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広重 徹
【科学史の社会的側面を深掘りしていった先人|早い最期】‐3/30改訂

こんにちはコウジです。
半年ごとの既存記事見直しの作業です。
今回は近世20世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。
では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

思想史のなかの科学
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【1928年8月28日生まれ ~ 1975年1月7日没】


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 広重徹の育った時代

広重博士は京都大学の理学部を卒業した後に
大学院をドロップアウト(中退)してます。

彼は戦争の時代に青春を過ごし、さらに占領下の日本という激動の環境の中で
多感な時期を生きました。価値観が大きく揺れ動く時代の中で、研究者としての
道を模索していたことを考えると、その出発点は決して平坦ではなかったはずです。

当初は素粒子論を専攻しており、純粋な理論物理学の道を歩み始めていました。
しかし後に彼は、自らの関心を「科学そのもの」から
「科学が成立する背景」へと移していきます。


広重徹と科学史

広重徹は科学史の中でも、特に「社会的側面」に
焦点を当てた研究で知られています。

村上陽一郎と共著を出したほか、村上陽一郎本を書いたり
ランダウローレンツ
著作を翻訳し、日本に紹介する役割も果たしました。

そのため彼の文章を読むと、単なる歴史記述ではなく、
**科学と社会の関係をどう捉えるかという「立場」**が感じられます。

それだから文章を読んだ時に、きっと感じます。
社会との関係の中で捉える立場を一貫して守っていたのです。
広重徹の守っていた立場があるのです。

社会の中で科学史が意味を持ちます。
科学史の大きな役割を感じます。
社会から過度な期待がある半面で、
ある意味で無理解な評価があるのかな、
覚悟しながら冷静に話して一般の人々に
理解してもらう事が大事です。

科学史は単なる過去の記録ではありません。社会の中で科学がどのように
受け止められ、どのように発展してきたのかを理解するための枠組みです。

科学にはしばしば過度な期待が寄せられる一方で、
その本質が十分に理解されないまま評価されることもあります。

だからこそ、冷静に整理し、
一般の人々に分かる形で伝えることが重要になります。


科学史の意義

科学は発展し続けているのでその意味合いを吟味する事が大事です。
何よりも、その理解の中で文章を読んでいる人に
整理した形でその時々の
「全体像」を伝えて、
当時の現象理解と問題点を出来るだけ考えられる
ように出来るようにします。そうすれば、歴史を語りながら、
科学技術の議論が深まり、発展に繋がっていくのです。

科学の理解には助けがあると非常に有益な場合があります。新しい知見を
身に付けていく中で概念の形成過程を詳細に追いかける事で、より深く
科学が理解できるのです。私も科学史の文章を作っている一人だと考えると、
少し身の引き締まる思いがします。

  • どのような問題意識があったのか

  • どのような限界があったのか

  • なぜその理論が受け入れられたのか

といった「全体像」を把握する必要があります。

科学史は、そのための強力な手段です。

概念の形成過程を丁寧に追うことで、単なる知識ではなく、
「理解」として科学を捉えることができるようになります。

過去を語ることは、同時に現在の科学の見方を形作ることでもあるからです。


名大
名古屋大学

話し戻って広重徹はその後、名古屋大学で研究活動を進め、科学史研究者
として独自の立場を築いていきました。しかし1975年、47歳という若さで
この世を去ります。その早すぎる死は、日本の科学史研究にとって
大きな損失でした。
もう少し話しが聞きたかったなぁ、って感じですね。
その後、斯様な議論はあまり無いかと思うのです。

また、広重徹の奥様が自分史を残していたのでリンクを残します。
広重徹のお人柄が偲ばれると同時に終戦後の世相が感じられて
興味深いかと思えます。リンクがある間に是非、ご覧下さい。

http://www.asahi-net.or.jp/~fv9h-ab/kamakura/DrMiki.html

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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/10_初稿投稿
2026/03/30_改定投稿

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 (2021年11月時点での対応英訳)

The era when Tetsu Hiroshige grew up

Dr. Hiroshige dropped out of graduate school after graduating from the Faculty of Science at Kyoto University. .. .. I think it was difficult because he spent his youth in the era of war, spent a sensitive time under the occupation, and started as a researcher in various times as a social situation. It seems that Tetsu Hiroshige initially majored in particle physics.

Tetsu Hiroshige and the history of science

Tetsu Hiroshige’s research focused on social aspects, especially in the history of science. He wrote books with Yoichiro Murakami and translated the achievements of Landau and Lorenz and introduced them to Japan.

So when he reads the text, he surely feels.

There is a position that Tetsu Hiroshige protected. He feels the great role of the history of science in society. While he has excessive expectations from society, it is important to talk calmly and get the general public to understand, while being prepared to have an incomprehensible evaluation in a sense. Above all, if it is possible to convey an organized “overall picture” to the person reading the text in that understanding so that they can understand the current phenomenon and think about problems as much as possible, while talking about history, It will lead to the development of science.

Considering that I am one of the authors of the history of science, I feel a little tight. Returning to the story, Tetsu Hiroshige finished his doctoral course in his thirties (at Nagoya University) and died early in his forties.

I feel like I wanted to hear a little more. After that, I don’t think there are many such discussions. Also, since Tetsu Hiroshige’s wife left her own history, I will leave a link. At the same time as the personality of Tetsu Hiroshige is remembered, it seems interesting to feel the social situation after the end of the war. take a look.

http://www.asahi-net.or.jp/~fv9h-ab/kamakura/DrMiki.html

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