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朝永 振一郎
【1906年3月31日生まれ‐4/15改訂】

こんにちはコウジです。「朝永振一郎」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と2/20時点で‗
①SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3395‗②ev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2736
‗③BLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒2593‗④KazenoKouji‗3422⇒3477
なので合計‗6102+5965=【12057@2/9】⇒6131+6170=【12301@2/20】

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それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1906年3月31日生まれ ~ 1979年7月8日没】

【↑_Credit:Wikipedia】


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朝永振一郎の生い立ち

朝永振一郎は私が使っていた教科書

【Diracの「量子力学」】の訳者でした。

そのご先祖様は大村藩

(現在の長崎県内にありました)の流れをくみます。

そして、そんな朝永振一郎の父は

京都大学哲学科教授でした。

そんな生い立ちをもった、

朝永振一郎は現在の筑波大学の前身

となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、

最終的には学長を務めます。

東京に生まれ京都で育ち、

世界で議論しました。

 

朝永振一郎の業績

朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大

であると思えるのは繰り込み理論です。

ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる

不可思議な模式図でも表現される

素粒子の反応がありますが、

そこでの過程における

数学的矛盾を見事に説明しています。

ファインマンの経路積分にも数学的な

美点を感じますが朝永振一郎の理論の方が

直感に訴える説得力を持っています。

好みといえば好みの問題ですが、

発散・∞という大問題に対して

ラムシフトを正しく吟味して相対論的に

計算が出来た時に一瞬にして話が繋がり

感覚的に「正しかったんだ」と思えるのです。

朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、

素粒子物理学が大きく進歩したのです。

朝永振一郎はまた晩年、大学入学以前の

若者に対し科学的な啓蒙を進めていました

最後に、朝永振一郎は湯川秀樹

京都大学で同期でした。それぞれの形で

当時の物理学で完成形を作り上げたのです。

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The background of Shinichiro Tomonaga

Shinichiro Tomonaga was the translator of the textbook I was using [Dirac’s “Quantum Mechanics”]. Its ancestors follow the flow of the Omura domain (currently in Nagasaki prefecture). And Shinichiro Tomonaga’s father was a professor of philosophy at Kyoto University. With such a background, Shinichiro Tomonaga teaches at Tokyo University of Education, the predecessor of the current University of Tsukuba, and eventually becomes the president. He was born in Tokyo, raised in Kyoto, and discussed around the world.

Achievements of Shinichiro Tomonaga

The greatest research achievement of Shinichiro Tomonaga is the renormalization theory. There is a reaction of elementary particles that is also expressed in a mysterious schematic diagram called the Feynman diagram, but it explains the mathematical contradiction in the process. Feynman’s path integral also has a mathematical beauty, but Shinichiro Tomonaga’s theory is more intuitive and convincing.

Speaking of taste, it is a matter of taste, but when the Lamb shift is correctly examined for the big problem of divergence and ∞ and the calculation can be done relativistically, the story is connected in an instant and it seems that it was “correct” sensuously. is. With the understanding of Shinichiro Tomonaga, quantum electrodynamics was organized and particle physics made great progress. Shinichiro Tomonaga also promoted scientific enlightenment for young people before entering university in his later years.

Finally, Shinichiro Tomonaga was in sync with Hideki Yukawa at Kyoto University. Each form was completed by the physics of the time.

 

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P・V・ミュッセンブルーク
【1692年3月14日-4/15改訂】

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【1692年3月14日-1761年9月19日没】

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ライデン瓶を考案したミュッセンブルーク

その名はピーテル・ファン・ミュッセンブルーク

;Pieter van Musschenbroek。

ライデン瓶の発明で知られているオランダの物理学者です。

ポンプや顕微鏡、望遠鏡を作る職人の子として生まれます。

何より、最初の蓄電器であるライデン瓶

を作ったことで知られています。

ラテン語学校でギリシア語・ラテン語・フランス語・英語、ドイツ語などを学んだ後にライデン大学で医学博士となります。当時の学識の付け方は今と大きく異なっていたようですね。そして、ロンドンで当時の大物である物理学者ニュートンの講義を受けています。

その後、ミュッセンブルークは数学、哲学、医学、占星術の教授を歴任します。占星術は当時の教養の中で合理的な学問体系であると考えられていて、少し前の時代には王家に使えていたノストラダムスが天文学と占星術を修めていたという史実もあります。そして、ミュッセンブルークが1726年に刊行した「Elementa Physica」では広くニュートンの理論をヨーロッパに広めています。

 ミュッセンブルークと帯電現象の理解

その後、

静電気の力を中心にミュッセンブルークは関心を深め、

ガラス瓶の中に充満した水の中で帯電した棒が

反発しあう現象を形にします。非常に効果的な装置で

水の中で実験を行うことで、重力の効果を浮力の

効果を打ち消して微細な反発力をとらえられます。

また、支点を介した二つの棒が重力と直角方向に

開いていくので開いた角度がθの時に重力の分力が

Sinθで考えられるのです。

数学上、θが0の近傍ではSinθが殆ど0なのです。

理論で期待される効果が目視で確認できます。

浮力が重力を打ち消す効果と分力でSinθだけ考えればよい

事情が相まって電気による微細な反発力が目に見える

効果として現れます。開き角度が狭い時点では

殆ど重力の効果がない形で

帯電に起因する力が可視化出来るのです。

 

それまで帯電棒をこすり続けたりしなければ

示せなかった「静電容量に起因する力」が

ミュッセンブルークによって示されました。

後の電磁気学の発展に繋がっていきます。

確かな一歩が残されたと言えるでしょう。

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About Musschenbrook 

Its name is Pieter van Musschenbrook

; Pieter van Musschenbroek.

Musschenbruck is a Dutch physicist known for the invention of the Leyden jar. He is born as a child of a craftsman who makes pumps, microscopes and telescopes. He is best known for making his first capacitor, the Leyden jar.

He will become a Doctor of Medicine at Leiden University after studying Greek, Latin, French, English, German, etc. at a Latin school. It seems that his way of learning at that time was very different from what he is now. And he is taking a lecture in London by the then-big physicist Newton.

After that, Musschenbrook was a professor of mathematics, philosophy, medicine and astrology. Astrology is considered to be a rational academic system in the culture of the time, and there is a historical fact that Nostradamus, who was used for the royal family a while ago, studied astronomy and astrology. And in “Elementa Physica” published by Musschenbrook in 1726, Newton’s theory is widely spread in Europe.

Method of Musschenbrook

After that, Musschenbrook deepened his interest around the force of static electricity, and formed a phenomenon in which charged rods repel each other in the water filled in a glass bottle. By conducting experiments in water with a very effective device, the effect of gravity can be canceled by buoyancy and a minute repulsive force can be captured.

Also, since the two rods that pass through the fulcrum open in the direction perpendicular to gravity, the component force of gravity can be considered in Sinθ when the opening angle is θ.

Mathematically, Sin θ is almost 0 near θ of 0.

You can visually confirm the effect expected in theory.

The effect of buoyancy canceling gravity and the fact that only Sinθ needs to be considered as a component force combine to make a minute repulsive force due to electricity appear as a visible effect. When the opening angle is narrow, the force caused by charging can be visualized with almost no effect of gravity.

Work of Musschenbrook

Musschenbrook showed the “force due to capacitance” that could only be shown by rubbing the charging rod until then. It will lead to the later development of electromagnetism.

It can be said that Musschenbrook has left a solid step.

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J・R・オッペンハイマー
【1904年4月22日生まれ-4/14改定】

BERKELEY, CA -

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【1904年4月22日生まれ~1967年2月18日没】


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 原爆の父オッペンハイマー

オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面

ありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)

では学生からオッピーという愛称で呼ばれていた

側面もありました。オッペンハイマーの人生は

喜怒哀楽に満ちています。

オッペンハイマーの人生を考えるにあたり、

第一の着眼点としては彼もユダヤ系の血を

引いているという点です。ヒットラーが民族としての

ユダヤ人達に焦点を当て迫害し、敵視していた現実は

動かしがたい事実です。強制収容所に連行

されるような世相の中でユダヤ人達は非常な

危機感を感じていたはずです。その危機感の中で

20世紀初頭の歴史は、天才達が育ち・団結して

新しい物を生み出していたのではないでしょうか。

そんな時代に兵器製造の行為は肯定される話

ではないのですが、当時の論客もユダヤ人迫害

から話を初めて、マンハッタン計画に進む流れ

を紹介していき、大衆に納得し易い話を組み立て

られたでしょう。

ユダヤ系の物理学者達

それ以降100年近くがたとうとしていますが、この考えは幾多の人が繰り広げてきたのではないかと思えますが、再度、私も強調します。具体的な物理の世界での登場人物はアインシュタイン 、シュテルンマックス・ボルンD・J・ボーム 、E・パウリ 、ランダウファインマン

そして今回ご紹介するオッペンハイマーです。(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、思い付くたびに補記します。)
そうしたメンバーがもたらした今世紀初頭の物理学の進展は急速でした。その進展は物理学に留まらず、工学、産業、果ては政治体制に繋がっていきました。1917年ロシア革命に始まった社会体制の変化とも同期していた、と言えるのでは無いでしょうか。今世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって大きく様変わりしていたと思えます。そして、昨今コロナで不満が高まり、米中関係が緊張していく世相は、やもすれば危ない世界に近づいてるようにも思えます。各人で理性的な判断・発言をしましょう。今、方向付けが重要です。

 オッペンハイマーの関心

さて実際、オッパンハイマーは最終的に

6つの言葉を操ります。少年時代には

鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し

ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学

します。そこから理論物理学のゲッティンゲン大学

に進みボルンと出会います。オッペンハイマーは

ボルンの指導の下で研究を進め共同で

ボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。

その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学や

UCBで教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴い、

オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の

初代所長に任命されます。そこで原爆を開発したのです。

この仕事は、世界のパワー・バランスを変え、

後の世界を大きく変えました。

晩年のオッペンハイマー

晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが、それ以後の時代では原爆を使わなくても各国が持つだけで攻撃対象とされたりしますし、外交で原爆が脅迫の道具として使われていたりします。

そういったことにつながった発明を

オッペンハイマーは「罪」として捉えていて、

水爆の開発には反対していたりもしました。

オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。

オッペンハイマーの時代はは冷戦時代なので

学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、

最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。

常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)

の監視下にあったのです。1965年、

がんの為にニュージャージーの自宅で

静かに生涯を終えました。合掌。

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(2021年10月時点での対応英訳)

Atomic bomb father Oppenheimer

Oppenheimer was sometimes called the father of the atomic bomb, but at UCB (University of California, Berkeley), he was also nicknamed Oppenheim by students. Oppenheimer’s life is full of emotions. When thinking about Oppenheimer’s life, the first point to look at is that he also has Jewish blood. The reality that Hitler focused on and persecuted the Jews as an ethnic group and was hostile to them is an immovable fact. The Jews must have felt a great sense of crisis in the world of being taken to concentration camps. In that sense of crisis, the history of the early 20th century may have been that geniuses grew up and united to create new things. The act of manufacturing weapons is not affirmed in such an era, but the debaters at that time also started talking about the persecution of Jews and introduced the flow to the Manhattan Project, and assembled a story that is easy for the public to understand. Probably.

Jewish physicists

Almost 100 years have passed since then, and I suspect that many people have developed this idea, but I would like to emphasize it again. The characters in the concrete world of physics are Einstein, Stern, Max Born, DJ Baume, E. Pauli, Landau, Feynman,

And this is Oppenheimer. (I can only think of it here now, but I will add it later whenever I come up with it.) The progress of physics at the beginning of this century brought about by such members was rapid. Its progress went beyond physics to engineering, industry, and even the political system. It can be said that it was in sync with the changes in the social system that began in the Russian Revolution in 1917. It seems that the feeling of obstruction at the beginning of this century was greatly changed by various efforts to overcome it. And it seems that the world, where dissatisfaction with Corona has increased and US-China relations have become tense these days, is approaching a dangerous world. Let’s make rational judgments and remarks by each person. Direction is important now.

Oppenheimer’s interest

Well, in fact, Oppanheimer finally manipulates six words. As a boy, he became interested in mineralogy, mathematics, geology and chemistry, finishing Harvard in three years and studying abroad in Cambridge. From there he goes to the University of Göttingen in theoretical physics and meets Born. Oppenheimer conducts research under the guidance of Born and jointly achieves achievements such as the Born-Oppenheimer approximation. He then returned to the United States to teach at the California Institute of Technology and UCB, but with the outbreak of World War II, Oppenheimer was appointed as the first director of the Los Alamos National Laboratory. So he developed the atomic bomb. This work changed the power balance of the world and changed the world later.

Oppenheimer in his later years

In his later years, Oppenheimer asked himself what the work he had accomplished and even left a word of regret. It was judged that the development and use of the atomic bomb during the war was necessary in the United States as a country, but in the subsequent era, even if each country did not use the atomic bomb, it would be the target of attack, and diplomacy. The atomic bomb is used as a threatening tool. Oppenheimer saw the invention that led to that as a “sin,” and he even opposed the development of the hydrogen bomb.

Oppenheimer also has another sin (?). Since Oppenheimer’s era was the Cold War era, he was pointed out that he had a connection with the Communist Party since he was a student, and eventually continued to be the target of the Red Scare. He was always under the supervision of the FBI (Federal Bureau of Investigation under the Department of Justice). In 1965, he quietly ended his life at his home in New Jersey because of cancer. Gassho.

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アイザック・ニュートン
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物理学を変えたニュートン

物理学でのパラダイムシフトを語るうえで

外せない人物が、このニュートンでしょう。

物理学に於いてそれまでの常識を覆しました。

数学を駆使して物理学を大きく変えています。

今では世界で彼の名を冠した

科学関係の雑誌が刊行されている程です。

多くの人がその名と業績を知っています。

イギリスで生まれたニュートンは

ケンブリッジでアイザック・バロー

に師事し研究をしていきます。

家庭的に問題を抱えていたことに加え

ニュートンは体も小さく体力も無かった為に

紆余曲折の下でアイザック・バロー教授と

出会ったのです。特に大きな転機

となったのは学位を習得する時期に

ペストがヨーロッパ中に大きな被害をもたらし、

ケンブリッジも封鎖された時期があったのです。

その時期にニュートンは地元に戻り

思索の時間を多くとれたのです。その時間が

1665年の万有引力発見に繋がります。

ニュートンの業績 

ニュートンが示したものは大きいのです。

力が「相互作用」であって小さなリンゴと大きな地球が

相互作用するように、全ての物質が相互に作用して、

互いに引き合う事象を見出しました。

ニュートンの著書「プリンキピア」の中で法則として

体系化しました。その数学的定式化として

微分の考え方を使って洗練された形を残し、

その後の学問の発展に大きな基礎を築いています。

ニュートンの足跡 

何年もの後にマッハが「力学の哲学的批判史」の中で

ニュートンの空間概念を批判しますが、

それもニュートンの整理・確立した空間概念、

慣性の法則、などがあって

初めて気づき得る話なのです。

 

その他、ニュートンの業績は光学、微積分学、と

尽きませんが空間・時間・力を明確に定式化した点が

後世の我々にとっても、物理学にとっても

何より大きいと思えます。ニュートンは

人々の物に対する考え方を大きく変えました。

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The Newton

This Newton is a must-have person when talking about the paradigm shift in physics.Newton overturned conventional wisdom in physics. He uses mathematics to make a big difference in physics.

Nowadays, science magazines bearing his name have been published in the world. Many know the name and his achievements. Born in England, Newton will study under Isaac Barrow in Cambridge. In addition to having problems at home, Newton met Professor Isaac Barrow under twists and turns because he was small and weak. A particularly big turning point was when the plague caused great damage throughout Europe during his bachelor’s degree and Cambridge was also blocked. At that time Newton returned to his hometown and had more time to think about him. That time will lead to the discovery of universal gravitation in 1665.

Newton’s Work

What Newton has shown is great. He found that all matter interact and attract each other, just as forces are “interactions” and small apples and large earths interact.

It was systematized as a law in Newton’s book “Principia”. He used his idea of ​​differentiation as his mathematical formulation to leave a sophisticated form, laying a great foundation for the subsequent development of scholarship.

Newton’s Footprint

Years later, Mach criticizes Newton’s concept of space in “History of Philosophical Criticism of Mechanics”, but it is a story that can only be noticed with Newton’s organized and established concept of space, the law of inertia, etc. It is.

In addition, Newton’s achievements are not limited to optics and calculus, but the fact that space, time, and force are clearly formulated seems to be greater for us in posterity and for physics. Newton has changed the way people think about things.

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ウィリアム・ローレンス・ブラッグ【1890年3月31日 ~ 1971年7月1日】


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ブラッグの名前を英語でつづるとWilliam Lawrence Braggです。結晶によるX線回折についての法則「ブラッグの法則」でよく知られているオーストラリア生まれの物理学者です。英連邦から英国本国で学んで研究を進めた物理学者はラザフォード(ニュージーランド出身)が思い浮かびますが、ブラッグの場合はお父様と一緒にイギリスへ移住しています。ローレンスは優秀で14歳でアデレード大学に進学します。渡英後の1909年の秋には無試験で数学の奨学金を得てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学します。1911年に首席で物理学科を卒業。1914年にはトリニティ・カレッジのフェローシップに選ばれています。トリニティ・カレッジでのフェローシップでは論文の提出や試問に関わる自然科学系の受賞者として史上最年少記録として語り継がれています。

息子であるローレンス・ブラッグはエックス線を結晶格子にあてて、格子を構成する原子をX線が回折する様子を思いつきました。つまり個々の粒子にX線が当たった時に光子が入射方向と角度をもって回折されていく様子をイメージできたのです。個々の粒子が結晶構造を持っていたとしたら原子配置に応じて反射波は特定のパターンを描くはずであると分析したのです。結晶パターンに従って回折したX線ビームの「透過後のパターン」を計測して結晶内の原子の配置を算出(推定)するアイデアを父であるヘンリー・ブラッグに話しました。父ヘンリーはリーズ大学で息子ローレンスのアイディアを使いX線分光計を開発したのです。開発した装置が、色々な結晶の分析が可能としました。1915年(息子のローレンスが25歳の時に)父ヘンリー・ブラッグと共にノーベル物理学賞を受賞します。この25歳での受賞は自然科学の分野では現在でも最年少の受賞となっています。非常に悲しい出来事なのですが同年にはローレンスの兄弟がガリポリの戦いで戦死したという悲しい事件もありました。その直後の時期に、親子はノーベル物理学賞受賞の知らせを聞いているのです。

そもそも、ローレンスが5歳の時に3輪車で転び腕を骨折しました。父ヘンリーがその時に、最新情報・ヴィルヘルム・レントゲンによるX線の発見を思い出し、検査に応用したのが始まりです。父ヘンリーの検査事例はオーストラリアでのX線の初の医学的応用となりました。そこから話を親子は計測を発展させて、もっとサイズの小さい結晶構造を考察する道具としてX線を解析の道具としてつかったのです。その家族の歴史がノーベル賞につながったのです。

また一方でローレンスの研究は第一次世界大戦と第二次世界大戦のときに中断されました。戦時下では有能な才能が軍事的に貢献されることが好ましかったのです。ローレンス自身の当時の意向は調べ切れていませんが、それぞれの大戦でローレンスは敵兵器の場所を特定する音響測位法の研究に従事しました。海洋探査の現場で使われる方法で大気中で兵器の位置を測定をしようとしていたようです。第一次大戦の際にはミリタリー・関連の勲章と大英帝国勲章を受けています。また、1916年、1917年、1919年に3回、柏葉敢闘章 (Mentioned in Despatches) を授与されています。

1948年頃にはX線によるタンパク質構造の研究に関心を持ち、物理学の知識を生物学の研究に応用する研究グループを作ることに貢献している。1953年、所長を務めていたキャベンディッシュ研究所でフランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがデオキシリボ核酸 (DNA) の二重らせん構造を発見した際にも重要な役割を演じています。

 

〆最後に〆

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Bragg’s name is spelled in English as William Lawrence Bragg. He is an Australian-born physicist well known for Bragg’s Law, the law of X-ray diffraction by crystals. Rutherford (from New Zealand) comes to mind as a physicist who  studied in Britain from the Commonwealth of Nations, but in the case of Bragg, he moved to England with his father. Lawrence is excellent and goes on to the University of Adelaide at the age of 14. In the fall of 1909, after he arrived in the UK, he enrolled in Trinity College, University of Cambridge with an unexamined math scholarship. He graduated from the Department of Physics at the top of his class in 1911. He was selected as a Fellowship at Trinity College in 1914. His fellowship at Trinity College has been handed down as the youngest record in history as a natural science award winner for his dissertation submissions and questions.

His son, Lawrence Bragg, applied X-rays to the crystal lattice and came up with the idea of ​​X-rays diffracting the atoms that make up the lattice. In other words, I was able to imagine how photons are diffracted at an angle and direction of incidence when X-rays hit individual particles. He analyzed that if each particle had a crystal structure, the reflected wave should draw a specific pattern depending on the atomic arrangement. He told his father Henry Bragg the idea of ​​measuring (estimating) the arrangement of atoms in a crystal by measuring the “post-transmission pattern” of an X-ray beam diffracted according to the crystal pattern. His father, Henry, developed an X-ray spectrometer at the University of Leeds using the ideas of his son Lawrence. The device he developed made it possible to analyze various crystals. In 1915 (when his son Lawrence was 25) he won the Nobel Prize in Physics with his father Henry Bragg. This 25-year-old award is still the youngest in the field of natural sciences. It was a very sad event, but in the same year there was a sad incident in which the Lawrence brothers died in the Gallipoli Campaign. Immediately after that, parents and children heard the news of receiving the Nobel Prize in Physics.

In the first place, when Lawrence was 5 years old, he fell in a three-wheeled vehicle and broke his arm. At that time, my father Henry remembered the latest information, Wilhelm Röntgen’s discovery of X-rays, and applied it to the examination. The case of his father Henry was the first medical application of X-rays in Australia. From there, parents and children developed measurement and used X-rays as a tool for analysis as a tool for considering smaller crystal structures. The history of the family led to the Nobel Prize.

On the other hand, Lawrence’s research was interrupted during World War I and World War II. During the war, Lawlence was preferred that talented talent contributed to the military. Although Lawrence’s intentions at the time have not been fully investigated, in each war Lawrence was engaged in research on acoustic positioning methods to locate enemy weapons. He seems to have been trying to measure the position of weapons in the atmosphere using the methods used in the field of ocean exploration. He received military and related medals and the Order of the British Empire during World War I. He has also been awarded the Mentioned in Despatches three times in 1916, 1917 and 1919.

Around 1948, he became interested in the study of protein structure by X-rays and contributed to the formation of a research group that applied his knowledge of physics to the study of biology. In 1953, he also played an important role in the discovery of the double helix structure of deoxyribonucleic acid (DNA) by Francis Crick and James Watson at the Cavendish Laboratory, where he was director.

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こんにちはコウジです。「ノイマン」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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【1903年12月28日 – 1957年2月8日】


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フォン・ノイマンの生い立ち

ノイマンはハンガリー系のドイツ人でアメリカに亡命します。ハンガリー名ではナイマン・ヤーノシュ:nɒjmɒnˌjɑ̈ːnoʃ、ドイツ名ではヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン:Johannes Ludwig von Neumann, 少年時代から英才教育を受け、ディケンズの小説を一字一句間違えず暗唱していたと言われます。また、車を運転しながら読書していたと言われます。数学・物理学・コンピューター科学で多才な才能を発揮した人で映画のモデルにもなっています。冒頭に掲載した映画作品は
フォン・ノイマンをモデルにしたと言われています。

原子爆弾やコンピューターの開発

フォン・ノイマンは1930年にプリンストンに招かれ、プリンストン高等研究所の所員に選ばれています。因みに、その時に同時にメンバーとして選ばれた一人がアルベルト・アインシュタインでした。戦争へ向かうアメリカで軍事関係の研究を進めます。

特に、フォン・ノイマンはロスアラモス国立研究所でアメリカ合衆国による原子爆弾開発のためのマンハッタン計画に参加します。そして、弾道研究所に関わるENIACのプロジェクトに参加してノイマンもこの電子計算機のプロジェクトを進めていくのです。

ノイマンの別の関心事として衝撃波の伝達の研究分野がありました。所謂FAT・MAN(長崎に投ちたプルトニウム型原子爆弾)のための爆縮レンズを開発していくのです。兵器開発に科学者が関わっていく良い例です。「(効率的に)人を沢山殺そう」という考えと「科学的探究心」は瞬時に置き換える事が出来るのです。

フォンノイマンの考え方を表す言葉

名言として残されている一つをご紹介します。
「思考こそが一次言語であり、
数学は二次言語である。
数学は、思考の上に作られた、
一つの言語に過ぎない。」
実際に物理モデルを構築する前の思考が大事で、それは掴み用の無い物です。幾何学的な図形で抽象的に表現してみたり群論を使って整理してみたりします。見つかった「秩序」を数学的表現で表すのはその後の段階で、さらには大衆に分かるように色々な言葉で肉付けします。物理学者はこの作業を無限に繰り返さなければいけません。そんなノイマンは1955年に骨腫瘍あるいはすい臓がんと診断されました。放射能に関わる研究を重ねた結果でもあります。同僚のエンリコ・フェルミも1954年に骨がんで亡くなっています科学の発展の為に晩年を捧げた人生でした、ご冥福をお祈りいたします。



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The background of von Neumann

Neumann is a Hungarian German who goes into exile in the United States. He is said to have been reciting Dickens’ novels word for word, having been educated as a gifted boy in Hungary for Naiman Janos: nɒjmɒnˌjɑ̈ːnoʃ and in Germany for Johannes Ludwig von Neumann. increase. He is also said to have been reading while driving a car. He is a versatile talent in mathematics, physics and computer science and is also a movie model. The movie work posted at the beginning is
It is said to have been modeled after von Neumann.

Development of atomic bombs and computers

Von Neumann was invited to Princeton in 1930 and was selected as a member of the Princeton Institute for Advanced Study. By the way, one of the members who was selected at the same time was Albert Einstein. He pursues military research in the United States heading for war.

In particular, von Neumann will participate in the United States’ Manhattan Project for the development of an atomic bomb at the Los Alamos National Laboratory. And Neumann will also proceed with this computer project by participating in the ENIAC project related to the Ballistic Research Laboratory.

Another concern of Neumann was the field of study of shock wave transmission. He will develop a detonation lens for the so-called FAT MAN (plutonium-type atomic bomb thrown at Nagasaki). It’s a good example of how scientists get involved in weapons development. The idea of ​​”killing a lot of people (efficiently)” and “scientific inquiry” can be instantly replaced.

A word that expresses the idea of ​​von Neumann

I would like to introduce one that remains as a saying.
“Thinking is the primary language,
Mathematics is a secondary language.
Mathematics was built on thought,
It’s just one language. “

It is important to think before actually building a physical model, which is something that cannot be grasped. Try to express it abstractly with geometric figures or organize it using group theory. The mathematical expression of the found “order” will be expressed later, and will be fleshed out in various words so that the public can understand it. Physicists have to repeat this task indefinitely. Neumann was diagnosed with bone tumor or pancreatic cancer in 1955. He is also the result of his repeated research on radioactivity. His colleague Enrico Fermi also died of bone cancer in 1954. I pray for the souls of his later life for the development of science.

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ロバート・フック【1635年7月28日生まれ‐4/13改訂】

オックスフォード大学(OXFORD)

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【1635年7月28日生まれ ~ 1703年3月3日没】


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ボイルの助手フック

イギリスに生まれたフックは若い時代にボイル

下で実験助手を務め、様々な経験を積みます。

そしてまた、ユークリッドの原論や、光の屈折

など様々な考え方を身に着けていきます。

フックの情報を調べてみると性格的側面で、

人間関係の問題を抱えていったように思われます。

そもそもフックの父は英国国教会の聖職者でした。

2人の兄も聖職者として人生を歩んでいるようです。

フックの美学

そんな家庭で育ったロバート・フックは

科学・数学といった理論の世界で神に通じる

美学を構築していったのではないでしょうか。

宗教的側面は精神的な土台として考慮すべきです。

そこから生まれる高潔な理想と現実世界での不条理が

彼の抱えていた問題だったのです。

数学で「問題の壁を乗り越えた時の感動」や

「誰の手も借りずに新しい発見をした時」の

感謝は完全に人に伝えられない部分だと思えます。

そこで感動の共有が出来なかったとしたら、

フックはきっと孤独を感じたのです。



この紹介を書くにあたり調べ直してみた所、最終的にフックは寂しい人生を送っています。フックには子孫が居ませんでした。また、同時代のニュートンに比べ業績は見劣りします。年配のフックをニュートンは敬っていたようですが最後はどうしても論戦になり、科学的な思考の深さと明快な視点で反論されてしまったのでしょう。

とはいえ、その業績は特筆に値します。

フックの業績 

有名な仕事はバネでの、フックの法則です。

ばねに働く力が長さの一乗に比例するという法則は

非常に明快で今でも色々な分野に応用されています。

また、惑星間に働く力が距離のマイナス2乗に働く

という法則もフックの発案であるという主張もありました。

もはや今となっては真相は不明です。

理論として体系立てることも大事ですが

先ずは気付きを与えるという事も大事です。

その意味でフックは議論をしてたというだけで

素晴らしいと感じます。

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Hook in yonger Days

Born in England, Hook worked as an experimental assistant under Boyle when he was young and gained a lot of experience. And again, he learns various ideas such as Euclid’s Elements and refraction of light. Looking at Hook’s information, he seems to have had a relationship problem on the personality side. In the first place, Hook’s father was a priest of the Anglican Church.

It seems that the two older brothers are also living their lives as priests. .. Robert Hooke, who grew up in such a family, may have built a divine aesthetic in the world of theory such as science and mathematics. Religious aspects should be considered as a spiritual foundation.

noble ideals and Hook

The noble ideals and absurdities of the real world that emerged from it were his problems. In mathematics, gratitude for “impression when overcoming a problem wall” and “when making a new discovery without the help of anyone” seems to be a part that cannot be completely conveyed to people. If you couldn’t share the excitement there,

Hook must have felt lonely. After re-examining it when writing this introduction, Hook is finally living a lonely life. Hook had no descendants. Also, his achievements are inferior to his contemporaries Newton. It seems that Newton respected the elderly Hook, but in the end it was a debate, and he would have been argued with his depth of scientific thinking and a clear perspective.

Hook’s Work

However, his achievements deserve special mention. His famous work is Hooke’s Law in Spring. The law that the force acting on a spring is proportional to the first power of length is very clear and is still applied in various fields.

It was also argued that the law that the force acting between planets acts on the minus square of the distance was also the idea of ​​Hook. The truth is unknown now. It is important for him to systematize as a theory, but it is also important to give awareness first. In that sense, Hook feels great just because he was having a discussion.

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ダーヴィット・ヒルベルト
【1862年1月23日 ~ 1943年2月14日】

deutuland


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ヒルベルトの名前を英語でつづるとDavid Hilbertとなり
ドイツ語:でつづるとˈdaːvɪt ˈhɪlbɐtとなります。誰しもが認める
「現代数学の父」がヒルベルトです。遅ればせながら、
誰しもが認める大物をご紹介します。
ヒルベルトは当時プロイセン王国領だったケーニヒスベルク
(今はロシア領であるカリーニングラード)に生まれました。

ヒルベルトはケーニヒスベルク大学に進学し学びますが、この大学では別途、カントが(別の時代に)学び、学長を務めていたような歴史ある大学です。もともとドイツ騎士団だった男が設置した大学で、第二次大戦後はソビエト連邦領として統治されていました。記事を書いている2022年にはウクライナとロシアの紛争が続いていますがロシアの領土を巡る経緯は非常に根深いものがあると感じさせる地方です。思えば旧東ドイツも実質的にロシアの支配下あったとも言えます。プロイセン王国ではありますが、後の時代には別の国であったような地方でヒルベルトは生まれ学びました。後に多彩な才能がヒルベルトを育てました。特にウェーバーはドイツ数学の影響をヒルベルトに与えたと言われています。更に、同大学でヘルマン・ミンコフスキーとアドルフ・フルヴィッツと刺激を与えあう関係を持ちます。なかんずくミンコフスキーとは「最良にして、本当の友人」と感じるような関係を築きました。

またヒルベルトは偉大な数学者を多数、指導輩出しています。教育者として非常に優れています。ヒルベルトはゲッティンゲン大学で色々な人を指導していきました。その中の一人であるヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン(のちのジョン・フォン・ノイマン)の論文を評価していて、ノイマンは後に原子爆弾やコンピュータの開発で特筆される業績を残します。また、後述する「ヒルベルト空間」の名付け親はノイマンだと言われています。「三次元ユークリッド空間」を発展させていったのです。ヒルベルトは当時22歳であったノイマンをゲッティンゲン大学に招いて育てたのです。また日本人では東大の高木貞治がドイツ留学時代ヒルベルトの指導を受けたと言われています。思い返せば恐縮ながら、私も高木貞治の教科書を使っていたので、日本で数学を志す若者もヒルベルトの影響を受けていたのです。明文化すると少し感慨深いです。

ヒルベルトの業績で大きいと思えるのは数学概念の統合計画」と言える仕事だと思えます。それは不変式論、抽象代数学、代数的整数論、積分方程式、関数解析学、幾何学の公理系の研究、一般相対性理論などで個別にあった公理を整理して応用を考えていき、現実の現象(人間の頭の中での認識群)との相関を考えた時に、多岐に及ぶ業績を「結びつける試み」であると思えます。ヒルベルトの公理論と数学的な整合性の証明に関する一連の計画はヒルベルト・プログラムと呼ばれ、現代で理解されています。後にフォンノイマンも議論を続け、ヒルベルト空間と呼ぶ空間を3次元ミンコフスキー空間から発展させています。また、ヒルベルトの零点定理などに名前が残っています。

何よりヒルベルトはドイツの数学レベルを世界最高の水準ひきあげた数学者達の一人でした。一流の数学者でした。そんなヒルベルトは、晩年にナチスドイツによるユダヤ人迫害を目の当たりにしています。ドイツの数学研究所からユダヤ人たちが一人一人いなくなっていく様子に心を痛めていたそうです。

〆最後に〆

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(対応英訳)

Hilbert’s name is spelled in English as David Hilbert and German: as ˈdaːvɪt ˈhɪlbɐt. The undisputed “father of modern mathematics” is Hilbert. I will introduce the big game that everyone recognizes, though it is late. Hilbert was born in Königsberg (now Russian territory Kaliningrad), which was then the Kingdom of Prussia.

Hilbert goes on to study at the University of Königsberg, which is a historic university where Kant studied (at another time) and was the president. The university was originally set up by a man who was the Teutonic Order, and was ruled as the Soviet Union territory after World War II. In 2022, when I wrote the article, the conflict between Ukraine and Russia continued, but it is a region that makes me feel that the history of Russia’s territory is very deep-rooted. If you think about it, it can be said that the former East Germany was also under the control of Russia. Although it is the Kingdom of Prussia, Hilbert was born and learned in a region that would have been another country in later times. Later, various talents raised Hilbert. In particular, Weber is said to have influenced Hilbert with German mathematics. In addition, he has an inspiring relationship with Hermann Minkowski and Adolf Hurwitz at the university. Above all, he had a relationship with Minkowski that made him feel “best and true friend”.

Hilbert has also produced many great mathematicians. He is very good as an educator. Hilbert taught various people at the University of Göttingen. He appreciates the paper of one of them, Johannes Ludwig von Neumann (later John von Neumann), who later made remarkable achievements in the development of atomic bombs and computers. In addition, it is said that Neumann is the godfather of “Hilbert space” described later. He developed the “three-dimensional Euclidean space”. Hilbert invited Neumann, who was 22 at the time, to the University of Göttingen to raise him. It is said that Teiji Takagi of the University of Tokyo received guidance from Hilbert when he was studying in Germany. Looking back, I’m sorry to say that I also used Teiji Takagi’s textbook, so young people who aspired to mathematics in Japan were also influenced by Hilbert. I am a little deeply moved when it is written.

What seems to be a big achievement of Hilbert is the work that can be said to be the integration plan of mathematical concepts. It is an invariant theory, abstract algebra, algebraic integer theory, integral equations, functional analysis, research on axioms of geometry, general relativity theory, etc. When considering the correlation with the phenomenon (recognition group in the human mind), it seems to be an “attempt to connect” a wide range of achievements. Hilbert’s program, a series of plans for proof of mathematical consistency with Hilbert’s public theory, is called the Hilbert Program and is understood today. Later, von Neumann continued his discussion, developing a space called Hilbert space from the three-dimensional Minkowski space. In addition, the name remains in Hilbert’s zero point theorem.

Above all, Hilbert was one of the mathematicians who raised the level of mathematics in Germany to the highest level in the world. He was a leading mathematician. Hilbert witnessed the persecution of Jews by Nazi Germany in his later years. He was hurt by the disappearance of each Jew from the Deutsche Mathematics Institute.

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セシル パウエル
【1903年12月5日生まれ‐4/12改訂】

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パウエルとハイゼンベルグとゾンマーフェルト

単なる偶然の産物といえば偶然ですが、
今回ご紹介するセシル パウエルと
ハイゼンベルクとゾンマーフェルトは
同じ誕生日でした。また同様に
西川 正治も同じ誕生日でした。

さて、
今回の紹介は英国のセシル パウエルです。

素粒子の軌跡を記録する方法
を改良しました。

つまり、

Photographic Emulsionsの中での粒子軌跡を

直接記録する方法を採用したのです。

当時は未知なる粒子が次々と発見され

様々に予想されていたのですが、

観測手段も試行錯誤が成されていました。

例えば、

霧箱で飛んでくる粒子の軌跡を捉えたり、

高い山の上で観測して飛来宇宙線の大気減衰を

克服したり写真技術を活用したりしました。

パウエルの手法は写真のイメージから考える

のでしょうか。機会があれば更に確認します。

 

 パウエルによるπ中間子の観測

またパウエルは湯川秀樹が予想した
パイ中間子の観測・発見の為に
研究スタッフを派遣しています。生成後の
寿命が短く地表に到達できないパイ中間子
観測の為にボリビアにあるアンデス山脈の
標高5000mの山から上記乾板を使って発見
しています。ダイナミックな観測だった
と言えるでしょう。加えて、気球を使い
高度を確保したりもしています。
観測の為に様々な工夫をこらして
結果を得ています。

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Powell, Heisenberg and Sommerfeld

It’s just a coincidence, but C. Powell, Heisenberg, and Sommerfeld have the same birthday. Similarly, Shoji Nishikawa had the same birthday.

By the way, this time I would like to introduce you to Cecil Powell in the United Kingdom. The method of recording the trajectory of elementary particles has been improved. In other words, we adopted the method of directly recording the particle trajectory in Photographic Emulsions. At that time, unknown particles were discovered one after another and various expectations were made, but the observation method was also trial and error. For example, we captured the trajectory of particles flying in a cloud chamber, observed them on a high mountain to overcome the atmospheric attenuation of flying cosmic rays, and used photographic technology. Do you think of Powell’s method from the image of a photograph? I will check further if there is an opportunity.

Observation of pions by Powell

Powell also dispatches research staff to observe and discover the pions predicted by Hideki Yukawa. It has been discovered using the above-mentioned dry plate from a mountain at an altitude of 5000 m in the Andes Mountains in Bolivia for the purpose of observing pions that have a short life after formation and cannot reach the surface of the earth. It can be said that it was a dynamic observation. In addition, we also use balloons to secure altitude. We have obtained results by making various efforts for observation.

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アイザック・バロー
【1630年10月生まれ ‐4/12改訂】

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 バローとルーカス職

今回のご紹介するバロー教授は
イギリス・ケンブリッジ大学の数学者です。
バローはケンブリッジ大学での
ルーカス教授職に初めて任命されています。
ルーカス職とはケンブリッジ内大学の称号(職位)で
クール(Cool)な物理学者に国王から贈られる称号です。
特に数学系の理解が高い人物に贈られます。

 筆者とバローの出会い

私がバローの名を初めて知ったのは
高校の時の英語の教材で、
次の様な文章だった気がします。

Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing. He decided one of his pupil was..…

上記英文での教授がバロー先生で
その後に出てくる弟子(生徒)がニュートン
なのです。バローはニュートン
ルーカス職を譲ります。彼の方が
職位に相応しいと判断したのです。

異例な判断だったようですが
その後のニュートンの業績を考えると
バローの判断は素晴らしいと分かります。
因みにその後、名誉あるルーカス職は
ディラック
ホーキング

引き継いでいきます。

 バローの業績

上記、英語の文書が書かれた時代
から更に時代は進んでますが、
バローの残した業績は物理学のみ
ならず、工学、ひいては産業に
大きな成果を残しています。

具体的にバローが残した業績で
特筆すべきは微分と積分が
真逆の数学的行為であると幾何学的
に証明した事だと言われています。
今では当たり前なのかも知れません
がバローが整理、体系化した結果
なのです。

〆最後に〆

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 Barrow and Lucas

Professor Barrow is a mathematician at the University of Cambridge, England. Barrow has been appointed for the first time as a Lucas professor at the University of Cambridge. The Lucas professor is the title (position) of the University of Cambridge and is given by the king to a cool physicist. It is especially given to those who have a high understanding of mathematics.

 My Memory

The first time I learned the name of Barrow was in English teaching materials when I was in high school, and I think it was the following sentence.

Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing. He decided his pupil his was ..…

The professor in English above is Mr. Barrow, and the disciple (student) who appears after that is Newton. Barrow hands over Lucas to Newton. He decided that he was more suitable for his position.

It seems that it was an unusual decision, but considering Newton’s subsequent achievements, Barrow’s decision is wonderful. By the way, Dirac and Hawking will take over the prestigious Lucas profession after that.

 Barrows work

Although the times have progressed further from the time when the above English documents were written, Barrow’s achievements have made great achievements not only in physics but also in engineering and eventually in industry.

Specifically, it is said that what is remarkable about the achievements left by Barrow is that he geometrically proved that differentiation and integration are the opposite mathematical acts. It may be natural now, but it is the result of Barrow’s organization and systematization.