2026年2月18日2026年2月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すJ・チャドウィック【中性子を発見しガン治療に応用|マンハッタン計画でのリーダー】‐2/18改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)放射線測定器ガイガーカウンター Ranger 価格:147,400円(税込、送料別) (2024/1/16時点)楽天で購入 【スポンサーリンク】 【1891年10月20日 ~ 1974年7月24日】 【出典:Wikimedia Commons:James Chadwick】ラザフォードの弟子チャドウィックジェームズ・チャドウィックは研究環境で恵まれていました。マンチェスター大学の時代からラザフォードの指導を受け、 海外修業時代にはガイガーの下で放射線計測の知見を積み上げました。開発されたばかりのガイガーカウンターを使い 放射線特性での実績をあげます。第一次大戦終了後は ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で 再びラザフォードの下で研究を続けます。ドクター修了後も10年以上、 ラザフォードの助手を務めていました。キャンデビッシュ研究所での討論や助言は 多分に有益だったであろうと思われます。チャドウィック以外にも有能な研究者達が集まっていました。 その中で議論を交わしたのです。そんな中で チャドウィックは中性子を発見していきます。チャドウィックと中性子ベリリウムにアルファ粒子を衝突させた 1930年前後、ボーテ(Walther Bothe)らがベリリウムにアルファ粒子を衝突させる実験を行い、高い透過力をもつ未知の放射線を報告しました。続いて、イレーヌ・ジョリオ=キュリーらはこの放射線を高エネルギーのガンマ線と解釈しましたが、その説明には無理がありました。これらの知見を踏まえ、チャドウィックは電荷を持たない新たな粒子の存在を想定し、1932年に実験によって中性子の存在を明確に示します。 実験装置を工夫し、理論を完成させます。 原子核の理解にとって大きな前進です。 中性子が説明されたのです。ハイゼンベルク が「中性子とは陽子と電子の組ではなく 新たな核子である」と考察していましたが質量は未確定でした。その時点では実態の完全把握が未完でした。 そうした中性に対してチャドウィックは明確に質量を示し、 重陽子の光壊変によって中性子質量を確定します。質量の発見で原子構造をまた一つ明らかにしたのです。 更にチャドウィックは中性子がガン治療に有益であろうと考えます。 軍需産業と物理学者ただ残念な事に、 チャドウィックの時代は世界大戦の時代と重なります。 マンハッタン計画ではイギリスチームの リーダーとして計画を進めていました。 トリニティー実験も目の当たりにしたようです。自身が心血を注いで作り上げた概念が政治的に 利用されていく有り様をチャドウィックは、 どう感じていたのでしょうか。 不満だった筈です。その他、パウリとの議論の発展、 サイクルトロンの導入、 ノーベル賞の賞金の使い道については 追って、きちんと整理して再投稿したいです。本稿はひとまず筆を納めます。チャドウィックはキーズ・カレッジの学寮長として 晩年を過ごしています。そして、リヴァプール大学には 彼の名を冠した研究所が残っています。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/10/29_初回投稿 2026/02/18_改定投稿サイトTOP 舞台別のご紹介 時代別(順)のご紹介 イギリス関係 ケンブリッジ関連 熱統計関連のご紹介へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年10月時点での対応英訳)Rutherford’s disciple ChadwickJames Chadwick was blessed with a research environment. He has been under the guidance of Rutherford since the days of the University of Manchester, and during his overseas studies he accumulated his knowledge of radiation measurement under Geiger. He uses the newly developed Geiger counter to achieve a proven track record in radiation characteristics.After the end of World War I, he continued his work under Rutherford again at the Cavendish Laboratory at the University of Cambridge. After graduating from his doctor, he was an assistant to Rutherford for more than 10 years. The discussions and advice at the Candebish Institute were probably helpful. In addition to Chadwick, talented researchers were gathered. We had a discussion in that. Meanwhile, Chadwick discovers neutrons.Chadwick and neutronsIn the 1950s experiment of Beaute [Walther Bothe (Germany)] in which alpha particles collided with berylium, Chadwick gained knowledge and foresaw “neutrons”, which are theoretical particles without electric charges, and proceeded with consideration. We will proceed with the 1932 experimental verification of polonium and berylium by Irene Joliot-Curie, the son of Mr. and Mrs. Curie.He devises experimental equipment and completes the theory. It’s a big step forward in understanding the nucleus. Neutrons were explained. Heisenberg considered that neutrons are new nucleons rather than proton-electron pairs, but their masses are uncertain. At that time, a complete grasp of the actual situation was incomplete.Chadwick clearly indicates the mass for such neutrality, and the neutron mass is determined by the photodestruction of deuterons. The discovery revealed another atomic structure. In addition, Chadwick believes that neutrons may be beneficial in treating cancer.Munitions industry and physicistUnfortunately, the era of Chadwick overlaps with the era of World War. He was the leader of the British team in the Manhattan Project. He also seems to have witnessed the Trinity experiment. How did Chadwick feel that the concept he had created with all his heart and soul was being used politically? He must have been dissatisfied.In addition, I would like to keep track of the development of discussions with Pauli, the introduction of Cycletron, and the use of the Nobel Prize money, and repost it properly. This article will be written for the time being. Chadwick spends his later years as a dorm director at Keys College. And the University of Liverpool still has a laboratory bearing his name.〆FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年2月17日2026年2月7日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す仁科 芳雄【サイクロトロンを開発し素粒子を研究した「人たらし」】-2/17改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)励起 上 仁科芳雄と日本の現代物理学 [ 伊藤憲二 ] 価格:5,940円(税込、送料無料) (2024/1/15時点)楽天で購入 【スポンサーリンク】 【1890年12月6日生まれ ~ 1951年1月10日没】【Wikimedia Commons:Yoshio Nishina】人を育てた仁科さん仁科芳雄は稀代の「人たらし」だったと言われています。 仁科さんは人に惚れ込む性格でした。仁科さんが人に入れあげる性格で、 その人の良い所を見つけて、それを伸ばす。 そんな仁科さんの元に人が集まる。そんな風にして仁科さんの下に集まった沢山の人達を 育てあげていった凄さが仁科さんにはあるんです。仁科さん本人はオランダ・コペンハーゲンの ニールス・ボーアのもとで育ち、その自由闊達な コペンハーゲンの学風を日本に持ち込み、 多くの学者を育てました。1928年にオスカル・クラインとコンプトン散乱の 有効断面積を議論しています。また帰国後にはハイゼンベルクやディラックを 日本に招待して日本の中での物理学への 理解を深め啓蒙活動を続けています。更には、師であるボーアを日本に呼び寄せています。仁科さんとサイクロトロン 研究内容として仁科さんはサイクロトロンの建設を進めて、 様々な成果をあげてます。当時、ラザフォードらによって「原子核反応を引き起こせるだけの高エネルギーまで粒子を人工的に加速する装置(加速器)」の必要性が強く認識されていました。その装置サイクロトロン は国内初、世界で二番目の開発でした。 以後理化学研究所を拠点として開発は進み 「サイクロトロン建造技術はまさに理研のお家芸」 となっていくのです。【理化学件HPより抜粋】 そして、現在でもサイクロトロンを使った 素粒子の研究は続いています。そのサイクロンを大型化する際には仁科さんは 大変苦労しています。先行する カリフォルニア大学のローレンスとは日米関係の悪化に伴い 関係が悪くなっていったのです。実際、サイクロトロン関係の 情報交換は軍事的な側面を持つので出来なります。そして終戦と共に、 仁科さんが苦心して作り上げたサイクロンは GHQにより東京湾に破棄されてしまいます。仁科さんの晩年 戦後には仁科さんは理化学研究所の所長を務め、 科研製薬の前身となる会社で社長を務めましたが、 肝臓ガンを患い61歳で亡なってしまいます。放射線被ばくの影響もあったであろうと言われていて、 残念です。多くの人材育成に捧げた人生だったと感じています。|コスパ最強・タイパ最強・テックジム| プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】〆 以上、間違い・ご意見は 次のアドレスまでお願いします。 適時、返信・改定を致します。nowkouji226@gmail.com2020/12/13_初版投稿 2026/02/17_改定投稿舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介 東大関連のご紹介 力学関係のご紹介へ 熱統計関連のご紹介へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年10月時点での対応英訳)Nishina who raised peopleYoshio Nishina is said to have been a rare “human being”. Nishina-san had a personality that fell in love with people. He has the personality that Nishina puts into a person, and he finds the good points of that person and develops them. People gather under Mr. Nishina. In that way, many people gathered under Mr. Nishina, and Mr. Nishina has the awesomeness of raising them.Mr. Nishina himself grew up under Niels Bohr in Copenhagen, the Netherlands, and brought his free-spirited Copenhagen academic style to Japan and raised many scholars. He discusses the effective cross-sectional area of Compton scattering with Oskar Klein in 1928. After returning to Japan, he invited Heisenberg and Dirac to Japan to deepen his understanding of physics in Japan and continue his enlightenment activities. In addition, he is calling his teacher, Bohr, to Japan.Nishina-san and CycloneAs a research content, Mr. Nishina is proceeding with the construction of a cyclone and has achieved various results. Mr. Nishina is having a great deal of trouble in enlarging the cyclone. His relationship with the University of California, Berkeley, which preceded him, became worse as the relationship between Japan and the United States deteriorated. In fact, exchanging information related to cyclotrons is possible because it has a military aspect. And at the end of the war, the cyclone that was painstakingly created will be destroyed by GHQ in Tokyo Bay.Nishina’s later yearsAfter the war, Mr. Nishina was the director of RIKEN and the predecessor of Kaken Pharmaceutical, but he suffered from liver cancer and died at the age of 61. It is a pity that he was said to have been affected by radiation exposure. He feels that he was a life dedicated to a lot of human resources development.FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年2月16日2026年2月6日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すエドウィン・パウエル・ハッブル_【赤方偏移を示し膨張宇宙論を論じました】-2/16改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)ハッブル 宇宙を広げた男 (岩波ジュニア新書 838) [ 家 正則 ] 価格:990円(税込、送料無料) (2024/1/14時点)楽天で購入 【スポンサーリンク】 【1889年11月20日 ~ 1953年9月28日】【Wikimedia Commons:Edwin Hubble】ハッブルの意外な側面ハッブルは近代の天文学者で、ハッブルの法則等で有名です。膨張宇宙論として理解出来ます。そんな大天文学者ですが、高校時代は陸上で イリノイ州の記録を更新したりしていました。そんな少年時代は後の人生と全く違いますね。 そして、大学時代はボクシングでならし、 とあるプロモーターから世界チャンピオン との一戦を持ちかけられた程の強さでした。これまた意外ですね。ハッブルの業績ハッブルの業績で大きいのは赤方偏移の発見でしょう。 1929年、ハッブルはセファイド変光星の「変光周期と絶対光度の関係」を用いて銀河までの距離を測定しました。その距離測定と、銀河スペクトルに見られる赤方偏移を突き合わせることで、銀河が距離に比例して遠ざかっているという関係を見いだしたのです。赤方偏移とはドップラー効果を考慮した考えで 観測可能な大部分の銀河の光が**波長の長い方向(赤い色の方向)**へずれて観測される現象です。遠ざかっていく救急車の音が鈍くなっていくと 思い出してください。(これは「音」での話)ハッブルが考える宇宙論では無論、直接の実験は出来ません。 使える理論も検証の為に理論が必要となる学問体系でした。反面ハッブル提唱の赤方偏移は宇宙理論に明快な方向性 を与え、次の考えに繋がっていくのですその後のハッブルの軌跡赤方偏移の考えから 膨張宇宙論の考えが裏付けられ、ひいては ビックバーン理論へとつながっていったのです。また、我々が暮らす銀河と 別の銀河を見つけた業績も特筆すべきです。〆 【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/11/08_初稿投稿 2026/02/16_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 アメリカ関係へ 力学関係へ 電磁気関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年10月時点での対応英訳)The surprising side of HubbleHubble is a modern astronomer who is famous for Hubble’s law, which characterizes the theory of expanding cosmology. Although he is such a great astronomer, he used to break records in Illinois on land when he was in high school. Such a boyhood is completely different from later life. And when I was in college, I was so strong that I was able to get used to boxing and a promoter offered me a fight against a world champion. This is also surprising.Hubble’s achievementsHubble’s achievements will be the discovery of a redshift. He derived the idea of redshift by observing the relationship between brightness and variable period from the observation of Cepheid variable stars in 1929. Redshift is a phenomenon in which the light of most galaxies that can be observed is biased toward a shorter wavelength (red direction) in consideration of the Doppler effect. Recall that the sound of an ambulance moving away is slowing down. TwiceHubble’s cosmology, of course, does not allow direct experiments. The theory that can be used was also an academic system that required theory for verification. On the other hand, Hubble’s redshift gives a clear direction to the theory of the universe and leads to the next idea.Hubble’s trajectory after thatThe idea of redshift supported the idea of expanding cosmology, which in turn led to the Big Burn theory.Also noteworthy is his achievement in finding a galaxy different from the one we live in.〆FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年2月15日2026年2月5日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すヴァルター・ゲルラッハ【シュテルンと銀粒子の縮退解放の実験を実現】-2/15改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)https://amzn.to/4aSbYo2量子の世界をみる方法 「スピン」とは何か【電子書籍】[ 村上洋一 ] 価格:1,210円 (2024/1/13時点)楽天で購入 【スポンサーリンク】 【1889年8月1日生まれ ~ 1979年8月10日没】【出典:Wikimedia Commons:Walther Gerlach】 実験家ゲルラッハゲルラッハはシュテルンと共に行った実験で有名です。本ブログの中でのシュテルンのご紹介は関連人物を中心としており、 実験内容が伝えられていませんでした。それなので、 ゲルラッハと実験内容について語りたいと思います。その実験はゼーマンとローレンツによる実験と通じる部分があります。 古典的な考えだけでは説明出来ない量子力学的な状態である 「縮退」を考慮する必要があるという結論に繋がります。ゼーマン効果ではナトリム原子からの電磁波が対象で 波動的側面から現象が理解できます。一方で ゲルラッハの実験では加熱して蒸発した銀粒子が対象 ですので粒子的側面から現象が理解できます。其々の実験対象において磁場をかけた時に縮退が 解けていく様子が観察されます。古典的な予測では輝点に幅が出ると予想されます。 二つの輝点に分かれる現象は古典的に説明が出来ません。実験の歴史的意義 具体的にゲルラッハとシュテルンが行った実験では、銀原子がもつ磁気モーメントが磁場中で分離される様子が観測されました。これは後に電子スピンの存在によって理解される現象です。加熱された銀粒子がビーム状に放射されている時に ビーム経路に対して垂直に磁場をかけます。壁に当てたビームの輝点を見てみた時に古典論では輝点は一つです。 所が、ゲルラッハとシュテルンの実験では 「縮退の解けた」2点がはっきりと見てとれたのです。量子力学的な考えに従うと、電子はスピンを持ち、 磁場に対して同じ方向のスピンと逆の方向のスピンが存在します。 だから、磁場に対する軌跡が異なるのです。この実験はゲルラッハが実現したようですが シュテルンがドイツから亡命していた事情と、 政治絡みの判断、が相まって当初は ゲルラッハの名は表に出ませんでした。後日談 さて、話を現代に近づけると、 2012年に日本で半導体内部に対して 同じ原理を使い同じ結果を得てます。アイディアの種は色々な所にありますね。強磁性体外部磁場を用いずに電子のスピン を揃えることに世界で初めて成功_2012年12月https://www.ntt.co.jp/journal/1212/files/jn201212058.pdf〆|コスパ最強・タイパ最強・テックジム| プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/10/31_初稿投稿 2026/02/15_改定投稿舞台別の纏めへ 時代別(順)のご紹介 ドイツ関係のご紹介へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年10月時点での対応英訳)Famous experimenter GerlachGerlach is famous for his experiments with Stern. The introduction of Stern was centered around related people, and the content of the experiment was not communicated. I would like to talk about Gerlach and his experiments. The experiment has some similarities to the experiment by Zeeman and Lorenz. It leads to the conclusion that it is necessary to consider the degeneracy of quantum mechanical states that cannot be explained by classical ideas alone.In the Zeeman effect, electromagnetic waves from Natrim atoms are targeted, and the phenomenon can be understood from the wave side. On the other hand, in the Gerlach experiment, the target is silver particles that have been heated and evaporated, and the phenomenon can be understood from the particle side. It is observed that the degeneracy is released when a magnetic field is applied to each experimental object. The classical prediction is that the bright spots will be wider. The phenomenon of splitting into two bright spots cannot be explained classically.Historical significance of the experimentSpecifically, in the experiments conducted by Gerlach and Stern, the electron spins in the silver particles are separated by a magnetic field. When the heated silver particles are radiated in a beam shape, a magnetic field is applied perpendicular to the beam path. When you look at the bright spots of the beam that hits the wall, there is only one bright spot in classical theory. However, in the experiments of Gerlach and Stern, two points that were “degenerate” were clearly visible.According to quantum mechanics, electrons have spins, and there are spins in the same direction and spins in the opposite direction to the magnetic field. Therefore, the trajectory with respect to the magnetic field is different. This experiment seems to have been realized by Gerlach, but the name of Gerlach was not revealed at the beginning due to the combination of Stern’s exile from Germany and political judgment.Later talkNow, let’s get closer to the present age. In 2012, we used the same principle inside semiconductors in Japan and obtained the same results. There are many seeds of ideas.World’s first success in aligning electron spins without using ferromagnets or external magnetic fields_December 2012https://www.ntt.co.jp/journal/1212/files/jn201212058.pdf〆FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年2月14日2026年2月4日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すハリー・ナイキスト_【微視的な揺らぎと熱を考察したアメリカの物理学者】‐2/14 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)https://amzn.to/47Myo7D 【スポンサーリンク】 【1889年2月7日 ~ 1976年4月4日】【出典:Wikimedia Commons:Harry Nyquist 】アメリカに帰化したナイキストの生まれナイキストはスウェーデンに生まれました。1907年に家族がアメリカ合衆国に移り住み その後、帰化しています。その時点でナイキストはハイスクール修了くらいでしょう。 アメリカの名門、イェール大学を卒業した後に 1917年からAT&T研究所(Wikipedia_Info)で研究します。その後もナイキストはベル研究所で研究します。アインシュタインがブラウン運動で考えた様に、 ナイキストは微視的な分子の運動と 巨視的に観測される物理量の間の応答関係を考えています。ベル研究所でナイキストは研究を進め1926年に ジョンソンが発見した熱雑音に対して、後に揺動散逸定理と呼ばれる考え方の原型を用いて、理論的な根拠を与えます。 ナイキストの熱雑音とは揺らぎという言葉 でも表現される新しい概念です。例えば交流電流が流れる時の熱雑音を考えてみると、 流れる交流の周波数に関わらずに回路の設計とも 無関係に電流が流れる時点で熱雑音が生じます。熱雑音とはそうした性質を持つ物理量なのです。 ナイキストの様々な業績また、 ナイキストは一方でFB(フィードバック)増幅器の 安定性を研究します。別途、特筆すべきは 離散化された信号の「サンプリング」に関する 処理手法でしょう。そのナイキストが提唱した周波数は ナイキスト周波数と呼ばれ信号処理の世界では 今や基礎的な理念となっています。実用的には「2の8乗である256」から考えて、 2.56倍のサンプリング周波数を使い計測する事で (現代主流となっている回路設計では) ナイキスト周波数を保証しています。また、彼の考案した「ナイキスト線図」は 極座標を使い対象系の安定性を議論します。ナイキスト線図も系の安定性を考える為に 現代の信号処理の世界で使われていて、 今でも市販のアナライザーに一つの機能として搭載されています。 そうした数々の成果をナイキストは残しました。〆|コスパ最強・タイパ最強・テックジム| プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 頂いたメールは全て見ています。 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 アメリカ関連のご紹介へ イェール大学関連のご紹介へ 熱統計関連のご紹介へAIでの考察(参考)2020/11/10_初稿投稿 2026/02/14_改定投稿【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年10月時点での対応英訳)Nyquist naturalized in the United StatesNyquist was born in Sweden. He has been naturalized since his family moved to the United States in 1907. At that point, Nyquist will have completed high school. He has been studying at the AT & T Institute since 1917 after graduating from the prestigious Yale University in the United States. Nyquist then studies at Bell Labs.As Einstein thought in Brownian motion, Nyquist considers the response relationship between microscopic molecular motion and macroscopically observed physical quantities. At Nokia Bell Labs, Nyquist pursues his research and uses the “fluctuation-dissipation theorem” to provide a rationale for the thermal noise discovered by Johnson in 1926. The thermal noise there is also expressed by the word fluctuation. For example, considering the thermal noise when an alternating current flows, it occurs when the current flows regardless of the frequency of the flowing alternating current and regardless of the circuit design. Thermal noise is a physical quantity that has such properties.Various achievements of NyquistNyquist also studies the stability of FB amplifiers, on the other hand. Separately, what should be noted is the processing method related to sampling of discretized signals. The frequency advocated by Nyquist is called the Nyquist frequency and is now a basic idea in the world of signal processing. Practically, considering from 256, which is 2 to the 8th power, the Nyquist frequency is guaranteed (in the mainstream circuit design) by measuring using a sampling frequency of 2.56 times.In addition, his “Nyquist diagram” uses polar coordinates to discuss the stability of the target system. The Nyquist diagram is also used in the modern signal processing world to consider the stability of the system, and is still installed as a function in commercially available analyzers.FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年2月13日2026年2月3日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すオットー・シュテルン【アインシュタインと同じくドイツを逃れた実験家】‐2/13改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)https://amzn.to/47qJYot 【スポンサーリンク】 【1888年2月17日生まれ ~ 1969年8月17日没】【Wikimedia Commons:Otto Stern portrait】 戦時下の物理学者シュテルンシュテルンはドイツ生まれの物理学者でナチスに追われアメリカへ移ります。シュテルンはドイツ生まれの物理学者で、若い頃にプラハ大学に滞在していたアインシュタインと出会います。その後、研究交流を重ねながらチューリッヒ工科大学をはじめとする欧州の研究拠点で活動していきました。きっと気の合う議論相手だったのでしょう。調べていくと共にユダヤ系である事情が大きいと感じます。 何より、ホロコーストが実際に行われていた時代です。同じ恐怖と憤りを感じて反体制の話もしていたことでしょう。シュテルンはドイツ本国で当時の感心事であった 原子線の研究をします。実験の様子としては、 温度をどんどんあげていって金属が光り出して その後も、更に温度をあげていきます。例えば、具体的に金属を恒温槽の中にいれて 小さな窓から出てくる光の様子を見るのです。シュテルンの実験の様子 その窓から連続して特定の粒子を放出する事で 粒子の性質を明らかにしていきます。結果としてヴァルター・ゲルラッハと共に 歴史的な実験を完成させました。この実験で注目したのは「個別粒子の磁気的性質」です。 加熱して蒸発させた銀の粒子をビーム状に放出した時に その粒子線に対して磁界をかけたのです。すると、 放出粒子は二つに分かれて一点だった輝点 (粒子の当たった場所)が二点の輝点となります。 この事実は 粒子にスピンがある事で説明が出来るのです。 つまり、放出粒子自体が磁気的な性質を 初めから持っているのです。そして戦争に伴い、ナチスにハンブルグ大学の 地位を追われたシュテルンはアインシュタインと共に 1933年アメリカに亡命します。戦後ナチス政権下で教授を続けたゲルラッハと対照的ですね。 最終的にはUCB(カリフォルニア大学バークレー校) で名誉教授を務めます。81歳の生涯でした。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 問題点には返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/10/31_初版投稿 2026/02/13_改定投稿舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 アメリカ関連のご紹介へ カリフォルニア大学関連のご紹介へ ドイツ関連のご紹介へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年10月時点での対応英訳)Wartime physicist SternStern is a German-born physicist who is chased by the Nazis and moves to the United States. Stern first met Einstein at the University of Prague in Poland and moved to the ETH Zurich together. Was he a friendly debate? As he proceeded with his investigation, I felt that he was of Jewish descent. Above all, it was the time when the Holocaust was actually taking place. He would have felt the same fear and resentment and talked about the dissident.Stern will study atomic beams in Germany, which was a sensation at the time. In his experiment, he keeps raising the temperature even after the metal shines. For example, he specifically puts metal in a constant temperature bath and sees it coming out of a small window.Stern’s experimentWe will clarify the properties of particles by continuously emitting specific particles from the window. As a result, he completed his historic experiment with Walther Gerlach. The focus of this experiment is on the “magnetic properties of individual particles.” When the heated and evaporated silver particles are emitted in the form of a beam, a magnetic field is applied to the particle beams. Then, the particle is divided into two and the bright spot (the place where the particle hits), which was one point, becomes two bright spots. This fact can be explained by the fact that the particles have spin.Stern, who was displaced by the Nazis from the University of Hamburg due to the war, went into exile in the United States in 1933 with Einstein. This is in contrast to Gerlach, who continued to teach under the Nazi regime after the war.He will eventually be an emeritus professor at UCB (University of California, Berkeley). He was 81 years old. FacebookXBlueskyHatenaCopy
2025年11月13日2025年11月13日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す100年を迎える東京大学地震研究所(ERI)が築いた地震学とこれからのAI時代 本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。1.1 設立背景と制度整備震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。【地震研究の主要年表】年出来事関連人物・機関1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉1923年関東大震災内務省震災予防調査会1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC第2章:技術革新と地震学の転機地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。第3章:AI時代の地震研究と未来展望AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。3.2 国際共同研究・データ共有の潮流米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。【用語解説】地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。まとめ東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。参考文献: ・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊) ・東京大学地震研究所公式サイト(ERI) ・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2025/11/13_初稿投稿サイトTOPへ 時代別(順)のご紹介 17世紀生まれの物理学者へ 18世紀生まれの物理学者へ 19世紀生まれの物理学者へ 20世紀生まれの物理学者へFacebookXBlueskyHatenaCopy
本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。1.1 設立背景と制度整備震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。【地震研究の主要年表】年出来事関連人物・機関1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉1923年関東大震災内務省震災予防調査会1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC第2章:技術革新と地震学の転機地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。第3章:AI時代の地震研究と未来展望AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。3.2 国際共同研究・データ共有の潮流米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。【用語解説】地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。まとめ東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。参考文献: ・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊) ・東京大学地震研究所公式サイト(ERI) ・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2025/11/13_初稿投稿サイトTOPへ 時代別(順)のご紹介 17世紀生まれの物理学者へ 18世紀生まれの物理学者へ 19世紀生まれの物理学者へ 20世紀生まれの物理学者へ
2025年11月9日2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す学士院賞をもらった後で 【2021-08-02‗topクォーク_CP破れ 】 (以下は全て引用文章です)2021-08-02 ・益川さんが学士院賞をもらった後で私の勤めていたE大学工学部に非常勤講師として来てもらったことがあった。実はその前の年度に来てほしいと要請を研究会に出かけた友人のEさんにことづけしたのだが、その年度はすでに3件の非常勤講師を引き受けていて無理だから、つぎの年は優先して予定に入れておくという話だった。そしてその約束を次の年度には果たしてくれたのであった。もっともそれは彼と小林さんがノーベル賞を受賞するずっと以前のことである。たぶんそのころでもいつかはノーベル賞を受賞するのではないかと思われてはいたが、それでもまだ実験的なevidenceがまだだったと思う。topクォークが発見されたのはそのあと数年してであったと思う。CPの破れの実験的検証とどちらが先だったか。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへFacebookXBlueskyHatenaCopy
2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す益川さんが亡くなった 【2021-07-30‗名古屋大学_81歳】 2021-07-30・先日、Steven Weinbergが亡くなったと書いたばかりだったが、旧知のノーベル賞物理学受賞者の益川敏英さんが亡くなったと知った。昨夜、ドイツ語のオンラインのクラスの途中で、妻がスマホを見て、教えてくれたので、知っていたが、今日の朝日新聞に大きな写真と共に記事が出ていた。名古屋大学の大学院生たちだった益川さんたちが大挙して広島の私たちの研究室を訪れたことはまだ昨日のように覚えている。ほとんど私と同年の人たちであった。みんな、なかなか多士多才の人たちであり、その中でも益川さんはみんなの尊敬を集めているらしいことは分かった。それから何回か私が名古屋の会議にでかけたときにも、友人たちと帰りにどこかに夕食に誘っ てくれた。もう何十年もあってはいなかったが、彼は偉くなっても人柄があまり変わるというふうではなかった。それはノーベル賞をもらった後でも変わらなかったと思う。私よりは1歳年下の81歳だったという。戦争を空襲を受けたという経験で知っている最後の世代だった。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへFacebookXBlueskyHatenaCopy
2025年11月9日2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す大栗博司さんの本を手に入れた 【2021-07-13_中西襄先生 】 2021-07-13 ・注文していた大栗博司さんの書いた本を手に入れた。『探求する精神』(幻冬舎新書)である。朝日新聞の書評で物理学者の須藤靖さんが激賞していた。大栗さんには個人的な面識はないが、私たちの発行している「数学・物理通信」の送り先の一人である。大栗さんはもちろん京都大学名誉教授の中西襄先生の友人知人の一人であるから、中西先生からの推薦されたメールアドレスに加わっている。数日はこの本で楽しむことができるであろう。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへFacebookXBlueskyHatenaCopy