に投稿 コメントを残す

【「老人の呟き」からの転載_6月末】・量子力学【2005-06-17】・武谷光男【2005-07-10】・三段階論とQCD 【2005-08-13】・武谷三男の本 【2005-10-16】・Glauberのノーベル賞受)賞 【2005-10-06】・DysonのThe scientist as rebel【2007-01-30 】・Heufieber(hay fever) 【2007-02-23 】・Grossのノーべル賞受賞講演 【2007-04-28 】・武谷三男の年譜作成への試み 【2007/4/25】・仕事とエネルギー 【2007/5/31】・慣性の法則 【2007/5/17】・熱力学の第1法則 【2007/5/2】

量子力学

2005-06-17 15:08:49 | 物理学(以下引用)

田舎の大学だけれども、私は35年以上量子力学を教えてきた。

数学もその量子力学を理解しようとした範囲内で勉強してきた。工学部で教えてきたのだが、他大学はわからないが、私の教えた大学ではあまり熱心な学生にはいくつかの例外を除いて出会わなかった。

いま話題としているのは学部段階のレベルの初歩的な量子力学である。それより高等な話はほとんどない。でも、数学のいろいろな疑問が出てきたりして、体系としての数学ではなく、その数学の断片的な知識が必要とされた。そういう過程から、『数学散歩』(国土社)が出来上がってきました。

今日は量子力学の講義でトンネルダイオードの話をしたのですが、その準備で少し半導体のことを木下是雄先生の『物質の世界』(培風館)で勉強してみました。あまり、半導体は勉強する機会がなかったことですが、結構面白いですね。これは木下さんの書き方がいいのだろう。

もっとも、電気電子の学生でもここに書かれているようなことを知っているのかどうかは疑わしい。4回生くらいになると、多分もっと知っているのでしょうが、相手が2回生ですからどうもはじめてみたいな顔をして聞いている。

もっとも、私自身が学校であまり半導体のことは習っていない。大学に勤めるようになって一夏かかって学生実験のテキストを書いたことがあり、そのときに少し勉強したがあまり日ごろ使わないので忘れてしまう。そこらあたりが専門家と専門でない者との違いでしょうか。

量子力学といっても、偏った量子力学で、大学の理学部で学ぶ一般の量子力学とは言いがたい。でも、1時期うんざりしたことがあったが、その1時期を除いて、いつも新鮮な気持で授業に取り組んできた。学生からの評判はとても悪くて落ち込むことのほうが多かったが、それでもくじけずにやってこられたのは、ひとえに量子力学の奥深さと面白さによるものだろう。

昨年の講義が最後と思っていたが、事情で今年だけ非常勤講師をしている。今年はあまり黒板で計算はせずに主な内容を説明するという方式をとっている。はたして評価はどうだろうか。楽しみである。(引用此処まで)

武谷三男と三段階論

2005-07-10 18:58:52 | 物理学(引用此処から)

「武谷三男と三段階論」という題で徳島科学史研究会と科学史学会四国支部の合同年会で講演をすることになった。

もっともまだ何を話すか決めてはいないが、おおよその話す内容は

(1)自己紹介

(2)武谷三男の紹介

(3)三段階論の紹介

の三つを予定している。

全体で1時間だが、質疑応答に10分を使うと50分を講演に使うことになる。武谷三男の業績というと何だろうか。

彼はまず第一に三段階論の提唱者である。自然の認識は現象論的段階、実体論的段階、本質論的段階という三つの段階を経て、認識されるということを提唱した。

また、技術論では「技術とは客観的自然法則の意識的適用である」と定義して新しい技術論を開いた。これらは哲学とか科学史とか技術論の分野の業績である。

物理学ではどんな業績をもっているだろうか。

まず第一に核力研究の指導者としてのTNSといわれる核力を核子-核子の距離によって3つの領域に分けて領域ごとに異なった方法で研究するという方針を立てて、核力グループという研究者集団を組織した。それによってグループとして日本の核力研究をリードした。

領域 I は1 pion交換領域でここでのポテンシャルを確立した。

領域 II はもう少し内側の領域で実質的には共鳴状態としてのrhoとかomega中間子が核力に効いてくる領域である。

領域 III は現象論的に研究されるべき領域とした。hard core その他のテーマがあった。

核力の問題が現在最終的に解決したといえるのかどうかは私にはわからないが、現在ではQCDといわれる学問体系が出来上がっている。

しかし、これは核子をクォークからできているとして、クォークの間の力をグルーオンというゲージ粒子が交換されるということから説明しようとしている。

もっともQCDではクォークとクォークとの距離が近づけば近づくほど力が働かなくなり、遠ざかろうとすれば、大きな力が働くという性質のきわめていままでと変わった性質の力が働くと考えている(漸近的自由とクォークの閉じ込め)。

このようなQCDが出来上がる前の段階を見てみると、

(1) deep inelastic散乱ではBjorkenのスケーリング則があり(現象論的段階)

(2) その後にFeynmanのparton modelが出てきて、quarkがpartonとして考えられた(実体論的段階)

(3) それを受けてGross, Wilceck,Polizterの漸近的自由をみたす量子場の発見があった(本質論的段階)

物理の話の筋としてはこのようになっているのだが、核力研究としての武谷の研究方法は成功を収めたと言えるのだろうか。これは私にはまだ分からない点である。

核力はクォークとクォークとの間の力から導かれる2次的な力ということになった。

核子がクォークの3体系となっているので、それらの足し上げとしての力となったために1次的なgluonによるクォークとクォーク間の力によって核子と核子間の力をeffectiveに導くということができるはずである。

それをすることが意味のあることかどうかということが問題であろうか。(引用此処まで)

三段階論とQCD

2005-08-13 11:52:22 | 物理学(引用此処から)

三段階論はもちろん武谷三男の三段階論である。QCDはQuantum Chromodynamics(量子色力学)である。この二つがどんな関係にあるといわれたら、全く関係がないよというのが専門家の考えであろう。

でもいつのころからか私はQCDが形成される段階は武谷の三段階論にしたがっているのではないかという考えをもってきた。少なくとも誰かの書いたものからそんなことを思いついたのではないから、もしかして誰かが私と同じことを考えているということもありうる。

話の筋はdeep inelastic散乱でBjorkenのスケーリング則が見出されたが(現象論的段階)、SLACのepのデータを見たFeynmanがそのデータからpartonモデルを考案した。それはスケーリングを説明しただけでなくハドロンは多くの点状粒子から成り立っているという新しいハドロンの猫像をつくった(実体論的段階)。そして、そのことからGross-WilczekやPolitzerのasymptotic freeな量子場の理論ができて、摂動論的QCDができあがった(本質論的段階)。

もっともasymptotic freeな量子場理論ができあがるにはこんな単純な推論ではなく、もっと面倒な事実があったのだが、できあがった経過を細かな議論を抜きにして考えると上のような三段階論にしたがった推論になる。

三段階論は科学史家の広重徹氏には不評であったと思う。広重氏の批判はあたっていたかもしれないが、広重氏が新たな彼自身の方法論を提示しなかったという点に不満が残っている。だから広重氏の武谷に対する批判はたとえ部分的にあたっていてもそれを乗り越える創造的な観点があるとは広重氏の本を読んでは感じられなかった。昔のことで本当にそうであったかはわからないが、一応私の見解をここに記録しておく。(引用此処まで)

武谷三男の本

2005-10-16 11:51:49 | 科学・技術(引用此処から)

武谷三男の本を集めている。古い本が多いのだが、私の所有するものももう160冊に近い。ちょっとでも武谷の寄稿がある本なら何でも集めているが、私の調べたところでも190冊近くが出版されている。そのリストはすでに「素粒子論研究」に2度にわたって載せているが、まだまだありそうである。なかなか人間のやることは完全というわけには行かない。

現物が手に入らないものは図書館で借り出しを受けてコピーをしている。武谷三男全集が編纂、発行されることがあれば、私のところへ相談に来なければうそというものであろう。

しかし、ということは武谷に関する文献では本人とか国会図書館を除いて世界で一番集めていると思う。武谷は2000年に亡くなったので、遺族が彼の著書を完全に保管していれば、それにはもちろんかなう訳ではないが、どうだろう。遺族というのは存外面倒がったりしてぞんざいに扱っているかもしれない。

これは遺族を非難しているわけではなく、普通にはそんなもんだと思うからである。因みに私の作成したリストは国会図書館で武谷三男で検索して得られるリスト数130点前後よりもはるかに多い。

もっともこの資料がいつ役に立つかはたまた全く役に立たないのかはわからない。でもそんなことをやっている人間がいるということが大切なのではないか。

どうも歳をとると変なことを自慢するようになるが、これが老化ということだろうか。(引用此処まで)

Glauberのノーベル賞受賞

2005-10-06 11:38:07 | 物理学(引用此処から)

Glauberの光の理論はあまり勉強したことはないのだけれど、原子核物理学でのGlauber理論は少し学生時代に勉強したことがあった。

その後、アイコナール近似と呼ばれたのがGlauberの理論だったと思う。一度勉強してそれから振り返ったことがないので、間違っているかもしれないが。

Glauberは昔から個性ある物理学者として知られていたらしく、朝永振一郎がプリンストン高等研究所に滞在した頃、このGlauber理論が出たのだと思う。

ということは1949年ころのことでしょうか。もう約65年も前のことになりますね。「素粒子論研究」の朝永さんからの海外便りにGlauberのことが出ていたと思う。もっともそれを読んだのは朝永の論文集でです。

長生きすれば、ノーベール賞ももらえるチャンスが出てくるといういい例ですね。もっとも若いときにいい仕事をしておかなくてはならないのだけれど。(引用此処まで)

DysonのThe scientist as rebel

2007-01-30 10:17:20 | 物理学(引用此処から)

The scientist as rebelという昨年末に出たDysonの著書を拾い読みした。Dysonは物理学者で数学者である。特に有名なのは量子電気力学のくり込みの理論でこれはその当時の量子電気力学の集大成とも言うべきものであった。

天才Feynmanの理論をFeynmanよりも早く紹介したので、これによってようやくFeynmanの独創的な理論が一般に理解されるようになったといわれる。

朝永、Schwinger、Feynmanの3人は1965年にノーベル賞を受賞したのが、Dysonを受賞者に入れなかったことによってノーベル賞の選考委員会はミスをしたのではないかとC.N.Yangはいっている。これはノーベル賞は3人以内という規定に従ったためと思われるが、それにこだわる必要はなかったのではないかというのがYangの言い分らしい。

Dysonは発散型の学者で宇宙の研究や物性論や原子炉の研究とかもやっている。もともとイギリス人であったが、その後アメリカの市民権を得た。

彼の新しい著書は主に書評であるが、OppenheimerとかWienerとかのことも書いてあって週刊誌的興味からはとても面白い。

Oppenheimerは優れた学者でもあったが、世間的には原爆製造を指導した人として知られている。彼の業績では今ではブラックホールの研究が際立っているのだが、彼は少しもブラックホールが存在するかどうかに関心がなかったように思えたという。

これはどうしてかとDysonは考えているが、このブラックホールの研究は有名なBohrとWheelerの核分裂の理論と同じphysical reviewの号に出ていたので、そちらの方が主に関心を引いたためではないかとDysonは推測している。

前出のYangによれば、Oppenheimerがもう少し長生きしていれば、ノーベル賞を受賞できたのではないかという。Openheimerが原爆製造に係わった点についてはいくつかの彼の評伝では優れた学者ではあったが、独創性が足らなかったということを自分で自覚したためではないかとの推測がなされており、それはわたしも十分ありうることだと以前に書いたこともあるが、その辺の評価は間違っていたのかもしれない。

Wienerの方は新しく3つ目の彼の伝記が出た機会に書いた書評のようだが、Wienerの妻のことが大きな焦点の一つになっている。これは二人の娘との関係でもあるし、Wienerが共同研究者との交際を絶つという影響もあった。その点に新しい焦点があたっており、天才も妻の精神的な異常性に振り回されたらしい。

私のように英文を読むのが下手なものでもDysonの文章は構文的には難しくないと思う。単語は知らないのが多く, 辞書を引き引きではあったが、久しぶりに睡眠不足になるこのごろであった。(引用此処まで)

Heufieber(hay fever)

2007-02-23 11:05:28 | 健康・病気(引用此処から)

Heufieber (Germ.) (hay fever  Eng.) といえば、Heisenbergが若いときにこのHeufieber がひどかったというのは有名である。

彼が量子力学への端緒を開いたのは1925年5月であったが、その直前にとてもひどいHeufieberにかかり、先生のBornに申し出て休暇をとり、療養のため草木がなく岩でごつごつした北海の孤島Helgolandへ出かけた (Helgolandはいつかテレビで見たのでは海岸の岩壁が赤い色をした島だった)。

そこで、Heisenbergは奇妙な代数(それは数学で知られたマトリックスであることをBornが後で発見した)を考え出し、そしてそのときに量子力学のモデルとして用いた非調和振動子のエネルギーが保存することをちゃんと証明できた。それでHeisenbergは真理の一端を確かに掴んだという確信をもった。この辺の話は彼の自伝『部分と全体』(みすず書房)に詳しい。

この創造体験はDysonの自伝『宇宙をかきみだすべきか』(ダイアモンド社)に出ているTomonaga, Schwinger, Feynmanの量子電気力学を統一的に理解できたときのDysonの体験と状況はまったく違うが、その内的な感情と感覚は似ている。

しかし、ここで述べたいのはHeufieberとは何かということである。いつだったかNHKの英語会話の放送を見ていたら(英語だからhay feverと綴るのだろうが)、これを花粉症と訳していた。それで、はっとしてやっとHeufieberが身近なものになったのだが、日本では花粉症は鼻水がしきりにでるが、熱は出ない。

その数年後だったが、入試の監督に駆り出されたときに、同僚のS先生が顔を赤くして花粉症に悩んでいた。

その方は7,8年をアメリカで暮らした方でhay feverについて彼の体験を話してくれた。それはもちろん花粉が原因なのだろうが、40度近い熱が何週間も続いてとても不快なのだという。それでやっとわかった。Heufieberは枯草熱と訳されているが、熱が出るところが特徴のようだ。

Heufieberの枯草熱という訳語を理解できなくて、花粉症という訳語である程度わかったつもりになっていたが、結局元へ戻ったわけである。なんでも実際に生活をしてみないとわからないことがあるものだ。

(2011.4.13付記) ドイツ語ではPollenallergieという語があり、これは文字通り「花粉アレルギー症」である。(引用此処まで)

Grossのノーべル賞受賞講演

2007-04-28 12:35:48 | 物理学(いんよう此処から)

最近号の素粒子論研究4月号に2004年度のノーベル賞を受賞したGrossの講演の翻訳が載っている。まだ全部読み終わったわけではないが、興味深い。

Grossはいま漸近的自由という用語で知られているnonabelian gauge 場の量子論をつくった人の一人である。ノーベル賞はあと二人の人と共同受賞だが、彼がその中で一番年上でかつ見通しもしっかりしていたと思われる。

また、もう一人受賞者のPolitzerはS. Colemanの学生で漸近的自由をもつnonabelian gauge 場の量子論をつくれるかというのは、Colemanから出された課題であったらしい。

PolitzerとColemanの関係は電弱理論のくりこみを課題として’t Hooftに与えたVeltmanと似たような関係にあるようにも思われる。

もっともVeltmanは’t Hooftとノーベル賞を共同受賞しているのである程度報われたが、それでもVeltmanの心理的葛藤は大きくて、彼はその後オランダから離れてアメリカの大学に勤めた。

現在ではまた故国オランダに帰っているようだが、そういう心理的な葛藤の問題は量子力学の行列力学の創設者Bornにもノーベル賞を単独受賞したHeisenbergに対して同様にあったことはよく知られている。

私の関心は武谷三段階論との関係からであるが、Feynmanのparton模型のことには言及してあるが、しごくあっさりとしたものでむしろscalingの成立する場の理論を求めたという観点がGrossの見解には強いように思われる。

武谷三段階論の観点からは実体論的段階であるparton模型が重視されるのであろうが、Grossにはそういう感じが彼の語るところではない。

現象論としてのscalingから直接にではないにしても本質論的段階としての摂動的QCDである漸近的自由な場の量子論がつくられたという感じがしている。もう少し詳しく知りたいところだ。

しかし、実際にはparton模型という段階を経ていることがあっさりとした彼の言説の中にも認められる。(引用ここまで)

武谷三男の年譜作成への試み

2007-04-25 16:11:48 | 科学・技術 (引用此処から)

武谷三男の年譜を作成することを始めたいと思うが、そのための文献としては「思想を織る」、「聞かれるままに」、「原子力と科学者」、「素粒子の探求」等が役に立つだろう。

武谷は自分は湯川、朝永のような立派な学者ではないので自伝を残さないと言っていたが、実際に「思想を織る」とか「聞かれるままに」には自分の生い立ちについてのかなり詳しい言及がある。特に「思想を織る」は自伝的な色彩が強い。彼はそれでもこれは自伝ではないと言い訳をしている。

湯川秀樹の詳しい年譜は故河辺六男さんがつくられて、「湯川秀樹著作集」に載っている。それに対応するものをつくりたいと思っているが、現在までのところ取り掛かることもできてはいない。8月には徳島科学史学会の総会があるので、それに向けた試論をそろそろ用意したいと思う。(引用此処まで)

仕事とエネルギー

2007-05-31 10:56:36 | 物理学(引用此処から)

私の基礎物理学の講義では「ベキ関数の微積分」しか必要でないとこの間,講義で大見得を切ったのだが,ところがこれからの講義ではそれだけでは済みそうにない。すでに学生には講義ノートを渡してあるのだが,その内容を私はほとんど忘れてしまっていた。

学生は私を嘘つきだという判断をするだろう。三角関数の微分は使わないにしても近いうちに対数関数とか指数関数とかの微分は使うことになる。それに仕事とエネルギーとの関係も学生にはまったくわかっていないらしい。これはそれについて話さなかった私が悪いのだろうが。

簡単なデモ実験を来週にはやった方がよさそうだ。考えているのは棒でテニスのボールをおすという実験とか高い所からボールを落とす実験とかである。動いていることがエネルギーをもっていることであり、また高い所に物体があるということもエネルギーがあることになるということを示さなければならない。またバネはポテンシャルエネルギーをもっていることも話す必要がありそうだ。 力を物体に及ぼせば,エネルギーが増えるという事実もこれは日常の経験からはわかりにくい。

というのは力は知らず知らずに摩擦力のように物体に働いているのにそういうもののない世界を物理学では考えていることをわかるのは難しいからだ。ああ、なんということだろう。

日常生活における実際経験と理想化された物理学の世界とはかけ離れている。もちろん、物理の本を読んで勉強を初歩からしてくれれば、理解できるはずだが,そういうことをして来た学生は少ないらしい。(引用此処まで)

慣性の法則

2007-05-17 11:54:48 | 物理学(引用此処から)

今週の基礎物理学の講義の中で短時間だけれど問題演習をした。そのときにわかっていると思って机間巡視をしていたら、ぜんぜん分かっていないことが判明した。それは慣性の法則のことである。これは物体に力が働かない限り、物体はその運動の状態を変えないという法則だが、これを皆さんほとんど理解していないらしい。

確かに講義でしっかりとは教えなかったのだが、こういことは常識として物理を高校で学んだかどうかには関係なく知っていると思っていたのだが、そうではないらしい。だからこれを一から教えないといけないようである。力が働かないときには物体は一直線に運動するということを来週は強調して教えよう。

等速度運動と等速運動とは同じではないといったくらいでは慣性の法則は定着しない。(引用此処まで)

熱力学の第1法則

2007-05-02 13:49:26 | 物理学(引用此処から)

熱力学の第1法則で不思議なことの一つは内部エネルギーの微分は状態量で完全微分であるが,仕事と熱の微少量は状態量ではなく道筋に依存しているということで、これらは不完全微分と言われる。

しかし、その二つの不完全微分の和d’W+d’Qが完全微分dUに等しいというのは不思議の一つであろう。ここで、d’Wとd’Qのdの上にプライムがついているのは不完全微分であることを表している。

この不思議を理解するには このごろ有名になっている、田崎晴明さんの「熱力学」(培風館)を読めばいいのだろう。私もこの本を数ヶ月前に読んでいたが、熱がちょっと冷めて4章か5章で今読むのを止めてしまっている。

しかし、この不思議の説明はムーアの「物理化学」の訳本の上巻に熱の力学的定義というところに書いてあり,それを読めば,たちどころにわかる。それによればちっとも不思議はない。田崎さんの本もそういう趣旨であるようだ。

大学で昔に熱力学をならったときにdU=d’W+d’Q  の形で熱力学第一法則を教わった記憶がない。

同じ等式ではあるが,熱力学第一法則はd’Q=dU-d’Wとして習って,dUが完全微分だという認識はなかった。そういうことを知ったのは大学に勤めるようになって、M先生という物理の先生に入試の出題委員でご一緒したときにそれとなく教わったことであった。

レオントビッチの『熱力学』(みすず書房)がテクストだったのだが、そのことをきちんと書いてあったのかどうか確かめたことがない。(引用此処まで)

Follow me!

コメントを残す