2026年6月16日2026年6月6日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すレンツ_Heinrich Friedrich Emil Lenz【変動磁場_誘導起電力を法則化】-6/16改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)レンツの法則実験機 【スポンサーリンク】 【1804年2月12日生まれ ~ 1865年2月10日没】 画像出典:Wikimedia Commons / Public Domain冒険家としての一面をもった物理学者、レンツハインリヒ・フリードリヒ・エミル・レンツ (Heinrich Friedrich Emil Lenz) は、ドイツ系ロシア人の物理学者で、 1804年にロシア帝国のエストニアで生まれました。若き日のレンツは、 ロシアの探検家 オットー・フォン・コツェブー による 第3次世界周航(1823–1826年)の調査隊に参加し、 海洋の温度・塩分・比重など物理的特性を測定する 観測員として活躍しました。この航海経験が、後の実験物理学者レンツを 形成する下地となります。■ レンツの法則の意義レンツの最大の業績は、1834年に発表した 「レンツの法則」 です。レンツの法則は、一見すると「磁石を近づけると反発する」という 単純な現象の説明に見えます。しかし本質的には自然界のエネルギー保存則 を表現しています。もし誘導電流が磁束変化を助ける方向に流れてしまうなら、 エネルギーを与えなくても電流が増幅され続けることになってしまいます。レンツはその矛盾を見抜き、自然界では必ず変化を打ち消す方向に電流が 生じることを示しました。この考え方は後にマクスウェルの 電磁気学へと受け継がれていくのです。これは、誘導起電力によって生じる電流は、 その原因となる磁束変化を妨げる向きに流れるというもの。例えば、コイルに磁石を近づけると電流が流れ、 その電流がつくる磁場が磁石を押し返すように働きます。 これは自然界のエネルギー保存則と深く結びついた現象で、後の マクスウェル方程式の理解において不可欠な法則です。この法則は現代では 電磁ブレーキ、渦電流、モーターの制御、 発電機の効率計算 など多くの技術に応用されています。■ 19世紀電磁気学のダイナミズムレンツが活動した19世紀前半は、ファラデーの電磁誘導(1831)レンツの法則(1834)マクスウェルの電磁理論(1860年代)が次々に生まれた時代で、電気と磁気を統合する巨大な パラダイムシフトが起きていました。電子や原子の 存在さえ実証されていない時代に、目に見えない電場・磁場を 数式で扱い始めた研究者たちの先駆けとして、 レンツの貢献は非常に大きいものです。さらにレンツは、電流が流れる導体で生じる発熱量が抵抗と 電流の二乗に比例するという ジュールの法則 を、 ジュールとは独立して導きました。電気と熱の関係を橋渡しした先駆的業績として高く評価されています。③ 一次情報・歴史情報の補足(正確性の裏付け)✔ レンツの基本情報(実証された史実)生没年:1804年3月12日 – 1865年2月10日出身:ロシア帝国エストニア、ドイツ系家庭職歴:サンクトペテルブルク大学教授、ロシア科学アカデミー会員探検活動:コツェブーの第3次世界周航(1823–1826)に参加主要業績レンツの法則(1834)ジュールの法則の独立発見海洋物理の先駆的観測✔ コツェブー調査隊(一次資料)船:Predpriyatie号探検期間:1823–1826寄港地:南米・太平洋・アリューシャン列島・カムチャツカなど調査内容:海洋物理・動植物調査・気象観測など前後の流れ◀ 前の人物:マイケル・ファラデー▶ 次の人物:ジェームズ・プレスコット・ジュール関連する物理学者(電磁気学)マイケル・ファラデーアンドレ=マリ・アンペールハンス・クリスティアン・エルステッドゲオルク・オームハインリヒ・レンツ(本記事)ジェームズ・プレスコット・ジュールジェームズ・クラーク・マクスウェル 〆ムームードメイン 【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/09/27_初稿投稿 2026/06/16_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 ドイツ関連のご紹介へ 電磁気関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】* 【2021/9月時点での対応英訳】Lentz and the worldHeinrich Lenz is a German-Russian physicist born in Russia. At a young age, he is a member of the 3rd Round the World Survey, led by Otto von Kozebu, investigating the physical aspects of the marine environment.Lenz may have stopped by ports in various countries to investigate seawater components. I would like to cooperate with my colleagues who are fishing there and studying biology. First, check the water depth and use various live foods.Meaning of Lentz’s lowBy the way, Lenz’s law is famous for Lenz’s achievements. The content is related to the fluctuating magnetic field, and the induced electromotive force is generated, but the direction is the direction that hinders the initial magnetic field generation. That is.As an example, when a magnet is brought close to the coil, an electric current is generated in the coil, and therefore the coil becomes magnetized and the magnet and the coil repel each other. What is difficult to understand sensuously is how the magnetic field lines emitted from the magnet travel through the space. In modern understanding, electromagnetic waves are transmitted even in a vacuum, but I think that they can only be understood with the knowledge that Lenz brought. That’s why I think it’s wonderful to repeat the experiment and formulate it. This Lenz’s law is applied to electromagnetic brakes in modern times.The era of Lenz is close to Maxwell, and this era can be regarded as the era when electromagnetics is being completed. Words used by modern people, electromagnetic waves, atoms, electrons, photovoltages … Without such knowledge, we created a theoretical system that connects magnetic force and electric power to electronics. It was just a series of paradigm shifts. Maglevs are now moving around using invisible laws.Lenz also independently led to Joule’s law. This achievement is also noteworthy. It connected the world of electricity and heat.〆FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年6月15日2026年6月5日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すC・A・ドップラー【ドップラー効果を定式化したオーストリア人】-6/15改訂こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です) ドップラー効果Tシャツ 【スポンサーリンク】 【1803年11月29日生まれ – 1853年3月17日没】 出典:Wikimedia Commons, public domain, “Christian Andreas Doppler” portrait ドップラーの示した事実その名をはクリスティアン・アンドレアス・ドップラー;Christian Andreas Doppler。ドップラーはオーストリアの物理学者にして数学者にして天文学者です。移動体の発する音を考えた時に観測者と音源との間の相対的な周波数の関係を詳しく調べました。いわゆる「ドップラー効果」の形で定式化して後世に残しています。 近づく救急車の音、疑問に思った事は無いでしょうか? ドップラーは、そんな感覚的な効果を定式化したのです。ドップラーが着目したのは、人間の聴覚能力そのものではなく、 観測者と音源との相対運動でした。救急車が近づく時には音が高く聞こえ、 遠ざかる時には低く聞こえる。この現象を感覚的な印象としてではなく、 周波数の変化として定量的に表現したのです。重要なのは、 観測者が誰であっても同じ法則が成立することでした。 ドップラーは「聞こえ方」の違いではなく、 「観測される波の周波数」の変化を数理的に説明したのです。当時としては極めて説得力のある説明方法だったのです。 「絶対音感」に対する当時の理解は言及しませんが、 より音感の鋭い人物を求める姿勢はあったと思えます。舞台は音楽の国オーストリア、研究対象は音の定量化です。今日では音で聞こえる周波数の話から、考え方を拡張して 電磁波のドップラー効果や超音波のドップラー効果 も含めてドップラー効果は現在でも応用されています。 ドップラー効果の特徴ドップラーの素晴らしい所は”問題のとらえ方”で、相対的な位置関係の変化から一見,違うものと思える「音速;C」と「移動体の速度;V」の間の関係をとらえ①「動かない物体の発する周波数;F1」から②「移動する物体の発する周波数;F2」へと変化する割合である「F2/F1」を数式で分かり易く示したことです。なにより、 「人はそれぞれ別の音を聞くことが出来る」というモデルを作ったのです。 完成形を言語化してモデルに取り入れた訳ですが、色々な事象がある中で 「音」に重きを置いて絶対音感を重要視して理論を構築していくのです。 そして、最後にその議論を後程何十年も何百年も検証してきたのです。今日では高校生レベルで説明・理解出来る関係を数百年前に作り上げて説明しています。そして、今では色々な側面から解釈・利用されています。ドップラーはまずプラハ (当時オーストリア帝国内) の 工科学校 (工科大学) の数学教員となり、 後にウィーン大学の物理学研究所長に就任ました。astro-dic.jp+1 そんな中で遺伝学のメンデルがドップラーの 講義を受けていたようです。少し意外な繋がりですね。 (参考URL:https://www.kazusa.or.jp/dnaftb/3/bio.html)補足1:現代に残るドップラー関連の情報ドップラーのつかんだ事実は 「現代社会でどこに使われているか」 を考え直してみると実感がわきます。ドップラー効果の現代利用気象レーダー新幹線速度測定警察の速度取締レーダー天文学の赤方偏移銀河の後退速度測定超音波エコー検査ドップラー血流計です。特に宇宙膨張の発見にもドップラー効果の考え方が使われている という事実も重要でしょう。補足2:一次情報あるいは標準的歴史観からのドップラーの事実以下は、あなたの文章に補うとよい、信頼できる情報です。ドップラーの出生は 1803年、オーストリア・ザルツブルク。生家は石工の家系。astro-dic.jp+1学歴としては、ザルツブルクでギムナジウム(中等教育)を終えた後、ウィーンの工科大学 (当時の Imperial–Royal Polytechnic Institute) で数学・物理を学んだ。astro-dic.jp+11835年からプラハの工科大学(高等工業学校)で数学教員。1841年に正教授となり、その後 1850年からウィーン大学物理学研究所 (Imperial Academy) の所長。astro-dic.jp+11842年に発表した論文 Über das farbige Licht der Doppelsterne und einiger anderer Gestirne des Himmels(「連星および他の天体の色光について」)で、波動の相対運動による波長/周波数の変化 — 後に「ドップラー効果」と呼ばれる現象 — を理論的に提唱。christian-doppler.net+1ドップラー効果は当初「音波(音)」について想定され、1850年代以降、光 (電磁波) や超音波、レーダー、天文学、医療(超音波診断・ドップラー法)、気象レーダーなど多方面で応用されるようになった。DigiKey+2jsmoc.org+2 関連する物理学者(19世紀物理学の発展)◀ 前の人物:マイケル・ファラデー▶ 次の人物:ジェームズ・プレスコット・ジュールこの分野の物理学者(波動・光学・電磁気学)トーマス・ヤング(1773)オーギュスタン・フレネル(1788)ハンス・クリスティアン・エルステッド(1777)アンドレ=マリ・アンペール(1775)マイケル・ファラデー(1791)クリスティアン・ドップラー(本記事)ジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831)ハインリヒ・ヘルツ(1857)〆MuuMuu Domain! 【PR】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2021/07/03_初版投稿 2026/06/15_改定投稿舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 電磁気関係へ オーストリア関連のご紹介へAIでの考察(参考)ーこのサイトはAmazonアソシエイトに参加していますー【2021年8月時点での対応英訳】Job of DopplerIts name is Christian Andreas Doppler. Doppler is an Austrian physicist, mathematician and astronomer.c.A.Doppler investigated the relative frequency relationship between the observer and the sound source when considering the sound emitted by a moving object. It is formulated in the form of the so-called “Doppler effect” and left for posterity.It shows the fact that the pitch changes at the point where a musician with perfect pitch hears and observes the sound from a moving object. It was a very compelling explanation for the time. The stage is Austria, the country of music, and the subject of research is sound quantification.Way of thinking by DopplerToday, the Doppler effect is applied by expanding the way of thinking from the frequency that can be heard by sound, including the Doppler effect of electromagnetic waves and the Doppler effect of ultrasonic waves.The great thing about Doppler is “how to grasp the problem”, which captures the relationship between “sound velocity; C” and “moving object velocity; V”, which seems to be different at first glance from the change in relative positional relationship, and “does not move”. “F2 / F1”, which is the rate of change from “frequency emitted by an object; F1” to “frequency emitted by a moving object; F2”, is shown in an easy-to-understand manner.In today,Doppler created and explained relationships that can be explained and understood at the high school level hundreds of years ago. And now it is interpreted and used from various aspects.Doppler will be the head of the research institute at the Institute of Physics, University of Vienna, after teaching at the current Czech Technical University. In the meantime, he also teaches Mendel’s research in genetics. It’s a little surprising connection.FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年6月14日2026年6月4日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すN・L・S・カルノー【仕事量|カルノーサイクルを考案|36歳で病死】-6/14改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)熱さまシート 【スポンサーリンク】 【1796年6月1日生まれ ~ 1832年8月24日没】 タイトル:Sadi Carnot portrait 作者:不明(19世紀) ライセンス:Public Domain(著作権なし) 出典:Wikimedia Commons(“Sadi Carnot” portrait)カルノーの業績その名は ニコラ・レオナール・サディ・カルノー(Nicolas Léonard Sadi Carnot)。19世紀フランスに生き、熱機関の理論体系=カルノーサイクル を提唱した人物として知られています。カルノーの父ラザール・カルノーは、フランス革命期の軍制改革を主導した 尊敬を集める人物でした。その影響もあり、サディ・カルノーは 正義感が強く、思索深い青年に育ちました。当時の産業界では蒸気機関が急速に発達していましたが、 「なぜ蒸気機関がどれだけの仕事を生み出せるのか」という 熱と仕事の関係の理論的説明は十分ではありませんでした。蒸気が膨張して圧力を生むことは経験的に知られていても、 温度・圧力・体積の関係や、粒子運動との つながりは未整理だったのです。カルノーはこの問題に挑み、熱機関が取り出せる仕事量に 上限があることを示しました。これが 「カルノー効率」 であり、 後の熱力学第二法則の基礎となります。カルノーは熱機関の理論的限界を初めて明らかにしました。 しかし当時はまだ熱素説の時代であり、熱と仕事の等価性 そのものを理解していたわけではありませんでした。後に ジュールやクラウジウスらによって熱力学として再解釈され、 その先駆的価値が認められるようになります。カルノーはわずか36歳で病没したため、 生前にその業績はほとんど評価されませんでした。 しかし、クラペイロンがカルノーの理論を図示して体系化し、 トムソン卿(ケルビン) がその重要性を広め、さらに クラウジウス がエントロピー概念へと発展させました。こうして、カルノーの思想は後の熱力学の中心原理として 高く評価されるようになったのです。一次情報にもとづく補足✔ カルノーの一次情報代表著書:『火の動力についての省察(Réflexions sur la puissance motrice du feu)』(1824年)生没年:1796–1832✔ 歴史的評価の流れ(正確版)カルノー(1824)・熱機関と仕事の理論的限界(カルノーサイクル)を提示クラペイロン(1834)・PV図で体系化、式として理解可能にケルビン卿(1849–1851)・「カルノー効率」概念を整理クラウジウス(1850年代)・エントロピーと第二法則へ発展関連人物と科学史の流れ熱力学はカルノー一人によって完成されたわけではありません。 前世代の気体研究から始まり、 ジュールやクラウジウスへ受け継がれていきました。◀ 前の人物:ロバート・ボイル◀ 前の人物:ゲイ=リュサック▶ 次の人物:クラペイロン▶ 次の人物:ジュール▶ 次の人物:クラウジウス▶ 次の人物:ケルビン卿この分野の物理学者(熱力学・統計力学)熱力学と統計力学は、一人の天才によって完成された学問ではありません。 気体の研究から始まり、熱機関の理論、エネルギー保存則、 エントロピー、そして量子論へと発展していきました。 以下の記事では、その流れをたどることができます。◀ 前の人物:ロバート・ボイル(Robert Boyle)◀ 前の人物:ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック(Joseph Louis Gay-Lussac)★ 現在の記事:サディ・カルノー(Nicolas Léonard Sadi Carnot)▶ 次の人物:ジェームズ・プレスコット・ジュール(James Prescott Joule)▶ 次の人物:ルドルフ・クラウジウス(Rudolf Clausius)▶ 次の人物:ルートヴィヒ・ボルツマン(Ludwig Boltzmann)▶ 次の人物:マックス・プランク(Max Planck)〆 【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/11/01_初回投稿 2026/06/14_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 フランス関連のご紹介へ 熱統計関連のご紹介へ 力学関係のご紹介へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】【以下は2021年8月時点での対応英訳です】Job of Carnot Its name is Nicolas Léonard Sadi Carnot.Carnot advocated the Carnot cycle, a theoretical heat engine, and continued to think about heat-related physics.His father is said to have been respected in the French army during the Revolution and led the military reforms. And Carnot grows up to be a sensitive young man with a strong sense of justice.Carnot’s interest was in the steam engine. The industry at that time could not explain the steam engine theoretically.It is understood in the Carnot era that steam expands rapidly, but the behavior of individual particles that make up steam, especially the “temperature rise (decrease)”, “pressure”, and “volume” brought about by collective motion, etc. The relationship with quantity was not clear.As an empirical knowledge of Carnot’s time, “the steam generated when water is heated expands and generates pressure as it moves from the liquid state to the gaseous state.”In the discussion of gaining power by moving the sliding engine with the pressure generated at that time, there was no theoretical environment in the era of Carnot that was discussed based on quantitative discussions.Carnot way of thinking Carnot creates the concept of “work load” by considering the distance that the force is continuously applied in addition to the force that appears in Newtonian mechanics. There is a big difference between the phenomenon of “dragging a few centimeters” and the phenomenon of “dragging a few kilometers” of heavy luggage, so the concept of “work load” can be understood sensuously.For example, there is a relationship between the force that moves an object and the frictional heat that is generated when it moves, and Carnot used the concept of work to connect them. In addition, the concept of specific heat and heat capacity was created, and various phenomena were connected.Unfortunately, Carnot lives a very short life and died of illness at the age of 36.Carnot was evaluated after his death. Clapeyron and Sir Thomson evaluate it, followed by Mach. Carnot’s concept of “work” was finally appreciated in his later years.〆FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年6月13日2026年6月3日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すマイケル・ファラデー【王立協会に所属し電磁場の近接作用を研究】‐6/13改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)教育ツール 【スポンサーリンク】 【1791年9月22日生まれ ~ 1867年8月25日没】Michael Faraday – Man of Science – DPLA – 5f2b65726e7d4bb523e98ae61828bc11 (page 6).jpgA biographical account of the life and accomplishments of Michael Faraday (1791-1867), an English scientist who contributed to the study of electromagnetism and electrochemistry. Digitized content includes the work’s front matter and a selection of plates. Plates include a portrait of Faraday, Faraday’s Royal Institution of Great Britain laboratory, Faraday’s study, Faraday delivering his annual Christmas Juvenile lectures, and Faraday lecturing before the prince consort, the Prince of Wales and Duke of Edinburgh.Jerrold, Walter, 1865-1929Public domain電磁気学の基礎を築いたファラデーイギリスのファラデーは、電磁気学の礎を築いた実験科学者です。 特に電磁誘導の発見と電場・磁場という概念の導入は、後の マクスウェルによる電磁気学体系化の出発点となりました。近接作用を考えていって導体の周りの空間 における磁界の様子を想像しました。そして、それが変動した時の作用などを 一つ一つ実験で明らかにしていきます。磁束の磁界変化が起電力を生む事実を 定式化しました。優れた実験家でした。画像ではオックスフォードを使っていますが 実際にファラデーは正式に高等教育を受けていません。 オックスフォードは最終的にファラデーが名誉博士号 を受けた所です。学生として学んだところではありません。オーウェン・ギンガリッチ他著の「マイケル・ファラデー」 によるとファラデーの一族はイングランドのランカシャー州 北端で暮らしていました。そこで 「北部の強靭な子」としてファラデーは育っていきます。「それは暮らしにくい気候と起伏の多い地形が 科学の追求に必要なある種の精神の強靭さを育てる一つの 要因だったと考えられるからだ。(上記文献より)」 だと伝えられてます。独学/職業訓練を通じて科学を学んだのです。【イングランド内戦(17世紀、1642–1651年)】から時代が過ぎ、 多くの人がロンドンで研究をしている時代です。ファラデー一家は父マイケルの仕事の問題や健康悪化が主な要因で 厳しい経済状況に陥ります。マイケル・ファラデーは家計を助ける為に 「G・リーボというフランス人亡命者が経営する書店兼製本屋(上記文献より)」 で奉公仕事をします。そこでマイケルは熱心に仕事をしていくのです。仲間に恵まれ バラバラになって製本し直す必要のある本の修理をしながら 色々な知識を吸収してきます。きっと、刷毛を丁寧に使い知識の記録を大事に修復したりしていたのでしょう。 そうした作業の中で物質に対しての理解も深くなっていったのでしょう。 書物・仕事を丁寧に扱ったのです。また、人脈を広げていきます。初めは電気ではなくて化学にマイケルは 深く関心を抱いていきます。銀細工職人ジョン・テータムの勉強会に参加します。 そしてボルタの発明をまねてボルタ電堆(でんつい)を作成します。なんとロンドンの王立協会に所属することができたのです。①熱心に記載したファラデーのノートを見た王立協会のとある会員から「花形講演者であるハンフリー・デーヴィーの連続科学講義」の聴講券をもらったのです。②そしてその後、デーヴィーの助手として欧米旅行に出かけたりして信頼を深めていき、③やがては王立協会の建物で住居兼研究場所を使っていくのです。この時点で製本屋の時代から比べたら雲泥の差の実験環境に恵まれます。そうした末にファラデーが考えた法則はファラデーの電磁誘導の法則と呼ばれます。また別途、ファラデーの電気分解の法則という考え方が存在して、それは電気分解での精製質量を記述します。そうしたファラデーの伝記を読んでいて思うのは、ファラデーはとても庶民的な感覚を持っていたということです。人々がどう思っているか、というより感じているかを他の科学者よりも共感できる点が多いかと思います。一緒にお酒でも飲めたら色々語れるでしょう。ファラデーは高度な数学をほとんど用いませんでした。一方で彼の考えた 「力線」の概念を、後にマクスウェルが数式として表現したのです。 実験家ファラデーと理論家マクスウェルは、電磁気学史における 最高の協力関係の一つと評されています。ファラデー・マクスウェル対ガリレオ・ニュートン後の時代にアインシュタインは67歳の時にまとめた「回顧録」 の中でファラデーを実験家として大きく評価しています。 確かに後のマクスウェルの仕事につながる洞察力の点で、 ファラデーは抜群に素晴らしい。 言語化しないレベルで「電磁場」の姿を「実態」としてつかみ 実験計画を具体的に進めていく力強さを感じます。概念や知見から「意識」を形成する時点で 数式や言葉を使わないで、相当高いレベルまで 現状把握をしていくのです。そして実験を進めます。 そして後の時代にマクスウェルが話を進めます。 電磁気学が体系化される土壌をファラデーは作ったのです。 アインシュタインはまた、力学体系の形成以前にガリレオが 重要な役割を果たしたと指摘し、同様な対比を示しています ファラデーの人となりと評価ファラデーは子供向けにクリスマスレクチャーをしたり、ろうそくの科学を解説しててみたり、一人で考えを極めていく他に社会全体の意識を高めていこうとしていたと感じられます。私もこの点は見習いたいです。ただ、当時は階級社会であり、公の場の食事での扱いや馬車の乗り方等でファラデーは差別的な扱いを受けていていたようです。色々な発見をして科学で名を成した彼は晩年、ナイトの称号を何度も 辞退しました。また、ファラデーはクリミア戦争時に兵器開発の依頼に対して言葉を残していますので引用致します。私はファラデーの感性が好きです。(兵器を)「作ることは容易だ。しかし絶対に手を貸さない!」 (Wikipediaより引用)科学技術の平和利用を考えると現代でも個々の科学者は判断をする時があります。実際に日本は敗戦国なので出来る事が限られていまが、例えば中東で紛争があった際に、地雷探知ロボットを投入したりしています。日本ならではの役割を果たして欲しいと願います。 昨今のAIの進展にも考えるべき所が在ると思えます。 何の為に自分の知力を注ぐのか考えてみて下さい。ファラデーはそんな事も考えさせてくれました。 そして、1832年にオックスフォード大学から名誉の Doctor of Civil Law(D.C.L.)が授与されたという記録があります。 ウィキペディア+2数学の歴史+2 「死後」ではなく、**生前(1832年)**に授与されたものです。 (以前は死後に授与されたと勘違いしておりました。2025/11/24に訂正。)その他の一次情報での調査・補足以下は、文章内容を一次資料(または信頼できる歴史的記録) で裏付け・補強できる参考資料です。名誉博士号(Oxford) 1832年、オックスフォード大学は Faraday に名誉の Doctor of Civil Law (D.C.L.) を授与しています。 ウィキペディア教育背景・初期キャリア Faraday は幼少期に正規の高等教育を受けず、14歳で製本業(製本・製本屋) に徒弟入りしつつ、読書と独学で科学への興味を育てました。 Encyclopedia Britannica+2ファラデイ+2キングスヒース(Royal Institution)や助教としてデーヴィーに仕えた 彼は王立協会(Royal Institution)でハンフリー・デーヴィーの助手を務め、 実験の場を得て研究を進めました。 Encyclopedia Britannica名誉と拒否 – 彼はナイトの称号(knighthood)を受けるオファーを 宗教的な理由などで断っています。 有名人 – また、王立協会の会長(President of the Royal Society)になる打診 も受けたが辞退した、と伝えられています。 ウィキペディア電磁誘導・実験的業績 彼の実験により、磁束の変化が起電力を生むことを発見し、 これが後のマクスウェル理論(古典電磁場論)の 実験的基礎となったことは広く認められています。 Encyclopedia Britannica+1人格・信仰 フォラデーはサンデマニアン派(Sandemanian)という キリスト教の宗派に属し、その信仰が彼の謙虚さや倫理観に 大きく影響していたとされます。 Encyclopedia Britannica+1関連する物理学者(電磁気学の発展)◀ 前の人物:ゲオルク・オーム▶ 次の人物:ジェームズ・クラーク・マクスウェル関連記事エルステッド|電流と磁場の発見アンペール|電流の法則を定式化オーム|電気回路を数式化フレネル|光の波動説を完成マクスウェル|電磁気学の統一理論〆最後に〆【スポンサーリンク】以上、間違いやご意見があれば 以下アドレスまでお願いします。 問題点には適時、 返信・改定を致します。nowkouji226@gmail.com2020/09/03_初回投稿 2026/06/13_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 イギリス関係のご紹介 電磁気関係へAIでの考察(参考) 関連別ブログ(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】【2021年8月時点での対応英訳】Faraday made the basis of electronicsFaraday in England laid the foundation for electrodynamics. He considered proximity and he imagined the appearance of a magnetic field in the space around a conductor. Then, we will clarify the action when it fluctuates one by one by experiment. He formulated the fact that changes in the magnetic field of magnetic flux produce electromotive force. He was an excellent experimenter.Oxford is used in the image, but many people study in London during the English Civil War. Faraday belonged to the Royal Society of London. And Faraday’s law is called Faraday’s law of electromagnetic induction. Separately, there is the idea of Faraday’s laws of electrolysis, which describes the purified mass in electrolysis. Reading those Faraday biographies, I think Faraday had a very common sense. I think he has more sympathy than other scientists for what people think, rather than what they feel. If you can drink alcohol together, you can talk a lot.It seems that Faraday was trying to raise the awareness of society as a whole, in addition to giving Christmas lectures for children and explaining the science of candles, thinking extremely alone.I also want to emulate this point.Faraday and later evaluation in class societyHowever, at that time, it was a class society, and it seems that Faraday was treated discriminatory in terms of how to treat it in public meals and how to ride a horse-drawn carriage. He made many discoveries and made a name for himself in science, and in his later years he declined his knight title many times. He also quotes Faraday as he left a word for his request to develop weapons during the Crimean War. I like Faraday’s sensibility.He said (weapons) “easy to make, but never help!” (Quote / Wikipedia)Even today, individual scientists sometimes make decisions when considering the peaceful use of science and technology. Actually, Japan is a defeated country, so there are limits to what we can do, but for example, when there is a conflict in the Middle East, we are introducing landmine detection robots. I hope you will play a role unique to Japan. Faraday made me think about that too. And years after his death, Faraday received an honorary doctorate from Oxford University.〆FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年6月11日2026年5月31日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すG・オーム【抵抗値の単位|オームの法則:E=RI】-6/11改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)オームの法則Tシャツ 【スポンサーリンク】 【1789年3月16日-1854年7月6日】パブリックドメイン(著作権切れ) 出典:「Wikimedia Commons / Public Domain」オームの法則を見出したオームその名はGeorg Simon Ohm。オームの法則で有名です。オームの法則は定量的に回路を論じるときに不可欠で非常に明快なので小学生レベルから説明出来ます。子供に科学を教える時に理解しやすく、実験的と原理がつながる事例として明快です。電圧値;Eは電柱値;Iと抵抗値;Rの積なのです。E=RI。「オームは偉い!」と覚えました。 オームの法則確立の経緯オームは独学で数学、特に幾何学を習得してます。研究生活に入る前に教師として生計を立てて いる時期がありました。その後、 プロイセン王に幾何学に関する原稿を送り、 その論文で評価を受けました。ケルンの ギムナジウム(中等教育機関)で 物理学を教える機会を得ます。 そこでの実験室で設備が充実していたことは その後のオームにとってとても良かったのです。 【正確には1817年にケルンのイエズス会ギムナジウム(Jesuit Gymnasium)で 数学・物理の教師となったのです。 ウィキペディア+2kenshoku-bank.com+2】 オームの法則は、実の所はイギリスの キャヴェンディッシュが先に発見していたようです。 その時点で体系化もされておらず、見逃されていました。 そして、キャンデビッシュは存命中に発表しませんでした。 【参考;ヘンリー・キャヴェンディッシュ(Henry Cavendish)は電流と電位差の関係を示唆 するような実験を行っていた可能性がありますが、彼はその理論を体系化して「オームの法則」 として発表したわけではありません。 uec-programming.com+2ウィキペディア+】オームはキャヴェンディッシュと意見交換することなく独自に法則を確立していて論文にまとめました。 オームの電子把握についてまた、オーム自身は導体内での電子の挙動に関して 近接作用の側面から「論じようとしていた」ようですが そんなエピソードからも目に見えないミクロな現象を 組み立てていく為に検証をしていく難しさを感じます。 正確には、電子という概念はまだ確立されていませんでした。オームは電気現象を数学的なモデル (ガルバーニ電池、導線の長さと抵抗など)で扱い、 電子論的な記述はしていません。実際のところ、 オームの業績は電位差(電圧)、電流、抵抗の関係を 定量的に示すものであり、電子の運動を 直接観測・モデル化するものではなかった点に注意が必要です。オームの時代には、まだ電子という概念は存在していませんでした。そのため彼は電気の正体を直接説明したのではなく、 電位差(電圧)・電流・抵抗の関係を実験によって定量化しました。後に電子の存在が明らかになることで、オームの法則は導体内部で 起こる現象とも結び付けて理解されるようになります。その時に電球(ライト)が点くのです。相異なる物理量を抽出して結び付けていったのです。 そんな作業を一つ一つ進める困難の中、原理を確立して社会に意義を問いかけた結果として、現代に多大な功績を残し、オームの名は抵抗値の単位として今後も使われていきます。 補足:一次情報・史実(調査による補足)正確を期す為に以下、オームの研究・生涯について、一次情報または信頼性の高い史実をもとに補足します。著書オームの代表作は 1827年の Die galvanische Kette, mathematisch bearbeitet(ガルバニ電流の数学的研究)で、ここで彼は電位差 (V)、電流 (I)、導線の長さ・断面積などから抵抗 R を導入し、比例関係を数学的に述べています。 ウィキペディア+1教育背景オームは幼少期に父から家庭教育を受け、数学や物理、哲学などを学びました。 ウィキペディアキャリア1811年:エアランゲン大学で博士号取得。 ウィキペディア1813年:バンベルク (Bamberg) の学校で数学・物理教師。 ウィキペディア1817年:ケルン (Cologne) ギムナジウム (イエズス会) 教師。 ウィキペディア1833年:ニュルンベルクのポリテクニック (工科学校) 教師。 ウィキペディア1852年:ミュンヘン大学で実験物理の教授。 ウィキペディア業績評価1841年:イギリス王立協会 (Royal Society) よりコプリー・メダル受賞。 ウィキペディア生涯独身、生涯を通じて実験・理論の研究に専念。 kenshoku-bank.com+1関連する物理学者(電磁気学の系譜)◀ 前の人物:エルステッド(1777–1851)▶ 次の人物:ファラデー(1791–1867)この分野の物理学者アンペールエルステッドオームファラデーマクスウェル 【スポンサーリンク】〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近、返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/09/30_初稿投稿 2026/06/11_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ ドイツ関係へ 時代別(順)のご紹介 電磁気関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】 【2021年8月時点での対応英訳】Ohm who found Ohm’s lawIts name is Georg Simon Ohm. Famous for Ohm’s law.Ohm’s law is indispensable and very clear when discussing circuits quantitatively, so it can be explained from the elementary school level.It is easy to understand when teaching science to children, and it is clear as an example where experiments and principles are connected.The voltage value; E is the product of the utility pole value; I and the resistance value; R. E = RI.Background of the establishment of Ohm’s lawOhm was self-taught in mathematics, especially geometry, and had a time to make a living as a teacher before entering his research life. He then sent a manuscript on geometry to King Prussian, who was evaluated for the treatise and had the opportunity to teach physics at the Gymnasium in Cologne.It was very good for Ohm after that that the laboratory there was well equipped.Ohm’s law, in fact, seems to have been discovered earlier by Cavendish in England, but he did not announce it during his lifetime.Ohm established his own law without exchanging opinions with Cavendish and summarized it in his treatise.About electronic grasp of OhmAlso, Ohm himself seems to have argued about the behavior of electrons in the conductor as a result of proximity action, but even from such an episode, it is difficult to verify in order to assemble a micro phenomenon that is invisible. I feel it.After the concept of static electricity is established, it is possible to recognize that electrons are accumulating, and when an isotope is brought close to the accumulated one, electricity flows. At that time, the light bulb arrives.He extracted and linked the physical quantities that he had struck.In the midst of the difficulty of proceeding with such work one by one, the name of Ohm, who established the principle and questioned the significance of society and left a great deal of achievement in modern times, will continue to be used as a unit of resistance value.FacebookXBlueskyHatenaCopy
2025年11月13日2026年4月29日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す100年を迎える東京大学地震研究所(ERI)が築いた地震学とこれからのAI時代 本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。1.1 設立背景と制度整備震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。【地震研究の主要年表】年出来事関連人物・機関1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉1923年関東大震災内務省震災予防調査会1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC第2章:技術革新と地震学の転機地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。第3章:AI時代の地震研究と未来展望AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。3.2 国際共同研究・データ共有の潮流米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。【用語解説】地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。まとめ東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。参考文献: ・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊) ・東京大学地震研究所公式サイト(ERI) ・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2025/11/13_初稿投稿サイトTOPへ 時代別(順)のご紹介 17世紀生まれの物理学者へ 18世紀生まれの物理学者へ 19世紀生まれの物理学者へ 20世紀生まれの物理学者へFacebookXBlueskyHatenaCopy
本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。1.1 設立背景と制度整備震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。【地震研究の主要年表】年出来事関連人物・機関1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉1923年関東大震災内務省震災予防調査会1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC第2章:技術革新と地震学の転機地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。第3章:AI時代の地震研究と未来展望AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。3.2 国際共同研究・データ共有の潮流米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。【用語解説】地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。まとめ東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。参考文献: ・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊) ・東京大学地震研究所公式サイト(ERI) ・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2025/11/13_初稿投稿サイトTOPへ 時代別(順)のご紹介 17世紀生まれの物理学者へ 18世紀生まれの物理学者へ 19世紀生まれの物理学者へ 20世紀生まれの物理学者へ
2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すF. J. Dysonの死 【2020-03-02‗95歳_ノーベル賞 】 (以下全て転載内容)2020-03-02 ・昨日の新聞でF. J. Dysonが亡くなったのを知った。95歳だったという。朝永、Schwinger, Feynmanの量子電磁気学の理論をまとめた理論をつくった人として知られている。同じ年代の物理学者C. N. YangはDysonが上の3人と一緒にノーベル賞をもらえなかったことについて上記3人にだけノーベル賞を授与した委員会の批判的であった。同じ業績に対して3人までの受賞者とするノーベル賞委員会の不文律があるのをC.N. Yangが知らないはずはない。だが、そういう不文律を破ることも、また意味があるくらい量子電磁気学のくりこみ理論に対するDysonの寄与は大きかったとYangは評価していたのだろうと思う。Yangももう高齢だと思うが、彼はまだ生存しているのではないかと思うが、定かではない。Dysonと聞くと、私の妻などはどうも自動で掃除する電気掃除機のようだねと言っていた。最近ではDysonという名前の自動掃除機が販売されている。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへFacebookXBlueskyHatenaCopy
2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すテラー 【2019-08-09‗オッペンハイマー_ダイソン 】 (以下全て転載内容)2019-08-09 ・テラーとは水爆をつくったエドワード・テラーのことである。NHKの昨夜の「フランケンシュタインの誘惑」ではオッペンハイマーを権力の座から追い落して、自分が表にでて、水爆をつくったのはよかったが、オッペンハイマーを追い落とす査問委員会の証言で彼に不利な証言をしたために、その後の科学者社会とのつきあいがなくなって、晩年はとてもさびしかったのではないかとの話であった。ピアノを弾くのが好きであったから、晩年はピアノを弾いて過ごしたという。それでもあからさまにつきあいはなかったかもしれないが、ノーベル賞学者のヤンはテラーの支持でシカゴ大学で学位をとったので、少しはテラーに同情的であった。量子電気力学の業績で知られる、ダイソンもそれほどテラーを嫌ってはいなかったらしい。でも昔からの友だちはみんなテラーから離れてしまったことはたぶん間違いがない。テラーは山登りも好きであった。若いときに、これはたぶんハンガリーにいたときの話だが、電車にはねられて脚を折ったとか聞いている。だから脚がわるかったはずだ。なかなか直観的な理解をする人だとも聴いている。テラーの群論の理解が直観的であったとかヤンの書いた文章で読んだことがある。ただ権力的なところがあり、ちょっと科学者仲間からは人生の途中から大いに敬遠された。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへFacebookXBlueskyHatenaCopy
2025年11月9日2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すエディトンとチャンドラセカール 【2019-06-21 _星の一生_プリンキピア】 (以下全て転載内容)2019-06-21 ・エディトンとチャンドラセカールとの奇しき因縁を昨夜のNHKのテレビの放送ではじめて知った。エディトンは1916年だったかに観測隊を指揮してアフリカに出かけて、日食のときの星の位置を観測して、それを普通のときの星の位置ときに見える位置と比較して、一般相対性理論の重力による光の曲り方が相対論の予言と一致することを示した。一般相対性理論では3つの実験的検証があるが、そのうちの一つである。ちなみに一般相対論の残り二つの実験的検証は「水星の近日点の移動」と「光のスペクトルの赤方偏移」である。それはさておき、星の一生を研究したエディントンは星の最後は白色矮星になることであると結論した。ところがチャンドラセカールはもし星が太陽の30倍以上の質量をもつと星の最後は白色矮星にはならず、ブラックホールになると予言した。エディントンはこの仮説を認めず、チャンドラをイギリスから追い払った。チャンドラは優秀な人であったから、アメリカに行き、そこでブラックホールとは関係のない,星の研究をしていたが、水爆実験か何かの折に出てくる光か何かの電磁波のスぺクトルが、チャンドラの予言したブラックホールの予想した電磁波のスペクトルに類似しているとの手紙を若い学者から受け取り、約40年前の自分の理論が正しかったことを知るようになった。シカゴの郊外の天文台に勤めていたチャンドラはシカゴ大学の大学院の講義にでかけてきていたが、彼の教えていたクラスからはヤンやリーとかノーベル賞受賞者が続出していたという。その後、彼自身もノーベル賞を受賞した。何年間かあるテーマについてチャンドラは研究するが、そのおしまいに、その分野の研究についてのテクストを書いて、その研究を終わりにするという習慣があった。彼の人生の最後の研究はニュートンのプリンキピアであった。それはプリンキピアの命題を読んで、その証明は読まずに、自分でその命題を証明して、そのあとでプリンキピアの証明を読むという方法である。その本は読んだことはないが、日本語での訳本が講談社から、中村誠太郎訳で出ている。この訳本は定価が1万円以上するもので、1冊公費で購入して大学の在職時代にはもっていたが、退職時に図書館に返却したので、現在は手元にはもっていない。暇ができたら、大学の図書館から借り出して読んでみたいと思っているが、そんな機会が私に来るかどうかはわからない。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへFacebookXBlueskyHatenaCopy
2025年11月9日2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すGemさんの部屋【2025/11/09‗改訂投稿】 本稿では別ブログでの記録を残していきます。きっかけはGooブログの終了です。Gemさんは20世紀初頭から20年程の長きにわたり 様々な情報を展開しててくれて、私も毎日楽しみにしてました。 毎日、昔馴染みのご近所さんに挨拶をする感覚で覗いていたのです。毎日毎日、楽しみにしていたブログを少しでも長く残そうと 本稿を起こしています。以下、週末ごとに補記する予定なので 皆さんも呑気にご覧下さい。実際には、ご本人に了承を頂けましたので クローラーを潜り込ませて出来るだけ情報が残しています。 7000記事以上と情報が膨大なので展開は後程考察します。 ワードプレス内にPython等でキーワード検索機能をつけ キーワードごとに抽出が出来たらよいと考えています。先ずは抜粋をご覧下さい。ガロアのノートにあった詩 【2015-11-18 投稿分_岩田義一_偉大な数学者】 昨夜の「数学白熱教室」 【2015-11-28投稿分_谷山氏_フェルマーの定理】数学・物理通信6-3を発行 【2016-03-19投稿分_周期ポテンシャル_井戸型ポテンシャル】 伏見康治コレクション3 【2016-05-24投稿分‗伏見廉治_数学セミナー】 エ―レンフェストの定理 【2016-06-21投稿分_期待値_波束_古典力学】 ブログは消耗品である 【2016-12-24投稿分‗広重_共鳴粒子_坂田モデル】遠山啓さんの心配 【2017-04-26投稿分‗水道方式_武谷三男】 cleverな人よりもwiseな人を 【2017-04-28投稿分 ‗湯川秀樹_ボルン】 complementary 【2017-12-07投稿分_ボーア_ソリトン_広田良吾】四元数の流行を下火にした人 【2018-04-10投稿分 ‗ハミルトン‗ギッブス_へヴィーサイド】 『物理学天才列伝』下 【2018-08-20投稿分 プリンキピア_ブラックホール】 Diracの寡黙とGell-Manのライターズ・ブロック 【2018-08-27投稿分‗Dirac_gell-man】エディトンとチャンドラセカール 【2019-06-21 _星の一生_プリンキピア】 テラー 【2019-08-09‗オッペンハイマー_ダイソン 】F. J. Dysonの死 【2020-03-02‗95歳_ノーベル賞 】 C. N. Yangの方は 【2020-03-03‗97歳_清華大学】 小説『カード師』 【2020-06-09‗二重スリット_外村彰】 コンプトン効果を連立方程式の問題にしたら 【2020-12-02_シルビィアの量子力学】花粉症 【2021-02-22 ‗Heisenberg_Bornに休暇】 大栗博司さんの本を手に入れた 【2021-07-13_中西襄先生 】 益川さんが亡くなった 【2021-07-30‗名古屋大学_81歳】 学士院賞をもらった後で 【2021-08-02‗topクォーク_CP破れ 】〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/03_初版投稿 2025/11/09‗改訂投稿サイトTOPへFacebookXBlueskyHatenaCopy