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アーネスト・ラザフォード
【原子模型を提唱した原子物理学の父】-1/20改定

こんにちはコウジです。
半年ごとの既存記事見直しの作業です。
今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。
では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

 

放射能の基礎知識
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【1871年8月30日 ~ 1937年10月19日】

【画像引用:WikipedeaCommons】

その名は正確にはアーネスト・ラザフォード_

Ernest Rutherford, 1st Baron
Rutherford of Nelson, OM, FRS,
初代のネルソン卿_ラザフォード男爵です。
実験屋の大家をご紹介します。

ラザフォードはニュージーランドに生まれ数学で
マスターの学位をとった後に、鉄の磁化の研究で
学士の資格を得ます。更に奨学金を得てイギリスの
ケンブリッジ大学に進みます。

奨学金授与の話を知った時、ラザフォードは実家で
芋掘りをしていました。「これが生涯最後の芋掘りだ!」
と叫びながら喜んだそうです。(Wikipedia情報)

そこでラザフォード
JJトムソンの指導のもとで
気体の電気伝導の研究をします。

導体ではない酸素や窒素などの「気体」中でも
高い電圧を加えた時に放電現象が生じ、
電気が流れます。雷を思い起こしてください。

そんな、電気伝導の研究を進めるうちに
ラザフォードはウランから2つの放射線である
α線とβ線が出ている事を発見します。
ラザフォードは後に透過性の非常に強い放射線が
電磁波である事を突き止め、半減期の概念を提唱します。

ラザフォードが考えた半減期

半減期の分かり易い実用例として、岩石の年代測定があります。
特定の岩石に含まれる物質から出てくる放射線量を計測すれば、
半減期の概念を使って対象岩石の形成から今迄、
どのくらい時間が経っているか推定出来るのです。

ラザフォードは更に研究を続けました。ガラス管にα線を集め、そのスペクトル分析からα線とはヘリウム原子核であると突き詰めています。そして、1911年にはガイガー・マースデンとα線の散乱実験を行いました。

有名なラザフォードの原子模型が提唱されたのです。原子には中心に原子核がありその周りを電子が運動しているというもので、現代でも使えるモデルです。長岡半太郎が提唱していたような表現法ではなく、ラザフォードは実験結果をもとに理論を展開します。

ラザフォードの実験手法

具体的には、薄い金箔に α線(ヘリウム原子核) を照射すると、ごく一部の粒子が大きく跳ね返る現象が観測されました。これは「原子の中心に非常に小さく高密度な原子核が存在する」ことを示す決定的証拠となりました。金箔を構成する内部物質と電子はそれぞれ剛体ではないのですが相互に働くクーロン力が同じ効果をもたらすのです。

ビリヤードの玉みたいな剛体と微細な粒子間の運動が同じ弾性モデルで表せる事は、感動的ともいえる事実です。

ラザフォードの人柄

その人柄もあって、ラザフォードは原子物理学の父と呼ばれています。キャンデビッシュ研究所では若い研究所員たちに「ボーイズ!」と呼びかけていたりするような人でした。

また「千の太陽より明るく(平凡社発行初版)」という作品の中で紳士的な人柄がしのばれる個所がありましたのでご紹介致します。『(P19.の要約)ラザフォードの共同研究者モズレーは1915年に戦死しています・ラジウムのイギリス政府による没収を善しとしないでマイヤーに手紙を送り「買い取りたい」と申し出ていました。それに対してマイヤーからは「目玉が飛び出るほど高い」と言われましたが英国政府と交渉をしてウィーンから英国ラジウム研で買い取る交渉をまとめました。当時の文学者や精神科学者に比べたら「とにかくマシだった。」と言えるでしょう。』。

また彼はイギリスに帰化した人ではありますが、紳士として夏の砂浜でもスーツのジャケットを脱がないスタイルも頑なに守っていたようです。そして、原子番号104の元素は今、彼を偲んでラザホージウムと呼ばれています。

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(2021年10月時点での対応英訳)

Its name is Ernest Rutherford

Its name is Ernest Rutherford, 1st Baron Rutherford of Nelson, OM, FRS, the first Sir Nelson_Rutherford. Rutherford was born in New Zealand and earned a master’s degree in mathematics before going on to Cambridge University in the United Kingdom with a scholarship. There, Rutherford studies the electrical conduction of gases under the guidance of JJ Thomson.

When a high voltage is applied to a “gas” such as oxygen or nitrogen that is not a conductor, a discharge phenomenon occurs and electricity flows. Remember thunder. While conducting research on electrical conduction, Rutherford discovers that uranium emits two types of radiation, alpha rays and beta rays. Rutherford later discovered that highly permeable radiation was electromagnetic waves and proposed the concept of half-life.

Half-life that Rutherford considered

An easy-to-understand example of half-life is rock dating. By measuring the radiation dose emitted from a substance contained in a specific rock, it is possible to estimate how long it has been since its formation using the concept of half-life.

Rutherford continued his research further. He collects alpha rays in a glass tube, and from the spectral analysis, he finds that alpha rays are helium nuclei. Then, in 1911, we conducted an alpha-scattering experiment with Geiger-Marsden. The famous Rutherford atomic model was proposed. An atom has an atomic nucleus in the center and electrons are moving around it, which is a model that can be used even in modern times. Rather than the expression that Hantaro Nagaoka advocated,

Rutherfoed’s way

Rutherford develops his theory based on his experimental results. Specifically, at this time, when he hits the gold leaf with β rays (electron rays), a trajectory corresponding to disconnection scattering is observed. The internal substances and electrons that make up the gold leaf are not rigid bodies, but the Coulomb forces that work with each other have the same effect. It is a moving fact that the motion between a rigid body like a billiard ball and fine particles can be represented by the same elastic model.

Rutherford’s personality

Due to his personality, Rutherford is called the father of atomic physics. He was the kind of person at the Candebish Institute who was calling out to young researchers “Boys!” Also, although he is a naturalized person in England, he seems to have stubbornly kept the style of not taking off his suit jacket even on the sandy beach in summer as a gentleman. And the element with atomic number 104 is now called Rutherfordium in memory of him.

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本多光太郎(ほんだこうたろう)
【雑種の犬と大学に「今が大切」「つとめてやむな」】 -1・19改定

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永久磁石発電機
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【1870年3月24日生まれ ~ 1954年2月12日没】


【画像引用:国立国会図書館】

本多光太郎について

本多光太郎は日本の鉄鋼業界での研究土壌を作り上げ、

研究者として多くの人材を育て上げた先人です。

人物としては、

彼の逸話を聞けば聞くほど人間臭い所が感じられて、

個人的に本人に会ってみたくなります。

見てみたいです。

本多光太郎はいつも古い着物を着て、

靴底が擦り切れるまで靴を履き、雑種の犬を引きながら

大学に出勤していたようです。そんな人です。

本多光太郎は子供時代は学校の成績も悪くて、大柄な割に何時も青ばなをたらしてて、「はなたらしの光さん」と呼ばれていた学校嫌いの子供でした。そんな本多光太郎が東大に進学して理学系の物理学科を卒業したそうです。

今は理物と物工(りぶつ、と、ぶっこう)があるのでしょうが、当時はどうだったのでしょうか。その後に本多光太郎はドイツとイギリスに留学します。帰国後、東北大学で教授を務め理化学研究所で研究を進める中で有名な「KS鋼」を発明します。

本多光太郎は金属に対しての材料物性学の研究を世界に先駆けて始めていました。より性能の優れた材料を作り上げる為に
所謂(いわゆる)「冶金」の過程を研究していったのです。

本多光太郎の業績

KS鋼(新KS鋼)は発明時に世界最強の永久磁石でした。

現代での硬質磁性材料に繋がる研究の端緒をつけたのです。

それまで刀などの特定目的で鍛えられてきた日本の鉄が

工業生産に耐える性能を備えて差別化出来るように

なっていくのです。この発明がなされてから益々、

各種産業で多くの日本の鉄が使われていくのです。

本多光太郎と実験

なにより、本多光太郎は無類の実験好きでした。「今日は晴れているから実験しよう」と言いながら実験を始めたり、「今日は雨だから実験しよう」と言って実験を続けたりしていました。そんな会話を始める時には周囲の人は「ぁ、本多節だ!(笑)」と感じたことでしょう

独独の朗らかな緊張感が生まれたことでしょう。また、結婚式をあげた時に本多光太郎本人が居なかったので、探しに行ったら実験室で実験をしていたという。とぼけたエピソードもあります。

全般的に身の回りの細かい事は気にかけない大雑把な人でした。そんな本多光太郎は組織を育て人を育てたことで有名です。要職を務めたり創設に携わった研究機関を羅列すると、

東北帝国大学附属鉄鋼研究所、
東北帝国大学総長、
千葉工業大学設立、
東京理科大学初代学長、
日本金属学会創設初代会長、
後の電磁研初代理事長

です。
指導している仲間に対しては毎日のように「どんな状況?」と実験の具合を尋ねていき、論文に対して細かく意見を加えていたそうです。

最後に本多光太郎の言葉を残します

「今が大切」「つとめてやむな」

私にはトーマス・マンの
「くよくよするな働け」という言葉と重なります。
各人の人生・やりがいと、つながる言葉です。
本多光太郎は仕事として、人生として「実験を
何時までも考えていた人」だったのでしょう。

〆最後に〆

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(2021年10月時点での対応英訳)

About Kotaro Honda

Kotaro Honda is a pioneer who created the research soil in the Japanese steel industry and nurtured many human resources as a researcher. As a person, the more I listen to his anecdotes, the more human-like I feel, and the more I want to meet him. I wanna see.

It seems that Kotaro Honda always wore an old kimono, trousers until his soles were worn out, and went to college while pulling a hybrid dog. He is such a person.

Kotaro Honda was a child who hated school and was called “Hanatarashi no Hikari-san” because he had poor grades at school when he was a child. Kotaro Honda goes on to the University of Tokyo and graduates from the Department of Physics in Science. Nowadays, there are physical objects and craftsmen (Ributsu, and Bukko), but how was it at that time?

Works of Honda Koutarou

After that, Kotaro Honda will study abroad in Germany and England. After returning to Japan, he invented the famous “KS Steel” while working as a professor at Tohoku University and conducting research at RIKEN. Kotaro Honda was the first in the world to start research on material properties of metals. He studied the so-called “metallurgical” process in order to create better performing materials.

KS Steel (new KS Steel) was the strongest permanent magnet in the world at the time of his invention. He began his research on modern hard magnetic materials. Japanese iron, which had been trained for specific purposes such as swords, will be able to differentiate itself with the ability to withstand industrial production. Since the invention of this invention, more and more Japanese iron has been used in various industries.

Experiment with Kotaro Honda

Above all, Kotaro Honda loved experiments like no other. He started his experiment saying “it’s sunny today so let’s experiment” and continued his experiment saying “it’s raining today so let’s experiment”. Kotaro Honda wasn’t there when he had the wedding, so when he went looking for it, he was experimenting in the laboratory. There is also a blurry episode. He was a rough person who generally didn’t care about the details around him.

Engaged Organaization

Kotaro Honda is famous for raising organizations and raising people. When he lists the research institutes that have held important positions or were involved in the founding,

Tohoku Imperial University Steel Research Institute,
President of Tohoku Imperial University,
Established Chiba Institute of Technology,
First President of Tokyo University of Science,
Founding Chairman of the Japan Institute of Metals,
He was later the first deputy director of the Institute of Electromagnetics.

He asked his colleagues about the condition of the experiment on a daily basis, asking “what kind of situation?” And added detailed opinions to his treatise.

Finally, I will leave the words of Kotaro Honda.

“Now is important” “Don’t stop”

To me, it overlaps with Thomas Mann’s words, “Don’t work hard.” It is a word that connects each person’s life and rewards. Kotaro Honda must have been “a person who had been thinking about experiments forever” in his life as his job.

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中村清二
【地球物理・実験物理を研究し多くの人材を育てました】1/19改定

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光学ガラス三角
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【1869年10月28日〜1960年7月18日】

中村清二の時代のキャリア形成

中村清二は福井県に生まれ、東京帝国大学へ進学しました。
在学中は田中舘愛橘の指導を受けていますが、その後の
キャリア形成には、現代とは異なる時代背景を強く感じさせるものがあります。

1903年、中村は30代で助教授の地位にありましたが、その時期に
ドイツへ留学しています。特に興味深いのはその後で、
帰国後に博士号を取得している点です。

当時の修士課程の位置づけについては詳しく分かりませんが、
博士課程を修了する前に助教授として学生を指導し、
さらに海外留学を経験したうえで博士号を取得していたことになります。
現代の感覚からすると、時代の違いを強く感じさせる経歴です。

現在であれば、博士号を取得していない助教授、
あるいは准教授はほとんど存在しないのではないでしょうか。

【出典:wikipedia】


中村清二の研究業績

中村清二は、何よりもまず光学の研究で知られています。
量子力学が成立していく時代に関連する研究を行い、
光弾性実験やプリズムの最小偏角に関する研究などを手がけました。

また、地球物理学の分野でも重要な業績を残しています。
大正時代に三原山が噴火した際には、地球内部の物理学に
強い関心を持つようになり、火山学の確立に寄与しました。
三原山や浅間山における研究体制の整備にも大きく貢献しています。

さらに中村は、物理学教育にも情熱を注ぎました。物理の教科書を
繰り返し編纂し、とりわけ東京帝国大学の講義科目であった
「実験物理学」は、後の日本の物理学人材を育成し、学問の発展の礎を築いたといえます。

1925年には『理科年表』が刊行されますが、その際、
中村は物理部門の監修者として重要な役割を果たしました。
定年後も研究意欲は衰えず、八代海の不知火や魔鏡の研究に取り組んでいます。


中村清二の人柄と周辺人物

中村清二は、妻との間に二男二女をもうけました。また、
作家の中村正常は兄の子にあたります。中村正常は、
三原山の調査に同行したこともあり、学問的な交流があったことがうかがえます。

なお、中村正常の長女は女優の中村メイコとして知られています。

こうした多くの業績と人とのつながりを残し、中村清二は
91歳で生涯を閉じました。まさに大往生といえるでしょう。

〆最後に〆

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(対応英訳)

Seiji Nakamura was born in Fukui prefecture and enterd into the University of Tokyo. There, he was taught by Tanakadate Aikitsu, and from there I felt the times in his future career. He was an assistant professor in his thirties in 1903, when he went to Germany to study abroad. The part where I felt the times was when I thought about it, but Nakamura got his PhD after returning to Japan. I don’t know how to treated a master’s degree at that time, but before finishing his doctoral course, he taught students as an assistant professor, studied abroad, and then got a PhD. He felt that the times were different.

Nakamura is known for his research in optics. He has been doing related work in the era when quantum mechanics was established, and he is studying photoelastic experiments and the minimum declination of prisms.

Nakamura is also conducting research in the field of geophysics. Especially when Mt. Mihara erupted in the Taisho era, he was interested in the physics inside the earth. He has established volcanology and is contributing to the development of research systems for Mt. Mihara and Mt. Asama. ..

He also repeated the work he enthusiastically put together a physics textbook. In addition, experimental physics, one of the lecture subjects at the University of Tokyo, cultivated human resources in Japan laters and laid the foundation for the development of physics. His science chronology was released in 1925, when he left his job as a supervisor in the physics department.
After retirement, Nakamura is conducting research on Shiranui and magic mirrors in the Yashiro Sea.

Personality of Seiji Nakamura, etc.
Nakamura could have a second son and a second daughter with his wife.
The writer, Masatsune Nakamura, was the son of his older brother and also accompanied him to the investigation of Mt. Mihara.
The normal eldest daughter is Meiko Nakamura, an actress.
Nakamura was called, leaving behind many of them. He is 91 years old.

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昨夜の「数学白熱教室」 【2015-11-28投稿分_谷山氏_フェルマーの定理】

NHKのEテレの「数学白熱教室」第三回を見た。いつもの通りで途中で少し眠ったようだが、多分後半の重要なところは見た。

フェルマーの定理から、谷山・志村・ヴェイユ予想へと話が進む前の数論と方程式の解の話もおもしろかった。よくわかったというわけではないが、不思議なものがそこにあるという感覚は感じ取れた。

ワイルズともう一人の研究者のフェルマーの最終定理の解決も実は谷山・志村・ヴェイユ予想の解決であり、それとフェルマーの定理とが密接に関係しているという話も興味深かった。またこれはフレンケルが現在研究しているラングランズ・プログラムの一例になっているという。

もともとフェルマーの定理はピタゴラス数の拡張として考えられたとの説明は数学がどうやって広がっていくかを示した話であったと思う。ピタゴラス数として3, 4, 5のつぎは13,12, 5であるが、そこらあたりまでなら誰でも知っているだろう。だが、それらよりも大きい数にもピタゴラス数はある。

谷山さんは自ら命を絶った数学者であるが、彼は不思議な予想能力があった人だったという。一方、志村さんは今でも生きていて、ちくま学芸文庫に数冊本を書き下ろしている。

でも妻によれば私の眠っていたときの話は素数にある種の対称性があるという話だったという。そういう話だとフレンケルさんの話でなくとも誰か数学者が本に書いてあってもいいはずだと思う。だから、どれかの数学の本で読むことができるかもしれない。

(2024.3.23付記)その後、志村さんも亡くなったが、いつなくなったのかは覚えていない。だが、最近まで存命だったことは確かである。

 

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あけましてオメデトウございます。今年も宜しくお願い致します。【@2025元旦】_1/1投稿

こんにちはコウジです。
「オメデトウございます」の原稿を投稿します。

投稿前に誤字がありました。
細かい文章も再考しています。しっかり正確に。
そして沢山情報が伝わるように努めます。
(以下原稿)

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

個人として今年は新しいことを色々と始める積りですので
物理学の考察には時間を使わなくなってくると思えます。

昨年度のノーベル賞受賞を思い出してみても、
AI関連での発展が顕著なので、そうした考察を追いかけます。

先ずは新しい知見である「プログラム学習」を身に付け、
次々と最新トレンドを追いかけられるように体制を整えます。

その中で、進展に合わせて過去の科学史を振り返り
新しい意義を考察していきたいと思うのです。
(年初は書評の再考、サイト内リンクの確認をします)

実際、A8が運営するFanBlogが4月で閉鎖するという情報があるので
本ブログからのリンクをチェックしていかないといけませんね。

今年も宜しくお願い致します。

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【改訂】東大が量子コンピューターを2023年秋に導入
(IBM社製‗127量子ビット)

東大

こんにちはコウジです!
「東大が量子コンピューター」の原稿を改定します。
今回の主たる改定は新規追記分の補完です。
大分長いこと改定していませんでしたね。

初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。

SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。

(写真は従来の基盤の写真です)

以下投稿の内容は2023/04/22の
日経新聞記載の情報メインです。
現代の情報だと考えて下さい。

新聞記事を離れた所で冷静に考えていくと
税金の使い道の話でもあります。

日本国民の皆様が一緒になって考えて、
出来れば知恵を出し合えたら
より良い展開に
つながる類の話題なのです。しかし、
実のところ、大多数の日本国民は
「量子コンピュータ?言葉は聞くけれども…」
って感じで内容が議論されていません。
議論を喚起しましょう。

本記事では私論を中心に語ります。但し、
記載した量子ビット数は何度も確認しています。

ニュースのアナウンサーも語れる内容が少ない
のでしょう。
そんな中で東大本郷キャンバスでは
記者会見が開かれ、IBM社のフェローが
「有用な量子コンピューターの世界がすぐそこまで来ている」
と語っています。

物理学を専攻していた私でも多分野において下調べが必要です。
当面、「ラビ振動」、「共振器と量子ビットの間の空間」
「ミアンダの線路」、「量子誤り訂正」といった概念を
改めて理解し直さないと最新の性能が評価できません。

特に理化学研究所に導入された機種は
色々な情報が出ていて教育的です。対して
東大が導入するIBM社製の量子コンピューターは
トヨタ自動車やソニーグループなど日本企業12社での
協議会による利用を想定していて、
利益享受を受ける団体が限られています。
今後の課題として利用の解放(促進)が望まれます。 

東京大学が川崎拠点に導入

既に27量子ビットを導入している川崎拠点に2023年の秋に
127量子ビットの新鋭機を導入する予定です。
経済産業省は42億円の支援を通じて計算手法等の
実用面へ向けての課題を解決していく予定です。

一例としてJSR(素材メーカー)が「半導体向け材料の開発」
を想定して活用する方針を打ち出しているようですが
具体的にプロジェクトに参加する事で得られるメリットを
明確にする作業は大変そうです。

現時点での量子コンピューターの国内体制

報道では「量子ビット」の数に着目した表現が多いです。
実際に理化学研究所では2023年の3月に64量子ビットの
装置を導入して研究を進めています。

また、英国のオックスフォード・クァン・サーキッツ
は都内のデータセンターに今年の後半に量子コンピューター
を設置予定で外部企業の利用も想定しています。

対して米国のIBMでは433量子ビットのプロセッサーが開発
されていて、2023年度中には1000量子ビットの実現、
2025年度には4000量子ビット以上の実現を計画しています。 

EV電池開発に革新的貢献ができるか

一例としてIonQ社とHyundai Motor社は共同で
量子コンピューターに対する
バッテリー化学モデル
を開発しています。(2022年2月発表~)

実際に同社は新しい変分量子固有値ソルバー法
(VQE:Variational Quantum Eigensolver)を共同で開発してます。
開発目的はバッテリー化学におけるリチウム化合物や
化学的相互作用の研究への適用です。

 特定の最適化問題を解決するVQEは原理的に
量子コンピューターと親和性が良いです。
変分原理を使用し、ハミルトニアンの基底状態エネルギー、
動的物理システムの状態の時間変化率を考えていくのです。
計算上の限界で、既存システムでは精度に制約がりました。

 具体的に酸化リチウムの構造やエネルギーのシミュレーション
に使用する、量子コンピュータ上で動作可能な
バッテリー化学モデルを共同開発しています

リチウム電池の性能や安全性の向上、コストの低減が進めば
EV開発における最重要課題の解決に向けて効果は大きいです。
【実際、EV価格の半分くらいはバッテリーの価格だと言われています】

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【Topic_2021/05/17投稿_9/25改定】
次世代加速器計画【ILC】

2021/5/10の日経新聞記事の情報を基本として
トピックをお知らせします。

日米欧の計画で進む国際リニアコライダー(ilc)
は新しい物性物理学の理論において
突破口を開くと期待されます。
また経済面でも期待され、
「科学のオリンピックを30年続ける」
ような効果があると評価する人々もいます。

また、日本学術会議は「事故対策」「不確定要素」
を懸念しています。そんな中で、宇宙が誕生した
状態を再現することを目的としていて
新しい理論に繋がる実験を計画しています。実際に
建設する予定は東北地方の北上山地が予定地
となっており2035年ころの稼働を目指しています。
総建設費は8000億円となります。

大きさは全長最大で20キロメートルで
小柴
氏・梶田氏がノーベル賞を受けたヒッグス粒子を
大量に作ります。

実験の姿としては
両側から+とー(プラスとマイナス)の
電荷を其々帯びた電子と陽電子を発射して
光速度近くまで加速した上で衝突する事で
大量のヒッグス粒子が発生する姿を観測
しようというものです。

ヒッグス粒子は物質に質量を与える
素粒子であると考えられていて
欧州合同原子核研究機関(cern)にある
巨楕円形加速器「lhc」で2012年に観測されています。

現代物理学で注目される微粒子なのです。

その数は理論的には1種類とも5種類とも言われ、
実際の実験結果が期待されます。また、
全宇宙の1/4を占めると言われるダークマター
の発見も期待されます。

同様な計画は中国でも進んでいるようで、
こちらの動きも注目されます。

アニメのエバンゲリオンに出てくるような
未知の粒子が制御出来るとしたら
素晴らしいですね。

新聞を読んだ時は計画の推進面だけしか
分かりませんでしたが、実際問題を含んでいて、
乗り越えるべき障壁もあります。

今後の情報をもって再度、
話題を改定したいと思います。



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