2026年3月17日2026年3月7日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す矢野 健太郎【数々の数学書を監修|「解法のテクニック」の著者】-3/17改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は近世20世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)解法のテクニック 【スポンサーリンク】 【1912年3月1日生まれ ~ 1993年12月25日没】 【出典:Wikimedia Commons:Kentaro_Yano】矢野健太郎の多彩な活躍矢野健太郎は私が使っていた数学の教科書の著者でした。 同名の方で漫画家の「矢野健太郎」と サッカー選手の「矢野健太郎」が居ますが、 本稿は数学者の矢野健太郎に関する原稿です。因みに、名前の「矢野」に関するエピソードとして 有名なものがあります。外人との雑談をする中で 「矢野」って英語でいえばどんな表現? と聞かれた時に、当意即妙で矢野さんは 次のように答えました。「矢」=「Vector」、「野(野原)」=「Field」。だから「矢野」って「ベクトル場」ですね。そう答えたそうです。当然、外人は大喜び。専門は微分幾何学であり、特にリーマン幾何や接続理論の研究 で知られています。彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。矢野健太郎とパリ大学矢野健太郎の小学生時代にアインシュタインが来日し 健太郎は刺激を受けました。また、 帝大の山内恭彦先生から物理学の理解には 代数幾何学が必要だと教えを受けました。物理現象のモデル化の有用性を感じた筈です。 その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべく パリ大学へ留学します。パリ大学で纏めた博士論文は 射影接続空間に関する論文でした。この頃から統一場理論にも関心を持ちます。日本の数学教育への影響矢野健太郎 は研究者であると同時に、数学教育に強い関心を持っていました。戦後の日本では大学教育だけでなく、高校や受験数学の教材整備が急務となっていました。その中で矢野は、数学を単なる試験科目としてではなく、 思考力を鍛える学問として教えるべきだと考えていました。その代表例が、受験参考書として広く知られた『解法のテクニック』です。この本は単なる問題集ではなく、問題をどのような視点で整理し、どのような発想で解くのか を示した教材でした。多くの受験生に読まれ、日本の受験数学文化にも大きな影響を与えました。また矢野は海外の科学書の紹介にも積極的で、欧米の科学思想を日本の読者に伝える役割も 果たしました。数学研究者でありながら、教育者としても大きな足跡を残した人物と言えるでしょう。事実(2026年3月追記の2項目)① カルタンの弟子矢野健太郎はエリ・カルタンの弟子です。カルタン師は微分幾何学リー群接続理論の基礎を作った数学者です。つまり矢野健太郎は 近代幾何学の本流にいた人物です。 ②ボッホナーとの共同研究と国際数学者会議サロモン・ボッホナーとの研究は重要です。Bochner–Yano 定理はリーマン幾何の古典定理の一つです。矢野健太郎は国際数学者会議で招待講演をしています。これは数学者としてかなり高い評価です。 矢野健太郎とアインシュタイン戦後にはプリンストン高等研究所で微分幾何学の研究 をしていき、同時期に在席していたアインシュタインと交流 を持ちます。奥様と一緒にアインシュタインが写った写真は 大事にしていて、家宝としたそうです。矢野健太郎の業績矢野健太郎の著作は多岐に渡り、受験参考書の定番だった(今でも定番)「解法のテクニック」は矢野健太郎の著作です。また、アイザックアシモフ、ポアンカレ、アインシュタイン の書物を日本に紹介する際に監修をしたりしました。更に、 矢野健太郎は微分幾何学において「Bochner–Yano 定理」を提唱しました。この定理は、ボッホナーと共同で、負のリッチ曲率をもつコンパクトリーマン多様体の等長群が有限であることを明らかにした重要な成果です ウィキペディア1_ウィキペディア2他には、東京大学、東京工業大学名誉教授のほか、東京慈恵会医科大学、新潟大学、 プリンストン高等研究所、ローマ大学、イタリア国立高等数学研究所、 アムステルダム数学研究所、サウサンプトン大学、香港大学、ワシントン大学、 リヴァプール大学、ブラウン大学、アバディーン大学など、 非常に多彩な研究機関で国際的に活躍しました ウィキペディア。国際数学者会議(1954年アムステルダム)で招待講演を 行ったことも記録されています ウィキペディア。また、主な著作として、以下のようなものがあります ウィキペディア:Les espaces à connexion projective et la géométrie projective des “paths”(1938年、博士論文)Geometry of Structural Forms(1947年、日本語)Groups of Transformations in Generalized Spaces(1949年)Curvature and Betti Numbers(Bochnerとの共著、1953年)The Theory of Lie Derivatives and its Applications(再版あり)Differential geometry on complex and almost complex spaces(1965年)Integral formulas in Riemannian Geometry(1970年)Tangent and cotangent bundles: differential geometry(石平との共著、1973年)Anti-invariant submanifolds, CR Submanifolds…, Structures on Manifolds(今野・小林との共著、1970~80年代)私や皆さんが知った情報も矢野健太郎 の仕事かも知れませんね。そんな、矢野健太郎はバイオリンが好きな静かな人でした。安らかな印象を持ち続けたいと思います。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 この頃は全て返信できていませんが 頂いたメールは全て見ています。 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/11/12_初稿投稿 2026/03/17‗改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介 東大関連のご紹介 力学関係のご紹介へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】Various activities of Kentaro YanoKentaro Yano was the author of the textbook I was using. There is a manga artist “Kentaro Yano” and a soccer player “Kentaro Yano” who have the same name, but this article is about the mathematician Kentaro Yano. By the way, there is a famous episode about the name “Yano”. What kind of expression is “Yano” in English while chatting with foreigners? When asked, Mr. Yano was selfish “Arrow” = “Vector”, “Field (field)” = “Field”, so “Yano” is a “vector field”. I heard that he answered. Naturally, foreigners are overjoyed. Was my specialty related to geometry or analysis? He was born as a child of a sculptor and studied at the University of Tokyo.Kentaro Yano and the University of ParisKentaro Yano was inspired by Einstein’s visit to Japan when he was in elementary school. Also, Professor Yasuhiko Yamanouchi of Imperial University taught me that algebraic geometry is necessary to understand physics. It seems that he found the usefulness of modeling physical phenomena. After that, Yano will study abroad at the University of Paris to study under Professor Cartan. His dissertation he compiled was a dissertation on the projective connection space. From this time on, he was also interested in unified field theory.Kentaro Yano and EinsteinAfter the war, he studied differential geometry at the Princeton Institute for Advanced Study and interacted with Einstein, who was present at the same time. He cherished the photo of Einstein with his wife and made it a heirloom.Kentaro Yano has a wide variety of authors, and Kentaro Yano’s “Solution Technique”, which was a staple of examination reference books. He also supervised the introduction of Isaac Asimov, Poincaré and Einstein’s books to Japan. The information that I and everyone knew may be Kentaro Yano’s work. Kentaro Yano was a quiet person who liked the violin. He wants to keep a peaceful impression.〆