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セシル パウエル
【1903年12月5日生まれー7/12改訂】

こんにちはコウジです。「パウエル」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒4725‗④KazenoKouji‗3422⇒5831
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それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1903年12月5日生まれ ~ 1969年8月9日没】


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パウエルとハイゼンベルグとゾンマーフェルト

単なる偶然の産物といえば偶然ですが、
今回ご紹介するセシル パウエルと
ハイゼンベルクとゾンマーフェルトは
同じ誕生日でした。また同様に
西川 正治も同じ誕生日でした。

さて、
今回の紹介は英国のセシル パウエルです。

素粒子の軌跡を記録する方法
を改良しました。

つまり、

Photographic Emulsionsの中での粒子軌跡を

直接記録する方法を採用したのです。

当時は未知なる粒子が次々と発見され様々に予想されていたのですが、観測手段も試行錯誤が成されていました。例えば、霧箱で飛んでくる粒子の軌跡を捉えたり、高い山の上で観測して飛来宇宙線の大気減衰を克服したり写真技術を活用したりしました。パウエルの手法は写真のイメージから考えるのでしょうか。機会があれば更に確認します。

 

 パウエルによるπ中間子の観測

またパウエルは湯川秀樹が予想したパイ中間子の観測・発見の為に研究スタッフを派遣しています。生成後の寿命が短く地表に到達できないパイ中間子観測の為にボリビアにあるアンデス山脈の標高5000mの山から上記乾板を使って発見しています。ダイナミックな観測だったと言えるでしょう。加えて、気球を使い高度を確保したりもしています。観測の為に様々な工夫をこらして結果を得ています。

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2020/12/15_初稿投稿
2022/07/12_改定投稿

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(2021年11月時点での対応英訳)

Powell, Heisenberg and Sommerfeld

It’s just a coincidence, but C. Powell, Heisenberg, and Sommerfeld have the same birthday. Similarly, Shoji Nishikawa had the same birthday.

By the way, this time I would like to introduce you to Cecil Powell in the United Kingdom. The method of recording the trajectory of elementary particles has been improved. In other words, we adopted the method of directly recording the particle trajectory in Photographic Emulsions. At that time, unknown particles were discovered one after another and various expectations were made, but the observation method was also trial and error. For example, we captured the trajectory of particles flying in a cloud chamber, observed them on a high mountain to overcome the atmospheric attenuation of flying cosmic rays, and used photographic technology. Do you think of Powell’s method from the image of a photograph? I will check further if there is an opportunity.

Observation of pions by Powell

Powell also dispatches research staff to observe and discover the pions predicted by Hideki Yukawa. It has been discovered using the above-mentioned dry plate from a mountain at an altitude of 5000 m in the Andes Mountains in Bolivia for the purpose of observing pions that have a short life after formation and cannot reach the surface of the earth. It can be said that it was a dynamic observation. In addition, we also use balloons to secure altitude. We have obtained results by making various efforts for observation.

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E・ウィグナー
_【1902年11月17日-7/11改訂】

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【1902年11月17日 ~ 1995年1月1日】


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その名を書き下すと

ユージン・ポール・ウィグナー

(Eugene Paul Wigner)。

ハンガリー生まれのユダヤ人です。

後程詳しくご紹介しますが、ウィグナーは

ポール・ディラックの義理のお兄さんで、

BCS理論の作成者3人組の中心、

バーディーンの指導教官です。

物凄い人脈を持っている人ですね。

また、「原子核と素粒子の理論における対称性の発見」に対して1963年のノーベル物理学賞を受賞しています。対称性に着目した素粒子の整理は有効でその分類方法が無ければ進まなかった話が沢山あります。

 

 ドイツでのウィグナー

ユージン・ウィグナーは現在のベルリン工科大学を卒業後そこで勤務していましたがナチスドイツのユダヤ人迫害に対して研究継続の困難を感じアメリカに亡命をします。米国に亡命後はウィスコンシン大学で物理学の教授を務め、その後にプリンストン大学で数学の教授を務めました。

そんなウィグナーはレオ・シラードエドワード・テラーらと、ナチスドイツが原子爆弾を開発した時の危険性をアメリカ政府に対して訴えていきました。

実際にベルリンを追われた過去を持つウィグナーは現実に当時の状況を分析していたのだろうと思います。つまり、当時のドイツの科学の水準を分かっていてナチスが有していた兵器を理解していたから、ナチスによる原爆開発の危険を強く感じていたのだと思えます。ただ、実際の歴史を知っている今の我々にとって見たら取り越し苦労です。

ノルマンディー上陸作戦以降の連合軍の通常兵器での反攻を思えば、優秀とはいえ、一国のドイツがヨーロッパ大陸を長期間占領し続ける事は出来なかったでしょう。現在で考えると強大化する中国に対して欧米諸国がどういった対応をするか気になる所でありますよね。いずれにせよ、英米が原爆を所有するきっかけをウィグナー達は作ったのです。

 原爆とウィグナー

ウィグナーはアメリカの原爆開発のきっかけとなったアインシュタイン名による大統領宛書簡の起草対してシラードやテラーと連名で加わりました。加えて、原爆を開発するマンハッタン計画にはメンバーとして加わりました。晩年にウィグナーは哲学的な傾向を深め、講演録「自然科学における数学の理不尽な有効性」を残しています。著名なこの著作は多分野に影響を与えています。

また、ウィグナーの妹は食事の席にディラックを招いた縁で、

彼の奥さんになっています。とても意外な取り合わせですね。

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2021/04/06_初版投稿
2022/07/11_改定投稿

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(2021年11月時点での対応英訳)

If you write down the name

Eugene Paul Wigner.

He is a Hungarian-born Jew. As I will explain in detail later, Wigner is Paul Dirac’s brother-in-law and the supervisor of Bardeen, the center of the trio of creators of BCS theory. He has a tremendous network of contacts, isn’t he? He also received the 1963 Nobel Prize in Physics for his “discovery of symmetry in the theory of nuclei and elementary particles”. There are many stories that the arrangement of elementary particles focusing on symmetry is effective and would not have progressed without the classification method.

Wigner in Germany

Eugene Wigner worked there after graduating from the current Berlin Institute of Technology, but found it difficult to continue his research on the persecution of Jews in Nazi Germany and went into exile in the United States.

After his exile in the United States, he was a professor of physics at the University of Wisconsin and then a professor of mathematics at Princeton University. Wigner, along with Leo Szilard and Edward Teller, appealed to the US government about the dangers of Nazi Germany developing an atomic bomb.

I think Wigner, who had a past of being ousted from Berlin, was actually analyzing the situation at that time. In other words, he knew the level of German science at the time and understood the weapons that the Nazis had, so it seems that he was strongly aware of the danger of the Nazis developing an atomic bomb. However, for those of us who know the actual history, it is a difficult move. Given the counterattack of the Allied forces with conventional weapons since the Invasion of Normandy, Germany would not have been able to continue to occupy the continent for a long time, albeit excellent. When you think about it now, you are wondering how Western countries will respond to the growing power of China. In any case, the Wigners created the opportunity for Britain and the United States to own the atomic bomb.

Atomic bomb and Wigner

Wigner joined Szilard and Teller jointly in drafting a letter to the president in the name of Einstein, which triggered the development of the American atomic bomb. In addition, he joined the Manhattan Project to develop the atomic bomb as a member.

In his later years Wigner deepened his philosophical tendencies, leaving behind his lecture “The Unreasonable Effectiveness of Mathematics in the Natural Sciences”. His prominent work has influenced many disciplines. Wigner’s sister is also his wife because he invited Dirac to his dining table. It’s a very surprising combination.

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ポール・ディラック
【1902年8月8日生まれ-7/10改訂】

SolvayConf-1927

こんにちはコウジです。「ディラック」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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【1902年8月8日生まれ ~ 1984年10月20日】


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無口なディラック

イギリスのディラックは

とても謙虚で無口な人でした。

ノーベル賞が決まった際には、

有名になる事を恐れて受賞の辞退を

考えていた様です。そんな人なのですが、

20世紀初頭の天才達がひしめく中で

ファインマンハイゼンベルクシュレディンガーなど

と量子力学を確立します。特にシュレディンガーとは

同じタイミングでノーベル賞を受賞します。

ディラックの人柄を考えるにあたり少し、

その家族について言及します。

ディラックが10代後半の時期にスイスから

家族は国籍を移しています。そしてディラックの

性格形成を語っていく上で家庭環境は大きな要素

だったようです。まず1924年にディラックの

兄が自ら命を断っています。

色々考えた末だったのでしょうか。

ディラック自身も、その父と会話し辛い

場面が多々あったようです。そして、

極端に無口な人になっていったようです。

ディラックと数学

しかしディラックは、闇に沈まずに数学を駆使して輝かしい成果を残しています。特にデルタ関数やブラケット記法は素晴らしいのです。そんな足跡を沢山残しました。

デルタ関数は超関数の仲間で積分を使って定義されます。

多分野で有用である関数ですが、物理の分野では観測に伴い、

波束が収束する様子が表現出来るのです。

数学上ではヘビサイド関数を表現出来ます。
現象は捉え方次第で色々な観測が出来て
周波数軸の観点で物事を考える時と
実座標軸(長さの観点)で考える時と
数式上の表現が異なります。
工学的にこの視点を応用した解析も
実用上で非常に便利に利用されていて
市販品のアナライザーで簡単に
業務解析をする事が出来ます。

ブラケット記法とは日本語で「括弧」
の記号を使った表記です。その定式化では
カギカッコ<>の形の 「<」 の部分
だけを「ブラベクトル」と呼び
カギカッコ<>の形の 「>」 の部分
だけを「ケットベクトル」と呼びます。
非常に分り易い表現でブラの部分がベクトル量
に相当してケットの部分が、それと作用するベクトル量に相当する定式化です。作用する前のケットが固有値を持つ場合に固有状態を持つと表現されます。ここでのベクトルがヒルベルトベクトル(無限次元に対応)であることが学部時代の私にとって感動的でした。一瞬にして物理量に対応する状態が記述された気がしました。一次元が線で、二次元が平面で、三次元が立体空間だというくらいしか想像がつかなかった高校時代から想像は大きく膨らみ、いきなり無限次元に話が拡張したのです。一つのベクトルが多くの情報を担います。他方でデルタ関数は観測が一瞬にして波束の収縮を引き起こす様子を表現していると思います。

こうした定式化をディラックは進め、理論から提唱される物質を考え出しています。具体的に反物質と呼ぶ存在がいくつも提唱され、見つかっています。反物質は寿命が通常の物質より若干短かったりしますので日常的ではありませんが、粒子の生成消滅を論じたりする際に大事な要素です。陽子には反陽子があり中性子には反中性子があります。

ディラック来日

そして、何よりディラックは無口な人です。多くの成果を出していく中で各国の物理学会で招待する動きがあって日本にも来ていたようです。ただ性格が性格でですので余り逸話が残っていません。「仁科さんとお茶飲んだ時に・・・」みたいな話が残っていないのです。無論、歳下の朝永さんとか湯川さんは尚更の事、話しづらかったと思えます。話しかけても無言だったのでしょう。多分オランダでも日常会話はほとんどなかったと思われます。ケンブリッジでは「1Dirac」という単位を使われていました。仲間内での意味としては
「1Word/1Hours」が「1Dirac」に相当して
一時間あたりに単語二つを使ったら「2Dirac」消費されたとして換算されました。ディラックは一時間に数Dirac程度しか言葉を残さなかったそうです。

しかし、そんなディラックは真面目な性格、人を騙さない性格もあって周囲から大事にされていた様子が伺われます。このブログのTOP画面で使っている集合写真でも真ん中の列の中央に居ます。若き天才ディラックにアインシュタインやキューリ夫人が気を遣って「君の研究は素晴らしい。これからも頑張って下さいよ!」といった気持で尊重しているような
気がするのです。

そして、
ディラックはイギリスの伝統を受け継いだ人でもあります。
ケンブリッジではルーカス教授職を務めました。この名誉は初代・アイザック・バローから始まり二代目・アイザック・ニュートンと続き、最近では宇宙論で名を成したS・W・ホーキング博士が受け継いでいます。


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2020/08/17_初稿投稿
2022/07/10_改定投稿

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(2021年10月時点での対応英訳)

Quiet Dirac

Dirac in England was a very humble and reticent person. When the Nobel Prize was decided, he seemed to be thinking about declining the award for fear of becoming famous. Although he is such a person, he establishes quantum mechanics with Feynman, Heisenberg, Schrodinger, etc. in the midst of the geniuses of the early 20th century. In particular, he won the Nobel Prize at the same time as Schrodinger. In considering Dirac’s personality, I would like to mention his family for a moment.

His family transferred nationality from Switzerland when Dirac was in his late teens. And it seems that the family environment was a big factor in talking about Dirac’s personality formation. First, in 1924, Dirac’s brother died himself. Was he the end of many thoughts? It seems that Dirac himself had many difficult conversations with his father. And he seems to have become an extremely reticent person.

Dirac and math

However, Dirac has achieved brilliant results by making full use of mathematics without sinking into the darkness. Especially the delta function and bracket notation are great. I left a lot of such footprints.

The delta function is a family of generalized functions defined using integrals. It is a useful function in many fields, but in the field of physics, it is possible to express how the wave packet converges with observation. Heaviside functions can be expressed mathematically. Various observations can be made depending on how the phenomenon is perceived, and the mathematical expression differs between when thinking about things from the perspective of the frequency axis and when thinking from the perspective of the actual coordinate axis (from the perspective of length). Analysis that applies this viewpoint engineeringly is also very convenient in practical use, and business analysis can be easily performed with a commercially available analyzer.

Bra-ket notation is a notation that uses the “parentheses” symbol in Japanese. In that formulation
Only the “<” part in the shape of the key bracket <> is called the “bra vector”.
Only the “>” part in the shape of the key bracket <> is called the “ket vector”.
The bra part is a vector amount in a very easy-to-understand expression
The part of the ket corresponding to is the formulation corresponding to the amount of vector acting on it.

Eigenstate and dirac

It is expressed as having an eigenstate when the pre-acting ket has an eigenvalue. It was impressive to me when I was an undergraduate that the vector here is a Hilbert vector (corresponding to infinite dimensions). I felt that the state corresponding to the physical quantity was described in an instant. From high school, when I could only imagine that one dimension was a line, two dimensions were a plane, and three dimensions were a three-dimensional space, my imagination expanded greatly, and the story suddenly expanded to infinite dimensions. One vector carries a lot of information. On the other hand, I think that the delta function expresses how the observation causes the wave function collapse in an instant.

Dirac is proceeding with this formulation and has come up with substances proposed by theory. A number of specific antimatter entities have been proposed and found. Antimatter is not routine because it has a slightly shorter lifespan than normal matter, but it is an important factor when discussing the formation and annihilation of particles. Protons have antiprotons and neutrons have antineutrons.

Dirac visits Japan

And above all, Dirac is a reticent person. While he has produced many achievements, he seems to have come to Japan as he was invited to the Physical Society of Japan. He just doesn’t have much anecdotes because he has a personality. There is no such thing as “when I drank tea with Nishina-san …”. Of course, it seems that Mr. Tomonaga and Mr. Yukawa, who are younger, were even more difficult to talk to.

He would have been silent when he spoke. Perhaps there was little daily conversation in the Netherlands. In Cambridge, the unit “1 Dirac” was used. As for the meaning within the group, “1 Word / 1 Hours” is equivalent to “1 Dirac”, and if two words are used per hour, it is converted as “2 Dirac” consumed. Dirac left only a few words per hour.

However, it seems that such Dirac was taken care of by the people around him because of his serious personality and personality that does not deceive people. The group photo used on the TOP screen of this blog is also in the center of the middle row. I feel that Einstein and Mrs. Curie care about the young genius Dirac and respect him with the feeling that “Your research is wonderful. Please continue to do your best!”

And Dirac is also a man who inherited the British tradition.
He was a Lucas professor in Cambridge. This honor begins with the first Isaac Barrow, continues with the second Isaac Newton, and has recently been inherited by Dr. SW Hawking, who has made a name for himself in cosmology.

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ハイゼンベルク
【1901年12月5日生まれ-7/9改訂】

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【1901年12月5日生まれ ~ 1976年2月1日没】


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 ハイゼンベルグの不確定性関係

ハイゼンベルクは行列形式の導入や、

不確定性関係等の適用で、

量子論を形作った一人です。

バイエルン王国に生まれミュンヘン大学ゾンマーフェルトに学びマックス・ボルンの下で助手を務め、コペンハーゲンニールス・ボーアの下で修業します。そうした一線級の議論の中で理論の形式を整えます。量子論の本質的な概念である不確定性原理はボルンやヨルダン、ハイゼンベルクによって確立されました。

可視化で想像できる世界がどこまで細かく考えていけるかという命題に対しての一つの回答が不確定性関係を含む量子力学の体系です。

 ハイゼンベルグと同時代の偉人達

そして加えて、ハイゼンベルクはシュレディンガーポール・ディラックと同じ時代に生き、積極的に行動すればアインシュタインボースとも議論が出来ました。。そうした天才達がミクロの原理を一つ一つ解きほぐしたのです。

まだ見えない原子レベルの大きさの事象を推察する手法が色々と試みられて、その結果を説明する理論が発展したのです。不確定性関係の発表が1927年なのですが、同時期には数多くの革新的な発表がされて量子力学の対象の理論と応用技術が飛躍的に発展した時代でした。

同時に大変な時代背景、第二次世界大戦があり
ハイゼンベルクはアインシュタインが作った
相対論を駆使したりユダヤ人物理学者を養護
していたので、ナチス党員の物理学者から
「白いユダヤ人」と呼ばれ苦労しています。
プランクからの指摘もあり
戦後の体制を見据えてハイゼンベルクはドイツ
に残りました。

 サイクロトロンとハイゼンベルグ

しかし戦時下ですので物理の知識を
ナチスの為に使う事になり、色々考えたようです。
実際にハイゼンベルクのシンクロトロンが火災を起こし
世界でニュースとなったと聞き、アメリカに亡命していた
アインシュタインは大変驚きます。
実際にその事件が彼に原爆開発を決意させたとも言われています。そして、大戦が深まる中でナチス側も原子力爆弾の実用化を模索していた中で当時のドイツ内でのハイゼンベルグの立場は極めて苦しくなります。実際にハイゼンベルグが積極的な態度をとったとしたら恐ろしい事です。歴史には「たら・れば」はよく語られていて、、仮にナチスが原爆を持っていたら、
連合国との原爆の応酬でとても恐ろしい状況になっていた筈です。

私自身も量子力学の計算を進めていて感じたのですが、オブザーバブルに対する状態の時間発展を表す表式は数学的な厳密さを持つ半面で、状態を表している物理表現として洗練されてます。ハイゼンベルク等の提唱した行列形式はそこにつながっていきます。又、いくつかの思考実験で裏打ちされた不確定性関係は量子力学の現象理解の中では本質的です。

またハイゼンベルクはピアノの名手
だったと言われていています。
聞いてみたかったですね。

 

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2020/08/19_初回投稿
2022/07/09_改訂投稿

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(2021/10月時点での対応英訳)

Heisenberg’s Uncertainty Principle

Heisenberg is one of the people who shaped quantum theory by introducing the matrix form and applying the uncertainty relation. Born in the Kingdom of Bavaria, he studied under Sommerfeld at the University of Munich, worked as an assistant under Max Born, and trained under Niels Bohr in Copenhagen. He formalizes his theory in such first-class discussions. The uncertainty principle, which is an essential concept of quantum theory, was established by Born, Jordan, and Heisenberg. One answer to the proposition of how finely the world that can be imagined by visualization can be considered is the system of quantum mechanics including the uncertainty relation.

Heisenberg and his contemporaries

In addition, Heisenberg lived in the same era as Schrodinger and Paul Dirac, and if he acted positively, he could argue with Einstein and Bose. .. These geniuses unraveled the micro-principles one by one. Various methods have been tried to infer events of atomic level that are not yet visible, and the theory that explains the results has been developed. The Uncertainty Principle was announced in 1927, and at the same time, many innovative announcements were made and the theory and applied technology of the object of quantum mechanics developed dramatically.

At the same time, due to the difficult historical background and World War II, Heisenberg used the relativity created by Einstein and cared for Jewish physicists, so he was called “white Jew” by Nazi physicists. I’m having a hard time. Heisenberg remained in Germany in anticipation of the postwar regime, as pointed out by Planck.

Cyclotron and Heisenberg

However, since it is during the war, knowledge of physics
It was decided to use it for the Nazis, and it seems that he thought about various things.
The Heisenberg synchrotron actually ignited
Einstein, who was in exile in the United States, is very surprised to hear that he has become news in the world.
It is said that the incident actually made him decide to develop the atomic bomb.

And as the war deepened, the Nazi side was also searching for the practical application of nuclear bombs, and Heisenberg’s position in Germany at that time became extremely difficult. It would be scary if Heisenberg actually took a positive attitude. “Tara, if” is often spoken in history, and if the Nazis had an atomic bomb, it would have been a very scary situation due to the exchange of the atomic bomb with the Allies.

He felt that he was proceeding with the calculation of quantum mechanics, but the expression that expresses the time evolution of the state with respect to the observable is mathematically rigorous, but it is refined as a physical expression that expresses the state. .. The matrix format proposed by Heisenberg and others will lead to that. Also, the uncertainty relation backed by some thought experiments is essential in understanding the phenomenon of quantum mechanics.

Heisenberg is a master of the piano
It is said that it was.
I want to listen.

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エンリコ・フェルミ
【1901年9月29日生まれ-7/8改訂】

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イタリア生まれのフェルミ

フェルミはイタリアのローマに生まれアメリカで没してます。

アメリカではフェルミの名前を冠した研究所が今でも

シカゴ大学内にあって、そこで議論が交わされています。

その業績は社会的側面が大きいものもある一方で

純理論を突き詰めた後世の多くの物理学者が使う

原理・概念もあります。まさにパラダイムシフトを起こした

立役者です。ミクロの世界を切り開きました。

 

そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さを備えています。一歩一歩、フェルミは議論を展開してノーベル賞を受け、その授賞式の際にイタリアからアメリカに亡命しました。時節柄、奥様がユダヤ人だつた為迫害されていたのです。

フェルミとマンハッタン計画

アメリカ移住後にフェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、原子力発電所の創設に携わり社会を大きく変えていきます。そもそも、計画への参加はオットー・ハーンがドイツで核分裂実験に成功した事情が大きいです。フェルミを初めとした物理学者達が時代に危惧感を抱いたのです。アメリカを中心とする資本主義圏が自由を謳歌した点でフェルミの業績は計り知れないです。

反面でスリーマイル島の事故や福島での原発事故を思い起こすと、気楽に賞賛ばかりはしていられません。このブログの中で私が何回か主張しているように識者が知恵を集結して問いかけなければいけません。かってのラッセルーアインシュタイン宣言を思い起こしたいです。一方で我々、大衆も皆で分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねばなりません

可能な範囲で意見を交わして民衆の英知を集結させるべきです。個人個人が平和に対して語る時に少しでもしっかりした考えをもって話さないといけないのです。色々な人と語る時に話が繋がっていく様な議論の土壌を、少しずつ育んでいかないといけないのです。会話をする個人それぞれが、より平和と現実に対してしっかりした考えを持ってほしいです。そんな人が話しやすい雰囲気を出していけるような人になって下さい。自分が話を広げるだけではなくて、相手の意見や気分を理解する力も大きいです。
考えを作るうえで政治家には頼れない昨今です。
各人、しっかりした考えを育んで下さい。

 フェルミトとスピン

さてフェルミに話を戻します。フェルミは純理論の中でスピン角運動量に関して議論を進めました。別のご紹介でボゾン・アインシュタインの系を紹介しましたが、フェルミとディラックは別の粒子群に着目します。

後世の理解ではスピン角運動量が半整数(1/2とか3/2とかいった数)の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)と呼ばれボゾンとは別の振る舞いを示します。具体的なフェルミオンとしてはクォークや電子、ミュー粒子、ニュートリノ、陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。こうした概念は電気伝導率の物性を議論するときには欠かせません。

フェルミの排他律に従う電子の集団を統計的に扱い、フェルミ統計を確立したのです。例えばこの理論で金属他の熱伝導が非常によく説明されます。。こうして沢山の業績を世に残し、フェルミは天に召されました。

彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、

その流速を出していたと言われています。

フェルミこそ、生粋の物理学者でした。

謹んでご冥福をお祈り致します。

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Italian-born Fermi

Fermi was born in Rome, Italy and died in the United States. In the United States, there is still a research institute named after Fermi at the University of Chicago, where discussions are held. While some of its achievements have a large social aspect, there are also principles and concepts used by many posterity physicists who have pursued pure theory. He is the driving force behind the paradigm shift. He opened up the micro world.

In the first place, Fermi has outstanding excellence since his school days. Step by step, Fermi developed his discussions, received the Nobel Prize, and went into exile from Italy to the United States at the award ceremony. At his time, his wife was persecuted because he was Jewish.

Fermi and Manhattan Project

After moving to the United States, Fermi participated in the famous Manhattan Project and was involved in the creation of a nuclear power plant, which would significantly change society. In the first place, participation in the project is largely due to Otto Hahn’s successful nuclear fission experiment in Germany. Fermi and other physicists were worried about the times. Fermi’s achievements are immeasurable in that the capitalist sphere centered on the United States enjoyed freedom. On the other hand, when he recalls the Three Mile Island accident and the nuclear accident at Fukushima, he cannot easily praise him. As I have argued several times in this blog, wisdom must be gathered and questioned. I want to recall the old Russell-Einstein Declaration. On the other hand, we, the general public, must exchange opinions using words that everyone can understand.

We should exchange opinions to the extent possible and bring together the wisdom of the people. When an individual talks about peace, he or she must have a firm idea. We have to gradually nurture the ground for discussions that will connect the conversations when talking to various people. I want each individual who has a conversation to have a firmer idea of ​​peace and reality. Please become a person who can create an atmosphere that makes it easy for such people to talk. Not only do I spread the story, but I also have a great ability to understand the opinions and moods of the other person. Nowadays, we cannot rely on politicians to make ideas. Please nurture a solid idea for each person.

Fermit and spin

Now let’s get back to Fermi. Fermi proceeded with the discussion on spin angular momentum in pure theory. He introduced the Boson Einstein system in another introduction, but Fermi and Dirac focus on different particle swarms. In later understanding, particles with a half-integer spin angle momentum (numbers such as 1/2 and 3/2) are called fermions and behave differently from bosons. As specific fermions, quarks, electrons, muons, neutrinos, protons, and neutrons are also fermions. These concepts are indispensable when discussing the physical characteristics of electrical conductivity.

He established the Fermi statistics by statistically treating the group of electrons that obey the Fermi exclusion principle. For example, this theory explains the heat conduction of metals and others very well. .. In this way, Fermi was called to heaven, leaving many achievements in the world.

Fermi is said to have watched the drip drop on the bed and set the flow velocity. Fermi was a true physicist. He humbly prays for his soul.

 

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E・O・ローレンス
【1901年8月8日生まれ-7/7改訂】

gettyimages-Yale-Uni

こんにちはコウジです。「ローレンス」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と5/28の時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3533‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒3085
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒4725‗④KazenoKouji‗3422⇒5831
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6618+10556【17174@5/28】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1901年8月8日~1958年8月27日】


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 優れた実験家ローレンス

その名はErnest Orlando Lawrence。

ローレンスは優れた実験家で今でも頻繁に

応用されているサイクロトロンを発明した事

で広く知られています。

 

米サウスダコタでノルウェー系の両親に生まれ少年時代はMerle Tuveと共に簡易無線装置を作成したりしていました。その後、サウスダコタ大学時代は医学を志望してましたが、化学の学士号、物理学の修士号を習得します。Tuveと共にスワン先生の下で学びますローレンスがイェール大学で博士号をとった時には光電効果に関する研究をしていたようです。その後、恩師だったスワン先生がイェール大学を去るタイミングでカリフォルニア大に移ります。ローレンスは実験家として大変、有望視されていました。

ローレンスの業績 

サイクロトロンを使った実験で、ローレンスがその装置を活用した応用例が人工放射性元素でした。ローレンスと彼の率いるバークレー国立研究所は自然界に存在する元素だけでなく、不安定な元素を作り出したのです。強い磁場を使い帯電しているイオンをビーム状に出す事が出来るのでローレンスの作ったサイクロトロンはイオンが反応する状態を作れるのです。

日本、イギリスが同様な措置を計画していきます。サイクロトロンを使えば特定金属にイオンビームを当て続ける事が出来たりする訳です。こうした装置の開発を通じてローレンスは人類に新しい知見をもたらしたのです。

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2020/10/31_初回原稿
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(2021年10月時点での対応英訳)

Excellent experimenter Lawrence

Its name is Ernest Orlando Lawrence. Lawrence is a well-known experimenter and widely known for inventing the cyclotron, which is still frequently applied.

Born to Norwegian parents, he worked with Merle Tuve as a boy to create simple radios.

Later, Lawrence aspired to medicine when he was at the University of South Dakota, but he earned a bachelor’s degree in chemistry and a master’s degree in physics. He studies with Tuve under Dr. Swan. When Lawrence got his PhD at Yale University, he seems to have been studying the photoelectric effect.

After that, his teacher, Swan, will move to the University of California when he leaves Yale University. Lawrence was very promising as an experimenter.

Lawrence’s achievements

In his cyclotron experiments, Lawrence’s application of using the device was an artificial radioactive element. Lawrence and his Berkeley National Laboratory created unstable elements as well as those that exist in nature.

Since it is possible to emit charged ions in the form of a beam using a strong magnetic field, the cyclotron made by Lawrence can create a state in which the ions react. Japan and the United Kingdom will plan similar measures.

If you use a cyclotron, you can keep shining an ion beam on a specific metal.

Through the development of such equipment
Lawrence gives humanity new insights
he brought it.

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W・E・パウリ
【1900年4月25日生まれ-7/6改訂】

SolvayConf-1927

こんにちはコウジです。「パウリ」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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【1900年4月25日生まれ ~ 1958年12月15日没】


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その名はWolfgang Ernst Pauli

パウリはオーストリア生まれの

スイスの物理学者。パウリの排他率律で有名です。

排他律を排他率と書いてしまいがちですが

排他律です。その「パウリの排他律」は

「パウリの原理」とも呼ばれています。

1945年にアインシュタインの推薦で

ノーベル物理学賞を受けています。

ミドルネールのエルンストはパウリの名付け親、
パウリが尊敬するマッハに由来します。
父方はユダヤ系で有名な出版社を
経営していたようです。

さて、

排他律の具体的な内容に関してですが、ナトリウムの分光実験から話が始まります。再現性の高い事実として磁場付加時の分光は電子の自転に由来するという仮説をパウリは立て、後にそれをスピンと名付けます。新しい量子的自由度です。後に行列力学を基盤とした定式化を行い数学的に表現します。 

パウリと著名人の交流

個人的に興味を引くのはミュンヘン大学でパウリがゾンマーフェルト_の指導を受けている点です。私が講義を受けた先生がゾンマーフェルト_を研究していて、マッハの名前も、その先生から教えてもらいました。そして、マッハ・ゾンマーフェルト・パウリとつながったのです。そしてもう一つ個人的な話を続けます。今使っているドメインへの投稿です。

何故か半歳程、投稿漏れに気づかずにいたのですが、ある日「パウリ」について気になって上記ゾンマーフェルトとの関係を思い出したのです。そして急ぎ作業を続けていて驚いたのは、その日がパウリの誕生日だったのです。

パウリが生まれてから220年が終わった瞬間でした。後述するユング達が極めた深層心理の世界では意識下と無意識下の間に「潜在意識」を想定しますが、そんなことも少し考えてしまいました。よもや潜在意識下で決めた投稿日だったのでしょうか。または深層意識下で「投稿していませんよ!」と告げてくれた人がいたのでしょうか。とか色々と考えてしまいました。
まぁ、普通に考えたら単なる偶然ですね。

私の頭の中での奇妙な三角関係はさておき、

パウリは人間的にも面白い人だと思えます。

独自に培った知性で各界の著名人を魅了しているのです。

例えば、博士号を習得した直後、パウリは

ゾンマーフェルトに独逸語での百科事典の記事執筆

を依頼されます。内容は相対性理論に関する記事

でしたが、2か月ほどをつかって完成させました。

その結果はアインシュタイン本人の査読にかなう見事なもので、今日においても読み応えのあるものとなっているそうです。アインシュタインはパウリのミドルネームに気付いていたのでしょうか。マッハとの関係を知っていたのでしょうか。機会があれば調べてみたいと思います。マッハ・アインシュタイン・パウリの三角関係です。

更に妙な繋がりは心理学者C・G・ユングとの関連です。パウリは離婚後に精神を病んでいた時期がありました。今や、夢分析の世界で有名なユングに完璧主義者のパウリが出合ったのです。先生と生徒という関係を築き、生徒としてユングにパウリは科学的な批評を加えます。互いに有益な関係だったのでしょう。

因みにユング関連での兄弟弟子フロイトもユダヤ系です。アインシュタインもユダヤ系です。この切り口で考えていっても特有の文化に起因する思考的な共有点が見いだせると思います。思考の方法を考えるうえで、少し興味深い対象です。

パウリと1/137

そして、

パウリは最後まで愛した物理学を愛し続けました。

戦争での苦難の時代の後に帰国して、

病床でも完璧主義者として見舞客と議論を続けました。

その中で語り継がれている話があります。

微細定数と呼ばれる無次元量があって、

それはプランク定数に関わる相互作用を

特徴付ける量です。パウリはその値に最後まで、

こだわり抜きました。

もし、パウリが神に謁見したら、
神に微細定数 1/137.036…の
理論的根拠を尋ねたとしたら、
神様は物凄い速度で計算式を
書き連ねるだろう。その後、
きっとパウリは「違う!」
と唱えて、話し続けるであろう。

よもや、神様さえも「あ!」
と唱えるのではないか、
と不遜にも想像してしまいました。

〆 

 



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2020/09/19_初稿投稿
2021/04/25_原稿改定
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(2021年10月時点での対応英訳)

Its name is Wolfgang Ernst Pauli

Pauli is an Austrian-born Swiss physicist. It is famous for Pauli exclusion principle. It is easy to write the exclusion principle as the exclusion rate, but it is the exclusion principle. The “Pauli exclusion principle” is also called the “Pauli principle”. He received the Nobel Prize in Physics in 1945 on the recommendation of Einstein.

Middlener Ernst comes from Pauli’s godfather, Pauli’s respected Mach. His father seems to have run a well-known Jewish publisher.

Now, regarding the specific content of the exclusion principle, the story begins with a spectroscopic experiment of sodium.

As a highly reproducible fact, Pauli hypothesized that spectroscopy when a magnetic field was applied was derived from the rotation of electrons, which he later named spin. A new quantum degree of freedom. He later formulates based on matrix mechanics and expresses it mathematically. Twice

Exchange between Pauli and celebrities

Personally, I’m interested in Pauli’s guidance at Sommerfeld at the University of Munich. The teacher I was giving a lecture on was studying Sommerfeld, and he also told me the name of Mach. And he was connected to Mach Sommerfeld Pauli. And I will continue with another personal story. This is a post to the domain you are currently using. For some reason, I was about half a year old and didn’t notice the omission of posts, but one day I was worried about “Pauli” and remembered the relationship with Sommerfeld.

And what surprised me as I continued to work in a hurry was that day was Pauli’s birthday. It was the moment when 220 years had passed since Pauli was born. In the world of deep psychology, which Jung and his colleagues have mastered, we assume a “subconscious” between consciousness and unconsciousness, but I have thought about that for a moment. Was it the posting date decided under the subconscious? I have thought about it.
Well, if you think about it normally, it’s just a coincidence.

Aside from the strange love triangle in my mind, Pauli seems to be a humanly interesting person. His unique intelligence attracts celebrities from all walks of life.

For example, shortly after completing his PhD, Pauzo was asked by Nmarfeld to write an encyclopedia article in German. The content was an article about the theory of relativity, but it took about two months to complete. The result is excellent enough to be peer-reviewed by Einstein himself, and it seems to be readable even today. Did Einstein notice Pauli’s middle name? Did he know his relationship with Mach? I would like to find out if I have the opportunity. It is a love triangle of Mach Einstein Pauli.

A more strange connection is with the psychologist CG Jung. Pauli had a period of mental illness after his divorce. Now, the perfectionist Pauli meets Jung, who is famous in the world of dream analysis. He builds a teacher-student relationship, and Pauli gives Jung a scientific critique as a student. It must have been a mutually beneficial relationship. By the way, Jung’s brother and disciple Freud are also Jewish. Einstein is also Jewish. Even if you think from this perspective, you can find a thoughtful shared point due to the unique culture. It’s a little interesting when thinking about how to think.

Pauli and 1/137

And Pauli continued to love his beloved physics until the end. He returned home after a period of hardship in the war and continued to discuss with visitors as a perfectionist in bed. There is a story that has been handed down in it.

There is a dimensionless quantity called the fine constant, which is the quantity that characterizes the interactions involved in Planck’s constant. Pauli was particular about that value until the end. If Pauli had an audience with God and he asked God for the rationale for the fine constant 1 / 137.036 …, God would write the formulas at a tremendous speed. After that, Pauli will surely say “No!” And continue talking.

I have imagined that even God would say “Ah!”.

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J・F・ジョリオ=キューリー
【1900年3月19日-7/5改訂】

ソルボンヌ大学

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【1900年3月19日 ~ 1958年8月14日】


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今回のご紹介はジャン・フレデリック・ジョリオ=キューリーですが、J-F・ジョリオ=キューリーはフランスパリに生まれ、亡くなるまでパリで暮らしました。そんな人の58年の人生のご紹介です。名前の綴りはJean Frédéric Joliot-Curieとなります。著名なキューリー夫妻の娘婿としてご紹介するとわかりやすいでしょうか。つまり、義理の父はピエール・キュリー、義理の母はマリー・キュリー。義理の妹はエーヴ・キュリーとなります。

このご紹介の中でフレデリックとご紹介していきますが、フレデリックはラジウム研究所でマリ・キューリーの助手となりました。その研究所でマリの娘イレーヌを知り交際を深め。まもなく2人は結婚しました。その時点で姓を「ジョリオ=キューリー」としたのです。ジョリオはフレデリックの血筋の名前でキューリーはイレーヌの血筋の名前でした。二人は後に一緒にノーベル賞を受けます。

フレデリックとイレーヌの夫婦は同位体元素への反応過程を研究して新しい物質を作り上げたのです。具体的にはアルミニウムに対してアルファ線を照射したときに人工放射性同位元素である30P(リン30)が発生したのです。その後、フレデリックはフランス原子力庁の長官としてフランス初の原子炉を1947年に建設するプロジェクトに加わります。原子力の平和的な利用と環境に及ぼす影響については各論があると思えますが、今のフランスの電源構成に大きな影響を与えた人だと言えます。

政治的な活動としてフレデリックは第二次世界大戦時にはナチスドイツに対抗するレジスタンス運動に参加しました。そして終戦後は先述したフランス原子力庁の仕事をしながらフランス国立科学研究センター総裁、コレージュ・ド・フランスの教授も務めていました。他、パグウォッシュ会議(核兵器と戦争の廃絶を訴える国際会議)の創始、世界平和評議会の初代議長、フランス共産党の党員と多方面で尽力し活躍をしました。

教育者としてフレデリックは日本初の女性物理学者である湯浅年子に物理学を指導しています。その実績も我々日本人には新鮮なのではないでしょうか。本当に多彩な魅力を持っていた人だと言えます。

更に意外な側面は柔道との関わりです。フレデリックはフランス柔術クラブの名誉会長でした。柔道創始者の嘉納治五郎も就いていた役職です。フレデリックがいかにフランス国民から敬愛されていたかがわかりますね。

 

〆最後に〆

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(対応英訳)

Introducing this time is Jean Frederick Jorio-Curie, but JF Jorio-Curie was born in Paris, France and lived in Paris until his death. This is an introduction to such a person’s 58-year life. His name is spelled Jean Frédéric Joliot-Curie. Is it easy to introduce as the son-in-law of the famous Mr. and Mrs. Curie? That is, his father-in-law is Pierre Curie and his mother-in-law is Marie Curie. His sister-in-law will be Ave Curie.

In this introduction, I will introduce you to Frederick, who became an assistant to Marie Curie at the Radium Institute. He got to know Mali’s daughter Irene at the institute and deepened his relationship. Soon the two got married. At that point he changed his surname to “Jorio-Curie”. Jorio was the name of Frederick’s lineage and Curie was the name of Irene’s lineage. The two will later receive the Nobel Prize together.

The couple of Frederick and Irene studied the process of reaction to isotopes and created a new substance. Specifically, when aluminum was irradiated with alpha rays, the artificial radioisotope 30P (phosphorus 30) was generated. Frederick then joined the project to build France’s first nuclear reactor in 1947 as Secretary of the French Atomic Energy Agency. There seems to be some debate about the peaceful use of nuclear energy and its impact on the environment, but he is one of the most influential people in France’s current power mix.

As a political activity, Frederick participated in the resistance movement against Nazi Germany during World War II. And after the end of the war, he was also the president of the French National Center for Scientific Research and a professor at Collège de France, while working for the French Atomic Energy Agency mentioned above. He and others have worked extensively with the founding of the Pugwash Conference (an international conference calling for the abolition of nuclear weapons and war), the first chairman of the World Peace Council, and members of the French Communist Party.

As an educator, Frederick teaches physics to Toshiko Yuasa, Japan’s first female physicist. I think that achievement is also fresh for us Japanese. It can be said that he really had a variety of charms.

A more surprising aspect is the relationship with judo. Frederick was the Honorary Chairman of the French Jiu-Jitsu Club. He was also in the position of Judo founder Jigoro Kano. You can see how Frederick was loved by the French people.

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S・ナート・ボース
【1894年1月1日生まれ-7/4原稿改訂】

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【1894年1月1日生まれ ~ 1974年2月4日没】


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BOSEという名前の読み方

ボーズ(BOSE)は珍しいインド人物理学者です。

フルネームで名前を書き下すと、

 サティエンドラ・ナートボース

:Satyendra Nath Bose となります。

以下、ボーズの名前に濁音がついていますがご了承下さい。

名前の最後の「ズ」の所です。BEC(ボーズアインシュタイン凝縮)、ボゾンといった用語で学生時代に議論して、その感覚がどうしても消えません。そもそも実際の綴りはBOSEでしすし、正式にはボースと発音するようで、Wikipediaの記載もボースです。しかし、そもそも、

ここに拘っている人は少ない印象です故、特に訂正しません。

BOSEの物理学での業績

さて、インドは独自の数学体系を持ち計算(暗算)方式も独自の形式を持ちます。そんな学問体系で素粒子の世界に挑んだボーズは統計力学で今世紀初頭にEinsteinと共に今でいうBOSE粒子群(BOSON)の振る舞いを定式化するのです。1924年にアインシュタインへ論文を送った時点が始まりです。

その論題は「プランクの放射法則と光量子仮説」でした。アインシュタインはその仕事を高く評価して後にそれを発展させますが、学会で討議する以上の交流は未だ私には調べきれていません。インド独自の学問体系の中でボーズ粒子は育っていったと考えています。後に英国の王立協会からフェローに任命されていますので最後のリンクにイギリスは含めました。

BOSNとFERMION

前段の知識として後世の理解で整理すると素粒子はスピン角運動量の数でBOSONとFERMIONの二種類に分かれます。いわゆる凝縮系の世界でもBOSONは特異な振る舞いを示します。具体的にBOSONとは光子、音子、ウィークボソン、グルーオン、π中間子やK中間子、D中間子、B中間子、ρ中間子、等でスピンの奇遇性からボゾンに分類されて、BOSE-EINSTEIN統計に従います。

BOSEの人物像

ただ残念な事に西洋の学者と異なり、インド系のボーズは「人となり」が伝わっていません。何よりボーズの業績である、BOSONで名を残しています。私がインドに行って調べたいくらいですがあいにく機会ができません。
いつか調べてみたいと思っています。

その時は関係者と話す時に「ボース」と心がけながら話そうと思います。人の名前は間違えると違和感を与えますからね。いや、ひょっとしたら関係者も「ボーズ」を多用するかもしれません。その確認も小さな楽しみです。

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How to read BOSE(iN jAPAN)

BOSE is a rare Indian physicist. If you write down the name with the full name,

Satyendra Nath Bose

: It will be Satyendra Nath Bose. Please note that the name of Bose has a voiced sound below. This is the last “Z” in the name. When I was a student, I argued with terms such as BEC (Bose-Einstein Condensation) and Boson, and that feeling never disappeared.

In the first place, the actual spelling is BOSE, and it seems to be officially pronounced as Bose, and the description on Wikipedia is also Bose. However, in the first place, I have the impression that few people are concerned about this, so I will not make any corrections.

BOSE’s achievements

By the way, India has its own mathematical system and its own calculation (mental arithmetic) method. Bose, who challenged the world of elementary particles with such an academic system, uses statistical mechanics to formulate the behavior of what is now called the BOSE particle group (BOSON) with Einstein at the beginning of this century.

He began when he sent a treatise to Einstein in 1924. The subject was “Planck’s law of radiation and the photon hypothesis.” Einstein appreciates his work and develops it later, but I haven’t been able to find out more than the discussions at the conference. I believe that bosons grew up in India’s unique academic system. I was later appointed as a Fellow by the Royal Society of England, so I included the United Kingdom in the last link.

BOSN and FERMION

Elementary particles can be divided into two types, BOSON and FERMION, according to the number of spin angular momentums. Even in the so-called condensed world, BOSON behaves peculiarly.
Specifically, BOSON is classified into bosons based on the oddity of spins such as photons, phons, weak bosons, glueons, π mesons, K mesons, D mesons, B mesons, and ρ mesons, and follows BOSE-EINSTEIN statistics.

BOSE portrait

Unfortunately, unlike Western scholars, Bose of Indian descent does not convey “becoming a person”. Above all, he has left his name in BOSON, which is the achievement of Bose. I would like to go to India to find out, but unfortunately I can’t get the chance. I would like to find out someday. At that time, when I talk to the people concerned, I will try to talk with “Bose” in mind. If you make a mistake in a person’s name, it will make you feel uncomfortable. No, maybe the people involved may also use “Bose” a lot. The confirmation is also a little fun.

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アーサー・コンプトン
【1892年9月10日-7/3改訂】

SolvayConf-1927

こんにちはコウジです。「コンプトン」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と5/28の時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3533‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒3085
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒4725‗④KazenoKouji‗3422⇒5831
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6618+10556【17174@5/28】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1892年9月10日 ~ 1962年3月15日】


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コンプトン効果

アメリカのコンプトンは波動の粒子性を示した実績と

マンハッタン計画で指導的役割を果たしたこと

知られています。コンプトンは1919年に英国の

キャンデビッシュ研究所に留学しました。

キャンでビッシュ研究所でガンマ線の散乱・吸収を研究します。「波動のコンプトン効果」を発見するのです。コンプトンの考えは今では量子力学の

基幹をなしていますが、大まかには以下の理解をしていれば良いと思います。つまり、

「微視的に物事を考え始めた時に粒子性と

波動性が同時に具現化する」

ということです。

コンプトンの考えで話を進めると自由電子により散乱されたX線量子がより長い波長となるという事実に対して

「波長が長くなる状態」つまり

「光線のエネルギーが落ちる状態」で

子性に着目して弾性散乱の視点で考えていくのです。

コンプトンの微視的な視点 

具体的に量子力学では不確定関係という枠組みで物事を考えますので2つの値が同時に確定しなかったりします。例えば位置と運動量を同時に確定しません。また、時間とエネルギーを同時に確定しません。但し、時間×エネルギーや位置×運動量といった値を物理量として確定出来るのです。これは作用と呼ばれる次元の物理量です。時間という物理量やエネルギーという物理量と関連していますが異なります。

以上は量子力学を理解した人々には納得出来ても一般の人々には中々説明がし辛い部分です。誤解無く伝わっているかいつも不安になります。そんな意識改革をコンプトンが進めていたのですね。波動として考えていたガンマ線やX線に粒子性を見出したのです。

コンプトンとマンハッタン計画 

また、コンプトンはマンハッタン計画を進めた主要メンバーでもあります。そもそも原子爆弾は原子炉の製造から計画しなければいけません。計画の中でウランをプルトニウムに変換して、プルトニウムとウランの混合物からプルトニウムを分離するプロセスが必要です。コンプトンはこのプロセスをSEとして設計してプロジェクトが進んでいく現場で働きました。

また、原子爆弾を兵器として使用するには敵国で使用時に、出来るだけ早くに最大限の攻撃力を発揮しなといけませんが、そうした損傷兵器の仕組みをを設計する方法についてもコンプトンは計画をしていきました。なお同計画はオッペンハイマーの設計もあり、フェルミローレンスとの議論も経ています。全米の知能を集め計画を進めていたのです。

 

そしてコンプトンの業績はノーベル賞を初めとする々たる栄誉で称えられています。それと同時に、マンハッタン計画の主導者として計画自体の是非を論じる際に何度もその名があがります。

もともとは、コンプトンはもともと星の好きな少年でした。そんな所からガンマ線の究明に話が進みましたが、彼の名はガンマ線検出の為のNASAの衛星に残されています。

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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/07_初稿投稿
2022/7/03_改定投稿

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(2021年10月時点での対応英訳)

Compton effect

Compton in the United States is known for its track record of wave particle nature and for its leadership role in the Manhattan Project. Compton studied abroad at the Candevisch Institute in the United Kingdom in 1919, where he studied gamma-ray scattering and absorption.

There he discovers the “Compton effect of waves”.
This idea is now the basis of quantum mechanics, but I think it is good to have the following general understanding. In other words, “when you start thinking microscopically, particle nature and wave nature are realized at the same time.” If we proceed with that idea, we will focus on the particle nature in the “state where the wavelength becomes longer”, that is, the “state where the energy of light rays falls”, in contrast to the fact that the X-ray quantum scattered by free electrons has a longer wavelength. Think from the perspective of elastic scattering.

Compton’s microscopic perspective

Specifically, in quantum mechanics, things are considered in the framework of an uncertain relationship, so two values ​​may not be fixed at the same time. For example, the position and momentum are not fixed at the same time. Also, time and energy are not fixed at the same time. However, values ​​such as time x energy and position x momentum can be determined as physical quantities. This is a physical quantity of a dimension called action. It is related to but different from the physical quantity of time and the physical quantity of energy.

The above is a part that is difficult to explain to the general public even if it is convincing to those who understand quantum mechanics. I’m always worried if it’s transmitted without any misunderstandings. Compton was promoting such a change in consciousness. He found particle nature in gamma rays and X-rays, which he thought of as waves.

Compton and Manhattan Project

Compton is also a key member of the Manhattan Project. In the first place, the atomic bomb must be planned from the production of the reactor. Therefore, a process is required to convert uranium to plutonium and separate plutonium from the mixture of plutonium and uranium. Compton designed this process as an SE and worked in the field where the project progressed.

In addition, in order to use an atomic bomb as a weapon, it is necessary to exert maximum attack power as soon as possible when using it in an enemy country, and Compton also plans how to design the mechanism of such a damaged weapon. I went on. The plan was also designed by Oppenheimer and has been discussed with Fermi and Lawrence. He was gathering intelligence from all over the United States and working on a plan.

And Compton’s achievements are praised for its lush honors, including the Nobel Prize. At the same time, as the leader of the Manhattan Project, he is often mentioned when discussing the pros and cons of the plan itself.

Originally, Compton was originally a star-loving boy. From that point on, we went on to investigate gamma rays, but his name remains on NASA’s satellite for gamma ray detection.