google-site-verification: google6492d514db4d4540.html
に投稿 コメントを残す

高木 貞治
【ヒルベルトの弟子|長く日本で使われてきた名著である「解析概論」の著者】-1/26改定

こんにちはコウジです。
半年ごとの既存記事見直しの作業です。
今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。
では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

↑Credit:Wikipedia↑

代数幾何学入門
【スポンサーリンク】
【1875年4月21日生まれ ~ 1960年2月28日没】

【高木貞治(1875–1960)Wikimedia Commons】

日本人数学者をご紹介します。

そのお名前は

高木貞治と書いて名前を「ていじ」と読ませます。

高木貞治は岐阜に生まれ現在の京都大学を卒業した後

東京大学に進みます。現在の学校制度と

異なる印象も受けます。今時の表現をすると

京大で学位をとって東大でマスターをとった感じでしょうか。

その後、高木貞治はドイツへ留学してヒルベルト

教え受けます。現代日本での代数幾何学の原型を

体系立てていったのです。高木が出発した
当時の日本数学は、関孝和以来の和算が
高度に発達していました。
小数計算や級数展開も用いられていましたが、
19世紀ヨーロッパで形成された 公理的集合論・実数の厳密構成・抽象代数学 といった
近代数学の体系は、まだ
本格的には導入されていませんでした。
高木はヒルベルトの下でこれらを学び、日本に
持ち帰って体系化していったのです。

もっとも、一円・七銭といった感覚はあるので

「三分の一(1/3)」が
0.33333・・・と考え続けていける筈です。

小数点の概念はあったと考えても切断の概念や

作図を使った証明等には発展していなかったでしょう。

【現代では空間を考えていく際にヒルベルト空間

という概念があり、量子力学で多用されます。】

そもそも、

個人的に高木貞治の名を知ったのはムツゴロウさんの著作でした。
たしか「ムツゴロウの青春期」。その中で彼が高校時代に
地元九州の先生に紹介された本が高木貞治の「解析概論」でした。

解析概論が明快であると言われ、高校の教科書とは別に数学の
エッセンスを学んでいきます。その後、バンカラな青春時代を過ごした
ムツゴロウさんは東大の物理学科に進み、最後はどうぶつ王国を作ります。

話戻って解析概論ですが、岩波文庫から出ていた解析概論を私も買って
、面白く読んだ思い出があります。色々な本屋さんに置いてました。

尚、2011年の時点で日本国内における著作権の

保護期間満了に伴いネットで著作が公開され始めています。

【Wikisourceや青空文庫を見てみて下さい】

’そして参考追記:】高木は帰国後、東京大学で代数的整数論を講じ、
日本の純粋数学研究の最初の学派を築きました。高木の「類体論」は
現在も国際的に Takagi Class Field Theory と呼ばれています。

 

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/08_初回投稿
2026/01/26_改定投稿

サイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
日本関連のご紹介
東大関連のご紹介
量子力学関係

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

In this time,

I would like to introduce a Japanese mathematician. The name is written as Teiji Takagi and his name is read as “Teiji”.

Teiji Takagi was born in Gifu and went on to the University of Tokyo after graduating from the current Kyoto University. He also gets the impression that it is different from the current school system. In terms of today’s expression, it seems like I got a bachelor’s degree at Kyoto University and a master’s degree at the University of Tokyo. After that, Teiji Takagi went to Germany to study abroad and was taught by Hilbert. He would have systematized the prototype of modern algebraic geometry. Mathematics used in Japan at that time seems to have been a development of so-called “Wasan”. Mathematically, real numbers are treated, but there is no evidence that a small number were commonly used. However, there is a feeling of 1 yen and 7 coins, so you should be able to keep thinking that 1/3 is 0.33333. Even if you think that there was a concept of a decimal point, it would not have developed into a concept of cutting or a proof using drawing. Also, when thinking about space, there is the concept of Hilbert space, which is often used in quantum mechanics.

In the first place,

it was Mr. Mutsugoro’s work that I personally knew the name of Teiji Takagi. Certainly “Mutsugoro’s adolescence”. Among them, the book he was introduced to by a local teacher in Kyushu when he was in high school was Teiji Takagi’s “Introduction to Analysis”. It is said that the introduction to analysis is clear, and you will learn the essence of mathematics separately from high school textbooks. After that, Mr. Mutsugoro, who spent his youth in a bunkara, proceeded to the Department of Physics at the University of Tokyo, and finally created the Animal Kingdom. Returning to the story, I would like to give you an introduction to analysis, but I also bought the book from Iwanami Bunko and read it in a fun way.

As of 2011, with the expiration of the copyright protection period in Japan, works have begun to be published online. [Please see Wikisource and Aozora Bunko]

 

に投稿 コメントを残す

鈴木 梅太郎
【「理研の三太郎」と呼ばれた中の一人は合成酒を作成商品化販売|ビタミンを発見】-1/24改定

こんにちはコウジです。
半年ごとの既存記事見直しの作業です。
今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。
では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

ビタミンB群30日分
【スポンサーリンク】

【1874年4月7日 ~ 1943年9月20日】


鈴木梅太郎(1874–1943)】
【引用:Public Domain / Wikimedia Commons】

理研の三太郎

理研の三太郎と言われた鈴木梅太郎をご紹介致します。
他の二人は既にご紹介している長岡半太郎本多光太郎です。

筆者の思い出話

筆者が個人的に親近感を覚えたのは、
鈴木梅太郎が農学部とつながりが強い点です。
東大の工学部と農学部の間の通りがあります。
坂道があって古本屋がある通りを、
私はよく散歩で使います。

地名で言うと文京区弥生町。
弥生式土器の「弥生」だったかと。
(地下鉄の南北線を使う時に登っていく場合が多いです)

私の祖母は農学部からほど近い動坂の辺りで暮らしていて、
そこそこ別嬪さんだったので「動坂小町」と呼ばれていました。
また、私の母は不忍池の方にある東大病院で生まれました。
私の父は農学部の方にある根津神社の池でおぼれたそうです。

そんな街に私は何となく、
親近感を覚えてしまいます。
そんな街での物語。

鈴木梅太郎とビタミン

話戻って鈴木梅太郎ですが大きな業績としてビタミンを発見しました。
具体的には先ず
ビタミンBをみつけてドイツの学会で発表しています。

ただし、時節柄を感じされる話なのか「発見者」としての明記
が無かったので梅太郎の発見だと伝わらなかったようです。

ただし当時の発表はドイツ語論文で行われ、
しかも「新しい栄養必須因子」という概念自体が
国際的にまだ確立していなかったため、
発見の優先権が明確に認識されませんでした。
その後、英語圏で “vitamine” の名称が定着したことで、
鈴木の先行研究は長く正当に評価されないままとなったのです。

鈴木梅太郎と合成酒

理研のホームページから記載すると、(太字部が引用部)
「鈴木梅太郎(1874-1943)は、米騒動をきっかけに、
原料に米を使わない合成清酒の開発に着手。
独自の製造法を発明し、“理研酒”として
「利久(りきゅう)」などのブランド名で販売した。」
その後、理研の収入で大きな割合を占めていく酒造事業は
理学と生活の大きな繋がりへと発展していくのです。

なお、現在は利休のブランドは別会社が運営しており、
事業売却したのだと思われます。現在の理研関連のお酒は
「仁科誉」と名付けたイオンビーム技術を
活用した銘柄があります。

お酒を楽しく飲める「機会」を鈴木梅太郎は拡げたのですね。
残念ながら鈴木梅太郎の「人となり」は
今日あまり伝わっていませんが
お酒を造ってくれていたお爺さん、なのだと
考えるだけで少し楽し気な気分にさせてくれます。
東大も色々な人物を作り上げてきていますね。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2023/04/01‗初稿投稿
2026/01/24_改訂投稿

舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹介
力学関係
電磁気関係
熱統計関連のご紹介
量子力学関係

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2023年4月時点での対応英訳)

Santaro in RIKEN

I would like to introduce Umetaro Suzuki, who is said to be the one of Santaro in RIKEN.
The other two are Hantaro Nagaoka and Kotaro Honda, who have already been introduced.

Memories of the writer

I personally felt a sense of closeness to
Umetaro Suzuki has a strong connection with the Faculty of Agriculture.
There is a street between the University of Tokyo’s Faculty of Engineering and Faculty of Agriculture.
A street with slopes and used bookstores,
I often use it for walking.

The place name is Yayoi-cho, Bunkyo-ku.
I think it was “Yayoi” of Yayoi-style earthenware.
(It is often climbed when using the subway Namboku Line)

My grandmother lives near Dozaka, which is close to the Faculty of Agriculture.
She was called “Douzaka Komachi” because she was a decent bessama.
Also, my mother was born at the University of Tokyo Hospital near Shinobazu Pond.
I heard that my father drowned in the pond of Nezu Shrine near the Faculty of Agriculture.

In such a town, I somehow
I feel a sense of familiarity.
A story in such a city.

Umetaro Suzuki and vitamins

Going back to the story, Umetaro Suzuki discovered vitamins as a major achievement.
Specifically, I first discovered vitamin B and made a presentation at a German conference.
However, whether it is a story that feels seasonal
It seems that Umetaro’s discovery was not conveyed because there was no such thing.
Even if Japanese people know about it, when they look at it from a foreigner’s point of view, “What is that?”
I bet it’s a story. It seems to be a low evaluation that can not be now.

Umetaro Suzuki and Synthetic Sake

From the RIKEN website, (quoted parts are in bold)
“Suzuki Umetaro (1874-1943), triggered by the rice riot,
He started developing a synthetic sake that does not use rice as an ingredient.
He invented his own production method and called it “Riken Sake”.
It was sold under brand names such as Rikyu. ”

After that, the sake brewing business, which accounted for a large proportion of RIKEN’s income,
It develops into a great connection between science and life.

In addition, the Rikyu brand is currently operated by a separate company.
I think they sold the business. Current RIKEN-related sake
There is a brand named “Nishina Homare” that utilizes ion beam technology.

Umetaro Suzuki has expanded the “opportunity” to enjoy drinking alcohol.
Unfortunately, Umetaro Suzuki’s “personality”
I don’t know much about it today
The old man who made the sake
Just thinking about him puts me in a good mood.
The University of Tokyo has also created various characters.

に投稿 コメントを残す

100年を迎える東京大学地震研究所(ERI)が築いた地震学とこれからのAI時代

東大

本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。


第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人

関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。

1.1 設立背景と制度整備

震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。

1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築

1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。

1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新

大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。

【地震研究の主要年表】

出来事関連人物・機関
1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学
1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉
1923年関東大震災内務省震災予防調査会
1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒
1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男
2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC

第2章:技術革新と地震学の転機

地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。

2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ

地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。

2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及

地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。

2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化

1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。


第3章:AI時代の地震研究と未来展望

AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。

3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果

ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。

3.2 国際共同研究・データ共有の潮流

米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。

3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学

完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。

【用語解説】

  • 地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。
  • AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。
  • DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。

まとめ

東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。

参考文献:
・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊)
・東京大学地震研究所公式サイト(ERI
・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

【スポンサーリンク】

nowkouji226@gmail.com

2025/11/13_初稿投稿

サイトTOP
時代別(順)のご紹介
17世紀生まれの物理学者
18世紀生まれの物理学者
19世紀生まれの物理学者
20世紀生まれの物理学者

に投稿 コメントを残す

学士院賞をもらった後で 【2021-08-02‗topクォーク_CP破れ 】

(以下は全て引用文章です)2021-08-02 ・

益川さんが学士院賞をもらった後で私の勤めていたE大学工学部に非常勤講師として来てもらったことがあった。

実はその前の年度に来てほしいと要請を研究会に出かけた友人のEさんにことづけしたのだが、その年度はすでに3件の非常勤講師を引き受けていて無理だから、つぎの年は優先して予定に入れておくという話だった。

そしてその約束を次の年度には果たしてくれたのであった。もっともそれは彼と小林さんがノーベル賞を受賞するずっと以前のことである。

たぶんそのころでもいつかはノーベル賞を受賞するのではないかと思われてはいたが、それでもまだ実験的なevidenceがまだだったと思う。

topクォークが発見されたのはそのあと数年してであったと思う。CPの破れの実験的検証とどちらが先だったか。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全てに返事が出来ていませんが
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/11/09_初版投稿

サイトTOP

に投稿 コメントを残す

大栗博司さんの本を手に入れた 【2021-07-13_中西襄先生 】

2021-07-13 ・

注文していた大栗博司さんの書いた本を手に入れた。

『探求する精神』(幻冬舎新書)である。朝日新聞の書評で物理学者の須藤靖さんが激賞していた。

大栗さんには個人的な面識はないが、私たちの発行している「数学・物理通信」の送り先の一人である。大栗さんはもちろん京都大学名誉教授の中西襄先生の友人知人の一人であるから、中西先生からの推薦されたメールアドレスに加わっている。

数日はこの本で楽しむことができるであろう。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全てに返事が出来ていませんが
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/11/09_初版投稿

サイトTOP

に投稿 コメントを残す

花粉症 【2021-02-22 ‗Heisenberg_Bornに休暇】

【以下は全て転載内容】2021-02-22 ・

私も典型的な花粉症である。

毎年2月10日前後から鼻がぐずぐずして鼻汁がとても出る。今年は早めに行きつけの内科の医師に処方してもらった薬のおかげかそれほどひどくはないとはいうものの。

もっとも今年は暖かい日もあるので、いずれひどい花粉症の症状に悩まされるであろう。

40歳すぎからの花粉症とのつきあいであり、はじめは花粉症という言葉も知らなかったので、風邪にかかったと思っていた。もっとも熱は出ない風邪だが。

hey feverという語がヨーロッパにはあることをそのころ知ったのだが、これが日本での花粉症にあたるとは知らなかった。

物理学者のハイゼンベルクが若いときからアレルギーに悩まされており、1925年の5月にもひどいHeyfeverにかかった。それでついていた先生のボルンに休暇をもらってHelgoland島に逃避の旅行に出かける。

ここで、ハイゼンベルクは量子力学の端緒となるアイディアをつかんで、それをすぐに論文にまとめる。

これを読んだ先生のボルンはそこで使われた数学が奇妙であることに悩むが、それはボルンが若い大学生のとき数学で学んだマトリックスであることに気がつく。

そして、ハイゼンベルクの論文を発展させる論文を学生のヨルダンと論文を書く。その後休暇から帰ってきたハイゼンベルクと3人でいわゆる三者論文 (drei M”annerarbeit) を書く。これが行列力学と呼ばれた、量子力学のはじまりであった。

これは1925年のことである。年が明けて1926年にはド・ブロイの発想に触発されたシュレディンガーの波動力学と呼ばれた、また別の量子力学の論文が発表されることになる。

天才は数学だって必要とあれば創り出す。ハイゼンベルクは行列の算法をそれが数学としてすでにあるということを、知らずに発明したのであった。

ボルンとかシュレディンガーとかは40歳代であったが、他のハイゼンベルク、ヨルダンとか、また行列力学でも波動力学でもない独自の量子力学を発展させたイギリス人の若い学者ディラックもハイゼンベルクの一年先輩の物理学者パウリもみんな20歳代の前半の研究者であった。

それで量子力学はKnabenphysik(少年の物理学)と呼ばれた。ちなみにKnabenは雅語であり、普通の日常生活で話される言葉としてはKnabenという語は使われない。日常での若者という意味のドイツ語はJungeである。

いうならば、Knabenはゲーテの詩に出てくるような語である。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全てに返事が出来ていませんが
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/11/09_初版投稿

サイトTOP

に投稿 コメントを残す

コンプトン効果を連立方程式の問題にしたら 【2020-12-02_シルビィアの量子力学_ウラン235】

(以下は全て転載内容)2020-12-02・

以前から考えておりながら、なかなか実現しないのが高校数学の連立方程式の練習問題に、コンプトン効果のX線の波長のずれの計算をいれたらどうかと思っている。

これは朝永の『量子力学 I』(みすず書房)にこのテーマが取り上げられており、昔一生懸命計算した覚えがある。

なかなか計算ができなかったと思う。以前に購入していた『シルヴィアの量子力学』(岩波書店)があるのに日曜に気がついて、その個所だけを読んでみた。

面倒そうな式がたくさん出てはいたけれど、それほど難しい計算ではない。どうしてこの問題が難しいと思ったのかはわからない。

どうも数学では単に練習問題として出題される無味乾燥な問題が多いが、物理的にも意味のある演習問題であれば、解く人も身が入るのではなかろうかと思う。実は大学を定年退職した後の2年ほどはそういう方式のe-Learningのコンテンツをつくっていた時期があった(注1)。

このe-Learningのコンテンツは高校程度だが、理系の大学生で落ちこぼれそうになった人を救うという名目でつくっていた。だが、このe-Learningのコンテンツには三角関数が全く入っていないので、そこを何とかしたいと思いながら、まだうまく三角関数の部分が書けていない。

前につくっていた、e-Learningのコンテンツで中性子と原子核との衝突の問題を演習問題として取り上げたことがある。その問題を見て、技術者だった義弟が関心をもってくれた。これは中性子は水の原子と衝突して熱中性子になるための衝突回数だったかに関係している。現在の原発の中性子の減速材としては普通の水を使っている(注2)。

どうも原子力だとかだと今はちょっと時代遅れの技術的な問題であるが、80年前くらいはホットな問題であった。

(注1)これは私が80歳を越えていて、高校生のことを考えてはいないことの反映である。長い老後生活を楽しむために高校数学だって学んだら、興味深いのではないかという気持ちが強いからである。

現役の高校生さん、すみません。現役のときにはこういう楽しさはわからないのは仕方がない。

(注2)普通の水と普通でない水があるのかということだが、重水というのがある。これは陽子の代わりに重陽子D_{2}Oでできた水である。高速中性子の減速材としては普通の水(軽水)よりも中性子の衝突回数が少なく熱中性子になる。それで原子炉の減速材として重要視された(注3)。

第2次世界大戦中にノールウェイに重水工場があったが、ここをナチスドイツが差し押さえたというので原爆開発をし始めるのではないかという恐れをもった連合国がこの重水工場を襲撃するという映画がある。タイトルは「テレマークの要塞」だったと思う。

本当にあった話かどうかは知らない。重水は原爆の材料に直接になることはないと思うが、一般の人は原爆の材料と聞くと納得してしまうところがあるだろう。あくまで原子炉の減速材としての役割だと思う。

もっともその原子炉を動かしてプルトニウム239をつくれば、このプルトニウムは原爆の材料になる。日本でも原子炉がたくさん原発での稼働していたので、プルトニウムが蓄積している。これは原爆の材料となる。それで日本の多量のプルト二ウムの蓄積は国際的には日本は原爆をつくるのではないかと、大いに危険視されている。

(注3)ウラン235は核分裂するが、これは速度がおそい熱中性子といわれるものによる核分裂の断面積が大きい。天然のウランの99.3%はウラン238でこれは核分裂しない。だが、この多量にあるウラン238が中性子を1個吸収してプルトニウム239となると、これは高速の中性子によって核分裂する。

だから、原子炉の中にある一定の割合でプルトニウムを混ぜて高速中性子で核分裂を起こさせることが考えられた。これは普通にはプルサーマルと呼ばれている。

こうして蓄積したプルトニウムを消費しようと試みられている。ところが熱中性子による原子炉の制御に比べて高速中性子による原子炉の制御は難しいと言われており、それで原発への信用度が下がっているのが、現状である。

原発の燃料のウラン235を燃やした(化学反応で燃やす燃焼とはちがう)後の核廃棄物の半減期が数万年とかと言われているので、この核廃棄物を安全に2万年も保管するかということが問題になるのだが、これはまだまったく技術的に解決していない。

特に日本ではどうしたらいいかいいアディアがない。普通に考えられているのは核廃棄物をガラス状に焼結させて、地下深くに貯蔵することである。しかし、その2万年の間にその放射能に汚染された地下水がでて来ないという保証は誰もできない。原発はトイレ無きマンションだと言われる所以である。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全てに返事が出来ていませんが
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/11/09_初版投稿

サイトTOP

に投稿 コメントを残す

小説『カード師』 【2020-06-09‗二重スリット_外村彰】

2020-06-09・

小説『カード師』は朝日新聞に現在連載中の新聞小説である。作者は中村文則さん。

カード師の私の体験を書いている小説だが、ある人の遺書を私が読んでいるというところらしい。

らしいとしか言えないのは私にはちょっと面倒な設定であるので、途中から読むのを諦めたからである。

ところが今日は光とは電子とかの波と粒子の2重性の話が出てくる。これは量子力学をまじめに学ぶ人は一度は聞くテーマである。

いわゆる二重スリットの話といえば、ああ、あの話なのと分かるくらい有名な話である。もっとも一般の人にこの話がどのくらいわかるかはわからない。

朝永振一郎さんのエッセイにこれを簡明に説明したエッセイがあった。「光子の裁判」というタイトルだったか。

光は波と思われていたが、これが粒子性をもつものであることは光電効果かとかCompton効果からわかってきた。それで20世紀初頭にこの光の2重性の解釈に物理学者は苦しむことになる。

古典物理学的に言うと粒子であるものは波動であるとはいえないし、波動であるものは粒子であるとはいえない。だが、量子力学では光とか電子はその両者の性質をもつものとしてとらえる。

それはどういう実験的観測をするかによる。粒子としての位置を測定すると、それは粒子性を示すし、光の運動量をきっちり定めようとする実験をすると波動性が得られる。だったかな?

光は波動でも粒子でもない、両方の性質を併せ持つものであるという理解である。これは古典物理学の範疇ではその両方の特性をあわせもつことなどできないが、量子力学ではそれが可能である。いわゆる弁証的統合的理解が必要である。

いわゆる、2重スリットでは2重スリットのところで光の位置を観測しないかぎり波として振る舞う。ここを通過した後で光を粒子として観測したときにはその過去が変えられるという風に小説では書いてあったが、2重スリットのところでは何の観測もしていないならば、それは波であったのか粒子であったのかは判定することが出来ないという風に考えると理解している。

この話は何十年も量子力学の講義をした来た私にもわからない。

私のいまの理解では波としての性質は確率波として理解しており、1個1個は粒子性をもっているのではないかと思っていたが、それも私の思い込みで観測しないときには光が粒子性をもっていたか波動性をもっていたかは何も確定的にいうことができないというのが公式の見解であろう。

こういう事実を目に見えるように実験してくれたのが亡くなった、外村彰さんであった(注)。

光の粒子は一個一個粒子のようにスクリーン(または写真フィルム)上にやってくるが、それが長時間露光されていると、波動的なふるまいの光の干渉縞が観測される。

(注) 外村彰 『目で見る美しい 量子力学』(サイエンス社)は量子力学のテクストとしてはあまり数式の多くない写真の多いすばらしいテクストである。

特に66-67ぺージの写真が今回の内容と関係している。この本の価格も2,800円とリーゾナブルである。

に投稿 コメントを残す

C. N. Yangの方は 【2020-03-03‗97歳_清華大学】

(以下全て転載内容)2020-03-03・

昨日F. J. Dysonが95歳で亡くったというニュースを書いた。一方、C. N. Yang(楊振寧)の方は現在97歳でまだ生きておられるらしい。

彼は若いときに中国国籍からアメリカ国籍をとったが、2005年にまた中国国籍を再度取得したとインターネットに書いてあった。

奥さんをなくされてか、54歳も年の離れた大学院生と再婚したと話題になったとあった。

Yangには何度か国際会議で見かけたり、大学院時代に当時在学していたH大学のコロキュウム室で会ったことがある。

小さな黒板に散乱論のセミナーの期日が書いてあったので、scattering theoryのセミナーをしているだねとO教授とY助教授にいわれていた(注)。

このときにはイギリス人のKemmerも一緒に来られていたと思う。Yangはきりりとひきしまった顔の人であった。

その後、1年後か2年後に大学院をおえてK大学の研究所で非常勤講師を数か月したが、ここで出会った女性の秘書さんがえらくこのYangさんのファンだと言われていたのが、さもありなんと思った。

Yangは勤勉な研究者であり、hard workerという定評がある。これはアメリカの物理学会というか、物理学者の世界ではよく知られた事実であったらしい。ベンジャミンフランクリンが大好きで、C.N. Franklin Yangという名前をつけておられる。

彼のお父さんは数学者であり、若いときにはアメリカに留学された方であったとか聞いた。

中国が中華人民共和国になった後も清華大学に勤められていたとかで、Yangはときどき人民共和国に帰省したりしており、どちらかといえば、中華民国よりも中華人民共和国寄りであると聞いたことがある。

これは共同研究者で、ノーベル賞の共同受賞者でもあった、T. D. Lee(李政道)が中華民国寄りであるのと対照的であるとか聞いていた。

(注)この訪問後にYangの自著の小さな本を研究室の図書に寄贈するために送ってこられた。こういう細かな配慮がYangが好かれる原因の一つであるのかもしれない。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全てに返事が出来ていませんが
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/11/09_初版投稿

サイトTOP

に投稿 コメントを残す

F. J. Dysonの死 【2020-03-02‗95歳_ノーベル賞 】

(以下全て転載内容)

2020-03-02 ・

昨日の新聞でF. J. Dysonが亡くなったのを知った。95歳だったという。

朝永、Schwinger, Feynmanの量子電磁気学の理論をまとめた理論をつくった人として知られている。

同じ年代の物理学者C. N. YangはDysonが上の3人と一緒にノーベル賞をもらえなかったことについて上記3人にだけノーベル賞を授与した委員会の批判的であった。

同じ業績に対して3人までの受賞者とするノーベル賞委員会の不文律があるのをC.N. Yangが知らないはずはない。だが、そういう不文律を破ることも、また意味があるくらい量子電磁気学のくりこみ理論に対するDysonの寄与は大きかったとYangは評価していたのだろうと思う。

Yangももう高齢だと思うが、彼はまだ生存しているのではないかと思うが、定かではない。

Dysonと聞くと、私の妻などはどうも自動で掃除する電気掃除機のようだねと言っていた。最近ではDysonという名前の自動掃除機が販売されている。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全てに返事が出来ていませんが
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2025/11/09_初版投稿

サイトTOP

PAGE TOP