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ジョージ・ストークス
【流体力学・光学・数学それぞれで大きな業績】-6/21改訂

こんにちはコウジです。

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(以下原稿です)

流体力学入門
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【1819年8月13日 ~ 1903年2月1日】

Scientific Identity, Portrait of George Gabriel Stokes

 

Credit:Smithsonian Libraries and Archives
https://library.si.edu › image-gallery

ストークスとは誰か:Sir George Gabriel Stokes, 1st Baronet

ストークスの正式名は
Sir George Gabriel Stokes, 1st Baronet
SIR の称号を持ち、ケンブリッジ大学ではニュートンやディラックなどが務めた
ルーカス教授職(Lucasian Professor of Mathematics)を長く務めた数学者・物理学者です。

彼は 流体力学・光学・数学 の幅広い領域で顕著な功績を残しました。

信仰と科学を両立したケンブリッジの重鎮

ストークスは単なる数学者ではありませんでした。
19世紀イギリス科学界を代表する指導者の一人でもあります。

1849年から1902年まで、半世紀以上にわたり
ケンブリッジ大学の
ルーカス数学教授職を務めました。
これはニュートンやディラックも歴任した
イギリス科学界最高峰の教授職です。

またストークスは敬虔なキリスト教徒でもあり、
科学と宗教は両立できるという立場を生涯貫きました。

王立協会会長も務め、イギリス科学界全体をまとめる
役割を果たしています。
研究者としてだけでなく、
教育者・運営者・指導者としても極めて大きな影響力を持った人物でした。


ストークスの業績:特に有名な流体力学

ストークスと聞いて真っ先に思い出されるのは、やはり流体力学でしょう。
特に ナビエ–ストークス方程式(Navier–Stokes equation、NS方程式) は非常に有名です。

この方程式の形に慣れてくると、

  • 粘性のある流体の振る舞い

  • 圧縮性/非圧縮性の流れ

  • ニュートンの第二法則との対応

といった物理的意味が自然と見えてきます。
ただし、ベクトル解析の「回転」や「発散」といった概念は最初少しとっつきにくいものです。

実験の現場で厳密にナビエ–ストークス方程式を適用することは少ないものの、
流れを定性的に理解したり、数値流体力学(CFD)の基礎となったり
その価値は今も圧倒的です。


ストークスの人脈と有名な逸話

ストークスは、当時のイギリス科学界の中心人物の一人でした。
その代表的なエピソードが、「ストークスの定理」の起源です。

実はこの定理、もともとはケルビン卿(ウィリアム・トムソン)がストークスに伝えたもので、
ストークスはその有用性を認め、ケンブリッジ大学の数学試験(トライポス)で
この定理を諮問に使いました。

そして、その試験を受けていた学生こそ、後に電磁気学を完成させる ジェームズ・クラーク・マクスウェル です。
もちろんマクスウェルは見事な成績で試験に合格したと言われています。

  • 絶対零度のケルビン卿

  • 流体力学のストークス

  • 電磁気学のマクスウェル

全く違う分野のように見える3人がしっかりと繋がっていたというのは、
当時のイギリスの科学界で議論や交流がいかに活発だったかを示しています。

物理学は分野をまたいで深くつながっている——そのことを感じさせる逸話です。

関連する物理学者(流体力学・電磁気学)

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2021/10/03_初稿投稿
2026/06/21_原稿改定

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(2021年10月時点での対応英訳)

Accurately write the name of Stokes

He holds the title of Sir George Gabriel Stokes, 1st Baronet, SIR and holds the Lucas position in Cambridge. Stokes left a remarkable job, especially in fluid mechanics, optics, and mathematics. Specific Stokes achievements

As a result, many people think that what is called Stokes is fluid mechanics. In particular, the expression formula called NS (Narvier Stokes) formula (table formula) is famous. As you become more accustomed to the formula, you will realize that it corresponds to Newton’s second law. However, the expressions peculiar to vector mechanics such as “rotation” and “divergence” are hard to realize.

However, if you trace the discussion carefully, you will gradually understand the “phrase” that the viscosity of the fluid and that it is an incompressible flow, and you will feel that you have grasped the whole picture. It’s strange. In reality, it is rare to experiment with a large number of sensors placed on a fluid, and it is difficult to apply it exactly, but it is very useful for qualitative understanding and simulated by numerical analysis. It is a valuable expression that can be taken.

Stokes connections

Finally, I would like to introduce the connections related to Stokes. It is said that William Thomson (Sir Kelvin) originally introduced the now-famous “Stokes theorem” to Stokes. Stokes then acknowledged the usefulness of the theorem and used it in his consultation at the University of Cambridge’s Mathematics Honors Exam (Tripos).

Sir Kelvin and Stokes, who leave their names in units of absolute zero, are connected. And it was Maxwell, who later became an authority on electromagnetism, who was taking the test. Of course, Maxwell is said to have passed this exam with excellent grades. It connects with people at absolute zero, Stokes, people with electromagnetics, and so on.

Three people who seemed to be in completely different fields in physics were related, but from such a story, it can be said that there was a lot of discussion in England at that time, and the world of physics was connected. You should be able to realize that you are there.

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J・R・マイヤー
【熱と仕事の変換|エネルギーの概念の確立に貢献】‐6/19改訂

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世界は物理で出来ている
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【1814年11月25日生まれ ~ 1878年3月20日没】

エネルギー概念を切り開いた物理学者 ― ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー

ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー
(Julius Robert von Mayer)は、
熱と仕事の関係に着目し、
エネルギー保存の法則の礎を築いたドイツの物理学者です。
「エネルギー」という現代物理学の基本概念の確立に
大きく貢献し、熱力学第一法則の成立を支えた
研究者のひとりとして世界的に知られています。


画像出典:Wikimedia Commons(Public Domain)


マイヤーの生い立ちと学生時代のエピソード

マイヤーは1814年にドイツで生まれ、チュービンゲン大学で医学を学びました。
実験が好きで化学の講義にも積極的に参加していたほか、学生運動的な活動
に関わり、当局と衝突して停学処分を受けたこともあります。

しかし、その期間を無駄にせず、多くの学問的知識を習得した
と言われています。
しぶとく、学びに貪欲な性格が伝わるエピソードです。


熱帯航海での“赤い静脈血”の発見 ― エネルギー概念への出発点

大学卒業後、マイヤーは見聞を広めるためにオランダ領
東インド諸島へ向かう船の軍医となります。

航海中、マイヤーはある異変に気づきます。瀉血で採取した船員の
静脈血が、寒い地域で見るよりも鮮やかな赤色だったのです。

この観察からマイヤーは次のような仮説を立てました。

  • 血液は酸素量が多いほど赤い
  • 熱帯では体温維持に多くの酸素が必要ないのではないか
  • 酸素消費は体温維持にも、人間の運動にも関係しているのではないか

今日なら血液分析や代謝測定、統計解析によって検証されるような
現象でした。しかしマイヤーは限られた観察結果から
『熱と運動は同じ自然現象の異なる姿ではないか』
という大胆な仮説へ到達しました。そこに彼の独創性があります。

これらの推論が「熱と運動は何らかの形で関連し、互いに変換可能である」
という発想につながり、後に熱と仕事の等価性を提唱する重要な契機になりました。


エネルギー保存の法則の成立へ ― マイヤーの独創的な洞察

マイヤーは、ニュートン力学で扱われる力学的な仕事、熱の発生、
電気による作用などの現象を広く捉え、これらが互いに変換し合う
という概念に到達しました。

その結果、「熱と仕事は同じ本質を持つ量である」という考えを提示し、
現代のエネルギー保存則の原型となる理論を打ち立てました。

1842年に『Remarks on the Forces of Inorganic Nature』という論文を発表し、
熱と仕事の関係を明確に示しましたが、当初は学界でほとんど注目されませんでした。

しかし後に、ヘルマン・フォン・ヘルムホルツやリービッヒらが
その重要性を評価し、彼の研究は再び光を浴びることになります。

その功績が認められて、マイヤーは1871年にイギリス王立協会より
コプリ・メダルを授与されました。
自然科学における最高の名誉のひとつです。

マイヤーとジュールの違い ― なぜ二人ともエネルギー保存則の発見者なのか

エネルギー保存則の成立を学ぶと、多くの人が疑問に思います。

「エネルギー保存則を発見したのは
マイヤーなのか、それともジュールなのか?」

実は両者とも極めて重要な役割を果たしています。

マイヤーの特徴は、
自然現象全体を統一的に理解しようとした理論家
であったことです。

熱・運動・電気・化学反応などを別々の現象として
ではなく、
相互に変換可能な共通の量として捉えました。

つまりマイヤーは、
「エネルギー保存」という考え方そのものを
提示した人物だったのです。

一方の
ジェームズ・プレスコット・ジュール
は実験家でした。

ジュールは水を攪拌する装置などを用いて、仕事と熱が一定の割合
で変換されることを
精密測定によって示しました。

現在でいう
「熱の仕事当量」の測定です。

つまり、

  • マイヤー:概念的・理論的にエネルギー保存則へ到達
  • ジュール:実験によって熱と仕事の等価性を実証

という違いがあります。

さらに後の
ヘルムホルツが理論体系として整理したことで、
エネルギー保存則は物理学全体の原理として
確立していきました。

現代の教科書では、
マイヤー・ジュール・ヘルムホルツの三者を
熱力学第一法則の成立に貢献した人物として
並べて紹介することが一般的です。

 


晩年とその後の評価

マイヤーは1878年3月20日、64歳で亡くなりました。
哲学者エルンスト・マッハは、マイヤーを次のように評しています。

「マイヤーは自然の探求において、比類なく重要かつ広汎な見識をもっていた。」

特にエネルギーの概念を導入し、その保存則の成立に貢献した点が大きく評価されています。
今日でも、マイヤーは「エネルギー概念の提唱者」と呼ばれることがあります。


まとめ:エネルギーの“始まり”に立ち会った人物

ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤーは、熱と仕事を結び付けることで、
エネルギーという物理学上の普遍的な概念を切り開いた研究者です。
現代科学のあらゆる分野で使われるエネルギーの基礎は、
彼の洞察と観察によって大きく前進しました。

なにより、エネルギーの概念正確には マイヤー、ヘルムホルツ、ジュール
の3名が独立に提唱していますが、、
マイヤーはエネルギー保存則を
最初期に提唱した研究者の一人として位置づけられています。

前後リンク

◀ 前の人物:カルノー:Sadi Carnot/

熱機関効率を研究し、熱力学の出発点を築いた人物。

▶ 次の人物:James Prescott Joule/joule_1818

熱と仕事の等価性を精密実験で証明した人物。

この分野の物理学者(熱力学)

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2021/04/03_初稿投稿
2026/06/19_改定投稿

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(2021年9月時点での対応英訳)

If you write down the name,
Julius Robert von Mayer,

A German physicist. He believes that heat and work can be converted to each other, and is well known for the law of conservation of energy and Mayer’s relations for specific heat.

First, Meyer studied medicine at the University of Tubingen. He liked experiments, and Meyer also took chemistry lectures in addition to medicine at university. He also seems to have organized a student union and confronted the authorities at the same time. As a result, Meyer will be suspended.

Mayer and Energy

However, Meyer seemed to have had a good time taking advantage of his suspension period without losing. He is a reluctant man. Later, Meyer became a surgeon in the Dutch colony to spread his knowledge. During his voyage in the East Indies, Meyer notices something. The venous blood of the phlebotomized sailors had a brighter red color than that of cold regions. Meyer’s hypothesis is

① Blood is red when there is a lot of oxygen in the blood

② There is too much oxygen in the tropics
Isn’t it necessary?

③ To maintain body temperature in the tropics
It requires less oxygen.

Therefore, further inference about the relationship between heat and exercise suggests that oxygen consumption is related to “maintenance of body temperature” and “results of human exercise”. That’s why I suspected that heat and exercise had something to do with each other. It’s his unique perspective. After that, we will continue to experiment independently.

Meyer broadly captures forces in Newtonian mechanics, heat, and forces derived from electricity, and envisions concepts that will be shown later in terms of workload. He interacts between the physical quantities that have been discussed separately, and later establishes the law of conservation of energy.

Hermann von Helmholtz and Liebig also evaluated Meyer’s achievements, and as a result, Meyer became more widely known. He has also been sent a Copley Medal by the Royal Society. He died at the age of 64 on March 20, 1878, seven years after receiving his medal. “Meyer had an unparalleled importance and widespread insight in the quest for nature,” Ernst Mach said. In particular, the evaluation contributed greatly to the establishment of the concept of energy, and some people evaluated it as an advocate of the concept of energy.

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C・A・ドップラー
【ドップラー効果を定式化したオーストリア人】-6/15改訂

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 ドップラー効果Tシャツ
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【1803年11月29日生まれ – 1853年3月17日没】


出典:Wikimedia Commons, public domain,
“Christian Andreas Doppler” portrait

 ドップラーの示した事実

その名をはクリスティアン・アンドレアス・ドップラー;

Christian Andreas Doppler。ドップラーはオーストリアの

物理学者にして数学者にして天文学者です。

移動体の発する音を考えた時に観測者と音源との間の

相対的な周波数の関係を詳しく調べました。いわゆる

「ドップラー効果」の形で定式化して後世に残しています。
近づく救急車の音、疑問に思った事は無いでしょうか?
ドップラーは、そんな感覚的な効果を定式化したのです。

ドップラーが着目したのは、人間の聴覚能力そのものではなく、
観測者と音源との相対運動でした。
救急車が近づく時には音が高く聞こえ、
遠ざかる時には低く聞こえる。この現象を感覚的な印象としてではなく、
周波数の変化として定量的に表現したのです。重要なのは、
観測者が誰であっても同じ法則が成立することでした。
ドップラーは「聞こえ方」の違いではなく、
「観測される波の周波数」の変化を数理的に説明したのです。

当時としては極めて説得力のある説明方法だったのです。
「絶対音感」に対する当時の理解は言及しませんが、
より音感の鋭い人物を求める姿勢はあったと思えます。

舞台は音楽の国オーストリア、研究対象は音の定量化です。

今日では音で聞こえる周波数の話から、考え方を拡張して
電磁波のドップラー効果や超音波のドップラー効果
も含めてドップラー効果は現在でも応用されています。

 

ドップラー効果の特徴

ドップラーの素晴らしい所は”問題のとらえ方”で、

相対的な位置関係の変化から一見,違うものと思える

「音速;C」と「移動体の速度;V」の間の関係をとらえ

①「動かない物体の発する周波数;F1」から

②「移動する物体の発する周波数;F2」へと

変化する割合である「F2/F1」を

数式で分かり易く示したことです。

なにより、
「人はそれぞれ別の音を聞くことが出来る」というモデルを作ったのです。

完成形を言語化してモデルに取り入れた訳ですが、色々な事象がある中で
「音」に重きを置いて絶対音感を重要視して理論を構築していくのです。
そして、最後にその議論を後程何十年も何百年も検証してきたのです。

今日では高校生レベルで説明・理解出来る関係を

数百年前に作り上げて説明しています。

そして、

今では色々な側面から解釈・利用されています。

ドップラーはまずプラハ (当時オーストリア帝国内) の
工科学校 (工科大学) の数学教員となり、
後にウィーン大学の物理学研究所長に就任ました。astro-dic.jp+1

そんな中で遺伝学のメンデルがドップラーの
講義を受けていたようです。
少し意外な繋がりですね。
参考URL:https://www.kazusa.or.jp/dnaftb/3/bio.html)

補足1:現代に残るドップラー関連の情報

ドップラーのつかんだ事実は
「現代社会でどこに使われているか」
を考え直してみると実感がわきます。

ドップラー効果の現代利用

  • 気象レーダー
  • 新幹線速度測定
  • 警察の速度取締レーダー
  • 天文学の赤方偏移
  • 銀河の後退速度測定
  • 超音波エコー検査
  • ドップラー血流計

です。特に

宇宙膨張の発見にもドップラー効果の考え方が使われている
という事実も重要でしょう。

補足2:一次情報あるいは標準的歴史観からのドップラーの事実

以下は、あなたの文章に補うとよい、信頼できる情報です。

  • ドップラーの出生は 1803年、オーストリア・ザルツブルク。生家は石工の家系。astro-dic.jp+1

  • 学歴としては、ザルツブルクでギムナジウム(中等教育)を終えた後、ウィーンの工科大学 (当時の Imperial–Royal Polytechnic Institute) で数学・物理を学んだ。astro-dic.jp+1

  • 1835年からプラハの工科大学(高等工業学校)で数学教員。1841年に正教授となり、その後 1850年からウィーン大学物理学研究所 (Imperial Academy) の所長。astro-dic.jp+1

  • 1842年に発表した論文 Über das farbige Licht der Doppelsterne und einiger anderer Gestirne des Himmels(「連星および他の天体の色光について」)で、波動の相対運動による波長/周波数の変化 — 後に「ドップラー効果」と呼ばれる現象 — を理論的に提唱。christian-doppler.net+1

  • ドップラー効果は当初「音波(音)」について想定され、1850年代以降、光 (電磁波) や超音波、レーダー、天文学、医療(超音波診断・ドップラー法)、気象レーダーなど多方面で応用されるようになった。DigiKey+2jsmoc.org+2

 

関連する物理学者(19世紀物理学の発展)

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この分野の物理学者(波動・光学・電磁気学)

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【2021年8月時点での対応英訳】

Job of Doppler

Its name is Christian Andreas Doppler. Doppler is an Austrian physicist, mathematician and astronomer.

c.A.Doppler investigated the relative frequency relationship between the observer and the sound source when considering the sound emitted by a moving object. It is formulated in the form of the so-called “Doppler effect” and left for posterity.

It shows the fact that the pitch changes at the point where a musician with perfect pitch hears and observes the sound from a moving object. It was a very compelling explanation for the time. The stage is Austria, the country of music, and the subject of research is sound quantification.

Way of thinking by Doppler

Today, the Doppler effect is applied by expanding the way of thinking from the frequency that can be heard by sound, including the Doppler effect of electromagnetic waves and the Doppler effect of ultrasonic waves.

The great thing about Doppler is “how to grasp the problem”, which captures the relationship between “sound velocity; C” and “moving object velocity; V”, which seems to be different at first glance from the change in relative positional relationship, and “does not move”. “F2 / F1”, which is the rate of change from “frequency emitted by an object; F1” to “frequency emitted by a moving object; F2”, is shown in an easy-to-understand manner.

In today,Doppler created and explained relationships that can be explained and understood at the high school level hundreds of years ago. And now it is interpreted and used from various aspects.

Doppler will be the head of the research institute at the Institute of Physics, University of Vienna, after teaching at the current Czech Technical University. In the meantime, he also teaches Mendel’s research in genetics. It’s a little surprising connection.

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N・L・S・カルノー
【仕事量|カルノーサイクルを考案|36歳で病死】-6/14改訂

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熱さまシート
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【1796年6月1日生まれ ~ 1832年8月24日没】


タイトル
:Sadi Carnot portrait
作者:不明(19世紀)
ライセンス:Public Domain(著作権なし)
出典:Wikimedia Commons(“Sadi Carnot” portrait)

カルノーの業績

その名は ニコラ・レオナール・サディ・カルノー(Nicolas Léonard Sadi Carnot)
19世紀フランスに生き、熱機関の理論体系=カルノーサイクル
を提唱した人物として知られています。

カルノーの父ラザール・カルノーは、フランス革命期の軍制改革を主導した
尊敬を集める人物でした。その影響もあり、サディ・カルノーは
正義感が強く、思索深い青年に育ちました。

当時の産業界では蒸気機関が急速に発達していましたが、
「なぜ蒸気機関がどれだけの仕事を生み出せるのか」という
熱と仕事の関係の理論的説明は十分ではありませんでした。
蒸気が膨張して圧力を生むことは経験的に知られていても、
温度・圧力・体積の関係や、粒子運動との
つながりは未整理だったのです。

カルノーはこの問題に挑み、熱機関が取り出せる仕事量に
上限があることを示しました。
これが 「カルノー効率」 であり、
後の熱力学第二法則の基礎となります。

カルノーは熱機関の理論的限界を初めて明らかにしました。
しかし当時はまだ熱素説の時代であり、熱と仕事の等価性
そのものを理解していたわけではありませんでした。後に
ジュールやクラウジウスらによって熱力学として再解釈され、
その先駆的価値が認められるようになります。

カルノーはわずか36歳で病没したため、
生前にその業績はほとんど評価されませんでした。
しかし、クラペイロンがカルノーの理論を図示して体系化し、
トムソン卿(ケルビン) がその重要性を広め、さらに
クラウジウス がエントロピー概念へと発展させました。

こうして、カルノーの思想は後の熱力学の中心原理として
高く評価されるようになったのです。


一次情報にもとづく補足

✔ カルノーの一次情報

  • 代表著書:『火の動力についての省察(Réflexions sur la puissance motrice du feu)』(1824年)

  • 生没年:1796–1832

✔ 歴史的評価の流れ(正確版)

  1. カルノー(1824)
    ・熱機関と仕事の理論的限界(カルノーサイクル)を提示

  2. クラペイロン(1834)
    ・PV図で体系化、式として理解可能に

  3. ケルビン卿(1849–1851)
    ・「カルノー効率」概念を整理

  4. クラウジウス(1850年代)
    ・エントロピーと第二法則へ発展

関連人物と科学史の流れ

熱力学はカルノー一人によって完成されたわけではありません。
前世代の気体研究から始まり、
ジュールやクラウジウスへ受け継がれていきました。

この分野の物理学者(熱力学・統計力学)

熱力学と統計力学は、一人の天才によって完成された学問ではありません。
気体の研究から始まり、熱機関の理論、エネルギー保存則、
エントロピー、そして量子論へと発展していきました。
以下の記事では、その流れをたどることができます。




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【以下は2021年8月時点での対応英訳です】

Job of Carnot 

Its name is Nicolas Léonard Sadi Carnot.

Carnot advocated the Carnot cycle, a theoretical heat engine, and continued to think about heat-related physics.

His father is said to have been respected in the French army during the Revolution and led the military reforms. And Carnot grows up to be a sensitive young man with a strong sense of justice.

Carnot’s interest was in the steam engine. The industry at that time could not explain the steam engine theoretically.

It is understood in the Carnot era that steam expands rapidly, but the behavior of individual particles that make up steam, especially the “temperature rise (decrease)”, “pressure”, and “volume” brought about by collective motion, etc. The relationship with quantity was not clear.

As an empirical knowledge of Carnot’s time, “the steam generated when water is heated expands and generates pressure as it moves from the liquid state to the gaseous state.”

In the discussion of gaining power by moving the sliding engine with the pressure generated at that time, there was no theoretical environment in the era of Carnot that was discussed based on quantitative discussions.

Carnot way of thinking 

Carnot creates the concept of “work load” by considering the distance that the force is continuously applied in addition to the force that appears in Newtonian mechanics. There is a big difference between the phenomenon of “dragging a few centimeters” and the phenomenon of “dragging a few kilometers” of heavy luggage, so the concept of “work load” can be understood sensuously.

For example, there is a relationship between the force that moves an object and the frictional heat that is generated when it moves, and Carnot used the concept of work to connect them. In addition, the concept of specific heat and heat capacity was created, and various phenomena were connected.

Unfortunately, Carnot lives a very short life and died of illness at the age of 36.

Carnot was evaluated after his death. Clapeyron and Sir Thomson evaluate it, followed by Mach. Carnot’s concept of “work” was finally appreciated in his later years.

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マイケル・ファラデー
【王立協会に所属し電磁場の近接作用を研究】‐6/13改訂

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【1791年9月22日生まれ ~ 1867年8月25日没】

Michael Faraday – Man of Science – DPLA – 5f2b65726e7d4bb523e98ae61828bc11 (page 6).jpg

A biographical account of the life and accomplishments of Michael Faraday (1791-1867),
an English scientist who contributed to the study of electromagnetism and electrochemistry.
Digitized content includes the work’s front matter and a selection of plates. Plates include
a portrait of Faraday, Faraday’s Royal Institution of Great Britain laboratory, Faraday’s study,
Faraday delivering his annual Christmas Juvenile lectures, and Faraday lecturing before
the prince consort, the Prince of Wales and Duke of Edinburgh.

Jerrold, Walter, 1865-1929

Public domain

電磁気学の基礎を築いたファラデー

イギリスのファラデーは、電磁気学の礎を築いた実験科学者です。
特に電磁誘導の発見と電場・磁場という概念の導入は、後の
マクスウェルによる電磁気学体系化の出発点となりました。

近接作用を考えていって導体の周りの空間
における磁界の様子を想像しました。

そして、それが変動した時の作用などを
一つ一つ実験で明らかにしていきます。

磁束の磁界変化が起電力を生む事実を
定式化しました。優れた実験家でした。

画像ではオックスフォードを使っていますが
実際にファラデーは正式に高等教育を受けていません。
オックスフォードは最終的にファラデーが名誉博士号
を受けた所です。学生として学んだところではありません。

オーウェン・ギンガリッチ他著のマイケル・ファラデー
によるとファラデーの一族はイングランドのランカシャー州
北端で暮らしていました。そこで
「北部の強靭な子」としてファラデーは育っていきます。

「それは暮らしにくい気候と起伏の多い地形が
科学の追求に必要なある種の精神の強靭さを育てる一つの
要因だったと考えられるからだ。(上記文献より)」
だと伝えられてます。独学/職業訓練を通じて科学を学んだのです。

【イングランド内戦(17世紀、1642–1651年)】から時代が過ぎ、
多くの人がロンドンで研究をしている時代です。

ファラデー一家は父マイケルの仕事の問題や健康悪化が主な要因で
厳しい経済状況に陥ります。マイケル・ファラデーは家計を助ける為に
「G・リーボというフランス人亡命者が経営する書店兼製本屋(上記文献より)」
で奉公仕事をします。

そこでマイケルは熱心に仕事をしていくのです。仲間に恵まれ
バラバラになって製本し直す必要のある本の修理をしながら
色々な知識を吸収してきます。

きっと、刷毛を丁寧に使い知識の記録を大事に修復したりしていたのでしょう。
そうした作業の中で物質に対しての理解も深くなっていったのでしょう。
書物・仕事を丁寧に扱ったのです。

また、人脈を広げていきます。初めは電気ではなくて化学にマイケルは
深く関心を抱いていきます。銀細工職人ジョン・テータムの勉強会に参加します。
そしてボルタの発明をまねてボルタ電堆(でんつい)を作成します。

なんとロンドンの王立協会に所属することができたのです。①熱心に記載したファラデーのノートを見た王立協会のとある会員から「花形講演者であるハンフリー・デーヴィーの連続科学講義」の聴講券をもらったのです。②そしてその後、デーヴィーの助手として欧米旅行に出かけたりして信頼を深めていき、③やがては王立協会の建物で住居兼研究場所を使っていくのです。この時点で製本屋の時代から比べたら雲泥の差の実験環境に恵まれます。

そうした末にファラデーが考えた法則はファラデーの電磁誘導の法則と呼ばれます。また別途、ファラデーの電気分解の法則という考え方が存在して、それは電気分解での精製質量を記述します。そうしたファラデーの伝記を読んでいて思うのは、ファラデーはとても庶民的な感覚を持っていたということです。人々がどう思っているか、というより感じているかを他の科学者よりも共感できる点が多いかと思います。一緒にお酒でも飲めたら色々語れるでしょう。

ファラデーは高度な数学をほとんど用いませんでした。一方で彼の考えた
「力線」の概念を、後にマクスウェルが数式として表現したのです。
実験家ファラデーと理論家マクスウェルは、電磁気学史における
最高の協力関係の一つと評されています。

ファラデー・マクスウェル対ガリレオ・ニュートン

後の時代にアインシュタインは67歳の時にまとめた「回顧録」
の中でファラデーを実験家として大きく評価しています。

 確かに後のマクスウェルの仕事につながる洞察力の点で、
ファラデーは抜群に素晴らしい。
言語化しないレベルで「電磁場」の姿を「実態」としてつかみ
実験計画を具体的に進めていく力強さを感じます。

概念や知見から「意識」を形成する時点で
数式や言葉を使わないで、相当高いレベルまで
現状把握をしていくのです。そして実験を進めます。
そして後の時代にマクスウェルが話を進めます。
電磁気学が体系化される土壌をファラデーは作ったのです。 

アインシュタインはまた、力学体系の形成以前にガリレオ
重要な役割を果たしたと指摘し、同様な対比を示しています

ファラデーの人となりと評価

ファラデーは子供向けにクリスマスレクチャー

をしたり、ろうそくの科学を解説しててみたり、

一人で考えを極めていく他に

社会全体の意識を高めていこう

としていたと感じられます。

私もこの点は見習いたいです。

ただ、当時は階級社会であり、公の場の食事での扱いや馬車の乗り方等でファラデーは差別的な扱いを受けていていたようです。色々な発見をして科学で名を成した彼は晩年、ナイトの称号を何度も 辞退しました。また、ファラデーはクリミア戦争時に兵器開発の依頼に対して言葉を残していますので引用致します。私はファラデーの感性が好きです。

(兵器を)「作ることは容易だ。しかし絶対に手を貸さない!」
(Wikipediaより引用)

科学技術の平和利用を考えると現代でも個々の科学者は判断をする時があります。実際に日本は敗戦国なので出来る事が限られていまが、例えば中東で紛争があった際に、地雷探知ロボットを投入したりしています。

日本ならではの役割を果たして欲しいと願います。
昨今のAIの進展にも考えるべき所が在ると思えます。
何の為に自分の知力を注ぐのか考えてみて下さい。

ファラデーはそんな事も考えさせてくれました。
そして、1832年にオックスフォード大学から名誉の
Doctor of Civil Law(D.C.L.)が授与された
という記録があります。
ウィキペディア+2数学の歴史+2
 「死後」ではなく、**生前(1832年)**に授与されたものです。
(以前は死後に授与されたと勘違いしておりました。2025/11/24に訂正。)

その他の一次情報での調査・補足

以下は、文章内容を一次資料(または信頼できる歴史的記録)
で裏付け・補強できる参考資料です。

  • 名誉博士号(Oxford)
     1832年、オックスフォード大学は Faraday に名誉の
    Doctor of Civil Law (D.C.L.) を授与しています。 ウィキペディア

  • 教育背景・初期キャリア
     Faraday は幼少期に正規の高等教育を受けず、14歳で製本業(製本・製本屋)
    に徒弟入りしつつ、読書と独学で科学への興味を育てました。
    Encyclopedia Britannica+2ファラデイ+2

  • キングスヒース(Royal Institution)や助教としてデーヴィーに仕えた
     彼は王立協会(Royal Institution)でハンフリー・デーヴィーの助手を務め、
    実験の場を得て研究を進めました。 Encyclopedia Britannica

  • 名誉と拒否
     – 彼はナイトの称号(knighthood)を受けるオファーを
    宗教的な理由などで断っています。 有名人
     – また、王立協会の会長(President of the Royal Society)になる打診
    も受けたが辞退した、と伝えられています。 ウィキペディア

  • 電磁誘導・実験的業績
     彼の実験により、磁束の変化が起電力を生むことを発見し、
    これが後のマクスウェル理論(古典電磁場論)の
    実験的基礎となったことは広く認められています。 Encyclopedia Britannica+1

  • 人格・信仰
     フォラデーはサンデマニアン派(Sandemanian)という
    キリスト教の宗派に属し、その信仰が彼の謙虚さや倫理観に
    大きく影響していたとされます。 Encyclopedia Britannica+1

関連する物理学者(電磁気学の発展)

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〆最後に〆

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Faraday made the basis of electronics

Faraday in England laid the foundation for electrodynamics. He considered proximity and he imagined the appearance of a magnetic field in the space around a conductor. Then, we will clarify the action when it fluctuates one by one by experiment. He formulated the fact that changes in the magnetic field of magnetic flux produce electromotive force. He was an excellent experimenter.

Oxford is used in the image, but many people study in London during the English Civil War. Faraday belonged to the Royal Society of London. And Faraday’s law is called Faraday’s law of electromagnetic induction. Separately, there is the idea of ​​Faraday’s laws of electrolysis, which describes the purified mass in electrolysis. Reading those Faraday biographies, I think Faraday had a very common sense. I think he has more sympathy than other scientists for what people think, rather than what they feel. If you can drink alcohol together, you can talk a lot.

It seems that Faraday was trying to raise the awareness of society as a whole, in addition to giving Christmas lectures for children and explaining the science of candles, thinking extremely alone.

I also want to emulate this point.

Faraday and later evaluation in class society

However, at that time, it was a class society, and it seems that Faraday was treated discriminatory in terms of how to treat it in public meals and how to ride a horse-drawn carriage. He made many discoveries and made a name for himself in science, and in his later years he declined his knight title many times. He also quotes Faraday as he left a word for his request to develop weapons during the Crimean War. I like Faraday’s sensibility.

He said (weapons) “easy to make, but never help!”
(Quote / Wikipedia)

Even today, individual scientists sometimes make decisions when considering the peaceful use of science and technology. Actually, Japan is a defeated country, so there are limits to what we can do, but for example, when there is a conflict in the Middle East, we are introducing landmine detection robots. I hope you will play a role unique to Japan. Faraday made me think about that too. And years after his death, Faraday received an honorary doctorate from Oxford University.

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昨夜の「数学白熱教室」 【2015-11-28投稿分_谷山氏_フェルマーの定理】

NHKのEテレの「数学白熱教室」第三回を見た。いつもの通りで途中で少し眠ったようだが、多分後半の重要なところは見た。

フェルマーの定理から、谷山・志村・ヴェイユ予想へと話が進む前の数論と方程式の解の話もおもしろかった。よくわかったというわけではないが、不思議なものがそこにあるという感覚は感じ取れた。

ワイルズともう一人の研究者のフェルマーの最終定理の解決も実は谷山・志村・ヴェイユ予想の解決であり、それとフェルマーの定理とが密接に関係しているという話も興味深かった。またこれはフレンケルが現在研究しているラングランズ・プログラムの一例になっているという。

もともとフェルマーの定理はピタゴラス数の拡張として考えられたとの説明は数学がどうやって広がっていくかを示した話であったと思う。ピタゴラス数として3, 4, 5のつぎは13,12, 5であるが、そこらあたりまでなら誰でも知っているだろう。だが、それらよりも大きい数にもピタゴラス数はある。

谷山さんは自ら命を絶った数学者であるが、彼は不思議な予想能力があった人だったという。一方、志村さんは今でも生きていて、ちくま学芸文庫に数冊本を書き下ろしている。

でも妻によれば私の眠っていたときの話は素数にある種の対称性があるという話だったという。そういう話だとフレンケルさんの話でなくとも誰か数学者が本に書いてあってもいいはずだと思う。だから、どれかの数学の本で読むことができるかもしれない。

(2024.3.23付記)その後、志村さんも亡くなったが、いつなくなったのかは覚えていない。だが、最近まで存命だったことは確かである。

 

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あけましてオメデトウございます。今年も宜しくお願い致します。【@2025元旦】_1/1投稿

こんにちはコウジです。
「オメデトウございます」の原稿を投稿します。

投稿前に誤字がありました。
細かい文章も再考しています。しっかり正確に。
そして沢山情報が伝わるように努めます。
(以下原稿)

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

個人として今年は新しいことを色々と始める積りですので
物理学の考察には時間を使わなくなってくると思えます。

昨年度のノーベル賞受賞を思い出してみても、
AI関連での発展が顕著なので、そうした考察を追いかけます。

先ずは新しい知見である「プログラム学習」を身に付け、
次々と最新トレンドを追いかけられるように体制を整えます。

その中で、進展に合わせて過去の科学史を振り返り
新しい意義を考察していきたいと思うのです。
(年初は書評の再考、サイト内リンクの確認をします)

実際、A8が運営するFanBlogが4月で閉鎖するという情報があるので
本ブログからのリンクをチェックしていかないといけませんね。

今年も宜しくお願い致します。

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【改訂】東大が量子コンピューターを2023年秋に導入
(IBM社製‗127量子ビット)

東大

こんにちはコウジです!
「東大が量子コンピューター」の原稿を改定します。
今回の主たる改定は新規追記分の補完です。
大分長いこと改定していませんでしたね。

初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。

SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。

(写真は従来の基盤の写真です)

以下投稿の内容は2023/04/22の
日経新聞記載の情報メインです。
現代の情報だと考えて下さい。

新聞記事を離れた所で冷静に考えていくと
税金の使い道の話でもあります。

日本国民の皆様が一緒になって考えて、
出来れば知恵を出し合えたら
より良い展開に
つながる類の話題なのです。しかし、
実のところ、大多数の日本国民は
「量子コンピュータ?言葉は聞くけれども…」
って感じで内容が議論されていません。
議論を喚起しましょう。

本記事では私論を中心に語ります。但し、
記載した量子ビット数は何度も確認しています。

ニュースのアナウンサーも語れる内容が少ない
のでしょう。
そんな中で東大本郷キャンバスでは
記者会見が開かれ、IBM社のフェローが
「有用な量子コンピューターの世界がすぐそこまで来ている」
と語っています。

物理学を専攻していた私でも多分野において下調べが必要です。
当面、「ラビ振動」、「共振器と量子ビットの間の空間」
「ミアンダの線路」、「量子誤り訂正」といった概念を
改めて理解し直さないと最新の性能が評価できません。

特に理化学研究所に導入された機種は
色々な情報が出ていて教育的です。対して
東大が導入するIBM社製の量子コンピューターは
トヨタ自動車やソニーグループなど日本企業12社での
協議会による利用を想定していて、
利益享受を受ける団体が限られています。
今後の課題として利用の解放(促進)が望まれます。 

東京大学が川崎拠点に導入

既に27量子ビットを導入している川崎拠点に2023年の秋に
127量子ビットの新鋭機を導入する予定です。
経済産業省は42億円の支援を通じて計算手法等の
実用面へ向けての課題を解決していく予定です。

一例としてJSR(素材メーカー)が「半導体向け材料の開発」
を想定して活用する方針を打ち出しているようですが
具体的にプロジェクトに参加する事で得られるメリットを
明確にする作業は大変そうです。

現時点での量子コンピューターの国内体制

報道では「量子ビット」の数に着目した表現が多いです。
実際に理化学研究所では2023年の3月に64量子ビットの
装置を導入して研究を進めています。

また、英国のオックスフォード・クァン・サーキッツ
は都内のデータセンターに今年の後半に量子コンピューター
を設置予定で外部企業の利用も想定しています。

対して米国のIBMでは433量子ビットのプロセッサーが開発
されていて、2023年度中には1000量子ビットの実現、
2025年度には4000量子ビット以上の実現を計画しています。 

EV電池開発に革新的貢献ができるか

一例としてIonQ社とHyundai Motor社は共同で
量子コンピューターに対する
バッテリー化学モデル
を開発しています。(2022年2月発表~)

実際に同社は新しい変分量子固有値ソルバー法
(VQE:Variational Quantum Eigensolver)を共同で開発してます。
開発目的はバッテリー化学におけるリチウム化合物や
化学的相互作用の研究への適用です。

 特定の最適化問題を解決するVQEは原理的に
量子コンピューターと親和性が良いです。
変分原理を使用し、ハミルトニアンの基底状態エネルギー、
動的物理システムの状態の時間変化率を考えていくのです。
計算上の限界で、既存システムでは精度に制約がりました。

 具体的に酸化リチウムの構造やエネルギーのシミュレーション
に使用する、量子コンピュータ上で動作可能な
バッテリー化学モデルを共同開発しています

リチウム電池の性能や安全性の向上、コストの低減が進めば
EV開発における最重要課題の解決に向けて効果は大きいです。
【実際、EV価格の半分くらいはバッテリーの価格だと言われています】

ハイブリット英会話スタイルで伸ばす「アクエス」
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【Topic_2021/05/17投稿_9/25改定】
次世代加速器計画【ILC】

2021/5/10の日経新聞記事の情報を基本として
トピックをお知らせします。

日米欧の計画で進む国際リニアコライダー(ilc)
は新しい物性物理学の理論において
突破口を開くと期待されます。
また経済面でも期待され、
「科学のオリンピックを30年続ける」
ような効果があると評価する人々もいます。

また、日本学術会議は「事故対策」「不確定要素」
を懸念しています。そんな中で、宇宙が誕生した
状態を再現することを目的としていて
新しい理論に繋がる実験を計画しています。実際に
建設する予定は東北地方の北上山地が予定地
となっており2035年ころの稼働を目指しています。
総建設費は8000億円となります。

大きさは全長最大で20キロメートルで
小柴
氏・梶田氏がノーベル賞を受けたヒッグス粒子を
大量に作ります。

実験の姿としては
両側から+とー(プラスとマイナス)の
電荷を其々帯びた電子と陽電子を発射して
光速度近くまで加速した上で衝突する事で
大量のヒッグス粒子が発生する姿を観測
しようというものです。

ヒッグス粒子は物質に質量を与える
素粒子であると考えられていて
欧州合同原子核研究機関(cern)にある
巨楕円形加速器「lhc」で2012年に観測されています。

現代物理学で注目される微粒子なのです。

その数は理論的には1種類とも5種類とも言われ、
実際の実験結果が期待されます。また、
全宇宙の1/4を占めると言われるダークマター
の発見も期待されます。

同様な計画は中国でも進んでいるようで、
こちらの動きも注目されます。

アニメのエバンゲリオンに出てくるような
未知の粒子が制御出来るとしたら
素晴らしいですね。

新聞を読んだ時は計画の推進面だけしか
分かりませんでしたが、実際問題を含んでいて、
乗り越えるべき障壁もあります。

今後の情報をもって再度、
話題を改定したいと思います。



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