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朝永 振一郎
【1906年3月31日生まれ‐4/15改訂】

こんにちはコウジです。「朝永振一郎」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と2/20時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3395‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2736
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒2593‗④KazenoKouji‗3422⇒3477
なので合計‗6102+5965=【12057@2/9】⇒6131+6170=【12301@2/20】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1906年3月31日生まれ ~ 1979年7月8日没】

【↑_Credit:Wikipedia】


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朝永振一郎の生い立ち

朝永振一郎は私が使っていた教科書

【Diracの「量子力学」】の訳者でした。

そのご先祖様は大村藩

(現在の長崎県内にありました)の流れをくみます。

そして、そんな朝永振一郎の父は

京都大学哲学科教授でした。

そんな生い立ちをもった、

朝永振一郎は現在の筑波大学の前身

となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、

最終的には学長を務めます。

東京に生まれ京都で育ち、

世界で議論しました。

 

朝永振一郎の業績

朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大

であると思えるのは繰り込み理論です。

ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる

不可思議な模式図でも表現される

素粒子の反応がありますが、

そこでの過程における

数学的矛盾を見事に説明しています。

ファインマンの経路積分にも数学的な

美点を感じますが朝永振一郎の理論の方が

直感に訴える説得力を持っています。

好みといえば好みの問題ですが、

発散・∞という大問題に対して

ラムシフトを正しく吟味して相対論的に

計算が出来た時に一瞬にして話が繋がり

感覚的に「正しかったんだ」と思えるのです。

朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、

素粒子物理学が大きく進歩したのです。

朝永振一郎はまた晩年、大学入学以前の

若者に対し科学的な啓蒙を進めていました

最後に、朝永振一郎は湯川秀樹

京都大学で同期でした。それぞれの形で

当時の物理学で完成形を作り上げたのです。

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(2021年10月時点での対応英訳)

The background of Shinichiro Tomonaga

Shinichiro Tomonaga was the translator of the textbook I was using [Dirac’s “Quantum Mechanics”]. Its ancestors follow the flow of the Omura domain (currently in Nagasaki prefecture). And Shinichiro Tomonaga’s father was a professor of philosophy at Kyoto University. With such a background, Shinichiro Tomonaga teaches at Tokyo University of Education, the predecessor of the current University of Tsukuba, and eventually becomes the president. He was born in Tokyo, raised in Kyoto, and discussed around the world.

Achievements of Shinichiro Tomonaga

The greatest research achievement of Shinichiro Tomonaga is the renormalization theory. There is a reaction of elementary particles that is also expressed in a mysterious schematic diagram called the Feynman diagram, but it explains the mathematical contradiction in the process. Feynman’s path integral also has a mathematical beauty, but Shinichiro Tomonaga’s theory is more intuitive and convincing.

Speaking of taste, it is a matter of taste, but when the Lamb shift is correctly examined for the big problem of divergence and ∞ and the calculation can be done relativistically, the story is connected in an instant and it seems that it was “correct” sensuously. is. With the understanding of Shinichiro Tomonaga, quantum electrodynamics was organized and particle physics made great progress. Shinichiro Tomonaga also promoted scientific enlightenment for young people before entering university in his later years.

Finally, Shinichiro Tomonaga was in sync with Hideki Yukawa at Kyoto University. Each form was completed by the physics of the time.

 

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J・R・オッペンハイマー
【1904年4月22日生まれ-4/14改定】

BERKELEY, CA -

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【1904年4月22日生まれ~1967年2月18日没】


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 原爆の父オッペンハイマー

オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面

ありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)

では学生からオッピーという愛称で呼ばれていた

側面もありました。オッペンハイマーの人生は

喜怒哀楽に満ちています。

オッペンハイマーの人生を考えるにあたり、

第一の着眼点としては彼もユダヤ系の血を

引いているという点です。ヒットラーが民族としての

ユダヤ人達に焦点を当て迫害し、敵視していた現実は

動かしがたい事実です。強制収容所に連行

されるような世相の中でユダヤ人達は非常な

危機感を感じていたはずです。その危機感の中で

20世紀初頭の歴史は、天才達が育ち・団結して

新しい物を生み出していたのではないでしょうか。

そんな時代に兵器製造の行為は肯定される話

ではないのですが、当時の論客もユダヤ人迫害

から話を初めて、マンハッタン計画に進む流れ

を紹介していき、大衆に納得し易い話を組み立て

られたでしょう。

ユダヤ系の物理学者達

それ以降100年近くがたとうとしていますが、この考えは幾多の人が繰り広げてきたのではないかと思えますが、再度、私も強調します。具体的な物理の世界での登場人物はアインシュタイン 、シュテルンマックス・ボルンD・J・ボーム 、E・パウリ 、ランダウファインマン

そして今回ご紹介するオッペンハイマーです。(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、思い付くたびに補記します。)
そうしたメンバーがもたらした今世紀初頭の物理学の進展は急速でした。その進展は物理学に留まらず、工学、産業、果ては政治体制に繋がっていきました。1917年ロシア革命に始まった社会体制の変化とも同期していた、と言えるのでは無いでしょうか。今世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって大きく様変わりしていたと思えます。そして、昨今コロナで不満が高まり、米中関係が緊張していく世相は、やもすれば危ない世界に近づいてるようにも思えます。各人で理性的な判断・発言をしましょう。今、方向付けが重要です。

 オッペンハイマーの関心

さて実際、オッパンハイマーは最終的に

6つの言葉を操ります。少年時代には

鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し

ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学

します。そこから理論物理学のゲッティンゲン大学

に進みボルンと出会います。オッペンハイマーは

ボルンの指導の下で研究を進め共同で

ボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。

その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学や

UCBで教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴い、

オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の

初代所長に任命されます。そこで原爆を開発したのです。

この仕事は、世界のパワー・バランスを変え、

後の世界を大きく変えました。

晩年のオッペンハイマー

晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが、それ以後の時代では原爆を使わなくても各国が持つだけで攻撃対象とされたりしますし、外交で原爆が脅迫の道具として使われていたりします。

そういったことにつながった発明を

オッペンハイマーは「罪」として捉えていて、

水爆の開発には反対していたりもしました。

オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。

オッペンハイマーの時代はは冷戦時代なので

学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、

最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。

常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)

の監視下にあったのです。1965年、

がんの為にニュージャージーの自宅で

静かに生涯を終えました。合掌。

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2020/09/21_初稿投稿
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(2021年10月時点での対応英訳)

Atomic bomb father Oppenheimer

Oppenheimer was sometimes called the father of the atomic bomb, but at UCB (University of California, Berkeley), he was also nicknamed Oppenheim by students. Oppenheimer’s life is full of emotions. When thinking about Oppenheimer’s life, the first point to look at is that he also has Jewish blood. The reality that Hitler focused on and persecuted the Jews as an ethnic group and was hostile to them is an immovable fact. The Jews must have felt a great sense of crisis in the world of being taken to concentration camps. In that sense of crisis, the history of the early 20th century may have been that geniuses grew up and united to create new things. The act of manufacturing weapons is not affirmed in such an era, but the debaters at that time also started talking about the persecution of Jews and introduced the flow to the Manhattan Project, and assembled a story that is easy for the public to understand. Probably.

Jewish physicists

Almost 100 years have passed since then, and I suspect that many people have developed this idea, but I would like to emphasize it again. The characters in the concrete world of physics are Einstein, Stern, Max Born, DJ Baume, E. Pauli, Landau, Feynman,

And this is Oppenheimer. (I can only think of it here now, but I will add it later whenever I come up with it.) The progress of physics at the beginning of this century brought about by such members was rapid. Its progress went beyond physics to engineering, industry, and even the political system. It can be said that it was in sync with the changes in the social system that began in the Russian Revolution in 1917. It seems that the feeling of obstruction at the beginning of this century was greatly changed by various efforts to overcome it. And it seems that the world, where dissatisfaction with Corona has increased and US-China relations have become tense these days, is approaching a dangerous world. Let’s make rational judgments and remarks by each person. Direction is important now.

Oppenheimer’s interest

Well, in fact, Oppanheimer finally manipulates six words. As a boy, he became interested in mineralogy, mathematics, geology and chemistry, finishing Harvard in three years and studying abroad in Cambridge. From there he goes to the University of Göttingen in theoretical physics and meets Born. Oppenheimer conducts research under the guidance of Born and jointly achieves achievements such as the Born-Oppenheimer approximation. He then returned to the United States to teach at the California Institute of Technology and UCB, but with the outbreak of World War II, Oppenheimer was appointed as the first director of the Los Alamos National Laboratory. So he developed the atomic bomb. This work changed the power balance of the world and changed the world later.

Oppenheimer in his later years

In his later years, Oppenheimer asked himself what the work he had accomplished and even left a word of regret. It was judged that the development and use of the atomic bomb during the war was necessary in the United States as a country, but in the subsequent era, even if each country did not use the atomic bomb, it would be the target of attack, and diplomacy. The atomic bomb is used as a threatening tool. Oppenheimer saw the invention that led to that as a “sin,” and he even opposed the development of the hydrogen bomb.

Oppenheimer also has another sin (?). Since Oppenheimer’s era was the Cold War era, he was pointed out that he had a connection with the Communist Party since he was a student, and eventually continued to be the target of the Red Scare. He was always under the supervision of the FBI (Federal Bureau of Investigation under the Department of Justice). In 1965, he quietly ended his life at his home in New Jersey because of cancer. Gassho.

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セシル パウエル
【1903年12月5日生まれ‐4/12改訂】

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【1903年12月5日生まれ ~ 1969年8月9日没】


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パウエルとハイゼンベルグとゾンマーフェルト

単なる偶然の産物といえば偶然ですが、
今回ご紹介するセシル パウエルと
ハイゼンベルクとゾンマーフェルトは
同じ誕生日でした。また同様に
西川 正治も同じ誕生日でした。

さて、
今回の紹介は英国のセシル パウエルです。

素粒子の軌跡を記録する方法
を改良しました。

つまり、

Photographic Emulsionsの中での粒子軌跡を

直接記録する方法を採用したのです。

当時は未知なる粒子が次々と発見され

様々に予想されていたのですが、

観測手段も試行錯誤が成されていました。

例えば、

霧箱で飛んでくる粒子の軌跡を捉えたり、

高い山の上で観測して飛来宇宙線の大気減衰を

克服したり写真技術を活用したりしました。

パウエルの手法は写真のイメージから考える

のでしょうか。機会があれば更に確認します。

 

 パウエルによるπ中間子の観測

またパウエルは湯川秀樹が予想した
パイ中間子の観測・発見の為に
研究スタッフを派遣しています。生成後の
寿命が短く地表に到達できないパイ中間子
観測の為にボリビアにあるアンデス山脈の
標高5000mの山から上記乾板を使って発見
しています。ダイナミックな観測だった
と言えるでしょう。加えて、気球を使い
高度を確保したりもしています。
観測の為に様々な工夫をこらして
結果を得ています。

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(2021年11月時点での対応英訳)

Powell, Heisenberg and Sommerfeld

It’s just a coincidence, but C. Powell, Heisenberg, and Sommerfeld have the same birthday. Similarly, Shoji Nishikawa had the same birthday.

By the way, this time I would like to introduce you to Cecil Powell in the United Kingdom. The method of recording the trajectory of elementary particles has been improved. In other words, we adopted the method of directly recording the particle trajectory in Photographic Emulsions. At that time, unknown particles were discovered one after another and various expectations were made, but the observation method was also trial and error. For example, we captured the trajectory of particles flying in a cloud chamber, observed them on a high mountain to overcome the atmospheric attenuation of flying cosmic rays, and used photographic technology. Do you think of Powell’s method from the image of a photograph? I will check further if there is an opportunity.

Observation of pions by Powell

Powell also dispatches research staff to observe and discover the pions predicted by Hideki Yukawa. It has been discovered using the above-mentioned dry plate from a mountain at an altitude of 5000 m in the Andes Mountains in Bolivia for the purpose of observing pions that have a short life after formation and cannot reach the surface of the earth. It can be said that it was a dynamic observation. In addition, we also use balloons to secure altitude. We have obtained results by making various efforts for observation.

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E・ウィグナー
_【1902年11月17日 -4/11改定】

シカゴの画像

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【1902年11月17日 ~ 1995年1月1日】


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その名を書き下すと

ユージン・ポール・ウィグナー

(Eugene Paul Wigner)。

ハンガリー生まれのユダヤ人です。

後程詳しくご紹介しますが、ウィグナーは

ポール・ディラックの義理のお兄さんで、

BCS理論の作成者3人組の中心、

バーディーンの指導教官です。

物凄い人脈を持っている人ですね。また、

「原子核と素粒子の理論における対称性の発見」

に対して1963年の

ノーベル物理学賞を受賞しています。

対称性に着目した素粒子の整理は有効で

その分類方法が無ければ

進まなかった話が沢山あります。

 

 ドイツでのウィグナー

ユージン・ウィグナーは現在のベルリン工科大学

を卒業後そこで勤務していましたが

ナチスドイツのユダヤ人迫害に対して

研究継続の困難を感じアメリカに亡命をします。

米国に亡命後はウィスコンシン大学で

物理学の教授を務め、その後に

プリンストン大学で数学の教授を務めました。

そんなウィグナーはレオ・シラード

エドワード・テラーらと、ナチスドイツが

原子爆弾を開発した時の危険性を

アメリカ政府に対して訴えていきました。

実際にベルリンを追われた過去を持つ

ウィグナーは現実に当時の状況を分析

していたのだろうと思います。つまり、

当時のドイツの科学の水準を分かっていて

ナチスが有していた兵器を理解していたから、

ナチスによる原爆開発の危険を強く感じて

いたのだと思えます。ただ、

実際の歴史を知っている

今の我々にとって見たら取り越し苦労です。

ノルマンディー上陸作戦以降の連合軍の

通常兵器での反攻を思えば、優秀とはいえ、

一国のドイツがヨーロッパ大陸を長期間占領し続ける

事は出来なかったでしょう。

現在で考えると強大化する中国に対して欧米諸国

がどういった対応をするか

気になる所でありますよね。いずれにせよ、

英米が原爆を所有するきっかけを

ウィグナー達は作ったのです。

 原爆とウィグナー

ウィグナーはアメリカの原爆開発のきっかけ

となったアインシュタイン名による大統領宛書簡

の起草対してシラードやテラーと連名で加わり

ました。加えて、原爆を開発するマンハッタン計画

にはメンバーとして加わりました。

晩年にウィグナーは哲学的な傾向を深め、講演録

「自然科学における数学の理不尽な有効性」を残しています。

著名なこの著作は多分野に影響を与えています。また、

ウィグナーの妹は食事の席にディラックを招いた縁で、

彼の奥さんになっています。とても意外な取り合わせですね。

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(2021年11月時点での対応英訳)

If you write down the name

Eugene Paul Wigner.

He is a Hungarian-born Jew. As I will explain in detail later, Wigner is Paul Dirac’s brother-in-law and the supervisor of Bardeen, the center of the trio of creators of BCS theory. He has a tremendous network of contacts, isn’t he? He also received the 1963 Nobel Prize in Physics for his “discovery of symmetry in the theory of nuclei and elementary particles”. There are many stories that the arrangement of elementary particles focusing on symmetry is effective and would not have progressed without the classification method.

Wigner in Germany

Eugene Wigner worked there after graduating from the current Berlin Institute of Technology, but found it difficult to continue his research on the persecution of Jews in Nazi Germany and went into exile in the United States.

After his exile in the United States, he was a professor of physics at the University of Wisconsin and then a professor of mathematics at Princeton University. Wigner, along with Leo Szilard and Edward Teller, appealed to the US government about the dangers of Nazi Germany developing an atomic bomb.

I think Wigner, who had a past of being ousted from Berlin, was actually analyzing the situation at that time. In other words, he knew the level of German science at the time and understood the weapons that the Nazis had, so it seems that he was strongly aware of the danger of the Nazis developing an atomic bomb. However, for those of us who know the actual history, it is a difficult move. Given the counterattack of the Allied forces with conventional weapons since the Invasion of Normandy, Germany would not have been able to continue to occupy the continent for a long time, albeit excellent. When you think about it now, you are wondering how Western countries will respond to the growing power of China. In any case, the Wigners created the opportunity for Britain and the United States to own the atomic bomb.

Atomic bomb and Wigner

Wigner joined Szilard and Teller jointly in drafting a letter to the president in the name of Einstein, which triggered the development of the American atomic bomb. In addition, he joined the Manhattan Project to develop the atomic bomb as a member.

In his later years Wigner deepened his philosophical tendencies, leaving behind his lecture “The Unreasonable Effectiveness of Mathematics in the Natural Sciences”. His prominent work has influenced many disciplines. Wigner’s sister is also his wife because he invited Dirac to his dining table. It’s a very surprising combination.

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ポール・ディラック
【1902年8月8日生まれ‐4/10改訂】

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【1902年8月8日生まれ ~ 1984年10月20日】


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無口なディラック

イギリスのディラックは

とても謙虚で無口な人でした。

ノーベル賞が決まった際には、

有名になる事を恐れて受賞の辞退を

考えていた様です。そんな人なのですが、

20世紀初頭の天才達がひしめく中で

ファインマンハイゼンベルクシュレディンガーなど

と量子力学を確立します。特にシュレディンガーとは

同じタイミングでノーベル賞を受賞します。

ディラックの人柄を考えるにあたり少し、

その家族について言及します。

ディラックが10代後半の時期にスイスから

家族は国籍を移しています。そしてディラックの

性格形成を語っていく上で家庭環境は大きな要素

だったようです。まず1924年にディラックの

兄が自ら命を断っています。

色々考えた末だったのでしょうか。

ディラック自身も、その父と会話し辛い

場面が多々あったようです。そして、

極端に無口な人になっていったようです。

ディラックと数学

しかしディラックは、闇に沈まずに数学を駆使して輝かしい成果を残しています。特にデルタ関数やブラケット記法は素晴らしいのです。そんな足跡を沢山残しました。

デルタ関数は超関数の仲間で
積分を使って定義されます。
多分野で有用である関数ですが、
物理の分野では観測に伴い、
波束が収束する様子が表現出来るのです。
数学上ではヘビサイド関数を表現出来ます。
現象は捉え方次第で色々な観測が出来て
周波数軸の観点で物事を考える時と
実座標軸(長さの観点)で考える時と
数式上の表現が異なります。
工学的にこの視点を応用した解析も
実用上で非常に便利に利用されていて
市販品のアナライザーで簡単に
業務解析をする事が出来ます。

ブラケット記法とは日本語で「括弧」
の記号を使った表記です。その定式化では
カギカッコ<>の形の 「<」 の部分
だけを「ブラベクトル」と呼び
カギカッコ<>の形の 「>」 の部分
だけを「ケットベクトル」と呼びます。
非常に分り易い表現でブラの部分がベクトル量
に相当してケットの部分が、それと作用するベクトル量に相当する定式化です。作用する前のケットが固有値を持つ場合に固有状態を持つと表現されます。ここでのベクトルがヒルベルトベクトル(無限次元に対応)であることが学部時代の私にとって感動的でした。一瞬にして物理量に対応する状態が記述された気がしました。一次元が線で、二次元が平面で、三次元が立体空間だというくらいしか想像がつかなかった高校時代から想像は大きく膨らみ、いきなり無限次元に話が拡張したのです。一つのベクトルが多くの情報を担います。他方でデルタ関数は観測が一瞬にして波束の収縮を引き起こす様子を表現していると思います。

こうした定式化をディラックは進め、理論から提唱される物質を考え出しています。具体的に反物質と呼ぶ存在がいくつも提唱され、見つかっています。反物質は寿命が通常の物質より若干短かったりしますので日常的ではありませんが、粒子の生成消滅を論じたりする際に大事な要素です。陽子には反陽子があり中性子には反中性子があります。

ディラック来日

そして、何よりディラックは無口な人です。多くの成果を出していく中で各国の物理学会で招待する動きがあって日本にも来ていたようです。ただ性格が性格でですので余り逸話が残っていません。「仁科さんとお茶飲んだ時に・・・」みたいな話が残っていないのです。無論、歳下の朝永さんとか湯川さんは尚更の事、話しづらかったと思えます。話しかけても無言だったのでしょう。多分オランダでも日常会話はほとんどなかったと思われます。ケンブリッジでは「1Dirac」という単位を使われていました。仲間内での意味としては
「1Word/1Hours」が「1Dirac」に相当して
一時間あたりに単語二つを使ったら「2Dirac」消費されたとして換算されました。ディラックは一時間に数Dirac程度しか言葉を残さなかったそうです。

しかし、そんなディラックは真面目な性格、人を騙さない性格もあって周囲から大事にされていた様子が伺われます。このブログのTOP画面で使っている集合写真でも真ん中の列の中央に居ます。若き天才ディラックにアインシュタインやキューリ夫人が気を遣って「君の研究は素晴らしい。これからも頑張って下さいよ!」といった気持で尊重しているような
気がするのです。そして、

ディラックはイギリスの伝統を受け継いだ人でもあります。
ケンブリッジではルーカス教授職を務めました。この名誉は初代・アイザック・バローから始まり二代目・アイザック・ニュートンと続き、最近では宇宙論で名を成したS・W・ホーキング博士が受け継いでいます。


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(2021年10月時点での対応英訳)

Quiet Dirac

Dirac in England was a very humble and reticent person. When the Nobel Prize was decided, he seemed to be thinking about declining the award for fear of becoming famous. Although he is such a person, he establishes quantum mechanics with Feynman, Heisenberg, Schrodinger, etc. in the midst of the geniuses of the early 20th century. In particular, he won the Nobel Prize at the same time as Schrodinger. In considering Dirac’s personality, I would like to mention his family for a moment.

His family transferred nationality from Switzerland when Dirac was in his late teens. And it seems that the family environment was a big factor in talking about Dirac’s personality formation. First, in 1924, Dirac’s brother died himself. Was he the end of many thoughts? It seems that Dirac himself had many difficult conversations with his father. And he seems to have become an extremely reticent person.

Dirac and math

However, Dirac has achieved brilliant results by making full use of mathematics without sinking into the darkness. Especially the delta function and bracket notation are great. I left a lot of such footprints.

The delta function is a family of generalized functions defined using integrals. It is a useful function in many fields, but in the field of physics, it is possible to express how the wave packet converges with observation. Heaviside functions can be expressed mathematically. Various observations can be made depending on how the phenomenon is perceived, and the mathematical expression differs between when thinking about things from the perspective of the frequency axis and when thinking from the perspective of the actual coordinate axis (from the perspective of length). Analysis that applies this viewpoint engineeringly is also very convenient in practical use, and business analysis can be easily performed with a commercially available analyzer.

Bra-ket notation is a notation that uses the “parentheses” symbol in Japanese. In that formulation
Only the “<” part in the shape of the key bracket <> is called the “bra vector”.
Only the “>” part in the shape of the key bracket <> is called the “ket vector”.
The bra part is a vector amount in a very easy-to-understand expression
The part of the ket corresponding to is the formulation corresponding to the amount of vector acting on it.

Eigenstate and dirac

It is expressed as having an eigenstate when the pre-acting ket has an eigenvalue. It was impressive to me when I was an undergraduate that the vector here is a Hilbert vector (corresponding to infinite dimensions). I felt that the state corresponding to the physical quantity was described in an instant. From high school, when I could only imagine that one dimension was a line, two dimensions were a plane, and three dimensions were a three-dimensional space, my imagination expanded greatly, and the story suddenly expanded to infinite dimensions. One vector carries a lot of information. On the other hand, I think that the delta function expresses how the observation causes the wave function collapse in an instant.

Dirac is proceeding with this formulation and has come up with substances proposed by theory. A number of specific antimatter entities have been proposed and found. Antimatter is not routine because it has a slightly shorter lifespan than normal matter, but it is an important factor when discussing the formation and annihilation of particles. Protons have antiprotons and neutrons have antineutrons.

Dirac visits Japan

And above all, Dirac is a reticent person. While he has produced many achievements, he seems to have come to Japan as he was invited to the Physical Society of Japan. He just doesn’t have much anecdotes because he has a personality. There is no such thing as “when I drank tea with Nishina-san …”. Of course, it seems that Mr. Tomonaga and Mr. Yukawa, who are younger, were even more difficult to talk to.

He would have been silent when he spoke. Perhaps there was little daily conversation in the Netherlands. In Cambridge, the unit “1 Dirac” was used. As for the meaning within the group, “1 Word / 1 Hours” is equivalent to “1 Dirac”, and if two words are used per hour, it is converted as “2 Dirac” consumed. Dirac left only a few words per hour.

However, it seems that such Dirac was taken care of by the people around him because of his serious personality and personality that does not deceive people. The group photo used on the TOP screen of this blog is also in the center of the middle row. I feel that Einstein and Mrs. Curie care about the young genius Dirac and respect him with the feeling that “Your research is wonderful. Please continue to do your best!”

And Dirac is also a man who inherited the British tradition.
He was a Lucas professor in Cambridge. This honor begins with the first Isaac Barrow, continues with the second Isaac Newton, and has recently been inherited by Dr. SW Hawking, who has made a name for himself in cosmology.

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エンリコ・フェルミ
【1901年9月29日生まれ‐4/8改訂】

こんにちはコウジです。「フェルミ」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と2/20時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3395‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2736
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒2593‗④KazenoKouji‗3422⇒3477
なので合計‗6102+5965=【12057@2/9】⇒6131+6170=【12301@2/20】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1901年9月29日生まれ ~ 1954年11月28日没】


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イタリア生まれのフェルミ

フェルミはイタリアのローマに生まれアメリカで没してます。

アメリカではフェルミの名前を冠した研究所が今でも

シカゴ大学内にあって、そこで議論が交わされています。

その業績は社会的側面が大きいものもある一方で

純理論を突き詰めた後世の多くの物理学者が使う

原理・概念もあります。まさにパラダイムシフトを起こした

立役者です。ミクロの世界を切り開きました。

 

そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さ

を備えています。一歩一歩、フェルミは議論を展開して

ノーベル賞を受け、その授賞式の際にイタリアから

アメリカに亡命しました。時節柄、奥様がユダヤ人

だつた為迫害されていたのです。

フェルミとマンハッタン計画

アメリカ移住後に

フェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、

原子力発電所の創設に携わり社会を大きく変えていきます。

そもそも、計画への参加はオットー・ハーンが

ドイツで核分裂実験に成功した事情が大きいです。

フェルミを初めとした物理学者達が時代に

危惧感を抱いたのです。アメリカを中心とする

資本主義圏が自由を謳歌した点でフェルミの業績は

計り知れないです。反面でスリーマイル島の事故や

福島での原発事故を思い起こすと、

気楽に賞賛ばかりはしていられません。

このブログの中で私が何回か主張しているように

識者が知恵を集結して問いかけなければいけません。

かってのラッセルーアインシュタイン宣言を

思い起こしたいです。一方で我々、大衆も

皆で分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねばなりません

可能な範囲で意見を交わして民衆の英知を集結させるべきです。個人個人が平和に対して語る時に少しでもしっかりした考えをもって話さないといけないのです。色々な人と語る時に話が繋がっていく様な議論の土壌を、少しずつ育んでいかないといけないのです。会話をする個人それぞれが、より平和と現実に対してしっかりした考えを持ってほしいです。そんな人が話しやすい雰囲気を出していけるような人になって下さい。自分が話を広げるだけではなくて、相手の意見や気分を理解する力も大きいです。
考えを作るうえで政治家には頼れない昨今です。
各人、しっかりした考えを育んで下さい。

 フェルミトとスピン

さてフェルミに話を戻します。
フェルミは純理論の中で
スピン角運動量に関して議論を進めました。
別のご紹介でボゾン・アインシュタイン
の系を紹介しましたが、フェルミと
ディラック
は別の粒子群に着目します。

後世の理解ではスピン角運動量が
半整数(1/2とか3/2とかいった数)
の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)
と呼ばれボゾンとは別の振る舞いを示します。
具体的なフェルミオンとしてはク
ォークや電子、ミュー粒子、ニュートリノ、
陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。

こうした概念は電気伝導率の物性を
議論するときには欠かせません。

フェルミの排他律に従う電子の集団を統計的に扱い、
フェルミ統計を確立したのです。例えばこの理論で
金属他の熱伝導が非常によく説明されます。。

こうして沢山の業績を世に残し、

フェルミは天に召されました。

彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、

その流速を出していたと言われています。

フェルミこそ、生粋の物理学者でした。

謹んでご冥福をお祈り致します。


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以上、間違いやご意見があれば
以下アドレスまでお願いします。
問題点に会しては適時、
改定・訂正を致します。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/13_初回投稿
2022/04/08_改定投稿

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(2021年10月時点での対応英訳)

Italian-born Fermi

Fermi was born in Rome, Italy and died in the United States. In the United States, there is still a research institute named after Fermi at the University of Chicago, where discussions are held. While some of its achievements have a large social aspect, there are also principles and concepts used by many posterity physicists who have pursued pure theory. He is the driving force behind the paradigm shift. He opened up the micro world.

In the first place, Fermi has outstanding excellence since his school days. Step by step, Fermi developed his discussions, received the Nobel Prize, and went into exile from Italy to the United States at the award ceremony. At his time, his wife was persecuted because he was Jewish.

Fermi and Manhattan Project

After moving to the United States, Fermi participated in the famous Manhattan Project and was involved in the creation of a nuclear power plant, which would significantly change society. In the first place, participation in the project is largely due to Otto Hahn’s successful nuclear fission experiment in Germany. Fermi and other physicists were worried about the times. Fermi’s achievements are immeasurable in that the capitalist sphere centered on the United States enjoyed freedom. On the other hand, when he recalls the Three Mile Island accident and the nuclear accident at Fukushima, he cannot easily praise him. As I have argued several times in this blog, wisdom must be gathered and questioned. I want to recall the old Russell-Einstein Declaration. On the other hand, we, the general public, must exchange opinions using words that everyone can understand.

We should exchange opinions to the extent possible and bring together the wisdom of the people. When an individual talks about peace, he or she must have a firm idea. We have to gradually nurture the ground for discussions that will connect the conversations when talking to various people. I want each individual who has a conversation to have a firmer idea of ​​peace and reality. Please become a person who can create an atmosphere that makes it easy for such people to talk. Not only do I spread the story, but I also have a great ability to understand the opinions and moods of the other person. Nowadays, we cannot rely on politicians to make ideas. Please nurture a solid idea for each person.

Fermit and spin

Now let’s get back to Fermi. Fermi proceeded with the discussion on spin angular momentum in pure theory. He introduced the Boson Einstein system in another introduction, but Fermi and Dirac focus on different particle swarms. In later understanding, particles with a half-integer spin angle momentum (numbers such as 1/2 and 3/2) are called fermions and behave differently from bosons. As specific fermions, quarks, electrons, muons, neutrinos, protons, and neutrons are also fermions. These concepts are indispensable when discussing the physical characteristics of electrical conductivity.

He established the Fermi statistics by statistically treating the group of electrons that obey the Fermi exclusion principle. For example, this theory explains the heat conduction of metals and others very well. .. In this way, Fermi was called to heaven, leaving many achievements in the world.

Fermi is said to have watched the drip drop on the bed and set the flow velocity. Fermi was a true physicist. He humbly prays for his soul.

 

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E・O・ローレンス
【1901年8月8日生まれ-4/7改訂】

gettyimages-Yale-Uni

こんにちはコウジです。「1ローレンス」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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【1901年8月8日~1958年8月27日】


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 優れた実験家ローレンス

その名はErnest Orlando Lawrence。

ローレンスは優れた実験家で今でも頻繁に

応用されているサイクロトロンを発明した事

で広く知られています。

 

ノルウェー系の両親に生まれ少年時代はMerle Tuveと

共に簡易無線装置を作成したりしていました。

その後、

サウスダコタ大学時代は医学を志望してましたが、

化学の学士号、物理学の修士号を習得

します。Tuveと共にスワン先生の下で学びます

ローレンスがイェール大学で博士号をとった時

には光電効果に関する研究をしていたようです。

その後、恩師だったスワン先生がイェール大学

を去るタイミングでカリフォルニア大

に移ります。ローレンスは実験家として大変、

有望視されていました。

ローレンスの業績 

サイクロトロンを使った実験で、
ローレンスがその装置を活用
した応用例が人工放射性元素でした。
ローレンスと彼の率いる
バークレー国立研究所は
自然界に存在する元素だけでなく、
不安定な元素を作り出したのです。

強い磁場を使い帯電しているイオンを

ビーム状に出す事が出来るので

ローレンスの作ったサイクロトロンは

イオンが反応する状態を作れるのです。

日本、イギリスが同様な措置を計画していきます。

サイクロトロンを使えば特定金属にイオンビームを

当て続ける事が出来たりする訳です。

こうした装置の開発を通じて
ローレンスは人類に新しい知見を
もたらしたのです。


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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初回原稿
2022/04/07_改定投稿

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(2021年10月時点での対応英訳)

Excellent experimenter Lawrence

Its name is Ernest Orlando Lawrence. Lawrence is a well-known experimenter and widely known for inventing the cyclotron, which is still frequently applied.

Born to Norwegian parents, he worked with Merle Tuve as a boy to create simple radios.

Later, Lawrence aspired to medicine when he was at the University of South Dakota, but he earned a bachelor’s degree in chemistry and a master’s degree in physics. He studies with Tuve under Dr. Swan. When Lawrence got his PhD at Yale University, he seems to have been studying the photoelectric effect.

After that, his teacher, Swan, will move to the University of California when he leaves Yale University. Lawrence was very promising as an experimenter.

Lawrence’s achievements

In his cyclotron experiments, Lawrence’s application of using the device was an artificial radioactive element. Lawrence and his Berkeley National Laboratory created unstable elements as well as those that exist in nature.

Since it is possible to emit charged ions in the form of a beam using a strong magnetic field, the cyclotron made by Lawrence can create a state in which the ions react. Japan and the United Kingdom will plan similar measures.

If you use a cyclotron, you can keep shining an ion beam on a specific metal.

Through the development of such equipment
Lawrence gives humanity new insights
he brought it.

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W・E・パウリ
【1900年4月25日生まれ-4/6改訂】

SolvayConf-1927

こんにちはコウジです。「パウリ」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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【1900年4月25日生まれ ~ 1958年12月15日没】


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その名はWolfgang Ernst Pauli

パウリはオーストリア生まれの

スイスの物理学者。パウリの排他率律で有名です。

排他律を排他率と書いてしまいがちですが

排他律です。その「パウリの排他律」は

「パウリの原理」とも呼ばれています。

1945年にアインシュタインの推薦で

ノーベル物理学賞を受けています。

ミドルネールのエルンストはパウリの名付け親、
パウリが尊敬するマッハに由来します。
父方はユダヤ系で有名な出版社を
経営していたようです。

さて、

排他律の具体的な内容に関してですが、

ナトリウムの分光実験から話が始まります。

再現性の高い事実として磁場付加時の分光は

電子の自転に由来するという仮説をパウリは立て、

後にそれをスピンと名付けます。

新しい量子的自由度です。

後に行列力学を基盤とした定式化

を行い数学的に表現します。 

パウリと著名人の交流

個人的に興味を引くのはミュンヘン大学でパウリがゾンマーフェルト_の指導を受けている点です。私が講義を受けた先生がゾンマーフェルト_を研究していて、マッハの名前も、その先生から教えてもらいました。そして、マッハ・ゾンマーフェルト・パウリとつながったのです。そしてもう一つ個人的な話を続けます。今使っているドメインへの投稿です。

何故か半歳程、投稿漏れに気づかずにいたのですが、ある日「パウリ」について気になって上記ゾンマーフェルトとの関係を思い出したのです。そして急ぎ作業を続けていて驚いたのは、その日がパウリの誕生日だったのです。

パウリが生まれてから220年が終わった瞬間でした。後述するユング達が極めた深層心理の世界では意識下と無意識下の間に「潜在意識」を想定しますが、そんなことも少し考えてしまいました。よもや潜在意識下で決めた投稿日だったのでしょうか。または深層意識下で「投稿していませんよ!」と告げてくれた人がいたのでしょうか。とか色々と考えてしまいました。
まぁ、普通に考えたら単なる偶然ですね。

私の頭の中での奇妙な三角関係はさておき、

パウリは人間的にも面白い人だと思えます。

独自に培った知性で各界の著名人を魅了しているのです。

例えば、博士号を習得した直後、パウリは

ゾンマーフェルトに独逸語での百科事典の記事執筆

を依頼されます。内容は相対性理論に関する記事

でしたが、2か月ほどをつかって完成させました。

その結果はアインシュタイン本人の査読にかなう

見事なもので、今日においても読み応えのある

ものとなっているそうです。アインシュタインは

パウリのミドルネームに気付いていたのでしょうか。

マッハとの関係を知っていたのでしょうか。

機会があれば調べてみたいと思います。

マッハ・アインシュタイン・パウリの三角関係です。

更に妙な繋がりは心理学者C・G・ユングとの関連です。パウリは離婚後に精神を病んでいた時期がありました。今や、夢分析の世界で有名なユングに完璧主義者のパウリが出合ったのです。先生と生徒という関係を築き、生徒としてユングにパウリは科学的な批評を加えます。互いに有益な関係だったのでしょう。

因みにユング関連での兄弟弟子フロイトもユダヤ系です。アインシュタインもユダヤ系です。この切り口で考えていっても特有の文化に起因する思考的な共有点が見いだせると思います。思考の方法を考えるうえで、少し興味深い対象です。

パウリと1/137

そして、

パウリは最後まで愛した物理学を愛し続けました。

戦争での苦難の時代の後に帰国して、

病床でも完璧主義者として見舞客と議論を続けました。

その中で語り継がれている話があります。

微細定数と呼ばれる無次元量があって、

それはプランク定数に関わる相互作用を

特徴付ける量です。パウリはその値に最後まで、

こだわり抜きました。

もし、パウリが神に謁見したら、
神に微細定数 1/137.036…の
理論的根拠を尋ねたとしたら、
神様は物凄い速度で計算式を
書き連ねるだろう。その後、
きっとパウリは「違う!」
と唱えて、話し続けるであろう。

よもや、神様さえも「あ!」
と唱えるのではないか、
と不遜にも想像してしまいました。

〆 

 



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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/19_初稿投稿
2021/04/25_原稿改定
2022/04/06_改定投稿

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(2021年10月時点での対応英訳)

Its name is Wolfgang Ernst Pauli

Pauli is an Austrian-born Swiss physicist. It is famous for Pauli exclusion principle. It is easy to write the exclusion principle as the exclusion rate, but it is the exclusion principle. The “Pauli exclusion principle” is also called the “Pauli principle”. He received the Nobel Prize in Physics in 1945 on the recommendation of Einstein.

Middlener Ernst comes from Pauli’s godfather, Pauli’s respected Mach. His father seems to have run a well-known Jewish publisher.

Now, regarding the specific content of the exclusion principle, the story begins with a spectroscopic experiment of sodium.

As a highly reproducible fact, Pauli hypothesized that spectroscopy when a magnetic field was applied was derived from the rotation of electrons, which he later named spin. A new quantum degree of freedom. He later formulates based on matrix mechanics and expresses it mathematically. Twice

Exchange between Pauli and celebrities

Personally, I’m interested in Pauli’s guidance at Sommerfeld at the University of Munich. The teacher I was giving a lecture on was studying Sommerfeld, and he also told me the name of Mach. And he was connected to Mach Sommerfeld Pauli. And I will continue with another personal story. This is a post to the domain you are currently using. For some reason, I was about half a year old and didn’t notice the omission of posts, but one day I was worried about “Pauli” and remembered the relationship with Sommerfeld.

And what surprised me as I continued to work in a hurry was that day was Pauli’s birthday. It was the moment when 220 years had passed since Pauli was born. In the world of deep psychology, which Jung and his colleagues have mastered, we assume a “subconscious” between consciousness and unconsciousness, but I have thought about that for a moment. Was it the posting date decided under the subconscious? I have thought about it.
Well, if you think about it normally, it’s just a coincidence.

Aside from the strange love triangle in my mind, Pauli seems to be a humanly interesting person. His unique intelligence attracts celebrities from all walks of life.

For example, shortly after completing his PhD, Pauzo was asked by Nmarfeld to write an encyclopedia article in German. The content was an article about the theory of relativity, but it took about two months to complete. The result is excellent enough to be peer-reviewed by Einstein himself, and it seems to be readable even today. Did Einstein notice Pauli’s middle name? Did he know his relationship with Mach? I would like to find out if I have the opportunity. It is a love triangle of Mach Einstein Pauli.

A more strange connection is with the psychologist CG Jung. Pauli had a period of mental illness after his divorce. Now, the perfectionist Pauli meets Jung, who is famous in the world of dream analysis. He builds a teacher-student relationship, and Pauli gives Jung a scientific critique as a student. It must have been a mutually beneficial relationship. By the way, Jung’s brother and disciple Freud are also Jewish. Einstein is also Jewish. Even if you think from this perspective, you can find a thoughtful shared point due to the unique culture. It’s a little interesting when thinking about how to think.

Pauli and 1/137

And Pauli continued to love his beloved physics until the end. He returned home after a period of hardship in the war and continued to discuss with visitors as a perfectionist in bed. There is a story that has been handed down in it.

There is a dimensionless quantity called the fine constant, which is the quantity that characterizes the interactions involved in Planck’s constant. Pauli was particular about that value until the end. If Pauli had an audience with God and he asked God for the rationale for the fine constant 1 / 137.036 …, God would write the formulas at a tremendous speed. After that, Pauli will surely say “No!” And continue talking.

I have imagined that even God would say “Ah!”.

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20世紀生まれの
物理学者の纏め【原稿改訂】

こんにちはコウジです。「20世紀生まれの物理学者」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしました。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と2/20時点で‗
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なので合計‗6102+5965=【12057@2/9】⇒6131+6170=【12301@2/20】

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それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

これまでこのブログで取り上げた人々の中で
20
世紀に生まれている方をまとめました。
ご存知の偉人が沢山登場しているのではないでしょうか。
年齢順に見てみると新たな視点が生まれます。
ご覧下さい。

ヴォルフガング・E・パウリ_1900年4月25日 ~ 1958年12月15日
アーネスト・O・ローレンス_1901年8月8日 ~ 1958年8月27日
エンリコ・フェルミ_1901年9月29日 ~ 1954年11月28日
ハイゼンベルク 1901年12月5日 ~ 1976年2月1日
ポール・ディラック_1902年8月8日 ~ 1984年10月20日
E・ウィグナー_1902年11月17日 ~ 1995年1月1日
セシル・パウエル_1903年12月5日 ~ 1969年8月9日
フォン・ノイマン_1903年12月28日 – 1957年2月8日
J・R・オッペンハイマー__1904年4月22日 ~ 1967年2月18日
朝永振一郎_1906年3月31日 ~ 1979年7月8日
ハンス・アルプレヒト・ベーテ__1906年7月2日 ~ 2005年3月6日
湯川秀樹_1907年1月23日 ~ 1981年9月8日
エドワード・テラー__1908年1月15日 ~ 2003年9月9
レフ・ランダウ_1908年1月22日 ~ 1968年4月1日
ジョン・バーディーン_1908年5月23日 ~ 1991年1月30日
ニコライ・N・ボゴリューボフ_1909年8月21日 ~ 1992年2月13日
ネイサン・ローゼン_, 1909年3月22日 – 1995年12月18日

坂田 昌一__1911年1月18日 ~ 1970年10月16日
武谷三男_1911年10月2日 ~ 2000年4月22日
矢野 健太郎_1912年3月1日 ~ 1993年12月25日
D・J・ボーム_1917年12月20日 ~ 1992年10月27日
R・P・ファインマン__ 1918年5月11日 ~1988年2月15日

アイザック・アシモフ_1920年1月2日 ~ 1992年4月6日
久保亮五_1920年2月15日 ~ 1995年3月31日
竹内均_1920年7月2日 ~ 2004年4月20日
南部 陽一郎_1921年1月18日 ~ 2015年7月5日
フィリップ・W・アンダーソン_1923年12月13日 ~ 2020年3月29日
中嶋 貞雄_1923年6月4日 ~ 2008年12月14日
江崎玲於奈_1925年3月12日 ~ 【ご存命中】
小柴昌俊 _1926年9月19日 ~ 2020年11月12日
西島 和彦_1926年10月4日 ~ 2009年2月15日
小出昭一郎_1927年3月25日 ~ 2008年8月30日
広重 徹 1928年8月28日 ~ 1975年1月7日
大貫 義郎_1928年 ~ ご存命中
マレー・ゲルマン_1929年9月15日 ~ 2019年5月24日

レオン・クーパー__1930年2月28日 ~(ご存命中)
有馬朗人_1930年9月13日 ~ 2020年12月6日
ロバート・シュリーファー _1931年5月31日 ~ 2019年7月27日
ロジャー・ペンローズ_1931年8月8日生まれ ~ (ご存命中)
_J・J・サクライ __1933年1月31日 ~ 1982年11月1日
ムツゴロウさん【本名:畑 正憲_1935年4月17日 -生まれ_ご存命中】
村上陽一郎_【1936年9月9日生まれ-(ご存命中)】
B・D・ジョゼフソン_1940年1月4日~ (ご存命中)
益川敏英_1940年2月7日生まれ~2021年7月23日
S・W・ホーキング_1942年1月8日~2018年3月14
ブライアン・ハロルド・メイ_1947年7月19日~ご存命中

 



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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/9/14_初稿投稿
2022/03/23_改定投稿

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高木 貞治
【1875年4月21日生まれ‐3/15改訂】

こんにちはコウジです。「高木貞治」の原稿を改定します。寺田寅彦より年上なんですね。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、小見出しの設定、装丁の改善です。特に提携終了となった「テキストポン」などの商標は順次置き換えていきます。私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていく予定です。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と2/20時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3395‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2736
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒2593‗④KazenoKouji‗3422⇒3477
なので合計‗6102+5965=【12057@2/9】⇒6131+6170=【12301@2/20】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1875年4月21日生まれ ~ 1960年2月28日没】

↑Credit:Wikipedia↑


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今回、日本人数学者をご紹介します。

そのお名前は

高木貞治と書いて名前を「ていじ」と読ませます。

高木貞治は岐阜に生まれ現在の京都大学を卒業した後

東京大学に進みます。現在の学校制度と

異なる印象も受けます。今時の表現をすると

京大で学位をとって東大でマスターをとった感じでしょうか。

その後、高木貞治はドイツへ留学してヒルベルトの

教え受けます。現代日本での代数幾何学の原型を

体系立てていったのでしょう。当時の日本で使われていた

数学は所謂「和算」の発展形だったと思われます。

数学的には実数が扱われていますが、

少数が一般に使われていた形跡は見受けられません。

もっとも、一円・七銭といった感覚はあるので

「三分の一(1/3)」が
0.33333・・・と考え続けていける筈です。

小数点の概念はあったと考えても切断の概念や

作図を使った証明等には発展していなかったでしょう。

また、空間を考えていく際にヒルベルト空間

という概念があり、量子力学で多用されます。

そもそも、

個人的に高木貞治の名を知ったのはムツゴロウさんの著作でした。たしか「ムツゴロウの青春期」。その中で彼が高校時代に地元九州の先生に紹介された本が高木貞治の「解析概論」でした。解析概論が明快であると言われ、高校の教科書とは別に数学のエッセンスを学んでいきます。その後、バンカラな青春時代を過ごしたムツゴロウさんは東大の物理学科に進み、最後はどうぶつ王国を作ります。話戻って解析概論ですが、岩波文庫から出ていたその本を私も買って、面白く読んだ思い出があります。

尚、2011年の時点で日本国内における著作権の

保護期間満了に伴いネットで著作が公開され始めています。

【Wikisourceや青空文庫を見てみて下さい】


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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/08_初回投稿
2022/03/04_改定投稿

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(2021年10月時点での対応英訳)

In this time,

I would like to introduce a Japanese mathematician. The name is written as Teiji Takagi and his name is read as “Teiji”.

Teiji Takagi was born in Gifu and went on to the University of Tokyo after graduating from the current Kyoto University. He also gets the impression that it is different from the current school system. In terms of today’s expression, it seems like I got a bachelor’s degree at Kyoto University and a master’s degree at the University of Tokyo. After that, Teiji Takagi went to Germany to study abroad and was taught by Hilbert. He would have systematized the prototype of modern algebraic geometry. Mathematics used in Japan at that time seems to have been a development of so-called “Wasan”. Mathematically, real numbers are treated, but there is no evidence that a small number were commonly used. However, there is a feeling of 1 yen and 7 coins, so you should be able to keep thinking that 1/3 is 0.33333. Even if you think that there was a concept of a decimal point, it would not have developed into a concept of cutting or a proof using drawing. Also, when thinking about space, there is the concept of Hilbert space, which is often used in quantum mechanics.

In the first place,

it was Mr. Mutsugoro’s work that I personally knew the name of Teiji Takagi. Certainly “Mutsugoro’s adolescence”. Among them, the book he was introduced to by a local teacher in Kyushu when he was in high school was Teiji Takagi’s “Introduction to Analysis”. It is said that the introduction to analysis is clear, and you will learn the essence of mathematics separately from high school textbooks. After that, Mr. Mutsugoro, who spent his youth in a bunkara, proceeded to the Department of Physics at the University of Tokyo, and finally created the Animal Kingdom. Returning to the story, I would like to give you an introduction to analysis, but I also bought the book from Iwanami Bunko and read it in a fun way.

As of 2011, with the expiration of the copyright protection period in Japan, works have begun to be published online. [Please see Wikisource and Aozora Bunko]