に投稿 コメントを残す

トマス・メンデンホール
【1841年10月4日-5/20改訂】

東大

こんにちはコウジです。「メンデンホール」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と4/5時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3452‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2876
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6328+7300【13628@4/5】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1841年10月4日~1924年3月23日】


【スポンサーリンク】

メンデンホールはいわゆる「お雇い外国人」さんで、名前の綴りはThomas Corwin Mendenhallです。アメリカのオハイオ州生まれです。アメリカから先だって来日していた動物学者であるE・S・モースの推薦でメンデンホールは1878年に東京帝大の物理教師となります。黎明期の日本教育に先鞭をつけたのです。

メンデンホールは設立されたばかり東大理学部観象台の観測主任となり気候を観測しました。実際に1879年1月から2年間にわたり東京本郷で気象観測に従事したのです。メンデンホールは直接気象に関わるのみではなく日本で地震が頻発する環境に着目し、そうした事情を考慮して、観象台に地震計を設置を導入していきました。当時の日本では一般にそうした観測環境に対しての知見が乏しかったかったのです。結果として地震観測に関する業績を残し、日本地震学会の設立につながっていきます。メンデンホールはこの側面でも日本の教育に貢献をしています。

こうしてメンデンホールは日本物理学の黎明期において 気象学。地震学を確立していきました。一方で単位系の確立をしていった人です。 また富士山頂で重力測定や天文気象の観測を行い、日本に地球物理学を広げていきました。

日本の物理学者では特に、田中館愛橘がメンデンホールから力学、熱力学を学んでいます。師ともいえるメンデンホールとの出会いは愛橘に多大な影響を与えたと言われています。例えば、1879年(明治時代)にメンデンホールを通じてエジソンのフォノグラフの情報を得て、実際に田中舘は試作をしています。音響や振動の解析を試みてい定量的な解析が日本で始まったのです。また、田中舘はメンデンホールによる重力測定に参加し、東京と富士山で作業しました。

メイデンホールは2年の赴任の後にアメリカへ帰国をしましたが、海岸陸地測量局長時代にアメリカの州境と国境のを測定して定めました。緯度、経度で州境が引かれている現在のアメリカの州の形を作ったのです。メイデンホールの業績は評価されていて、アラスカの氷河のひとつに今でもメンデンホール氷河という名前が残っています。メイデンホールの局長時代の仕事に関連して命名されています。

〆最後に〆

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2022/04/03_初回投稿
2022/05/20_改定投稿

(旧)舞台別のご紹介
纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
力学関係のご紹介

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】


(対応英訳)

Mendenhall is a so-called “hired foreigner” and the spelling of the name is Thomas Corwin Mendenhall. He was born in Ohio, USA. At the recommendation of E.S. Morse, a zoologist who had come to Japan earlier than the United States, Menden Hall became a physics teacher at the University of Tokyo in 1878. He pioneered Japanese education in the early days.

Menden Hall was just established and he became the chief observer of the Observatory of the Faculty of Science at the University of Tokyo, observing the climate. He actually engaged in meteorological observations in Hongo, Tokyo for two years from January 1879. Menden Hall focused not only on the weather directly but also on the environment where earthquakes occur frequently in Japan, and in consideration of such circumstances, we introduced seismographs on the observatory. In Japan at that time, I generally wanted to have little knowledge about such an observation environment. As a result, he left behind his achievements in seismic observation and led to the establishment of the Seismological Society of Japan. Menden Hall also contributes to Japanese education in this aspect.

Thus Mendenhall was a meteorologist in the early days of Japanese physics. We have established seismology. He, on the other hand, is the one who established the system of units. He also expanded geophysics to Japan by measuring gravity and astronomical meteorology at the summit of Mt. Fuji.

Among Japanese physicists, Tanakadate Aikitsu is learning mechanics and thermodynamics from Mendenhall. It is said that the encounter with Mendenhall, who can be said to be a teacher, had a great influence on Aitachi. For example, in 1879 (Meiji era), Tanakadate actually made a prototype after obtaining information on Edison’s phonograph through the Mendenhall. He tried to analyze acoustics and vibrations, and quantitative analysis began in Japan. In addition, Tanakadate participated in the gravity measurement by Mendenhall and worked in Tokyo and Mt. Fuji.

Maiden Hall returned to the United States after two years in office, but he measured and determined the borders and borders of the United States when he was Director of the Coastal Land Survey. He created the shape of the current American state, which is bordered by latitude and longitude. Maidenhall’s achievements have been well received, and one of Alaska’s glaciers still retains the name Mendenhall Glacier. Named in connection with his work as director of his Maiden Hall.

に投稿 コメントを残す

ウィラード・ギブズ
_【1839年2月11日生れ-5/19改訂】

gettyimages-Yale-Uni

こんにちはコウジです。「ギブス」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と4/5時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3452‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2876
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6328+7300【13628@4/5】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1839年2月11日生れ ~ 1903年4月28日没】


【スポンサーリンク】

その名は

ジョサイア・ウィラード・ギブズ

Josiah Willard Gibbsです。

米国コネチカット州に生まれて

イェール大学で博士号をとります。

その博士号はアメリカ大学での

最初の工学博士だったそうです。ギブズは

米国における先駆者だったのですね。

そして理学博士でなくて工学博士って所が

アメリカっぽいなと思いました。そして、

物理学者ギブスの父は同名で

宗教文学(Wikipediaへ)

の教授です。古き時代のアメリカですね。

その後、

ギブスは修行時代として、

パリ、ベルリン、ハイデルベルクで

一年ずつ滞在します。

今の感覚ではピンとこないのですが、

彼の人生で地元を離れたのは

この三年間だけだったそうです。

ギブズの業績

ギブスの業績として大きいものは物理学への

「統計手法」の導入でしょう。

個々の粒子固有の性質は別に考え、

粒子集団が持つ性質を統計的に

まとめあげていく事でその性質が

熱力学的な特性につながっていくのです。

その考えをまとめた論文を読んだ

マクスウェルは大変感動をして、

自身の思いを伝えるために石膏模型

を作ったと言われています。そして、

その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、

模型は今でもイェール大学で

大切に保管されているそうです。

 

ギブスのスタンス

数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、

その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。

A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.

【(私の訳)

数学者は望むがままに物事を言えますが、

物理学者は何とかして、しゃっきりと

物事を伝えなくてはいけないですよ。】

数学者と物理学者は社会から

求められている物が違うので

視点を変えていかねばいけないと駄目です。

ギブズの暮らし 

最後に、戸田先生の教科書
【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソード
が載っていたので
ご紹介します。
(小さな物語の始まりです)

ギブスは結婚をしないで父の残した家に
妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、
道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、
食事の為に家に戻っていました。

お昼を食べた後にギブスは
研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅
するという、静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。

そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、
一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。

うまく作業できた時には大層、
ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初稿投稿
2022/05/19_改定投稿

舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹介
アメリカ関係へ
電磁気関係

イェール大学関連のご紹介へ
熱統計関連のご紹介

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

【2021年9月時点での対応英訳】

His name d Gibbs

Its name is Josiah Willard Gibbs. Born in Connecticut, USA, he holds his PhD from Yale University.

His PhD was the first PhD in engineering at an American university. Gibbs was a pioneer in physics in the United States.

And he thought that the doctor of engineering,

not the doctor of science, was American.

And the father of physicist Gibbs is a professor of

religious literature (to Wikipedia)

with the same name. He’s an old American, isn’t he?

After that, Gibbs will stay in Paris, Berlin and Heidelberg

for one year each as his training period.

It doesn’t seem like it’s right now, but he’s been away from home

for the last three years in his life.

Gibbs achievements

One of Gibbs’ major achievements is the introduction of “statistical methods” into physics. Apart from the unique properties of individual particles, by statistically summarizing the properties of the particle population, those properties lead to thermodynamic properties.

It is said that Maxwell, who read the treatise summarizing his thoughts, was very impressed and made a plaster model to convey his thoughts. He sent the abstract model to Gibbs, who is still kept at Yale University.

Gibbs’s stance

He is a Gibbs who has incorporated mathematical methods into physics,
Here are some words that express that position (stance).
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.

[(My translation)
Mathematicians can say things as they wish,
The physicist manages to be crisp
He has to tell things. ]

Mathematicians and physicists have

different perspectives because

the things that society demands are different.

Gibbs life

Lastly, I would like to introduce an episode that conveys Gibbs’ personality in Professor Toda’s textbook [Book of Thermal and Statistical Mechanics from Iwanami Shoten].
(Beginning of a small story)

Gibbs lived with his sister and his wife in the house left by his father without getting married.
The house was near his lab, across the road,
After Gibbs finished his morning lecture, he returned home for a meal.
After having lunch, Gibbs lived a quiet life, returning to his lab and spending time there, taking a walk around 5 pm and returning home. For years. For years.

Gibbs then helped his sister with the housework and cooked with her.
In particular, Gibbs, who was studying heterogeneous systems, was very good at mixing salads.

He would have been in a good mood when he was able to work well.
He lived such a quiet and warm life.

に投稿 コメントを残す

エルンスト・マッハ
【1838年2月18日‐5/18改訂】

austria-Credit:pixabay

こんにちはコウジです。「マッハ」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と4/5時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3452‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2876
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6328+7300【13628@4/5】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1838年2月18日 ~ 1916年2月19日】


【スポンサーリンク】

マッハの人生

以前ご紹介した石原さんはアインシュタイン直後の時代の一人、今回はご紹介するエルンスト・マッハはアインシュタインに影響を与えた一人です。その存在と考え方は当時の物理学会と思想の世界に大きな影響を与え、後の認識論に影響を与えました。ボルツマンプランクがマッハの議論の土台を参照して独自の論理を展開していきます。マッハは最終的には国の政治に参加していたようです。そんな議論を進めたマッハの業績はとても大きいと思います。また、マッハは最初の科学史家だと言われています。昔から正しいと言われてきた科学に関わる方法論を一つ一つ再定義・確認して議論していったのです。

マッハの業績と独自性

エルンスト・マッハはオーストリアに生まれた

物理学者です。その研究範囲は

数学・物理学・感覚分析・心理分析に及びます。

マッハの残した業績はまさにパラダイム
シフトと呼べます。それは時間と空間の
概念に対しての挑戦でした。そもそも、
ニュートン以降の時代に、空間の概念は
絶対空間・絶対時間しかありませんでした。
背景として神様の概念に端を発する世界観
があったのです。宇宙も自然も神の作り
たもうた産物だと万人が考えていました。

所がマッハの考え方は徹底的に相対的です。
マッハの考え方によると空間は全て相対的で絶対空間という概念は設けません。論理的に考えて絶対空間の意義を感じない所が凄いのです。時間に関しても同様で絶対空間で流れる時間に意義を感じていません。後に議論される双子のパラドックスを知ると、複数の時間系を考える時にもっと我々には設定が必要な筈なのですが、そこまで議論を進めるべきなのです。

アインシュタインはそこを考え抜き相対論
に至ります。新しい考えを哲学的思考
方法で打ち出し、明確なメッセージ
を伝えたマッハの業績は素晴らしかったです。
晩年のマッハをアインシュタイン
表敬訪問しています。

 

マッハの進めた認識改革

またマッハは物理学に於ける認識の変革

にも大きく関わりました。ボルツマン

プランクらの実在論に対してマッハは

実証主義を展開し、自然に対する測定を

通じた認識の問題を議論しました。

観測者の感覚を重視した認識に対して

独自の立場を明確にしています。事物を

認識するのは認識者であって「個人個人の

感覚を通じて認識する過程」を含めて

マッハは議論を進めていったのです。そして、

音速をこえる時の画像は万人に説得力を持ちます。
Photography of bow shock waves around a brass bullet, 1888

 ↑ cf;Wikipedia  パブリック・ドメイン ↑

我々は未だに音速を表現する際に「マッハ」

という単位で彼の名前を使い続けています。

それは後世・我々が出来た小さな評価だった

とも言えるのでは無いいか、と私は思っています

論敵も多かったマッハでしたが、しっかりと

今に残る確かな足跡を残しています。

〆最後に〆

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/08/13_初稿投稿
2022/05/18_改定投稿

(旧)舞台別のご紹介
纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
オーストリア関連のご紹介
ウィーン大関連のご紹介
力学関係
熱統計関連のご紹介

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

【2021年9月時点での対応英訳】

Mach life

Mr. Ishihara, who I introduced earlier, was one of the people immediately after Einstein, and Ernst Mach, who I will introduce this time, was one of the people who influenced Einstein. Its existence and way of thinking had a great influence on the Physical Society of Japan and ideas at that time, and influenced later epistemology. Boltzmann and Planck develop their own logic by referring to the foundation of Mach’s argument. It seems that Mach eventually participated in national politics. I think Mach’s achievements in promoting such discussions are very large. Mach is also said to be the first historian of science. He redefined, confirmed, and discussed science-related methodologies that have long been said to be correct.

Mach achievements and uniqueness

Ernst Mach is an Austrian-born physicist. His research interests cover mathematics, physics, sensory analysis, and psychological analysis.

The achievements left by Mach are just a paradigm
You can call it a shift. It’s time and space
It was a challenge to the concept. in the first place,
In the post-Newton era, the concept of space was
There was only absolute space and time.
A world view that originates from the concept of God as a background
There was. The universe and nature are made by God
Everyone thought it was a product of humanity.

However, Mach’s way of thinking is completely relative.
According to Mach’s idea, all spaces are relative and do not have the concept of absolute space. It is amazing that I think logically and do not feel the significance of absolute space. The same is true for time, and I don’t feel the significance of time flowing in absolute space. Knowing the twin paradox that will be discussed later, we should have more settings when considering multiple systems, but we should proceed to that point.

Einstein thinks about it and comes to the theory of relativity. Mach’s achievements in delivering his new ideas in a philosophical way and delivering a clear message were wonderful. Einstein pays a courtesy visit to Mach in his later years.

Mach’s cognitive reform

Mach was also heavily involved in the transformation of cognition in physics. Mach developed positivism against the realism of Boltzmann, Planck and others, and discussed the problem of cognition through measurement of nature.

He takes a unique position on the observer’s sense-oriented perception. It is the recognizer who recognizes things, and Mach proceeded with the discussion, including the process of recognizing things through individual senses. Images when the speed of sound is exceeded are persuasive to everyone.

We still continue to use his name in the unit “Mach” when expressing the speed of sound. I think it can be said that it is a small evaluation that we have made in posterity.

He was Mach, who had a lot of controversy, but he has a solid footstep that remains.

に投稿 コメントを残す

E・W・モーリー
【1838年1月29日-5/17改訂】

シカゴの画像

こんにちはコウジです。「モーリー」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と4/5時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3452‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2876
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6328+7300【13628@4/5】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1838年1月29日 ~ 1923年2月24日】


【スポンサーリンク】

稀代の実験家E・W・モーレー

その名を書き下すとエドワード・ウィリアムズ・モーリー

(モーレーとも書く時もあります)晩年のオッペンハイマー

とかエジソンと同郷ですね。個人的印象としては

米国4台研究拠点の一つです。他は

カリフォルニア・シカゴ・コネチカット州だと思えます。

其々で最先端の議論が繰り広げられてきたはずです。

何より、モーリーはマイケルソン・モーレの実験で有名です。

別項でも記述しましたが、この実験ではエーテルの

存在に起因する「光速度の変化」は見てとれませんでした。

その事が結果として「光速度普遍の原理」に

繋がっていったのが歴史的な事実です。

モーレの歴史的な位置付け

更に話を掘り下げていくと、

この話は等速運動をする

慣性系においてローレンツやアインシュタインが

考えていたような系の間の関係式へとつながり、

その関係式が更に考える為の材料となって

相対論の理論体系が構築出来ています。

理論の起点と確認点はあくまで実験で

確かめられた自然界の事実なのです。

こういった理論と実験の両輪を考えていく

ダイナミックさが物理学の醍醐味です。

その議論の中で

モーレの仕事は大きな役割を果たしました。

 

その他。モーレーは、熱拡散に関する研究を行い、

磁場中の光速に関する研究を行い、実績を残しています。

 

〆 

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
頂いたメールは全て見ています。
必要箇所は適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2021/01/25_初稿投稿
2022/05/05_改定投稿

纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
アメリカ関係へ
電磁気関係

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

【2021年9月時点での対応英訳】

If you write down the name, Edward Williams Morley,

A physicist born in New Jersey, USA. Speaking of New Jersey, it’s the same hometown as Oppenheimer and Edison in his later years. As a personal impression

It is one of the four research bases in the United States. The other seems to be California, Chicago, Connecticut. There must have been discussions in each case. Above all, Morley is famous for Michaelson Moret’s experiments.

As described in another section, the “change in speed of light” due to the presence of ether could not be seen in this experiment. It is a historical fact that this led to the “universal principle of the speed of light” as a result.

Further digging into the story, we can derive the relational expression between the systems that Lorenz and Einstein thought in the inertial system that moves at a constant velocity, which becomes the material for further consideration and the theory of relativity. The system has been built.

The starting point and the confirmation point of the theory are the facts of the natural world confirmed by experiments. The dynamic of thinking about these two wheels of theory and experiment is the real thrill of physics.

others. Morley has a track record of conducting research on thermal diffusion and research on the speed of light in a magnetic field.

に投稿 コメントを残す

ウィリアム・トムソン
【1824年6月26日-5/15改訂】

こんにちはコウジです。「W・トムソン」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と4/5時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3452‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2876
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6328+7300【13628@4/5】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1824年6月26日 ~ 1907年12月17日】


【スポンサーリンク】

多くの業績を残したトムソン

始めに、本稿のURLは”Baron Kelvin”を使っています。

名前としてはトムソンなんですが、ケルビン男爵

としての別名も持っていたからです。

その名を詳細に記すと、

初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン

William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE

 

トムソンは熱力学や電磁力学で

沢山の研究成果を残してます。

彼は僅か10歳でグラスゴー大学へ入学しました。

トムソンの父がグラスゴー大で教鞭を

とっていた事実はある様ですが、

それを別にしても早熟ぶりに驚かされます。

その後、トムソンはケンブリッジで勉学を進め、

22歳でグラスゴー大学の教授になり、

イギリスの大学で初めての物理学研究室

を立ち上げました。

 

トムソンの広めた諸概念

1845年の論文では、ファラデーの理論を

数学的に整え回路近辺の空間を考えてます。

この発表は後のマクスウェルに示唆を
与えたと言われています。後の電磁場
の考え方に原型を与えたのでしょう。

また、トムソンは数学的表現である「ベクトル」
を「使い始めた」人であると言われています。

ハミルトンが別途ベクトルの概念を使っている

ようですが、ハミルトンは四次元空間の定式化

の中で使っています。これに対してトムソン卿は

ベクトルの概念を使って実際に起きている現象を

数学上で(ベクトル表現で)

より現実的に対応させているのです。

また、

物理学者としては別にJ・J ・トムソンが居ます。

更に、電磁気学から量子力学への移行する中での業績としては磁性に関するものがあります。ファラデーが見つけた常磁性という概念を説明する為にトムソン卿は感受性・透磁率といった概念を固有の物質で考えていきました。後に「スピン」等の概念を考える土台をトムソンが作っていったと言えないでしょうか。

多くを残したトムソン

そして、トムソン卿は沢山の物理学者と議論しました。
例えば、無名だったピエール・キューリを見出し、
交流し真価を認めました。また、別項でご紹介して
いますが、日本初期の物理学者である田中舘愛橘を育て、
彼がトムソンを敬愛していた事でも広く知られています。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/13_初稿投稿
2022/05/15_改定投稿

纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
イギリス関係
ケンブリッジ関連
電磁気学関係
量子力学関係

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

Thomsom did many  advanced work

First, the URL for this article uses “Baron Kelvin”. He’s named Thomson, but he also had an alias as Baron Kelvin.

To elaborate on its name, William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE

Thomson has left a lot of research results in thermodynamics and electrodynamics. He entered the University of Glasgow at the age of only 10.

It seems that Thomson’s father was teaching at the University of Glasgow, but apart from that, he is amazed at his precociousness. After that, Thomson studied in Cambridge, became a professor at the University of Glasgow at the age of 22, and set up the first physics laboratory at a university in the United Kingdom.

In his 1845 treatise, he mathematically arranged Faraday’s theory and considered the space near the circuit.

This announcement suggests to Maxwell later
It is said to have given. Later electromagnetic field
Probably gave a prototype to the idea of.

Also, Thomson is a mathematical expression “vector”.
Is said to be the person who “started using”.

Works of Thomson 

It seems that Hamilton uses the concept of vector separately, but Hamilton uses it in the formulation of four-dimensional space. Sir Thomson, on the other hand, uses the concept of vectors to mathematically (in vector representation) the phenomena that are actually occurring.

In addition, there is another physicist, JJ Thomson.

In addition, one of the achievements in the transition from electromagnetism to quantum mechanics is related to magnetism. To explain the concept of paramagnetism that Faraday found, Sir Thomson considered the concepts of sensitivity and permeability with unique substances. It can be said that Thomson laid the foundation for thinking about concepts such as “spin” later.

And Sir Thomson discussed with many physicists.
For example, he found the unknown Pierre Cucumber,
He interacted and acknowledged its true value. Also, I will introduce it in another section.
However, it is also widely known that Tanakadate Aikitsu, a physicist in the early days of Japan, was brought up and Tanakadate admired Thomson.

に投稿 コメントを残す

G・R・キルヒホフ
【1824年3月12日-5/14改訂】

deutuland

こんにちはコウジです。「キルヒホフ」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と4/5時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3452‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2876
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6328+7300【13628@4/5】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1824年3月12日 ~ 1887年10月17日】


【スポンサーリンク】

 

その名は正しくはグスタフ・ロベルト・キルヒホフでGustav Robert Kirchhoff,とつづります。1824年に現在のロシア領カリーニングラードであるケーニヒスベルクで生まれました。生まれ故郷にあるケーニヒスベルク大学で学び、26歳でブレスラウ大学員外教授に就任しています。
キルヒホッフについて伝えられている内容は主に業績となりますので、本稿は時代背景をもとにして研究内容を中心とした記述を纏めたいと思います。私自身がドイツ系の人になったつもりで出来るだけ正確に記載したいと考えています。ロシアをドイツ語圏と見てるのは強引だと思いますが、そこの考察は後程。;)

実際にキルヒホッフの業績の中で有名なものは①電気回路におけるキルヒホッフの法則、②放射エネルギーについてのキルヒホッフの法則、③反応熱についてのキルヒホッフの法則です。それぞれにとても大事な考察だったといえるでしょう。

まず第一に、回路におけるキルヒホッフの法則が最重要です。別言すれば一番知られています。当然と言えば当然の事実を明言化しているだけだ、とも言えるのですが「回路網中の任意の接続点に流入する電流の和は 0(零)である」というのが第一の法則です。正確にはキルヒホッフの第一法則というべきでしょうが、本稿では単純に「第一の法則」または「第一法則」と省略します。この時代には自由電子運動論を裏付ける理論はありません。電子を直接観測にかけるどころか原子や電子のサイズも想像がつかないで、あくまで電子は一つのモデルでした。こうして考えた時に、正直でドイツで学んだ人は出来る事実で話を組み立てます。つまり出来るだけ正確に観測を続けて観測結果を蓄積して、観測事実の相互関係を定量化するのです。当時は電源と抵抗の単純な回路を考えた時に夫々を要素と考えて回路に落とす作業自体にも議論があったでしょう。つまり、我々が当たり前に書いている回路図も国際度量衡といった枠組みが無くて、ヨーロッパの一部の人々が使うだけの不可思議な記号だったのです。知る人ぞ知る知見だったとも言えます。そんな回路上での一点を考えたら入り込む電流と出ていく電流の総和が等しい。(実験事実によると)ゼロとなるという事実が第一法則なのです。この法則は今、電気工学(ひいては現代産業)で幅広く応用されています。

そして次に、キルヒホッフの電圧則はキルヒホッフの第2法則とも呼ばれます。回路を考えたときに回路網中の任意の閉ループを考えてみて構成する部分的な電圧を計測したとき、任意の分け方で考えた起電力の総和と電圧降下の総和は等しいのです。抵抗、電球、電線電池からなる回路で何が電気を起こしていて、何が消費するか考えてみてください。そして再強調しますがこの時代には電子の存在は今より不確かです。今の学生が教科書を読んだときに漫画的な丸い物体(模式的な電子の姿)を見て想像するような作業ができないのです。力学と比べて電磁気学や熱学はまとめ難い側面があります。実際には電圧を生じる電池のような物質があり、電気を流し抵抗を持つ同線等の要素を細かく考えていくことで、回路間の色々な場所での電圧降下をかんがえていき、キルヒホッフは第二法則を確立することが出来たのです。

そして1859年にキルヒホッフは黒体放射におけるキルヒホフの放射法則を発見しました。電子の運動でオームの法則に従い議論されるのに対して、熱放射は空間での現象に対しての考察です。また、別の空間的な考察としてキルヒホッフには分光学での考察も行っています。フラウンホーファーが発見したいわゆるフラウンホーファー線(太陽の光線を分解した時に現れる特徴的な吸収)がナトリウムのスペクトルと同じ周波数帯に見受けられると示し、(今で言う分光学的方法で)太陽の内部にあると思われる元素を同定できることを示しました。他に音響学、弾性論に関しても先進的な研究を行っています。

〆最後に〆

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2022/04/04_初回投稿
2022/05/02_改定投稿

(旧)舞台別のご紹介
纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
力学関係のご紹介

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】


 

 

(対応英訳)

His name is correctly Gustav Robert Kirchhoff, spelled Gustav Robert Kirchhoff. He was born in 1824 in what is now Russian Kaliningrad, Königsberg. He studied at the University of Königsberg in his hometown and became a non-professor at the University of Breslau at the age of 26.
Since the content reported about Kirchhoff is mainly his achievements, this article will summarize his research content based on his historical background. I would like to describe it as accurately as possible as if I were a German person. 😉

In fact, the most famous achievements of Kirchhoff are (1) Kirchhoff’s law in electric circuits, (2) Kirchhoff’s law on radiant energy, and (3) Kirchhoff’s law on heat of reaction. It can be said that each was a very important consideration.

First of all, Kirchhoff’s law in the circuit is of utmost importance. In other words, it is the best known. Of course, it can be said that it only clarifies the facts of course, but the first rule is that the sum of the currents flowing into any connection point in the network is 0 (zero). am. To be precise, it should be called Kirchhoff’s first law, but in this article, it is simply abbreviated as “first law” or “first law”. There is no theory to support the theory of free electron motion in this era. Far from directly observing the electrons, I couldn’t imagine the size of the atoms and electrons, and the electrons were just one model. When thinking this way, honest and learned in Germany build up the story with the facts that can be done. In other words, we continue to observe as accurately as possible, accumulate observation results, and quantify the interrelationship of observation facts. At that time, when considering a simple circuit of power supply and resistance, there would have been discussion about the work itself of considering each as an element and dropping it into the circuit. In other words, the circuit diagram we take for granted was a mysterious symbol that was only used by some people in Europe, without a framework such as the General Conference on Weights and Measures. It can be said that it was a knowledge known to those in the know. Considering one point on such a circuit, the sum of the incoming current and the outgoing current is equal. The first law is the fact that it is zero according to the experimental facts. This law is now widely applied in electrical engineering (and thus modern industry).

And then, Kirchhoff’s voltage law is also called Kirchhoff’s second law. When considering a circuit, when considering an arbitrary closed loop in the circuit network and measuring the partial voltage, the sum of the electromotive force and the sum of the voltage drops considered by any division are equal. Think about what is producing and consuming electricity in a circuit consisting of resistors, light bulbs, and electric wire batteries. And again, the existence of electrons in this era is more uncertain than it is now. When a current student reads a textbook, he cannot do the work that he imagines by seeing a cartoon-like round object (a schematic electronic figure). Compared to mechanics, electromagnetism and thermal physics are difficult to summarize. In reality, there is a substance such as a battery that generates voltage, and by carefully considering factors such as the same line that conducts electricity and has resistance, Kirchhoff considers the voltage drop in various places between circuits. I was able to establish the second law.

And in 1859 Kirchhoff discovered Kirchhoff’s law of radiation in blackbody radiation. Whereas the motion of electrons is discussed according to Ohm’s law, thermal radiation is a consideration of phenomena in space. In addition, as another spatial consideration, Kirchhoff is also considering spectroscopy. The so-called Fraunhofer line discovered by Fraunhofer (the characteristic absorption that appears when the sun’s rays are decomposed) is shown to be found in the same frequency band as the spectrum of sodium, inside the sun (in what is now called a spectroscopic method). It was shown that the element that seems to be in can be identified. He also conducts advanced research on acoustics and elasticity.

に投稿 コメントを残す

R・J・E・クラウジウス
【1822年1月2日-5/13改訂】

deutuland

こんにちはコウジです。「クラウジウス」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と4/5時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3452‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2876
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6328+7300【13628@4/5】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1822年1月2日 ~1888年8月24日】


【スポンサーリンク】

クラウジウスはドイツ系の人で、名前をつづると
Rudolf Julius Emmanuel Clausius, です。

クラウジウスはプロイセン王国領生まれました。今で言う、ポーランド地域の生まれです。お父様は牧師として務める傍ら、小学校の校長を務めていました。そこでクラウジウスは学び始めます。ベルリン大学の時代に熱力学に関心を抱き始め、初の論文をまとめます。それは、当時の物理学の中心となっていた熱(温度)、圧力、 対象となる物質の体積(占めている空間)、およびその質量に関する関係の考察でした。ニュートン力学が広く知られ、その質点モデルをもとに人々が分子であるとか、原子であるとかいう概念を想像していくうえで、知見をまとめていっている段階での考察であり、手探りの中で気体分子の(またはその幾つかの合成物の)性質を突き詰めていった人の一人がクラウジウスなのです。

今で言う化学と熱力学の境界線はどう考えられていたのでしょうか。概念形成の歴史を考えていく中で一つの転換点となっている気もします。後に放射線を使って原子を少しでも可視化したりする前の、関連概念の形成時代があったのです。

斯様な考え方で考えていくと、クラウジウスの諸業績の中で第一に思いつくものは熱力学に対する業績で、特に、エントロピーの概念が最も大きいのではないでしょうか。気体分子を単純化して特定環境下(温度下)での個々の質点の位置と運動量で考えていった時にエントロピーはボルツマンが後程、再定義しています。
熱力学第一法則・第二法則の定式化も定式化しました。クラウジウスによるとエントロピーの定義は次のように示されます。

 dS = {dQ }/ {T}

1824年、カルノーは、「熱量は保存され、熱が高温から低温へと移動するときに仕事が発生する」という理論を組み立てました。この理論は1840年代後半、W・トムソンによって世に広まりました。一方、同じ頃に、熱そのものが仕事に変化し、また仕事も熱に変化するというジュールの測定結果が、おなじくW・トムソンなどによって世に認められるようになりました。しかし、この2つの理論は互いに矛盾するように思われました。そのため、W・トムソンは初め、ジュールの測定結果のうち、「仕事が熱に変化する」という箇所については否定的な見解を示していました。

これに対しクラウジウスはジュールの理論を受け入れ、熱と仕事は互いに変換可能だと考えました。しかし、カルノーの理論を完全に捨て去ることもしませんでした。クラウジウス独自の考察から、熱に関する2つの原理が生み出されました。 

またクラウジウスの不等式の概念は内部エネルギーや散逸を考えていく上でおおきな足掛かりとなりました。

〆最後に〆

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2022/04/01_初回投稿
2022/05/13‗改訂投稿

(旧)舞台別のご紹介
纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
ドイツ関連のご紹介へ
時代別(順)のご紹介
力学関係のご紹介
電磁気学のご紹介へ
熱統計力学のご紹介へ

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】


(対応英訳)

Clausius is of German descent, spelling his name
Rudolf Julius Emmanuel Clausius,.

Clausius was born in the Kingdom of Prussia. He was born in Poland in these days. While his father was a minister, he was the principal of an elementary school. There Clausius begins to learn. He began to take an interest in thermodynamics during his time at the University of Berlin and summarized his first treatise. It was a consideration of the relationship between heat (temperature), pressure, volume of the target substance (occupied space), and its mass, which were the core of physics at that time. Newtonian mechanics is widely known, and it is a consideration at the stage of summarizing the findings in imagining the concept that people are Molecules or Atoms based on the mass model, and it is in the process of groping. Claudius is one of the people who scrutinized the properties of gas molecules (or some of their compounds). What was the boundary between chemistry and thermodynamics as it is now? I feel that it is a turning point in thinking about the history of concept formation. There was an era of the formation of related concepts before later using radiation to visualize atoms as much as possible.

Considering this way of thinking, the first thing that comes to mind among Clausius’s achievements is his Achievements in Thermodynamics, and in particular, the concept of Entropy is probably the largest. When he simplified the gas molecule and thought about the position and momentum of each mass point in a specific environment (under temperature).

Boltzmann later redefined
Formulation of the first law and the second law of thermodynamics.and,

the definition of entropy is

dS = {dQ} / {T}

In 1824, Carnot constructed the theory that heat is conserved and work occurs when heat moves from hot to cold. This theory was popularized by William Thomson in the late 1840s. On the other hand, in the same period, Joule’s measurement result that heat itself turns into work and work also turns into heat came to be recognized by the same Thomson and others. However, the two theories seemed to contradict each other. As a result, Thomson initially gave a negative view of Joule’s measurements of “work turns into heat.”

Clausius, on the other hand, accepted Jules’ theory and thought that heat and work could be converted into each other. But he did not completely abandon Carnot’s theory. This gives rise to two principles of heat.

 

に投稿 コメントを残す

A・H・ルイ・フィゾー
【1819年9月23日生まれ-5/11改訂】

パリの夕暮れ

こんにちはコウジです。「フィゾー」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と4/5時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3452‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2876
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6328+7300【13628@4/5】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1819年9月23日生まれ 〜 1896年9月18日没】

 
【スポンサーリンク】

フランス生まれのフィゾー

その名は正確には、

アルマン・イッポリート・ルイ・フィゾー

(Armand Hippolyte Louis Fizeau,
1819年9月23日 – 1896年9月18日)

フィゾーは地上での光速度を始めて

測定した人で、フランス人です。

 

フィゾーの実験として有名な物は1849年に

回転歯車を使った公開実験です。

明快に原理を示して光速度を数値化しました。

フィゾーの示した数値が重要なのは、

後に明らかになっていきますが

光が電気と関係してるからです。

マクスウェル_が電磁気学をまとめる中で、

自分の理論での計算結果とフィゾーの示した値が

とても近い事実に気付きます。それはきっと、

現代風に言えば、電磁波の伝播速度が

光速度に近い、という事実なのでしょう。

媒質が真空であれば一致する筈です。

 

 フィゾーの業績

また、フィゾーはドップラー効果も予見してます。こ

の「ドップラー効果」という言葉はスマホ入力で

一発変換されています。

そんな当たり前の言葉なのですが、

もともとはフィゾー達が

確かにしていった概念なのです。

 

今の我々は簡単に考える作業も、時代が変われば

大変な困難に直面したはずです。特に

新規の概念を手探りで考えていく中での実験は

大変だったであろうと思えます。

フィゾーが実験を繰り返す困難は測り知れません。

当時は未だ

「指向性の強い(光が拡散せず、広がらない)」

レーザー光線も無かったでしょうし、

当然デジタルのカウンターなども無いので、

計測系のイメージだけでも大変だったでしょう。

私が何より興味深いのはフィゾーの

頭の中にある理論的な考察が

閃きによって実験に昇華するプロセスです。

フィゾーは理論的な原理を優れた実験で

わかり易く示したのです。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
最近は返信出来ていませんが
全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致します。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/01_初版投稿
2022/05/11_改定投稿

(旧)舞台別のご紹介
纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
フランス関連のご紹介
力学関係のご紹介
電磁気学関係
量子力学関係

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

Fizeau born in France

The name is exactly
Armand Ippolito Louis Fizeau
(September 23, 1819-September 18, 1896)

Fizeau is the first person to measure the speed of light on the ground and is a Frenchman.

A famous Fizeau experiment was a public experiment using rotary gears in 1849. The principle was clearly shown and the speed of light was quantified.

Fizeau’s numbers are important because, as we will see later, light is related to electricity.

Job of Fizeau

Later, as Maxwell summarizes electromagnetism, he finds that the results of his theory and the values ​​Fizeau show are very close. Perhaps it is the fact that the propagation speed of electromagnetic waves is close to the speed of light in modern terms. If the medium is a vacuum, it should match.

Fizeau also foresaw the Doppler effect. The word “Doppler effect” is converted in one shot by smartphone input. It’s such a natural word, but it was originally a concept that Fizeau and his colleagues had made sure.

Even the tasks that we think easily now must have faced great difficulties in different times. In particular, I think it would have been difficult to experiment while groping for new concepts.

The difficulty for Fizeau to repeat his experiment is immeasurable. At that time, there would not have been a laser beam with “strong directivity (light does not diffuse and does not spread)”, and of course there was no digital counter, so it would have been difficult just to imagine the measurement system.

What is most interesting to me is the process by which the theoretical considerations in Fizeau’s mind are sublimated into experiments by inspiration.

I think Fizeau demonstrated his theoretical principles in a good experiment.

に投稿 コメントを残す

レオン・フーコー
【1819年9月18日生まれ-5/10改訂】

パリの夕暮れ

こんにちはコウジです。「フーコー」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と4/5時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3452‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2876
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6328+7300【13628@4/5】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1819年9月18日生まれ ~ 1868年2月11日没】

 
【スポンサーリンク】

フーコーの有名な実験

「フーコーの振り子」という装置

を発明した事でフーコーは有名です。

振り子の運動に地球の運動を反映させるのです。

色々な国の科学博物館で見る事が出来ます。

中国でも韓国でもアメリカでも見る事が出来ます。

日本でも国立科学博物館を初めとして、

全国の数十か所で見る事が出来ます。

振り子の運動は地球の時点とは独自に

繰り返される慣性に縛られた運動であるので

地球の運動が進むにつれて、東西南北とずれるのです。

そのずれは24時間後に元の位置に戻ります。

地球の自転方向と逆に少しずつずれていって

24時間後に元の位置に戻るのです。

対象とする振り子を北極か南極に設置すると

一番分かり易いです。赤道上では分かりにくいです。

そういった誰にでもわかる優れた実験を駆使して

地球の自転を実験的に明らかにしました。

1851年のパンテオンでの公開実験で

最終的に仮説を実証してみせます。

 

実験構築を行ったフーコー

フランス生まれのフーコーはパリで

印刷業を営んでいた父のもとに生まれます。

幼い頃から科学工作が好きでした。

子供時代は病弱で医学を志していましたが血液恐怖症

だったりした為、お医者様になるのは断念したそうです。

10代になり、写真技術の改良をしていたフーコーは

物理学者アルマン・フィゾーと知り合いになり交流を深めます。

フィゾーとは良い関係を持ち続け

初めの時期は協同研究をしていました。

 

1847年頃からフィゾーとフーコーはそれぞれ独自に

研究を進めます。歯車を使いフィゾーが光速度を求め、

回転している鏡を使いフーコーは

媒質中の光速度の差異を求めました。

私が何より興味深いのはフーコーやフィゾーの

頭の中にある理論的な考察が

閃きによって実験に昇華するプロセスです。

大抵の考えは実験で確認するまで

分からないことが沢山出てきます。

特定の理論はあくまでモデルの

一つなので、より厳密に考えていったら、

その時に知られてるモデルが適用できない場合

もありうるのです。必要に応じて

適用モデルの修正が必要です。

等時性の理論をフーコーは優れた実験で

わかり易く示したと言えます。

それはとても秀逸な実験でした。

 

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/08/29_初版投稿
2022/05/10_改定投稿

(旧)舞台別のご紹介
纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
フランス関連のご紹介
力学関係のご紹介

[このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています]

【2021年8月時点での対応英訳】

Foucault’s famous experiment

The name Foucault is famous for its device called “Foucault Pendulum”. The movement of the pendulum reflects the movement of the earth. You can see it at science museums in various countries. You can see it in China, South Korea, and the United States.

You can see it in dozens of places nationwide, including the National Museum of Nature and Science in Japan. Because the movement of the pendulum is a movement bound by inertia that repeats independently from the time of the earth.

As the movement of the earth progresses, it shifts from north, south, east, and west. The deviation will return to its original position after 24 hours. Gradually deviate from the direction of rotation of the earth

It will return to its original position after 24 hours. It is easiest to understand if the target pendulum is installed in the North Pole or the South Pole. It is difficult to understand on the equator. We have experimentally clarified the rotation of the earth by making full use of such excellent experiments that anyone can understand. We will finally prove the hypothesis in a public experiment at Pantheon in 1851.

experimental construction of Foucault

Foucault was born to his father, who was in the printing business in Paris, France. He has been fond of scientific crafts since he was a child. He was sick and aspired to medicine when he was a kid, but he gave up on becoming a doctor because he had blood phobia.

As a teenager, Foucault, who was improving his photographic skills, became acquainted with physicist Hippolyte Fizeau and deepened his interaction. He continued to have a good relationship with Fizeau and was doing collaborative research in the early days.

From around 1847, Fizeau and Foucault will carry out their own research. Using gears, Fizeau calculated the speed of light, and using a rotating mirror, Foucault calculated the difference in the speed of light in the medium.

What is most interesting to me is the process by which the theoretical considerations in Foucault and Fizeau’s mind are sublimated into experiments by inspiration.

There are many things that most ideas cannot be understood until they are confirmed by experiments. A specific theory is just one of the models, so if you think more strictly,

It is possible that the model known at that time is not applicable. The application model needs to be modified if necessary. Foucault can be said to have demonstrated his theoretical principles in an easy-to-understand manner through excellent experiments. It was a very good experiment.

に投稿 コメントを残す

ジョージ・ストークス
【1819年8月13日5/9改訂】

こんにちはコウジです。「ストークス」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と4/5時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3452‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2876
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒3212‗④KazenoKouji‗3422⇒4088
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6328+7300【13628@4/5】

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1819年8月13日 ~ 1903年2月1日】


【スポンサーリンク】

ストークスの名を正確に記すと、

Sir George Gabriel Stokes, 1st Baronet。

SIRの称号を得ていてケンブリッジでは

ルーカス職を務めています。 特に

流体力学や光学、数学でストークスは

顕著な仕事を残しました。

具体的なストークスの業績

業績として、ストークスと言われて思い出すのは流体力学だという人は多いのではないでしょうか。特にNS(ナルビエ・ストークス)の式(表式)と呼ばれる表現式が有名です。実際に表式に慣れてくれば、その式がニュートンの第二法則と対応していることが実感できてきます。ただ、「回転」、「発散」といったベクトル力学特有の表現が実感し辛い部分ではあります。ただ、慎重に議論をなぞっていくと流体の粘性だとか、それが非圧縮性の流れであるとか言った「言い回し」が段々と理解出来てきて、全体像がつかめた気分になってくるから不思議なものです。実際には、流体に対して多数のセンサーを配して実験がされることは余り無くて、厳密な適用はされにくいのですが、定性的な理解には大いに役だちますし数値解析でシミュレーションしていくことも出来る価値ある表式なのです。

ストークスの人脈

最後に、ストークスに関連した繋がりをご紹介します。現在、有名となっている「ストークスの定理」はもともとウィリアム・トムソン(ケルビン卿)がストークスに伝えたと言われています。そして、ストークスはその定理の有用性を認め、ケンブリッジ大学での数学の優等試験(トライポス)での諮問の中でその式を使いました。絶対零度の単位で名を残すケルビン卿とストークスがつながるのです。そして、その試験を受けていたのは後の電磁気学の権威者となるマクスウェルだったのです。もちろん、マクスウェルは優秀な成績でこの試験に合格したと言われています。絶対零度の人・ストークス・電磁気学の人・・・とつながるのです。物理の中では全然別の分野だったと思われた3人が関連していたのですが、こんな話からも当時のイギリスでは議論が盛んだったことも伺われますし、物理の世界は繋がっているのだなぁ、と実感できる筈です。

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2021/10/03_初稿投稿
2022/05/09_原稿改定

纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
イギリス関係
ケンブリッジ関連
電磁気学関係

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

Accurately write the name of Stokes

He holds the title of Sir George Gabriel Stokes, 1st Baronet, SIR and holds the Lucas position in Cambridge. Stokes left a remarkable job, especially in fluid mechanics, optics, and mathematics. Specific Stokes achievements

 

As a result, many people think that what is called Stokes is fluid mechanics. In particular, the expression formula called NS (Narvier Stokes) formula (table formula) is famous. As you become more accustomed to the formula, you will realize that it corresponds to Newton’s second law. However, the expressions peculiar to vector mechanics such as “rotation” and “divergence” are hard to realize. However, if you trace the discussion carefully, you will gradually understand the “phrase” that the viscosity of the fluid and that it is an incompressible flow, and you will feel that you have grasped the whole picture. It’s strange. In reality, it is rare to experiment with a large number of sensors placed on a fluid, and it is difficult to apply it exactly, but it is very useful for qualitative understanding and simulated by numerical analysis. It is a valuable expression that can be taken.

Stokes connections

Finally, I would like to introduce the connections related to Stokes. It is said that William Thomson (Sir Kelvin) originally introduced the now-famous “Stokes theorem” to Stokes. Stokes then acknowledged the usefulness of the theorem and used it in his consultation at the University of Cambridge’s Mathematics Honors Exam (Tripos). Sir Kelvin and Stokes, who leave their names in units of absolute zero, are connected. And it was Maxwell, who later became an authority on electromagnetism, who was taking the test. Of course, Maxwell is said to have passed this exam with excellent grades. It connects with people at absolute zero, Stokes, people with electromagnetics, and so on. Three people who seemed to be in completely different fields in physics were related, but from such a story, it can be said that there was a lot of discussion in England at that time, and the world of physics was connected. You should be able to realize that you are there.