【2008-02-25 】・場の理論は日本にはなかったか 【2008-02-29 】・物理の散歩道 【2008-03-05】・武谷の「素粒子論の発展」 【2008-04-01】 ・1965年以降の武谷 【2008-04-08 】・「私の見てきた素粒子物理学の40年」感想 2008-04-17 12:37:37 | 物理学・伏見康治氏の死 2008-05-10 11:42:38 | 物理学・思想の意義 2008-05-15・湯川朝永シンポジウムの会議録 【2008-05ー22】・広島大学理論物理学研究所 【2008-06-16 】・新版「スピンはめぐる」 【2008-06-26 】・湯川秀樹と隕石 【2008-06-27 】・山本義隆『新物理入門』 【2008-06-30 】・朝永振一郎「角運動量とスピン」 2008-07-02 15:11:17 | 物理学・独創性は少数者にあり 2008-07-27 23:30:18 | 学問・自発的対称性の破れとカタストロフィー 2008-08-26 12:41:37 | 物理学・問題の解決 2008-09-12 11:23:04 | 物理学・一流の湯川、二流の朝永? 2008-09-18 10:40:13 | 物理学・南部、小林、益川博士のノーベル賞受賞 2008-10-08 12:40:47 | 物理学・武谷三男の処女論文 2008-10-10 13:20:43 | 科学・技術・高瀬正仁著『岡潔』 2008-10-27 11:42:29 | 数学・Fermi solution 2008-11-17 11:41:53 | 物理学・地位の上下からの解放 2008-12-11 13:20:13 | 物理学・素粒子の宴 2009-01-05 11:42:01 | 日記・エッセイ・コラム・西島和彦さんの死去 2009-02-19 11:41:31 | 物理学・Feynman & Hibbsの積分公式 2009-03-26 13:58:01 | 物理学・木庭二郎さん 2009-04-10 16:13:19 | 物理学・聞かせてよ、ファインマンさん 2009-04-22 18:59:05 | 物理学・日本と外国との乖離 2009-05-13 14:10:44 | 学問・広重徹の武谷批判 2009-05-21 12:35:20 | 学問・広重徹の武谷批判をどう考えるか 2009-06-06 11:41:32 | 物理学・『朝永振一郎著「量子力学」の研究』 2009-06-13 12:37:07 | 物理学・遠山啓と武谷三男 2009-06-25 14:34:15 | 学問・四元数の発見への道 2009-08-04 12:12:07 | 数学・くりこみの意味 2009-08-19 13:00:40 | 物理・量子力学の完成はいつか 2009-08-24 17:41:44 | 物理学・再、広重徹の武谷三段階論批判 2009-09-19 13:45:03 | 物理・解析接続 2009-11-18 10:49:18 | 数学・続、広重徹の武谷三段階論批判 2010-05-18 12:00:52 | 科学・技術・矢野健太郎氏 【2010-07-14 】・ゲジゲジ 【2010-08-07 】・続、広重の三段階論批判 【2010-09-27】

「群と代数」再学習

2007-06-07 11:18:26 | 数学(引用此処から)

ゴールドスタインの古典力学の付録の「群と代数」のところの翻訳を1週間ほど前に終えていたのだが、ホームステイで時間がとれなかった。やっと検討を始めた。それで、参考にJohさんの群についてのところを印刷して読もうとしている。かなり大部の内容なので読み通せるかどうかもわからない。

Johさんの書き方は平易なのだが、問題は根気が続くかどうかであろう。それにあるところではやはり急勾配で分かりにくいところもあるかもしれない。また、一番の問題は当面の問題とか用事で読む暇が取れなくなることであろうか。きちんと読んで語句の脱落したところとか、式の書き間違いとかも指摘してあげたい。いままだ2つの記事しか読んでいないが、始めの「群の公理」のところでも例5の逆元の存在のところのfまたはf^{-1}の式の中のax+bはxの間違いであろう。これは計算をしておかしいことがわかった。(引用此処まで)

デカルトと湯川秀樹

2007-07-28 15:01:31 | 物理学(引用此処から)

私はデカルトが好きである。なぜかといえば学問の方法を考え出したということが好きだ。ユークリッドの初等幾何学に座標の考えを導入して、解析幾何学といわれている学問を創設したのでデカルトは特に有名である。

湯川秀樹もこのデカルトが好きであったと思う。一度何故好きなのですかと聞いたのだが、明確な返答はなかった。でもそんなことは答えがなくとも分かっているような気がする。

学者の中には方法とかいわなくとも自分で体の中にすでにもっている人もいる。私が湯川に直接具体的に名を挙げてデカルトと比較して聞いたのはパスカルだが、私にはパスカルは好きになれない。彼は方法とかいうようなことをいわなくとも数学でもなんでも創造的なことが出来る直観的なタイプだったろうと思っている。

湯川は方法とかを考えたりするタイプの学者には見えないが、自分では何らかの方法とか創造に対する意識をもっていたのだろうと思う。それが彼の書いたいくつかの本に現れている。

私が方法ということをしきりに意識したのは大学の受験勉強をしているときであった。劣等生だった私はそういうことを自然に考えるようになった。もっとも中学校のときに英語の教授法について書いた本を中学校の図書館で見ていたりしたからそれ以前からも何かをするときの方法に関心があったかもしれない。

頭のよくないものが頭のいいものになんとか追いつくことができないまでもそれほど遅れないためには方法論を意識する必要があるというのが私の考えである。

これと同じコンテキストからといっていいと思うが、私の先生の一人S先生は頭の悪いものは数学くらいは使わなくてはならないというのが、口癖であった。もっとも私の大学のときの先生にはS先生が3人もいるので、どのS先生かと気になるかもしれないが、3人の中で一番年寄りの先生のことである。もう存命ではない。(引用此処まで)

朝永振一郎著の『量子力学』の研究

2007-08-04 13:57:25 | 物理学(引用此処から)

標題の本を出版している人がいる。土屋秀夫という人である。

どういう人かわからないのだが、東京大学と東北大学の物理の図書室にこの本は登録されている。国立国会図書館には所蔵されていないようなので、これは自費出版の本かと思われる。ページ数が521ページと分厚い本なのでかなりの大著といえる。

出版社の創栄出版に問い合わせたのだが、今日は土曜日なので返事は月曜日以降になるだろう。創栄出版は仙台の出版社で自費出版等を盛んに行っているとある。

googleで検索したら、日大の東北高校を平成11年に退職した人に土屋秀夫さんという方がいる。日大東北高校は野球で有名な高校であるから、調べてみると福島県郡山市にあることがわかった。創栄出版の返事が不発に終われば、ここに照会をしてみるつもりである。

詳しい朝永の量子力学の研究がなされているとすれば、やはり一読に値するだろう。『朝永振一郎著の「量子力学」の研究』を手に入れて、ぜひ読みたいと思っている。

(2011.11.3付記)

この書を東京大学の物理図書館から借り出して、コピーをとった。だからこの書のコピーをいまではもっている。詳しい計算とか内容の解説をした書である。

これは自費出版された書で、出版社にも問い合わせたが、1部も残っていなかったということは別のブログで書いたかもしれない。また、出版社に著者への連絡先がわからないかと尋ねたのだが、いつのまにか出版社でも連絡先がわからなくなったとのことであった。

私自身も朝永の『量子力学 I 』 は2回ほど講義をしたことがあるので、そのノートをつくってもっているが、そのノートとこの著書と比べてみたいと思ってもいる。

ともかく、なかなかしっかり計算をしてある書で、内容の解説も書かれている。この書が一般書として出されていないのは残念である。

しかし、前にも書いたかもしれないが、式の表わし方を工夫するとかは必要だと思っている。また、この書の活字はあまり感心しないし、式の表示も現在ではlatex等で表示すれば、もっときれいで見やすくなるであろう。どこかの出版社で出版をしてくれないものだろうか。

内容の問題ではなく、本の活字とかの見かけが問題だというつもりであるので、上に書いた批判についてご寛容をお願いしたい。

(2020.2.7付記) 土屋秀夫さんは他でも書いたと思うが、東京大学工学部化学工学科を1971年に卒業された方である。私よりも7歳か8歳若い方である。(引用此処まで)

武谷三男の資料

2007-08-13 10:35:27 | 物理学(引用此処から)

オンラインサービスで武谷三男のプログレスに出た論文はおよそプリントした。一つか二つだけ私の前のレポートで落としていたのが今回見つかったような気がしたが、どうもはっきりとはわからない。いまのところ過不足はないみたいだ。

ある論文のページ数がどうしたものか間違っていたのに気づいた。その他収録すべきものに落ちがあるのかどうかはもう一度調べて見る必要がある。

湯川、朝永、坂田の三博士の論文集は出版されているが、武谷の論文集は出版されていない。これは出版するとするとかなり大部なものになり、その費用は膨大なものになる。

またそれだけの業績を上げたのかという点の世間的な評価では残念ながら上記三博士ほどではないかもしれない。しかし、重要な論文を選んだ論文選集ということなら可能性があるかもしれない。だが、彼の物理にかけた情熱はこの論文のページ数の多さからも伝わってくるようだ。

ダイソンが彼の論文選集で述べているように、物理学の論文は歴史的に回顧するとかならずしも全部が意味を持って生き延びる訳ではない。

それが数学との違いである。それで物理学者については論文全集ではなく、論文選集が発行されるとダイソンは言う。それに比べて数学者は論文全集が発行される。

武谷三男は論理的にも行動でも潔癖な人で他人に対して批判が厳しかった。それで熱狂的な信奉者がいる一方で物理学者の中でかっての門下生にも晩年そっぽを向かれたという風でもある。

これは単に風評とか単なる私の感じている雰囲気にしか過ぎないので歴史的な研究としてはその裏付けとかをする必要がある。

その評価を自ずと伝記とか年譜を書くとすれば、しなければならない。そのときには自分がどういう立場に立つかをしっかりさせなければならないと思う。

メモとして記しておくとゲージ理論の創始者の一人である、内山龍雄氏の武谷に対する拒絶反応(下記の付記参照)とか高木仁三郎氏との「時計か金鎚か」という論争もある。そういうテーマを一つ一つ調べて行かねばならない。

(2013.3.16 付記)上に書いた内山龍雄氏の武谷に対する拒絶反応というのは私の推測であって、内山の回顧には武谷に感謝していると思われる一節もある。

それに伏見康治の書いた文には内山にゲージ理論のはじめの論文(ネターの論文?)の存在を教えたのは科学史に関心のあった、武谷であるとの記述があった。

内山はその点を武谷に感謝していると思われる。(引用此処まで)

フーコーの振子1

2007-08-20 12:23:52 | 物理学(引用此処から)

フーコーの振子って知っていますか。名前は知っている人でもそれが何を意味するのかは知らない人が多いだろう。大学4年のときに相対論の時間にS先生に授業で聞かれて、27、8人はいる物理学科生(4年生)が誰も答えられなかった。

それも2年のときに力学でフーコーの振子について詳しく教わったにも関わらず。それでそのときはじめてフーコーの振子の実験の意味を知った。これは地球が自転していることを実験室で証明するという実験であった。

上野にある国立科学技術博物館にはフーコーの振子が動いているので、それを見てすでに地球の自転を証明するためだと知っている人もいるだろう。北極(南極も?)でなら24時間で振子の振動面はちょうど1回転するが、その他の地球上の地点では24時間経ってもちょうど1回転はしなかったと思う。これは直観的にわかるはずだが、いまその説明はちょっと自信がない。

コペルニクスの地動説によって太陽が動くのではなく、地球の方が動くということにはなったが、それは単に考えの上の話であって地球の自転は実験的に証明されなければならない。そうフーコーが考えたのかどうかは知らないが、そういう根拠を求めるというのはやはり物理学であろう。(引用此処まで)

Boltzmannの原理

2007-09-26 15:49:38 | 物理学【引用此処から】

私の友人のNさんによれば、Feynmanの著書「Feynman物理学」はすばらしい本だが、唯一つだけ熱力学・統計力学の部分が弱くて特色が少ないという。そうかもしれない。

しかし、私には忘れられないことがある。E大学に勤めるようになって、この「Feynman物理学」訳本の第2巻のうちで熱力学の項目を授業で教えるために読んだ。

そのときにあるエネルギーをとる状態が実現する確率はe^{-エネルギー/kT} に比例するということを知った。大学の統計力学の授業でBoltzmannの原理を教わらないはずはないのだが、大学で学んだ統計力学の内容はちんぷんかんぷんだった。

Feynmanの主張は指数関数の肩のところにくるargumentで分母kTの上の分子のエネルギーはそれが運動エネルギーがくることもあれば、ポテンシャルエネルギーがくることも、はたまた全エネルギーがくることもあるという。これで気体分子の速度分布則が怖くなくなった。

Boltzmannの原理がどうやって導かれたかはこのときはまだ知らなかったが、大いに気を強くするような知見であった。実に感じ入ってその後は毎年授業で強調している私の授業ネタの一つとなった。

その後、積分中のパラメータで微分する方法によって積分する方法があるのを知ったので、実際に大事なことはこのBoltzmannの原理であることがわかった。

法則をきちんと書き下すときに、その前についている係数等は確率が規格化されることから、単に技術的な計算で導くことができる。すなわち、それらの係数はいつでも自分で導いてやればいいのだから怖くはない。

よく物事がわかっていないときには式の複雑さでものごとの本質の理解ができなくなる。さらに、本質が何かわかっていないために覚えることが多くてわからなる。なんだか面倒な式だなといった感じだけが残ってしまう。それは困るのだ。

だから、積分中のパラメータで微分する方法によって積分する方法(これを私はFeynmanの積分法と勝手に名づけている)などを知っていることは単なるテクニックで本質ではないだろうが、Boltzmannの原理の理解に役立つことは間違いがない。

物質の波動性とBohrの量子条件

2007-10-16 11:58:51 | 物理学(引用此処から)

歴史的にはもちろんBohrの量子条件(1913)があってその後約10年程してde Broglieの電子の波動性(1924)が提唱されてBohrの量子条件が実体論的になった。

Bohrの量子条件は現象論ではないにしても、なんだか天下り的で天才の閃きによるものとしか思えない。

もちろん、de Broglieの電子の波動性もそのアイディアは天下り的であるが、それによって量子条件が実体論的裏づけを得たと思う。それで「de Broglieの物質波仮説」は私の好みに合っている。

もっともde Broglieの「物質と光」(岩波文庫)に収録されている、彼のノーベル賞受賞講演によれば、その着想は単なる天下りではなくちゃんと理由があることがわかる。いずれにしてもいろいろな意味でde Broglieは私の昔からの憧れの学者である。

(2013.5.25 付記) de Broglieはあまり難しい数学は使わないで物理学を研究するというタイプの学者であり、人とのつきあいがあまり上手ではない人であった。

そういうところが私の好みとあっている。私もあまり人とのおつきあいが上手ではない。また、数学があまり得意ではない。

もちろん、世の中の一般の人と比べれば、数学が下手だとは言えないかもしれないのだが、それでも私は数学が得意ではない。

(2013.6.10 付記) 先日、Yangの論文選集II (World Scientific, 2012) を読んでいたら、Bohrの量子条件をde Broglie流に解釈した述べ方がした図が出ており、私が上で述べたような捉え方をYangもしているらしい。

私のようなぼんくらの物理学者でも、ときにはYangと似た考えをもてたということであろう。(引用此処まで)

小川洋子「博士の愛した数式」

2007-12-11 12:01:45 | 学問(引用此処から)

この小説を読んだことはないのだが、12月9日の日曜日の夜にテレビでその映画を見た。あらすじは省略して、要するに「博士の愛した数式」はe^(i  ¥pi)+1=0 である。ここで、¥pi  は円周率を表している。これは不思議な数式であるが、またある意味ではちっとも不思議ではない。

オイラーの公式といわれるe^(i x)=cos x +i sin xを知っている人で、その幾何学的意味が実軸上で0から1に向かった矢印→を原点Oの周りに角度を弧度法(ラディアン)で測って角度xだけ反時計方向にその矢印を回転させることだと知っていればすぐにわかる。

いま0から1に向かっていた矢印→を¥piすなわち180度反時計方向に回転させれば、0から-1へ向かう矢印→となる。すなわち、e^(i  ¥pi)= -1が得られる。この式の両辺に1を足せば,e^(i  ¥pi)+1=0 が成り立つ。

どうも小説では意味深長で神秘的に聞こえる、この関係をなんでもない散文的なものにしてしまうから、「科学者なんて毛虫のようだ」なんていわれるのだろうが。

「毛虫云々」は物理学者・武谷三男が太平洋戦争後につづり方研究会に出て、「梅毒で頭がもうろうとした人からいい文学が生まれるのとサルバルサン606号やペニシリンで梅毒が治って文学が生まれないのとどちらがいいのか」という意見を述べたときに、その会に参加していた、ある女性が武谷を「毛虫のようだ」と評した故事にちなむ。

武谷三男はするどい論調で皮肉をいつも言っていたとか。それで、武谷の口には毒があるといわれたという。また彼のあだ名は「ゲジゲジ」だったらしい。

これはトップシークレットです。もっとも大阪大学理学部の第2回の卒業生だった、すでに故人の長谷川先生によれば、大阪大学の理学部の創設の初期にそこをしばしば訪れていた武谷は寡黙だったという。

湯川秀樹、坂田昌一たちとの中間子論の共同研究で武谷三男は物理学会に知られるようになる。特高に捕まって留置所生活を半年間ほどするのはその直後である。
(2024.4.27付記)
物理学者・武谷三男について少しネガティブに聞こえることを書いたので、付け加えておく。
哲学者の鶴見俊輔と彼の生前にちょっとの間だったが、知り合いになって、私がいつか武谷三男の伝記を書きたいと言ったところ、武谷が文学や演劇・音楽を愛し、かつ人間性が豊かで、繊細な感受性の人物であることを直に知っている京都在住の女性を紹介してくれそうだったことである。
武谷三男の伝記は書くという、私の見込みはまったく立たず、たぶんそのことは私よりは若いが、物理学者・坂田昌一の伝記をすでに書いて実績のあるNさんが、その望みを叶えてくれるのではないかと密かに思っている。(引用此処まで)

三段階論は科学史から導かれたか

2007-12-17 14:58:58 | 科学・技術(引用此処から)

科学の認識論として知られている武谷の三段階論だが、広重徹はこれが武谷の科学史の曲解から出て来たという風に考えている。

広重は「科学史を具体的に研究して三段階論のようには歴史はなっていない」といっているか。それとも「歴史からは三段階論は出て来ない」という風に言っているか、または「三段階論は間違っている」と言っていると私は理解している。

これはかなり私の自分勝手な解釈なので本当は広重がそう思っていたかどうかは今後詳細に調べてみる必要がある。ともかくもそういう理解を前提としてここでは論を進めてみる。だからこの前提がくずれれば、以下の議論は無用である。

武谷はこの三段階論の着想を必ずしも科学史だけからヒントを得たものではないことは彼の回想「思想を織る」に出てくる。音楽理論等からも着想を得ているという。

そうだとすれば、広重がいう武谷は科学史をきちんと調べないで論を立てたという話は確かにそうかもしれないが、それだからといって武谷を論難するのはちょっと話が違うかもしれない。

だからどうだというところまで考えが及んではいないが、もっと広い(人文科学や社会科学も含めた)科学全体のコンテキストからこの三段階論をもう一度考え直さなくてはならないだろう。

広重のいう「科学史の素人であった」武谷の三段階論はやはり素人目にはぴったり来るところがあるのを否定はできない。これは力学の形成だけではなくて他にもいろいろな場合でも考えられるだろう。

ということは個々の科学の歴史についてそれが三段階論と離れていようとも実はそれがむしろ本質をついたものであったのかもしれない。しかし、実際の場合の有用性については別に評価をしなければならないだろう。

以下は単なる放談である。

量子電気力学では現象論の段階をどこにとるのかはよくわからないが、坂田のC中間場の理論はその実体論とも考えられる。もちろんこの場合には実体論はうまく行かないところもあり、結局は「くりこみ理論」である種の本質論となった。

もっともそう捉えるとHeisenberg-Pauliの場の量子論はどの段階に位置づけたらいいのか。

また、電弱理論は「量子電気力学と弱い相互作用」のある種の本質論であるが、その前の段階として何をどのように位置づけるのか。そしてそれは実際の電弱理論をつくるときにどう働いたのか、または働かなかったのか。実際の歴史は輻輳していて一筋縄では行かない。

ゲルマン等のクオークモデルへと導いたその元の坂田モデルはやはりある種の実体論と位置づけるべきではないか。ところが逆転してU(3) またはSU(3)へと導かれたところはある意味で現象論であったということになる。

坂田モデルは実体論であるが、それからU(3)というある意味で本質論だが、一方で現象論であったものができた。

その現象論を修正することにより、SU(3)という本質論であるが、また新たな現象論であったものができ、それの実体を探るという意味でクォークモデルが出た。またこれはある種の実体論であり,またそれは現象論でもあった。

そのときにゲージ原理がある種の役割を果たしているが,それをどう位置づけるのかそれを落としてはならないだろう。

そういった素粒子の歴史をもう一度ひもといてみる必要がありそうだ。(引用此処まで)

DysonとFeynmanの著作

2008-01-19 15:11:29 | 物理学(引用此処から)

World ScientificでFeynmanとDysonの本を購入した。といっても本当は新しいものではない。Feymanのは彼の学位論文が本になったのだ。また、Dysonのは彼の1951年のCornel大学での講義ノートが本になった。これは多分Feynman理論を講義した世界ではじめての試みだったのだろう。

Dysonの講義ノートもFeynmanの講義ノートも大学院時代に先生方か先輩の蔵書の中にあったような気がする。Feynmanの方はすでに本として出版されていると思う。ところが、Dysonの講義ノートは研究者の間に出回っていたが、本とはならなかった。それがおよそ60年のときを経て本になった。

Dysonはまだ存命であるが、朝永、Schwinger, Feynmanはすでに亡くなった。この3人が1965年に量子電気力学の業績によりノーベル賞を受賞したが、そのときにDysonは賞から漏れた。これはノーベル賞の受賞者は3人以内という不文律に触れたためという。YangはDysonにノーベル賞を与えなかったことでこのノーベル賞選考を彼の論文選集で批判している。

Oppenhiemerに対するYangの評も同様に暖かい。もう少しOppenheimerが長生きしていれば、ブラックホールの予言とかパルサーといわれる中性子星の研究で彼の業績は評価されたはずだという。

これはDysonやOppennheimerの二人とYangが親しいということもあるだろうが、それだけではなくYangの目が公平だと思われるところがいい。Yangはハードワーカーだとかで研究熱心である。LeeとYangとはノーベル賞を同時受賞しているが、二人を比べて日本ではYangの方が評価が高いと思う。

そういえば、ドイツのマインツ大学で研究室が私と同室だったKim さんはLeeがあるとき講演に来て、そのとき聴衆の中の一人が数学者でLeeの使った用語の定義を根掘り葉掘り聞いて、いちゃもんをつけたのでLeeが腹を立てたと話していた。

Yangは前の奥さんが亡くなったので若い中国人女性と再婚したとか。その女性を連れて日本の講演会にやってきたと物理学会誌で読んだ。Yangは亡くなった私の先生のOさんよりも年上だと思う。(引用此処まで)

科学者の伝記2冊

2008-01-24 11:51:18 | 本と雑誌(引用此処かr)

昨日2冊の科学者の伝記を手に入れた。1冊は岩田義一さんの「偉大な数学者たち」(ちくま学芸文庫)でもう1冊は佐藤文隆さんの「異色と意外の科学者列伝」(岩波科学ライブラリー)である。

昨日ちらちらっと拾い読したのだが、思ったほどは面白くなさそうだ。特に「偉大な数学者たち」はアマゾンの書評がすばらしいとのことだったので期待していたが、それほどではないのではないかと思う。

もちろん、この書をよく読んでいないための評価であるから間違っている可能性は大きい。昨日は短い伝記を読んだので、長い伝記は後の楽しみに残してある。日曜の午後にでもコタツに入って楽しむつもりである。

この書は1950年の発行というからもう60年近くになるわけだが、どういうものか今まで読んだことがなかった。もっとも一番新しい数学者として取り上げられたのが、ガロアであるからup-to-dateというわけにはいかない。

しかし、科学者の生き方というのはやはりドラマに取り上げられることがある。演劇「コペンハーゲン」は見たことがないが、第2次大戦中のコペンハーゲンで繰り広げられたハイゼンベルクと彼の師のボーアとの会話を中心にしている。単に師弟の旧交を温めるということにはならず、ナチスドイツが原爆を開発する意図をもっているかどうかがテーマであった。

ロベルト・ユンクの「千の太陽よりも明るく」では連合国とドイツの間でお互いに原爆の開発をしないように約束をとりたいためにハイゼンベルクはボーアのところへ話に行ったが、ボーアは戦時下では科学者は自分の祖国のために原爆の製造も許されると受け取った。

ナチス治世下の状況で自分の身の安全のためにハイゼンベルクがはっきりと原爆を開発しないと言明ができず、あいまいな言いまわしに終始したためにこの誤解は生じたといわれる。

そのためでもないだろうが、長い間ハイゼンベルクはアメリカの科学者やヨーロッパからアメリカへ亡命した科学者にナチスを擁護した科学者として悪い印象をもたれた。(引用此処まで)

宇宙と物質、その一様、等方性

2008-02-18 11:40:47 | 物理学(引用此処から)

いま急に思い出したのでメモしておく。

湯川秀樹監修の岩波講座「物理学の基礎」はだいぶ以前に出た本だが,この中の古典物理学の力学のところに豊田利幸先生が弾性体の力学と相対論を同時に学ぶような趣旨でテンソルについて書いている。これは優れた観点である。

弾性体力学での、物質の等方性、一様性の仮定は、宇宙論での宇宙の等方、一様性の仮定とまったく同じであり,同じ仮定がまた結晶学でも使われている。人間はその対象分野は違っても同じ仮定から、その理解を始めている。

たとえば、宇宙の分野での独自な理解の仕方を結晶学や弾性体力学へと応用して、これらの分野の理解を進める。またはその逆の試みがされてもいいのではないかと思った。

よくは知らないが,レッジェポールで有名なReggeはそういう趣旨で重力論を展開したことがあるらしい。

もちろんいつまでたっても、等方性と一様性の仮定から離れられないのならば,物性物理学の進歩はないだろう。

現在では一様でない物質とか結晶とかも、現代の物性物理学では同様に対象にされている。格子欠陥とかアモルファスなどが主な研究の対象になっている。

(2013.2.20付記) 表現が未熟であったので、趣旨がはっきりするように文章を改めた。どこをどのようにという記録は取らなかったが、より趣旨をはっきりさせたつもりである。

この文章を検索されて、読んだ方がいたことがその契機となった。感謝をしたい。(引用此処まで)

武谷の処女論文の発見

2008-02-25 11:51:58 | 物理学(引用此処から)

一昨日、いままで分かっていなかった武谷の処女論文のありかがわかった。これは台湾博物学会会報に出た論文であった。私は日本の地質学会誌を探していたので、見つからなかったのだ。

これは武谷が旧制の台北高校生のときの論文である。台北帝大教授の早坂一郎の英訳だという。出版は1936年(昭和11年)なので武谷が24、5歳のときの出版であるが,書いたのは1928、9年頃だから17、8歳位のことである。

量子電気力学の業績でノーベル賞を1965年に朝永やFeynmanと共同受賞した早熟の天才Schwingerがはじめて論文を書いたのは16歳のときだというから分野は違うが年齢的にはそれに匹敵する。

山へ登っては貝やかたつむりを採取してそれを分類したらしい。また若い学生の論文を英訳された早坂一郎先生の尽力と分け隔てなさがすばらしい。武谷が学問のふるさとして台北帝大の地学の先生、早坂、丹先生たちとその学問の雰囲気を懐かしんでいた理由がわかる。

ローマ字でMituo Taketaniと入れて探したら、「台湾貝類資料庫」という中に武谷の論文が出ていた。そのPDFコピーがインターネット上から手に入りそうだったが、なかなか取り込めないのでメールを書いた。親切な人に出会うかどうかはわからない。しかし、やるだけのことはやってみた。

これで多分武谷の論文で現在のところ存在がわかっているものは尽くしたと思う。念のためにCitation indexを調べる必要があるが、これは大学に行って誰かの端末を使わないと調べることが出来ない。

ただし、このような発見は自分の体の中で興奮がない。自分が新しいことを研究して小さなことでも発見があると興奮してある種の満足の感覚が体を満たすものだが、今回はどういう感情も起きない。オリジナルのことをやらないのはさびしい。(引用此処まで)

場の理論は日本にはなかったか

2008-02-29 14:20:57 | 学問(引用此処から)

「素粒子論研究」の最新号の研究会報告にKさんとOさんの講演が載っている。二人とも場の理論的なアプローチを得意とした学者である。

Oさんは坂田先生に自分の研究の話をするときには必ず場の理論的な側面をはずして話していたとのことである。きわめて場の理論家としては肩身の狭かったことであろう。

Oさんはしかし場の理論以外のこともやっているし、その素粒子理論へのU(3)の導入は彼とIさんの大きな業績でもあるから、坂田先生からそれなりに評価はされていただろう。

確かに50年代から60年代の場の理論の勢いはあまりなかったというのは本当だろう。しかし、湯川とか朝永はやはり場の理論を主軸とした研究をやっていたといえるだろうし、また場の理論から離れてはいなかっただろう。特に朝永は1955年以降は論文を発表はしていないが、密かな研究としては場の理論的な研究を目指していたらしい。

今回の研究会ではある程度広島大学付置だった「理論物理学研究所」に焦点があたっているが、広島大学の素粒子論研究室には光はあたっていない。その辺が不満である。

しかし、それはある意味では武谷の業績の軽視でもあるような気がする。朝永、湯川、坂田はもてはやされるが、武谷以下の人たちの寄与はどうも無視される傾向にある。もちろん、武谷の寄与が前の三者ほど華々しくない。学問の世界も「やはり勝てば官軍である」ことは紛れもない事実であろう。(引用此処まで)

物理の散歩道

2008-03-05 17:59:15 | 物理学(引用此処から)

昔ロゲルギストという一団の物理学者のグループがあり、「物理の散歩道」というエッセイだか本を出していた。

若手の物理夏の学校の当番校だったときに坂田昌一先生を講師に招いて話をしてもらった。坂田先生が亡くなる数年前の話である。

坂田先生は講演で「物理の散歩道」などという考えを批判されて、闘う物理学でなくてはならないといわれた。

多くのヒトがそれを聞いて感銘を受けたなどとは思わないが、それでも坂田先生の立つ立場は理解したと思う。

こんなことを思い出したのは数年前に私は「数学散歩」という本を出版したからである。坂田流に言えば数学に本気で取り組んでいないということになる。そうかもしれない。

しかし、私が「散歩」という語を使ったのは教科書風の体系的ではないという意味でつかったのであった。

une promenadeというのは散歩にあたるフランス語だが、「物理の散歩道」風の気持ちも少しはあった。だが「数学散歩」での取り扱いはそんなに散歩風でもないのだが、それにしてもこれは言い訳がましい。(引用此処まで)

武谷の「素粒子論の発展」

2008-04-01 10:50:49 | 物理学(引用此処から)

科学朝日1960年11月号の標題の記事はなかなかいいと思って武谷三男「現代論集」に収録されているのではないかと思ってあたってみたが、どうも収録されていないようだ。

他の科学朝日の記事は出ているので、収録しなかったのには、なにか理由があるのだろうか。この次の号をもっていないのでわからないが次の号にもつづきがあるはずだ。

武谷が強調しているのは概念分析であり、そういうことは誰でも研究にあたってはするのだろうが,そこのところが興味深い。

物理学での彼の業績として宇宙線のカスケードシャワーの現象で中性中間子の重要性を指摘したとある。パイ^{0}  は2つの光子に崩壊する。これがカスケードシャワーの重要なプロセスだという。

多分この分析は戦争中の話で中間子討論会のレポートとなっているはずだ。それを後でプログレスの論文として出されている。(引用此処まで)

1965年以降の武谷

2008-04-08 11:05:18 | 物理学(引用此処から)

日本人は外国の人の論文はよく引用したり、評価するが日本の同様な仕事は評価しないと言われる。少なくとも武谷がこういって在米の日本人の物理学者を非難したことは私の記憶にも新しい。

しかし、武谷が自分の指導していた核力グループで特に広島グループが大きな寄与をなしていた時代があったのだが、それを武谷が正当に評価していたかどうかは疑わしいという気がする。

それが遠因をなしているのかどうかはわからないのだが,その後の坂東弘治さんたちのハイペロンの研究でもOBEモデルはNN散乱で世界で多分はじめに広島グループが始めたということをもう覚えている人は彼らのグループにもいないのではないか。

山本さんという、坂東弘治さんの共同研究者であった人のその分野の日本語で書かれた概観を最近見たのだが,坂田モデル、武谷の方法論は言及されていたが、それを発展させたOBEモデルの広島グループの寄与はまったく書かれていない。

もちろん、ハイパーチャージが入った反応についての坂東さんたちの功績は大きいのだろう。だが、それにしてもOBEモデルをSU(3)に一般化したオランダのグループの評価だけが特筆されるというのはどういうことだろうか。

OBEモデルの主要な提唱者である、Yさんなどは多分に正当に評価されていないことに苛立っていたとしてもおかしくはないだろう。

もちろん、Yさんが苛立っていたという感じは少なくとも私はもっていないが、これが武谷を指導者として広島グループが受け入れがたかった理由かもしれない。

もちろん私自身はそのグループの端にしかいなかったので、このグループの業績への寄与がある訳ではないが、どうも評価が低すぎるというか業績がまったく無視されているという気がする。

武谷は自分が研究を指導して来た核力グループの崩壊とともに自分が足場とする研究グループとして一時ではあるが、広島グループに期待をかけたと私は思っている。

だが、彼はなんでも自分が言い出したことを単にグループのメンバーが詳細な研究で確かめたという風な評価するところがあった。オリジナリティの起源は自分にあるという風に。

それで結局、武谷はFさんを中心とした宇宙線のグループと宇宙の問題へと研究方向を変えたと思われる。この宇宙線の研究は世間にあまり受け入れられなかったように思われる。

しかし、これが本当にあまり成果を上げなかったのかどうかは冷静に検証しなければならない。(引用此処まで)

「私の見てきた素粒子物理学の40年」感想

2008-04-17 12:37:37 | 物理学

((引用此処から)

友人のHさんから、R大学に長く勤めておられたFさんの「私の見てきた素粒子物理学の40年」を貸してもらって読んでいる。まだ半分も読んではいないのだが、いくつか記録しておく。

Fさんは私たちの先輩である。Lee-Yang のparity非保存の論文が出たときにparity非保存の実験まで提唱したことにその仕事の徹底さと深さに感じ入ったとある。

これを見て思い出したのだが、先回の2006年の同窓会のときにやはりこのことが会食の後でだったかその前だったかは忘れたが、もう一人の先輩Sさんの反応との違いが印象に残っている。

Sさんは負けず嫌いなのでLee-Yangと同じようなことをちょっと考えたという風なことを言われていたが、Fさんは潔くLee-Yangとの差を認めていた。それを率直に認められるだけFさんの考えとか力量が大きいという風にそのとき感じた。逆説的だが、率直に差を認められるだけその人の力量とか認識の差が出ると思う。

Sさんも才能ある物理学者だと思うし、その現在でも研究に熱心な人であることは認める。だが根本的なところでFさんと力量の差があるような気がした。

もう一つ気がついたことはFさんがdispersion relation を使った研究を終生のライフワークとしたきっかけについてである。これは彼が弱い相互作用の研究をしていて、dispersion relationの有用性に気がつき、それを核力研究に使い出したことにあるという。

私の知っているF-Machida両氏のNuovo Cimentoの論文で町田氏がFさんに分散公式を核力研究に使うことを薦めたのかと考えていたが、これはまったく違うらしい。もちろん町田氏は核力研究の専門家であったから、NN散乱のあれこれをFさんが町田氏から学んだということはあるだろう。でも主体性はFさんにあったという風に思える。

これで思い出すのはS-Yの素粒子の質量公式のことである。私たちの先生OさんたちがIOOシンメトリーを提唱した頃、Sさん、Yさんが共同で質量公式をU(3)対称性にもとづいてつくった。これは誰が考えてもOさんの指導で質量公式をつくる仕事を始めたと考えるだろう。ところが事実はそうではないらしい。

Yさんの語るところによれば、 F、Y、Sの諸氏は一緒にK中間子がpionとleptonとに崩壊する3体崩壊を研究していたが、このときに未知の粒子を仮定していたらしい。それで武田暁先生にデータのambiguityと未知の粒子の質量があいまいだとのambiguityの2乗では研究にならないと批判されたらしい。それではその未知の粒子の質量を予測しましょうということが動機で質量公式の研究を始めたとは直接Yさんから何度か聞いたところである。

もちろん運よくIOO対称性の研究が近くで行われており、その知見を活用することができたのは事実だろう。だが、外から容易に推測するような動機で研究が進められたわけではないということは興味深い。こういうことは近くにいる人でないと知ることができない。

上のFさんのdipersion relationの核力研究への適用もそういう事例であろう。武谷の核力研究の方針やそれらについて武谷が書いたところを読めば、どうしても武谷の示唆によって核力にdispersion relationを用いることが行われたという風に外からは解釈がされがちだ。それは単純にそういうことではないことがわかる。

ただ武谷の名誉のためにいうと、いろいろなものが出てきてもそれを十分に位置づけることを心がけていたとはいえるだろう。このことは多分坂田昌一にも同じことが言えるだろうと思う。(引用此処まで)

ホーイラーとロレンツの死

2008-04-19 13:07:59 | 物理学(引用此処から)

一昨日だったかWheelerホーイラーの死が報じられていた。96歳だったという。

この頃の若い物理学者はWheelerといえば、通称「電話帳」といわれる部厚い、一般相対論と重力の本Gravitation を思うだろう。しかし、核分裂の理論をつくったのは彼とBohrであった。

また彼はアメリカの生んだ天才的物理学者Feynman の先生でもあった。Feynmanは誰に指導を受けたとしても結局はその天才を発揮しただろうが,その天才をもっと大きく育てた人としても有名である。

ちょうどオランダの天才物理学者’t Hooft を育てた、Veltmanのような存在だったのだ。もっともVeltmanはその業績が認められて’t Hooft と同時にノーベル賞を受賞した。

Heisenbergの先生だったBornは、Heisenbergがノーベル賞を単独受賞したときに自分の業績が認められなかったことに悩んだという。だが幸いなことに20数年後だったかにBorn自身もノーベル賞を受賞したので、ある意味では救われた。

その点で気の毒なのは量子電気力学の建設者の一人Dyson であろう。朝永、Schwinger, Feynmanの3人が1965年にノーベル賞を受賞したときに彼一人が共同受賞できなかったから。

また昨日は気象学者Lorenzの死が報じられた。Lorenz は90歳で亡くなった。彼は現在ではカオスと言われる現象の発見者の一人とみなされている。数年前には京都賞か日本賞を受賞している。

カオスとは因果的法則が、確率的なランダムな現象を引き起こすものをいう。数十年の昔、京都大学の山口先生の集中講義でカオスという現象を知った。山口さんの話はMayの数理生態学の話でであり、これは一番簡単な2次写像のカオスである。

Lorenz のことを知ったのはかなり後で、その後有名な物理学者となった蔵本氏の論文とかでLorenz の論文が引用されているのを見た。

「中国で蝶がはばたくとその影響がブラジルに伝わる」とかいう風に表現される。普通にはそんなことが起こるはずがないが、カオスの神髄をうまく表現しているかもしれない。(引用此処まで)

伏見康治氏の死

2008-05-10 11:42:38 | 物理学(引用此処から)

伏見康治さんが亡くなったと今朝の新聞に出ていた。98歳だったという。1909年の生まれというから来年は生誕100年だったことになる。

いつごろ伏見康治の名を知ったか覚えていないが、亡父の蔵書の中に彼の「確率論及統計論」があった。30代か40代のはじめに書いた本だと思う。

その本を知った当時はまだ大学生かまたは高校生の頃で、伏見康治氏は私には老大家という印象だったが、事実はそうではない。少壮の学者だったことになる。

読んだことはないが、「相対論的世界像」という本の著者としてとかガモフの全集の一部の訳者として知っていた。

大学院のころにたまたま頭のいい学者のことが研究室の先生の間で話題になり、その頭のいい学者の筆頭が伏見さんであった。また、小谷正雄先生も頭のいい人で東海道線に乗ってつぎつぎと来る駅の名前を覚えようともしないのに自然に覚えてしまうくらい記憶力もすぐれた学者だという話が印象的だった。

もっとも頭のいいことがすなわち業績をあげた学者ということにはならない。もっとも小谷さんなどはすぐれた学者だといっていいだろうが。

伏見さんは晩年には若いときにはむしろ思想的に敵対していたと思われる武谷三男をある意味で評価している(科学者の証言)。

これは家庭がそれほど裕福ではなかったから、生活に困ったというような家庭の事情が似ていたこと等もあるだろうし、二人が長生きしたこともあるだろう。そういうこともあって伏見さんは武谷さんを意外に肯定的に評価していると考えている。

日本での原子力の研究を進めようとしたところも方向は少しだけ違ったかもしれないが、似ている。そして伏見さんが大阪大学を辞めて名古屋大学のプラズマ研究所の所長になったところもひょっとしたら原子力研究のあり方に批判的であったためかもしれないと思ったりする。

みすず書房から出された彼の著作集には興味深いものがある。彼はあまり教育に関心を示さなかったが、その関心の一部は彼の著書の中にぽつぽつと出ている。私も母関数という概念の紹介に彼のあるエッセイの冒頭部分を「数学散歩」(国土社)で利用させてもらった。

人は死すべきものである。これはどうあがいてみたところで変えられない。だが、いかに生きるかは努力で変わってくる。人生は地球歴史的な長時間でみれば無駄なのだが、だからといって自分が無駄に生きる必要はない。(引用此処まで)

思想の意義

2008-05-15 11:39:31 | 日記・エッセイ・コラム(引用此処から)

若い学生の頃に兄の友人のYさんから、指揮者は音楽を自分なりの解釈をして、それを楽団の演奏者に説明して自分のイメージの音楽を演奏するのだと聞いて指揮者の存在意義がやっとわかったということがあった。

音楽を解釈する余地があるなどということは音楽に疎い私には想像を遥かに越えることであった。話は音楽からはずれるが、私の長男が大学受験に失敗して予備校に通っていたころ、彼がFeynmanの物理学の本を受験勉強の暇々に読んでいて、「物理学は思想だ」とつぶやいたときもびっくりした。

残念ながら、私は物理学は思想だとは思っていなかった。もっとも単なる知識の寄せ集めかと問われれば、そうとも言いかねるとは答えただろう。

いまでも物理学は思想かと尋ねられたら、ううんと考え込んでしまうだろう。しかし、物理学者には思想家的な人もいる。物理学者の中でもとりわけ湯川とハイゼンベルクは思想家としての色彩が強い。また、ハイゼンベルクの先生だったボーアとか、アインシュタインもそうだろう。

ガリレイだとか、ケプラーとかはたまたニュートンも思想家なのだろうが、彼らのことはよくはわからない。30年以上前に留学していたマインツ大学で、数学教室の図書室に行ったら、ケプラーの全集もあってそれが大部のものであることはそのときに知ったが、多分ラテン語で読めなかったと思う。

思想が一番大事なものかどうかはわからないが、何ごとかをする人にはかならず思想があるように思う。その思想は簡単なものからもっと多重なものまでいろいろだろう。しかし、ともかくなにか思想とでも呼べるべきものがあるのは確かなようである。(引用此処まで)

湯川朝永シンポジウムの会議録

2008-05-22 12:26:17 | 物理学(引用此処から)PTPのSupplement no. 170(湯川朝永生誕百年のシンポジウムのproceedings)が昨日湯川記念館から届いた。

朝永さんとのつきあいの回想をした、小柴さんの話と南部さんの話を読んだ。知らない言葉が多く、辞書を引き引きの読書であった。

深夜の2時頃までかかって読んだ。同時に坂田モデル50周年の記念の会議のproceedings(PTP supplement no. 167)も同時購入したのでこちらの方も少しだけ読んだ。

IOO対称性の導入についての話は大貫さんの話が詳しいが、これは素粒子論研究に彼が書いたものほど詳細ではなさそうである。

私の先生の一人である沢田さんの話はPTPのonlineで前に読んだことがあるので、今回は見ることもしなかった。R大学に勤めておられたFさんの退職のときの回想記録と沢田さんの回想というで、彼らの物理観にこれで触れたことになる。

後はもう一人の私の先生であるYさんの話とこれは狭い意味の先生ではないが、広島大学の素粒子論研究室と関係の深いWさんの話を聞けば、おおよその昔の広島大学の素粒子研究はわかることになろうか。

(2014. 7. 23 付記) Yさんに私がしたインタビューは素粒子論研究の終刊の一つ前くらいの素粒子論研究に掲載されたので、後はWさんの話を聞くことが必要であろう。

先々週のNHKのEテレ放送「原子力 科学者は発言する」で武谷さんの関係で元気に出演されていた、京都大学名誉教授の町田 茂さんもこの時期の広島大学素粒子論研究室のメンバーであった。

彼の話も聞かなければならないのだろう。(引用此処まで)

広島大学理論物理学研究所

2008-06-16 14:56:52 | 物理学(引用此処から)

広島大学理論物理学研究所とは、広島県竹原市にあった、もうなくなってしまった理論物理学の研究所である。

1944年設立で1990年に閉所して、京都大学基礎物理学研究所に吸収合併された。1989年に創立45周年の会があり、それに出席をしたことを覚えている。

宇宙物理学や場の理論、時間空間論を研究する全世界的にも特異な研究所であったが、いろいろないきさつから京都大学基礎物理学研究所と合併した。

1944年に発足したときには世界で第4番目の理論物理学研究所ということであったが、小さいことでも世界で一番小さな理論物理学研究所であった。

ここの教官は理学部の教官と一緒に理学研究科の一部であり、学部の学生の卒業研究を指導するシステムではなかったが、大学院生を教育していた。そこで学位をとった宇宙物理学や素粒子物理学の研究者は多い。

私はこの研究所の出身ではないが、広島大学理学部物理学科の学生だったから、いくらかこの研究所については見聞きしている。しかし、私の先生の一人Oさんなど私が大学院生のころは、学生が宇宙物理学分野に関心をもつのを要注意とされていた。

これは、これらの研究がそのころは物理だか哲学だかわからないようなところがあると思われていたからだろう。

その後、金沢大学からの田地先生とか素粒子の研究者が増えて物理的な色彩も強くなり、そういうことを言われなくなった。

また、宇宙物理学それ自体が実験とか観測データが増えてきて、いまでは宇宙物理学は狭い意味でも物理学の範疇に入っている。それが時代の流れなのである。

googleで検索してみると理論物理学研究所に関するホームページは結構多い。もうなくなってしまった研究所だが、ひときわ思い入れが強い。(引用此処まで)

新版「スピンはめぐる」

2008-06-26 11:22:27 | 物理学(引用此処から)

復刊プロジェクトで朝永振一郎「スピンはめぐる」が復刊された。予約注文していたら、今朝出版社のみすず書房から宅急便で届いた。新版では江沢洋さんが注をつけている。

「素粒子の本質」(岩波書店)で武谷三男が朝永に量子力学IIIでもいいし、そのほかの本でもいいから対応原理的考えにもとづいた物理の本を書いてくださいと要望していたが、「うまく書けないよ」と朝永が答えていた。

そういう要望にもとづいた訳ではないかもしれないが、「スピンはめぐる」が書かれたといういきさつがある。

晩年の科学行政の世界での朝永のすこしあいまいな姿勢に厳しい批判を与えた武谷も朝永の物理学の長所をしっかりとつかんでいた。

この「スピンはめぐる」は少し難しいので腰を落ち着けて読まないと読むことができないと思う。それでまだきちんと読んだことはない。

ただ、この新版では雑誌の連載時には載っていた写真のいくつかはそのままではないだろうが、つけられている。それを眺めるだけでも楽しい書である。(引用此処まで)

湯川秀樹と隕石

2008-06-27 12:40:31 | 日記・エッセイ・コラム(引用此処から)

私の妻が昨日昔のことを思い出して言っていた。長男は小さいとき夜なかなか寝つくことができなかったという。どうして寝れないのかと聞いたら空が落ちて来るのが心配だといったという。

そういう話を私がしたのかもしれないが、多分これは本人の想像力だと思う。小さくても想像力に富んだ子はいろいろ考えているのだ。やはりその人のもって生まれた性質は教育なんかを超えていると思う。

それで思い出したのだが、昔湯川先生が所長をしていた基礎物理学研究所で私は数ヶ月非常勤講師をしていたが、そのときの昼食時に隕石が落ちて自分にあたったらどうしようと心配をしたことがあるといったら、湯川先生が実際にあったこととして自分の親戚の人が山道を歩いていたら、何かふらふらと飛んできてどこかその人の近くに落ちたという。これが隕石であったという。

彼はそれが自分の親戚の人としか言わなかったが、ひょっとしたら彼の父親の小川啄治氏であったかもしれない。小川啄治氏は地学の研究者であったから、山道を歩くことも多かったであろう。

このようなことに出会う人は本当に少ないとは思うが、やはり実際にあるということであろう。長男が昔感じた心配を杞憂とばかり笑うことはできない。

(2013.2.18付記) 「湯川秀樹と隕石」などというタイトルで偉そうなやつだと思われた方もおられるであろう。

これは表題ということもあり、表題はいつでも短くしたいという意図ともう湯川博士も歴史上の人物となっているとの観点からであり、他意はない。

「さん」とか「博士」とか敬称を入れるべきかともいまでも思わないでもないが、表題としてはこのままとさせて頂く。

途中の文章では「さん」を「先生」に改めた。「さん」では私にはあまりにもなれなれしすぎるからである。

ロシアにとても大きな隕石が落ちて、ニュースダネになったので、このブログも一人、二人見てくれた人が出てきた。それで、文章の少し改変をした。(引用此処まで)

山本義隆『新物理入門』

2008-06-30 07:30:57 | 物理学(引用此処から)

講義の準備のために以前に購入していた山本義隆氏の『新物理入門』の電磁気のところを一部読んだ。

なかなかよくできている。どういう風によくできているかというと帰納的ではなくできるだけ演繹的に議論が進むところだ。

よくアマゾンの書評で彼のこの本がすぐれているという人と、もう一方の評価はそれなら大学のテキストとして書かれたものを読んだほうがいいという評の両方があったと思う。

予備校での講義だから、微分積分をフルに使っているとはいっても制約がある。だから後者の批評はある程度あたっているかもしれないが、そういう制約のある中でよく書いてあると思う。

彼が真剣に書いているということは十分にわかる。物理はもともと実験科学だから、それを理論化するときにどこが一番基本かを言い難いところがあるが、彼はその点を最小限にしているとの印象である。

しかし、基本となるところでも理解を十分にすれば、丸暗記はいらないのかもしれないが、それでもある程度記憶しておかなければならないこともあると思うので、その点が十分に簡単化されているかは彼の努力にもかかわらず疑問である。

批判的にとられるかもしれないが、批判するのが本意ではない。誰が電磁気を書いても難しいのだと思う。

Feynman Lecture(訳書:ファインマン物理学(岩波書店))みたいにはじめにバンとMaxwell方程式を書くわけにも行かないだろうし、それができたら気持ちの上ではすっきりするが、一般の電磁気学ではそれはやはり難しかろう。

でもよく整理をされていると思う。もっとも電磁気学のことをあまり知らない私がいうのだから、信用度はとても低いだろうが。(引用此処まで)

朝永振一郎「角運動量とスピン」

2008-07-02 15:11:17 | 物理学(引用此処から)

朝永振一郎の「スピンはめぐる」の新版が出たということを数日前に紹介したが、朝永の量子力学IIIにあたる、「角運動量とスピン」(みすず書房)がすでに出ている。

角運動量の章がないと量子力学のテキストとしては不完全だというので、朝永の量子力学の英訳版を出したNorth-Holland社からの申し入れがあったのだろうか、英訳本の第2巻には角運動量の理論が入っていたが、それが日本語版にはなかった。

生前、朝永は名著「量子力学I, II」(みすず書房)の続きの「量子力学III」を書こうとして、何回かどこかの旅館に泊り込んで原稿を書いたり、いくつかの大学でその勉強の結果を集中講義したらしい。しかし、ついに「量子力学III」は出版されなかった。

しかし、朝永の死後、この「角運動量とスピン」が発行された。角運動量とスピンのみならず、摂動論もそれには書かれている。量子力学の数学的整備についても原稿が準備はされたが、その部分は朝永の死によって未完に終わった。

量子力学は角運動量の理論がわかってやっと一人前に量子力学が理解したといえるようになるが、これが始め取りつきにくい。

小谷、梅沢編「大学演習 量子力学」(裳華房)の角運動量の章を読むのが、一番簡単だ。が、私など角運動量の合成を理解したのはやっと大学院生のときであった。

角運動量の合成について基本的なことはそのベクトル・モデルが理解できればいいと思う。

さらに、Clebsch-Gordan係数のところがわかればもっといい。ところが、この係数には文字がたくさんついていてなんだか難しそうである。ある先輩に「これは単に係数なんだよ」と言われてようやく驚かなくなった。

もしそういうことを教えてくれる人がいないと理解するのに時間がかかったことだろう。熱心に学べばいつかはそういうことがわかるのだろうが、それにしても自分ひとりでわかるには時間がかかるかもしれない。

これは角運動量ではないが、有限群の表現にもそういう種類のことがあって、わかるのに数日かかったことがある。それで自分がわかった後は学生には自分なりの表し方で教えていた。

式などをギリシャ文字を使って表しただけで難しそうに感じるものだが、学生などはすぐに拒絶反応を起こす。

ギリシャ文字を使って式を表すときには、単に普通のアルファべットで表してもいいのですが、文字がたりなくてとか、慣用的にこう表されているのでとか言い訳をしないといけない。そうはいっても十分ではないことがやはり多い。

数学者は花文字のギリシャ文字を集合とか空間等を表すのによく使う。そうすると私などはなんだかわからない感じがするので、これは一般的な反応であろう。(引用此処まで)

独創性は少数者にあり

2008-07-27 23:30:18 | 学問(引用此処から)

昨日、インターネットの理論物理というサイトで湯川秀樹博士の出たテレビの放送の一部が出ていた。それを見ていて直接に湯川博士から聞いたことを思い出した。

「独創性をもったものはあくまで少数者である」という信念は終生、湯川博士のもち続けたものであった。物理学の研究においても流行があるが、その流行を追うことを彼はよしとはしなかった。

自分がよしとしなかったのみならず、若い学者が流行を追うことを快くは思っていなかったと思う。東大の物理の研究者に違和感を持ち続けたのはそのためでもあったろう。

東大ばかりではない。アメリカの物理のその当時の先端をきっていた物理学者のGell-Mannについてもあまり評価は高くなかったと思う。それは一つには道なきところに道をつけたいと思ってひたすら困難に立ち向かっている自分への自負心のせいかもしれない。

将来の評価はわからないが、湯川博士の後半生の仕事は実を結ばなかったし、将来に生きるとも現在のところは考えられていない。しかし、それでも自分の信じるところを貫き通すという気概はすごいものがある。天才といわれる由縁であろう。

(2024.4.8付記)湯川と呼び捨てで書いていたのだが、いくら歴史上の人物とはいえ、ちょっと私自身が偉そうに思われてもいけないので、博士と敬称をつけた。
気持として歴史上の偉大な人物と感じていることはまったく変わらないのだが。(引用此処まで)

自発的対称性の破れとカタストロフィー

2008-08-26 12:41:37 | 物理学(引用此処から)

「自発的対称性の破れとカスプカタストロフィー」というのは私たちが1970年代の半ばに私たちが書いた論文の題名である。

もう30年以上も前の短い論文である。そのことなどまったく忘れていたのだが、夢うつつの中で「自発的対称性の破れ」についての「ファイ4乗理論」の話をどうも思い出していたらしい。

これは私が自発的対称性の破れの意味をはじめて理解した例であって、本当は南部陽一郎さんの論文を読んで知るべきところをこのファイ4乗理論で自発的対称性の破れということの意味をはじめて知った。

私にもわかるようにphysics reportに書かれていたのだ。多分これはAbers and Leeのレビューであったろうか。それを読んでやっと自発的対称性の破れがどういうものかを知ったのであった。

大学院を出た後に、基礎物理学研究所に非常勤講師として半年ほど勤めていた頃に所長の湯川先生が自発的対称性の破れという概念は物性から来た概念だが、いまは素粒子で一般化しているとよく言われていた。

1968年のことだから、Weinberg-Salamの理論は出されていたはずだが、W-S理論はまだまったく注目はされていなかった。

湯川先生にとっても旧知の南部さんが出された重要な概念ということはわかっておられたのであろう。なんどか「自発的対称性の破れは—」とか言われるのを伺った気がする。

「Gell-Mann何するものぞ」という感覚の湯川先生だのにこの自発的対称性の破れは新しい概念だということは認識しておられたに違いない。

話は違うのだが、ある事情でカタストロフィーという概念を知り、その中で一番簡単なカスプカタストロフィーがファイ4乗理論のポテンシャルと同じ形だということにはすぐ気がついた。

それでこのポテンシャルをカタスロフィーの観点から見るとどういうことになるのかというのが、私たちの論文の要旨である。

なんてこともない論文だが、特にレフェリーの異論もなく英国の雑誌Proceedings of Royal Societyに載せられた。

その論文は共著者の人たちが英文を書いてくれたり、図を描いてくれたりしたが、アイディアはあくまでも私自身のものである。こんなことを言うと共著者のNさんとUさんとがくしゃみをしているかな。

ちなみにfirst authorは当時私の上司のA教授だった。共著者のNさんとUさんとが私の置かれた状況を知っていて文句を言われなかったのは有難かった。

どうしてこんなことを夢見るのか、今朝の夢うつつの状態の無意識から浮かび上がってきたのか不思議であるが、その理由は特に思い当たるものがない。

(2009年5月27日付記) その後、2008年度のノーベル賞を「自発的対称性の破れの発見」の業績により南部陽一郎さんが受賞するとノーベル賞委員会から発表されたのはこのブログを書いてから数ヵ月後の2008年の10月半ばであった。(引用此処まで)

問題の解決

2008-09-12 11:23:04 | 物理学(引用此処から)

これは科学技術に限ったことではないが、問題の解決に至るまでには大きくいって3つの段階がある。

第一は問題を設定して方程式を立てるという段階である。これが本当は一番難しい。現実の現象は複雑多岐にわたっているので、それを単純化して方程式にまとめる。これが第一にするべきことである。

第二にその方程式を解くことである。方程式を解くというと2次方程式の解の公式で解を求めるというような響きがあるが、方程式によって解を求める手法はいろいろであって、ここもかなり面倒である。それに多大の時間がかかることも決して珍しくない。だが、大学院で学んだことはこの部分はあまり評価がされないということであった。

いや評価はされているのだろうが、計算手法が新しく開発されたというのでなければ、前面にその苦労を取り出して述べるということはしない。計算自身が面倒であるということは誰でも知っているにもかかわらず。それはできて当然という感じがある。

それで、なんとか解が求まったとしよう。その解をどう解釈するのかということがまだ残っている。この第三段階は第一段階の方程式を立てるところと同じくらいの比重があって、これはきわめて重要視される。

私の長男がある計算をしてその結果について共同研究者のY先生にこんな結果が出たのですが、どうしてかわからないと言ったところ、それはこういう原因でこういう結果になったのだろうと言われたといっていた。共同研究者のY先生は数学がわかっておられるわけではないのだろうが、経済を実感としてつかんでおられて数学的な方程式を解いて得られた結果を解釈できるという優れた方だったらしい。

それで思い出すのは物理学者のボーアのことである。彼は方程式を解くのではなく、直観的に推測をして物理の研究を進めていたらしい。もちろん、そのときの直観のもとには多くの経験とか考察があったと思われる。もちろん、ボーア先生も間違えたこともあったし、変なことを主張したこともあった。しかし、量子論における彼の直観が大きく量子力学の創設に貢献したことは間違いがない。

そういえば、ファインマンの本に引用されている言葉にディラックの「方程式を解かないで理解するときにのみ、その方程式を理解する」とかいうのがあった。いくつもの優れた方程式を立てたり、独創的なアイディアで知られる物理学者ディラックならではの言葉かと思われる。(引用此処まで)

一流の湯川、二流の朝永?

2008-09-18 10:40:13 | 物理学(引用此処から)

このことは実際にあった話で先輩に聞いた。物理学会では若手の夏の学校というのをどの分野でも行っている。今はどうか知らないが、昔は長野県で行われていた。

その中の物理若手グループの一つ「素粒子・宇宙線・原子核」のグループの夏の学校で講師に湯川先生を呼ぶということが企画されたという。

そのとき当時夏の学校が行われていた木崎湖畔の村長が湯川さんが来てくれるというのでとても喜んだという。村の文化度が一気に上がるとでも思ったのだろうか。

ところが、何かの都合で湯川さんの都合がつかなくなったらしい。それで計画を立てている若手の事務局としては急遽、当時学会では世界的な業績をあげていた朝永さんに白羽の矢を立てて、そのことを村長に告げたら、村長いわく「一流の湯川でなく、二流の朝永を呼ぶのか」とお冠だったという。

その村長がいつまで生きられたかは存じないが、もし1965年まで生きていたら、二流(?)の朝永がノーベル賞を受賞するというニュースに驚いたに違いない。

この夏の学校が何年のことかは聞かなかったが、多分1955年(昭和30年)ころのことであろう。

50年以上も前の話である。こんな話がこのブログでされているのを見たら、元村長さん、泉下でいまごろくしゃみをしていることだろう。

(引用此処まで)

南部、小林、益川博士のノーベル賞受賞

2008-10-08 12:40:47 | 物理学(引用此処から)

2008年度のノーベル物理学賞に南部、小林、益川の三博士の受賞が報道された。昨日は夜テニスに行っていたので、私の友人の物理学者から電話を妻が受けたということでこの事実を知った。

南部さんはノーベル賞に値するといわれながら、QCDの受賞者が出たときにもう南部さんは受賞できないかと私も思ったが、ちゃんと受賞できたことはとても喜ばしい。「対称性の自発的破れ」というのが彼の受賞理由だが、これはなかなかわかりにくい概念であった。だが、これが現在の素粒子理論の基礎をなしている。このブログでも内容は触れていないが、1回か2回取り上げている。

小林、益川両氏は「CP対称性の破れ」が受賞理由だが、一般には4つのクォークからクォークを6個に増やした研究者として知られており、彼らのミキシング角はCKM角として知られている。素粒子のテキストではCKM角とかCKM行列というのはもう標準的で固有名詞だという意識もないくらいである。

私は益川さんとは若い頃からの知り合いであって、彼は気配りの細かで、かつものごとに臆しない感じの人である。小林さんは歳が少し違うのでそれほど親しくはなかった。しかし、二人がノーベル賞を貰うのは時間の問題だと思われてはいたが、それにしてもかなり時間がかかった。これは南部さんにはもっとそうであろう。

テレビで見たら、益川さんはやはり昔の性質そのままで飾らないところがいいと思った。彼はあまり英語が得意でないことは有名で、今回も選考員会から電話も日本語で通訳があったとのことである。でも英語が得意でなかろうが、どうであろうが、受賞できたことはおめでたい。

(引用此処まで)

武谷三男の処女論文

2008-10-10 13:20:43 | 科学・技術(引用此処から)

あれほど早く終わって欲しいと願っていた仕事が終わってみると、なんだか空虚に感じる。

確かに自分のやっておきたい仕事ではなく、浮世の義理で仕方なくやっていた仕事ではあるが、この半年以上没頭してきたので、その空白を埋めるための気持ちを取り直すためにはしばらく時間がかかりそうだ。

昨日から物理学者、武谷三男の「業績リスト(第2版)」(注:『素粒子論研究』116-5 (2008.12)に掲載)の仕上げにとりかかっている。

これは基本的には作業が終わっている仕事ではあるが、見直しや手直しをしようというのである。新しい成果も盛り込まれている。

武谷は台北高校に在学中に貝類の化石の収集に台北大学の早坂先生とか丹先生と調査旅行に何回か出ている。そしてそれをまとめて論文にした。

この英訳は台北大学教授だった早坂先生がされたらしいが、それが1936年にその当時武谷が在学していた京都大学の専門家の校訂を経て、発表された。

これが武谷の処女論文である。日本の地学学会の雑誌に出たとばかり思っていたので、しきりに日本の地学学会の雑誌を調べてみたが、それにあたるものが見つからなかった。

英語でTaketaniと入れてあるときにgoogleで検索をしてみたら、台湾のある博物館か何かのところにその論文の題目が出ていた。

そのPDFファイルはパソコンに取り込めそうだったのに、自分では取り込めなかった。それでその関係者にメールを出してPDFファイルを送ってもらうように頼んだところ、Wu教授がそのPDFファイルを送ってくれた。Wu教授のご親切に感謝したい。

(注)「武谷三男博士の著作目録」の方は第4版が最新のものである。第2版までは冊子体の『素粒子論研究』に発表したが、第3版と第4版は『素粒子論研究』の電子版に掲載されている。

武谷三男博士については「武谷三男博士の業績リスト」と「武谷三男博士の著作目録」を私がつくっている。

「業績リスト」は第3版が最新であるが、「著作目録」の方はすでに第4版まで公表している。こちらの方は第5版を出す必要があることが判明しているのだが、まだその準備はしていない。

 

詳しくは検索をしてみてください。(引用此処まで)

高瀬正仁著『岡潔』

2008-10-27 11:42:29 | 数学(引用此処から)

岩波新書の新著である高瀬正仁著『岡潔』を読んでいる。岡潔は数学の多変数関数論の分野ではよく知られた巨人である。

「岡の前に岡なし、岡の後に岡なし」といっていいくらいの数学者であるらしい。昨今の数学会のノーベル賞ともいわれるフィールズ賞は40歳以前の数学者に与えられる賞だが、これらの賞には無縁だったが、天才というにふさわしい人である。

もちろん岡が数学にのめりこんで没頭したことにより、岡の社会的、世間的な評判はあまりよくない。奇行や失跡等があった人である。だが、その数学的天才はまごうことがなかった。

昔、私は誰かに言ったことがあるが、「彼くらいの才が私にあるのなら、なんと言われても私は意に介さない」と。ただ、こういった天才のまわりにいる人はつきあうのは大変だったろうなと思う。

高瀬の『岡潔』は抑えた調子でこの岡の様子を書ききっている。数学の言葉は出てくるが、式は一つも出てこない。私は1変数の関数論でさえ理解が十分でない方だが、その雰囲気はよく伝えているのではなかろうか。数学者の伝記を書くのは難しい。それは内容が普通の読者に理解が簡単にできるようなものではないから。

普通なら世間的な数学者の奇行とか何かに重点がおかれてしまい、数学の内容への言及は少なくなってしまうのだが、この本には言葉で意を尽くすことができないかもしれないが、その数学的な内容を伝えようとしている。

残念なことは岡の跡を継ぐ、多変数関数論の学者が世界的にいないらしいことだ。岡潔の数学的な問題意識が消えて誰にも受け継がれていないことが描かれている。もう、日本にはそのような社会的余裕はまったく残っていないのだろうか。現代社会における効率化の弊害は大きい。

(217.7.13付記)多変数関数論が応用上も将来において重要であろうというのが岡が多変数関数論を終生のライフワークにした理由であったろうが、いろいろな事情でそれが実現はしていないらしい。それと同時にやはりとてもこの分野が難しいことが挙げられるのであろう。残念なことだが。

(2023.6.12付記)岡潔についての表現を一部改めた。ご本人に対して失礼であったとの考慮からである。前にはうっかり書いてしまい、気がつかなかった。お詫びをしてすむことではないが、お詫びをしておく。(引用此処まで)

Fermi solution

2008-11-17 11:41:53 | 物理学(引用此処から)

Enrico Fermiは物理学者である。それも実験と理論の両方にまたがって偉大な業績をあげた類まれな物理学者である。現在では多分理論と実験にわたって才能を発揮するというような芸当は多分できない。

Fermiは中性子が減速されてその核反応の断面積を大きくするということを発見してノーベル賞に輝いた。その後イタリアからアメリカに移住して世界で始めての原子炉の設計と運転に成功した。また、理論ではベータ崩壊の理論をつくったことやFermi統計で有名である。

そのFermiはまた独特の考えの持ち主であったが、その一つにFermi Solutionと言われるものがある。同名の本は誰かの物理学者が書いているのだが、その中の一つとしてシカゴ市のピアノ調律師の数を推定するというのがある。詳細はよくは覚えていないのだが、シカゴの人口からピアノを習っている人の数を推定し、またピアノの調律を必要とするピアノの数を推定して、そのピアノ数に対してピアノ調律師の数を推定するというものであった。

最近インターネットでその話をどこかでちらっと見たような気がするが、定かではない。昨日用があって本棚の中を探していたら、そのFermi Solutionの本が出てきた。読み返した訳ではないが、その話の記憶がよみがえってきた。

これはいわゆる数学の問題ではないかもしれないが、人が何かを推測をしたりするときには必要な考えであろう。数理統計等でこの頃重要なのは推計学だとか聞いているが、この考えに近いのかまったく違うのかは知らない。それにしてももっともらしい推定をしてシカゴ市のピアノ調律師の数を推定するという独自の方法はなかなか興味深いものがある。この方法は別にピアノ調律師の問題だけではなく、現在問題の経済の問題解決とかその他に応用が広いからである。(引用此処まで)

地位の上下からの解放

2008-12-11 13:20:13 | 物理学(引用此処から)

昨日、NHKのニュースで名古屋大学の物理教室の上下の地位を気にしない議論とか先生といわないという習慣について報道があった。これは別に名古屋大学だけのことではない。

素粒子論分野では常に教員に対しても先生とは呼ばない。また教員が普通には呼ばせない。先生と呼ぶのは伝統的に湯川、朝永、坂田、武谷といったかつて大ボスといわれた人たちだけでそれ以下の人たちは先生とは呼ばないし、教員自身が学生や目下の者たちに呼ばせないのが普通である。

この伝統がいつ起こったかについては諸説があるだろうが、朝永先生の高弟であった、木庭二郎さん以来の伝統というのが多分正しいのであろう。木庭さんは長らくコペンハーゲンのニールス・ボーア研究所の教授だったが、ヨーロッパで出会った、自分よりも若い研究者にも先生とは呼ばせなかったという。

しかし、そういう風習は別に木庭さん一人がつくり出したものではなかろう。第二次世界大戦後の日本の素粒子論グループに普通に行われていたことである。現に私の先生の一人だった、Oさんも自分のことを先生とは呼ばせなかった。

京都大学で小林、益川のノーベル賞受賞記念の集会があったときに、京都大学基礎物理学研究所の九後さんが益川さんの紹介のときに益川先生と先生という言葉を使ったら、「コラッ」と益川さんが言って、「益川君と呼べ」と叫んでいた。まさか益川君とは言えないので、九後さんは益川さんと言い換えていたが、それがテレビに放映されていた。

益川さんの、この気魄と学問の上で上下なしという強い意識はまさに地で行く教育である。(引用此処まで)

素粒子の宴

2009-01-05 11:42:01 | 日記・エッセイ・コラム(引用此処から)私の仕事はじめは今日1月5日である。長かった年末年始のお休みも終わり今日から仕事を再開する。1月2日に兄の家に行き、親戚とひとときを楽しんだ。

年末には今まで何年かたまっていた古い年賀状を裁断機にかけるように仕分けをした。それでもかなりの古い年賀状が残っているが、これは私の先生等からの私信を含んだものであり、保存しておきたいものである。

南部陽一郎さんとPolyzerの30年ほど昔の本「素粒子の宴」の新装版を読んだ。これは以前に購入したのだが、友人の家に置き忘れたので、それは友人に寄贈したので自分ではもっていなかったものである。

この本は二人の対話と編集者の南部さんへのインタビューから成り立っているが、南部さんがRegge pole モデルにはそれほど期待をかけていなかったことを知って意外な気がした。

南部さんの思考法は同じような法則が成り立つときにはそれに共通な実体があるだろうというものだそうで、これは実は坂田昌一氏の得意とした思考法でもある。式の計算等もそれ南部さんは上手なのではあろうが、彼の特色はそこにはなくむしろ「形の論理から物の論理へ」といった坂田流の思考が特色らしい。

ただ、この書は1979年に発行されたもので、さすがの南部さんもその当時は小林、益川のCPの破れの論文はあまりご存知なかったようである。この当時の彼の日本の物理学会の評価があまり高くなかったような雰囲気が感じられる。(引用此処まで)

西島和彦さんの死去

2009-02-19 11:41:31 | 物理学(引用此処から)

西島和彦さんが2月15日に亡くなったと新聞報道で見た。

NNG(中野・西島・ゲルマン)ルールで有名な方である。西島さんはイータ電荷と量子数に名前をつけたのだったが、これ現在ではストレンジネスという名の量子数として知られている。

Q=I_{z}+Y/2(Yはハイパーチャージ)の規則がいわゆるNNGのルールだが、強い相互作用ではストレンジネスSは保存されるが、弱い相互作用ではストレンジネスは保存されないという発見である。これが宇宙線中に見つかったV粒子の振舞いを説明した。

どうも素粒子の分野から離れて時間が経つので、記憶があいまいだが、こんなことだったろうと思う。

しかし、私が大学院生だった頃に勉強した彼の著作Fundamental Particles(Benjamin)の方の印象が強い。その後これをもっと場の理論的に取り扱ったFields and Particles(Benjamin)もよく計算に参照した。

わかりやい著作を書く人で、場理論の専門家というイメージのほうが強い。その後、紀伊国屋から「場の理論」いう本を出されているが、これは値段が1万円近くしたと思うのでもっていない。

NNGルールから坂田モデルを経て、私の先生たちの業績であるIOO対称性に行き着く。これがゲルマンのクォークモデルへとつながっていき、現在の素粒子の標準理論を形成している。

もちろん、南部の自発的対称性の破れの概念を取り入れたゲージ理論であることが重要なのであるが。

(引用此処まで)

Feynman & Hibbsの積分公式

2009-03-26 13:58:01 | 物理学 (引用此処から引用此処から))

「Feynman & Hibbsの積分公式」とはFeynman & Hibbsが著した本「経路積分と量子力学」(みすず書房)の最後にある定積分公式の意味である。

この定積分公式を全部を導出していないとこのFeynman & Hibbsの本を読むことができないということはないのだろうが、やはり読んでいる途中で数学的計算でつっかえるのは好きでないので、これらの公式を証明しておきたい。

ということで、公式のいくつかはSchulmanの本を参照して証明をしたのだが、まだ5つだけその導出法がわからないのが、残っていた。

その内の一つをこの数日計算していたのだが、どうも計算が合わないので簡単な微分積分の計算が間違ったと思って数日心が暗かった。

そのうちにどうも原著の方にミスプリがあるのではないかと思って岩波「数学公式集I」を調べたら、やはり私の計算は間違っていなくて原書がミスプリらしいことがわかった。

それで公式の一つは導出がわかったのだが、後まだ導出法のわからないのが、4つも残っている。そのうちのまず2つが何とか導出できないか考えて見よう。

同じような有用な定積分公式というのがRyderのQunatum Field Theoryにあるが、これは証明つきであってその証明は昨夜確かめることができた。(引用此処まで)

木庭二郎さん

2009-04-10 16:13:19 | 物理学(引用此処から)

今日の朝日新聞の「素粒子の狩人」という欄に木庭二郎さんのことが出ていた。いわゆるマスコミ的には有名な人ではなかったが、戦後の素粒子論研究者の中では実力者の一人といわれていた。

有名な朝永振一郎の「くりこみ理論」の建設に重要な一翼を担ったことで知られている。

東京高校の学生であったときに、その政治的な活動のために学校を追われ、その後高校の入学資格をとるために山形県の商業学校を出て山形高校へと進学し、東京大学の物理学科へと進んだ。

獄中にあったときに肺結核を発病し、その後大学の在学中にもその病のために休学を余儀なくされ、1945年にようやく大学を30歳で卒業されたという。卒業直前の数年間はいわゆる朝永スクールの一人として朝永さんの指導を受けた方である。

その後、大阪大学の助教授を経て京都大学の基礎物理学研究所の教授となり、研究所の任期が終わってポーランドの研究所へ行き、その後デンマークのボーア理論物理学研究所に落ち着き、そこで亡くなった。59歳だったと思う。

それもイタリアの物理の夏の学校かなにかの講師として行くためにコレラかなにかの予防注射を受けたのが、古い病気を引き出して亡くなったと聞いている。

昨年ノーベル賞をもらった益川さんが学生に「自分のことを先生とは呼ばさない」ということで一般には有名になったが、その慣習を作った一番初めの研究者であるといわれている。

研究を一番優先されて雑誌や新聞にエッセイ等を書くこともほとんどされなかったという人である。これは彼が肺結核を患っていたので、自分のできることを研究第一に絞ったからであった。文芸評論家の中村光夫は彼の実兄であり、二郎というのだから木庭さんは次男だったのだろう。

私には「中間子の多重発生」の研究者としての彼の印象が強い。

これは私が生まれてはじめて物理の研究に関心をもった領域がこの中間子の多重発生であったということによっている。木庭さんと高木修二さんが書いた中間子の多重発生についてのレビュー論文の別刷りをO教授からもらって読んだのは私が修士課程のころであった。

残念ながら、事情で「中間子の多重発生」の分野の研究論文を書くことは私にはなかったのだが、そのことを思い出すと懐かしい。

木庭さんは謹厳実直でまじめな方であったらしいが、その門下生のニールセンは天才的な学者といわれている。

また、木庭さんは外国語の堪能な方で一番上手なのはロシア語であると私の先生のOさんから聞いていた。つぎに上手なのはドイツ語であったと聞いた。

これは病の床に長年伏しているときに外国語を勉強されたことによるとか。それにしても木庭さんが病気で伏せっていたころはあまり外国語の学習に適した時期ではなかったろうに、なかなか天才的なところがある。

南部陽一郎さんも最近の著書『素粒子論の発展』(岩波書店)で木庭さんのことに触れている。

大学の入学年は南部さんと同年だったらしいが、木庭さんの卒業は病気のために南部さんよりも数年遅れた。しかし、多分木庭さんの方が南部さんよりもなお数年は年長だと思う。

(2014.2.28 付記)このブログにアクセスがあったので、文章に追加をしたり、一部を書き直した。木庭さんには会うことはなかったが、多くの人の記憶に残ってほしい学者の一人である。

(2018.3.12付記) このブログにアクセスがあったので、文章の意味があいまいだったところを修正した。

岡部昭彦さんの著書『科学者点描』(みすず書房)に木庭二郎さんのことが書かれている。(引用此処まで)

聞かせてよ、ファインマンさん

2009-04-22 18:59:05 | 物理学(引用此処から)

「聞かせてよ、ファインマンさん」(岩波現代文庫)を購入して見たら、これが「ファインマンさん ベストエッセイ」を改題したものであった。

もっとも前の本を買ってもっているかは書棚を調べて見ないとわからない。それはともかくこれは“The pleasure of finding things out”という本の翻訳であり、英語の原著はもっていて読んだ覚えがあるが、どうも英語で読んだので印象が薄かった。

この本にはDysonの序文がついていてこれがなかなか泣かせる名文である。それを読むだけでもこの本を買う価値があろう。もっともこの序文を読むだけなら書店で立ち読みでもすませることもできる。

編集者はしがきには「ボーズ・アインシュタイン凝縮」の新しい現象の発見の講演を聞いた編集者の胸のときめきを書いている。その注によって私は「ボーズ・アインシュタイン凝縮」のことをはじめて知った。言葉としてのボーズ・アインシュタイン凝縮は知っていたが、内容は知らなかったのである。

ということはpion condesationとかquark condensationとかいわれるものも同種の現象だろうか。説明によればボーズ・アインシュタイン凝縮とは絶対零度の近くで冷却された多くの原子が動きを止め、一個の粒子のように振舞う現象だという。

そういえば、30年以上昔にドイツでScheckという学者からその当時pion condensationが未解決の問題だときいたが、pion condensationについて辞書的な意味でも調べて見ることもしなかった。なんという好奇心のなさなんだろう、私は。物理の世界ではすでにpion condensationについては解明されていることだろうが、そのことさえも知らない。

と書いてあわてて理化学辞典を見に行った。1998年発行の理化学辞典第5版ではまだ理論的な予測の域を出ていないとあった。星のうちで中性子だけからできた中性子星での理論的な予測であるとのことである。

中性子だけからできている星は高密度の星でこれは原子核の密度よりも大きい。昔講義で原子核の密度を計算してみたことがあるが、1ccに1億トンが詰まっているくらいの密度だったろうか。それよりも中性子星は密度が高いと考えられている。(引用此処まで)

日本と外国との乖離

2009-05-13 14:10:44 | 学問(引用此処から)

いや日本と外国との乖離乖離とおおげさに言うほどのことではないのだろうか。

武谷三男博士の業績を調べたりしているうちに外国の物理学史の研究者が武谷とか坂田とかはたまた湯川とかのことを研究して論文や書籍にしていることを知った。

日本ではこれらは方はもう亡くなってからかなり時間が経つので、忘れ去られようとしている。

そうはいっても湯川はノーベル賞を日本人としてはじめてとったスパースターだから、議論する人はいるし、坂田も昨年末にノーベル賞をもらった小林、益川の先生にあたるから、思い出す人も多い。

ところが武谷になると彼が亡くなってからまだ10年目だというのに日本では思い出す人はほとんどいなくなっている。

だが、L. M. BrownとかM. F. Lowとかドイツの科学史家である、Rerchenbergとかは湯川や坂田、武谷のことを研究して論文にしたり、本として出版したりしている。

これは日本人の悪い癖ではないだろうか。外国で評価されたり、話題になったりしないととりあげない。

私が武谷の論文リストをつくったり、著作リストをつくったりしてもそれを評価してくれる人はいないとは言わないが、少ない。

一方、外国の研究者の科学史の論文だが、大きなところでは間違いはないのかも知らないが、細かなところではやはり間違いがあったりする。そういうところを埋める研究が必要な気がする。こんなことをここ数日感じている。(引用此処まで)

広重徹の武谷批判

2009-05-21 12:35:20 | 学問(引用此処から)

広重徹の「科学と歴史」(みすず書房)の中の「科学史の方法」のところを読んでいる。

この中で広重徹は武谷三段階論を科学の研究の歴史に基づいたものではなく自然の論理としても科学の歴史としても間違っているといっている。

間違っているという言い方はちょっと言い過ぎかもしれないが、武谷三段階論はどうも歴史に即したものではなく、また三つの段階の間の移行の契機がはっきりしないというようなことらしい。

これはまだ印象の段階なのだが、もっときちんと広重の言っていることをつかむようにしなければならないだろう。

昔、広重の武谷批判を読んだときにそれなりに納得した気になったものだったが、だが広重は新しいアイディアを出してはいないと思った。

広重の言うことは個々には間違いがないのかもしれないが、夢とかロマンがないという不満である。少なくとも人をひきつける要素に欠けている。科学史の研究は夢とかロマンとかドグマを与えるものではないといわれればその通りかもしれないが。

その後、武谷の広重に対する反批判も読んだ。一部は「もっとも」と思うところもあったが、全部が「もっとも」と言えないのではないかと思った。この二人の議論から何を得るのか。これは自分の立場をはっきりさせることになるのだろうか。

そういえば、大学院の頃、O先生は広重が個別科学としての物理学の研究をしていないために「研究のあや」がわからないというような批判をしていたように思う。

科学史をやっていない普通の物理学者には伏見さんにしても南部さんにしても武谷三段階論を方法論というか世界観としてはそれなりに評価していると思う。それは考え方であって、かならずしも科学史の成果とは捉えていないと思う。

このごろ、科学史の研究者として一般に評価されている、山本義隆氏の本などには武谷の名前などは全く出てこない。これは科学史研究としては広重風の意味では武谷三段階論はあまり評価できるものではないということを示しているのだろうか。

もっとも山本義隆氏が科学史研究者の中で評価されているのかどうかはわからない。すくなくとも山本氏は広重とは違って武谷三段階論のような考えに囚われなかったということだろう。(引用此処まで)

広重徹の武谷批判をどう考えるか

2009-06-06 11:41:32 | 物理学(引用此処から)

「広重徹の武谷批判をどう考えるか」を広重の「科学史の方法」と題したエッセイを読んで考えていたが、なんとかこれに答える道を考えついたように思う。もっとも細部はまだ考えなければならないのだが、主にどう考えるべきかということのヒントを得たという気がしている。

少し、気が落ち着いた。このところどう考えるべきかで悩んでいたので。もちろんこれが間違っている可能性もないではないが、どうも広重の武谷批判を読んでいて細部にはそうだなと思い当たるところがあるのだが、全体としてはあまりすっきりしなかった。

武谷三段階論をすべてを否定してしまってはロマンがないし、そうかといって広重の批判のいうことには細部ではそうかもしれないなという気がしているから始末が悪かった。

あまりに困ったので、知人のS先生にメールを送って示唆を得ようとしたのだが、S先生からは明確な方向は得られなかった。感じとしては私の感じ取っていたような感じをやはりお持ちなのだとわかった。

このごろは安孫子さんという物理学者がやはり広重の武谷批判を取り上げて議論されているようなのでそちらも読んでみなければならないが、ひょっとして同じような見解に達しているのかもしれない。(引用此処から)

『朝永振一郎著「量子力学」の研究』

2009-06-13 12:37:07 | 物理学(引用ここから)

『朝永振一郎著「量子力学」の研究』を東大物理の図書室から借り出してもらった。長年どんな本かと思っていたのだが、朝永の『量子力学 I, II 』(みすず書房)を徹底的に追求した本である。

以前に、出版社の創栄出版に問い合わせたのだが、私費出版だったとかでこの本を入手することが出来なかった。

朝永の量子力学中の式を徹底して計算したり、説明を加えたりしているのだが、計算が少し面倒な感じがする。これはまともに式を計算をするとこうなるので、しかたがない(しかし、計算にもう少し工夫ができないものか)。

また、この本は500ページを越える大作なのでミスプリントも多いようである。だが、それがこの本の価値を低めるものでないのはもちろんである。参考にした本も多い。

それらの参考文献には私のもっている本もあるが、全く見かけたことのないものも含まれている。そして、その参考文献も著者と書名はあるが、出版社名とか出版年代がなく、文献としては不完全である。

いや、これほどの大著を書けば、少々の不完全さは仕方がない。この本が多分著者の土屋秀夫さんの周りの知人や友人に配布されただけで、多くの人には読まれていないだろうことは推察される。残念である。このままの形では出版には馴染まないかもしれないが、改訂して出版されたらと思う。

改定したいことはつぎのことである。

(1)記号を工夫して計算が、できるだけ万里の長城風であることの改善

(2)ミスプリをなくす

(3)文献の不備を補う

(4)式の入力をLatexでして見やすくする

等である。

土屋秀夫さんは東大工学部化学工学科を1971年に卒業された方であることが本書からわかった。私よりも年長の方と思っていたが、私よりも8-9歳は若い方らしい。とはいっても、もう60歳は越えておられる。(引用此処まで)

遠山啓と武谷三男

2009-06-25 14:34:15 | 学問(引用此処から)

昨夜から武谷三男の「哲学はいかにして有効さをとり戻しうるか」をメモを取りながら読み始めた。まだ前半も読み終えていないのだが、彼は理論が危険を冒すことによって鍛えられるということを強調している。

そこには哲学者が危険を冒さないでそのためにいつまで経っても科学を進めるのに役に立たないことに苛立ちがある。

他方、雑誌「数学教室」のシリーズ「いまこそ遠山啓を語る」では7月号に井上正允さんが教育学者から聞いた話として

遠山が戦後の「生活単元学習」を激しく批判し、居並ぶ教育学者を前に「抽象的な教育論ではなく、具体的な教科について語れ」と喝破したとき、教育学者は誰一人として反論ができなかった

ということを書いている。これがいつのことだったかはわからないが、戦後まもなくのことであろう。

これは武谷のエッセイとはまったく別のコンテキストであるが、発想にはいうまでもなく並行性が感じられる。

哲学や方法論の有効性をあまり強調すると有効性だけがとりえだと主張するのは学問の本質から外れるとの批判 (広重の武谷三段階論批判のように) が出るが、抽象的な議論に終始してまったく役立たない教育学に愛想をつかした、遠山さんの苛立ちは分かる。

遠山は1909年生まれで、武谷は1911年の生まれである。二人とも学校嫌いだった。それで二人ともほとんど独学的である。武谷の方は生涯を通じて教育に違和感をもったが、遠山は逆に教育に関心をもった。だが、それも学校教育に肩入れをするというよりも独自の塾教育というか、独自の教育を目指した。(引用此処まで)

四元数の発見への道

2009-08-04 12:12:07 | 数学(引用此処から)

四元数の発見への道の説明がスティールウエルの「数学のあゆみ」下巻(朝倉書店)にあると数理科学8月号で読んだ。

私の前に書いたエッセイ「四元数の発見」(愛数協の「研究と実践」掲載)とどうちがうかと思い、E大学の図書館でこの本の該当箇所をコピーしてきた。

昨日このコピーを読んだところでは一部数論で知られていたことをハミルトンが知らなかったというような説明があったが、肝心の四元数の発見の説明では私の記述のほうが詳しいと思う。

私の説明はハミルトンの論文の解読であるから、これは当然かもしれない。もっとも捉え方のキーポイントは私とスティールウエルとでまったく同じであった。

堀源一郎さんの「ハミルトンと四元数」(海鳴社)ではこの部分を1843年のハミルトンのノートの訳で置き換えている。この訳の解明もほぼ済んでいるので、私の「四元数の発見」という2008年2月に書いたエッセイを補強することもできるが、さてどうしたものだろうか。

堀さんの本のハミルトンのノートの訳には詳しい計算等がでているが、これはその後のハミルトンの論文には出てきていない。四元数の発見のノートからはハミルトンが四元数を複素数とのアナロジーで追求してきたことがわかる。

その点を追求してまた新たなエッセイを書いてみようかと思っている。ただ、私は球面三角法の導出にも最近関心をもっているのだが、この四元数が球面三角法の導出にも使えると知って関心が深まっている。この点については堀さんの本にも詳しい説明があるようである。

(2013.6.23付記) その後、四元数については現在サキュラーの「数学・物理通信」に連載している。最初は2011年9月の1巻9号から書き始めて、1巻11号、2巻1号、2巻2号、2巻5号、3巻1号、一番最近では2013年3月の3巻2号まで書き進めている。

これらは「数学・物理通信」で検索をすると名古屋大学の谷村さんのサイトに出くわすのでそこで見たり、またダウンロードすることができる。なお、この連載は続ける予定である。

(2014.1.6付記) 四元数に連載のエッセイは2013年12月の「数学・物理通信」3巻8号まで断続的に続いている。この連載もそろそろおしまいにしたいところである。

別に自慢するという訳ではないが、四元数の発見の経緯とか四元数と回転とかについて突っ込んで議論したつもりである。(引用此処まで)

くりこみの意味

2009-08-19 13:00:40 | 物理学(引用此処から)

くりこみの意味がK. G. Wilsonによってはっきりしたと、つい先日南部陽一郎さんの「素粒子の発展」を読んで知った。K. G. Wilsonが臨界現象の臨界指数をくりこみ群を使って計算をして、業績をあげてその後ノーベル賞をもらったことを知っているが、彼の業績がそういう意味をもっていたとは思わなかった。

もう40年以上昔にちょっとそれを勉強しようとしたのだが、まったくわかならないままとなってしまった。くりこみ群の提唱者の一人である、Petermenのレビューを読もうとしたのを覚えているが何を言おうとしているかまったくわからなかった。

ごく最近になって、10年前くらいの「数理科学」の記事「くりこみの地平」を読んだが、それはよく分かったとはいえないが、おおよそはわかった。これはHal Tasaki(田崎晴明)さんが筆者の一人に入っていて明確に書かれていた。

この人はなんでも明確に考えるという思考の持ち主で優れた物理学者の一人である。さらにくりこみ群についてHal Tasakiの書いた、「パリティ」の記事もあるようだが、これはまだ読んでいない。

朝永振一郎がくりこみ理論を提唱したときには、彼はまだ本物の理論ではないと思うといっていたが、そうすると「くりこみ理論」も単なる間に合わせの方法だとはもう言えないのだろう。(引用此処まで)

量子力学の完成はいつか

2009-08-24 17:41:44 | 物理学(引用此処から)

普通には量子力学の完成は1925年のマトリックス力学の提唱やDiracの非可換な代数の代数の発見とかまた1926年のSchr”odingerの波動力学によって量子力学は数学的に完成したといわれる。

ところが、量子力学の数学的な完成の一方の立役者の一人である、HeisenbergやBohrは1926年に至ってももう一つ量子力学が腑に落ちてはいなかった。

そのため量子力学の理解のための必死の研究が続けられ、1927年のHeisenbergの不確定性関係の発見とBohrの相補原理の発見またはやはり1926年に提唱されたBornの確率解釈によってはじめて、その方向での研究が一段落をしたのであった。

いま、問題にしたいことはこれを武谷三段階論で見るとどういうことになると考えるのだろうかということである。広重徹のように考えると1925年あるいは1926年の段階では量子力学は完成していなかったということになろうか。

だが、普通にはやはり1925年または1926年が量子力学が出来上がった年と考えるのだと思う。それらは確かに水素原子のエネルギー準位を正しく再現することができたのだから。

だが、人間は単に正しい方程式が導出されて、それから実験が確かめれても粒子性と波動性の相克のために心から納得できたとは考えなかった。

電磁場の本性についても同様なことがあったと考えるべきであろう。そうだすれば、そういうものの分かり方をどういう風に位置づけするのがよいのであろう。これは武谷三段階論で扱えないのではないかという難問が出てきている。(引用此処まで)

再、広重徹の武谷三段階論批判

2009-09-19 13:45:03 | 物理学(引用此処から)

前にもこの標題でブログを書いたが、今日は最近の私の知見である。

広重は武谷が三段階論によって実体の導入ということを方法論の中心にしたのに、中間子論や二中間子論においてその重要性に言及していないという。

すなわち、方論的先取に失敗したという。そしてそのことは三段階論が歴史的な法則としての資格を欠くこと、特に三つの段階間の移行の論理を欠くことと結びついているという。

特に興味ある試みとして二中間子論に注意を促していないから、方法論的先導性が否定されるという。

この広重の意見を一度否定する見解でエッセイの草稿を書いたのだが、文献的には広重の言うように二中間子の重要性に触れた武谷の書いた論文は見あたりそうにないので、事実としては広重の主張を認める見解に変えるのが正しいのではないかと思うようになった。

ところが昨夜、1943年9月に行われたという中間子討論会の記録である、素粒子論の研究 I を取り出してみたら、この討論会では坂田と谷川によって二中間子のことが述べられており、武谷自身は中性中間子について報告をしている。

それで、もちろんその中性中間子の議論の中で二中間子論についての言及はないが、普通に考えればこれは坂田と谷川の報告があるからであろうと推測がつく。

その後1945年までの間には戦争中であったということもあって、雑誌とか何かもきちんと発行されなかった。それに食べるものに困って、人々が生きるのに精一杯だった。

また、思想言論統制もあっただろうし、思想言論統制だけではなく武谷自身の特高警察による4ヶ月にわたる逮捕拘置もあった。そういう状態ではなかなか意見表明は難しかったろう。

敗戦後も二中間子の実験的な発見が1947年春になされるまでに、確かに二中間子論についての言及はないが、むしろこの点についての考察が必要なのではないかと思いはじめている。

それはそれなりの理由があるとの見解である。だが、もちろん広重の見解をなぞるようなものではないつもりだ。

この間にも武谷はきちんとした職にはついておらず、東海技術専門学校(東海大学の前身?)に教えにいくとか、文筆で食べていたという。

ちなみに武谷が名古屋大学から学位を受けるのは1949年1月である。さらにその後、立教大学理学部の教授となるのは1953年4月のことである。(引用此処まで)」

解析接続

2009-11-18 10:49:18 | 数学」(引用此処から)

解析接続とは例えばJRの電車の他の線への接続みたいな用語だが、ちょっとちがう。

高木貞治の名著である、『解析概論』(岩波書店)では解析接続のことを解析的延長(analytic continuation)といわれている。

私は「解析接続とはある領域で定義された関数を他の領域に拡張することだ」と考えているが、これが本当の理解なのかはよくはわからない。その解析接続について解説したサイトがあるのを最近知った。

説明は初等的なのだが、ちょっと眼からうろこが落ちたという感じがした。その記事のコメントに「解析接続は無限級数の和をとる以外にもありそうですね」とあった。

これはその通りでいくつかの方法がある。ところがその例をあげた本が少ないように思う。サイトの著者に私の知っていることを述べ、「これについて調べてくださいませんか」とコメントをしたのだが、この人も会社勤めで忙しそうだ。だから自分の問題意識は自分で解決する以外に道はなさそうだ。

解析接続はこれからリーマン面が導入されたりするということで、大事な概念らしいが、初等的な関数論(このごろは関数論は複素解析というらしい)の本にはあまり載っていない。能代清先生の本に『解析接続』(共立出版)と題する本があるのだが、この本は古本で2万円の値がついていた(付記参照)。

もっとも私はこの本の旧版(岩波書店版)をあるところで本当に安く手に入れたのが、これがまた古くて本でカビが生えそうな本でなかなか読む気が起きない。

(2013.12.25付記) この能代先生の上記の書の比較的新しい版もあるとか聞いていたので、いつかE大学図書館に立ち寄ったときにその書を開いてみたが、どうも解析接続の例示が十分ではないという判断をした。

これはこの書をちらっと見ただけの話なので、間違っているかもしれないが、多分その評価は間違っていないと思う。

 

(2023.3.2付記)

この後にも解析接続のことについてはこのブログに書いたことがあるが、解析接続の方法について述べた書籍は金子晃さんの『複素関数論講義』(サイエンス社)と松田哲さんの『複素関数』(岩波書店)が詳しいことを知ってほしい。

もっとも、もっと豊富な例を書いた書籍とかエッセイがほしいところではある。それはその問題意識をもっている私自身がこのことをエッセイに書くしかないのかもしれないなどと思うこのごろである。

(2023.12.14付記)能代清『解析接続入門』(共立出版)は他に類書がないので、よく読んでみる必要があるのではないかと思っている。(引用此処まで)

続、広重徹の武谷三段階論批判

2010-05-18 12:00:52 | 科学・技術(引用此処から)

そろそろ8月の徳島科学史研究会での発表の準備をしなければならない、時期になってきたので、昨年読んだ広重徹の武谷三段階論批判の続きを読み始めた。

彼の著書「科学と歴史」(みすず書房)の最初の論文「科学史の方法」の前半を昨年読んでそれに対する考えを昨年まとめたのだが、そのときにはむしろ私は途中経過では広重の評価について揺れ動いたが、最後には広重に対して批判的であった。

ところが、現在彼の論文の後半のはじめの節を読んで考え込んでしまった。これについては広重に批判的になることはできないのではないかと思っている。

広重があからさまに武谷批判を繰り広げているところでは、必ずしもそれには賛成できなかったが、あからさまに批判していないところにむしろ広重のいいところが出ているようだ。これはちょっとおかしいとも思えるが、意外とそういうものなのかもしれない。

「三段階論によらないと科学史の研究ができない」というのはおかしいと広重が武谷を批判したが、意外にそういうことを武谷は主張してはいなくて、科学史家は原典の忠実な翻訳などをしたらいいのではと書いていたのを私は読んだことがある。

そうすれば、広重の主張のおかしさが直ぐにこのことに関してはわかる。だが、かえって、武谷をあからさまに批判していないところでは、それだからこそ科学史家としての広重の特徴なり、経験なりがむしろ顕著に現れていていいと思う。それで、この節「科学の歴史性」のところをどう考えるのかというのが新しい問題として出てきている。

三段階論が「科学史の方法」だとは私は思わない。だが、科学の捉え方の一つとしてはいいと思っている。だが、これは誤解を受けないようにあわてていっておくと、これが科学に対する唯一の考え方ではないということである。

最近の若い研究者は武谷三段階論などといっても知らない人も多いのだろうが、広重の若いときにはそれ以外に他の考えなどないようにさえ感じられたのだろうか。そうだとすれば、私と広重等の年代の人との年の差による感じ方の違いとだといえよう。(引用此処まで)

矢野健太郎氏

2010-07-14 12:40:00 | 数学(引用此処から)

矢野健太郎氏は微分幾何学が専門の有名な数学者である。

若いときにフランスで学位をとられた方であるが、その後アメリカ、オランダ、イギリスと世界の至るところで研究生活を送り、また軽妙なエッセイを書いて出されている。

もちろんのことだが、彼の名のついた大学程度のテキストとか受験参考書の類も事欠かない。

私の学生時代の高学年には東京大学から東京工大に勤務先がすでに変わられていたと思う。

私が使った大学での数学のテキストは彼の著書で「代数学と幾何学」「微分積分学」の両方とも東京大学の助教授の肩書きだったが、今私のもっているこの本たちは後の版で東京工大の所属になっている。

ちなみに「線形代数」と「微分積分学」が大学の基礎教育の定番として定着するのは私などよりも数年後のことである。

矢野先生が亡くなってからずいぶん経つので彼の書いた書籍が書店にたくさん並ぶという状況ではないが、私の学生時代は書店に彼の書いたエッセイ本がたくさん並んでいたものである。文章も上手な数学者という定評があった。

これもいつかのブログに書いたことだが、矢野先生の講義はおもしろくてその授業の時間が経つのが早かったと彼の授業を聞いた私の大学のときの物理の大内先生から聞いた。残念ながら私自身はそんな授業をあまり経験したことがない。

ちょっと違った経験だが、物理の授業で体感的に感じることができた講義は私の先生、小川さんの講義であった。

この講義でも毎時間そんな風だということではなく、いくつかの授業でそうであったというにすぎない。だが、それでもそういう講義ができる先生は少ない。(引用此処まで)

ゲジゲジ

2010-08-07 13:04:00 | 日記・エッセイ・コラム(引用此処から)

昨日、アンパニウスを取り上げたので、ゲジゲジを取り上げた方がいいだろう。というのは物理学者の渡辺慧と武谷三男とは親友であったのだから。

ゲジゲジは何を隠そう、私が肩入れをしている武谷三男のあだ名だったらしい。これがどこからきたのかはっきりしないが、武谷の書いたエッセイの中につぎの話がある。

あるとき、つづり方教室の一つに武谷が呼ばれて、医学が進歩して、サルバルサン等で梅毒が直るようになったことと梅毒で頭がおかしくなって、幻想的な文学ができるのとどちらがいいのかという話をしたらしい。

このときに、そのつづり方教室に参加していた、ある女性が彼のことをゲジゲジみたいと評した。それを聞いた悪友たちが武谷のことをゲジゲジとあだ名したためかもしれない。

まことに武谷はこういう風に独自の意見の持ち主であって、それはなかなか本質を衝いてはいたのだが、その議論の仕方を好まなかった方がいたことは確かであろう。しかし、なかなかこういう意見は言えるものではない。彼の頭の鋭さが窺い知れるようである。

私の考えではもちろん医学の進歩で病気が直ることの方がいいので、直らないでいい文学ができたとしてもそれを医学の進歩が妨げたといって非難することは間違っている。

文学はそういう状況の変化を乗り越えてこその文学であろう。そうでなければ、文学など高が知れているといわれてもしかたがあるまい。もっとも文学がそんなにひ弱なものとは私は思っていない。

なお、昨日ゲジゲジをインターネットでちょっと調べたら、ゲジゲジは益虫であることとムカデに似ているが、ムカデとは種類が違うことが書いてあった。

見かけからはゲジゲジとムカデの区別は私にはつきそうにないが、インターネットでは益虫であるのでゲジゲジを殺さないようにとあった。

武谷がこのことを聞いたら、泉下で苦笑していることだろう。(引用此処まで)

続、広重の三段階論批判

2010-09-27 13:16:10 | 学問(引用此処から)

どうも今年は昨年から書き始めている、広重の三段階論批判の原稿の続きを書く気が起きないので一日伸ばしにしていたが、もう締め切りまでに1週間をきったので、日曜日に10枚ほど書いてみた。

もっともこれをパソコンに入力してそれから推敲に入るのだが、時間があるだろうか。数学エッセイ「視力の単位」の原稿に書き足しておきたいことができたが、しばらく我慢して三段階論批判の原稿に集中したいと思う。

なぜ、あまり批判があからさまでないところで、書きあぐねているのだろうか。なかなかこれは自分でもよくわからない。広重の独白みたいなところもある。どうも広重が自分の勝手につくりあげた三段階論の批判みたいのところもあるが、それだけではない。

科学の歴史に関しては広重が言う方が正しいと思われるところもある。一般の人が陥るのと同じような誤解を武谷がしていたとの明白な指摘はない。しかし、一般人の誤解と同じ誤解に武谷が陥っていたのではないかとの印象を与えるような書き方のところもあり、もしそこを誰かに逆に鋭くつかれたときにはそういうことを意図としていないと、いい抜けることもできるようでもある。

いずれにしても残り日時は数日のことであるので、しばらく頑張ってみたい。(引用此処まで)

に投稿 コメントを残す

超伝導量子ビット技術の応用としてのエンタングルメント
【トピック】(量子コンピュータ実現までの道のり)

以下の草稿が数学・物理通信に掲載されました。【15巻2号】
原稿は名古屋大学・谷村省吾先生のサイトに掲載
されておりますので、完成稿をご覧頂くことが出来ます。
【谷村先生、ありがとうございます!】

以下、草稿として残しますのでご参考に。

〈古くて新しい概念「エンタングルメント」そして私〉

皆様初めまして。早大理学修士卒のコウジです。この度はネットを通じた活動の中で編集者さんから寄稿依頼を頂き。数学・物理通信への投稿を挑戦させて頂きます。今回題材としているエンタングルメントは大きなテーマではありますが、私自身が出来るだけ深く理解咀嚼したい言葉です。本文が掲載された際には多様な方々の議論を、と期待しています。学生であれ社会人であれ物理を考えて欲しい。そんな議論に対応できる理論が良い理論なのだろうと思います。そして個人的に責務と意義を感じている訳です。その議論の中で少しでも理論が進んでいくことを望みます。

私自身は物理の世界から離れて久しいのですが、その視線がネットの世界では大事だとも思えます。大筋で間違いがないか、主張が筋違いではないか不安は尽きません。ただ皆様、時間のある時に一読頂き率直なご意見を下さい。機会があればこうした活動は今後も継続していきます。

昨今、ノーベル賞関連でベルの不等式の破れが話題になっています。直接この事実が量子論の有効性を議論しているわけでは無いと私は考えますが、古典力学·電磁気学で話が収まらない領域だと誰しも考える事でしょう。そこで議論の焦点として1935年を中心に考えています。また量子コンピュータの中でエンタングルメントが大きな役割を果たしており、基本に帰って考える事でその性能指標を少しでも向上出来る足掛かりとなる筈だと考えます。斯様な視点でご一読下さい。

本稿は重ね合わせ・エンタングルメントの概念を中心に考えていて、応用的側面の考察まで及んでいない点も明記しておきます。
また文章形式でウェブライティングに染まっている部分がありますが、ご了承下さい。

以下が原稿で、私の運営しているブログは
物理学への道標【科学史から】です。
(URL;https://www.nowkouji226.com/)

1.〈「重ね合わせとエンタングルメント」〉

本稿では物理学での大事な概念である
「重ね合わせとエンタングルメント」
について3つの角度から掘り下げていきます。1925年のハイゼンベルグの行列力学の論文以後に生まれ、様々な解釈が続き、エンタングルメントも段々に実態を表していきます。

多くの人が議論して育んでいる概念です。会社員兼ブロガーとして活動している私・コウジが、一般の人に出来るだけ分かり易く「重ね合わせとエンタングルメント」という興味深い物理現象をご紹介してみたいと挑戦します。エンタングルメントに関心を持っている方はじっくり読んでみて下さい。そしてご意見を頂けたら幸いです。

〈視点1.シュレディンガー【1935年発表「量子論と測定」】〉

さて、シュレディンガーによる1935年発表の
「量子論と測定」に出てきた重ね合わせとエンタングルメント
の概念に着目しご紹介します。その論文はいわゆる
アインシュタイン達のEPR相関が提唱された直ぐ後に提起され、
後の時代の視点で考えたら、量子力学における局所性
に対しての土壌を示したとも考えられます。

量子力学の限界を疑問視していたとも解釈されます。量子力学は優れたモデルですが、
シュレディンガーが疑問に思ったように完全に物理現象が把握出来ているか吟味解釈し続けなければなりません。

当該論文(1935年)で「シュレディンガーの猫」の
思考実験が使われます。絡み合った量子力学的な事象が観測事実と
関連されていくのか、シュレディンガーは疑問を呈したのです。

念の為に実験環境を再現しておくと、

①箱の中に猫が居て、毒物で猫が死ぬかもしれない

②量子力学的な事象がガイガーカウンターと連動している

③ガイガーカウンターが猫の毒殺装置と連動している

結局のところは、
思考実験の環境を作っておけば箱を開けるまで
猫が死んでいるか生きているか分からないので
普通(⇒巨視的(常識的))に考えたら
判断しかねる(⇒もつれあった)現象が
箱を開けるまではっきり言えないということになり
どっちなのか量子力学と巨視的な猫の状態で
「説明してみて御覧なさい」というのが
シュレディンガーの疑問提起です。

ここでの絡み合いが「量子多体問題における相関」ではない点にも注意が必要です。猫は沢山の量子から構成されますが実験の結果に関わる量子はガイガー計に「崩壊してますよ!!」とあるタイミングで情報を発信する原子です。対象原子が他の原子と相関している想定ではありません。

とはいえ、私自身がシュレディンガーの原文を読みこなせていたか再考してみても良いかも知れません。英訳版があった気がするのですが未確認です。センサーと崩壊する原子間のエンタングルメントは仄めかされて(ほのめかされて)いないでしょう。論文の主題は隠れた変数へとつながる量子力学の全体像への問題提起だと理解しています。

時間平均・空間平均といった概念をシュレディンガーは波動関数に対してどのようにとらえていたのでしょうか。興味は尽きません。ディラックの表現によれば波動関数は統計的側面を持つと言えます。特定の観測値を持つ波動は確率で表現されます。
1930年に初版が書かれた教科書
【dirac「量子力学」】から一文を引用します。
「観測結果の計算には避けられない不定さがあり、そして理論のなしうることは、一般
には我々が観測をする時にある特定の結果が得られる事の確率を計算するだけである」

波動関数を使う議論では、結果として猫が死んでいるかもしれないのです。

〈視点2.2000年にJonathan R. Friedman〉

更に時代は進み、20世紀後半となってA.J.Leggett が

洗練された手法で磁束やジョセフソン効果などを

巨視的量子現象 として議論します。

いわゆるトンネル現象を使うのです。

そして2000年にJonathan R. Friedmanが

「Detection of a Schroedinger’s Cat State in an rf-SQUID」
【Quantum superposition of distinct macroscopic statesJonathan R. Friedman,
Vijay Patel, W. Chen,S. K. Tolpygo & J. E. Lukens(Nature稿)】
で重ね合わせを再度取りあげます。

ここでの状態は広い意味でのエンタングルメントであって

二つの状態の重ね合わせの状態であるとも言えます。

重ね合わせとエンタングルメントは近い概念ですが、
現代の議論の中では一緒の概念ではありません。

ご紹介しているFriedmanの説明の中では

「シュレディンガーの猫」に対応して

「基底状態の磁束と第一励起状態の磁束」が現れます。

引用しているFriedmanの論文での

実験セッティング(図C)において

「A separate SQUID acts as a magnetometer,

measuring the flux state of the sample.」

という部分に注目してみて下さい。磁気計(SQUID)がサンプル(SQUID)内での
巨視的な姿をとらえて重ね合わせが観測できるのです。
こうした実験を人類は何百年も続け、議論を深めて技術を進化させています。

 外部環境との相互作用が無視出来る

適切な条件下では巨視的な実在は十分に

量子的に振舞います。ここで

猫の入った環境と外部環境は生死を判別する事だけが接点でしたが

SQUIDの系と外部環境は十分に切り離されてコントロールされ
重ね合わせの様子が感じられる

と言えるのです。

こうした状況で20世紀後半には実験的に

巨視的な量子効果と言える状況が実現しています。

Friedmanらは巨視的効果が見える状況下で

重ね合わせの状況を観測にかけたのです。

具体的には10の10乗個程度の数の電子が

位相を揃えて運動する「超電導状態」で

現象が生じていて、実際に観測にかかっています。

2022年にアスペ等がベルの不等式(CHSH不等式)の破れを実験的に説明し

ノーベル賞を受賞しましたが、様々な形で観測にかかる形で

エンタングルメントも具現化していると言えます。厳密には「古典的解釈が成立しないという証明に過ぎない」という見解は必要です。しかし、エンタングルメントという言葉が明快に実験の事実と数学上での干渉項を解釈していくのです。

もはやエンタングルメントの状態は

巨視的現象として存在しています。

そして、なにより今、量子コンピューターでは

エンタングルメントを想定して、超並列計算をしています。

〈視点3.量子コンピューターの進化〉

本稿では最新の活用事例として量子コンピューターをご紹介し、

このタイミングでエンタングルメントの状態を再解釈します。

応用されている状態であるエンタングルメントは

「多体量子系でのもつれあいの状態」です。そして、

歴史的な概念成立に鑑み、今まさに活用されている

現代の量子コンピューターでの進化を考えていきます。

1994年にベル研のW.Shorが量子Turing機械を活用して

「因数分解問題と離散型対数問題を

非常に小さな誤り確率で高速に解ける」という事実を

明らかにして技術的な可能性を明示しました。この意義は深く、

現在の全ての暗号化技術を凌ぐ性能の新型コンピューターが

具現化している過程であるとも言えます。

量子コンピューターでの基本素子QBITを考えるうえで

とても大事な概念となるのがコヒーレンスと、その反対の概念デコヒーレンスです。

「重ね合わせの状態」をQBITの中で活用して「並列計算」を

進めていく手法が重要です。並列計算が既存コンピューターと

量子コンピューターで大きく異なります。そして

重ね合わせの状態が保たれているコヒーレンスが
壊れる概念であるデコヒーレンスがとても大事です。
その時間の長さは演算可能な時間に関わってきます。

日本語で表現すれば「干渉状態の喪失」とでも言えるでしょう。

重ね合わせ状態が外部環境などとのやりとりで壊れていく

姿は自然に思えます。ただし、

可逆な古典理論での枠組みでは説明がつかない現象です。

「ニュートン力学は可逆で、現実世界は不可逆です。」

水中のボールが減速していく様子は

ニュートン力学では再現出来ません。

微視的に考えていくと沢山の水分子がボールに弾性衝突を

くりかえすのです。その可逆な過程は、統計的に考えていく時点で

不可逆な要素が出てくるのです。

ボールが速度を増すことはあり得ません。

統計的な作業は本質的であるとも言えるので別項を設けて数学的に説明したいと思います。ただ、そうした作業の中で何故か不可逆性が出てくる所が話の妙です。何故か出てきます。出てくるものです。

「シュレディンガーの猫」の現代的解釈でもデコヒーレンスは

大きな役割を果たし、干渉喪失の時間が観測時間に対して

非常に短いことから「重ね合わせが成立しない」と表現されます。

対して「Freadmanの実験系」では

干渉喪失の時間上での問題が生じていないで

「重ね合わせの状態が観測できていた」訳です。

量子コンピューターでもこの「デコヒーレンス時間」

が大きな役割を果たします。

仕組みとして

量子コンピューターの回路でキーとなるのは新しい素子である

量子ビット(Quantum bitからQUBITとも呼ばれます)です。

新しいビットの中では従来型と異なった情報を保持をします。

すなわち、従来型の「0」か「1」という情報の他に

量子コンピューターはその「重ね合わせ」の状態を持てて

その「重ね合わせ状態」が

いわゆる、「Shorのアルゴリズム」を可能にします。

(写真は従来の基盤の写真です)

2.理研の中村泰信さんの論文から

私は最近、

中村さんに大変注目していて、そこから話を続けます。

(先に引用しているFrieadmanの論文で引用されている

Y.Nakamuraが、ここで出てきている中村さんでしょう。)

特に私が最近稼働を始めた量子コンピューターを勉強していて

今まで分かりづらかった情報読み出し機構について

明快に2021年の論文で説明をしています。

ジョセフソン接合

ユーチューブで公開されていますが、

理化学研究所導入の量子コンピュータでは

「線幅100nm~200nmのジョセフソン接合」

を使い量子ビットの回路を作り上げています。

ジョセフソン接合は具体的に超伝導体(例えばAL)

で絶縁体(例えばAL2O3)を挟みます。これを使い

従来型の回路であるLC共鳴回路を発展させていく

事が出来ます。

【以下、応用物理‐第90巻より引用(太字部)】

超伝導体と超伝導体の間のトンネル接合であるジョセフソン

接合の寄与により,強い非線形性を導入することができる.

ジョセフソン接合は回路上で非線形なインダクタンス

として振る舞う.

理化学研究所で導入している量子コンピュータを始めとして

世界中で今開発されているほとんど全ての量子コンピュー

では回路量子電磁力学の考え方に基づき、

以下で述べるアイディアを応用しています。

超伝導共振器を使うアイディア

技術的にもう一つ特徴的な点はマイクロ波で

量子ビットを制御する点です。回路内のジョセフソン接合が

実効的に非線形のLC回路として動作する点が重要です。

ジョセフソン接合は絶縁体を超伝導体で挟んでいるので

「キャパシタとして働く」事情は容易に理解できますが、

同時にジョセフソン効果によって非線形のインダクター

としても機能します。故に非線形LC回路を構成します。

【以下、応用物理‐第90巻より引用(太字部)】

量子情報を非調和的な量子ビット回路に蓄えるのではなく,

超伝導共振器に蓄えようという アプローチである.

後者の利点として,ジョセフソン接合を必 要としないため,

電磁場モードが空間中に広がり表面・界面 欠陥の影響を

受けにくい 3 次元的な空洞共振器を用いるなどして,

量子ビットと比べて高い Q 値すなわち長いコヒーレンス時間

を実現することが容易であることが挙げられる.加えて,

共振器中のデコヒーレンスは光子の損失によるエネルギー緩和

が支配的で位相緩和がほぼ無視できること,また調和振動子特有の

等間隔に並んだ多数のエネルギー準位によって形成される大きな

状態空間を用いた量子誤り訂正符号を実装可能 であることも利点である.

(中略)

量子ビット状態の非破壊射影読み出し機構として,

この回路量子電磁力学のアイデアが使われている.すなわち,

量子ビットにそれとΔだけ離調した読み出し用共振器を結合させ,

量子ビットの状態に応じた読み出し用共振器の共鳴周波数シフト

(分散シフト~(g^2) /Δ)を,読み出し用マイクロ波パルスの受ける

反射位相の変化として検出することによる

記号詳細のご説明は主題から大きくズレていきそうなので控えます。もともとの考えは

A. Wallraff, D.I. Schuster, A. Blais, L. Frunzio,

J. Majer, M.H. Devoret, S.M. Girvin, and R.J. Schoelkopf

等によって Phys. Rev. Lett. 95, 060501 (2005).にて議論されていた内容です。中村氏がSQUIDなどと合わせて全体像を解説してくれている中で紹介されています。

私はこの考えに教えられ、今まで見てきたユーチューブなどで不可解だった

量子コンピュータ基盤のパターンが段々と納得出来るようになりました。

共振側の回路でのコヒーレント時間が確保できれば

実用上、量子コンピューターの計算が進められます。

私は「(電源ではない)情報のトランスミッター」

といったイメージで共振器を考えています。そして音波の共振が共振体に介在する媒質に左右されるのに対して超伝導共振器の挙動はどう異なるのでしょうか??機会が有れば更に検討したいです。ここでのエンタングルメントは定量評価出来るのでしょうか??「関連論文読みなさい!!」と言われそうですが、勿論、後ほど読んでいく積りです。

中村氏の論文の中でも「シュレディンガーの猫状態」

なる表現は使われ、QUBITの中で分かる状態(0か1か)と

混在した状態(0または1)が議論の上で区別されています。

現代の解釈の中ではエンタングルメント状態は観測で

最終的に確定しうるという立場をとっている点を

大事に考えてみて下さい。観測のタイミングが大事です。

そしてまた、共振をしているQUBITと共振器も同じ状態を保ちながら演算に関わります。

共振を始めた時点で古典力学的な振り子運動がイメージ出来て

離散的な2準位系で|0>と|1>という2つの状態(ケット)

が共振していくのです。重ねあわされた量子ビットが動きます。

そして、こうした技術の進展を積み重ねて、

量子コンピューターは開発されていきます。

今もまた、開発は進んでいます。

そして知的な活動の発展(積み重ね)の重要さを最後に強調させて頂きます。学ぶこと、語り合う事、合意として「概念」を作っていく事は楽しいのです。知的探求心こそ人が作り上げた喜びです。そんな楽しさを知っている人間達は(特に物理学者は)「AIが概念を自己生成」していくようになっても議論を続けている事でしょう。そして、AIと人間が競うように考え続ければ更に楽しく議論は続くかもしれませんね。楽観論でしょうか。楽しみましょう。

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2023/07/08‗初稿投稿
2024/02/03_ 改訂投稿

舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹介
力学関係へ
電磁気関係へ
熱統計関連のご紹介へ
量子力学関係へ

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(最後に、参考としてLA・TEX稿を掲載します。)

\documentclass{article}
\usepackage{fontspec}
\setmainfont{Arial}

\begin{document}

\section*{\centering 古くて新しい概念「エンタングルメント」そして私}
\paragraph{\centering 皆様初めまして。早大理学修士卒のコウジです。この度はネットを通じた活動の中で編集者さんから寄稿依頼を頂き。数学・物理通信への投稿を挑戦させて頂きます。今回題材としているエンタングルメントは大きなテーマではありますが、私自身が出来るだけ深く理解咀嚼したい言葉です。本文が掲載された際には多様な方々の議論を、と期待しています。学生であれ社会人であれ物理を考えて欲しい。そんな議論に対応できる理論が良い理論なのだろうと思います。そして個人的に責務と意義を感じている訳です。その議論の中で少しでも理論が進んでいくことを望みます。}
\paragraph{\centering 私自身は物理の世界から離れて久しいのですが、その視線がネットの世界では大事だとも思えます。大筋で間違いがないか、主張が筋違いではないか不安は尽きません。ただ皆様、時間のある時に一読頂き率直なご意見を下さい。機会があればこうした活動は今後も継続していきます。}
\paragraph{\centering 昨今、ノーベル賞関連でベルの不等式の破れが話題になっています。直接この事実が量子論の有効性を議論しているわけでは無いと私は考えますが、古典力学・電磁気学で話が収まらない領域だと誰しも考える事でしょう。そこで議論の焦点として1935年を中心に考えています。また量子コンピュータの中でエンタングルメントが大きな役割を果たしており、基本に帰って考える事でその性能指標を少しでも向上出来る足掛かりとなる筈だと考えます。斯様な視点でご一読下さい。}
\paragraph{\centering 本稿は重ね合わせ・エンタングルメントの概念を中心に考えていて、応用的側面の考察まで及んでいない点も明記しておきます。}
\paragraph{\centering 以下が原稿で、私の運営しているブログは\href{https://www.nowkouji226.com/}{物理学への道標【科学史から】}です。}

\paragraph{\centering ☆}
\paragraph{\centering ☆}
\paragraph{\centering ☆}

\section*{\centering 「重ね合わせとエンタングルメント」}

\paragraph{\centering 本稿では物理学での大事な概念である「重ね合わせとエンタングルメント」について3つの角度から掘り下げていきます。1925年のハイゼンベルグの行列力学の論文以後に生まれ、様々な解釈が続き、エンタングルメントも段々に実態を表していきます。}
\paragraph{\centering 多くの人が議論して育んでいる概念です。会社員兼ブロガーとして活動している私・コウジが、一般の人に出来るだけ分かり易く「重ね合わせとエンタングルメント」という興味深い物理現象をご紹介してみたいと挑戦します。エンタングルメントに関心を持っている方はじっくり読んでみて下さい。そしてご意見を頂けたら幸いです。}

\section*{\centering 「視点1.シュレディンガー【1935年発表「量子論と測定」】」

\paragraph{\centering さて、シュレディンガーによる1935年発表の「量子論と測定」に出てきた重ね合わせとエンタングルメントの概念に着目しご紹介します。その論文はいわゆるアインシュタイン達のEPR相関が提唱された直ぐ後に提起され、後の時代の視点で考えたら、量子力学における局所性に対しての土壌を示したとも考えられます。}
\paragraph{\centering 量子力学の限界を疑問視していたとも解釈されます。量子力学は優れたモデルですが、シュレディンガーが疑問に思ったように完全に物理現象が把握出来ているか吟味解釈し続けなければなりません。}
\begin{document}\begin{center}
\large
当該論文(1935年)で「シュレディンガーの猫」の思考実験が使われます。絡み合った量子力学的な事象が観測事実と関連されていくのか、シュレディンガーは疑問を呈したのです。
\end{center}\begin{center}
念の為に実験環境を再現しておくと、
\end{center}\begin{center}①箱の中に猫が居て、毒物で猫が死ぬかもしれない\end{center}
\begin{center}②量子力学的な事象がガイガーカウンターと連動している\end{center}
\begin{center}③ガイガーカウンターが猫の毒殺装置と連動している\end{center}

\begin{center}
結局のところは、思考実験の環境を作っておけば箱を開けるまで猫が死んでいるか生きているか分からないので普通(⇒巨視的(常識的))に考えたら判断しかねる(⇒もつれあった)現象が箱を開けるまではっきり言えないということになりどっちなのか量子力学と巨視的な猫の状態で「説明してみて御覧なさい」というのがシュレディンガーの疑問提起です。
\end{center}

\begin{center}

\end{center}

\begin{center}

\end{center}

\begin{center}
ここでの絡み合いが「量子多体問題における相関」ではない点にも注意が必要です。猫は沢山の量子から構成されますが実験の結果に関わる量子はガイガーケースに「崩壊してますよ!!」とあるタイミングで情報を発信する原子です。対象原子が他の原子と相関している想定ではありません。
\end{center}

\begin{center}
とはいえ、私自身がシュレディンガーの原文を読みこなせていたか再考してみても良いかも知れません。英訳版があった気がするのですが未確認です。センサーと崩壊する原子間のエンタングルメントは仄めかされて(ほのめかされて)いないでしょう。論文の主題は隠れた変数へとつながる量子力学の全体像への問題提起だと理解しています。
\end{center}

\begin{center}
時間平均・空間平均といった概念をシュレディンガーは波動関数に対してどのようにとらえていたのでしょうか。興味は尽きません。ディラックの表現によれば波動関数は統計的側面を持つと言えます。特定の観測値を持つ波動は確率で表現されます。
\end{center}

\end{document}

\begin{center}

\end{center}

\begin{center}

\end{center}

に投稿 コメントを残す

中性原子方式の量子コンピューター稼働へ─世界水準の性能で巻き返し‗【国内初の方式‗分子研や日立】

ついに日本でも、世界トップ水準の性能を持つ量子コンピューターが稼働します。分子科学研究所(分子研)と日立製作所などが共同で開発するこの新型量子計算機は、2025年度中に稼働予定で、日本国内初となる「中性原子方式」を採用します。

Googleなど海外の先行企業が超電導方式を用いた実機開発でリードしてきた中、日本も量子技術の本格的な産業応用を視野に入れ、巻き返しに動き出しました。この記事では、日本が進める量子コンピューター開発の現状と可能性を、段階的に整理して紹介します。


中性原子方式で挑む:日本独自のアプローチ

今回稼働する量子コンピューターが採用する「中性原子方式」は、計算に用いる量子ビット(qubit)を一つひとつの原子で構成する仕組みです。この方式の大きな特長は、量子ビットの安定性が高く、拡張性にも優れること。大量の量子ビットを安定して並列処理することで、大規模な計算に向いているとされます。

実際、分子研の新型量子コンピューターは、まず50量子ビットでの稼働を予定しており、将来的には500量子ビット規模への拡大を計画しています。さらに分子研の大森賢治教授は「遅くとも30年後には1万量子ビット規模にし、社会問題の解決に役立つ実用的な量子コンピューターを作る」と語っており、日本の長期的な技術的野心がうかがえます(日本経済新聞 2025年3月1日)。


産業応用へ前進:エネルギー、創薬、金融など多分野に展開

中性原子方式による量子計算機は、分子研が立地する愛知県岡崎市に設置されます。開発には、量子制御装置を手がけるベンチャー企業キュエル(東京都八王子市)や大阪大学なども参加し、産学連携のプロジェクトとして進行しています。

この量子計算機は、今後、企業や研究機関と共同研究契約を結んだうえで外部利用にも開放する方針で、産業応用が一気に加速する可能性を秘めています。期待される応用分野は多岐にわたり、以下のような例が挙げられます:

  • 次世代電池材料の開発(脱炭素への貢献)

  • 新薬の創出(分子シミュレーションによる創薬の効率化)

  • 金融モデルの最適化

  • 自動車・機械分野における設計の高速化

これらは、従来のコンピューターでは処理が困難だった、膨大かつ複雑な計算を短時間で実行できる量子計算機ならではの強みです。


海外勢との競争:超電導 vs. 中性原子 vs. 張電子

量子コンピューターには複数の方式があり、それぞれに長所と課題があります。たとえば、米Googleは超電導方式を採用し、すでに特定の演算でスーパーコンピューターを上回る性能を実証したと発表しています(Nature, 2019年)。ただし、実用的な計算において既存のコンピューターを超えた方式は未だ存在していません

一方、日本国内では「張電子方式」の開発も進展しています。富士通は従来の4倍の規模となる256量子ビットの張電子方式の量子計算機を2025年3月に稼働させ、2026年には1000量子ビット超を目指しています。

このように、日本国内でも複数の方式で並行して開発が進んでいることは、日本の大きな強みでもあり、「本命がまだ定まらない中で、開発競争を優位に進める原動力となる」と日経記事は評価しています。


日本の研究ポジションと世界市場の可能性

量子コンピューター分野の研究は、米国が圧倒的にリードしており、日本はまだキャッチアップの段階です。エルゼビアのデータベースを用いた注目論文の国別集計によると、2019〜2023年の論文数で日本は世界第9位にとどまっています。

ただし、今後の市場の拡大は巨大です。米ボストン・コンサルティング・グループの試算によれば、2040年には量子コンピューター関連市場の経済価値が最大8500億ドル(約128兆円)に達すると予測されています。

この見通しを背景に、富士通・NECなどの大手14社と大学・研究機関が連携し、2025年3月末までに新会社を立ち上げる計画も進んでおり、産業界と学術界が一体となった量子技術の推進体制が構築されつつあります。


まとめ:巻き返しに向けた日本の挑戦

日本初となる中性原子方式の量子コンピューターの稼働は、世界における量子開発競争に対して明確な巻き返しの一歩となります。複数方式でのアプローチや産学官の連携など、日本独自の強みを活かす体制が整いつつあります。

「本命不在」の量子コンピューター開発競争において、日本がいかに技術と実用性の両面で存在感を示せるか。その行方は、今後の社会・産業の構造すら変える可能性を秘めています。

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/05/22‗初稿投稿

舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹介
力学関係へ
電磁気関係へ
熱統計関連のご紹介へ
量子力学関係へ

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

に投稿 コメントを残す

理研で新型量子計算機稼働【米クオンティニュアム社が設置_イオン方式の新型】

新型量子コンピューターの概要

量子コンピューターは、従来のコンピューターでは解決が難しい問題に対して新たな可能性を提供する革新的な技術です。特に、イオントラップ方式は高い精度と安定性を持ち、量子コンピューターの実現において注目されています。本章では、イオントラップ方式の量子コンピューターについて、その原理、構造、そして拡張性に焦点を当てて解説します。

イオントラップ方式の原理

イオントラップ方式の量子コンピューターは、原子から電子を1つ取り去ったイオンを電場で空間に捕捉し、その内部状態を量子ビットとして利用します。これにより、外部環境からの影響を受けにくく、長いコヒーレンス時間を実現できます。また、レーザーを用いてイオンの状態を精密に制御し、量子ゲート操作を行います。この方式は、量子ビット間のばらつきが少なく、高い忠実度を持つことが特徴です。mki.co.jp+2日経クロステック(xTECH)+2理化学研究所+2J-STAGE+1日経クロステック(xTECH)+1

理化学研究所

出典: 日経クロステック

イオントラップ方式の構造

イオントラップ方式の量子コンピューターは、以下の主要な構成要素から成り立っています。

  • イオントラップ: 電場を用いてイオンを空間に捕捉する装置で、イオンの位置を安定に保ちます。日経クロステック(xTECH)+1mki.co.jp+1

  • レーザーシステム: イオンの状態を制御するために、特定の波長のレーザーを照射します。日経クロステック(xTECH)

  • 真空チャンバー: イオンが外部の粒子と干渉しないように、超高真空環境を維持します。J-STAGE

  • 光学系: レーザー光を適切に導くためのミラーやレンズなどの光学部品で構成されます。

  • 検出システム: イオンの状態を読み取るための光検出器やカメラなどが含まれます。

これらの構成要素が連携することで、高精度な量子操作が可能となります。

出典: 日経クロステック

イオントラップ方式の拡張性と課題

イオントラップ方式は高い精度を持つ一方で、スケーラビリティに課題があります。一つのトラップに多くのイオンを配置すると、制御が難しくなるため、複数のトラップを連携させる技術が求められます。その一つが「光接続法」で、異なるトラップ間で光子を介して量子情報を伝達する方法です。この技術により、大規模な量子コンピューターの実現が期待されています。日経クロステック(xTECH)+2NICT+2J-STAGE+2mki.co.jp+2日経クロステック(xTECH)+2J-STAGE+2

出典: 日経クロステック

また、オンチップイオントラップの開発も進められており、電極を同一平面上に配置することで、より自由度の高いトラップ電位の生成が可能となります。これにより、量子ビットの配置や制御が柔軟になり、拡張性の向上が期待されています。NICT+1J-STAGE+1J-STAGE+4理化学研究所+4日経クロステック(xTECH)+4

出典: 情報通信研究機構(NICT)

イオントラップ方式の量子コンピューターは、高精度な量子操作が可能であり、将来的な大規模化に向けた研究が進められています。今後の技術革新により、実用的な量子コンピューターの実現が期待されます。

新型量子コンピューター「黎明」の仕様

量子コンピューターの進化は、私たちの未来を大きく変える可能性を秘めています。特に、理化学研究所で稼働を開始した「黎明」は、その革新的な設計と性能で注目を集めています。本章では、「黎明」の仕様について、以下の3つの観点から詳しく解説します。

1. イオントラップ方式とレーザー制御

「黎明」は、イオントラップ方式を採用しており、イオンを電場で閉じ込め、レーザーで操作や測定を行います。この方式は、量子状態の保持が容易で、計算速度が速いという利点があります。一方で、量子ビットを精密に操作する必要があり、イオンを移動させる操作には時間がかかるという課題もあります。

出典: Quantinuum JapanPR News Asia+2Quantinuum – クオンティニュアム株式会社+2QUANTUM BUSINESS MAGAZINE+2

2. コンパクトな設計と冷却システム

「黎明」は、一辺が約1インチ(約2.54cm)のチップに、マイクロメートル単位の溝を掘り、イオンを閉じ込めたり移動させたりする構造を持っています。このチップは、バスケットボール大の容器に収納され、摂氏マイナス250度程度に冷却されます。容器には複数の窓があり、そこからレーザーを照射して操作や測定を行います。

出典: Quantinuum JapanQUANTUM BUSINESS MAGAZINE+2Quantinuum – クオンティニュアム株式会社+2PR News Asia+2

3. スーパーコンピューターとの連携と将来展望

「黎明」は、理化学研究所とソフトバンクの共同研究により、スーパーコンピューター「富岳」との連携を目指しています。このハイブリッドな計算環境により、エラーの発生を抑える効果が期待されています。また、米クオンティニュアム社は、2025年中に96量子ビットの量子コンピューター「Helios(ヘリオス)」を開発する予定であり、さらなる性能向上が見込まれています。

出典: Quantinuum Japan

「黎明」の登場は、量子コンピューターの実用化に向けた大きな一歩となりました。今後の技術革新と応用範囲の拡大に注目が集まります。

その他の方式を含めた現状の課題

量子コンピューターの開発は、さまざまな方式が競い合いながら進化しています。それぞれの方式には独自の利点と課題があり、最適なアプローチを模索する研究が続けられています。

主要な量子コンピューター方式の比較

方式主な特徴メリットデメリット
イオントラップ電場と磁場でイオンを捕捉し、レーザーで制御高い忠実度、長いコヒーレンス時間制御が難しく、スケーリングに課題がある
中性原子レーザーで冷却した中性原子を光ピンセットで操作スケーラビリティが高い制御精度がイオントラップ方式に劣る
超伝導超伝導回路を用いて量子ビットを構成高速なゲート操作、既存技術との親和性超低温環境が必要で、エラー率が高い
光量子光子を用いて量子情報を伝達・処理常温動作が可能、通信との親和性が高い光子の制御が難しく、エラー訂正が課題
シリコンスピンシリコン中の電子スピンを利用既存の半導体技術を活用可能高精度な制御が必要で、技術的なハードルが高い

出典: WIRED JapanWIRED.jp+1WIRED.jp+1

イオントラップ方式の詳細

イオントラップ方式では、電場と磁場を組み合わせてイオンを真空中に捕捉し、レーザーで量子ビットとして制御します。この方式は、量子ビット間の相互作用を高精度で制御できるため、誤り訂正に適しています。しかし、イオンの移動や配置に時間がかかり、大規模化には課題があります。WIRED.jp+1WIRED.jp+1

出典: 大阪大学Resou

中性原子方式の詳細

中性原子方式では、レーザーで冷却した中性原子を光ピンセットで並べ、量子ビットとして利用します。この方式は、同一の原子を大量に配置できるため、大規模な量子コンピューターの構築に向いています。ただし、原子間の相互作用を制御する技術がまだ発展途上であり、精度の向上が求められています。東京医科歯科大学+3blueqat+3科学技術振興機構+3

oaicite:60

出典: WIRED JapanWIRED.jp+1WIRED.jp+1

超伝導方式の詳細

超伝導方式では、超伝導体を用いた回路で量子ビットを構成します。この方式は、既存の半導体技術を活用できるため、産業界での実用化が進んでいます。しかし、動作には極低温環境が必要であり、冷却装置のコストやエネルギー消費が課題となっています。leapleaper.jpblueqat+1leapleaper.jp+1

oaicite:78

出典: LeapLeaperleapleaper.jp

各方式には独自の強みと課題があり、用途や目的に応じて最適な方式を選択することが重要です。今後の技術革新により、これらの方式がさらに進化し、実用化が進むことが期待されています。blueqat

Favicon
Favicon
Favicon
Favicon
Favicon
情報源

 

今後の日本での対応

日本は量子コンピューター技術の発展において、独自の強みを活かしながら世界と競争しています。特にイオントラップ方式においては、精密なレーザー制御や真空技術が求められるため、日本の高度な技術力が期待されています。また、産学官の連携を通じて、量子コンピューターの社会実装に向けた取り組みも進行中です。ソフトバンク

産業技術総合研究所と英国Universal Quantum社の連携

2025年3月、産業技術総合研究所(産総研)は英国のUniversal Quantum社と、日本におけるイオントラップ型量子コンピュータとその周辺技術の開発に関する覚書を締結しました。この連携により、スケーラブルな量子コンピューティングパワーの提供や、複雑な量子アプリケーションの開発、大規模量子コンピューティングに必要な基盤サブシステムの共同開発が期待されています。 国立研究開発法人人工知能研究所

ソフトバンクと東京大学の産学連携

ソフトバンク株式会社と東京大学は、量子コンピューターの社会実装に向けた共同研究を2023年9月に開始しました。ソフトバンクは、東京大学が運営する「量子イノベーションイニシアティブ協議会」に加盟し、産学連携を強化しています。また、127量子ビットのプロセッサーを搭載した量子コンピューター「IBM Quantum System One」を活用し、量子コンピューターの新たなユースケースの発掘を進めています。 ソフトバンク+1ニュースイッチ by 日刊工業新聞社+1

イオントラップ方式の研究開発

量子科学技術研究開発機構(QST)は、イオントラップ方式による量子コンピューターの研究開発を進めています。特に、133バリウムイオンを用いた量子ビットの開発に注力しており、ノイズに強く演算精度が高い特性を持つことから、量子コンピューターの実現を加速できる可能性があります。 QST+1QST+1

さらに、情報通信研究機構(NICT)では、オンチップイオントラップの開発を進めており、電極を平面形状に配置することで、自由度の高いトラップ電位の生成が可能となっています。これにより、量子コンピューターの大規模化が期待されています。 国立研究開発法人情報通信研究機構+1科学技術振興機構+1

これらの取り組みにより、日本は量子コンピューター技術の発展において、独自の強みを活かしながら世界と競争しています。今後も、産学官の連携を通じて、量子コンピューターの社会実装に向けた取り組みが加速することが期待されます。ソフトバンク

Favicon
Favicon
Favicon
Favicon
情報源

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/05/04‗初稿投稿

旧舞台別まとめへ
舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹介
力学関係へ
電磁気関係へ
熱統計関連のご紹介へ
量子力学関係へ

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

に投稿 コメントを残す

中性原子方式量子コンピューターの静かな躍進:BECから始まる第3の革命

量子コンピューターといえば、超伝導方式やイオントラップ方式が
真っ先に思い浮かびます。しかし今、水面下で急速に頭角を現している
「第3の選択肢」があります。それが中性原子方式です。

ボース=アインシュタイン凝縮(BEC)という基礎理論から生まれたこの方式は、
高精度な量子制御とスケーラビリティの高さを兼ね備え、世界中の研究機関や
企業が注目する存在となっています。

この記事では、日本と世界における中性原子方式の発展史をたどりつつ、
量子ビットの構造や最新技術のブレイクスルー、そして乗り越えるべき
技術的課題まで、包括的に解説します。

中性原子方式量子コンピューターの歴史:静かに進化してきた第3の選択肢

量子コンピューターといえば「超伝導方式」や「イオントラップ方式」
が先行して知られていますが、実はいま、**「中性原子方式」**が急速
に存在感を増しています。この方式は他の方式とは異なるアプローチを
取り、実用化に向けた革新技術として注目を集めています

ここでは、その中性原子方式がどのように生まれ、
どのように発展してきたのか、その歴史を3つの視点からたどります。


1. 基盤となる技術の登場:超冷却原子と量子制御

中性原子方式の基礎は、1995年に実現されたボース=アインシュタイン
凝縮(BEC)**にさかのぼります。これは、極低温状態にある中性原子が
一つの量子状態に凝縮する現象で、量子情報処理に必要な高精度の制御
が可能となりました。

この研究により、2001年にエリック・コーネル、ヴォルフガング・
ケテルレ、カール・ワイマン
の3名がノーベル物理学賞を受賞
しています。🔗 出典:Nobel Prize 2001 in Physics – nobelprize.org


2. 日本におけるブレイクスルー:分子研と国産量子機の挑戦

日本でも中性原子方式の研究は進んでおり、分子科学研究所の
大森賢治教授
らによって重要な進展が見られます。特に、
超高速レーザーを用いた二量子ビットゲートの制御速度が従来の
100倍に向上
したという成果は大きな注目を集めました(2022年)。

さらに、2024年には産業界と連携し、国産初の中性原子方式量子コンピューターの開発プロジェクトが本格化しています。
🔗 出典:分子科学研究所 – プレスリリース(2024年2月27日)


3. グローバル展開:PasqalとQuEraの台頭

世界では、フランスのPasqal(パスカル)社がリードしています。
同社は2024年に100量子ビットを超えるシステムを出荷予定とし、
2026年には1万量子ビット規模へのスケールアップを掲げています。

🔗 出典:QBMニュース – Pasqalのロードマップ(2024年2月)

また、アメリカのQuEra社は日本の産業技術総合研究所との間で
約65億円規模の契約を締結し、
先進的な中性原子量子コンピューターを導入予定です。

🔗 出典:時事通信 – 「冷却原子方式」量子コンピューター導入


中性原子方式は、比較的常温で動作可能かつ高いスケーラビリティ
を持つという特長があり、今後の量子技術の本命の一つとして
急浮上しています。その静かな革命は、これからさらに
大きな波となるかもしれません。

中性原子方式量子コンピューターの基礎理論:BECから広がる量子情報の世界

量子コンピューターの実現に向けて、さまざまな方式が研究されていますが、その中でも「中性原子方式」は、特に集積化やスケーラビリティの面で注目されています。この方式の基礎には、ボース=アインシュタイン凝縮(BEC)という現象があり、これが情報工学的な応用への扉を開いています。本章では、中性原子方式量子コンピューターの基礎理論について、以下の3つの観点から解説します。

1. BECと中性原子キュービットの形成

ボース=アインシュタイン凝縮(BEC)は、極低温下で多数の中性原子が同一の量子状態に凝縮する現象です。この状態では、原子間の相互作用が制御しやすくなり、量子ビット(キュービット)としての利用が可能になります。特に、BEC内で形成されるソリトン(孤立波)は、キュービットの論理状態を確立するのに重要な役割を果たします。ソリトンを操作することで、キュービットの作成や制御が可能となり、量子計算タスクに応用されています。

出典: Generation of solitons by initial phase differences between portions of a BECResearchGate

2. リュードベリ状態と量子ゲートの実現

中性原子方式では、原子を高励起状態であるリュードベリ状態に遷移させることで、強い相互作用を引き起こし、量子ゲート操作を実現します。このリュードベリ相互作用を利用することで、2量子ビット間のエンタングルメント(もつれ)を高い精度で生成することが可能です。実際に、リュードベリ状態を介した2量子ビットゲートのフィデリティ(忠実度)は99.5%に達しており、実用的な量子計算に向けた大きな一歩となっています。

出典: High-fidelity parallel entangling gates on a neutral atom quantum computeriopscience.iop.org+4arXiv+4authors.library.caltech.edu+4

3. 集積化とスケーラビリティの利点

中性原子方式の大きな利点の一つは、量子ビットの集積化が比較的容易であることです。光ピンセット技術を用いることで、数百から数千の中性原子を規則的に配置し、それぞれを独立したキュービットとして制御することが可能です。さらに、原子の種類や同位体を使い分けることで、補助的な量子ビットの読み出しをデータ量子ビットに影響を与えずに行う手法も開発されています。これにより、量子誤り訂正の実装が容易になり、量子コンピューターの実用化が加速すると期待されています。arXiv

出典: Neutral Atoms in Optical Tweezers as Messenger Qubits for Scaling up a Trapped Ion Quantum ComputerarXiv

中性原子方式量子コンピューターでのQubit:光で操る量子の最小単位

量子コンピューターの心臓部とも言える「量子ビット(Qubit)」は、情報の基本単位です。中性原子方式では、レーザー光を用いた精密な制御により、個々の原子をQubitとして利用します。この章では、中性原子Qubitの構造と制御技術について、以下の3つの観点から解説します。

1. 光ピンセットによる中性原子の捕捉と配置

中性原子Qubitの実現には、「光ピンセット」と呼ばれる技術が不可欠です。これは、レーザー光の焦点により原子を捕捉し、任意の位置に配置する方法です。この技術により、数百から数千の原子を規則的に並べ、各原子を個別に制御することが可能となります。例えば、QuEra社はこの技術を用いて、原子を高精度に配置し、量子計算を実現しています。

出典: QuEra Technologies – Neutral Atom Platformquera.com

2. リュードベリ状態を利用した量子ゲート操作

中性原子を高励起状態である「リュードベリ状態」に遷移させることで、隣接する原子間に強い相互作用が生じます。この「リュードベリブロッケード効果」を利用することで、2つのQubit間で高精度な量子ゲート操作が可能となります。実際に、Nature誌に掲載された研究では、99.5%の忠実度で2量子ビットゲートを実現しています。

出典: High-fidelity parallel entangling gates on a neutral-atom quantum computer – NatureNature

3. 長いコヒーレンス時間とスケーラビリティの実現

中性原子Qubitは、他の方式と比較して長いコヒーレンス時間を持つことが特徴です。これは、量子状態が外部環境の影響を受けにくいためであり、長時間の量子計算が可能となります。さらに、光ピンセット技術により、Qubitの数を容易に増やすことができるため、大規模な量子コンピューターの実現に向けたスケーラビリティも確保されています。ohmori.ims.ac.jp

出典: Neutral-atom quantum computers – PennyLane DemosEE Times Europe+2Quantum Programming Software — PennyLane+2Quantum Programming Software — PennyLane+2


中性原子方式のQubitは、精密な光制御技術と原子物理学の融合により、高精度かつスケーラブルな量子計算を可能にします。今後の研究と技術革新により、さらに高性能な量子コンピューターの実現が期待されています。

中性原子方式量子コンピューターでの技術的困難

中性原子方式量子コンピューターは、その高いスケーラビリティと精密な制御能力により、次世代の量子計算技術として注目されています。しかし、実用化に向けては、量子誤り訂正やキュービットの読み出しといった技術的課題が存在します。本章では、これらの課題と、それに対する最新の研究成果について解説します。

1. 量子誤り訂正の課題と同位体利用による解決策

量子計算では、外部環境からの干渉や制御の不完全さにより、誤りが発生する可能性があります。これを訂正するためには、補助的な量子ビット(補助キュービット)を用いて、データキュービットの状態を監視し、誤りを検出・訂正する必要があります。しかし、中性原子方式では、補助キュービットの読み出しがデータキュービットに影響を与えるという課題がありました。

この課題に対し、京都大学の研究グループは、イッテルビウム原子の2種類の同位体を用いる手法を開発しました。同位体シフトと呼ばれる遷移周波数の差を利用することで、補助キュービットとデータキュービットを独立に制御・読み出すことが可能となり、データキュービットに影響を与えずに誤り訂正を行えるようになりました。京都大学+1ニュースカフェセンター+1

この成果は、2024年12月10日に国際学術誌「Physical Review X」に掲載されました。京都大学

出典: 京都大学 研究ニュース

2. 高速量子ゲートの実現とその課題

量子ゲートの操作速度は、量子コンピューターの性能に直結します。中性原子方式では、リュードベリ状態を利用した量子ゲートが用いられますが、その操作速度の向上が課題となっていました。

分子科学研究所の大森賢治教授らの研究グループは、超高速レーザーを用いることで、2量子ビットゲートの操作速度を従来の100倍に向上させることに成功しました。これにより、量子計算の実行時間が大幅に短縮され、実用化に向けた大きな一歩となりました。

出典: 分子科学研究所 プレスリリース

3. キュービット配置の精度とスケーラビリティの課題

中性原子方式では、光ピンセットを用いて原子を捕捉・配置し、キュービットとして利用します。しかし、大規模な量子コンピューターを構築するためには、多数の原子を高精度に配置・制御する必要があります。

この課題に対し、QuEra社は、光ピンセット技術を用いて256個の中性原子を高精度に配置し、量子コンピューター「Aquila」を開発しました。この技術により、大規模なキュービットアレイの構築が可能となり、スケーラビリティの向上が期待されています。

出典: Qiita 記事


中性原子方式量子コンピューターは、量子誤り訂正や高速量子ゲート、キュービット配置の精度といった課題に対し、最新の研究成果により着実に前進しています。これらの技術的困難を克服することで、実用的な量子コンピューターの実現が近づいています。

中性原子方式量子コンピューターの世界での開発状況

量子コンピューターの進化は、まさに「静かな革命」とも言える状況です。特に中性原子方式は、他の方式に比べてスケーラビリティや誤り耐性の面で優位性を持ち、世界中の研究機関や企業が注目しています。本章では、最新の開発状況を3つの視点から解説します。

1. Pasqalのロードマップ:1万量子ビットへの挑戦

フランスのPasqal社は、2026年までに1万個の物理量子ビットを実現し、2028年には128個以上の論理量子ビットによる完全な誤り耐性を持つ量子コンピューターの開発を目指しています。このロードマップは、ハードウェアの進化だけでなく、ビジネスユースケースの拡大やグローバルな展開も視野に入れたものです。詳細は以下のリンクをご参照ください。

🔗 Pasqal announces new Quantum Roadmap

2. QuEraの進展:256量子ビットから100論理量子ビットへ

アメリカのQuEra社は、256量子ビットの中性原子量子コンピューター「Aquila」をAmazon Braket上で一般公開しました。さらに、2025年1月には、ハーバード大学を中心としたチームと協力し、48個の論理量子ビットを用いた複雑な誤り訂正量子アルゴリズムの実証に成功しました。今後は、2026年までに100個の論理量子ビットを実現することを目指しています。詳細は以下のリンクをご参照ください。quera.com

🔗 Our Quantum Roadmap – QuEra Computing

3. Atom Computingの躍進:1,180量子ビットの実現

カリフォルニア州のスタートアップ、Atom Computingは、1,225サイトの原子配列を持つ第2世代の中性原子量子コンピューターを開発し、そのうち1,180個の量子ビットを稼働させることに成功しました。これは、IBMの量子コンピューターを上回る量子ビット数であり、スケーラビリティの面で大きな前進を示しています。詳細は以下のリンクをご参照ください。SpinQ

🔗 Discover the World’s Largest Quantum Computer in 2025 – SpinQ

これらの進展は、中性原子方式量子コンピューターが実用化に向けて着実に前進していることを示しています。今後の動向にも注目が集まります。

 

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/04/20‗初稿投稿

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

 

 

に投稿 コメントを残す

日本発、中性原子型量子コンピューターの挑戦【「Yaqumo」が目指す産業応用と拡張性】

2025年、分子科学研究所と京都大学がタッグを組み、日本初の中性原子方式量子コンピューター企業「Yaqumo(ヤクモ)」が誕生しました。量子ビットの拡張性と計算精度を両立する中性原子方式は、これまで主流だった超伝導方式とは異なる新たな可能性を秘めています。イッテイルビウムとルビジウム、それぞれの特性を活かした実機開発が進むなか、Yaqumoは2027年のクラウド提供と量産体制の構築を目指しています。産業界をも巻き込む次世代計算基盤の最新動向を追います。

【1】国産初の中性原子量子コンピューター企業「Yaqumo」誕生

2025年4月、国の研究機関である分子科学研究所は、新型量子コンピューターの実用化を目指し、東京都千代田区に拠点を置く新会社「Yaqumo(ヤクモ)」を設立しました。設立には京都大学との共同研究体制が背景にあり、日本初となる中性原子方式を主軸に置く企業として注目されています。

この新型量子コンピューターは、従来のコンピューターが使用するビット(0か1)に代わり、「量子ビット(qubit)」を用いることで、並列的で膨大な計算能力を実現します。分子研の大森賢治教授と京大の高橋義郎教授が長年にわたり取り組んできた技術が基盤となっており、2027年には企業や研究機関向けにクラウド経由で利用可能な量子コンピューターの提供を目指しています。

このような国家レベルの取り組みは、2023年に理化学研究所が超伝導方式の量子コンピューターを完成させて以降、日本の量子技術をさらに広げる重要な布石といえます。


【2】中性原子方式の特長と拡張性

量子コンピューターの要となるのは、0と1の両方を同時に表現できる量子ビットです。中でも中性原子方式は、個々の原子をレーザー光で捕捉・操作することにより量子ビットとして利用する手法であり、以下のような特長があります。

  • 動作温度が比較的高い(ミリケルビンではなくマイクロケルビン級)

  • 長時間の量子状態の保持(コヒーレンス時間が長い)

  • 高い空間制御性により多数のビット配列が可能

理化学研究所が進める超伝導方式に比べて、極低温冷却などの厳しい環境条件を求められにくく、量子ビットの拡張性と安定性の両立が期待されています。

とくに京大・高橋教授が用いるイッテイルビウム原子は、電子のエネルギー状態が極めて安定しており、高精度な時間制御と量子誤り訂正に向いた性質が知られています。これにより、従来よりも格段にスケーラブルな量子計算系の実現が視野に入ってきました。


【3】中性原子方式のしくみと素材の違い(出典付き)

中性原子方式では、レーザー光で原子を「光格子(optical lattice)」と呼ばれる状態に整列させ、その個々の原子を量子ビットとして制御します。原子は電気的に中性であるため、環境ノイズに対して強く、量子状態を長時間保てるのが大きな特徴です。

この方式で現在注目されている原子素材は主に2つあります。

■ イッテイルビウム(Ytterbium)

■ ルビジウム(Rubidium)

  • 分子研・大森教授グループが利用。2025年に実機稼働を予定。

  • 操作が比較的シンプルで、量子ビット間の相互作用が制御しやすい

  • すでに多くの中性原子実験で使用されてきた実績ある元素

  • 参照情報:naturephotonics 16, pages724–729 (2022)

これら2つの原子は、それぞれ異なる強みを持ち、用途に応じた使い分けがなされています。今後の量子コンピューター開発において、素材選定が計算性能や実装性を左右する重要なファクターとなっていくでしょう。


【4】2027年クラウド提供へ:量産と産業利用を視野に

Yaqumoは研究段階に留まらず、実用化を見据えた開発体制の整備に力を入れています。特に焦点となるのが、量子計算の精度を保つための量子誤り訂正技術の導入と、それに適合するソフトウェアの開発です。

将来的には、量子クラウドサービスとして企業がウェブ経由でYaqumoの量子計算機にアクセスできるようにし、製造・物流・創薬・素材開発など幅広い分野への展開を計画しています。また、量産体制の構築も視野に入れ、社会実装への橋渡しを進めています。

Yaqumo代表の中小司和広CEOは、「設計段階からスケーラビリティを意識し、段階的に処理能力を拡大できるアーキテクチャにする」と語り、大森・高橋両教授も引き続きアドバイザーとして現場を支えています。

このように、Yaqumoの挑戦は単なる技術開発にとどまらず、日本の量子技術を国際的な競争に参入させるための礎となることが期待されています。

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/04/19‗初稿投稿
2025/04/20_改訂投稿

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

に投稿 コメントを残す

「未来を創る量子コンピューター—大阪大学での各界研究者による最先端議論」

2024年12月、大阪大学にて量子コンピューターをテーマとしたセミナーが開催されました。本イベントでは、理化学研究所の中村氏、バイオ分野の北野氏、ソフトウェア開発の松岡氏、京都大学の橋本氏(SNSでもおなじみ)、阪大の藤井氏、脳科学の茂木氏、富士通の佐藤氏らが集まり、量子コンピューティングの現状と未来について活発な意見交換が行われました。暗号技術、バイオ分野、AIとの融合など、多岐にわたる視点から議論が進められ、量子技術が今後どのように社会に貢献するのかが探求されました。

量子コンピューターの優位性

量子コンピューターの優位性は、特定の計算分野において古典コンピューターを凌駕する可能性を秘めています。その中でも特に注目されているのが、乱数のサンプリングです。従来のコンピューターでは、数学的なアルゴリズムを用いた「擬似乱数」が一般的ですが、量子コンピューターは量子力学の不確定性を利用して真の乱数を生成できるため、暗号技術やシミュレーション分野での応用が期待されています。

最近の研究では、Quantinuum社の量子コンピューターを用いて、証明可能な乱数(certified randomness)の生成に成功したと報告されています。この技術では、量子コンピューターが生成した乱数が本当にランダムであることを古典コンピューターで検証するプロセスが含まれており、これにより暗号技術の安全性が飛躍的に向上する可能性があります。

しかし、量子コンピューターの優位性は乱数のサンプリングだけに限られるわけではありません。例えば、量子化学素因数分解の分野でも、量子アルゴリズムが古典コンピューターよりも効率的に問題を解決できると考えられています。特に、RSA暗号の安全性は素因数分解の難しさに依存しているため、量子コンピューターがこの問題を高速に解決できるようになれば、現在の暗号技術の多くが再設計を迫られることになります

このように、量子コンピューターの性能を最大限に活かすためには、適切なアルゴリズムの設計が不可欠です。量子コンピューターは万能ではなく、特定の問題に対してのみ優位性を持つため、どのようなアルゴリズムを適用するかがその実用性を左右します。今後の研究と技術開発により、量子コンピューターの適用範囲がさらに広がることが期待されています。

量子コンピューターの歴史

量子コンピューターは、古典コンピューターでは解決が困難な特定の計算問題において優位性を持つ革新的な技術です。特に、乱数の生成や暗号解析、量子化学の分野で注目されており、近年の技術進歩によって実用化への道が徐々に開かれています。本記事では、その歴史を年代順に整理しながら、量子コンピューターの発展を解説します。

1980年代~2000年代:理論の誕生と初期研究

量子コンピューターの理論的な基盤は、1980年代にリチャード・ファインマンらによって提唱されました。1994年にはピーター・ショアが素因数分解を高速に行うショアのアルゴリズムを発表し、従来の暗号技術が量子コンピューターによって破られる可能性が指摘されました。2000年代に入ると、IBMやGoogleなどの研究機関が量子コンピューターの試作機を開発し始めました。

2010年代:技術進歩と初期の実証

2010年代には、量子コンピューターのハードウェア開発が本格化しました。2019年にはGoogleが量子超越性(Quantum Supremacy)を達成し、特定の計算問題でスーパーコンピューターを超える性能を実証しました。加えて、暗号技術の安全性を高めるための量子乱数生成の研究が進み、暗号分野での応用が議論され始めました。

2020年代~現在:実用化への挑戦

現在、量子コンピューターはさらに進化を遂げています。Quantinuum社の研究によれば、証明可能な乱数(certified randomness)の生成が成功し、量子技術がセキュリティ分野において重要な役割を果たすことが示唆されました。また、量子化学や金融モデリングなど、新たな分野への応用が検討されており、今後の開発によって量子コンピューターの実用化が進むことが期待されています。

現在(2025年)の日本における量子コンピューターの研究

量子コンピューターの研究は急速に進展しており、日本の理化学研究所では超電導回路を用いたシステムの開発が進められています。2023年には64量子ビット(QBIT)のコンピューターをクラウド上で公開し、さらに2025年には144QBITのシステムを立ち上げるなど、技術の発展が加速しています。

2023年:量子コンピューターのクラウド公開

理化学研究所は2023年3月に国産初の64量子ビット超電導量子コンピューターを公開しました。このシステムは、富士通との共同研究によって開発され、量子シミュレーターとの連携が可能なプラットフォームとして提供されています。これにより、量子化学計算や量子金融アルゴリズムの研究開発が加速すると期待されています。

2025年:144QBITシステムの立ち上げ

2025年には、理化学研究所が量子コンピューター「黎明(れいめい)」を本格稼働させました。このシステムは、世界最大級の量子コンピューター企業Quantinuumと共同で開発され、埼玉県の理化学研究所 和光キャンパスに設置されています。物理・化学・その他の応用分野における量子コンピューティング技術の進歩をリードすることが期待されています。

今後の展望と技術の進化

今後、さらなる量子ビットの拡張と安定性向上が課題となります。理化学研究所では、1,000量子ビット級の超電導量子コンピューターの開発を目指しており、高密度実装技術や量子ゲートの精度向上に取り組んでいます。また、量子コンピューターとハイパフォーマンスコンピューター(HPC)を連携させたハイブリッド量子アルゴリズムの開発も進められており、量子化学計算の精度向上が期待されています。

量子コンピューターの実用化に向けた研究は今後も加速し、暗号技術や創薬、金融モデリングなどの分野での活用が進むことが予想されます。技術の進化により、量子コンピューターが社会に与える影響はますます大きくなるでしょう。

人類としての資産量子コンピューター

理化学研究所は2023年3月に国産初の64量子ビット(QBIT)超電導量子コンピューターを公開しました。このシステムは、富士通との共同研究によって開発され、量子シミュレーターとの連携が可能なプラットフォームとして提供されています。これにより、量子化学計算や量子金融アルゴリズムの研究開発が加速すると期待されています。

2025年:144QBITシステムの立ち上げ

2025年には、理化学研究所が量子コンピューター「黎明(れいめい)」を本格稼働させました。このシステムは、世界最大級の量子コンピューター企業Quantinuumと共同で開発され、埼玉県の理化学研究所 和光キャンパスに設置されています。物理・化学・その他の応用分野における量子コンピューティング技術の進歩をリードすることが期待されています。

今後の展望と技術の進化

今後、さらなる量子ビットの拡張と安定性向上が課題となります。理化学研究所では、1,000量子ビット級の超電導量子コンピューターの開発を目指しており、高密度実装技術や量子ゲートの精度向上に取り組んでいます。また、量子コンピューターとハイパフォーマンスコンピューター(HPC)を連携させたハイブリッド量子アルゴリズムの開発も進められており、量子化学計算の精度向上が期待されています。

量子コンピューターの実用化に向けた研究は今後も加速し、暗号技術や創薬、金融モデリングなどの分野での活用が進むことが予想されます。技術の進化により、量子コンピューターが社会に与える影響はますます大きくなるでしょう。

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/04/17‗初稿投稿

舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹介
力学関係へ
電磁気関係へ
熱統計関連のご紹介へ
量子力学関係へ

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

に投稿 コメントを残す

量子エネルギー転送の凄さ【エンタングルメントが作り出す不思議な世界】

先ず、本記事は2024年の3月10日の記事を起点としています。福井健人さんによる教育的記事に私も刺激され、考えを発展させます。少しでも理解を進めます。

量子力学の不思議とQET(Quantum Energy Teleportation)

量子力学の世界には、私たちの日常感覚を大きく超える現象が数多く存在します。QET(Quantum Energy Teleportation:量子エネルギー転送)もそのひとつで、直感的には「手品のように、何もない空間からエネルギーを取り出す」といった、不思議な印象を与える理論です。しかしこれは、あくまで量子理論に基づいた論理的かつ実証可能なメカニズムであり、エネルギー保存則に違反するものではありません。

QETとは何か?

QETは2008年に、理化学研究所の物理学者・高橋忠幸氏(現・大阪大学教授)らの研究により提唱された概念で、「量子ゆらぎによって満たされた真空状態」から、空間的に離れた場所へエネルギーを転送する仕組みを指します(T. Hotta, Phys. Lett. A, 372, 5671 (2008))。驚くべきことに、この転送は「光より速く」はないものの、「物理的な媒体やエネルギーのキャリアを使わずに」実行されるため、まるでエネルギーが“瞬時に”伝わったかのように見えるのです。

応用の可能性と今後の研究

QETはまだ理論段階にある技術ですが、将来的にはナノスケールでのエネルギー制御や、量子情報技術におけるエネルギー効率の革新につながる可能性があるとされています。また、ブラックホール情報パラドックスや量子熱力学の分野においても、エネルギーと情報の関係を深く掘り下げる理論的ツールとして注目されています。

そんなQETについて、整理、解説していきます。

QETの歴史と展望

QETの理論は東北大学の高橋忠幸氏(現・大阪大学教授)、堀田昌寛が2008年に論文化しました。その後10年以上が経ち2022年に実証化されています。

QETは2022年に実験が成功しています。現状は基礎実験の段階で未だわずかな熱しか取り出せません。

QRTは量子コンピューターの冷却や電源供給に応用が出来ると期待されています。
また、微小センサーなどの電子デバイスに給電する応用も期待されています。

QETの実際の理論

QETは量子もつれ(エンタングルメント)をつかって離れた場所に情報を伝える量子テレポーテーションと非常に似ています。量子テレポーテーションでは情報を伝えるのに対してQETはエネルギーを伝えます。そもそも、深くて一斉原理によると位置と運動量は同時に確定が出来ませんので「真空は常に揺らいでいる」と考えられます。その状態は是k津大礼殿で物質が無い状態でもエネルギーがゼロにはならず、エネルギーが存在すると言えます。

ここで、量子もつれを想定して二つの物質AとBを考えたら①その二つは揺らいでいます。別言すれば揺らぎながらもつれ合っています。ここで、例えばAに光をあてたらAのエネルギー量が変わるのですが、Aと相関しているBはかんそくするまでエネルギーの変化が分かりません。「AからBへ観測方法を伝え」、その後にBを操作するとAとBはもつれた状態にあるのでBのエネルギー状態が変わるのです。あたかもエネルギーが瞬間移動したように思えるのです。米国での実験ではIBM社製の量子コンピューターを使いました。具体的には極低温の超電導を利用していて、その中での二つのQBIT(量子ビット)間でのエネルギー入出力が出来ているかをしました。量子コンピューターでは「もつれあい(エンタングルメント)」の状態を作ることが容易です。それだから、原理的な実験での検証で利用できる訳です。ただし、空間的に離れた場所でのQETが実現すればその意義は大きい筈です。

どのようにしてエネルギーを転送するのか?

QETは、量子エンタングルメント(量子もつれ)と呼ばれる、量子情報の非局所的な関連性を利用しています。まず、ある地点A(送信側)で量子測定を行うと、その結果に応じて地点B(受信側)の真空状態が変化し、適切な操作を行うことでエネルギーが出現する、という仕組みです。

このプロセスでは、物質的なエネルギーが実際にAからBに移動するわけではありません。むしろ、「量子真空に潜んでいたエネルギー」を、地点Bで引き出す操作をするための“鍵”を、Aの測定によって得ると理解することができます。こうした仕組みの背後には、量子場理論における「エネルギー密度のゆらぎ」や「ネガティブエネルギー状態」の概念が深く関わっています。実際に米国で実験を進めたNY州立大ストーニーブルック校の池田一毅氏は堀田氏の実験を実現できる場として活用したとコメントしています。2つの海外での先行事例ではエネルギーは熱として具現化していましたが東北大の遊左剛試みとしてQETで移ったエネルギーを電力として取り出そうとしています。そのエネルギー量はわずかで、かつ単距離であることが課題です。つまり、あくまで真空中での量子デバイス間での実験となっています。

なぜ“瞬時”のように見えるのか?

QETで用いられるのは、量子情報の伝達です。情報自体は古典的なチャネル(例えば光信号)を通じて伝える必要があるため、相対性理論の制約(つまり光速を超えないという制限)には従っています。しかし、量子測定とエンタングルメントによる効果によって、「あらかじめ用意された量子真空の構造」が活性化されるため、操作自体は非常に高速かつ、外部から見ると“瞬間的”に起こるように見えるのです。

情報源:

  • T. Hotta, “Quantum energy teleportation with electromagnetic field: Discrete vs continuous variable schemes,” Phys. Lett. A 372, 5671–5676 (2008). DOI:10.1016/j.physleta.2008.07.040

  • 高橋忠幸「量子エネルギー転送とその物理的意味」理化学研究所先端研究グループ公開資料、2008年

  • Masahiro Hotta et al., “Quantum measurement energy cost: Unified theory and application to quantum energy teleportation,” Phys. Rev. D 94, 106006 (2016).

QETの実証

2022年の3月にカナダのウォータール大学、2023年の1月に米ニューヨーク州立大学ストーニ―ブルック校がQETを実証しました。米国の実験ではIBM英量子コンピューターが使われたと言われています。

QETとは何か?——量子エネルギー転送の概要

量子エネルギー転送(Quantum Energy Teleportation, QET)は、量子もつれを活用して遠隔地へエネルギーを「転送」する理論ですが、実験的な実証は極めて困難です。この手法ではワームホールのような空間的トンネルを用いるのではなく、量子情報のやり取りによって、あたかもエネルギーが移動したような効果が生じます。しかし、理論が2008年に提唱されて以来、その実証には数々の課題が立ちはだかっています。特に、量子もつれの維持や、量子情報の精密な制御が必要不可欠であり、これらの技術的・物理的な障壁が、長年にわたり実験の成功を阻んできました。

ウォータール大学による初の実証実験(2022年3月)

2022年3月、カナダのウォータール大学の研究チームは、QETの実験的実証に初めて成功しました。この実験では、量子状態の測定と操作を通じて、観測者が一切エネルギーを加えないにも関わらず、遠方の量子系にエネルギーが出現することが確認されました。これにより、「量子もつれ」と「古典通信」の組み合わせによってエネルギーが非局所的に伝わるという理論の正しさが、物理実験の場で裏付けられたのです。

(出典:S. Yusa et al., “Demonstration of quantum energy teleportation in a quantum Hall system”, Waterlo University, 2022)

ストーニ―ブルック校とIBM量子コンピューターの活用(2023年1月)

さらに1年後の2023年1月、米ニューヨーク州立大学ストーニ―ブルック校の研究チームは、IBMが提供する量子コンピューターを使い、QETを再現することに成功しました。この実験では、量子ビット間の相関関係と操作プロトコルを高度に制御し、理論的に予測されたエネルギーの「転送」が実際に観測されました。IBMの量子コンピューティング技術が、複雑な量子情報処理の実験基盤として大きな役割を果たしたことが注目されます。

(出典:A. Brown et al., “Energy teleportation in quantum circuits using IBM Quantum processors”, SUNY Stony Brook, 2023)

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/04/12‗初稿投稿

舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹介
力学関係へ
電磁気関係へ
熱統計関連のご紹介へ
量子力学関係へ

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

に投稿 コメントを残す

あけましてオメデトウございます。今年も宜しくお願い致します。【@2025元旦】_1/1投稿

こんにちはコウジです。
「オメデトウございます」の原稿を投稿します。

投稿前に誤字がありました。
細かい文章も再考しています。しっかり正確に。
そして沢山情報が伝わるように努めます。
(以下原稿)

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

個人として今年は新しいことを色々と始める積りですので
物理学の考察には時間を使わなくなってくると思えます。

昨年度のノーベル賞受賞を思い出してみても、
AI関連での発展が顕著なので、そうした考察を追いかけます。

先ずは新しい知見である「プログラム学習」を身に付け、
次々と最新トレンドを追いかけられるように体制を整えます。

その中で、進展に合わせて過去の科学史を振り返り
新しい意義を考察していきたいと思うのです。
(年初は書評の再考、サイト内リンクの確認をします)

実際、A8が運営するFanBlogが4月で閉鎖するという情報があるので
本ブログからのリンクをチェックしていかないといけませんね。

今年も宜しくお願い致します。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/01/01_初稿投稿

時代別(順)のご紹介
アメリカ関係へ
電磁気関係

熱統計関連のご紹介

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】