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アーネスト・ラザフォード【1871年8月30日‐3/12改訂】

こんにちはコウジです。「ラザフォード」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、小見出しの設定、装丁の改善です。特に提携終了となった「テキストポン」などの商標は順次置き換えていきます。私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていく予定です。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と2/20時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3395‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2736
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒2593‗④KazenoKouji‗3422⇒3477
なので合計‗6102+5965=【12057@2/9】⇒6131+6170=【12301@2/20】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1871年8月30日 ~ 1937年10月19日】


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その名は正確にはアーネスト・ラザフォード_

Ernest Rutherford, 1st Baron
Rutherford of Nelson, OM, FRS,
初代のネルソン卿_ラザフォード男爵です。

ラザフォードはニュージーランドに生まれ数学で

マスターの学位をとった後に、奨学金を得てイギリスの

ケンブリッジ大学に進みます。そこでラザフォード

JJトムソンの指導のもとで

気体の電気伝導の研究をします。

導体ではない酸素や窒素などの「気体」中にも高い電圧を加えた時に放電現象が生じ、電気が流れます。雷を思い起こしてください。そんな、電気伝導の研究を進めるうちにラザフォードはウランから2つの放射線、α線とβ線が出ている事を発見します。ラザフォードは後に透過性の非常に強い放射線が電磁波である事を突き止め、半減期の概念を提唱します。

ラザフォードが考えた半減期

半減期の分かり易い例として、岩石の年代測定があります。特定の岩石に含まれる物質から出てくる放射線量を計測すれば、半減期の概念を使って形成から今迄、どのくらい時間が経っているか推定出来るのです。

ラザフォードは更に研究を続けました。ガラス管にα線を集め、そのスペクトル分析からα線とはヘリウム原子核であると突き詰めています。そして、1911年にはガイガー・マースデンとα線の散乱実験を行いました。有名なラザフォードの原子模型が提唱されたのです。原子には中心に原子核がありその周りを電子が運動しているというもので、現代でも使えるモデルです。長岡半太郎が提唱していたような表現法ではなく、ラザフォードは実験結果をもとに理論を展開します。

ラザフォードの実験手法

具体的にはこの時に金箔に対してβ線(電子線)を当てた時に断線散乱に相当する軌跡が観測されます。金箔を構成する内部物質と電子はそれぞれ剛体ではないのですが相互に働くクーロン力が同じ効果をもたらすのです。ビリヤードの玉みたいな剛体と微細な粒子間の運動が同じ弾性モデルで表せる事は、感動的ともいえる事実です。

ラザフォードの人柄

その人柄もあって、ラザフォードは原子物理学の父と呼ばれています。キャンデビッシュ研究所では若い研究所員たちに「ボーイズ!」と呼びかけていたりするような人でした。また彼はイギリスに帰化した人ではありますが、紳士として夏の砂浜でもスーツのジャケットを脱がないスタイルも頑なに守っていたようです。そして、原子番号104の元素は今、彼を偲んでラザホージウムと呼ばれています。

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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/26_初回投稿
2022/03/12_改定投稿

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(2021年10月時点での対応英訳)

Its name is Ernest Rutherford

Its name is Ernest Rutherford, 1st Baron Rutherford of Nelson, OM, FRS, the first Sir Nelson_Rutherford. Rutherford was born in New Zealand and earned a master’s degree in mathematics before going on to Cambridge University in the United Kingdom with a scholarship. There, Rutherford studies the electrical conduction of gases under the guidance of JJ Thomson.

When a high voltage is applied to a “gas” such as oxygen or nitrogen that is not a conductor, a discharge phenomenon occurs and electricity flows. Remember thunder. While conducting research on electrical conduction, Rutherford discovers that uranium emits two types of radiation, alpha rays and beta rays. Rutherford later discovered that highly permeable radiation was electromagnetic waves and proposed the concept of half-life.

Half-life that Rutherford considered

An easy-to-understand example of half-life is rock dating. By measuring the radiation dose emitted from a substance contained in a specific rock, it is possible to estimate how long it has been since its formation using the concept of half-life.

Rutherford continued his research further. He collects alpha rays in a glass tube, and from the spectral analysis, he finds that alpha rays are helium nuclei. Then, in 1911, we conducted an alpha-scattering experiment with Geiger-Marsden. The famous Rutherford atomic model was proposed. An atom has an atomic nucleus in the center and electrons are moving around it, which is a model that can be used even in modern times. Rather than the expression that Hantaro Nagaoka advocated,

Rutherfoed’s way

Rutherford develops his theory based on his experimental results. Specifically, at this time, when he hits the gold leaf with β rays (electron rays), a trajectory corresponding to disconnection scattering is observed. The internal substances and electrons that make up the gold leaf are not rigid bodies, but the Coulomb forces that work with each other have the same effect. It is a moving fact that the motion between a rigid body like a billiard ball and fine particles can be represented by the same elastic model.

Rutherford’s personality

Due to his personality, Rutherford is called the father of atomic physics. He was the kind of person at the Candebish Institute who was calling out to young researchers “Boys!” Also, although he is a naturalized person in England, he seems to have stubbornly kept the style of not taking off his suit jacket even on the sandy beach in summer as a gentleman. And the element with atomic number 104 is now called Rutherfordium in memory of him.

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J・J・トムソン
【1856年12月18日生まれ-3/1改訂】

「JJトムソン」の原稿を改定します。作業としては関連リンク、内部リンクの改定、小見出しの設定、装丁の改善です。特に提携終了となった「テキストポン」などの商標は順次置き換えていきます。私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていく予定です。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543‗④KazenoKouji‗3422
なので合計‗6102+5965=【12057】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1856年12月18日生まれ~1940年8月30日没】


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その名はジョゼフ・ジョン・トムソン

;Sir Joseph John Thomson。

イギリスのJJトムソンは同位体の発見者です。

指導者としてはラザフォード

オッペンハイマーボルンの師であり

物理学の発展に大きく貢献しました。

先ずケンブリッジ大学を卒業し、4年後に

キャヴェンディッシュ研究所の所長を務めます。

さらに、電子の実在を形にしていった

一人でもあります。電子を発見したか

については異論があるかも知れませんが

いくつかの洗練された実験で、

JJトムソンは電子の単位量を決めて

特定原子の同位体を示しました。

トムソンによる電子の追及

J Jトムソンの生きた時代の大きな関心は電子でした。ニュートン力学が確立され、それをもとに色々な議論が進んでいた時代に、トムソンは原子核などの束縛を受けていない所謂「自由電子」の振る舞いを明らかにしていきました。初期は陰極線と電子線という言葉さえうまく使い分けられていなかったようです。

電子が沢山放出されるような現象を作り上げて、飛んでくる電子を観測していくイメージです。電子線と呼んだ方が細いイメージです。

原子核の周りをまわっているような「束縛された電子」は当時でも今でも観測の対象とすることはとても難しいのです。また、JJトムソンの子供も後に、電子の波動性を証明してノーベル賞を受けています。

そして、いくつもの偉業を遂げ

J・J・トムソンの亡骸は

ニュートンの墓のすぐ近くに眠っています。

英国の生んだ偉人として。


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以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/09/14_初回投稿
2022/03/01_改定投稿

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(2021年9月時点での対応英訳)

Its name is Joseph John Thomson

[Sir Joseph John Thomson].

This JJ Thomson of England is a discoverer of  the isotopes. As a leader, he was a teacher of Rutherford, Oppenheimer, and Born, and contributed greatly to the development of physics.

At first,JJ Thomson graduated from Cambridge University and will be the director of the Cavendish Laboratory four years later. And , He is also one of the people who shaped The Reality of Electrons. There may be some disagreement about the discovery of the electron, but in some sophisticated experiments,Joseph  Thomson determined the unit amount of the electron and showed the isotope of a specific atom.

J Thomson’s pursuit of electrons

The history of  John Thomson and electronics is closely related. In an era when Newtonian Mechanics was established and various discussions were proceeding based on it, we clarified the behavior of so-called “free electrons” that are not bound by atomic nuclei. At the beginning, it seems that even the terms cathode ray and electron beam were not used properly.

It is an image of observing flying electrons by creating a phenomenon in which a lot of electrons are emitted. It is a thinner image to call it an electron beam. It is very difficult to observe “bound electrons” that seem to orbit around the nucleus even now. The child of JJ Thomson also later received the Nobel Prize for proving the wave nature of electrons.

And now, the corpse of JJ Thomson, who has achieved several feats, is sleeping in the immediate vicinity of Newton’s tomb. He was a great man born in England.