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ロバート・フック【ばねの運動に働く力学を法則化した英国人】-5/16改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
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(以下原稿です)v

「ニュートンに消された男(中島秀人著)」
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【1635年7月28日生まれ ~ 1703年3月3日没】

ロバート・フック(Robert Hooke, 1635–1703)
― 忘れられた万能科学者 ―

肖像画(再建) | 出典 : Wikimedia Commons
「Portrait of Robert Hooke (reconstruction, 2004)」 (Wikipedia 英語版)

 

第1章 生い立ちと初期教育

ロバート・フックは1635年7月18日、イギリス南部ワイト島の
フレッシュウォーター村に生まれました。父ジョン・フックは
英国国教会の牧師で、家庭は敬虔で教育熱心でした。幼い頃から
機械細工に興味を持ち、模型を作る手先の器用さで周囲を驚かせたといいます。

その才能を見抜かれたフックはロンドンのウェストミンスター校で学び、
数学と物理の基礎を修めた後、オックスフォード大学
クライスト・チャーチ校に進みました。

クライスト・チャーチ校(オックスフォード大学) | 出典 : Wikimedia Commons

 

第2章 ボイルとの出会いと科学者としての出発

フックは在学中に哲学者・科学者ロバート・ボイルと出会い、
助手として空気ポンプの実験に携わります。二人は空気の弾性と
圧力の関係を研究し、ボイルの法則(Boyle’s Law)確立の一翼を担いました。

この経験を通じてフックは、実験と理論を結びつける
近代科学的思考を身につけ、後の業績の基盤を築きました。
フックは単なる助手ではなく、実験装置の改良・観測技術・測定手法を
自ら作り上げた「実験科学の技術者」でもありました。

ボイルの空気ポンプ(1660年代) | 出典 : Wikimedia Commons 「Robert Boyle’s air pump」

 


第3章. 代表的業績

・「ばねの伸びが力に比例する」という関係、
いわゆるフックの法則を提唱しました。

・1665年出版の『Micrographia』では、
コルク片を顕微鏡観察した際、
小部屋状の構造を「cell(細胞)」と呼び、
後の細胞学の発展へ繋がる重要な視点を提示しました。

 


・1666年のロンドン大火後には、
建築・測量・都市復興計画にも関与し、
科学者としてだけではなく技術者としても活躍しました。

 


第4章. 人間的側面・評価

フックは非常に多才であった一方で、
同時代のアイザック・ニュートンとの対立でも知られています。

また、ロバート・フックには「確実な肖像画が残っていない」
という科学史上のミステリーも存在します。
そのため現在知られる肖像の多くは、
後世の想像図や復元画である可能性があります。

若年期から背骨が徐々に曲がっていったという記録もあり、
外見への強いコンプレックスを抱えていたとも言われています。

しかしその苦悩の一方で、
フックは実験装置・顕微鏡観察・建築・力学など
多方面に巨大な足跡を残しました。

関連する科学者の系譜(実験科学と力学)

◀ 前の人物:ロバート・ボイル(1627-1691)

▶ 次の人物:アイザック・ニュートン(1643-1727)


この分野の科学者(実験科学・顕微鏡)

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Hook in yonger Days

Born in England, Hook worked as an experimental assistant under Boyle when he was young and gained a lot of experience. And again, he learns various ideas such as Euclid’s Elements and refraction of light. Looking at Hook’s information, he seems to have had a relationship problem on the personality side. In the first place, Hook’s father was a priest of the Anglican Church.

It seems that the two older brothers are also living their lives as priests. .. Robert Hooke, who grew up in such a family, may have built a divine aesthetic in the world of theory such as science and mathematics. Religious aspects should be considered as a spiritual foundation.

noble ideals and Hook

The noble ideals and absurdities of the real world that emerged from it were his problems. In mathematics, gratitude for “impression when overcoming a problem wall” and “when making a new discovery without the help of anyone” seems to be a part that cannot be completely conveyed to people. If you couldn’t share the excitement there,

Hook must have felt lonely. After re-examining it when writing this introduction, Hook is finally living a lonely life. Hook had no descendants. Also, his achievements are inferior to his contemporaries Newton. It seems that Newton respected the elderly Hook, but in the end it was a debate, and he would have been argued with his depth of scientific thinking and a clear perspective.

Hook’s Work

However, his achievements deserve special mention. His famous work is Hooke’s Law in Spring. The law that the force acting on a spring is proportional to the first power of length is very clear and is still applied in various fields.

It was also argued that the law that the force acting between planets acts on the minus square of the distance was also the idea of ​​Hook. The truth is unknown now. It is important for him to systematize as a theory, but it is also important to give awareness first. In that sense, Hook feels great just because he was having a discussion.

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アイザック・バロー
【幾何学的に微積分を考えニュートンを育てた】-5/17改訂

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「遥かなるケンブリッジ」藤原正彦著
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【1630年10月生まれ ~ 1677年5月4日没】

アイザック・バロー(Isaac Barrow)
ルーカス教授職の初代数学者

Wright of Derby, Joseph; Isaac Borrow, Recorder of Derby; Derby Museums Trust; http://www.artuk.org/artworks/isaac-borrow-recorder-of-derby-61236

肖像画:Isaac Barrow(1630-1677頃)|出典:Art UK / Wikimedia Commons

生涯と背景

今回のご紹介するバロー教授は
イギリス・ケンブリッジ大学の数学者です。
バローはケンブリッジ大学での
ルーカス教授職に初めて任命されています。
ルーカス教授職とは、ケンブリッジ大学に設置された著名な数学講座です。
後にニュートン、ディラック、ホーキングらが就任したことで
知られています。
特に数学系の理解が高い人物に贈られます。

アイザック・バロー(Isaac Barrow)は1630年10月(または同年)にロンドンで生まれ、
1677年5月4日にロンドンで46歳で没しました。:contentReference[oaicite:1]{index=1}

彼は英国ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学び、1648年に学士、
1652年に修士を取得しています。:contentReference[oaicite:2]{index=2}

1663年には、ケンブリッジ大学における数学講座「Lucasian Professorship
(ルーカス教授職)」に初めて任命されました。:contentReference[oaicite:4]{index=4}
その職位を1669年に弟子である Isaac Newton に譲り、
数学から神学の研究へと移行しています。:contentReference[oaicite:6]{index=6}

バローの数学的業績

バローは微分積分学の先駆者として、「導関数と積分は逆操作である」という
概念を幾何学的に整理しました。:contentReference[oaicite:7]{index=7}

これらの整理・体系化は、後にニュートンやライプニッツが
微積分法を構築する際の理論的背景となりました。

 筆者とバローの出会い

私がバローの名を初めて知ったのは
高校の時の英語の教材で、
次の様な文章だった気がします。

Just under three hundred years ago,
the professor of mathematics
at Cambridge did distinctly unusual
thing. He decided one of his pupil was..…

上記英文での教授がバロー先生で
その後に出てくる弟子(生徒)がニュートン
なのです。バローはニュートン
ルーカス職を譲ります。(1669年の話です)
当時20代のニュートンの方が
ルーカスの職位に相応しいと判断したのです。

異例な判断だったようですが
その後のニュートンの業績を考えると
バローの判断は素晴らしいと分かります。
因みにその後、名誉あるルーカス職は
ディラック
ホーキング

引き継いでいきます。

 バローの業績

上記、英語の文書が書かれた時代
から更に時代は進んでますが、
バローの残した業績は物理学のみ
ならず、工学、ひいては産業に
大きな成果を残しています。

また正割(secant; セカント・Arccos;アークコサイン)関数
の積分を「閉じた式」で表現しました。

またバローは、正割関数(sec)の積分に関する整理でも知られています。

積分をバローは「閉じた式」で表現しましたが無限に続く
漸化式や、点線(・・‣)を含む式は使わない表現です。

こうした整理・体系化をバローは進めました。
ニュトンに教授職を引き継いだ後は
神学の研究に移ったと言われています。

関連する科学者の系譜(微積分の成立)

◀ 前の人物:ルネ・デカルト(1596-1650)

▶ 次の人物:アイザック・ニュートン(1643-1727)


この分野の科学者(数学と物理)

ゴットフリート・ライプニッツ

アイザック・ニュートン

ルネ・デカルト

〆最後に〆

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 Barrow and Lucas

Professor Barrow is a mathematician at the University of Cambridge, England. Barrow has been appointed for the first time as a Lucas professor at the University of Cambridge. The Lucas professor is the title (position) of the University of Cambridge and is given by the king to a cool physicist. It is especially given to those who have a high understanding of mathematics.

 My Memory

The first time I learned the name of Barrow was in English teaching materials when I was in high school, and I think it was the following sentence.

Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing. He decided his pupil his was ..…

The professor in English above is Mr. Barrow, and the disciple (student) who appears after that is Newton. Barrow hands over Lucas to Newton. He decided that he was more suitable for his position.

It seems that it was an unusual decision, but considering Newton’s subsequent achievements, Barrow’s decision is wonderful. By the way, Dirac and Hawking will take over the prestigious Lucas profession after that.

 Barrows work

Although the times have progressed further from the time when the above English documents were written, Barrow’s achievements have made great achievements not only in physics but also in engineering and eventually in industry.

Specifically, it is said that what is remarkable about the achievements left by Barrow is that he geometrically proved that differentiation and integration are the opposite mathematical acts. It may be natural now, but it is the result of Barrow’s organization and systematization.

 

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クリスティアーン・ホイヘンス
【オランダ物理学の黎明期に光学を研究】-5/6改訂

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【1629年4月14日‐1695年7月8日】

Christiaen Huygens II (1629-1695)
*oil on paper on panel
*30 x 24 cm
*signed b.l.: C.Netscher / 1671

【出典:出典:Wikimedia Commons】

ホイヘンスの生い立ち

ホイヘンスはオランダ物理学の歴史を感じさせます。

17世紀前半からホイヘンスのような
大物が出てくるのです。 

オランダの名家にホイヘンスは生まれライデン大学で

数学と法律を修めました。物理学はその知見を活かす

フィールドだったと言えます。特にホイヘンスは

数学で優秀さを発揮していたと言われています。

同時代のニュートンが光を粒子として捉えたのに対し、ホイヘンスは
波として理解しようとしました。光学
モデルは幾何学的なイメージを
しっかり作ると分かり易く話が整理しやすいのです。

ホイヘンスの業績

ホイヘンスの物理学関係の業績としては何より光学での業績が
顕著です。所謂「ホイヘンスの原理」は後の物理学者達
が波動を考えていく上でとても有益だった筈です。

波の性質が突き詰められていき、縦波とか横波とか
周波数とか周期とか最終的には波面や、さざ波も、
後の時代には光も同じ定数で表現出来る現象となるのです。

ホイヘンスの原理は、波の伝播を幾何学的に理解する枠組みを与え、
後の波動光学の発展に大きな影響を与えました。こうした考え方は、
後世において音や光といった波動現象の理解へと繋がっていきます。

この理解が重ね合わせの原理の土台として役立ち、
振動解析や音響解析へと話が進んでいくのです。

デルフフト工科大学
Credit:Casper van Battum

【出典:Pixabay】 

ホイヘンスから繋がる人脈

更に20世紀初頭にエーレンフェストアインシュタインがホイヘンスの
母校であるライデン大学で議論していたと考えてみると、人々の繋がり
に小さな感動さえ覚えます。加えてライデン大学ではローレンツカメリー・オネス
も研究を進めていくのです。

科学での一番最初の障壁は一般化を含めた

「理解」だと感じます。

一般の人々にも説明出来る

「言葉」を出来るだけ沢山、科学者が

作り出すことが大事です。その点で

ホイヘンスは初めの難しさを超えたのです。

 

ホイヘンスの他の業績

別途、ホイヘンスは土星の衛星タイタンの発見したり、振り子の原理を
理解して時計を制作したり、オリオン大星雲を発見してスケッチしたり、
その進取の精神には驚かされます。特に1675年ごろ、ホイヘンスは
火薬の反応を利用した運動装置(ピストンまたは往復運動機構)に関する
実験記録を残していますが、これが“内燃機関”と呼ばれる構造そのものかどうか
には議論があります。なおニュートン(Isaac Newton)の
『プリンキピア』(1687年)よりも先行して、動力の伝達や反動
に関する思索を行っていた点は注目に値します。

「瞬時に伝番していく撃力」に関する考察を、ホイヘンスが独自
に形にしているとも言えます。特筆すべき一面かと思えます。

なお、いわゆるエーテルの存在をホイヘンスは想定して

後の物理学に議論の土壌を残しました。

この功績も非常に重要です。

補足・修正すべき情報と一次資料確認

  • Christiaan Huygens(1629-1695)はオランダ・ハーグ生まれで、数学・物理・天文学・計時機械など
    で幅広く業績を残しています。 Encyclopedia Britannica+2数学史+2

  • 彼は1645年に Leiden University(ライデン大学)で数学・法学を学びました。
    Encyclopedia Britannica+1

  • 光学・波動理論において「ホイヘンスの原理(Huygens’ principle)」を提起し、
    光波の伝播理論に大きな影響を与えました。 ウィキペディア+1

  • 土星の環や衛星タイタンを発見・説明するなど、天文学分野の貢献も顕著です。 数学史+1

  • 振り子時計を発明・特許取得し、計時技術の基礎を築いたことも確認できます。 数学史

なお、本稿での「火薬を使った往復型の内燃機関を形にした」という記述については、
確認できる一次情報が見つかっていません。確認が出来ましたら次の原稿で改訂します。

関連する科学者の系譜(波動と力学)

◀ 前の人物:ロバート・ボイル(1627-1691)

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舞台別の纏め
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電磁気学の纏め
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(以下は2021年8月時点での対応英訳です)

Base of Huygens’s LIFE

Huygens was born into a well-known Dutch family and studied mathematics and law at Leiden University. It can be said that physics was a field where he could make use of his knowledge. He is especially said to have showed his excellence in mathematics. An optical model is easy to understand if you make a solid geometric image, and it is easy to organize the story. His physics-related work is particularly remarkable in “Optics”. The so-called “Huygens principle” should have been very useful for later physicists to think about waves.

Huygens’s work

The nature of the wave is scrutinized, and it becomes a phenomenon that the longitudinal wave, the transverse wave, the frequency, the period, and finally the wavefront, the ripples, and the light can be expressed by the same constant. This understanding serves as the basis for the principle of superposition, and the discussion progresses to vibration analysis and scale analysis.

Huygens’s reration

Also, given that Ehrenfest and Einstein were discussing at Leiden University, Huygens’ alma mater, at the beginning of this century, I am even impressed by the connections between people. In addition, Leiden University will also pursue research by Lorenz and Kamerlingh Ones.

I feel that the very first barrier in science is understanding, including generalization. It is important for scientists to create as many “words” as possible that can be explained to the general public. In that respect, Huygens surpassed his initial difficulties.

Huygens’s other works

You will also be amazed at the enterprising spirit of discovering Saturn’s moon Titan, understanding the principles of the pendulum to make watches, and discovering and sketching the Orion Nebula. Especially in 1675, it is said that the world’s first reciprocating internal combustion engine using gunpowder was formed. Since Newton’s Principia was published in 1687, it is assumed that Huygens has uniquely shaped his thoughts on “instantaneous transmission power.” I think this is a noteworthy aspect.

Huygens also left the ground for debate in later physics, assuming the existence of so-called ether. I think this achievement is also very important.

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100年を迎える東京大学地震研究所(ERI)が築いた地震学とこれからのAI時代

東大

本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。


第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人

関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。

1.1 設立背景と制度整備

震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。

1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築

1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。

1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新

大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。

【地震研究の主要年表】

出来事関連人物・機関
1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学
1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉
1923年関東大震災内務省震災予防調査会
1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒
1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男
2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC

第2章:技術革新と地震学の転機

地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。

2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ

地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。

2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及

地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。

2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化

1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。


第3章:AI時代の地震研究と未来展望

AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。

3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果

ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。

3.2 国際共同研究・データ共有の潮流

米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。

3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学

完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。

【用語解説】

  • 地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。
  • AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。
  • DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。

まとめ

東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。

参考文献:
・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊)
・東京大学地震研究所公式サイト(ERI
・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)

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F. J. Dysonの死 【2020-03-02‗95歳_ノーベル賞 】

(以下全て転載内容)

2020-03-02 ・

昨日の新聞でF. J. Dysonが亡くなったのを知った。95歳だったという。

朝永、Schwinger, Feynmanの量子電磁気学の理論をまとめた理論をつくった人として知られている。

同じ年代の物理学者C. N. YangはDysonが上の3人と一緒にノーベル賞をもらえなかったことについて上記3人にだけノーベル賞を授与した委員会の批判的であった。

同じ業績に対して3人までの受賞者とするノーベル賞委員会の不文律があるのをC.N. Yangが知らないはずはない。だが、そういう不文律を破ることも、また意味があるくらい量子電磁気学のくりこみ理論に対するDysonの寄与は大きかったとYangは評価していたのだろうと思う。

Yangももう高齢だと思うが、彼はまだ生存しているのではないかと思うが、定かではない。

Dysonと聞くと、私の妻などはどうも自動で掃除する電気掃除機のようだねと言っていた。最近ではDysonという名前の自動掃除機が販売されている。

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テラー 【2019-08-09‗オッペンハイマー_ダイソン 】

(以下全て転載内容)

2019-08-09 ・テラーとは水爆をつくったエドワード・テラーのことである。

NHKの昨夜の「フランケンシュタインの誘惑」ではオッペンハイマーを権力の座から追い落して、自分が表にでて、水爆をつくったのはよかったが、オッペンハイマーを追い落とす査問委員会の証言で彼に不利な証言をしたために、その後の科学者社会とのつきあいがなくなって、晩年はとてもさびしかったのではないかとの話であった。

ピアノを弾くのが好きであったから、晩年はピアノを弾いて過ごしたという。それでもあからさまにつきあいはなかったかもしれないが、ノーベル賞学者のヤンはテラーの支持でシカゴ大学で学位をとったので、少しはテラーに同情的であった。

量子電気力学の業績で知られる、ダイソンもそれほどテラーを嫌ってはいなかったらしい。でも昔からの友だちはみんなテラーから離れてしまったことはたぶん間違いがない。

テラーは山登りも好きであった。若いときに、これはたぶんハンガリーにいたときの話だが、電車にはねられて脚を折ったとか聞いている。だから脚がわるかったはずだ。

なかなか直観的な理解をする人だとも聴いている。テラーの群論の理解が直観的であったとかヤンの書いた文章で読んだことがある。

ただ権力的なところがあり、ちょっと科学者仲間からは人生の途中から大いに敬遠された。

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エディトンとチャンドラセカール 【2019-06-21 _星の一生_プリンキピア】

(以下全て転載内容)

2019-06-21 ・エディトンとチャンドラセカールとの奇しき因縁を昨夜のNHKのテレビの放送ではじめて知った。エディトンは1916年だったかに観測隊を指揮してアフリカに出かけて、日食のときの星の位置を観測して、それを普通のときの星の位置ときに見える位置と比較して、一般相対性理論の重力による光の曲り方が相対論の予言と一致することを示した。

一般相対性理論では3つの実験的検証があるが、そのうちの一つである。ちなみに一般相対論の残り二つの実験的検証は「水星の近日点の移動」と「光のスペクトルの赤方偏移」である。

それはさておき、星の一生を研究したエディントンは星の最後は白色矮星になることであると結論した。ところがチャンドラセカールはもし星が太陽の30倍以上の質量をもつと星の最後は白色矮星にはならず、ブラックホールになると予言した。

エディントンはこの仮説を認めず、チャンドラをイギリスから追い払った。チャンドラは優秀な人であったから、アメリカに行き、そこでブラックホールとは関係のない,星の研究をしていたが、水爆実験か何かの折に出てくる光か何かの電磁波のスぺクトルが、チャンドラの予言したブラックホールの予想した電磁波のスペクトルに類似しているとの手紙を若い学者から受け取り、約40年前の自分の理論が正しかったことを知るようになった。

シカゴの郊外の天文台に勤めていたチャンドラはシカゴ大学の大学院の講義にでかけてきていたが、彼の教えていたクラスからはヤンやリーとかノーベル賞受賞者が続出していたという。その後、彼自身もノーベル賞を受賞した。

何年間かあるテーマについてチャンドラは研究するが、そのおしまいに、その分野の研究についてのテクストを書いて、その研究を終わりにするという習慣があった。

彼の人生の最後の研究はニュートンのプリンキピアであった。それはプリンキピアの命題を読んで、その証明は読まずに、自分でその命題を証明して、そのあとでプリンキピアの証明を読むという方法である。その本は読んだことはないが、日本語での訳本が講談社から、中村誠太郎訳で出ている。

この訳本は定価が1万円以上するもので、1冊公費で購入して大学の在職時代にはもっていたが、退職時に図書館に返却したので、現在は手元にはもっていない。暇ができたら、大学の図書館から借り出して読んでみたいと思っているが、そんな機会が私に来るかどうかはわからない。

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Gemさんの部屋【2025/11/09‗改訂投稿】

本稿では別ブログでの記録を残していきます。

きっかけはGooブログの終了です。

Gemさんは20世紀初頭から20年程の長きにわたり
様々な情報を展開しててくれて、私も毎日楽しみにしてました。
毎日、昔馴染みのご近所さんに挨拶をする感覚で覗いていたのです。

毎日毎日、楽しみにしていたブログを少しでも長く残そうと
本稿を起こしています。以下、週末ごとに補記する予定なので
皆さんも呑気にご覧下さい。

実際には、ご本人に了承を頂けましたので
クローラーを潜り込ませて出来るだけ情報が残しています。
7000記事以上と情報が膨大なので展開は後程考察します。
ワードプレス内にPython等でキーワード検索機能をつけ
キーワードごとに抽出が出来たらよいと考えています。

先ずは抜粋をご覧下さい。

ガロアのノートにあった詩 【2015-11-18 投稿分_岩田義一_偉大な数学者】
昨夜の「数学白熱教室」 【2015-11-28投稿分_谷山氏_フェルマーの定理】

数学・物理通信6-3を発行 【2016-03-19投稿分_周期ポテンシャル_井戸型ポテンシャル】
伏見康治コレクション3 【2016-05-24投稿分‗伏見廉治_数学セミナー】
エ―レンフェストの定理 【2016-06-21投稿分_期待値_波束_古典力学】
ブログは消耗品である 【2016-12-24投稿分‗広重_共鳴粒子_坂田モデル】

遠山啓さんの心配 【2017-04-26投稿分‗水道方式_武谷三男】
cleverな人よりもwiseな人を 【2017-04-28投稿分 ‗湯川秀樹_ボルン】
complementary 【2017-12-07投稿分_ボーア_ソリトン_広田良吾】

四元数の流行を下火にした人 【2018-04-10投稿分 ‗ハミルトン‗ギッブス_へヴィーサイド】
『物理学天才列伝』下 【2018-08-20投稿分 プリンキピア_ブラックホール】
Diracの寡黙とGell-Manのライターズ・ブロック 【2018-08-27投稿分‗Dirac_gell-man】

エディトンとチャンドラセカール 【2019-06-21 _星の一生_プリンキピア】
テラー 【2019-08-09‗オッペンハイマー_ダイソン 】

F. J. Dysonの死 【2020-03-02‗95歳_ノーベル賞 】
C. N. Yangの方は 【2020-03-03‗97歳_清華大学】
小説『カード師』 【2020-06-09‗二重スリット_外村彰】
コンプトン効果を連立方程式の問題にしたら 【2020-12-02_シルビィアの量子力学】

花粉症 【2021-02-22 ‗Heisenberg_Bornに休暇】
大栗博司さんの本を手に入れた 【2021-07-13_中西襄先生 】
益川さんが亡くなった 【2021-07-30‗名古屋大学_81歳】
学士院賞をもらった後で 【2021-08-02‗topクォーク_CP破れ 】

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Diracの寡黙とGell-Manのライターズ・ブロック 【2018-08-27投稿分‗Dirac_gell-man】

2018-08-27・これらは天才的な学者であった、二人の家庭環境から来ているらしい。

Diracの父親はスイス出身のフランス語教師であり、夕食のときにDiracにフランス語を話すように強制したために、英語でもDiracはほとんど話さないようになったと言われている。

誰かがフランス語圏からDiracに会いにやってきたときに、フランス語をDiracが解しないと思って一生懸命に英語で話そうとしたとかいう話があり、そのあとでDiracがランス語が話せることを知っておどろいたとか読んだことがある。またフランス語で書かれたDiracの論文もあったはずだ。

同じようにGell-Manも心理的要因から文章が書けなくなるという症状をもっていたらしい。卒業論文は完成するどころか、書き出すこともできなかったというから、Gell-Manのライターズ・ブロックは重症である。そういう病気があるとは私自身は聞いたことがない。

Yale大学では大学院には進めなかったので、MITに進んだという。そこで、Weiskopfにつく。
Wesikopfからは実践的な物理学を学んだという。「数学的洗練さよりも、証拠と一致するかどうかを重んじろ。できる限り単純さを追い求め、決まり文句やもったいぶった言い方は避けろ」

これはなかなかいいアドバイスである。こういうアドバイスをする人はその当時はほとんどいなかったのではないか。私などが育ってきた研究雰囲気と似通っているが、それは横道にそれる。

Gell-Manの優れた点は問題の表面的な細部に惑わされずに、「分析的な目」で、その裏に隠されたパータンを見抜く才能にあったという。

ただ、列伝の著者も彼が少し嫌な性格の持ち主であったことをほのめかしているようだ。

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『物理学天才列伝』下 【2018-08-20投稿分 プリンキピア_ブラックホール】

2018-08-20 ・ブルーバックス(講談社)を図書館から借りてかえって、その一部を拾い読みしている。

私がおもしろかったのはチャンドラ・セカールであった。南部さんの『素粒子』(ブルーバックス)だったかに天文台からシカゴ大学まで大学院のセミナーをするために出てきていたとか書いてあって、彼のクラスの全員がノーベル賞をとったと説明があった。

これはリーとかヤンとかがその直後にノーベル賞をとったことを意味してもいた。そのうちにチャンドラー自身がノーベル賞をとる。

わたしが関心をもったのはチャンドラーの最後の研究である、ニュートンのプリンピアの話であった。彼はプリンキピアをはじめからは読まないで、自分で力学の定理を書いてそれを現代的に証明して、それからその点をニュートンがどう書いているかをプリンキピアを読むことで比較したという。そして、どのようにニュートンがうまく力学のことを書いているかを痛感したという。

この研究はいつものチャンドラの流儀で本にした。すなわち、チャンドラーは自分の研究の総括としていつもその分野の専門書を書いて、その分野の研究を終わりにしていた。このチャンドラーの最後の研究書は中村誠太郎さんの訳で講談社から出されている。もっともこの本は一万円を超える定価がついていたと思う。

もっともこの説明で私もこの訳本を読んでみたくなった。

もう数十年も昔のことだが、日本にチャンドラがやってきて、ブラックホールについて物理学会で講演した。その講演の訳が物理学会誌にでていたのだが、その最初の部分のアイディアを使って、試験問題をつくったという思い出がある。

入試の問題になるくらいのやさしい話にしたのである。

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