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オランダ関係の物理学者
【ホイヘンス・ライデン瓶・ローレンツ・そして幾多の議論】-4/27改訂

以下でTopページ改訂履歴を残します。変わりますね、いろいろと。
リンク切れがないか、盛り込めるリンクがないか検討しています。
この部分は自動化できるはずですね。いつか。

(以下原稿です)

↑Credit:Pixabay↑

オランダは人口1700万人でGDPでは世界のベスト10に入りませんが
一人あたりのGDPで考えると7位となり
幸福度の高い生活を送っています。(2021年4月情報)

オランダ黄金時代と呼ばれた時代もあり、
長い内戦の時代も経てきた国です。日本とは
東インド会社での貿易関係が有名ですね。

世界観を変えていく議論が繰り広げられました。
そして、今でも議論は
続いています。
私の投稿では殆どライデン大学の関係者ばかりですね。

現在ではデルフト工科大学で超電導関係の成果が
続々と伝わってきています。追って補足出来たらいいですね。
ご存命中の人も含めて紹介していきたい部分です。
オランダに長期滞在した人を含めて紹介させて下さい。
以下、列記します。


C・ホイヘンス
_1629年4月14日 ~ 1695年7月8日

バールーフ・デ・スピノザ‗1632年11月24日 – 1677年2月21日

P・V・ミュッセンブルーク_1692年3月14日 ~ 1761年9月19日

H・A・ローレンツ
_1853年7月18日 ~ 1928年2月4日


ヘイケ・K・オンネス
_ 1853年9月21日~1926年2月21日

ピーター・ゼーマン_1865年5月25日 ~ 1943年10月9日

A・アインシュタイン
_1879年3月14日~1955年4月18日【長期滞在】


ポール・エーレンフェスト
_1880年1月18日 ~ 1933年9月25日

ピーター・デバイ_ 1884年3月24日 ~ 1966年11月2日

エンリコ・フェルミ
_1901年9月29日 ~ 1954年11月28日


P・ディラック
_ 1902年8月8日~1984年10月20日【長期滞在】


ハイゼンベルク
1901年12月5日 ~ 1976年2月1日【長期滞在】

他、フィリップ・シーボルト、西周

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に関しては
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/13_初回投稿
2026/04/27_改定投稿

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アレクサンダー・グラハム・ベル
【Alexander Graham Bell‗1847年3月3日 ~1922年8月2日】 — 声を「距離」から解放した発明家 —4/27改訂

こんにちは。コウジです。
新規投稿文の調整です。

リンクなどを改定しました。
ご覧ください。(以下原稿)


【Alexander Graham Bell portrait public domain】

 

私たちは日常的に、遠く離れた相手と音声で会話をしています。
しかし、この当たり前の行為は、かつては不可能と考えられていたものでした。

音を電気信号として伝えるという発想を現実のものとし、
「電話」という革新的な装置を生み出した人物がいます。

アレクサンダー・グラハム・ベルは、通信技術の歴史を根本から変えた
だけでなく、聴覚や音声に関する研究を通じて、人間のコミュニケーション
そのものに新たな可能性を開きました。

本記事では、ベルの「業績」「人物像」「後世への影響」を軸に、
その研究人生と知的遺産を丁寧に読み解いていきます。


アレクサンダー・グラハム・ベルの業績概略 — 電話の発明と通信革命

音声を電気に変えるという発想

ベルの最大の業績は、音声を電気信号へと変換し、
それを連続的な波として遠距離に伝送する技術の確立にあります。

これは単なる発明ではなく、
音という物理現象(振動)
を電磁気現象へ写像する試みでした。

この発想は、後の通信工学や信号処理、さらには
情報理論へとつながる重要な転換点となります。

従来の電信はモールス信号のような単純な信号
しか送ることができませんでしたが、ベルは
「人間の声そのものを伝える」という新しい課題に挑みました。

その結果として誕生したのが電話であり、1876年に特許を取得
したこの発明は、世界中の通信のあり方を一変させました。

なお、ベルと同時期にはエリシャ・グレイも類似の技術を開発しており、
電話の発明をめぐっては特許争いが存在したことでも知られています。

電話の実用化と普及

ベルは単に発明を行うだけでなく、その実用化にも尽力しました。
電話会社の設立や技術改良を通じて、通信網の整備が進み、
音声通信は急速に社会へと広がっていきました。

これにより、人と人との距離は大きく縮まり、
現代社会の基盤となるコミュニケーション手段が確立されていきます。

聴覚研究と教育への貢献

ベルは電話の発明者として知られていますが、
もともとは聴覚や発声に関する研究者でした。

特に聴覚障害者の教育に強い関心を持ち、音声教育の方法を
研究し続けました。
この研究は、単なる工学的成果にとどまらず、
人間の感覚とコミュニケーションの理解を深めるものでもありました。


アレクサンダー・グラハム・ベルの人物像
— 研究と社会をつないだ実践者

スコットランドからアメリカへ

ベルはスコットランドのエディンバラに生まれました。その後、
家族とともにカナダを経てアメリカへ移住し、新しい環境の中で
研究と教育の活動を開始します。
彼の国際的な移動は、
当時の科学と産業の中心地へと接続する重要な要素となりました。

ボストンでの研究と教育活動

ベルはアメリカのボストンにおいて、聴覚障害者の教育に従事しながら
研究を進めました。
ボストン大学では音声生理学の講師として活動し、
この時期に音と電気の関係についての研究を深めていきます。
電話の発明は、まさにこの研究環境の中から生まれたものでした。

発明家としての実行力

ベルの特徴は、理論だけでなく実際の装置として完成させる実行力にありました。
彼は研究成果を社会に実装することを重視し、その結果として
電話という形で世界に影響を与えることになります。
この姿勢は、
研究と社会を結びつける重要性を示していると言えるでしょう。


後世への影響 — 現代通信社会の原点

通信インフラの基盤形成

ベルの発明した電話は、現代の通信インフラの出発点となりました。
その後のインターネットやモバイル通信も、「情報を遠距離に伝える」
という基本思想の延長線上にあります。

情報社会への転換

音声通信の普及は、人間のコミュニケーションのあり方を大きく変えました。
距離による制約が緩和されることで、
経済活動や社会構造にも大きな影響を与えたと考えられます。

科学と社会の関係への示唆

ベルの人生は、科学的発見が社会と結びつくことで初めて
大きな価値を持つことを示しています。
現代においても、技術革新を
どのように社会へ実装するかという課題は重要であり続けています。


まとめ:声をつなぐことで世界を変えた発明家

アレクサンダー・グラハム・ベルは、音声という人間の最も基本的な
コミュニケーション手段を、距離の制約から解放しました。

その成果は、単なる技術的発明にとどまらず、
社会の構造そのものに影響を与えるものでした。

彼の研究は、理論・実践・社会の三者を結びつけることで、
新しい価値が生まれることを示しています。

そしてその影響は、現代の情報社会においても
なお続いていると言えるでしょう。


〆さいごに〆

以上、間違いやご意見などがございましたら、
以下のアドレスまでご連絡ください。

内容については確認のうえ、
適宜返信・改定を行わせていただきます。

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2026/04/06_初版投稿
2026/04/27_改訂投稿

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AIでの考察(参考)

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(以下、2026年4月時点での対応英訳)

Date of Birth: March 3, 1847
Date of Death: August 2, 1922

Today, we routinely speak with people far away through voice communication. However, this seemingly ordinary act was once considered impossible.

There was a man who turned the idea of transmitting sound as electrical signals into reality and created the revolutionary device known as the telephone.

Alexander Graham Bell not only fundamentally transformed the history of communication technology, but also opened new possibilities for human communication itself through his research on hearing and speech.

In this article, we will carefully examine Bell’s research life and intellectual legacy through three key perspectives: his achievements, his character, and his influence on later generations.


Overview of Alexander Graham Bell’s Achievements — The Invention of the Telephone and the Communication Revolution

The Idea of Converting Sound into Electricity

Bell’s greatest achievement lies in establishing the technology to convert sound into electrical signals and transmit them over long distances.

Traditional telegraph systems could only send simple signals such as Morse code. Bell, however, took on the entirely new challenge of transmitting the human voice itself.

The result was the telephone. Patented in 1876, this invention dramatically transformed communication around the world.


Practical Implementation and Spread of the Telephone

Bell did not stop at invention; he also worked toward practical implementation.

Through the establishment of telephone companies and continuous technological improvements, communication networks expanded rapidly, and voice communication spread throughout society.

As a result, the distance between people was greatly reduced, and a fundamental communication method of modern society was established.


Contributions to Hearing Research and Education

Although Bell is best known as the inventor of the telephone, he was originally a researcher of hearing and speech.

He had a strong interest in the education of people with hearing impairments and continuously studied methods of speech education.

This work went beyond engineering achievements, contributing to a deeper understanding of human perception and communication.


Character of Alexander Graham Bell — A Practitioner Who Bridged Research and Society

From Scotland to America

Bell was born in Edinburgh, Scotland.

He later emigrated with his family to the United States via Canada, where he began his work in research and education within a new environment.

His international movement connected him to the centers of science and industry at the time.


Research and Teaching in Boston

In Boston, Bell conducted research while working in the education of the hearing impaired.

At Boston University, he served as a lecturer in vocal physiology, deepening his research on the relationship between sound and electricity.

The invention of the telephone emerged precisely from this research environment.


Execution as an Inventor

One of Bell’s defining traits was his ability to transform theory into practical devices.

He placed great importance on implementing research outcomes in society, ultimately influencing the world through the invention of the telephone.

This approach highlights the importance of linking research with real-world application.


Influence on Later Generations — The Origin of Modern Communication Society

Foundation of Communication Infrastructure

The telephone invented by Bell became the starting point of modern communication infrastructure.

Later developments such as the internet and mobile communication can be seen as extensions of the fundamental idea of transmitting information over distance.


Transition to the Information Society

The spread of voice communication significantly transformed the nature of human interaction.

By reducing the constraints of distance, it also had a major impact on economic activity and social structures.


Implications for the Relationship Between Science and Society

Bell’s life demonstrates that scientific discoveries gain their full value when they are connected to society.

Even today, the challenge of how to implement technological innovation in society remains highly important.


Conclusion — The Inventor Who Changed the World by Connecting Voices

Alexander Graham Bell freed one of humanity’s most fundamental means of communication—voice—from the constraints of distance.

His achievement was not merely a technological invention, but one that transformed the very structure of society.

His work shows that new value emerges when theory, practice, and society are brought together.

And its influence continues even in today’s information-driven world.

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100年を迎える東京大学地震研究所(ERI)が築いた地震学とこれからのAI時代

東大

本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。


第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人

関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。

1.1 設立背景と制度整備

震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。

1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築

1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。

1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新

大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。

【地震研究の主要年表】

出来事関連人物・機関
1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学
1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉
1923年関東大震災内務省震災予防調査会
1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒
1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男
2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC

第2章:技術革新と地震学の転機

地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。

2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ

地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。

2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及

地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。

2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化

1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。


第3章:AI時代の地震研究と未来展望

AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。

3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果

ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。

3.2 国際共同研究・データ共有の潮流

米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。

3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学

完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。

【用語解説】

  • 地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。
  • AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。
  • DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。

まとめ

東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。

参考文献:
・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊)
・東京大学地震研究所公式サイト(ERI
・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)

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F. J. Dysonの死 【2020-03-02‗95歳_ノーベル賞 】

(以下全て転載内容)

2020-03-02 ・

昨日の新聞でF. J. Dysonが亡くなったのを知った。95歳だったという。

朝永、Schwinger, Feynmanの量子電磁気学の理論をまとめた理論をつくった人として知られている。

同じ年代の物理学者C. N. YangはDysonが上の3人と一緒にノーベル賞をもらえなかったことについて上記3人にだけノーベル賞を授与した委員会の批判的であった。

同じ業績に対して3人までの受賞者とするノーベル賞委員会の不文律があるのをC.N. Yangが知らないはずはない。だが、そういう不文律を破ることも、また意味があるくらい量子電磁気学のくりこみ理論に対するDysonの寄与は大きかったとYangは評価していたのだろうと思う。

Yangももう高齢だと思うが、彼はまだ生存しているのではないかと思うが、定かではない。

Dysonと聞くと、私の妻などはどうも自動で掃除する電気掃除機のようだねと言っていた。最近ではDysonという名前の自動掃除機が販売されている。

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テラー 【2019-08-09‗オッペンハイマー_ダイソン 】

(以下全て転載内容)

2019-08-09 ・テラーとは水爆をつくったエドワード・テラーのことである。

NHKの昨夜の「フランケンシュタインの誘惑」ではオッペンハイマーを権力の座から追い落して、自分が表にでて、水爆をつくったのはよかったが、オッペンハイマーを追い落とす査問委員会の証言で彼に不利な証言をしたために、その後の科学者社会とのつきあいがなくなって、晩年はとてもさびしかったのではないかとの話であった。

ピアノを弾くのが好きであったから、晩年はピアノを弾いて過ごしたという。それでもあからさまにつきあいはなかったかもしれないが、ノーベル賞学者のヤンはテラーの支持でシカゴ大学で学位をとったので、少しはテラーに同情的であった。

量子電気力学の業績で知られる、ダイソンもそれほどテラーを嫌ってはいなかったらしい。でも昔からの友だちはみんなテラーから離れてしまったことはたぶん間違いがない。

テラーは山登りも好きであった。若いときに、これはたぶんハンガリーにいたときの話だが、電車にはねられて脚を折ったとか聞いている。だから脚がわるかったはずだ。

なかなか直観的な理解をする人だとも聴いている。テラーの群論の理解が直観的であったとかヤンの書いた文章で読んだことがある。

ただ権力的なところがあり、ちょっと科学者仲間からは人生の途中から大いに敬遠された。

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エディトンとチャンドラセカール 【2019-06-21 _星の一生_プリンキピア】

(以下全て転載内容)

2019-06-21 ・エディトンとチャンドラセカールとの奇しき因縁を昨夜のNHKのテレビの放送ではじめて知った。エディトンは1916年だったかに観測隊を指揮してアフリカに出かけて、日食のときの星の位置を観測して、それを普通のときの星の位置ときに見える位置と比較して、一般相対性理論の重力による光の曲り方が相対論の予言と一致することを示した。

一般相対性理論では3つの実験的検証があるが、そのうちの一つである。ちなみに一般相対論の残り二つの実験的検証は「水星の近日点の移動」と「光のスペクトルの赤方偏移」である。

それはさておき、星の一生を研究したエディントンは星の最後は白色矮星になることであると結論した。ところがチャンドラセカールはもし星が太陽の30倍以上の質量をもつと星の最後は白色矮星にはならず、ブラックホールになると予言した。

エディントンはこの仮説を認めず、チャンドラをイギリスから追い払った。チャンドラは優秀な人であったから、アメリカに行き、そこでブラックホールとは関係のない,星の研究をしていたが、水爆実験か何かの折に出てくる光か何かの電磁波のスぺクトルが、チャンドラの予言したブラックホールの予想した電磁波のスペクトルに類似しているとの手紙を若い学者から受け取り、約40年前の自分の理論が正しかったことを知るようになった。

シカゴの郊外の天文台に勤めていたチャンドラはシカゴ大学の大学院の講義にでかけてきていたが、彼の教えていたクラスからはヤンやリーとかノーベル賞受賞者が続出していたという。その後、彼自身もノーベル賞を受賞した。

何年間かあるテーマについてチャンドラは研究するが、そのおしまいに、その分野の研究についてのテクストを書いて、その研究を終わりにするという習慣があった。

彼の人生の最後の研究はニュートンのプリンキピアであった。それはプリンキピアの命題を読んで、その証明は読まずに、自分でその命題を証明して、そのあとでプリンキピアの証明を読むという方法である。その本は読んだことはないが、日本語での訳本が講談社から、中村誠太郎訳で出ている。

この訳本は定価が1万円以上するもので、1冊公費で購入して大学の在職時代にはもっていたが、退職時に図書館に返却したので、現在は手元にはもっていない。暇ができたら、大学の図書館から借り出して読んでみたいと思っているが、そんな機会が私に来るかどうかはわからない。

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Gemさんの部屋【2025/11/09‗改訂投稿】

本稿では別ブログでの記録を残していきます。

きっかけはGooブログの終了です。

Gemさんは20世紀初頭から20年程の長きにわたり
様々な情報を展開しててくれて、私も毎日楽しみにしてました。
毎日、昔馴染みのご近所さんに挨拶をする感覚で覗いていたのです。

毎日毎日、楽しみにしていたブログを少しでも長く残そうと
本稿を起こしています。以下、週末ごとに補記する予定なので
皆さんも呑気にご覧下さい。

実際には、ご本人に了承を頂けましたので
クローラーを潜り込ませて出来るだけ情報が残しています。
7000記事以上と情報が膨大なので展開は後程考察します。
ワードプレス内にPython等でキーワード検索機能をつけ
キーワードごとに抽出が出来たらよいと考えています。

先ずは抜粋をご覧下さい。

ガロアのノートにあった詩 【2015-11-18 投稿分_岩田義一_偉大な数学者】
昨夜の「数学白熱教室」 【2015-11-28投稿分_谷山氏_フェルマーの定理】

数学・物理通信6-3を発行 【2016-03-19投稿分_周期ポテンシャル_井戸型ポテンシャル】
伏見康治コレクション3 【2016-05-24投稿分‗伏見廉治_数学セミナー】
エ―レンフェストの定理 【2016-06-21投稿分_期待値_波束_古典力学】
ブログは消耗品である 【2016-12-24投稿分‗広重_共鳴粒子_坂田モデル】

遠山啓さんの心配 【2017-04-26投稿分‗水道方式_武谷三男】
cleverな人よりもwiseな人を 【2017-04-28投稿分 ‗湯川秀樹_ボルン】
complementary 【2017-12-07投稿分_ボーア_ソリトン_広田良吾】

四元数の流行を下火にした人 【2018-04-10投稿分 ‗ハミルトン‗ギッブス_へヴィーサイド】
『物理学天才列伝』下 【2018-08-20投稿分 プリンキピア_ブラックホール】
Diracの寡黙とGell-Manのライターズ・ブロック 【2018-08-27投稿分‗Dirac_gell-man】

エディトンとチャンドラセカール 【2019-06-21 _星の一生_プリンキピア】
テラー 【2019-08-09‗オッペンハイマー_ダイソン 】

F. J. Dysonの死 【2020-03-02‗95歳_ノーベル賞 】
C. N. Yangの方は 【2020-03-03‗97歳_清華大学】
小説『カード師』 【2020-06-09‗二重スリット_外村彰】
コンプトン効果を連立方程式の問題にしたら 【2020-12-02_シルビィアの量子力学】

花粉症 【2021-02-22 ‗Heisenberg_Bornに休暇】
大栗博司さんの本を手に入れた 【2021-07-13_中西襄先生 】
益川さんが亡くなった 【2021-07-30‗名古屋大学_81歳】
学士院賞をもらった後で 【2021-08-02‗topクォーク_CP破れ 】

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Diracの寡黙とGell-Manのライターズ・ブロック 【2018-08-27投稿分‗Dirac_gell-man】

2018-08-27・これらは天才的な学者であった、二人の家庭環境から来ているらしい。

Diracの父親はスイス出身のフランス語教師であり、夕食のときにDiracにフランス語を話すように強制したために、英語でもDiracはほとんど話さないようになったと言われている。

誰かがフランス語圏からDiracに会いにやってきたときに、フランス語をDiracが解しないと思って一生懸命に英語で話そうとしたとかいう話があり、そのあとでDiracがランス語が話せることを知っておどろいたとか読んだことがある。またフランス語で書かれたDiracの論文もあったはずだ。

同じようにGell-Manも心理的要因から文章が書けなくなるという症状をもっていたらしい。卒業論文は完成するどころか、書き出すこともできなかったというから、Gell-Manのライターズ・ブロックは重症である。そういう病気があるとは私自身は聞いたことがない。

Yale大学では大学院には進めなかったので、MITに進んだという。そこで、Weiskopfにつく。
Wesikopfからは実践的な物理学を学んだという。「数学的洗練さよりも、証拠と一致するかどうかを重んじろ。できる限り単純さを追い求め、決まり文句やもったいぶった言い方は避けろ」

これはなかなかいいアドバイスである。こういうアドバイスをする人はその当時はほとんどいなかったのではないか。私などが育ってきた研究雰囲気と似通っているが、それは横道にそれる。

Gell-Manの優れた点は問題の表面的な細部に惑わされずに、「分析的な目」で、その裏に隠されたパータンを見抜く才能にあったという。

ただ、列伝の著者も彼が少し嫌な性格の持ち主であったことをほのめかしているようだ。

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『物理学天才列伝』下 【2018-08-20投稿分 プリンキピア_ブラックホール】

2018-08-20 ・ブルーバックス(講談社)を図書館から借りてかえって、その一部を拾い読みしている。

私がおもしろかったのはチャンドラ・セカールであった。南部さんの『素粒子』(ブルーバックス)だったかに天文台からシカゴ大学まで大学院のセミナーをするために出てきていたとか書いてあって、彼のクラスの全員がノーベル賞をとったと説明があった。

これはリーとかヤンとかがその直後にノーベル賞をとったことを意味してもいた。そのうちにチャンドラー自身がノーベル賞をとる。

わたしが関心をもったのはチャンドラーの最後の研究である、ニュートンのプリンピアの話であった。彼はプリンキピアをはじめからは読まないで、自分で力学の定理を書いてそれを現代的に証明して、それからその点をニュートンがどう書いているかをプリンキピアを読むことで比較したという。そして、どのようにニュートンがうまく力学のことを書いているかを痛感したという。

この研究はいつものチャンドラの流儀で本にした。すなわち、チャンドラーは自分の研究の総括としていつもその分野の専門書を書いて、その分野の研究を終わりにしていた。このチャンドラーの最後の研究書は中村誠太郎さんの訳で講談社から出されている。もっともこの本は一万円を超える定価がついていたと思う。

もっともこの説明で私もこの訳本を読んでみたくなった。

もう数十年も昔のことだが、日本にチャンドラがやってきて、ブラックホールについて物理学会で講演した。その講演の訳が物理学会誌にでていたのだが、その最初の部分のアイディアを使って、試験問題をつくったという思い出がある。

入試の問題になるくらいのやさしい話にしたのである。

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ブログは消耗品である 【2016-12-24投稿分‗広重_共鳴粒子_坂田モデル】

・新聞が消耗品であるようにブログも消耗品である。だから日々新たな気持ちで書くことが大切で、昔書いたことが大事なわけではない。

とはいうものの日々の自分の考えたことを書いているので、ときどきはそれを見直すのがいいと思っている。思想と言えるほどのものが私のブログにあるのかどうかはわからないが、どういう本を読んであんなことを思ったとかそういう風なことは書いていないことが多いけれどもやはり何かを考える動機に読書がなっていることは確かである。

最近ではコタツで夜に読んでいるのは図書館で借りて来た「昭和後期の科学技術思想史」である。これに岡本拓司さんが書いている広重徹論は大部なものである。多分日本で書かれた最大の広重徹論であろう。

私の不満に思うのは現代科学の発展の歴史をふり返って広重の言ったことが当たっていたのかどうかという視点が欲しいような気がしている。広重徹が亡くなったのは1975年であり、彼が思っていたことがどれほど正しかったかは広重徹論を書く一つの視点ではなかろうか。

(2016.12.26付記)  広重は70年代に素粒子で多くの共鳴粒子が見つかったりでして、数百個になったことにいらだっていたと、この岡本拓司さんの広重論にある。そこが私などは不思議に思うところだが、多数の素粒子が見つかったときにすでにそれらを複合粒子として考えるという考えが出ていたのだから、いわゆる本質的な力学としてはまだきっかけもつかまれていないとしても素粒子の研究としてつぎの段階への手がかりは出ていたことになる。

それはFermi-Yangの論文に始まり、坂田モデルとつながり、IOO対称性とか1960年代の初頭にはそういうことが出ていた。それがGell-MannとN’eemanの八道説につながり、その後のクォークモデルとなる。

そして電弱理論とかQCDにつながっている。Weinberg-Salam理論は1968年には出ているが、くりこみ可能性を’t Hooftが証明したのが1971年というから広重の亡くなる前にはすでに新しい理論の芽はあったのだ。

そこらの評価が広重にはできていなかったと思われる。最後の段階への評価はできなかったにしても複合モデルを評価できなかったのは広重としては大きなミスではなかろうか。そういうことは岡本拓司さんの広重論にはもちろん出てこないのだが。

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