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L・オイラー
【1707年4月15日生まれ-4/19改定】

こんにちはコウジです。「オイラー」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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L・オイラーのLはレオンハルトのLです。

オイラーの業績 

スイスのオイラーは当時の18世紀の数学界の中心となり、後の世に数学が厳密になっていく一方で、モデルが洗練されていくのですが、それを使いこなす為の基礎を固めました。その活動範囲は多岐にわたります。他の人が見つけたと思っていた業績が、実はオイラーの仕事の焼き直しだったりした事が多々ありました。後に出てくるガウスと合わせて数学界の二大巨人であると言われているのです。加えて、

オイラーは右目を失明していたので

「単眼の巨人(サイクロプス)」

と数学界で呼ばれていたそうです。

まさに怪人ですね。同時に

天文物理学でも業績を残しています。

物理学で使う数学手法も残しました。オイラーが

定式化した自然対数と三角関数の関係は

私自身も何度も何度も、繰り返し使いました。

オイラーの人生 

さて、オイラーの人生における転機は

大学時代に師となるベルヌーイが

その才能を見出したタイミングでした。

神学の道を目指していたオイラーの

両親をベルヌーイが説得して

オイラーは数学の道を選びます。

 

オイラーは招かれて外国で数年

過ごしたりしながら研究を続け

ましたが、視力が低下していき

遂には失明してしまいます。

それでもオイラーは精力的に

論文執筆の活動を続けました。

頭の中で計算式を操り、

口頭で協力者に内容を伝え、

文章に起こしてもらい、

論文を次々と完成させたのです。

そんな困難の中、

オイラーは晩年の研究を続けていました。

人生をかけた研究だったと思います。

〆最後に〆

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L. Euler’s L is Leonhard’s L.

Job of Euler

Euler in Switzerland became the center of the 18th century mathematics world at the time, laying the foundation for mastering sophisticated models while mathematics became more rigorous in later generations. The range of activities is wide-ranging. In many cases, the achievement that others thought they had found was actually a rehash of Euler’s work. He is said to be one of the two giants in mathematics, along with Gauss, who will appear later. father,

Euler was blind in his right eye, so he was called “monocular giant (cyclopes)” in the mathematical world. It’s just a monster. He also has a track record in astrophysics.

Euler also left behind the mathematical techniques used in physics. I myself used the relationship between the natural logarithm and trigonometric functions formulated by Euler over and over again.

LIFE of  Euler

Now, the turning point in Euler’s life was when his teacher Bernoulli discovered his talent during his college days.

Bernoulli convinces Euler’s parents who were aiming for the theological path, and Euler chooses the path of mathematics.

Euler was invited to spend several years abroad and continued his research, but his eyesight deteriorated and he eventually lost his eyesight.

Still Euler is energetically

He continued his treatise writing activities.

Euler manipulated the formulas in his head, verbally communicated to his collaborators, had them transcribed, and completed his treatises one after another.

In the midst of such difficulties, Euler continued his studies in his later years. I think it was a study that took his life.

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ベンジャミン・フランクリン
【1706年1月17日生れ-4/18改訂】

シカゴの画像

こんにちはコウジです。「ベンジャミンフランクリン」の原稿を改定します。昨日はベンジャミンが亡くなってから330年が経過した日です。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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【1706年1月17日生れ-1790年4月17日没】


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 米国建国の父ベンジャミン

その名はベンジャミンフランクリン

:Benjamin Franklin,_

グレゴリオ暦1706年1月17日の生まれですが、

ユリウス暦では1705年1月6日にあたります。

そんな両方の暦を使う時代に生まれた人でした。

フランクリンは政治家として、外交官として、著述家として、物理学者として、また気象学者として活躍します。後述する13徳を実践する謙虚な人であって努力家です。それに加えて実務家です。フランクリンの残した「フランクリン自伝」はアメリカのロング・ベストセラーの一つとなっていて今でも100ドル札には肖像人物としてベンジャミンフランクリンが使われています。(2021年3月調べ)広くアメリカ人に愛され続けています。

 フランクリンの業績

フランクリンの業績として有名な物は凧を使った雷の実験です。フランクリンはライデン瓶の実験がされていると聞き電気に興味を持ちました。1752年に雷鳴り響く嵐の日に凧をあげました。その時、地上側の凧糸の先にワイヤーで接続したライデン瓶を連動させることでその時の上空の帯電状態を示す作業をしました。非常に直接的な実験ですがその電圧が数億ボルト(流れる電流が数十万アンペア超)とも言われる現象に対してベンジャミンフランクリンが、どの程度の理解をもって納得しながら実験の設定を行ったかについては、大きな問題を感じます。実際に21世紀になってから、アイドルのコンサートでの落雷事故があった事は記憶に新しいでしょう。フランクリンの時代に検証実験を試みて多数の死者が出た事実もある事から「絶対に真似をしてはいけない」実験であると言えます。その実験を行ったフランクリンの勇気は手放しで賞賛出来ない部分がありますが、それを踏まえて考えてみても、人々に尊敬される偉人なのです。

フランクリンの偉業は他にも続き、避雷針、燃焼効率の

高いストーブ、遠近両用眼鏡を次々と発明しました。

そして、フランクリンはその発明に対して

特許はとらないで社会に還元しました。

アメリカ独立宣言の起草にも加わっていたと言われます。

フランクリンの13徳

自らの自律心でコツコツと独学で事を成し遂げてきた

フランクリンは13徳と呼ばれる戒律を実践していたと言われます。

最後にご紹介させて下さい。

13徳(Wikipedeaより引用、週に一つずつ各徳目に身を捧げました

◆節制 :
飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。

◆沈黙 :
自他に益なきことを語るなかれ。

駄弁を弄するなかれ。

◆規律:
物はすべて所を定めて置くべし。

仕事はすべて時を定めてなすべし。

◆決断 :
なすべきをなさんと決心すべし。

決心したることは必ず実行すべし。

◆節約:
自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。

すなわち、浪費するなかれ。

◆勤勉:
時間を空費するなかれ。

つねに何か益あることに従うべし。
無用の行いはすべて断つべし。

◆誠実:
詐りを用いて人を害するなかれ。

心事は無邪気に公正に保つべし。
口に出だすこともまた然るべし。

◆正義:
他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを

与えずして人に損害を及ぼすべからず。

◆中庸:
極端を避くべし。たとえ不法を受け、

憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。

◆清潔:
身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。

◆平静:
小事、日常茶飯事、

または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。

◆純潔:
性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、

これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、又は自他の平安
ないし信用を傷つけてはいけない。

◆謙譲:
イエスおよびソクラテスに見習うべし。

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American great Franklin

His name is Benjamin Franklin, _ Gregorian was born on January 17, 1706, but in the Julian calendar died on January 6, 1705. He lived in an era when he explained using both calendars. Franklin is active as a politician, diplomat, writer, physicist, and meteorologist. He is a humble and hard worker who practices the 13 virtues described below. He is also a practitioner. Franklin’s “Franklin Autobiography” has become one of America’s longest-selling books, and Benjamin Franklin is still used as a portrait on the $ 100 bill. (Surveyed in March 2021) He continues to be widely loved by Americans.

 Job of Franklin

One of Franklin’s most famous achievements is the experiment of lightning with a kite. Franklin was interested in electricity when he heard that Leyden jars were being tested. He flew a kite in 1752 on a thunderous stormy day. At that time, he worked to show the state of charge in the sky at that time by interlocking a Leyden jar connected with a wire to the tip of the kite string on the ground side. It is a very direct experiment, but about how Benjamin Franklin convinced him to set up the experiment with respect to the phenomenon that the voltage is said to be hundreds of millions of volts (current flowing over hundreds of thousands of amperes). Feels a big problem. It will be fresh in my memory that there was a lightning strike at an idol concert in the 21st century. It can be said that it is an experiment that “never imitate” because there is a fact that a large number of people died when trying a verification experiment in Franklin’s time. Franklin’s courage to carry out the experiment has some parts that cannot be praised, but even if you think about it, it is certain that he is a great man who is respected by people.

Franklin’s feat continued, and he invented lightning rods, combustion-efficient stoves, and bifocals.

And Franklin gave back to society without his patent for his invention.

Thirteen Virtues

He is said to have been involved in the drafting of the United States Declaration of Independence.

Franklin, who has accomplished things by himself with his own autonomy, is said to have practiced a commandment called 13 virtues.

Let me introduce you at the end.

[13 virtues (quoted from Wikipedea, devoted to each virtue once a week)]

  1. ◆Temperance. Eat not to dullness; drink not to elevation.
  2. ◆Silence. Speak not but what may benefit others or yourself; avoid trifling conversation.
  3. ◆Order. Let all your things have their places; let each part of your business have its time.
  4. ◆Resolution. Resolve to perform what you ought; perform without fail what you resolve.
  5. ◆Frugality. Make no expense but to do good to others or yourself; i.e., waste nothing.
  6. ◆Industry. Lose no time; be always employ’d in something useful; cut off all unnecessary actions.
  7. ◆Sincerity. Use no hurtful deceit; think innocently and justly, and, if you speak, speak accordingly.
  8. ◆Justice. Wrong none by doing injuries, or omitting the benefits that are your duty.
  9. ◆Moderation. Avoid extremes; forbear resenting injuries so much as you think they deserve.
  10. ◆Cleanliness. Tolerate no uncleanliness in body, clothes, or habitation.
  11. ◆Tranquility. Be not disturbed at trifles, or at accidents common or unavoidable.
  12. ◆Chastity. Rarely use venery but for health or offspring, never to dullness,
    weakness, or the injury of your own or another’s peace or reputation.
  13. ◆Humility. Imitate Jesus and Socrates.

(I quoted these from Wikiledia.)

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ダニエル・ベルヌーイ【1700年2月8日生まれ‐3/17改訂】

パリの夕暮れ

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【1700年2月8日生まれ ~ 1782年3月17日没】


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 ベルヌーイ一族

ダニエル・ベルヌーイの名前で

ダニエルって大事です。科学史

に詳しい人ならピンと来るの

ですが、ベルヌーイ一族は沢山、

科学史に出てきます。

3世代で8人が著名人です。


先ず、今回取り上げたダニエルはスイスに生まれ

3兄弟で、全て物理学者・数学者です。

また、ダニエルの父の世代にも何人かの

学者が居るようで、ダニエルの叔父の仕事を父が

引継ぐ場面もあったようです。

 

 ダニエルベルヌーイとその父

また、こんな事もありました。

1734年のパリ・アカデミー大賞で

父のヨハンと息子のダニエルが

同時に賞を受賞した事が父の名誉

を傷つけダニエルはベルヌーイ家

から出入り禁止の扱いを受けます。

父は死ぬまでダニエルを恨んで

いました。有名なダニエルの

流体力学に関する著作でヨハンによる

盗用もあったようです。家名が重い故に、

ヨハンは名誉で目がくらみ、良識を忘れています

 

そんな事もありましたが、ダニエルは研究を続け、

パリ・アカデミー大賞の受賞も10回になったようです。

何よりニュートン力学と数学を考え

合わせ「流体力学」を発展させました。

非粘性流体に対する「ベルヌーイの法則」は有益で、

変形する物体にニュートン力学の適用範囲を広めています。

そうした仕事は船舶の運航等に大変、役立ちました。

 

 

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(2021年8月時点での対応英文)

Daniel is important in the name of Daniel Bernoulli. If you are familiar with the history of science, it will come to you, but there are many Bernoulli families in the history of science. Eight people are celebrities in three generations.

First of all, Daniel, who was born in Switzerland, has three brothers, all of whom are physicists and mathematicians.

Also, it seems that there are some scholars in Daniel’s father’s generation, and there was a scene where his father took over the work of Daniel’s uncle.

Also, there was such a thing.

The simultaneous award of his father Johann and his son Daniel at the 1734 Paris Academy Awards hurts his father’s honor and Daniel is banned from the Bernoulli family.

His father had a grudge against Daniel until his death. It seems that there was plagiarism by Johann in the famous work on fluid dynamics of Daniel. Because of his heavy family name, Johann is dazzled by honor and forgets good sense.

However, Daniel continued his research and seems to have won the Paris Academy Awards 10 times. Above all, he developed “fluid mechanics” by considering Newtonian mechanics and mathematics.

“Bernoulli’s principle” for non-viscous fluids is useful and extends Newtonian mechanics to deforming objects.

Such work was very useful for the operation of ships.

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ウィリアム・ローレンス・ブラッグ【1890年3月31日 ~ 1971年7月1日】


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ブラッグの名前を英語でつづるとWilliam Lawrence Braggです。結晶によるX線回折についての法則「ブラッグの法則」でよく知られているオーストラリア生まれの物理学者です。英連邦から英国本国で学んで研究を進めた物理学者はラザフォード(ニュージーランド出身)が思い浮かびますが、ブラッグの場合はお父様と一緒にイギリスへ移住しています。ローレンスは優秀で14歳でアデレード大学に進学します。渡英後の1909年の秋には無試験で数学の奨学金を得てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学します。1911年に首席で物理学科を卒業。1914年にはトリニティ・カレッジのフェローシップに選ばれています。トリニティ・カレッジでのフェローシップでは論文の提出や試問に関わる自然科学系の受賞者として史上最年少記録として語り継がれています。

息子であるローレンス・ブラッグはエックス線を結晶格子にあてて、格子を構成する原子をX線が回折する様子を思いつきました。つまり個々の粒子にX線が当たった時に光子が入射方向と角度をもって回折されていく様子をイメージできたのです。個々の粒子が結晶構造を持っていたとしたら原子配置に応じて反射波は特定のパターンを描くはずであると分析したのです。結晶パターンに従って回折したX線ビームの「透過後のパターン」を計測して結晶内の原子の配置を算出(推定)するアイデアを父であるヘンリー・ブラッグに話しました。父ヘンリーはリーズ大学で息子ローレンスのアイディアを使いX線分光計を開発したのです。開発した装置が、色々な結晶の分析が可能としました。1915年(息子のローレンスが25歳の時に)父ヘンリー・ブラッグと共にノーベル物理学賞を受賞します。この25歳での受賞は自然科学の分野では現在でも最年少の受賞となっています。非常に悲しい出来事なのですが同年にはローレンスの兄弟がガリポリの戦いで戦死したという悲しい事件もありました。その直後の時期に、親子はノーベル物理学賞受賞の知らせを聞いているのです。

そもそも、ローレンスが5歳の時に3輪車で転び腕を骨折しました。父ヘンリーがその時に、最新情報・ヴィルヘルム・レントゲンによるX線の発見を思い出し、検査に応用したのが始まりです。父ヘンリーの検査事例はオーストラリアでのX線の初の医学的応用となりました。そこから話を親子は計測を発展させて、もっとサイズの小さい結晶構造を考察する道具としてX線を解析の道具としてつかったのです。その家族の歴史がノーベル賞につながったのです。

また一方でローレンスの研究は第一次世界大戦と第二次世界大戦のときに中断されました。戦時下では有能な才能が軍事的に貢献されることが好ましかったのです。ローレンス自身の当時の意向は調べ切れていませんが、それぞれの大戦でローレンスは敵兵器の場所を特定する音響測位法の研究に従事しました。海洋探査の現場で使われる方法で大気中で兵器の位置を測定をしようとしていたようです。第一次大戦の際にはミリタリー・関連の勲章と大英帝国勲章を受けています。また、1916年、1917年、1919年に3回、柏葉敢闘章 (Mentioned in Despatches) を授与されています。

1948年頃にはX線によるタンパク質構造の研究に関心を持ち、物理学の知識を生物学の研究に応用する研究グループを作ることに貢献している。1953年、所長を務めていたキャベンディッシュ研究所でフランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがデオキシリボ核酸 (DNA) の二重らせん構造を発見した際にも重要な役割を演じています。

 

〆最後に〆

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Bragg’s name is spelled in English as William Lawrence Bragg. He is an Australian-born physicist well known for Bragg’s Law, the law of X-ray diffraction by crystals. Rutherford (from New Zealand) comes to mind as a physicist who  studied in Britain from the Commonwealth of Nations, but in the case of Bragg, he moved to England with his father. Lawrence is excellent and goes on to the University of Adelaide at the age of 14. In the fall of 1909, after he arrived in the UK, he enrolled in Trinity College, University of Cambridge with an unexamined math scholarship. He graduated from the Department of Physics at the top of his class in 1911. He was selected as a Fellowship at Trinity College in 1914. His fellowship at Trinity College has been handed down as the youngest record in history as a natural science award winner for his dissertation submissions and questions.

His son, Lawrence Bragg, applied X-rays to the crystal lattice and came up with the idea of ​​X-rays diffracting the atoms that make up the lattice. In other words, I was able to imagine how photons are diffracted at an angle and direction of incidence when X-rays hit individual particles. He analyzed that if each particle had a crystal structure, the reflected wave should draw a specific pattern depending on the atomic arrangement. He told his father Henry Bragg the idea of ​​measuring (estimating) the arrangement of atoms in a crystal by measuring the “post-transmission pattern” of an X-ray beam diffracted according to the crystal pattern. His father, Henry, developed an X-ray spectrometer at the University of Leeds using the ideas of his son Lawrence. The device he developed made it possible to analyze various crystals. In 1915 (when his son Lawrence was 25) he won the Nobel Prize in Physics with his father Henry Bragg. This 25-year-old award is still the youngest in the field of natural sciences. It was a very sad event, but in the same year there was a sad incident in which the Lawrence brothers died in the Gallipoli Campaign. Immediately after that, parents and children heard the news of receiving the Nobel Prize in Physics.

In the first place, when Lawrence was 5 years old, he fell in a three-wheeled vehicle and broke his arm. At that time, my father Henry remembered the latest information, Wilhelm Röntgen’s discovery of X-rays, and applied it to the examination. The case of his father Henry was the first medical application of X-rays in Australia. From there, parents and children developed measurement and used X-rays as a tool for analysis as a tool for considering smaller crystal structures. The history of the family led to the Nobel Prize.

On the other hand, Lawrence’s research was interrupted during World War I and World War II. During the war, Lawlence was preferred that talented talent contributed to the military. Although Lawrence’s intentions at the time have not been fully investigated, in each war Lawrence was engaged in research on acoustic positioning methods to locate enemy weapons. He seems to have been trying to measure the position of weapons in the atmosphere using the methods used in the field of ocean exploration. He received military and related medals and the Order of the British Empire during World War I. He has also been awarded the Mentioned in Despatches three times in 1916, 1917 and 1919.

Around 1948, he became interested in the study of protein structure by X-rays and contributed to the formation of a research group that applied his knowledge of physics to the study of biology. In 1953, he also played an important role in the discovery of the double helix structure of deoxyribonucleic acid (DNA) by Francis Crick and James Watson at the Cavendish Laboratory, where he was director.

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G・R・キルヒホフ
【1824年3月12日 ~ 1887年10月17日】‐4/11改訂

deutuland

こんにちは、コウジです。キルヒホッフの原稿を改訂します。主な改定点はこの投稿へのリンクの挿入、および文章内容の最高です。ご覧ください。【以下原稿です】


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その名は正しくはグスタフ・ロベルト・キルヒホフでGustav Robert Kirchhoff,とつづります。1824年に現在のロシア領カリーニングラードであるケーニヒスベルクで生まれました。生まれ故郷にあるケーニヒスベルク大学で学び、26歳でブレスラウ大学員外教授に就任しています。
キルヒホッフについて伝えられている内容は主に業績となりますので、本稿は時代背景をもとにして研究内容を中心とした記述を纏めたいと思います。私自身がドイツ系の人になったつもりで出来るだけ正確に記載したいと考えています。ロシアをドイツ語圏と見てるのは強引だと思いますが、そこの考察は後程。;)

実際にキルヒホッフの業績の中で有名なものは①電気回路におけるキルヒホッフの法則、②放射エネルギーについてのキルヒホッフの法則、③反応熱についてのキルヒホッフの法則です。それぞれにとても大事な考察だったといえるでしょう。

まず第一に、回路におけるキルヒホッフの法則が最重要です。別言すれば一番知られています。当然と言えば当然の事実を明言化しているだけだ、とも言えるのですが「回路網中の任意の接続点に流入する電流の和は 0(零)である」というのが第一の法則です。正確にはキルヒホッフの第一法則というべきでしょうが、本稿では単純に「第一の法則」または「第一法則」と省略します。この時代には自由電子運動論を裏付ける理論はありません。電子を直接観測にかけるどころか原子や電子のサイズも想像がつかないで、あくまで電子は一つのモデルでした。こうして考えた時に、正直でドイツで学んだ人は出来る事実で話を組み立てます。つまり出来るだけ正確に観測を続けて観測結果を蓄積して、観測事実の相互関係を定量化するのです。当時は電源と抵抗の単純な回路を考えた時に夫々を要素と考えて回路に落とす作業自体にも議論があったでしょう。つまり、我々が当たり前に書いている回路図も国際度量衡といった枠組みが無くて、ヨーロッパの一部の人々が使うだけの不可思議な記号だったのです。知る人ぞ知る知見だったとも言えます。そんな回路上での一点を考えたら入り込む電流と出ていく電流の総和が等しい。実験事実によるとゼロとなるという事実が第一法則なのです。この法則は今、電気工学(ひいては現代産業)で幅広く応用されています。

そして次に、キルヒホッフの電圧則はキルヒホッフの第2法則とも呼ばれます。回路を考えたときに回路網中の任意の閉ループを考えてみて構成する部分的な電圧を計測したとき、任意の分け方で考えた起電力の総和と電圧降下の総和は等しいのです。抵抗、電球、電線電池からなる回路で何が電気を起こしていて、何が消費するか考えてみてください。そして再強調しますがこの時代には電子の存在は今より不確かです。今の学生が教科書を読んだときに漫画的な丸い物体(模式的な電子の姿)を見て想像するような作業ができないのです。力学と比べて電磁気学や熱学はまとめ難い側面があります。実際には電圧を生じる電池のような物質があり、電気を流し抵抗を持つ同線等の要素を細かく考えていくことで、回路間の色々な場所での電圧降下をかんがえていき、キルヒホッフは第二法則を確立することが出来たのです。

そして1859年にキルヒホッフは黒体放射におけるキルヒホフの放射法則を発見しました。電子の運動でオームの法則に従い議論されるのに対して、熱放射は空間での現象に対しての考察です。また、別の空間的な考察としてキルヒホッフには分光学での考察も行っています。フラウンホーファーが発見したいわゆるフラウンホーファー線(太陽の光線を分解した時に現れる特徴的な吸収)がナトリウムのスペクトルと同じ周波数帯に見受けられると示し、(今で言う分光学的方法で)太陽の内部にあると思われる元素を同定できることを示しました。他に音響学、弾性論に関しても先進的な研究を行っています。

〆最後に〆

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(対応英訳)

His name is correctly Gustav Robert Kirchhoff, spelled Gustav Robert Kirchhoff. He was born in 1824 in what is now Russian Kaliningrad, Königsberg. He studied at the University of Königsberg in his hometown and became a non-professor at the University of Breslau at the age of 26.
Since the content reported about Kirchhoff is mainly his achievements, this article will summarize his research content based on his historical background. I would like to describe it as accurately as possible as if I were a German person. 😉

In fact, the most famous achievements of Kirchhoff are (1) Kirchhoff’s law in electric circuits, (2) Kirchhoff’s law on radiant energy, and (3) Kirchhoff’s law on heat of reaction. It can be said that each was a very important consideration.

First of all, Kirchhoff’s law in the circuit is of utmost importance. In other words, it is the best known. Of course, it can be said that it only clarifies the facts of course, but the first rule is that the sum of the currents flowing into any connection point in the network is 0 (zero). am. To be precise, it should be called Kirchhoff’s first law, but in this article, it is simply abbreviated as “first law” or “first law”. There is no theory to support the theory of free electron motion in this era. Far from directly observing the electrons, I couldn’t imagine the size of the atoms and electrons, and the electrons were just one model. When thinking this way, honest and learned in Germany build up the story with the facts that can be done. In other words, we continue to observe as accurately as possible, accumulate observation results, and quantify the interrelationship of observation facts. At that time, when considering a simple circuit of power supply and resistance, there would have been discussion about the work itself of considering each as an element and dropping it into the circuit. In other words, the circuit diagram we take for granted was a mysterious symbol that was only used by some people in Europe, without a framework such as the General Conference on Weights and Measures. It can be said that it was a knowledge known to those in the know. Considering one point on such a circuit, the sum of the incoming current and the outgoing current is equal. The first law is the fact that it is zero according to the experimental facts. This law is now widely applied in electrical engineering (and thus modern industry).

And then, Kirchhoff’s voltage law is also called Kirchhoff’s second law. When considering a circuit, when considering an arbitrary closed loop in the circuit network and measuring the partial voltage, the sum of the electromotive force and the sum of the voltage drops considered by any division are equal. Think about what is producing and consuming electricity in a circuit consisting of resistors, light bulbs, and electric wire batteries. And again, the existence of electrons in this era is more uncertain than it is now. When a current student reads a textbook, he cannot do the work that he imagines by seeing a cartoon-like round object (a schematic electronic figure). Compared to mechanics, electromagnetism and thermal physics are difficult to summarize. In reality, there is a substance such as a battery that generates voltage, and by carefully considering factors such as the same line that conducts electricity and has resistance, Kirchhoff considers the voltage drop in various places between circuits. I was able to establish the second law.

And in 1859 Kirchhoff discovered Kirchhoff’s law of radiation in blackbody radiation. Whereas the motion of electrons is discussed according to Ohm’s law, thermal radiation is a consideration of phenomena in space. In addition, as another spatial consideration, Kirchhoff is also considering spectroscopy. The so-called Fraunhofer line discovered by Fraunhofer (the characteristic absorption that appears when the sun’s rays are decomposed) is shown to be found in the same frequency band as the spectrum of sodium, inside the sun (in what is now called a spectroscopic method). It was shown that the element that seems to be in can be identified. He also conducts advanced research on acoustics and elasticity.

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18世紀生まれの
物理学者のまとめ【改訂】

こんにちはコウジです。「18世紀生まれの物理学者」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしました。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と2/20時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3395‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2736
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒2593‗④KazenoKouji‗3422⇒3477
なので合計‗6102+5965=【12057@2/9】⇒6131+6170=【12301@2/20】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

以下、18世紀生まれの物理学者達を御紹介します。この時代、
日本では未だ江戸時代で物理学は全く生まれていませんでした。
年齢順に見てみると新たな視点が生まれます。
ご覧下さい。

 

ダニエル・ベルヌーイ_1700年2月8日 ~ 1782年3月17日
ベンジャミン・フランクリン_ 1706年1月17日 ~ 1790年4月

L・オイラー_1707年4月15日 ~ 1783年9月18日
平賀源内_1728 ~ 1780年1月24日(番外編)
ジェームズ・ワット_ 1736年1月19日 ~ 1819年8月25日
ルイ・ラグランジュ_1736年1月25日 ~ 1813年4月10日
C・A・クーロン__1736年6月14日 ~ 1806年8月23日
アントニオ・ヴォルタ_1745年2月18日 ~ 1827年3月5日
ジャック・C・シャルル_1746年11月12日 – 1823年4月7日
ジョン・ドルトン_1766年9月6日~1844年7月27日
トマス・ヤング_ 1773年6月13日 ~ 1829年5月10日
アンドレ・アンペール_1775年1月20日 ~ 1836年6月10日
ヨハン・C・F・ガウス_1777年4月30日 ~ 1855年2月23日
ハンス・エルステッド_1777年8月14日 ~ 1851年3月9日
オーギュスタン・J・フレネル_1788年5月10日 ~ 1827年7月14日
G・S・オーム_1789年3月16日 ~ 1854年7月6日
ルイ・コーシー_1789年8月21日 ~ 1857年5月23日
マイケル・ファラデー_1791年9月22日 ~ 1867年8月25日
N・L・S・カルノー_1796年6月1日 ~ 1832年8月24日



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以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2021/06/09_初回投稿
2022/03/21‗改訂投稿

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